この作品には男同士の性行為を描写した部分が存在します。
なので十八歳未満の方は(十八歳以上でも高校生の方も)閲覧を禁じさせていただきます(うっかり迷い込んでしまった男と男の性行為を描写した小説が好きではないという方も非閲覧を推奨します)。





最終年・10――卒業のこと

「ナップーっ! 早くこっちに来なさいよーっ!」
「わ! おい、ちょっと待てよーっ!」
 水着姿で(帝都で買うのにつきあわされたものだ。何気にきわどくていまだに微妙に見るのが恥ずかしい)はしゃぐベルフラウとアリーゼに、ナップも慌てて手を振って(ちなみにナップも水着姿だ)、かたわらのウィルの手を引いた。
「急ごうぜ、ウィル! あいつら、俺たち放っといて先に泳いじまってる!」
 その言葉に、ウィルはにこっと、優しく微笑んで言った。
「ああ――一緒に行こう、ナップ」
 そして自分たちは一緒に駆けだした。イスアドラの温海、懐かしい自分たちの島の海へと。

 あれから――無色の派閥の奴らを倒し、人質を救出し、軍の連中を呼び寄せて敵を全員捕えさせて。それからも、もちろんいろいろと大変なことがあった。
 まずアズリアに自分たちの得た情報を伝え、作戦行動を妨害した紅き手袋の諜報員たちを捕えなくてはならなかったし、ユーリのこともアズリアによく頼んでおかなくてはならなかった。ユーリともよく話し合った結果、ユーリは今回敵となった連中を全員始末することを利用して、身元を隠しアズリアの配下の諜報員となることになったのだ。
 ナップとしては、忘れられた島に避難してもいいんじゃないかと思ったのだが、ユーリはそれを苦笑しながら謝絶した。
「俺は一度はナップたんたちの敵に回った奴だからねー。それがしれっとした顔してあの先生に護られるとか、それはいっくらなんだって図々しすぎるでしょーよ」
 そう、確かにユーリは一度は自分たちの敵に回った。ユーリとしては、紅き手袋の構成員として叩き込まれた規律と罰への恐怖と、自分たちと一緒に過ごしてきて自分たちに抱いた友情の板挟みになり、最後の最後まで悩んで苦しんでいたらしい。そして最後の最後、ナップたちを捕えさせてしまってから、耐えられなくなって仲間の食事に毒を盛ったのだそうだ。
「なんつーか、遅いにもほどがある決断だろ? だからさ、そんな奴は……楽園に行って、あっさり幸せになっちゃうべきじゃないんだって」
 苦笑するユーリをナップは必死に説得したのだが、ユーリの意志は固かった。ユーリとしては、それが一番自分の罪を償うのにいい方法でもあると思ったらしい。信頼できる隊長の下、自分の力を活かせる仕事について、少しでも人を護る役に立てれば、と。
「これまで、ろくな人生送ってこなかった俺でもさ……少しはマシなことできるようになりたいな、って思うんだよ。ナップたんたちのくれたものに……少しでも、応えられるように、ってさ」
 そう言ってはんなりと笑ったユーリの顔は、どこか儚げでもあったが、嬉しげでもあった。人生の中でたぶん初めての、価値があると思える選択をした人間の誇らかな表情。それを見てはもうなにも言えず、ナップたちは祝福と激励、それに感謝を込めて抱擁を送るしかなかった。
「まったく……俺は、お前と一緒にパスティス軍学校を卒業するつもりでいたんだがな」
 そうユーリに向け苦笑したのはクセードだ。なんでもユーリが突然学校を辞めたことを聞き一人あちらこちらを探し回っていたとかで(別に学校を休んだわけではないので、パスティスの街の周辺に限られるが)、ことが落ち着いてから連絡すると飛んできたのだ。
「あっはっは、ごめんねー。けどさー、俺実はもう二十歳越えてかなり経ってるしさ、なんぼなんでもそのまんま居座るとか図々しすぎるっしょ、学校にも迷惑かかるしさ。俺がいなくなって寂しいのはわかるけどー」
「……ユーリ。俺の手が必要になったら、いつでも言えよ」
 真剣な顔で言われ、ユーリは一瞬言葉に詰まってから、笑って「あっりがとー、愛してるよー!」とおどけたが、その顔はほんのり赤い。
「照れんなよー、ユーリ。俺たちにだって手が必要になったらいつでも言えよ?」
「私たち、それに応えられるくらいの実力身に着けてるからね、ユーリくん」
 そう自分たちが畳みかけると、ユーリは口をぱくぱくさせるも結局なにも言えず、かなり時間をおいてからようやく「……うん」と小さな声で答えてくれた。その様子がなんだか小さな子供のようで、可愛くて思わず背中をぽんぽんと叩いてしまう。
「けど、クセード、本気で寂しくねぇ? 俺らもいないし、ユーリもいないしさ……学校で一人きりとか、つまんなくないか?」
「……確かに、寂しいな。だが、だからといって絆が途切れたわけではないし……他に友達がまったくいないというわけでもないしな」
「え、そうなの? どんな奴?」
「えーと、覚えてる? 四年の初めに学級委員に立候補した、ガリ勉だけど実技が足引っ張って飛び級できない……」
「……え? あ……えぇ? それってあの、えーとえーとなんつったっけ、そーだ、フィンメル・レンゴット! あいつ!?」
「まぁ、俺も四年の頃はその程度の印象しかなかったが……たまたま授業で一緒になって、話すようになったんだが、あいつもあれで面白い奴だぞ。ナップたちに憧れていたけれど恥ずかしくて話しかけられなかった、なんてもじもじしながら言ってくるしな」
「え、マジで!? うわ、なんか悪いことしたなぁ……」
「まぁ、あいつもその頃は憧れてる相手とまともに話せるような余裕もなかったようだから、仕方ないだろう。時間をかけて変わっていけただけでな」
「……そういうクセードも、けっこう変わったよな」
「そうね。私、クセードがこんな風に自然にお喋りしてるところって、初めて見たもの」
 そう言われ、クセードは少し照れくさそうに、けれど自然に笑ってみせた。
「まぁな。俺たちも、お前らもそうだと思うが……人間というものは、よかれあしかれ環境と時間で変わるものだ。もちろんそれでも変えたくないものや、持ち続けていたい気持ちや関係はある。ただ、なんというか……そのありようはどうしても変わってきてしまうものだと思う」
「…………」
「……そう、だな」
「ああ。だからこそ、かけがえのない一瞬というものが生まれるんじゃないか、と俺には思えるんだ。……お前たちと一緒に過ごした一年のように……青春、と思える時間みたいなものがな」
 穏やかな微笑みを浮かべながらそう言ったクセードに、自分たちもそれぞれ苦笑を返すしかなかった。青春――気恥ずかしいというか、現実味がないようにすら思える言葉だが、自分たちが一緒に過ごした日々は、そうとしか言いようがないと、自分たち自身、よくわかっていたからだ。

 事後処理をアズリアたちに任せ、ウルゴーラ軍学校に戻って数日。「紅き手袋≠フ奴らの一人に、君に会いたいと言っている奴がいる」と言われて、ナップは獄舎へと出向いた。紅き手袋や無色の連中は、しっかりと武装解除されたのち厳重な警護のもと牢獄に収監されている。その中の一人が、尋問中、ナップ・マルティーニに会わせてくれれば紅き手袋の内実を詳しく話す、と言ったのだそうだ。
 困惑しつつも、もしかしたら、と思いながら向かった牢獄で。ナップはどこかで予想していた通りの人物に出会った。
「……ラザール」
「よう、賤民」
 そう言ってにやっと笑ってみせたラザール≠フ表情は、ウルゴーラ軍学校で見たものとはまるで違う、血にまみれた人生を送ってきた人間らしいすさんだものだった。ぐ、と奥歯を噛みしめ、格子戸の向こうの面会席に座る。
「……なんか、俺を呼んだ、って聞いたけど」
「ああ、まぁな……」
 考えるように視線を巡らせ、ラザール≠ヘにやりと笑ってみせる。
「尋問役の憲兵どもはいろいろとしょうもないことを言ってはいるが。俺たちは全員死刑になるんだろう?」
「っ……」
 その通りだ。無色に連なる者は全員死刑というのが帝国の法律だったし、なにより要人の誘拐や、帝国内での良家の子息への入れ替わりの際などに何人も人間を殺しているのだ、その罪はどうしたって、かばいようがない。
「まぁ、それは当然のことだと俺も思う。元から俺の人生はいつ死ぬかわからないもんだった、来るべきものが来たっていうだけだ。同僚には何人か諦めきれないで、必死に脱獄方法を探してる奴もいるがな。俺はむしろ、楽になれたような心持ちでいる。ようやく、見えない明日がやってくることに怯えないですむんだ、とな」
「……ラザール」
「ただ、自分の人生を思い返してみて……ひとつだけ、心残り……というほど大したもんでもないが、やり残して死んだら悔いが残るようなことがあるような気がしたんだ」
「それが……俺に、会うことか?」
「少し違うな。――俺は、お前に聞きたかった」
 ぎっ、とまるで睨むようにナップを見つめ、真剣な口調でラザール≠ヘ問う。
「お前は、なんのために生きてるんだ?」
「なんのため……って?」
「なぜ生きてるんだ、と言ってもいい。毎日厳しい訓練を繰り返し、生徒会内に満ちていた不和を解消し、鼻持ちならない傲慢な名家の子息だった俺にまで優しい言葉をかけて。挙句の果てには血風喰い≠ぼろぼろになりながらも一騎討ちで倒し、抜剣者まで召喚して、俺たちを全員ぶっ倒して捕えるなんてことまでやって。……なぜ、そこまでする? 普通に、帝国有数の商家の子息として生きていれば、そんな困難を乗り越える苦しさや辛さなんてまるで味わわずに生きていけるのに。お前を動かしてる原動力は、どこにあるんだ?」
「…………」
 あまり予想していなかった質問に、ナップは少し考えた。自分の生きる理由。苦しくても、辛くてもめげないですむ理由。それは、たぶん。
「……頑張ったら、認めてくれる人がいるから」
「…………」
 その答えはラザール≠ノは予想外だったようで、小さく目を見開かれてしまった。
「辛くても、大変でも、頑張って困難乗り越えて、経験積んで、成長して、強くなって……そうしたら、『頑張ったね』って褒めてくれる人がいるから。認めてくれる人がいるから。俺はその人が大好きだから、その人がいないところでもその人に恥じないような生き方をしたい。その人が誇れる自分でいたい。頑張って、そんな自分を貫き通せて、自分で自分を誇れるようになったら、あの人がもっと好きになってくれる。……たぶん、それが俺の原動力なんだと思う」
「…………」
「なんていうか……浮ついてるって言われるかもしれないけど。俺にとってはそれはものすごく大切なことなんだ。自分が誇れる自分でいたら……いろんな奴と出会った時に、ちゃんと目を合わせて話ができるし。人を真正面から見て話ができるし。……その分、好きになれる人が、大切に想える人が、いっぱいできる。俺は、そう思うんだ」
「……くくっ」
「……ラザール……」
「あはっ、あはははっ! なんだそれ、しょうもねぇ、結局色ボケかよ!? くだんねぇ、馬鹿みてぇ、それじゃ結局俺は生きてた意味なんてまるっきりねぇってことじゃん、ばっかばかしいったらありゃしねぇっ……」
「……一人だけで、自分だけで自分が生きてる理由見つけられる奴なんて、そんなに多くないよ。たいがいの奴は、他に誰かがいて……人と関わって、大切な人がいて、初めて心の底から生きたいって思えるんだ」
「……っはっ……ははっ、ははははっ……」
 弾けるように、嗚咽を漏らすように笑うラザール≠ノ、ナップはじっと真正面から顔を見つめながら言った。
「だから、ラザール。俺はお前のことを、絶対に忘れない」
「………!?」
「学園祭の時、お前が迷子になった子供を親のところまで届けたの、よく覚えてる。親子がいなくなったあと、泣きそうなくらい切なそうに、苦しそうにそいつらの方を見つめてたのも」
「なっ……み、見て………!?」
「あの時、俺はようやくお前をもっと知りたい≠ニ思ったんだ。もっと仲良くなりたいって、なんであんな顔をするのか知りたいって。俺の中に、確かにそういう気持ちが刻まれたんだよ」
「っ……っ」
「だから……お前の人生は、絶対に、無意味なものでも、無駄なものでもない。俺は確かにあの時、お前を心に刻んだんだから」
「…………」
「……助けられなくて……ごめん」
 深々と頭を下げる。正直今にも泣きそうだったが、ここで泣くなんて男として最低だと必死に堪えた。
 確かに興味を持った相手。友達になってみたいと思った相手。それがもうすぐ殺される。法の力で。それが正しいことだと、自分たちの住む国に証明された上で。
 自分は無力だと思ったし、悔しかったし悲しかった。けど、だけど、それでも自分はこいつを逃がすことはできない。無色の派閥に連なる者を放置すれば、どんな災いを呼ぶかしれないから。こいつの中には迷子を親に届けるような優しさがあるのに、確かにあるのに、それでも自分はこいつを、はっきりとした意志をもって見捨てるのだ。こいつを逃がした時と、このまま殺させた時の危険度を算定して、こいつを殺した方がいい、と思えてしまったから。
 先生とは違う、まるで違う情けない結論。けれど、今の自分には、これしか思いつかないし、できない。こいつを逃がしたらまた自分の大切な人たちに被害が及ぶかもしれない、そう考えたら、怖くて、それしか選べない――
「フェリクス」
「え」
「フェル、と呼ばれたこともある」
「ラザール……それって」
「俺の名前だ……俺の、本当の名前だ」
 そう言ってうつむいたまま沈黙するラザール=\―いいや、フェリクスに、ナップはきっと顔を上げて、言った。
「フェリクス。……フェルって、呼んでもいいか?」
「……ああ」
「フェル。俺は、お前のこと、絶対に忘れないよ。お前の名前も――お前がやってくれたことも」
「ああ……」
 フェリクスはうつむいたままそう言って、静かに両の手で顔を覆った。それに向かい、ナップは何度も、ひたすらに優しく名前を呼び続けた。フェル、フェリクス、フェル、と。面会時間の終わりを、看守が告げるまで。

 ナップは、父親とは、ことがすみ、自分たちが無事帝国軍に保護されてからはろくに会っていなかった。自分たちには事件の報告、アズリアへの嘆願、軍学校への説明などなどやらなければならないことは山ほどあったし、民間人がこんな事件に巻き込まれたのだから保護されたあとは安全な場所で十分な休息を取らなければならない、というくらいの考えは自分にもあったからだ。
 ウィルやベルフラウ、アリーゼが両親たちと話し、それぞれに成果を上げていたのに対し(ウィルは戦いの中で父と兄に対する自分なりのスタンスを確立できたこともあり、自分の思うところを告げることができたらしい。満足げな顔で『もう、大丈夫だ』と言ってくれた。ベルフラウとアリーゼは両親と交渉のような形で、自分の進む道を認めさせたようだった。まぁいわばこちらは命を救ったのだから向こうも強くは出られなかったのだろう)、ナップは父親とは特に会話を持たなかった。
 父親はおそろしく忙しい人間なのだから、これ以上自分のことに時間を使うことはないだろうというかむしろ使われたら申し訳ないという気もあったし、ナップ自身特に父親と話したいという気持ちはなかったのだ。父に言いたいことなどもとよりないし、言ってほしいことも求めていることも特にない。
 向こうもそうだろう、と当然のように思っていた――のだが、普段の学校生活に戻ってから数十日は経ったのち、ナップは父親に呼び出しを受けた。
 ナップとしては当然困惑し、なんの用かといぶかっていたのだが、ウィルはあっさり「行ってきなよ」と言う。
「そりゃ、呼ばれたからには行くけどさ……なんの用なんだかさっぱりわかんねぇから、なんか妙なことでも考えてんのかな、って思ってさ」
「妙なことって、たとえば?」
「そりゃ、俺がなんで人間を召喚できたのかとか問い質して、商売に転用できないかの実験に加わらせようとしてるとか……」
 ナップとしてはかなり真剣に言った言葉だったのだが、ウィルはぷっと吹き出して首を振った。
「あの人はそこまで商売のことしか考えてないわけじゃないと思うけどな。単に、君と話したいってだけじゃないのかい?」
「えー……や、だってさ……」
 生まれた時から父の商売人としての顔しか見たことのなかったナップとしては、そういう風にしか考えられないのだが。
「まぁ、向こうがそういう話しかしないんだったら、殴り倒して逃げてくればいいじゃないか。親子なんだから、軽い親子喧嘩ぐらいなら犯罪にもならないだろうし」
「そりゃ、そうだけど……」
「まぁ、君がなんとしてもどんなに乞われても、お父さんと話なんかしたくない、っていうんなら話は別だけど?」
「……そういうわけじゃ、ないけどさ」
 というわけで、ナップはしぶしぶながら、嫌々ながら、父に言われた通りに帝都の一角にある店を訪れた。当然軽く食べるだけで一万バーム近くする超高級店で、しかも個室。なにもここまで高い店にしなくたって、と思いながらも個室に入ると、そこにはすでに父が待っていた。
「……父さん」
「……来たか。ナップ」
 仏頂面で言って、父とちょうど真正面から相対するようになる場所に置かれている椅子を指す。
「とりあえず、座りなさい。食事の方は、私が適当に頼んだが、かまわないな」
「うん……」
 言われるままに指差された椅子に座り、父と向き合う。父と視線を合わせるのはなんだか気まずいものがあったが、目を逸らすのも負けたようで業腹なので、きっと顔を上げて正面から父を見つめた。
 父は相変わらずの仏頂面をしかめて、それをまっすぐ見返す。お互い面白くなさそうな顔をしながらも、親子で睨むように見つめ合った。
 そのまま動かずに見つめ合うことしばし。父はふっ、と目を逸らしてから、早口に言った。
「お前は、レックスくんと、なにか……その、特別な関係のようなものが、あるのか」
「は?」
 思わずきょとんとすると、父は意を決したようにナップを睨むように見つめ、やはり早口に言う。
「教師と生徒という関係以上のものがあるのではないか、と聞いている。具体的に言えば……その、通常同性同士ではありえないような、感情の行き交い、のようなものが……」
「…………」
 ナップは一瞬沈黙した。つまりこれは、レックスとナップが、恋人関係にあるかどうか確かめようとしている、わけか。
 一瞬だけ驚き、慌て、どう答えようとうろたえたが、すぐにナップは首を振った。そんなの、どう答えるかなんて、最初っから決まってる。
「あるよ。俺と先生は……軍学校に入る前から、恋人だ」
 同性だろうが、世間に後ろ指を指される関係だろうが、それを隠す気なんて少しもない。わざわざ言って回りはしないけど、自分たちの関係が間違ってるとは少しも思わない。自分たちの気持ちは、誰になんと言われようと、違えようがないくらいはっきりしてるんだから。
「…………」
「……それが、どうかしたのかよ」
 きっ、と父を睨みつけながら真正面から言うと、父は深々と息をつき、それからじっ、とナップを見つめて言った。
「なぜ、レックスくんなんだ」
「え?」
「お前なら、他にいくらでも好きになってくれる相手がいるだろう。私たちが誘拐された時、一緒に助けに来てくれた子たちとも仲がいいようだったし。……それなのになぜ、十歳も年上の、同性に?」
 ムカッ、ときた。この野郎、なんにもわかってないくせに好き勝手言いやがって、と苛立ちが腹を満たす。
「あんた、先生がどんな人か、少しもわかってねぇな」
「……彼が非常に優秀な軍人で、人民を守るために死力を尽くせるひとかどの男だというのはわかっている。私もそうして彼に救われたからな。だが、だからといって」
「先生はそんな言葉で言い表せるような人じゃねぇよ。優秀とか、そんなんじゃなくて……なんていうか……すげぇ、優しい人なんだ。困った意味でも」
「困った意味でも、とは?」
 厳しい目で見つめてくる父に、ナップは真正面からきっぱり言い放つ。
「こっちに迷惑をかけてくるようにも、ってことだよ。甘ちゃんで、現実無視して理想貫いて。元軍人なのに人殺せなくて、戦いがあったらなんとか相手を説得できないかって必死になって、人が傷つくたびに泣いて、悲しんで、自分も傷ついて」
「……それは」
「だけど、先生はそんな甘い理想を、どんなに辛くても貫き通す覚悟があるんだ。どんな情け容赦ない現実とも、泣いて悲しんで傷つきながらでも戦って、みんなの幸せのためならなんだってやっちゃう優しい人なんだ。俺が辛い時、苦しい時そばにいてくれて、嬉しいことや楽しいことも一緒に経験して……俺が好きだって言ったら、好きだって応えてくれた。そんな人を、俺は護るって誓ったし、護るために努力を惜しまないって決めたんだ」
「……もしや、軍学校も?」
「ああ。軍学校に行って、いろんな経験積んで、先生とはまた違う強さ身に着けて先生のところに戻っていくって、俺はもう、決めたんだ」
「…………」
 父はしばし仏頂面のまま沈黙した。それからうつむき、さらに天井を見上げ、考えるように額に手を当てて呟くように訊ねてくる。
「ナップ。それは、つまり……お前は、マルティーニ家を継ぐことを、放棄するということか?」
「え?」
 言われて思わずきょとん、とする。それは思ってもいなかった言葉だった。なんというか、そんな話はほとんど思考の埒外にあったのだ。ナップにとってマルティーニ家と商会というのは、父の所有物であり、父の仕事だった。確かにレックスと出会う前には、軍人として出世してコネを作り、最終的にはマルティーニ家を継ぐのがナップの使命だ、とかなんとかサローネたちが言っていたような気はするが、そんな言葉は説教みたいなものとほとんど聞き流していたし。
 家も、商会も、自分には関係がないもののように思っていた。第一継ぎたがる奴ならいくらでもいることを、ナップは商会の人間から聞き知っていたし。自分が継がなければならないものだ、という考え自体、ナップとしては思いつくことすらまるでない代物だったのだ。
 だが、継ぐか継がないか、ということならもちろん話は決まっている。ナップは大きくうなずいて返した。
「ああ。俺は、商会も家も、継ぐ気はない。別に勘当してくれてもかまわない」
「勘当されて……それで、お前はなにをするというのだ」
「――先生のところに帰るんだよ。決まってるだろ」
 ナップはきっぱり言い放つ。ナップも、ウィルたちといろんなことを話し、先生に助けられ、少しずつ自分の将来の道というものが見え始めていた。自分のしたいこと、なにより一番求めるもの、自らの望む人生。それがおぼろげながら形になろうとしてきていたのだ。
 そして、その形は、たとえこの先どんなことがあろうとも、帝国で父親の世話になりながら生きるようなものになることは、絶対にない。
 その言葉に、父は深く、深く息をついた。ひどく重々しい、苦しげとすら言ってよさそうなため息だ。
「……お前にとって……マルティーニ家というものは、本当に、なんの価値もないものなのだな」
「え……」
「私も……家の者たちも、マルティーニに連なるものたちすべてが、放り捨ててもまるで気にならない、未練もなにも少しも抱かない、どうでもいいものだったのだな」
「えぇ……?」
 ナップは思わず眉をひそめた。この人はなにを言っているんだ。
 そんな、まるで、自分が捨てられて、悲しんで、拗ねて恨み言を言っている人間みたいな――
「え……ぇえ!?」
 思わず声を上げると、父はのろのろとナップを見つめる。その視線の中に、どこか恨みがましげなものを感じ、ナップは目をみはった。
「って……父、さん。まさか……俺に、マルティーニ家を継いでほしい……っつーか、大切なもんだと思ってほしい、っつーか……俺のこと、精神的に大切だとか、思ってたの?」
 そう訊ねると、父はぽかん、と口を開けた。父のそんな顔など、ナップは生まれてこの方見るどころか想像したこともなかったのに。
「な……当たり前だろう? 子供を大切だと思わない親が、どこに……」
「いや、なんていうか、大切は大切なんだろうけど、家を継がせるための道具としてとか、商会をより発展させるための操り人形としてとか、そういうものと思ってるもんだとばっかり」
「な……」
 父はまたもぽかん、と口を開け、それから顔を真っ赤にして口角泡を飛ばして怒鳴るように言ってきた。
「なにを言ってるんだお前は! お前は私の息子だろう!? そんな相手に、道具だの操り人形だの……なんでそんなもののように考えると思うんだ!」
「だっ、だって父さん生まれた時からろくに俺のことかまわなかったじゃんか! ほとんどサローネとかに育てるの任せっきりでさ、会うのだって一巡りに数回か、もっと少ないことだってあったし! サローネとか、連れてきた家庭教師とかはみんな、『お父さまのお役に立てるように』『将来マルティーニ家を支えられるように』みたいなことばっか言ってんだぜ!? だったら俺自身のことはどうでもよくて、マルティーニ家とか商会のために役立てる道具としか見てないとしか思えないじゃんか!」
「…………」
 がっくぅ、と父はうなだれた。深く、深く。ひどく強い衝撃を受けた、ということが否が応でもわかる顔で。
「……ずっと、そんな風に?」
「……はっきり形になったのは先生と会ってからだけど……そういう風に思ってるんだろうなっていうのは、ずっと昔からあった。だから、ずっと……」
 寂しかった。
 誰かにそばにいてほしかった。
 誰かに自分が自分であるという理由だけで、大切だと、絶対に見捨てないと言ってほしかった。
 そんなことをぽつぽつと語ると、父はまたも深い深いため息をついた。強い衝撃に打ちのめされた人間の、苦しげな溜息だった。
「そうだな……私は、お前にとっては、ずっとお前を放りっぱなしの、どうしようもない身勝手な父親だったのだろうからな」
「……商会をもっと大きくするために、仕事が忙しいっていうのはわかってたよ。気を抜いたらすぐに追い落とされるんだろうから、必死に頑張って仕事しなくちゃならないんだろうってことも」
「だが、自分を本当に大切だと思っているとは、露ほども考えなかった。そうだろう?」
「……う、ん」
 困りながらも、おずおずとうなずく。ナップは、父親はそういう人間だと思っていたのだ。なによりも商会の仕事が大事で、それ以外のことは些事で、自分のことは商会に役立てるための代物としか見ていないだろうと。
 父はまた深々と息をつく。その気配だけで父がどれだけ深い衝撃を受けたかが理解できてしまい、ナップはおろおろと周囲を見回す。
 だが当然ながら助けなど来るはずもなく、父はのろのろと口を開いた。
「お前は……私にとっては、ただ一人の家族だ」
「…………」
「お前のお母さんが、お前が生まれてからすぐ亡くなったのは知っているな? 私は、お前のお母さんを愛していた。心から。人生でただ一人、愛した女性だ。両親に世話をされてもらった花嫁だったが……初めて会った時はその美しさに見惚れ、話すにつれてその機智と魅力に骨抜きになった。心から愛し――だからこそ、彼女が死んだ時の衝撃には、耐えられなかった」
「…………」
「苦しみから逃れるために必死に仕事に没頭し。彼女を思い出すのが怖くて数年はろくに顔も見れず、ようやく気持ちが落ち着いてきても、今度はどう話せばいいのかわからず……混乱し、困惑し、育てるのを乳母たちに任せきりにしてしまったが……それでも、お前は、私にとっては、ただ一人の……護らなければならないと心に決め、仕事の原動力ともなった存在で。大切だと……そんな気持ちが伝わっていないなどとは、思ったことも……」
「……ちょっと待てよ、父さん」
 ナップは低い声で、怒りを込めてきっと父を睨み怒鳴るように言った。
「なんだよそれ。そんなの……そんなこと考えてるなんて、あんな育て方してわかるわけねーだろっ!」
「なっ」
「子供にとっちゃな、そばにいてくれた時間と、かけられた手間が愛情の実感に繋がるんだよ。遠くから思ってたって子供には伝わんねーんだよ。たまに会えた時だけでも、ちゃんと話しかけてくれてたら! 好きだって、大切だって気持ちを表してくれてたら! 俺だって……俺だってっ」
 この世に俺自身を愛してくれる人が誰もいない、なんて思わずにすんだのに。
 あんな寂しい時間を、嫌になるほど長々と過ごさずにすんだのに。
 そんな気持ちを、必死に言い立てると、父はまた深々とうつむき、頭を抱えこんでしまった。ひどく苦しげに、辛そうに。
「そうだな……私は、お前に、父親としてなにもしてやれなかったのだな……」
「……一個、すげぇことをしてくれたよ。すげぇ嬉しい、ありがたいこと」
「なに?」
「……先生を、俺に、会わせてくれた」
 大好きな人を。俺に、愛される気持ちを、愛することを、戦うことを、生きるということを教えてくれた人を。
 先生に会えなければ、今の自分はいない。きっとろくな人間になっていなかったに違いない。それを思えば、この人には――父には、どれだけ感謝したってし足りない。
 その言葉に、父はうつむきながら苦笑して、のろのろと顔を上げた。
「一人息子をさらっていく相手に会わせてしまったのが一番嬉しかったこと、か。正直……複雑だな」
「そうかも、しれないけど。俺にとって先生は、人生を変えてくれた人なんだ。もちろん先生だけの力じゃなくて、いろんな出会いがあったからだけど、先生がそばでずっと支えてくれていたから、俺はあの島での辛いことも、苦しいことも乗り越えてこられたんだと思う」
「……そうか」
 深々と息をつき、父はふっと唇を、苦笑の形ではあったけれども緩めて、肩をすくめてみせる。
「そう言われてしまうと、私としてはもう、なにも言えないな」
「……それじゃあ!」
「ああ。……自分の思う道に、進みなさい。私は、お前が真剣に考えて、信じた道ならば、絶対に応援するから」
「うん――うん、ありがとう……父さん!」
 嬉しくて嬉しくて、満面の笑顔になってそう言うと、父はうん、と柔らかい表情になってうなずいてくれた。
 それから、ナップはいろいろなことを話した。忘れられた島のこと、島であったことなども含め、今までの自分の人生にあったことを詳しく。
 父は時には驚き慌て、時には楽しげな表情でそれを聞いてくれた。ナップは父に何度か、「仕事、大丈夫?」「俺と話してる時間とか、ないんじゃないの?」とおずおずと訊ねたりもしたのだが、父はそのたびに苦笑して首を振って、「今日くらいは、お前の話を、お前が話し疲れるまで聞いてもいいだろう。これまでできなかった分の、せめてもの埋め合わせだ」と言ってくれた。
 だから、自分は本当に話し疲れるまで話した。いろんなことを。十五巡り分の人生の思い出を、子供の頃、父に話したい、聞いてほしいと思ったその気持ちの分、疲れ果てるまで。
 父は話を聞くたびにうんうんとうなずいて聞いてくれて――もちろん、これまでの埋め合わせという気持ちもあるのだろうが、ナップはその中に、確かな父の優しさを、父としての愛情を感じた。自分の中にも、そうして話を聞いてくれることに対する喜びが、父に対する愛情が、確かに存在することをくりかえし実感した。
 ――道を違えることを決めて、ようやく自分たちは親子になれたのかもしれない。ナップはそんな、皮肉なことをこっそり考えて、ともすれば浮かびそうになる涙を奥歯を噛みしめて堪えた。

 それから、時が流れて。秋が過ぎ、空気が冬のものへと変わり、冬期休暇が近づいてきた頃、ナップは帝都の街中で、一人の男性に声をかけられた。
「あらぁ、ナップじゃない。こんなところで、なにしてるのかしら?」
「え……」
 懐かしい声。三年前、あの島にいた頃はしょっちゅう聞いていた声。そして、三年前に別れてから、一度も聞いていない声。
 ばっ、と声のした方を振り向くと、思った通り、そこに立っていたのはスカーレルだった。海賊カイル一家の航海士兼ご意見番。かつて紅き手袋≠フ暗殺者として働かされていた、オルドレイクによって住んでいた村を滅ぼされた男。自分たちの仲間――
 そこまで思い出すより早く、ナップは顔を輝かせてスカーレルに駆け寄っていた。
「うわっ、どうしたんだよスカーレル、すっげぇ久しぶり! 俺たち心配してたんだぜ、島から出てったあと、カイルたちの船降りちまったっていうからさ!」
「そうねぇ……まぁ、いろいろあってね。今はあちらこちらを流れてるわ。それで風の噂に聞いたんだけど……あなた、秋口に、無色の連中に関わったんですって?」
「え? ……うん。なんていうか、向こうがこっちに目をつけてきたんだけど」
「……大丈夫だったの? あなたの方が返り討ちにしたっていう話は聞いたんだけど……体に深い傷とか、残らなかった?」
「え?」
 一瞬きょとんとして、それからスカーレルはそれを聞くために話しかけてきたのだ、ということに気づき、苦笑する。
「大丈夫だよ。そりゃ、ちょっと斬られたりはしたけど、召喚術ですぐ治したし。敵は全部ひっ捕らえて帝国軍に引き渡したし。他に殺されたりした奴とかもいないし。俺たちは、全然大丈夫だって」
「……そう。よかったわ」
 ふ、と息をついてから、スカーレルはにこりと微笑んでみせる。それに微笑み返すと、スカーレルはくすりと声を立てて笑った。
「まぁ、あなたや他の人が無事だっていうのは、もう聞いてはいたんだけど」
「へ? 誰に?」
「ええと、今はユーリ・ヴァースって名乗ってるんだったわね。あの子によ」
「へ!? なんでユーリに……って、スカーレルとユーリって知り合いだったわけ!?」
「暗殺者時代に、ね。アタシが毒使いだったって話、したかしら? あの子、組織にいた頃、アタシの弟子みたいなものだったの。体術があんまり得意じゃなかった代わりに、変装術や、演技なんかはうまかったから……アタシもどっちかっていうとそっちの系統だったし。毒の作り方なんかも、いろいろと教えさせられたわねぇ」
「そ……っか。だから、ユーリは……」
「って言っても、毒を扱う技術は今じゃあの子の方がずっと上でしょうけどね。ロレイラルの召喚術を教えられて、機界の技術を使った毒を使うことになるなんて、アタシには想像もできなかったもの。アタシはどっちかっていうと、魔獣とか、メイトルパ系列の召喚獣の死体から獲れるものをリィンバウムに伝わる技術で毒に変えるって感じだったから」
「そうなんだ……」
「ホント、アズリアのところに顔を出した時にあの子と会った時には驚いたわよぉ。正直斬り合いになるのを覚悟したもの。アズリアから話してもらってたみたいで、アタシがあなたと仲間だったってこと聞いてたみたいだったから、無事に話し合いでことをすませられたけど」
「そっか……よかった」
「それで、その子から聞いたんだけどっ。あなた、同級生の子たちに、あなたを巡って恋の鞘当てされてるんですって?」
「ぶっ……だ、誰から聞いたんだよっ!?」
 目を輝かせて訊ねられ、思わず吹き出してしまうナップに、スカーレルはますます目を輝かせた。
「あっらー、ホントなのぉ? いいじゃない、素敵じゃない。その年で何人もの男女に恋い焦がれられるなんて、末恐ろし……じゃない、将来いい男になるって言われたも同然よぉ?」
「なに馬鹿なこと言ってんだよっ、俺にはもう相手がっ」
「……センセがいるから、応えられない?」
 優しい笑顔になって言われ、ナップは勢いを失ってうなずいた。
「……うん」
「本当に、あなたは、センセが好きなのね……でも、それで後悔しないって、言い切れる? ここで得たものを放り捨てても、センセのそばに行って、本当にそれでいいって言い切れるの?」
「……言い切れるよ」
 言って、ナップは空を見上げる。空には雲が垂れ、風は氷のように冷たく、今にも雪が降り出しそうだ。
 それでも、自分は、その向こうの空の蒼さを知っている。
「俺は……先生から世界を教えてもらったんだ。世界のきれいなところも、汚いところも、優しいところも、悲しいところも。先生をきっかけにして、俺の世界は動き出した。それで先生は、俺が急に広がった世界にうろたえてる時も、暴走しちゃっても、ずっと好きって気持ちを注ぎ続けてくれたんだ。それは、世界が広がって、いろんなものが見えるようになっても同じことで……」
「…………」
「俺は、帝国に戻ってきて、先生以外のいろんな奴と出会った。好きになれる奴も、なれない奴もいた。大切だって、心から思える奴もできた。だけど……だけどさ。俺が帰りたいって、懐かしいって、家みたいに最後には絶対戻りたいって思うのは、やっぱり、先生のそばなんだ」
「………そう」
 スカーレルはナップと同じように空を見上げる。空からは、はらはらと真っ白い雪が舞い降りはじめていた。二人並んで、じっと街に雪化粧が施されていくのを見つめる。
「俺なんかを好きになってくれたのは嬉しいし、大切なそいつらが泣くのは絶対嫌だ。だけど、それでも……それでも、俺に生き方を教えてくれたのは先生なんだ。自分で立てる足を与えてくれたのは先生なんだ。あいつらも、すごく、すごくすごく特別な相手だけど、初めて世界を与えてくれた先生は、どうしたって一番、特別で……」
「……そうね」
 ぽんぽん、と頭を叩かれる。こぼれ落ちそうになる涙を必死に堪えて、ごしごしと目尻を擦る。その手の優しさと、暖かさがひどくありがたかった。
「世界をもっと知りたい、っていう気持ちはある。もっと強くなりたいっていう気持ちもある。だけど……それ以上に、先生のそばで、先生と一緒に新しく始められたらって、思うんだ」
「新しく、始める?」
「うん――」
 きっと涙を堪えて空を見上げる。落ちてきた雪がまぶたに落ちて、瞬いた拍子に目の中の水に溶かされて転げ落ち、一筋の道を創る。
「それはたぶん、今はまだきっと、俺にしかできないことだって、思うんだ」

 そうして自分たちは、今、ここにいる。
「ひゃっほーっ!」
 イスアドラの温海に飛び込み、ばっしゃあとお湯になっている海水をはねかす。そのお湯を浴びたベルフラウたちが、はしゃいだ声を上げてお湯をかけ返してきた。
「もうっ、ナップったら、レディに対してなにするのよっ」
「ナップくんったらっ、私たちだって仕返ししちゃうんだからっ」
「おっ、やるかぁ? 負けねぇぞっ」
「へぇ、その台詞、三対一だと知ったあとでも言えるかな?」
「げ! おいウィルっ、お前まさかっ」
「さっき一緒に行こうとか言わせておきながら僕を放って先に行ってしまった分の仕返し、ということで。……ほらっ!」
 ばしゃっ!
「ぶっ! こんのぉっ」
 ばしゃしゃっ!
「こっちの方も忘れないでよね?」
「ふふっ、ナップくん、油断大敵、だよ?」
「にゃろう……負けるかぁーっ!」
 ばしゃっ、ばしゃしゃっ、びしゅっ、ばしゃばしゃっ。季節は冬だが、イスアドラの温海は海から立ち上る熱気で初夏並みに暑く、日差しも心なしか夏のように肌を焼く。水着になってはしゃぐにはもってこいの場所だ。ナップたちは笑い声を上げながら、仲間同士での海遊びを堪能した。
 冬期休暇になって、ウィルたちを先生たちのいる島に招待したのにはいくつか理由があるが、そのうちのひとつには、単純に、この懐かしい島で長い時間を共に過ごした仲間たちと一緒に遊びたい、というのも理由のひとつにはあった。なので、一緒にカイルの船でこの島にやってきたその日から、揃って護人や集落の責任者たちに挨拶をしたあとは、一緒に島のあちらこちらで楽しく遊び回っている。
「ふっはー……つっかれたーっ」
「あら、もう? ナップったら案外だらしないのね」
「三対一だぞっ、体力の消費量どんだけ違うと思ってんだよっ」
「ふふ……でも、気持ちいいなぁ……泳いだ後にこんな風に花畑の中で休めるなんて、なんだかすごくぜいたく……」
「そうだね……こんな場所は、真聖皇帝の保養地にだってそうそうないと思うよ」
 海から上がったあと、花畑の中に寝転んで、花の香りを嗅ぎながら休む。しばらくはいろいろとお喋りをしていたが、しだいに全員まぶたが重くなってきた。日差しも今はどこか柔らかく感じられ、優しい花の香りも相まって眠気を誘う。誰からともなく、会話が途切れ、すぅっと眠りに落ちていった。
 ……まどろみから目覚め、ナップはゆっくりと目を開けた。心地よい花の香りも、暖かい日差しも変わらず自分たちを包み込んでいる。仲間たちの気配がそばにあるのも変わらない。その事実にひそかに、だが確かに喜びを感じつつ、目の前に在るものを視認する――
 や、思わずびしりっ、と固まった。目の前には、水着姿のアリーゼが、すぅすぅと寝息を立てながら、そのたわわな胸を上下させていたからだ。
 え!? え!? え!? と一瞬混乱して、いやいや寝る前もこんな並び順だったんだから別におかしがることはない、と首を振る。だが、事実を理解しながらも、心はなぜかいっこうに静まってくれなかった。
 アリーゼの水着は、セパレーツタイプのベルフラウのものとは違い(いや、これも似合っていたし、なんだか気恥ずかしくてまともに見られなかったし(『似合ってる』とはちゃんと二人ともに言ったのだが)、へそとか丸出しでかなり露出度が高いとナップは思ったのだが)、左右の胸を別々に覆うビキニタイプのものだった。つまり、アリーゼが動くたびに、ゆっさゆっさとその豊かな胸が揺れるわけだ。
 だからといって別にどうというわけでもないし。そもそも俺、女見て先生との時みたいに、その、なんつーか、したいなぁ、とか思ったことないし。俺そんな節操なしじゃないし。そもそも仲間に、しかも寝てる相手に、そんなこと思うなんて言語道断だし。
 そう思うのに、心からそう考えているのに、目の前のアリーゼから目が離せない。そのたわわな胸と、水着からのぞく谷間と、ぷっくりとした唇と、閉じられたまぶたと、ゆっくりと呼吸する喉と、不思議に背筋をぞくっとさせるほど白い素肌と――とにかく、すべてから。
 なにやってんだなにやってんだ、とっとと目を逸らせ起きて立ち上がれ! と思うのに、体が思うように動いてくれない。どっくんどっくんと心臓が高鳴って静まってくれない。なんでなんでなんで、と思うのに、目の前のアリーゼから目が逸らせない――
「ナップー、みんなー、どこにいるんだいー?」
 ――と思うや聞こえてきたレックスの声に、ばっと立ち上がって大声で叫んだ。
「先生っ! どうかしたのっ!?」
「え? いや、単に、そろそろご飯にしないかと思って呼びに来たんだけど。そろそろ準備ができたから。それとも、なにか都合が悪いことでもあるのかい?」
「ううんっ、ないよっ、全然ないっ! 呼びに来てくれてありがとなっ」
 ぶんぶんぶんと首を振って答える。そうだ、ここには自分たち四人だけで来たわけではないのだ。レックスや、他にもスバルやパナシェたちも、一緒に遊びに来ていたのだ。自分たちに気を遣ってそっとしておいてくれただけで。
 は、と思わず安堵を込めて(嘆息混じりの)息をついてから、ナップは仲間たちを起こしにかかった。
「おい、みんな! ウィル、ベル、アリーゼ! 昼飯、みんなが準備してくれたってよ!」
「ん……」
「え、もうご飯……?」
 みんな寝ぼけ眼で起きてくるのに、もう一度、今度は心底安堵の息をつく。よかった。妙なことしでかさないですんで、本当によかった。
「……私は、ちょっと残念だけどね」
「え」
 小さな囁きを残して、アリーゼがすいと立ち上がり、ナップの目の前を髪を揺らしながら通り過ぎる。ナップは一瞬、その後ろ姿を呆然と見つめた。
 それから、頭を振って自分も駆け出す。――決めたことだ。もう心を揺らす気はないし、揺らしてはいけない。
 たとえ、心の中のどこかがこっそり、自分も繋がりの思い出がほしい、と思っていても。

 リィン、リィン、リィン………。
 舞い散る雪の中、冷たい空気に凛々と響く音に、ナップたちはしばし耳をすませた。
「……きれいな音ね」
「まるで、物語に出てくる妖精の慣らす鈴の音みたい……」
「舞い散る雪が風に舞って、蒼氷樹を鳴らして、真っ青な水の流れる滝に落ちて……勝景、絶景と言っても足りないほどの光景だね」
「へっへー、そーだろぉ? ここはこの島でも一番かもってくらい景色のきれいなとこなんだぜっ」
「冬はちょっと寒いんだけどね。この島に来たんだったら、ここは見てほしいなって思って」
「きれいなだけじゃなくて、蒼氷樹の実も、滝からくんだ水もとってもおいしいのですよぅ♪」
「ただ、滝を見に行く時は気をつけてください。滝壺まで降りる道などは、滝の水が飛んで濡れた石が凍って、注意していても滝に落ちてしまいかねないですから」
「万一のことがありました時は、私ができるだけ助けに入りますが、それでも助けられるかどうかは五分五分というところですからね」
「なるほど……自然の厳しさ、というやつですね」
「でも、そういう本来手の届かない場所だからこそ、こんなにきれいに見えるのかもしれないわね。中に死を孕んでいるからこその、凄みと言うべきかしら……」
「ふぁ……すごいですね。気をつけます、ありがとうございます、フレイズさん、キュウマさん」
「いえ、あなた方のような美しいお嬢さんの助けになれるならば、私にとってはむしろ望外の喜びというものですよ」
 ウィルや、ベルフラウや、アリーゼと一緒に蒼氷樹の鳴る音に耳をすませながら、スバル、パナシェ、マルルゥ、そして子供たちの監督役としてついてきたキュウマといざという時の助けについてきた(という名目で女のあとを追ってきたようにしか思えない)フレイズたちの話を聞く。ここ数日、島中を練り歩いて、ウィルたちも島の面々と親しくなってきたようだった。アリーゼはファルゼン(ファリエル)とお喋りをしているところを何度か見かけたし、ベルフラウはパナシェに弓の射方を教えたりしているところを見た。ウィルはラトリクスに興味を持って、クノンやアルディラに端末などの使い方を教えてもらったり情報を調べたりしている。
 ナップとしても、自分の親友たちが島の仲間たちと親しくなってくれるのは嬉しいことだった。いずれ帰ってくる場所の人たちと、青春時代を共にした仲間が親しくなってくれるのは、それだけ自分の望む繋がりが強くなってくれるような気がするからだ。
「よっし、そんじゃ、いっちょ実を落としてみるとすっか?」
「おうっ、ナップ兄ちゃんっ」
 スバルとにししと笑みを交わして、一緒に蒼氷樹に登り始める。蒼氷樹はやろうと思えば幹を蹴るだけで実を落とすこともできるのだが、せっかく手袋も靴下も靴も、上から下まで完全防備の冬山仕様でやってきたのだから、上まで登っていっぱい実を落としたい。
「わ……ナップくん、スバルくんも、大丈夫!? そんな氷みたいな木に登って」
「平気だい! 手袋ちゃんとしてるし、藁沓も履いてるし!」
「ナップ、君まで……子供じゃないんだから」
「いいだろ、十五になったって楽しいもんは楽しいんだよ! ほらっ」
「っ、と」
 枝と幹に足をかけ、枝に生っている実をもいでは下にいる友達たちに放っていく。受け取っておそるおそる口に運んだ実の味に、ウィルたちは揃って目をみはった。
「へへっ、うまいだろ? この島以外じゃ、ちょっと味わえない味だぜ」
「本当、おいしい……! 冷たくて、甘くて、爽やかなのに味が薄くなくて」
「そうだね、本当においしい……けど、ナップ、いい加減に降りてきなよ。その樹の実を全部落とす気かい?」
「えー、全部って、まだまだいっぱい生ってんのに……ちぇっ、わかったよ。ちょっと退がってろよー」
「え、ちょっ」
「それっ!」
 ひょい、と樹の上から仲間たちの前へと飛び降りる――が、固い地面でも充分余裕をもって着地できるはずが、足に伝わってきた衝撃はナップには予想外だった。
 ズッボォ!
「わ……! な、えぇ!?」
「な……」
「……ぷっ」
「あはははっ! ナップったら、なにしてるの、馬鹿みたいよ? あははっ」
「そ、そんなに笑うことねーだろーっ!」
 いや、確かに自分でも雪の柔らかさと深さを目算に入れ忘れて、着地の勢いを殺せず足をほとんど全部雪にずっぽり埋めてしまったのは馬鹿すぎると思うのだが。
「あははっ、ほんとにもう、なにやってるのよ……あははっ」
「だ、だからもーそんなに心の底からおかしそーに笑いまくるなよっ、ベルっ」
「だっておかしいんだもの……あははっ。ほら」
「え」
 まだくすくすと笑いながら、ベルフラウはすっ、と手を差し出してきた。赤い毛糸の手袋に包まれた、小さな手を。
 自分はその手に弓ダコがいくつもできていることを知っている。何千何万と弓射を繰り返して、努力と辛苦の刻まれた固い手。帝国有数の名家のお嬢様とは思えない手。
 でも、自分にとってはすごく優しい、大切な手だ。それが自分に伸ばされている。優しい笑顔を浮かべ、よく似合う赤の衣装で上から下まで揃えたベルフラウ。雪景色の中から鮮やかに浮き上がるその姿は、ナップにはとても、きれいに見えた。
 ――でも。
「や、手差し出されても……なんつーか、先にずっぽりはまった雪から足をなんとか引っこ抜かねーと立てないっぽい……」
「えぇ!?」
「まったく、なにをやってるんだナップ! 調子に乗るからこんなことになるんだぞ!」
「えぇと、先に足を掘り出した方がいいのかな……?」
 苦笑してみせると、仲間たちは(スバルたちも)みんな協力して自分を助け出してくれた。ナップは心の中で、小さく息をつく。
 もう自分は、ベルフラウの手を取るわけにはいかないのだ。彼女の気持ちと、自分の心の疼きが、落ち着いてお互いを親友≠ニ言い切れるようになるまで。

「……だから、武器はそのメイメイさんって人の店で買ってたんだぜ。占い師っていう触れこみなのに、無限回廊っていう、普通の空間とはずれた位相にあるっていう謎の空間で、戦って心身を鍛えるなんてことまでさせてくれたんだ」
「聞けば聞くほど謎の人物ね、そのメイメイさんって人……」
「ナップくんたちも何者か、知らないの?」
「うん。ただ者じゃねぇってのはわかんだけど、正体は誰も知らなかったな。っつか、そもそもこの島にどうやってやってきたのかも誰も知らなかったし。そんで無事にディエルゴを倒して戻ってきたらいつの間にか店ごと姿消してたし」
「なんというか、すさまじく怪しいな……」
 そんなことを話しつつ森の中の道を歩く――と、自分たちの傍らにいる奴らから、それぞれ相槌を打つような声が返ってきた。
「ピッピピ〜、ピピッ!」
「ビービビー、ビー!」
「キュピッ、キュピー!」
「ミャッ、ミャー、ミャッ!」
 それぞれ無邪気な笑顔を浮かべつつ言ってくる相棒たちに、思わずこちらも笑んで答えを返す。
「はいはい、わかってるっての、アール」
「オニビ? あんまり好奇心をむき出しにしてはみっともないわよ?」
「そうだね、キユピー。知らないままにしておく方が、楽しいこともあるよね」
「ああ、テコ。どんな素性の相手にしろ、ナップたちを助けてくれたんだから、感謝を忘れる気はないよ」
 そんな会話を交わしたのち、つい顔を見合わせて笑ってしまう。なんというか、不思議に楽しい気分だった。自分の親友たちが、自分の相棒と、その仲間たちと驚くくらい親しくなってくれている。
 この島にやってきた時、アールは当然出迎えてくれたが、島でウィルたちと遊び回る時は一緒にいたりいなかったりだった。ウィルたちにかまいすぎて拗ねちまってるのかな? と思いつつ今回はウィルたちを優先させてもらっていたのだが、寝る時(ナップは基本、寝る時はウィルたちと一緒に鬼の御殿に泊まらせてもらっていた。そこ以外に外来者を泊められるような施設がこの島にはないので(たまにユクレス村の藁のベッドで寝かせてもらったりもするのだが)、もう二度とないかもしれない機会なのだから、ウィルたちと一緒にお泊り会のようなことをしたかったのだ)戻ってきたアールに聞いてみるとそういうわけでもないっぽい。
 不思議に思っていたのだが、昨日その理由を知ることになった。海で遊んでいたナップたちのところへ、アールが同じくらいの大きさだが明らかに違う界の召喚獣たちを三体連れてきたのだ。
「あら……その子たち、どうしたの? アールの友達?」
「わぁ、可愛い……! すごく可愛い……! ねぇねぇっ、ナップくんっ、抱いてもいいっ?」
「アリーゼ、ナップに許可を求めることじゃないと思うよ。……確かに可愛い子たちではあるけれど……どうしたんだい、君たち?」
 ウィルたちも珍しげに近寄ってきて、しげしげとその召喚獣たちを見つめる。そいつらは、それぞれに個性的な召喚獣だった。一体は真っ赤な丸い体をふよふよと浮かせ、体からぼうぼうと炎を噴き出しているが、その炎は明らかに普通の炎ではなく、触れると熱いというより動物の体温のように温かい。別の一体は明らかに天使の幼生体だ、赤ん坊のようなふくふくとした体に小さな翼をぱたぱたはためかせて浮いている。最後の一体は見るからにメイトルパ――というか、一見しただけでは普通の猫じゃないかとすら思えてしまいそうな容貌をしていた。体毛が生えていないのじゃないかと思うくらい短いことと、二本の足で立って歩いていること、尻尾が二股なことと眼鏡をかけていることをのぞけばだが。
 そんな多種多様な召喚獣たちが、アールのあとについておずおずとこちらを見上げている。ウィルたちはそれぞれ、気に入った召喚獣たちをかまったり目を合わせたりしている。召喚獣たちの方も、嫌そうな雰囲気でもなくそれにつきあっている。ナップは思わず首を傾げて、アールに問うた。
「なぁ、アール。どうしたんだ、こいつら?」
「ピッ、ピピピッ、ピー!」
「ふぅん……?」
 どうやらアールの昔からの友達らしいのだが、なんでわざわざ連れてきたのかはあんまり言いたくないっぽい。どういうわけなんだろうなぁ、と思いながらも、とりあえず提案した。
「なぁ、お前ら。せっかくだから、俺たちと一緒に遊ばないか? 今日は幸い、まだまだ時間はあるし」
「ビー!」
「キュピッ!」
「ミャー!」
 それぞれ(たぶん)嬉しげな声を返してくるのによし、とうなずいて、仲間たちの方に「いいよな?」と確認すると、全員(それぞれなりの表現で、嬉しげに)諾の返事を返してきてくれる。
 なので、その日は疲れ果てるまで一緒にそいつらと遊び、その結果自分たちとそいつらは加速度的に仲良くなっていったのだ。というか、まるで昔から一緒に遊んでいたようにしっくりくる感じがあった。まるで自分とアールのように、仲間たちはその召喚獣たちと絆を深めていったのだ。
 ベルフラウは赤い召喚獣をオニビと名付け、一見ペットを可愛がる女主人然と接しているが、見る目が明らかにナップでもちょっと見たことがないくらい優しい。アリーゼは天使の幼生体をキユピーと名付けて、ほとんど自分の子供かなにかのように可愛がっている。ウィルは猫っぽい召喚獣をテコと名付け、ウィルにしてはありえないくらい優しげに口元をゆるませて相手していた。
 向こうもそれに嬉しげに応えているようで、昨日はミスミに願い出て鬼の御殿で一緒に寝たほどだった。そして今日は、三年前の事件の思い出の地を巡ろう、ということで島をあちこちうろうろしている。遺跡はさすがに行けないが、それ以外の場所ならどこでも行っていいと許可ももらっている。
「ピッ、ピピッ」
「そうそう、ここんとこを曲がったら、真っ赤に塗られた壁の、いかにもシルターン風の店が……って、お? おお? おおおおおお!?」
 思わず目をかっ開いて凝視する。そこにあったのは、間違えようもない、あのメイメイさんの店だった。店構えといい場所といい漂わせる雰囲気といい、三年前とまるで変わっていない、懐かしいあの店の。
「ナップ、あれって……」
「いや、待て待て、待ってくれ。三年前からずっとここにはなんにもなかったはずだってのに……なんでいきなり、っていうか全然変わってないのはなんでだ……?」
 混乱しつつも、軽く相談したのち、三年前と同じように戸を叩いて客として入ってみる。
「あらぁ、ナップ、久しぶり〜」
 思わずぱかっと口を開ける。店の奥、椅子に座って酒をかっ喰らっているのは、疑いようもなく三年前と少しも変わらない、店主メイメイさんだった。
「ちょ……ま……な、なんでっ!?」
「なんでって、なにがぁ?」
「だってメイメイさん、三年前に姿消しちゃったじゃんか! それから全然音沙汰なくって、なのにいきなり三年前と全然変わんない店がいきなりどーんって建って……!」
「にゃはははっ、それはぁ、乙女の秘密、ってことでぇ……」
「そーいう問題じゃねーだろっ! ……まぁ、いいけどさぁ……」
「いいのか!?」
「や、だってメイメイさんだしさぁ……ただでさえ怪しい人だっつったじゃん、俺この人が実は龍神でした、とか言われても驚けねーし、こんくらいはあるかも、って」
「にゃっはははははははっ♪ ……ん? んんんんんん?」
 と、メイメイが立ち上がり、自分たち四人とアールたち四体に近づいてきた。じろじろと間近から、上から下まで顔も体も四方から眺め回してくる。
「ちょっと……なに?」
「初対面の人間相手に……失礼ではないですか」
「にゃはははっ♪ ごめんごめん、あんまり珍しいものを見たもんだから。同じ星の巡りに生まれた一対が四組もいるなんて、さすがのメイメイさんも想像もしたことなかったもん」
「え……?」
「ど、どういう意味ですか?」
「んー、そうねぇ……あなたたちはね、もしちょっと誰かが選択を変えてたら、お互いの立場をそっくりそのまま取り換えて出会うことになってた、ってこと。あなたたちの他の誰かが、ナップと同じ経験をすることになってたかもしれない。もちろんその場合は先生だって同じ人物とは限らないんだけどね。そしてね、あなたたちの連れてるそのちっちゃな子たちは、もしあなたたちがナップと同じ経験をすることになった場合、アールと同じ役割を果たしていただろう子たちなのよ」
「ええ……!?」
「ほ、本当ですか!?」
「……そう言っても、結局はただの占いなんでしょう? それが事実だと証明できるわけじゃない」
「うん、ただの占い。だから信じるか信じないかはあなたたちの自由よ。まぁ、それでもあなたたちとその子たちが強い縁で結ばれているのは確かなことだけどね」
 ウィルは否定的なことを言っているが、メイメイの実力を知っているナップはまじまじとウィルたちを見つめてしまった。まさか、自分たちにそんな縁が結ばれていたなんて。その上アールの連れてきた奴らとそういう縁があるなんて。
 だからって、お互いを見る目が変わることはないが、なんだかすごい事実を知ってしまった気がする。しかもアールの役目を果たしていたということは、ハイネルの端末となっていたかもしれないということではないか。もちろんハイネルはもういないのだからだからといってどうということはないのだが、それでもやっぱりなんだかすごい。
「……ふむ。うーん。ふんふん。そうねぇ。……ねぇ、あなたたち。ちょっと異空間に行って戦って、修業してみる気、ない?」
「え?」
「……ってメイメイさん! 無限回廊のことかよっ!」
 思わず叫んだナップに、メイメイはにまにま笑みながらうなずいてみせる。
「うん、そう♪ ロレイラルに、シルターン、サプレスに、メイトルパ♪ いくつもの世界とその間で戦うことで、持てる力を何倍にも高めることができる修業のための空間よぉ。あなたたちが望むんだったら、そこへの門を開いてあげちゃうけどぉ?」
「な……そ、そんなこと、できるんですかっ?」
「あなた、本当に、何者……?」
「そんなこと、人間には……いいや、召喚獣だってそんなことができる存在なんて話すら聞いたことがない。あなたはいったい……」
「にゃはははっ、それはぁ、乙女の秘密ってことで♪」
「っていうか、メイメイさん! 無限回廊使えるのって、非常時限定……っていうか、その相手がなんかすげぇ困難に直面してる時だけじゃなかったか? それじゃもしかして……」
「にゃはは、違う違う! まぁ、本来ならなんにもないのに門を開くとか、さすがのメイメイさんもしないんだけどね。あなたたちの星の巡りを見たら、わかったの」
「わかったって……?」
 メイメイは、表情を静かなものに変えて自分たちを見回した。思わず背筋がぞくりとする。ナップもこんな顔はほとんど見たことがなかったが、どんなにすごいことができても普段はただの酔っ払いにしか見えないメイメイが、この世ならぬ、通常の世界とは違う場所に生きるもののように見える。
「ナップ。あなたも、他のみんなも、あなたたちは、本来ひとつだった星の四つ欠片。けれどそれぞれがすでにひとつの星として輝き、動いていこうとしている」
「…………」
「あなたたちの存在は、本来在った運命をよりよく、あるいはより悪く変える力を持つわ。あなたたちがこのまま進むならば、何人もの運命をあなたたちは変えるでしょう。その時のために、困難に対処する力を与えることは、いろんな意味で必要なことだと思うの。もちろんこんなことは、あなたたち全員が、困難を乗り越えて、強い心を持っているから言えることなんだけどね」
「……そうなのか」
「ま、これも占いだから、当たるも八卦当たらぬも八卦ってやつだけどぉ? にゃっはははははっ♪」
「えぇ……?」
「わ、私すごく本気で聞き入ってたのに……」
「ま、まぁ、占いなんだから、そういうもので当たり前なんだけどね」
 いつも通りの酔っ払いの顔に戻って、メイメイはにんまりと笑い、訊ねてくる。
「それで、どうする? やってみる? たぶんナップにも、新しい発見あると思うけど?」
「え……だって、メイメイさん前に俺はもうここで鍛えても意味がないっつったじゃんか」
「にゃはは、そりゃそうよ、無限回廊っていうのは挑む者の魂の器を磨くものだもの。その者がその時持ちうる限界まで力を鍛えることはできるけど、それはつまり、もともとその時持っている力の分だけしか鍛えられないってこと。生き物っていうのは、特にあなたみたいに成長期の子は、魂の器――持っている力自体を少しずつ創り変えていくものなのよ。あるいは大きく、あるいは広く、あるいは強く、あるいは弱く、ね。あなたの場合はいろんな意味で器が成長したみたいだから、見えるものも違うだろうし、得られるものも、鍛えた結果も違ってくるわよぉ?」
『…………』
 思わず顔を見合わせる。数秒沈黙するが、もちろん、全員答えは決まっていた。
「やります!」
「もちろん」
「やらないわけがないでしょう、そんな面白い挑戦」
「よし! それじゃ俺、仲間内に連絡取って暇な奴来いって言ってくる!」

「……しかし、召喚獣に特製の食事を与えて力を強めるという知識はもちろん持っていたけれど、まさかこんな特殊な能力まで持たせる食事があるなんて思っていなかったよ」
「ああ、そうなんだよな、帝国にはそういう知識って伝わってないんだよな。っていうか、そのための素材がそもそも流通してないし」
「そうだね。君に以前話を聞いてから少し調べてみたけれど、君に聞いたような食べ物は存在すら知られていなかった」
 無限回廊を何周かしたのち。しばしの休憩時間に、テコにユーズユズを食べさせながらウィルがうなずいた。
 みんなに話をしたところ、みんな久々に思いきり力を振るえる機会とあって乗り気で集まってきた。ただ、今回はウィルたちを鍛えるのが主眼ということもあり、参加する人員は交代制にした。幸い無限回廊にいる間は、リィンバウムではまったく時間が過ぎていないため、待たせることもなくてすむ。
『得られるものも違う』というメイメイの言葉はいろんな意味で正しく、今回の無限回廊では以前は手に入らなかった召喚獣に特殊な能力を持たせる食事も手に入れることができた。正式にオニビやキユピーやテコと護衛獣の誓約を結んだウィルたちは、一周して休憩するごとにそういう食物を与え、無限回廊の中では召喚師たちの夜≠ェ訪れた際と同様に道具を媒介にしてたやすく誓約を結ぶことができるという話をメイメイから聞いて、次々召喚獣たちと誓約を結び、実力もうなぎ上りに上がり、とどんどんと強くなっていっていっている。
 自分はどうだろう、とナップはちらりと考えた。正直、目に見えるほど強くなっている感じはしない。ただ、なんというか、自分がより磨かれていっているのは感じられた。これまで軍学校で受けた授業、得た知識、積んだ経験、そういうものがこれまで以上にしっくり肌に馴染んでくるような。
 やはりそれは嬉しく、ありがたいことだった。自分が強くなるための経験なんて、どれだけ積んでも悪いものじゃない。
「それにしても、君がこんな場所で鍛錬を積んでいたとはね……軍学校に入学してきた時、すでに桁違いの戦士だった理由がわかったよ」
「あ、なんだよ、ズルとか言う気か? 俺にだって強くならなきゃならない理由があったんだよ」
「わかってるよ、そのくらい。君がどれだけ強く、深く、困難を乗り越える力を身に着けたい、と思っていたか。誰かを護る力を欲していたか、ってことくらい」
「……ウィル?」
 ナップは思わず戸惑いの声をかけた。ウィルがこちらと目を合わせず、テコが食事を食べ終えてごろごろし始めても微動だにせずじっとテコを見つめていたからだ。
「最初から――ある意味、わかってはいたんだ。僕ではかなわないって。君にはもう、誰よりもなによりも大切な人がいて、そのために人生を捧げると決めているんだ、って」
「―――………」
「ただ……それでも、僕は夢を見てしまったんだ。君にとって、レックス先生がそうであるように、僕にとって君は、初めて世界を教えてくれた人だったから……」
「………ウィル」
 他にどうしようもなくて、ただ名前を呼ぶ。気持ちに応えられはしない、それはよくわかっているけれど、せめてその気持ちがこちらに伝わっていることをちゃんと伝えたくて。
「一緒にいられることが楽しくて。一緒になにかができることが嬉しくて。もっと一緒にいられたらと……一緒にいられる未来を夢見てしまうくらい。そんなことは無理だって、よくわかっているのにね」
「ウィル……」
「僕は、君が好きだ」
「っ」
 きっぱりと言われた。好きという言葉をはっきり言われるのは、もしかしたら二年の最初の告白以来かもしれない。
「でも、君が誰よりも好きな相手は他にいる、というのもわかっているし……正直、その絆の強さを見せられて……それを壊したくない、っていう気持ちすら湧いてきてしまったんだ」
「……ウィル」
「まぁ、それでもやっぱり悔しいものは悔しいから、ささやかに嫌がらせをしたりもしてしまったけどね」
「え?」
「いや。……ナップ」
 す、と顔を上げて、真正面からこちらを見て告げられる。
「僕は、君が好きだ。大好きだ。……だけど、でも、君とずっと友達でいたいっていう、気持ちには嘘はない」
「……うん」
「友達でいて……くれる、かい?」
「当たり前だろ。お前はずっと俺の……一番の、親友だ」
 こちらも真正面から見返して、きっぱりと返す。本当の気持ちだった。大切な親友に、せめて少しでも真摯な心を返したかった。自分も大切だと、以前誓った気持ちは変わっていないと、お前に困ったことが起きたらそれがどこだろうと助けに行くと言ってやりたかった。
 しばしじっと見つめ合って、互いにふふっと笑う。お互いの気持ちが通じ合ったんだ、という実感は、お互いにとって喜びだ。それを二人とももうわかっている。相手が嬉しいと自分も嬉しい、そのくらい距離の近い関係を、自分たちは確かに三年かけて築いてきたのだから。
「……ナップ! そろそろ次の周回、行こうか。みんな食事、もう終わったみたいだし!」
「あ、うん! 今行くよ、先生!」
「すいません、レックス先生。僕たちのせいでお待たせしてしまって」
「……いや、気にすることはないよ」
「よっし、行くか!」
「そうだね、次はムーブルベリーを手に入れたいところだ」
「あ、それ賛成! キユピーもそれがあったら新しい力を手に入れられるみたいなの」
「私はエイチピーチかしらね。オニビはいろんな力があるから大変だわ……嬉しくもあるけど」
「ちぇーっ、いいなぁ、兄ちゃんも姉ちゃんも。おいらたちはもう最強の装備手に入れちゃってるから、新しいの手に入れられる楽しみとかないんだもんなー」
「なに言ってるの、私たちは初めてなんだから当然でしょう? いいなぁ、っていうなら私たちの方こそその年でそんなに強いなんていいなぁ、よ」
「そうだよね。私たちよりずっと年下なのに、ものすごく強いもの、スバルくん」
「え、そーか? へへっ、なんか嬉しいや、そんな風に言われることあんまりないから」
「スバルさま、そのように嬉しがっていらっしゃると怪我をいたしますよ。アリーゼさまも、あまりスバルさまを調子づかせないでくださいませ」
「あ、ごめんなさい……」
「……でも、スバルを褒められてすごく嬉しい、という顔をしてらっしゃるわよ、キュウマさん」
「む、それは……」
「見抜かれてるわね、キュウマ?」
「こんなお嬢ちゃんに、情けねぇなぁ? ま、お前さんは特にわかりやすいけどよ」
「そういうヤッファさんも、ある意味わかりやすいと思いますが。マルルゥさんにしじゅう面倒を見られていらっしゃるあたり」
「んぐ……」
「あははっ、言われちゃいましたね?」
「まぁ、ある意味反論のしようがないことではありますが……」
「自業自得としか言いようのない事実ではあるかと」
「えへへっ、シマシマさんも、みなさんも、すっごく仲良しでマルルゥ嬉しいですよぅ♪」
 にぎやかにそれぞれ喋りながら無限回廊の門をくぐる。ナップは一人、こっそりとマルルゥの言葉に笑んでいた。
 そうだよな、マルルゥ。俺も嬉しいよ。俺の親友たちと、島の仲間たちが仲良しになってくれて。

 降るような星空を、草原に寝転がって見上げる。帝国とは桁の違う、空じゅうすべて星、と言っても過言ではないほどの夜空。
 それを自分は、親友たちと一緒に、頭を中心に向けて円を描くように寝転がって見上げていた。――自分たちは、明日、帝国に戻る。
「早かったなぁ……」
「そうね、あっという間だったわ」
「いろんなことしたよね……」
「確かにね。遊んだり、いろんなものを見たり、修業したり……いろいろと充実していたな」
「充実っつーかさぁ、まさかメイメイさんが無限回廊を使わせてくれるなんて思わなかったぜ。そのせいでお前ら一気にめちゃくちゃ強くなるし」
「あら、公平な処置だと思うけど? そのおかげで私たちもナップのように一撃で人を打ち倒せるようにもなったし、強力な武器防具や装身具も手に入れられたし、いろんな召喚獣の誓約済み召喚石も手に入れられたし」
「大切な相棒たちとも出会えたし、ね? ふふ、なんだか私、ようやく胸を張ってナップくんの親友って言える気がするな」
「確かに。まぁ、それでもやっぱり白兵戦ではナップにはまるでかなわないわけだけれど」
「当ったり前だろ、そんなの。こっちがどんだけそっちの修業してると思ってんだ」
「ふふ。まあそうね、私が弓術の訓練を専門に積んでいるように?」
「私が召喚術を専門に学んでいるように?」
「……そういうことを言うなら僕は仲間内で勝てる相手が誰もいないってことになるじゃないか。僕はどんな分野の技術も平均的に学んでいるんだから」
「あはは、そうだよな」
「ふふっ……」
「まぁ指揮官向けの人材、っていうことでいいじゃない、ね?」
「それは、そうなんだが……やっぱり少し悔しいな」
 あはは、ふふっ、くすくす、ははっ。ひそやかに声を交わし合い、笑い声を響かせる。星空を見ながらそんな風に話すのは、普段とは違って、それだけで不思議に胸が騒ぐことだった。自分たちがまるで世界の中心にいるような、とても大きなものに乗っているようなぜいたくな気分になる。
 だから、普段聞けない、聞けなかったことも、つるりと口から出てしまった。
「なぁ、みんな。お前らは卒業したら、どうするんだ?」
『え―――』
 一瞬の沈黙。だがすぐに、笑んでいるような声で答えが返ってきた。
「私はもちろん、特別上級科に進んで未来は上級軍人になるわよ」
「お。女では史上初の将軍とかになっちゃうか?」
「当然。でもそれはとりあえずの目標でしかないわよ、最終目的はもちろん大元帥!」
「おっと、そう簡単にはいかないよ。僕だって最終目的は大元帥なんだからね」
「はは、どっちにしてもでっけぇ夢だよなぁ。……アリーゼは女医さん、なんだよな?」
「う、うん……軍学校に入って、霊界の召喚術を学んで……やっぱり私が得意なことで、一番したいことは誰かの傷を癒すことだな、って。キユピーを護衛獣にして、治療もできる召喚術を使えるようになったし……軍大学に進んで、医術の勉強をして、いろんな人の怪我や病気を治したいな、って前から思ってたの」
「へぇ……すごいな、アリーゼ。きっとアリーゼは、いいお医者さんになるぜ」
「……えへへ」
 小さく笑うアリーゼに微笑んでいると、ウィルとベルフラウがこちらを向いて、笑みながらもかなりの熱意をもって訊ねてきた。
「で? ナップはどうなの?」
「君自身に将来のしっかりした目標があるから、そういうことを聞きだしたんだろう?」
「んー……まぁな」
 ナップは小さく笑って、親友たちの方に向き直り、にやっと笑った。
「俺は、先生やろうって思うんだ」
『……は?』
「先生って……軍学校の講師とかにでもなるつもりなの?」
「いや、そうじゃなくて。俺は、この島で、先生と一緒に子供たちを教える仕事をやりたいな、って思うんだ」
『…………』
「それは……レックスさんが、いるから?」
「それもあるけど……一番でかい理由は、この島のみんなを、ひいては召喚獣たちを、リィンバウムの人間たちと対話できる土台を作りたい、って思ったからなんだよ」
「対話できる……土台?」
「うん。なんていうかさ……今、リィンバウムじゃどこも召喚獣って、化け物扱いされてるよな? そうじゃなくても、せいぜいが自分の好きなように扱っていい道具、みたいな感じだろ?」
「……うん」
「そうね。だからこの島に来た時は、本当に驚いた」
「ああ。俺もこの島に来て、先生に教わって、そういう考え方がおかしいんだって知って。軍学校に通って、軍の考え方や世間の考え方を知って……この二つをなんとか、少しでも近づけられないかなって思ったんだよ。お互いの対話をいい方向に向かわせられないかなって思ったんだ。そうしなきゃ、この島に来る人間は、どいつもこいつも島の奴らをいくらでも狩っていい代物としか考えられないだろうからさ」
「……そうだね。それは確かに、不幸なことだ」
「だから、俺はこの島に戻ってきて、島の奴らに外の世界のことと、身を護る術を教えて。それで、俺の引率で外の世界に出てみるってこと、体験させられないかなって思ったんだよ。俺はこの島の中でたぶん一番外の世界に知識とコネを持ってる、実力もある。引率役として一番適任だと思うんだ。そうやって、外の世界と島の世界の認識のズレを、なんとかしていけないかなって。まぁ、島のみんなの説得もまだだから、実際に行動に移せるのはまだまだ先だと思うけどさ」
「なるほど、ね……」
「確かにそれは、君が一番適任かもしれないね。君はなんのかんの言いながら、世間知にも長けているし、なにかことが起きた時の問題解決力もずば抜けているし」
「へへっ、だろ? お前らにも協力、期待してるからな」
『………え?』
「いや、だからさ。お前らに、ラトリクスで作った通信機持ってってもらおうって思ってたんだ。そうしたらいつでも連絡取れるだろ? なにか起きた時に助けも呼べるし……逆に、こっちも助けに飛んでいけるしさ」
『…………』
「……なんだよ、嫌か? 俺はお前らとそういう風にでも、繋がり持ち続けられるのって嬉しいんだけど……」
 うかがうような顔になって、ナップは親友たちを見る――と、ぼろっ、とアリーゼが突然涙をこぼした。
「え! な、ちょ、アリーゼ、どうした、大丈夫かっ!?」
「う、うんごめん、なんでもないのっ……ただ、なんていうか、なんていうか……」
「……あなたも繋がりを持ち続けていたいって、思っていてくれるんだな、って思ったら。なんだか、嬉しくて」
 わずかに涙ぐみながらベルフラウも言う。それにナップは、不覚にも自身涙ぐみながら笑った。
「なんだよ……当たり前だろ。俺たちはさ……」
「……仲間で、親友。だものな」
 そう目を潤ませながらも言って笑うウィルに、ナップも心からの笑顔で大きくうなずく。
「ああ。一生もんの仲間で、親友だ」
「……うんっ」
「ふふっ……悪くないわね」
「三年間、君とつきあってきた結果がそれか。ふふ……そうだね、悪くない」
 そう自分たち四人は寝転がりながら笑みを交わした。満天の星空の下、ときおり顔を見合わせながら、今のことを、未来のことを語らいつつ。

 その日の深夜。鬼の御殿、ナップたちが眠っている部屋にて。
 ナップはふいに、口元を塞がれて目を覚ました。
「んぷっ!? な……あ」
『先生……? どうしたんだよ、こんなところで』
 そう、口元を塞いだのは紛うことなきレックス先生だった。赤毛に普段と変わらないベルトの多い衣装を着け、真剣な顔で自分を見下ろしている。
『なんだよ、なにか用? 俺、明日早いからとっとと寝ちまいたいんだけど……』
「……その程度なんだ、ナップにとっては」
『え?』
 小声で囁くように言うナップと異なり、レックスの声は抑え目ではあるものの音量が普段話しているのとさほど変わらない。ナップは眉を寄せて、耳元に囁いた。
『なに言ってんだよ、とりあえず静かにしろよ、ウィルたち起きちゃうだろ。なんか用があるなら……』
「そうだよね、ナップはこの二週間ずっとお友達優先だったっていうのに、俺のことなんか全然気にならないくらい、お友達のことが大切なんだもんね」
『は? ちょ、先生、なに言って……ひう!』
 むき出しになっていた(寝巻用の短いズボンを穿いていたので)太腿に触れられ、ナップは思わず高い声を出してしまった。それにレックスはにこりと微笑んで、さらに奥へと指を進める。
「なんなら、ナップのいやらしい声、みんなに聞いてもらおうか?」
『……は?』
「ここだったら、ナップが声を出したら、きっとみんなに聞こえちゃうよね?」
 にこにこと、いやむしろにやにやとレックスは笑んで指をナップの体に這わせる。ぞくっ、ぞくぞくっ、とレックスの愛撫に慣れた体が震えるのがわかった。このまま愛撫を受けていれば、ナップが御殿中に響くような高い声を上げてしまうのは間違いないだろう。当然、隣に寝ているウィルも、隣の部屋に寝ているベルフラウとアリーゼも起きてきてしまうはずだ。そして、こんな、乱れた自分を、見て――
『…………っ!!』
「ごぶっ……!」
 レックスが呻き声を上げる。それはそうだろう、腹にもろに膝の一撃を喰らったのだから。ナップは軍学校で格闘術の授業も受けていた、懐に入り込まれた際に自分の体をどう使えば相手に痛撃を与えられるかはよく知っている。
 げほげほ、と抑えた声で咳き込むレックスを、ナップは殺気すら込めてぎろりと見た。
『先生、ちょっと顔貸せよ』
『う……ううう……はい……』
 自分と同じように囁くような声で返してきたレックスに、よし、とうなずいてナップは先に立って歩き出す。縁側から庭に下りて、どんどんその先の森へと入っていく。
 ――その間中、顔と体がどんどんと火照ってくるのは抑えることができなかったが。
(あーもうっ、先生の馬鹿っ……なんであんなとこであんなことしてくるんだよっ!)
 恥ずかしくて恥ずかしくてドキドキしちゃったじゃないか、と思いながら森の奥へと歩く。先に立っていれば顔が見られないのは幸いだった。
 そして、その問いへの答えも幸いなことにすぐに得られた。背中を向けたまま、森の奥でぼそりと訊ねると、レックスはびくっと震えて即座に答えてきたのだ。自分の方を見ないせいでより威圧感を感じたのだろう。
 ――もっとも、その答えを聞くや、ナップは即座にレックスの方に振り向いて怒鳴ってしまったのだが。
「はぁ!? なんだよそれっ、つまり俺が浮気してるんじゃないかって疑ってたってことかっ!?」
「う、浮気してるって思ってたわけじゃないんだよ? ただナップも若いし……本当に、どう見てもウィルくんたちとはすごく仲がいいし……もしかしたら、ないとは思うけど、うっかりよろめいちゃうことも、あるんじゃないか、なーって……」
「要するに俺のこと信用してなかったってことだろ!?」
「そ、それは、その……信用っていうか、信じてるけど、万一ってこともあるかもって……」
「そーいうのを信じてないっつーんだよっ! そんでわざわざ、友達が寝てる横で、夜這いしに来たっていうんだろ!?」
「う、うん……なんとか、俺とナップがそういう関係なんだってことを見せつけて、身を退いてもらえないか、って思って……」
「…………」
 はーっ、と深々と息をつくと、レックスはあからさまにびくとして、あれこれと言い訳をしてきた。
「いや、その、本当にナップを信じてないわけじゃないんだよ? ナップは一度交わした約束を裏切るようなことをしないっていうのは本当に思うんだ。ただ、ナップはすごく情が深いから、友達のみなさんが弱いところを見せたりしたら、ふらっときちゃうところはあるんじゃないか、なーって……」
「………先生。ちょっと、こっち来て」
「え、や、あの、ごめん、本当にナップを疑ってるわけじゃないんだ、ただナップの友達たちはみんな若いし、きれいだし、可愛いし、若いし、俺自身お似合いだとか思っちゃって、それでつい不安になっちゃったっていうか」
「いいから。来て」
「………はい………」
 市場に連れられていく仔牛のような顔でのろのろとレックスは近づいてきて、ナップの目の前に立った。どうとでもしてください、と言いたげに目を閉じて後ろで手を組み、顔を突き出してくる。
 ナップは、その顔を、ぐいと引き下ろして、唇にちゅっと口づけた。
「………!?!?!?!?!? ちょ、ナップ………!?」
「……ごめん。先生。先生に……寂しい思いさせちゃって」
 恥ずかしさのあまり微妙に目を逸らしながら、ぽそぽそと言う。けれど、言っている言葉は間違いなく本気の、本音の言葉だった。
「なんていうか……あいつらとは、まともに遊べるの、これが最後だって思ってたからさ。このあとは、軍学校に戻ったら進路やらなんか決める手続きとかに忙しくて、自由時間とかほとんどないと思うし。こんな風にみんなで遊べるの、一生かかっても最後のことかもしれないって思ったら、なんか……思いっきり遊ばなくちゃって、思っちゃって、さ」
「……ナップ……」
「先生とは……軍学校からこの島に帰ったら、ほとんどずっと一緒にいるんだから。ちょっとくらい後回しでも、いーだろって思っちゃって……」
「え?」
 本気で驚いた声に、ナップはむっと眉を寄せた。
「なんだよ、その声。俺言っただろ、軍学校行く前に。いろんな経験積んで、先生の持ってないものたくさん身につけて、先生のそばに帰ってくるって」
「や、言った、言ったのは覚えてるけど……今でも、そういう風に……?」
「当たり前だろ。……俺は、その。先生が、世界で一番、好きなんだから……」
 言いながらどんどん恥ずかしくなってきて、視線を逸らしながら、顔を熱くしながら言う――と、ぐいと体を引かれた。
「ちょ、せんせ……む、ふ……」
「……ナップ……ふ、ぅ、ん……」
 今度はレックスからの深いキス。夏季休暇から数えて数ヶ月ぶりの、懐かしい感触。ちゅ、ちゅ、と軽く何度も触れてから、ぺろりと舌で唇を舐めて、中へと入りこちらの舌を引き出してくる。以前と変わらない、巧みなその口づけをしばし受けて、ナップはまともに立っていられなくなってレックスにもたれかかった。
「……大丈夫かい、ナップ?」
「……あんま、大丈夫じゃない……」
 言うと優しく頭を、背中を撫でながら、ぺろりと耳を舐めてくる。思わずびくりと震えるが、レックスはそれにかまわずナップの耳たぶを、耳の中を、舌と唇で愛撫してくる。そして同時にナップの服の裾を乱し、少しずつ脱がしていく。レックスの得意とするやり方だ。
「せんせ……ってば、ンっ……あ……っ、話は、もう、いいのかよっ……ひっぅ!」
「うん……いいんだよ。もう、わかったから」
「わかったって、なにが……っ、アっ!」
「ナップが、本当に俺のことが好きで、心の距離が近いからこそ俺をかまうのを後回しにしたんだ、ってことが」
「そりゃ、そうだけど……んンッ!」
 シャツをまくり上げられ、乳首の先にキスを落とされ、ナップは喘いだ。キスのみならず、レックスは両の乳首をくりくりと指先で弄りながら、時にちゅっちゅと吸い、時に口の中で舐めしゃぶり、と攻撃してくる。島に帰るたびに馴らされ、今ではすっかり敏感な部位にさせられてしまっているそこを、舐められ、しゃぶられ、捻られ、潰され、吸われ、軽く噛まれと次々責められると、ナップはもう体をよじって呻くしかない。
「せん、せっ……そこばっか、やだぁっ……ンッ!」
「そう? ナップのおっぱいの先っちょ、すごくおっきくなってるよ? 真っ赤になって勃起して、すごく気持ちよさそうだけど?」
「お、おっぱいとか、言うなぁっ……っひ!」
「うん、ナップ、ちゅぅっておっぱい吸われたあと、くにくにって先っぽ捻られるの好きなの、変わってないね。おちんちんも服の上からでもわかるくらい勃起しちゃって、先っぽの方濡れてるのもわかっちゃうよ?」
「だから、言うなって、ばぁっ……!」
 ナップが泣きそうな声で懇願しても、レックスの指も、舌も、声も止まってくれない。むしろ楽しげに笑って、今度はずりずりとナップのズボンを下着ごと引き下ろしてきた。
「ほーら、ナップ、どんどんズボンがずり下がっておちんちんが見えちゃうよ? お、すごいな、おちんちんのところに引っかかってズボンが脱がせられないや。すごくビンビンに勃起してるんだねぇ。でもこうして引っ張ってくと、ほーら、ズボンが上に引っ張られて、脱げちゃうよ脱げちゃうよ〜……ほら、脱げた。わかる? 今、ナップのおちんちん、ぶるるんって震えたよ。先っぽからおつゆもぴっぴって飛んだし。ナップってば、本当にいやらしいんだね」
「………っ………」
「……え。ちょ、ナップ……あの、泣い、て………?」
「泣いてねーよっ!」
 ぎっ、とおずおず訊ねてきたレックスを睨みつけると、レックスはわたわたと大慌てに慌ててぺこぺこと頭を下げてきた。ナップは(たぶん真っ赤だろう)顔をぷいっと背けてやるが、それでもレックスは土下座せんばかりの勢いで正面に回って頭を下げる。
「ごめん! 本当にごめん、すいませんナップ! 調子に乗りすぎました! ただなんていうか、ナップの気持ちはわかったんだけど、それでもやっぱりこの二週間すごく寂しくて辛かったから、ちょっといじめてあげたくなっちゃって、いじめられて泣きそうになりながら耐えるナップってすごく可愛いし……!」
「……先生のっ……変態っ。なんだよ、それ……っ」
「本当にごめん! 俺が悪かった! でもなんていうかナップの可愛さっていうのは本当天下無双で全天一な代物だと思うわけで……っ!!」
 必死に弁解するレックスに、ナップはずっ、と軽く鼻をすする。なんというか、ああもうこの人は本当に馬鹿だなぁ、という気持ちやこの人本当にそこまで俺のことが好きなんだなぁ、という気持ちやそこまでさせるくらい心配させちゃってたんだ、悪かったなという気持ちがぐるぐる入り混じって、なぜだか心臓がぎゅうっとした。
 なので、ナップはひたすらに頭を下げるレックスの耳元に口を寄せ、小さく囁いた。
 とたん、レックスはばっと顔を上げ、半ば呆然とナップの方を見る。
「ナップ……それって、本当、かい?」
「……こんなこと、嘘や冗談で言えるかよ」
「ほ、本当の、本当に、『わかったよ。これまで待たせた分、好きなだけ、好きなようにしていいから』って言ってくれたのかいっ!?」
「だっからそーいうこと何度も繰り返すなってばっ! ……ほんとの、ほんと、だよっ」
 そう言うと、レックスは「ナップ……!」と感極まったような声を上げて、ナップを勢いよく押し倒してきた。そのくせ背中には素早く上着を敷き、手を挟んで、勢いを柔らかくすることも忘れない。
 ……本当に、優しいんだから。意地悪してくる時でも。
 だけど、俺は、先生のそういうめちゃくちゃに優しいところが、すごく好きだ。そうたまらない気持ちで思って、ぐいっとレックスの顔を引いて、またナップから口づけた。レックスも優しげな瞳でそれに応えてくれて、ぢゅっぢゅっれろれろちゅっねろぢゅっちゅっぢゅっ、としばし舌と唇を絡め合わせる音が響く。
 その間にもレックスは器用に自分の服を脱ぎ、ナップの下に敷いていったようだった。土の上に柔らかく自分を横たえて、裸の体と、唇を、感情のままにいやらしく絡め合わせていく。
「んっ……せん、せっ、はぁっ」
「ナップ……ナップのおちんちん、しゃぶっていいかい?」
「だ、っから、そーいう、ことぉ……っ」
「ごめん……でも確認は取っておくべきじゃないかなと思って。……しゃぶるよ」
 ぱくり、とばかりにレックスがナップのものを一気に口に含む。それからねろー、れろー、と口の中で竿の部分を口から出し入れしながら舐め上げてきた。
「んっ……は、ぁ、あぁ……」
 直接的な、自身を口の中に含まれてしゃぶられている感覚に、ナップはたまらず喘いだ。レックスの愛撫は、丹念で優しく、的確で、ナップをいつも翻弄する。もうこういうことをするようになって三年にもなるというのに、掌の上で転がされているような感覚になるのだ。
 それが嫌なわけではなく、むしろレックスの愛情が感じられて嬉しいとすら思うけれど。やっぱり、やられっぱなしは悔しいし、自分でもレックスになにかを与えたいと思う。なので、ナップはたいていの場合こう言った。
「せんせぇ……俺にも、させて……」
 そう言うとレックスはいつも優しく微笑んで、こう返してくれる。
「それじゃあ、二人で一緒にやろうか?」
「うん……」
 レックスに体を持ち上げられ、レックスとは天地を逆にして体の上に置く。そうして目の前に突き出されるレックスのものを、一度ごくり、と唾を飲み込んでからゆっくりと口の中に呑み込んだ。
「ん、ン……ゥん、ふッ、は、ぁ……」
「っ、く。上手だよ、ナップ……ふ、んっく……ぅ」
 レックスもときおり喘ぎ声を漏らしながら、ナップのものを、時には尻を、そしてその間の孔を愛撫する。体の大きさがやはり違うので、愛撫される時ナップのものはかなり下に押し曲げられる形になるのだが、レックスの口と手は、それすらも心地よい刺激に変えてナップを翻弄してしまうのだ。
 じゅっ、じゅぷっ、ぬっぬっぬっ。じゅぬ、ぐぬ、くぱ、ぐち。
 しばらくレックスの唇と舌がナップの後孔を、そしてその中を這いまわったかと思うと、どこに隠していたのか潤滑油をたっぷり塗ったレックスの指がナップの中に挿れられてくる。ぐちゅぐちゅと後孔が濡らされて、指が増やされ、ずぶずぶと中に埋め込まれ、出し入れされ、どんどんと孔が拡げられていく。
「ア、は、あァっ、ん、ふぁっ、あ、ア、あぅっ」
「ナップ……すごいよ。まだ指二本なのにこんなにお尻の穴が拡がって……軍学校でも、こっそりお尻使って一人でしてたりした?」
「そ、っういうこと、ンあっ、聞くなっていっつも、言ってんじゃん……!」
「うん……ごめんね、だけど気になっちゃって。帰ってくるたびに、ナップはどんどんいやらしい体になってくるから、そんなことはありえないとわかってはいるけど、ふっと『もしかして浮気したのかも』なんて妄想も湧いてきちゃって」
 ぐちぐちぐちっ、ぐぢゅっ、ぐちゅっぐちゅっ、ぐぬっぬっ。レックスの指が勢いよく自分の中を出入りする。中指から親指に、それが人差し指と中指に、それから人差し指と中指、それと薬指に――ほとんどレックスの指すべてが入っているのではないかと思うほど、レックスの手と自分の後孔が繋がる。
「浮気、なんて……して、ないっ……!」
「うん、そうだよね、わかってるんだ。でもこんなにいやらしい、指でちょっと拡げただけでどんどんお尻の穴がほころんじゃうような体になったってことは……やっぱり、一人でしてたのかな?」
「………っ、してた、よっ……」
「え? なんて言ったの? ごめん、聞こえなかった」
「………っ! 一人で、尻の穴使って、やらしいことしてたよっ! 指だけじゃ足りなくて、張り型とかこっそり手に入れて、人のいないとこでぐちゅぐちゅ出し入れとかしてたよっ! 先生に触ってほしい、挿れてほしいって思いながら、やらしいこと、いっぱいっ………!」
「…………」
「ひっ……とに、言わせといて、なに、固まってんだよっ……なんとか、言えよっ」
「ごめん、ナップ。俺は愛が足りなかった」
「へ?」
「ナップにそんな寂しい思いをさせながら、この程度の愛し方しかできなかったなんて、まるで愛が足りてなかった。残り、一晩しかないけれど……俺は、俺にできる限りの技巧と体力を駆使して、君に愛を伝えるからね?」
「へ……な、あっ!?」
 ぐいっ、とレックスはナップの体を持ち上げ、ギンギンに勃起した自身のものをナップの口の中から完全に抜いた。そしてナップの体をレックスの腰の上にゆっくりと落とし、レックス自身も腰をうまく使って完全に自身をナップの体の中に埋める。
「あっ……あッ……ア――――…………」
「……大丈夫?」
「う……んっ……」
「久々の俺の感覚は、どうかな? 張り型よりちゃんと、気持ちいい?」
「っなのっ……気持ちいいに決まってんだろっ、このスケベオヤジ!」
「すっ……男の一人として君を愛する者として助平なのは否定しないけどオヤジっていうのはさすがにまだいくらなんでもっ」
「とか言いながらっ……あっ、あ、あッ……腰、動かしてん、じゃんっ……あアッ、アッ、あっ、ンァッ……!」
「……ごめんね。ナップが好きで、もっと気持ちよくなってもらいたくて、俺の痕をナップの中に刻みたくて、そう思ったら少しでもって、頑張っちゃうんだ……」
「アッ……や、そこっ、ダメっ、やっ、胸いじんないでっ、あっ、アァッ!」
 本当に、張り型などとは比べ物にならなかった。レックスの体温、生々しい肌と体液の感触、くりかえし落とされる口づけと愛撫、そしてこちらを愛しくて愛しくてたまらないという顔で見つめるレックスの視線――すべてがたまらなくナップを昂ぶらせ、頭が吹っ飛びそうな快感に酔わせる。そしてときおりレックスの顔が堪えきれない快感に歪むのが、ナップも快感をレックスに与えられているのが、たまらなく嬉しくてナップはぐいっとレックスの首を引き寄せ、腰をぐりぐりとレックスの腰に擦りつけ、より深く深くと繋がりながら、唇と舌が何度も絡み合う深いキスをした。
「っナップっ……愛してる、好きだ、世界で一番、大好きだっ、ナップっ……!」
「あ、アっ、せん、せぇっ、好きっ、俺もっ、大好きっ、そこ、あーっ……!」
 ぐちぐちぐちぐち、ぢゅっぢゅっずっずっ、びたびたびたっ、ずちゅっずじゅっずぢゅっ!
 すさまじい勢いでナップの腰が上下させられ、それにうまく機を合わせてナップの一番イイところにレックスのものが打ち込まれ、胸を揉みしだかれ、先端を捻られ、耳を吸われ、舐められしゃぶられキスされしごかれ――
「あ、アァ、ア、アァあぁぁあっ………!!」
「ナップ、ナップ、ナップナップナップ、イ、くっ………!」
 ナップの中にあるものがびくびくっと震えると同時に、ナップも白濁をレックスの掌の中へ何度も叩きつけた。
 一瞬気が遠くなるほどの絶頂感、それが呼吸と共にゆっくりと落ち着いていき、やがてお互いの体温が入り混じってひとつになっているような、まどろみに似た感覚が訪れる。ナップはその心地よい一体感に、しばし酔いしれた。
 レックスも同様に呼吸をゆっくりと落ち着けていき、自分をそっと抱きしめて、時には髪を梳き、時にはキスを落とし、時にはぺろりと舐め、とゆるやかな愛撫をくりかえす。ナップはほんわりとした心地でしばしそれを受けていたのだが、やがて自身の体の変化に気づき、おずおずとレックスに言った。
「……なぁ、先生。そういう……触ったりするの、やめろよ……」
「ん? ナップは、俺に触られるの、嫌かい?」
「いっ、やじゃねーけどっ、むしろ好きだけどっ! っつか先生だってわかってんだろ、わざとだろ!? わざと俺をやらしい気分にさせようと思って触ってんだろ!?」
「もちろん」
 にっこり微笑むレックスは、まだナップの中から抜かれもしていないのに、次第にナップの中で固さを取り戻し始めていた。というか、レックスに触られてナップの中が自然にうごめいてレックスを締めつけてしまっているのだから、当然といえば当然だ。ナップ自身も勃ち上がり始めてしまっているのは、もはや言うまでもない。
「な、にしれっと当たり前のことみてーに……やめろってもうっ、またヤりたくなっちゃうだろ!」
「え? ナップはもうしたくないのかい?」
「え……って」
「俺は、この二週間ずっと、したくてしたくてたまらなかったのに。目の前にナップがいるのに、触れられないなんて生き地獄を味わってたっていうのに、一回だけで終わらせる気なんて、最初からなかったけど?」
「なっ………」
「それとも……ナップは、もうする気、ない? この二週間、一人でしたり、してたのかな?」
「っ………〜〜〜」
 ナップは真っ赤になってうつむく。一人でしてるなんて、そんなわけないだろう。目の前に先生がいるのに。大好きな人がいるのに。ただ親友たちもいるし、一日中遊び回って疲れてもいたし、頭がそっちの方に向かなかっただけで。
「さ、教えてよ、ナップ……?」
「〜〜〜〜っ」
 ナップは真っ赤な顔をばっと上げ、レックスに噛みつくようにキスをした。レックスは少し驚いたような顔をしたが、すぐにそのキスを巧みに受け止めて、体中を愛撫し、ナップを高みへと導いていく。
 ――そうしてその夜は、それこそ夜が明けるまで、上から下から前から後ろから立ちながら広げながら、手を変え品を変え繋がり続け、ナップは明け方にほとんど気絶するようにして眠りに落ちた(レックスはその後始末をして、自宅の風呂に入れて匂いがしなくなるまで体を洗い、鬼の御殿の寝床に戻し、といろいろ大変だったらしい)。

「邪魔をしてしまったかな?」
「え?」
 カイルの船で帝国へと戻る航海の途中、ウィルにそんなことを言われてナップはきょとんとした。そこにベルフラウが苦笑しながら続ける。
「二週間もあなたを私たちにつきあわせて、あなたの恋人さんには悪いことをしてしまったかな、って言っているのよ。まぁ、私たちとしても今回は譲る気はなかったけれど」
「そりゃ……そうだろ。俺だって今回はお前らと島のみんなを引き合わせたいっていうのが一番にあったんだから。先生だってそれで納得してくれてるはずだぜ?」
「でも、ずいぶんと不満な思いをさせてしまったみたいだし」
「そ、そりゃ……そうかもしんない、けど。……わかりやすかったか?」
「ある意味ね」
「え?」
 またきょとんとするナップに、アリーゼが真っ赤になりながら小さく囁く。
「あのね、ナップくん……首筋に、痕……」
「へ? ………!?」
 また数瞬きょとんとしてから、ばっ、と首筋を掌で隠す。自分は今たぶん真っ赤になっているだろう。それは、ああいうことをした後は体に跡がつくという知識ぐらいはあったが、それを真正面から指摘(しかも親友に)されるとは正直予想外だった。
「………いつから、バレてた?」
「君たちが昨夜ごそごそやってる時から」
「最初からっ!?」
「私たちは軍属になるための訓練を受けてるのよ、気づかないわけがないじゃない」
「朝もナップくん、なんだか眠そうだったし……それでどうかしたのかなーって観察してみたら、あっちこっちに痕が……」
「………………」
 ナップはもう真っ赤な顔でうつむくしかない。じゃあ朝に自分がぎりぎりで布団の中に戻ってきた時にもみんなと別れの挨拶をした時にもずーっと気づかれてたのかと思うと、もう恥ずかしいなんてもんじゃなかった。
「……知ってて黙ってたのかよ……」
「人がいるところで言えるようなことじゃないだろう」
「なんというかもう、もはやいろんな感情を通り越してごちそうさまとしか言いようのない状況ね。私たちに独占されながらもしっかりそういうことをしてたのかと思うと、腹立たしいというか呆れるというか、不潔! と怒りたいというか恥ずかしいというか」
「でも、そういう状況でも仲良くできるっていうのは、なんていうか、すごいなぁって……」
 三方から言われて、ぶすぶすと羞恥のあまり焦げつきながら船縁にぐたぁと寄りかかる。正直まともに親友たちの顔が見られない。
 が、ベルフラウの「そこまで仲がいいんだったら、軍学校に行くなんて回り道、しなくてもよかったんじゃないかしら?」という皮肉には、大きく首を振って叫んでいた。
「それは違う!」
「…………」
「………そう?」
「ナップくん……」
「そうだよ。俺は、この三年間、軍学校に行けて本当によかったって思う。そりゃ、先生と会えなかったのは寂しかったけど……何度も会いたい、そばにいてほしいって思ったけど……ずっとそばにいたら、見えないものが見えた。先生の考え方とは違う考え方をいくつも知ったし、俺自身の考え方っていうのもできてったと思うし……なにより」
 ぐるっ、と親友たちを見回して、きっぱりと言う。
「先生以外にも、すごく大切な奴≠ェできた」
『…………!』
「大切な人間は一人じゃなくていいんだって、世界はただ一人でいっぱいになるほど小さなものじゃないんだって、それがわかって俺、ちょっとは成長できたと思う。そりゃ、まだまだ鍛えていかなきゃならないとこはいっぱいあるけど……それでも、お前らと出会えたのは、他のいろんな友達と出会えたのは、絶対無駄じゃないしすごく大切なことだって思うんだ」
「…………」
「……ナップ。顔が赤いわよ」
「うるさいなっ、いいんだよホントのことなんだからっ!」
 自分でもかなり恥ずかしいことを言っている自覚はあったが、それでも本心なのは違えようがなかった。
 自分は、こいつらと出会えて、よかった。ウィルと、ベルフラウと、アリーゼと。ユーリと、クセードと、ガレッガと、先輩たちと、教官たちと、他のいろんな奴らと出会えてよかった。大切な奴らがいっぱいできて、護られるだけじゃない関係をたくさん知って、本当によかったと、心から思うのだ。
「……ナップくん」
「……なんだよ、アリーゼ」
 アリーゼはうつむき加減になりながら、小さく、囁くように言う。
「ナップくんは、私たちのこと、好き?」
「……好きだよ、当たり前だよ。大好きだよ。俺ら、親友だろ。お前らが困ったことになった時は、俺はどこにだって助けに行くよ」
 きっぱり言うと、アリーゼは顔を上げた。その泣き笑いに笑った顔に思わずどきりとした、と思うが早いか、すいと間合いを詰められて首が伸ばされ――
 ちゅっ。
「………――――!!!」
「……三年間の、思い出」
 そう言ってやっぱり泣き笑いに笑うアリーゼは、女の子らしくて、可愛くて、思わずぽかんと見つめてしまうくらい可愛くて――
 そうして見つめていると、ぐいっと体を引かれた。
 目の前にいるのはベルフラウ。その勝気な顔がにこりと笑って、だけど瞳がこっそり潤んでいるからその顔は強がりだとわかって、そのナップにはすごく女の子らしく見える顔がゆっくりと近づいてきて――
 ちゅっ。
「………………!!!!」
「……アリーゼとの、間接キスね、これって」
 そうおどけてみせるベルフラウの顔は、やっぱり強気に見えるけど強がりだっていうことがよくわかって、支えてやりたくなるくらい儚げに見えて、女の子らしくて、可愛くて――
 と呆然としている隙に、ぐいっと顎を引かれた。
 ――ちゅっ。
「……三度目の正直」
「………………」
 もはやなにも言えず呆然とするしかないナップに、三人の大切な親友たちは、アリーゼも、ベルフラウも、今キスしたばかりのウィルも、揃って笑い顔を向け、ぐいっと自分を引っ張った。
「さ、行こう! ナップくん」
「船長さんから仕事をいくつも言いつけられてるのよ?」
「やることはいくつもあるんだからな。これまでも――これからも」
 そう、これからも。自分たちとこいつらの未来は、離れきってしまうわけじゃない。
 そんな想いを感じ取り、ナップは一瞬泣きそうになったが、すぐに顔を笑顔に変えて親友たちを追った。
「おい、お前ら、待てよーっ!」

「――卒業生代表、答辞。生徒総代、ナップ・マルティーニ」
「はい」
 ナップはゆっくりと立ち上がり、式台へと向かった。ウルゴーラ軍学校、今年の卒業生と在校生代表、それに生徒の保護者となる面々が並んでいる講堂の一番前へ。
 誘拐事件のもろもろが解決したのち、ナップは生徒総代へとおさまっていた。そもそもが、ウルゴーラへの留学生という話自体マルジョレーヌをはじめとするウルゴーラに食い込んでいた無色の派閥の連中が画策した結果だったのだ。
 審議の結果、制度自体は残されることになったが、留学生同士をむやみに相争わせるようなやり方は見直されることとなった。ウルゴーラの生徒会役員がいなくなってしまったこともあり、ファルチカやベルゲンの生徒たちの合意も得て、事件を解決した(ということになっている)パスティス組、特にナップが生徒総代として選ばれることになったのだ。もちろん、それからもエーランドやライナーをはじめとした連中には生徒会役員として働いてもらっているのだが。
「本日は、我々卒業生のために、盛大な式を行っていただきありがとうございます」
 自分たちは、それぞれに、自らの望む道に進むことが認められた。ウィルとベルフラウは特別上級科へと進み、アリーゼは軍大学へと進んで医術を学ぶことを許された。クセードは海戦隊のキュアルと同じ隊に配属され、ユーリはアズリアの下で軍内の綱紀粛正のために働いているらしい。エーランドたちとライナーたちは、何人かは特別上級科へと進み、何人かは自分の所属する軍学校の大学へと進み、何人かはあるいは陸戦隊に、あるいは海戦隊へと進んだ。ガレッガ教官は戦うための技術を欲している生徒たちのために、パスティスに戻ることが決まった。
「入学してから、卒業するまで、言葉には尽くせないほどいろいろな出来事がありました。学び、鍛え、戦い、時には勝ち、時には負け。ただ、その中で我々は、よしにつけあしきにつけ、様々なものを得ることができました。あえて言うならば、その中でもっとも大きなものは、軍学校という殺すための技術を手に入れるための学び舎でこのようなことを言うのは奇妙だと思われる方もいるかもしれませんが――生きる≠スめの力なのではないかと思います」
 ナップも、無事――と言うには説得やら強弁やら、いろいろと面倒なことがあったが、軍関係の進路ではなく、郷里に戻って教師の職に就くという進路を学校にも認めさせることができた。式が終わったら、その足で保護者と父のところに詳しい説明に向かうと父にも了承してもらっている。大切な人たちには考えたことを明かし、時には驚き時には苦笑されながらも、頑張れと応援の言葉をもらった。アーガンらのような先輩たちにも、激励と元気にやっているという近況報告の手紙をもらった。だからナップは、心からの喜びと希望をもって、この席に着くことができたのだ。
「人は、いずれ必ず死にます。軍のような、戦いが身近にある場所では、特に死に見舞われることは多いでしょう。けれど、ゆえにこそ、人は自らの生に意味を求めるのだと――いかに生き、いかに死ぬのかということを、価値ある生というものを、自らに求めるのだと、このいずれは終わる軍学校という、いわば青春の時に教わった気がします」
 数々の大切な人たち。数々の大切なもの。その中からただひとつ選び取った、自分の未来。それも、軍学校に入学しなければ知ることはなかっただろう。他にも大切なものがあるから、世界がただひとつではないから、それでもひとつだけ選び取ったものにこれ以上ない価値があるのだと、知ることもなかっただろう。
「軍学校に入ってからの時間で、我々は、この先死ぬ時に、後悔せずに、自分は人生で為すべきことを為したのだと言えるための生き方を教わりました。あるいは友から、あるいは師から。この先の人生で、それを活かすことができるよう、全力を振るうのが教えを受けた人々に対する敬意の証だと思っています」
 ナップは、軍学校に入ってからの三年間で、何人もの人間を殺した。みな直接的にではなかったけれど、人を死に至らしめる手助けをした。
 無色の派閥や、紅き手袋の奴らを獄に繋いだ。そして、その者たちが死刑を受けるのを、抗議もせず見捨てた。
 スィアスも、シヴェタも、マルジョレーヌも、ジュスタンもドミニクも、ラザールも。彼らが死刑台に上がるのを、抵抗もせず受け容れたのだ。
 レックスが知ったら、さぞ悲しむだろう事実だけれども、ナップはそれをできるだけ真正面から受け止めようとしていた。自分が生き残らせる相手を選んだ結果、彼らが死んだのだということを。
 それが軍学校でさまざまなことを学んだ結果得た、ナップなりの、レックスとは違う考え方だった。レックスが出会う人すべてを護ろうとするなら、自分は大切な人たちを護るために剣を振るおう、と。
 レックスを悲しませないために、できるだけたくさんの人を救うために全力を振るうことになるだろうことは、疑いようもなかったが。
「卒業生を代表し、ここでもう一度心から感謝の言葉を申し上げ、答辞とさせていただきます。本当に、ありがとうございました!」
 わっと講堂中から浴びせられる拍手。その中で深々と頭を下げてから、ナップはゆっくりと顔を上げる。
 大切な人たちに礼を返すために、そして誰より大切な人を見つけるために。
 ウィルに、ベルフラウに、アリーゼに。他の仲間や教官たちに素早く礼を返していき、最後に保護者席へと目をやる。誰より大切な人、一番だと選んだ人、自分に世界を教えてくれて、ここにやってくる原因で理由になる相手に。
 顔を赤くしてぱちぱちと拍手をしてくるその人を一瞬で見つけ、思わずにかっと笑んでウインクを送る。講堂中がなぜかどよめいたが、ナップはそれよりもその人に、レックスにこのたまらない気持ちを伝えたかった。
 やっぱり、あんたに出会えて、俺、本当によかったって思う。大好きだよ、先生!
 ――と。

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