最終年・6――盗賊退治のこと

「……旅行?」
「そ! まぁ旅行っつーか……俺の里帰りみたいなもんに、よかったらつきあってくんないかな、って思って」
「里帰り……君が長期休暇の時いつも行く、先生≠フいる場所だね」
「うん……もしよかったらさ、ウィルたちにも、先生紹介したいな、って思ってさ」
「…………」
 ウィルはしばし考えるように視線を彷徨わせたあと、首を振った。
「いや……せっかくだけれど、僕は遠慮しておくよ。僕がいては、お邪魔だろうし」
「え……な、なに言ってんだよ。邪魔だったら最初っから誘わねぇって」
「君は邪魔には思わないかもしれないけれど、僕が先生≠セったら気にするよ。ただでさえ短い恋人との逢瀬を、恋人の友達に邪魔されるのは」
「なっ……」
 思わずかぁっ、と赤くなるナップに、ウィルは小さく微笑んだ。そして手を振りながらナップから離れる。
「最後の夏季休暇だ。僕はせいぜい勉強して知識を増やしておくさ。君もぼやぼやしすぎて特別上級科に上がれなくならないようにね」
「あ……」
 去っていくウィルを、ナップはただ見送ってしまった。言いたいことは、いろいろあったのに。
 そんなに嫌がるかな。俺はただ、みんなと先生を会わせたいだけなのに。大切な友達と、大好きな先生を。
 別れてしまう前に、できるだけたくさん思い出を作りたいと、思っただけなのに。ベルもアリーゼも断ってきたし(考えを決めたのが放課後前だったので二人の方と先に会ったのだ)。
「特別上級科、か……」
 ナップはため息をつく。自分は、卒業したら先生のところに帰るのだ、ということを、まだナップはウィルにもベルフラウにもアリーゼにも言えていなかった。
 言い出しづらい、というのもある。だがそれ以上に、自分の中に強い迷いがあるからだった。先生とずっと一緒にいたい、その気持ちは変わらない。けれど、確かにもっといろいろなことを学びたい、もっと強くなりたい、みんなと一緒にもっといろんな経験を積みたい、そういう気持ちも確かにある。
 ウルゴーラに来る時は、どちらも捨てないという選択肢を選ぶことができた。だが、この学校を卒業すれば、自分はどうしたって選ばなければならなくなってしまう。島に戻るか、帝国で上級科に進むか。先生といるか、ウィルたちといるかを。
 どちらも大切なことには変わりない。愛しているのは先生ただ一人だけれど、ウィルたちは別のところでまた大切だ。どちらと一緒にいる未来も、自分は捨てたくない。
 けれど、両方と一緒にいることはできない。どちらも選ぶ道は違うだろうし、なによりナップ自身が両方と一緒にいるという状態がどうにもピンとこないのだ。先生とウィルたちはナップの中で別のところにあるもので、一緒に在るのはどうにも違和感が拭えない。
「……それでも、会ってほしいって、思ったんだけどなー……」
 どちらも大切な存在には変わりないのだから、ちゃんと会って、仲良くなってくれたら嬉しいなと思ったし……先生も妙なこと考えなくなるかと思ったし。それに、双方が出会ったら、どちらとも一緒にいられる未来が見えるかもしれないなんて、馬鹿なことをちょっと考えたから。
「やっぱり、甘いかなぁ……」
 ふ、と小さく息をついて、ナップは足を速めた。とりあえず、部屋に戻って荷造りの準備をしなければ。

 島での生活はいつも通りに楽しかった。先生と一緒に喋って、剣を交えて、楽しいことをいっぱいして。時にはベッドの上で、いろんなことをして。
 けれどときおり、ひどく物足りない気分になった。嬉しいことや楽しいことがあった時、これを他の誰かにも一緒に伝えたいと思った。
 もちろん先生には伝えたけれど、それだけじゃなくて。なんだか、もっと、他の。他の場所にいる、他の誰か。
 それはやっぱり、あいつらなんだろうな、とナップはそのたびにこっそりと考えた。帝国で一緒に暮らして一緒に学んでいるあいつら。ベルフラウに、アリーゼに、それからウィル。自分の大切な、これ以上ない親友。
 なんでこんなことを思うんだろう、とナップは何度も考えた。大好きな大好きな先生といるのに。嬉しくて幸せなのに。それは間違いなく本当なのに。どうしてあいつらのことを、懐かしいって思ってしまうんだろう。
 答えは出ないまま、そして悩みながらも当然誰にも相談できないまま、ナップはレックスに別れを告げ島から帰ってきた。港から馬車や召喚獣を乗り継いで帝都に到着する――や、自然と足が走り出していた。帝都の中ぐらいなら完全装備で一周走り回るぐらい楽勝だ、寮までくらいなんてことない。
 走って走って、ナップは寮の前の中庭でウィルを見つけた。見慣れた男にしては長めの黒髪に、思わず顔を笑ませながら声をかける。
「よう、ウィル! ただいまっ」
 息と同時に吐き出したその言葉に、ばっ、と振り向いた顔はちょっと見物だった。大きく目を見開いた、表情のない、でも確かに驚きを伝えてくる顔。驚きすぎて無表情になった、を絵に描いたみたいな顔だ。なんだかわけもなく嬉しくなり、ナップはがしっとウィルに抱きついた。
「ひっさしぶりーっ! 会いたかったぜーっ」
「ちょ、こらっ、ナップっ! なにを考えてるんだ君はこんなところでっ、こらっ、すりつくなっ、怒るぞっ」
「あははっ、そーんなに怒んなって、あははっ」
「怒るに決まってるだろうっ、こら馬鹿やめろったらっ、こらっ」
 意味もなくひどくおかしくて、二人とも笑いあいながらじゃれ合う。それがもうひどく楽しくて、どうしても止められず二人で地面に猫の子のようにくっつきながら転がった。
「あはははっ、もーなにやってんだ俺たちっ、馬鹿すぎだよ……ははっ」
「それを君が言うなっ、ふくくっ……ははっ、はは、はー……」
 二人揃って地面に転がり、空を見上げる。なんだか体が溶けそうに気持ちよかった。すごくしっくりした、暖かい気分。嬉しくて、優しくて、そして幸せになるくらい気持ちがいい。
「……なんか、すっげー、いいなーなんか」
「意味がわからないよ……」
「俺さ、向こうにいた時、なんか……何度もウィルたちに会いたくなったんだよな。懐かしいなんて思ったりしちゃって。だから、会えたらさ、なんか嬉しくて。ありがとな、ウィル」
「……そう。別に、気にしなくていいよ」
「うん……」
 二人黙ってしばらくそのまま空を見上げていた。黙ってるのが気持ちいいと思えたなんて、なんだか本当に、久しぶりな気がする。
「……なにをやってるの、あなたたちは?」
 上から降ってきた声に目をぱちくりとさせて上体を起こす。この声。もしやと思って視線を向けると、案の定だった。長い金髪と灰色の瞳、紅茶色の髪と同色の瞳の、大きな鞄を横に仁王立ちでこちらを見下ろす少女たち――
「ベル! アリーゼ! 今帰ってきたのか、すげぇ、時機ぴったり!」
 思わず笑って言うと、ベルフラウとアリーゼは揃って一瞬わずかに頬を染め口ごもったが、すぐにいつも通りの口調で答える。
「あなたに先を越されたと思うとちょっと悔しいわね。いつも長期休暇はぎりぎりまで帰ってこない人が」
「ナップくん、おかえりなさい。私たち、一緒にちょっとした旅行に行っていたの」
「へぇ、それで一緒に帰ってきたのか。でも、なら運がよかったな」
「え、なにが?」
「俺、二人と早く会いたいなって思いながら帰ってきたからさ。二人一緒にこんなすぐ会えて、すげぇ嬉しい」
 笑顔で言うと、またも二人揃って一瞬わずかに頬を染めながら口ごもる。
「なによ……あなた、もしかしてちょっと背が伸びた?」
「え……そうか? 俺向こうにいたのせいぜい二週間ぐらいだぜ?」
「ううん、なんだか、ちょっと雰囲気変わった気がするもの。なんていうか、ナップくん、ちょっと男の人っぽくなった感じがする」
「え……そ、そうかなぁ?」
 照れ笑いをして頭を掻くと、そこにウィルの皮肉っぽい突っ込みが入った。
「その子供っぽい仕草は前と同様子供っぽいけどね」
「う、うるっさいなぁ!」
「ははっ」
「……ふふっ」
 ナップはちょっとばかりむくれたが、みんなが本気で楽しそうに笑っているので、自分も声を立てて笑い始めた。なんだか、ちょっと嬉しくなったのだ。

「で、どうだった、ウィルの方は? 一人で寮生活じゃ退屈だったんじゃないか?」
 荷物を置いて、揃っていきつけの店で昼食にして。まずはそれぞれ自分の休暇の間のことを報告して、ただ一人自分から話そうとしなかったウィルにこの店で一番好きな揚げラビオリをぱくつきながらそう水を向けると、ウィルは巻き取ったパスタをいつも通りのちゃんとした作法で口に運びながら笑う。
「そうでもなかったよ。勉強したいことは山ほどあるし……それに、今回は興味をそそられることがあったからね」
「あなたが興味をそそられること? どんな厄介事かしら。面白そうね、聞かせてちょうだい」
 ベルフラウがリゾットの皿にスプーンを差し込みながら問うと、ウィルは珍しく小さくにやりと笑い、水で喉を潤してから言った。
「今、帝都を騒がせている、一人の泥棒がいるんだ」
「泥棒っ!?」
 ラザニアを品よく食べていたアリーゼが、これまた珍しく目を見開いて声を上げる。ウィルは口元に笑みを佩いたままうなずいた。
「ああ、泥棒だ。一部では怪盗とすら呼ばれているね。帝都の富裕層や地位のある人間を狙って、ここ二週間毎日のように犯行を繰り返している奴がいるんだけど、そいつが犯行のあとに必ず香水を振りかけたカードを残していくんだよ。そんな気障なことをする奴は珍しいというので、帝都はほとんどそいつの話題で持ちきりらしいよ」
「か、怪、盗っ……!? ………っ!!」
「……アリーゼ、どしたんだ? なんか息が荒いぞ?」
「気にしなくていいわよ、アリーゼの好みの範疇の話だっただけだから。そいつ、名前とかないの?」
「カードに名前を残したりはしていない。ただ盗んだものの明細を『〜を頂戴いたします』というように書いて、特別に調合した香水を振りかけて残しておくだけだ。だから薫香の君やら香り泥棒やらいろいろ名前があって、まだ統一されてないみたいだね」
「ふぅん……で、ウィルが興味をそそられるってことは。次にそいつが盗みに入る場所に、心当たりでもあんのか?」
「心当たりというか、予想だね。そいつがどこに盗みに入るかを論理的に予想するんだ。頭の体操としては悪くないだろう?」
「確かに、面白そうね。なにか手がかりはあるの?」
「まずは、手口。そいつはどれもこれも厳重な警備の中不可能としか思えないような大量の金銭・宝石類を盗み出している。誰にも目撃されず、怪我人、死人、いっさい出さずにね。だからこそ怪盗と呼ばれているわけだけど……どうすればそんなことができるのか、特殊な方法があるのかもしれない、と僕は考えた。あらかじめ二週間連続で盗みに入れるほど多くの目標に下準備を施しておいたんだと考えるより、そちらの方が自然だろう?」
「そうだな」
「次に、目標とする相手。盗みに入られた家は軍人、文官、商人と種類に富んでいるけれど、そこには富裕であるという以外にもいくつか共通点があるんだ」
「えっ……そんなものがあるの!?」
「ああ。といっても、みんなこの街の富裕な人間なら決して珍しくないことばかりなんだけど……まず、召喚術となんらかの関わりを持っていること。サモナイト石の流通に携わっていたり、召喚術を専門にした部隊を率いていたりね」
「まぁ、なんらかの関わりがある£度のくくりならこの街の富裕層の大半が当てはまるでしょうね。それから?」
「軍と関係を持っていること。軍人は言うに及ばず、他にも軍に商品を卸したり軍の予算を編成したりしている」
「そのくらいの関係なら、全然ない方が珍しいよな、この街じゃ。それから?」
「あとは金銭欲が強く、手段を問わずに金を稼いで金銭をやたら貯め込んでいる……言い方は悪いけれど、業突く張りだってことだね。だから怪盗として民衆から評価を受けているんだよ」
「わぁ……すごい……! 実際にそんな怪盗が帝都に現れるなんて……本当に小説みたい……!」
「次に、目的。犯行声明の類は出ていないから、愉快犯か金銭目当てかはっきりとしたところは知られていないけれど、でもここまで立て続けに犯行に及ぶということは、なにかの目的があるんじゃないか、と考えた方が自然だ。どちらの目的にしろ、ほとぼりを冷まさずに犯行に及ぶことがどれだけ危険かわからないほど愚かな犯人じゃないだろうしね」
「だろうな。で、その目的ってなんなんだ?」
 ナップが問うと、ウィルはくすりと笑って肩をすくめてみせる。
「これこそが目的に違いない、なんてものがわかったらとうに当局に通報しているよ。限定された情報の中であれこれ推理する、ただの知的遊戯なんだから」
「え、そーなのか? まぁそりゃそうだよな、謎が解けたら通報してるよな……」
「でも確かに面白い話ではあるわよね。私たちも次の犯行現場を予測してみましょうか。もっとも、さすがに二週間も立て続けに犯行に及んだら、とっとと帝都から引き上げている可能性の方が高そうだけどね」
「それは、そうだよね……でもっ、私もやっぱり一度くらいは犯行現場に居合わせたい……! 本物の怪盗なんてものと出くわすなんてもう一生にこの一度くらいだもの!」
「……言いたいことはわかるけど犯行現場に居合わせるのは不可能だと思うよ?」
 それぞれの分の食事を次々腹に収めつつ、そんなことをにぎやかに喋っていると、がたん、と二つ隣のテーブルで男、といっても自分たちより二つ三つ年上ぐらいの少年と青年の間ぐらいの年齢、が立ち上がった。そしてづかづかとこちらのテーブルに歩み寄り、ぎろり、とこちらを睨み下ろす。
「面白い。ならば、我らウルゴーラ軍学校の生徒会と、貴様らパスティス軍学校生徒会、どちらが盗賊を捕まえられるか勝負といこうではないか!」
『……は?』
 思わず声を揃えてその男を見つめてしまった。その男は確かに見覚えのある、夏季休暇に入る前はことあるごとに自分たちに噛みついてきたウルゴーラ生徒会役員の――
「……お前、ドミニク? なんだよ、急に」
「先ほどから聞いていれば我らを差し置いて盗賊討伐などおこがましい! よかろう、我らウルゴーラ軍学校生徒会、その挑戦を受けてやろうではないか!」
『……はぁ?』
「三十分後に生徒会室に集合だ! 遅れたらその時点で貴様らの負けとみなす。ファルチカやベルゲンの生徒会の奴らも呼んでやる、せいぜいあがくことだな、わはははは!」
 そう高笑いをして店を出ていくドミニクをなんとなく見送り、それから揃って顔を見合わせる。
「なに、あれ?」
「さぁ……けどとりあえず、三十分後までに生徒会室に行っといた方がよさそうだな」
 どんな理由であれ、どんな相手にであれ、負けるのはやっぱり面白くない。

「……まったく、なんでわざわざこんなことをしなければならないのやら。勉強の予定は今日も山積みだというのに」
「そう言いながら結局乗ってるんだろうが。自分だけいい子ぶるな」
「つーか、お前らもう帰ってたんだな、寮に。まさか全員いるとは思わなかった」
 ナップの言葉に、ライナーとエーランドは肩をすくめ、他のベルゲンとファルチカ出身の面々は苦笑した。
「曲がりなりにも故郷の期待を背負ってやってきている人間が、そうそう長く休みを取るわけにもいかないだろう」
「俺みたいに、そもそも帰らなかった奴もいるしな。旅費がかかるし、往復の時間を考えると帰ったところで大して休めなさそうだし、家と折り合いの悪い奴もいるし。ライナーのようにな」
「っ、エーランドっ」
「隠すことでもないだろ」
「黙れ、貴様ら! マルジョレーヌさまがルールの説明をなされる!」
 ドミニクがきんきん声を張り上げるのに、一応全員黙ってウルゴーラ生徒会連中の方を向く。マルジョレーヌはいつものようににっこり笑んで告げた。
「それでは、ご説明します。基本のルールは単純です、今帝都を騒がせている、ここでは便宜的に『薫香盗賊』としますが、その者を捕らえれば勝ち。自分たちの手で捕らえようと、当局をはじめとした他人の手を借りようと問題はありません」
 言葉を継ぐ数瞬の間に、すい、と四枚の封筒を掲げる。
「得点の目安としては、1.今夜盗賊が盗みに入るか否か。2.入るとすればどこの家か。3.どこからどうやって盗みに入るか。4.それをどうやって止めるか。以上四点についてのそれぞれの学校の予測を陽が落ちるまでに定め、この封筒に入れ、生徒会室の金庫に保管して明日正午開封し、内容と現実との整合性の多い学校が勝者とします。『どうやって止めるか』については、手口から推察して『このような手段なら犯行を止められただろう』と全員が認めれば加点、とします」
 そして柔らかい笑みを浮かべながら首を傾げ。
「もちろん、現実に止められた、と証明することができれば、最上級の加点となりますわね」
「むろん、我らウルゴーラ生徒会は盗賊を見事捕らえるつもりだがな!」
 ドミニクの高笑いが途切れるのを待って、マルジョレーヌは変わらぬ笑顔で続ける。
「ですがいくつか反則は存在します。この勝負の目的はまず、なによりも帝都を騒がす盗賊を捕らえ帝都に平穏を取り戻すこと。なので途中経過、結果、どちらにおいても帝都の平穏をみだりに乱せばその時点で失格です。当局に明確な論理の裏づけもなく通報する、哨戒時に騒動を起こす、などの行為ですね。また保管後、明日正午前に金庫に触れる、封筒の中の文章を改竄する、の類も即失格。――それ以外に規則は存在しません」
 最後にまたにこり、と笑んで。
「教官の方々への許可は得てあります。みなさん、どうか全力を振り絞り、楽しい勝負にいたしましょうね」
 ぱちぱちぱち、と拍手をするマルジョレーヌのおとりまき。それにやれやれと肩をすくめながらも、ナップは全員に視線を飛ばした。ウィルは笑顔で肩をすくめ、ベルフラウはにやりと不敵に笑い、アリーゼは頬を紅潮させてうなずく。エーランドは腕組みをしつつ笑み、ライナーはふふんと歯ごたえのある問題を目の前にしたように鼻を鳴らし、他の生徒たちもそれぞれ表情は違え確かにやる気は充分。
 つまり。にっ、とナップも笑む。発端は突然だし起案者には気に入らないところもあるが。生徒会メンバー全員、ちょっと面白そうだ、と思ってしまったのだ。

「だったら勝つしかないよな。負ける気でやる勝負なんて意味ないしな!」
「当然よ」
「他の連中にしてやられるのも業腹だしね」
「すごく面白そうだしね!」
「で、意見が統一できたところで、だ」
 全員机の上に広げられた帝都の地図を見る。
「どこに盗みに入るかってことだけど……」
『今夜盗賊が盗みに入るか』は当然『入る』だと全員わかっている。別に絶対に入ると確信できているわけではないが、こちらを選ばなければあとの選択肢すべてが消滅するため、どうしたって選ばないわけにはいかないのだ。おそらくはマルジョレーヌたちのひっかけだろうとそのくらいのことは全員話し合う必要もなく承知していた。
「これが盗みに入った家の印ね……とりあえず、特に法則性らしきものはないようだけど」
「僕もいろいろ考えてみたんだけれど、この盗賊はなにかの法則に基づいて盗みに入るというよりは、いくつかの候補の中から単に気分で入る屋敷を決めているように思えるんだ。帝都中ばらばらで、ある時は近くにある屋敷に連続して入ったかと思えばある時は帝都の反対側の屋敷にまで足を伸ばしている」
「もちろん下調べはしているんだろうけど……びっくりするぐらい大胆だね」
「だからこちらとしてはその心理を読むのが重要だと思う。今日の天候、気温、風向き、そういったものが与える心理的影響と、実質的影響を考え合わせてどこに行こうと思うか、だいたいの範囲を読むんだ。そしてその範囲を二人一組で哨戒する。これしかないと思う」
「そうだな……盗賊の拠点とか少しでも読めたらぐっと有利になるんだけど……」
「犯行現場が気まぐれすぎて容易じゃないわね。たった四人じゃ限定した範囲を探索するのだって難しいわ」
「……ねぇ。手口から考えてみるっていうのは、どうかな?」
 熱っぽい口調で言うアリーゼに、ナップたちは目を瞬かせた。
「手口?」
「そう。大人数が必要な取り組みは憲兵の人たちがやってるわ。私たちみたいな素人探偵がそれに先んずるには、怪盗の手口を推理するしかないと思うの。こういった手口を行えるならどういう場所に盗みに入るか、って風に考えていくしか。それに、『どうやって盗みに入るか』っていうのも審査の要点だったはずでしょ?」
「確かにな……そこらへん、どうなんだ、ウィル?」
「……確かにそれを推理できれば一気に捜査は楽になるんだろうと思うけれど……とりあえず、見てくれ」
 ウィルは紙に犯行状況を詳しく書いた票を広げる。それを指差しながらのウィルの説明に、全員少しずつ顔が渋くなっていった。
「宝物庫の前に何人も見張りを置いて、邸内を厳重に哨戒して、それでも誰にも見咎められずに宝物庫をほぼ空にするってどういう潜入能力よ」
「鍵を開けた形跡もなし、窓や壁を壊されるようなことも一切なし、それで宝を盗まれるって……」
「……最初からすでに盗まれていたっていうことはないの? 鍵を閉める前にすでに宝物庫が空だったとか」
「どの家も閉める前には厳重に確認したと言っている。ひとつやふたつなら嘘を言っているということもあるかもしれないが、ここまで多くの家がすべて嘘をついているというのは考えにくいだろう?」
「ううん……じゃあ、こういうのは? この盗まれた家は全部なにかの結社みたいなものに入っているの。それでなにかの事情で大量にお金が必要になって、他人に怪しまれないでお金を出すために……」
「盗まれた家々の間には直接的な関係は一切認められていない。繋がりをすべて隠し通すのは難しいし、第一ここまでの大騒ぎを起こして大量の金銭を費やしても果たさなければならない目的というのはいったいなんなんだい?」
「うーん……うーん……」
「まるで密室脱出の奇術の陳列市ね。鍵も開けずにどうやって侵入したっていうのかしら。どんな魔法を使えばこんなことができるのやら」
 ――その言葉を聞いた瞬間、ナップの脳裏になにかが走った。
「……ちょっと、その票見せてくれ」
「? どうぞ」
「………、…………。確認させてくれ。盗みに入られたところは、どこも宝物庫の中に見張りは置いてなかったんだな?」
「ああ……というか、宝物庫の中に見張りを置く人間はあまりいないだろう」
「で、どこも普請に金をかける奴らじゃなくて、構造は複雑でも敷地の面積自体はけっして広くなかった」
「そうだけど……ナップ、君、まさか」
「犯行方法……わかったの!?」
「ああ!」
 ナップは湧き上がる嬉しさを押さえきれず、歯をむき出してにぃっと笑う。
「俺の考えが正しければ、次盗みに入る場所をかなり限定できるはずだ!」

「……とりあえず、話が通ってよかったね」
「ああ。門前払いになるんじゃないかってひやひやしてたけどな」
「あれだけ筋道の通った説明を門前払いするほど帝都の憲兵は無能じゃないさ。……人材豊富とは言えないようだけど」
「まぁ、召喚師への対処は基本的に特務機関の領分だものね。憲兵とはどの機関も所属が別、真聖皇帝のお膝元とはいえそっちに話を通すだけでも時間がかかる……お役所仕事っていうのはどこに行っても同じね」
「僕たちが所属する部署ではそういうことはないようにしたいものだね……しかし」
 ウィルがじ、と目標の屋敷のひとつを見つめ、肩をすくめた。
「今の僕たちに動員できる人員は僕たちだけ。自分たちの力に自信はあっても、成果があるかどうかは運次第。盗賊がもう活動を終えていたという可能性も決して低くはない。正直、僕たちの今の活動は空振りに終わりそうな気がするよ」
「んなこと言って、ウィルだって帰る気なんて全然ないくせに」
 軽く小突くと、ウィルは涼しい顔で肩をすくめてみせる(だが耳の先が少し赤い)。
「まぁね。実際君の推論はかなりの確率で正しいと思ってる、だったらできるだけのことをやるしかないだろう」
「話の流れで一度聞いただけだけど、それらしい屋敷の場所はちゃんと覚えてるし」
「あとは私たちが魔力の流れを感知できればそれでよし、というわけね……とりあえず、この辺りにはそういう気配はないみたいね。移動しましょうか」
「ああ」
 ナップたちは武装を隠すために着てきた大きなフード付きコートの下からぼそぼそと話し合いつつ、こそこそと移動する。もう陽も暮れているので、完全武装で歩き回るよりはこちらの方が人目を引かないと踏んだのだ。
 ナップの犯行方法についての推論を聞いた仲間たちはそれはもしかしたら大当たりかもしれない、とうなずき、話し合った末、当局にその推論を話しておいた方がいいだろうという結論に達した。なので有事の際に備え武装してフード付きコートをかぶり、当局に報告に向かったわけだ。……もちろん、マルジョレーヌには忘れずにその推論を書いた紙を渡して。
 そしてなんとか話を通して、こちらのことを戦力に数える様子がなさそうだ、と確認した上でとっとと退散し、話の端々から聞き出した目標に選ばれるだろう屋敷のいくつかを哨戒して回ることにしたわけだ。
 その屋敷というのは、まず敷地が決してだだっ広くはないこと。あまりに敷地が広いと宝物庫への到達可能な距離を超えてしまう。次に、建物が狭く、宝物庫内に見張りが入ることを想定した設計になっていないこと。不寝番などを倉庫内に入れられるとこの犯行は実行が難しくなる。
 あとは普請に金をかけずひたすらに金を貯め込む者であればさらによし、ぐらいか。そういった屋敷は帝都の中にもそう数はない、二週間の間にさらに数を減らしている。もちろんまだまだ軽く二桁はあるので、限定できるというわけではないのだが、宝物庫内へ見張りを立ててもらうよう憲兵たちから進言してもらえば被害は起きにくくできるはずだ。
 そして自分たちの哨戒で、さらに被害が起きにくくなればいい。犯罪防止のために自分たちにできることがあるならやりたいし、それに。
「……面白いもんなぁ」
 思わず呟くと、三人から異口同音に「なにが?」と訊ねられたので、フードの下から笑ってみせた。
「みんなでさ、こういう風に、なんかのために協力して頑張るって、すげぇ面白いもんな、ってさ」
『っ………』
「っ! みんな!」
 一瞬絶句したあと、アリーゼが鋭く囁く。全員はっとして物陰に身を隠しつつ周囲の様子をうかがった。
「アリーゼ、いたのか? どっちだ?」
「ここの少し先……すごく小さな魔力の動きだった。たぶん、魔力をきちんと制御する訓練を積んでる」
「無色の線が濃厚になってきたわね。……現行犯で逮捕しなきゃならないわけだから」
「手はずどおりにやろう」
『了解』
 全員うなずきあって、さっと散開する。計画はみんなでちゃんと立てた、あとはそれに従って体を動かすだけ。
 あの時、ナップは気がついたのだ。誰にも見られず気付かれずに、閉ざされた密室に入って宝を持って出ていく。それは召喚術を使えば可能なのではないか、と。
 姿を消して、空間を歪め転移すれば簡単に犯行を行える。犯行後は送還して安全な場所に送り返せばいい。
 そんな力を使うには大規模な術展開が必要になる、目立たず犯行を行うのは不可能だ、と反論するウィルに、ナップは答えた。
「ちっちゃいのでもできる奴はできるよ。俺、以前に見たことがあるんだ」
 そう、あの島で。特殊な食物を食べ特殊な力を手に入れた召喚獣たちを、自分たちは普通に戦いに駆り出していた。仲間内には姿を消せる奴がいたし、転移ができるっていうなら自分の相棒がそもそもそうだ。
 そういった特殊な力を出させる方法は無色の派閥のような古い知識を伝える召喚師たちの間にしか伝わっていない、と聞いていたので誰にでも言ったりはしないようにしていたのだが、今は非常時だ、適当にごまかして憲兵たちには伝えた。そして、今自分たちの目の前に、そんな術を使う相手が現れようとしている――
 小さく息を吸い込んで、押さえきれない笑みを浮かべながらナップは闇の中を走った。一番足が速いのは俺だ、真っ先に斬りこんで相手を斬り伏せてやる!

「いかがですか、マルジョレーヌさま?」
 暗い部屋の中、ドミニク≠ヘ得意満面に胸を張った。
「『候補』たちを『目標』と共に一気に手に入れるのにまたとない上策だとは思いませんか? あやつはそろそろ斬り捨てねばならなかった駒、そんな小さな犠牲と引き換えに我々は作戦を一気に進行できる。もはや作戦は完遂段階に入っています、我々の最後の仕上げに二つの計画を同時に仕上げる、これにより我々は」
「ドミニク」
 びくっ、とドミニク≠ヘ体を震わせた。マルジョレーヌ≠フ声の響き。静かで、穏やかで――そして容赦のない殺意に満ちた声の響き。
「一度は、見逃します。ですが、二度は、ありませんよ」
「おっ、お言葉ですがマルジョレーヌさまっ! この策は」
「ドミニク」
「っ……」
ドミニク≠ヘ思わず硬直する。マルジョレーヌ≠フ瞳の光には、ドミニク≠フ意気地などあっさり砕けてしまうような力があったのだ。
「二度は、ありませんよ」
「は……ははっ」
 ふ、と優雅なため息をついて、マルジョレーヌ≠ヘ宙を見やる。目を細めながら。なにかに狙いを定めるように。
「……動いてしまったものは、仕方がありません。当初の計画とはずれますが……せいぜい利用してさしあげましょう。――我々の目的は、もう目の前まで近付いているのですから」
「はっ。我々の新たなる――」
「――――」
「っ……! も、申し訳ありませんっ!」
 這いつくばって詫びるドミニク≠見やり、マルジョレーヌ≠ヘいつも軍学校内で浮かべているような、優雅で、柔らかく、雪のように冷たい笑みを浮かべた。相手に微塵の関心も抱いていない、零下の微笑を。

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