期末――ナップウィルを叱りつけるのこと

 夏のはじめ。パスティス軍学校に、試験の季節がやってきた。
 パスティス軍学校は三学期制で、夏、冬、春それぞれの学期末に一回ずつ試験がある。特に優秀な成績を取った者は上の学年で授業を受けることを許可され(正式に学年を飛び級するには年度が変わらなくてはならないのだが)、逆に成績の悪かったものは補習、そこでも成績が悪く改善の態度が見られなかった場合落第となる。成績の良し悪しは将来の出世に関係してくるため、どの生徒も必死だ。
 試験内容は筆記試験と実技試験に分かれ、筆記では授業で習った知識をいかに自分のものにしているかや戦術・戦略眼、実技ではその名の通り剣や召喚術の技術を試される。帝国でも最優秀な人間が集まるとされるパスティス軍学校のことだから、当然試験内容は授業内容と同様範囲が広く厳しいものだ。
 が、慌てる同級生たちを尻目に、ウィルは冷静だった。普段からきっちり予習復習をしておけば筆記試験など恐るるに足りない。実技試験についても同じだ。自分はこの学校の誰よりも修練を積んでいるという自信がある。才能にあぐらをかいて勝つために死力を尽くさない人間になど、負ける気はなかった。
 もちろん油断する気は微塵もない。普段よりより神経を集中し、勉強に修練にと精励恪勤するのは当然のことで――
「眉間に皺が寄ってるわよ、ウィル」
 教室で復習をしていたウィルに、ベルフラウが笑みを含んだ声をかけた。
 ウィルは眉間に思いきり皺の寄った不機嫌そうな顔で、ぎろりとベルフラウを睨む。
「君には関係ないだろう」
「確かにありませんけど。あなたの不機嫌って伝染性があるからうっとうしいのよ。周り中に自分のイライラを振りまくんですもの、雰囲気がピリピリしてしょうがないわ」
「べ、ベルフラウ……」
 アリーゼが困ったような顔をしながらベルフラウの服の袖を引っ張るが、ベルフラウはむしろ楽しげにアリーゼに笑いかける。
「飛び級した学年でも学年一位になれるかどうか不安なのはわかるけれど、その不安を周りにぶつけるのはやめてほしいと思わない、アリーゼ? 目の下に隈まで作っちゃって、眠れないのかしら。本当にウィルって神経質で小心者なんだから」
「ベルフラウ!」
 さすがにかっとして、がたっと立ち上がり真っ赤な目でベルフラウを睨むと、ベルフラウは不敵な笑みを浮かべた。
「言っておくけど私も学年一位狙っていますから。プレッシャーに負けて実力を発揮できないとかいうのだけはよしてよね」
「…………面白いじゃないか」
 ウィルは唇を噛んだ。ベルフラウが態度に見合うだけの高い才能と努力を怠らない意思の強さを合わせ持った強敵であることはよく知っている。
 アリーゼは困ったような泣きそうな顔をしてうつむいている。だがこの内気な少女の召喚術のセンスは自分を上回るとウィルは判断していた。身体能力こそ低いものの、座学も優秀で熱心、侮れない相手だ。
 だが、どちらにも負けるつもりはない。他の誰にも。自分は負けるわけにはいかないのだ――絶対に。
 周囲の遠巻きにしてちらちら視線を送ってくる有象無象の間に、自分たち学年でも目立つ飛び級優秀生徒たちが火花を散らす今の光景を畏れるような雰囲気が漂っているのを感じ取ったが、そんなものウィルにはなんの興味も持てなかった。

 授業を終えて、図書室で終了時間まで勉強して、寮の食事時間まで寮の裏手で訓練して、食事が終わってからまた同じところで訓練して。
 疲労のあまり石のように重い体を引きずって自分の部屋のドアを開けると、明るい声が自分を出迎えた。
「お帰りー!」
「…………」
 ウィルは隣の机からかけられたナップの声を無視して自分の机についた。これからまた勉強だ。
「無視すんなよ、ウィル」
 そう言われてもウィルは言葉を返すことなく自分の参考書とノートを開いた。今日図書室で借りてきた資料も使って、まずは試験範囲の総ざらえからだ。
 が、ペンを手に取ったとたんウィルは硬直した。ナップが後ろからぺたあと抱きついてきたからだ。
「な……っ、なにするんだ、離せ馬鹿!」
「無視すんなって言ったろ。お帰りって言ったらなんて答えるんだ? ちゃんと答えるまで離してやんない」
「……っ、ただいま!」
「はいよ。ったく、ホントお前って懲りない奴だよな。同じこと何度も繰り返してさ」
 苦笑しつつ体を離すナップを、ウィルは恨みがましく睨んだ。
 自分だってこんなこと何度もしたくはない。本当ならなにをされようが冷たく無視してやりたい。
 だがナップが繰り出す様々な攻撃に、ウィルはどうしても耐えられなくて同じパターンにはまってしまうのだ。
 二ヶ月前、ナップがウィルに友達になる宣言をしてから、ナップはしょっちゅうウィルにまといついてくる。食事、訓練、勉強、その他なにかにつけて一緒にやろうと誘ったり、強引に引っ張ってきたりするのだ。
 むろんウィルは全力でその行動を無視した。自分には友達など必要ない。むしろ自分の目的には有害だ。特にナップのような競争相手と仲良くするなんて冗談じゃない。
 口に出しても態度でも、何度も何度もそう言ったのだが、ナップは少しもめげない。手を変え品を変え自分をかまってくる。
「友達がほしいなら他を当たってくれ。君みたいな性格ならいくらでもお友達ができるんじゃないのか?」
 そう言っても、肩をすくめて、
「そりゃ最近はクラスで普通の友達もようやくできてきたけどさ。オレはいろんな奴とつきあって、いろんな経験したいんだ。そう約束したからな。だからお前みたいな面白い奴とも友達になりたいって思うわけ」
 そう言ってにっと笑うだけなのだ。
 ウィルは憤然としつつ参考書をめくって、勉強を始めようとする――そこに、ひょいとナップが顔を突き出してきた。
「ふーん。三年生ってこういうことやってんだ。やっぱ一年より面白そうだな」
「……君には関係ないだろ!」
「そうでもないだろ。この試験でいい点取ったら三年生の授業受けられるようになるかもしれないし――なあ、ウィル」
「なんだよ!?」
「一緒に勉強しないか?」
 ウィルはきっとナップを睨んだ。
「あと授業がもう一回りしたら試験だっていうのに、のんきなものだな。学年が違うのに一緒に勉強したってなんの意味もないだろう? それとも君には一年生の試験なんて屁のようなものだから意味があろうがなかろうが関係ないってわけかい?」
「そういうわけじゃないよ。ただ一緒に勉強したらわからないところとか教えあえるじゃん」
 ウィルはぎっとナップを睨んだ。
「教えあい? 君は僕のわからないところを教えられるような自信があるって言うんだね?」
「自信っていうか。わからないところって他人が見たら単純だったりすること多いし……」
「面白いじゃないか! ああ一緒に勉強するとも、君のその自信がどれほど正当なものか試してあげるよ!」

 ウィルの意気込みに反して、机をくっつけて始めた一緒の勉強は静かなものだった。二人とも現在の学年レベルの問題でわからないところなどほとんどないため、教えあいもへったくれもないのだ。
 ウィルはナップにわからない問題を出してやろうという気満々だったのだが、参考書をめくってみてもどの問題も理解できてしまうし、ナップにもわからないだろうというような確信を持てる問題などまったくない。唇を噛み締めながら、イライラと問題を解いていった。
 しばらくして、ナップが口を開く。
「ウィル」
「なんだよ」
 苛立たしげな瞳でナップを見つめるウィルに、ナップは自然な口調で問うた。
「お前、なんでそんなにムキになって勝とうとしてんの?」
 ウィルは思わず硬直した。ナップは気にした風もなく続ける。
「そりゃ成績にしろなんにしろ負けるより勝った方が嬉しいけどさ。お前の場合それが目的に取って代わってるって気がすんだけどな。俺たち別に勝ったり負けたりするために勉強してるわけじゃないじゃん。将来の役に立てたり、人生を豊かにしたり、楽しんだりするためだろ? なんでそんな躍起になってこんなちっちゃい勝ち得ようとするんだよ」
「――――ちっちゃくて悪かったな!」
 ウィルはバァン! と机を叩いた。怒りのあまり体中がふるふる震える。
「僕は勝つんだ。誰よりも上に行くんだ。将来は上級軍人になって、大元帥まで上りつめるんだ! だからどんな人間にも勝たなきゃいけないんだ、なんにもわかってないくせに偉そうなこと言うなっ!!」
 ナップは驚いて固まって、少し口を開けてこちらをじっと見ていた。ウィルは体を震わせながら荒い息をつき、ぎっとナップを睨む。
 ――と、頭がくらりとした。
「ウィル!?」
 ふいにふらついて机に突っ伏してしまったウィルに、ナップは驚きつつ立ち上がって手をかけた。ウィルは振り払いたいのだが、頭がぐわんぐわんと鳴り、体が痺れたようになって動かない。
 興奮したせいで睡眠不足が体にきたらしい。ウィルの睡眠時間はここのところ四時間を切っていた。ウィルはもともと睡眠時間が少なくても平気な質で、ここ三ヶ月の睡眠時間――五時間程度でも支障なくやってこれたのだが、三ヶ月間の過剰な勉強訓練時間を最近さらに増やしたのと、不眠気味だったせいで体にたまりにたまっていた疲労が感情の激発で爆発したようだった。
 それでもウィルは必死に、けれど自分でも腹立たしくなるほど弱々しく言う。
「君には関係ないだろ……放っておいてくれればすぐ元に戻るから……」
「関係ないわけないだろ、ルームメイトで、友達になりたいと思ってて! 医務室に――」
「やめろって言ってるだろ! ただ疲れてるだけなんだ、放っておけばすぐ治る!」
 その言葉に、ナップはじっとウィルを見た。
「ウィル。お前――もしかしてあんまり寝てないんじゃないか?」
「…………」
 沈黙で肯定すると、ナップは怒りもあらわにウィルを怒鳴りつけた。
「お前なぁ! きつい訓練したらきっちり睡眠時間取らなきゃならないってのはガキでも知ってるぞ! ましてオレたちは育ち盛りなんだから、きっちり眠らないと体に悪いに決まってんだろうが!」
「……君には、関係ないだろ……」
 ウィルは反論したが、その言葉は自分でもはっきりわかるほど弱々しかった。
 ナップはきっとウィルを睨んで言う。
「馬鹿言うな。同じこと繰り返し言わせるつもりかよ。それにな、オレはお前がムキになって俺より訓練しようとしてるの知ってたんだ。それなのに早めに寝て遅めに起きるくらいでなんにもしなかった。だから絶対今度は助ける!」
 自分は気遣われていたのか、とウィルは屈辱に奥歯をぎりぎりと鳴らしたが、ナップに面と向かって文句を言う気力はなかった。それに怒ったナップは、こんなことを言うのはひどく業腹ではあるのだが、少し怖い。
 ナップはウィルを軽々と抱えあげると、ベッドに寝かせた。上着を脱がせてベルトを緩め、楽な体勢にしようとする。
 ウィルは必死に体を起こそうとした。まだ今日のノルマが終わっていない。
「やめろよ……僕は勉強しなきゃいけないんだから、邪魔するな……」
「バカやろ、そんなふらふらでなに言ってんだよ。いいから今日はゆっくり休めっての。ちゃんと寝ろよ」
 ウィルは痛む頭を押さえつつ、必死にナップを睨み返す。
「僕に勉強をさせたって君にはなんの不都合もないだろう、まだ同学年じゃないんだから。君が一位を取るのにはなんの支障もな――」
「怒るぞ」
 ぎっと強烈な気迫をこめて睨みつけられ、ウィルはびくんと震えた。本気になったナップの視線は、戦場を駆ける将軍のように迫力があった。
 泣きそうな顔でうつむくウィルに、ナップはふう、とため息をついた。
「……なあ、ウィル。お前、勉強するの楽しいか?」
「え?」
 なにを言い出すんだろう。勉強っていうのは楽しいものであるはずがないだろうに。
 だがナップは真剣な顔で言う。
「勉強っていうのはな、訓練もそうだけど、楽しいものなんだって。知らないことを知るのは、できないことができるようになるのは、大変で辛い時もあるけど楽しくて嬉しいものなんだって。それがそう感じられないのは、どこかで無理をしてるせいなんだって」
「………………」
「無理しなきゃどうしようもない時もあるけど、いっつも無理してばっかじゃもたないよ。無理して無理して頑張っていい点取ったって、また試験はすぐやってくるし、試験を受けなくてよくなってもやらなくちゃいけないことはどんどん出てくるんだぜ。終わりなんかないんだ。だから、頑張るのもいいけどちゃんと休みも取らないとな。――先生がそう言ってた」
 ウィルは反論したかった――だが、ナップの声があんまり穏やかで、なにか大好きなもののことを話している時のように優しかったので、ウィルは口を挟めなかった。
 先生っていうのは、きっとあの人のことだ。初めて会った時に言っていた、彼の一番大切な人。一ヶ月前に手紙が届いたって大喜びして、無視する自分に構わず手紙が来てたまらなく嬉しいことを体中で表現していたっけ。
 あのあと長い長い返事を書いていた。ナップは本当にその先生とやらが好きなんだ、と思うと、なんだか胸が少し疼いて、ウィルは布団で顔を隠した。
「子守唄歌ってやろうか?」
「いらないよ……」
 ナップは少し笑って、布団にもぐりこんだウィルの体をぽん、ぽんと何度も叩く。
 その感触に、体温に、胸がまた少し疼いたが――ウィルはすぐにことっと眠りに落ちた。ここ数年なかったくらいに深く。もしかしたら生まれて初めてというくらいに安心した気持ちで。

「見たか、試験の順位? あのアルダートが一位だってよ。しかも全教科満点に近い成績で」
「おいおいマジかよ? あいつ二年も飛び級してんだろ? 俺たちの立場ねえじゃん」
「けーっ、たく天才様は違いますねえって感じだぜ」
 そんな雑音が各教室から漏れ聞こえてくるのを無視して、ウィルは試験順位が張り出してある廊下に急いだ。職員棟と教室棟の間にあるその廊下には、一年から六年まで全ての学年の順位が張り出されている。
 三年の順位のところまで来ると、ベルフラウとアリーゼに会った。
「あら、学年首席のお出まし? あなたが私より遅く来るなんて珍しいわね」
 ベルフラウはくすりと笑った。聞きようによってはかなり皮肉っぽい言葉だが、聞いていると嫌味には感じられない。
「……あの、ウィルくん、おめでとうございます……すごいですね」
「ありがとう」
 アリーゼにおずおずと祝いの言葉を述べられ、ウィルは小さく礼をした。アリーゼ自身は筆記と召喚術の試験ではウィルと同等だったものの、身体能力試験でひっかかって全体としてはトップグループの真ん中くらいに位置している。
「私も今回は自信があったのにね。また負けてしまったわ。悔しいけれど、ここはあなたを褒めてあげるべきなんでしょうね」
 悔しいと言っているわりに平然とした顔でベルフラウが言う。ベルフラウはウィルと数点差で二位につけていた。
「無理に褒める必要はないよ。……一つ聞きたいんだけど」
「なに?」
「……ナップを、見なかったかい?」
 ベルフラウとアリーゼは顔を見合わせ、小さく笑った。
「……なんだよ、笑ったりして」
「別に、なんでもないですわよ? ただあなたたち、同室なのに意思の疎通がないなあと思っただけ、私たちと違ってね」
 ベルフラウとアリーゼは女子寮で同室だ。
 ウィルは顔をしかめた。
「どういう意味だい」
「さっきナップも私たちに同じ質問をしにきたのよ。ウィル見なかったかって。見てないって言ったらまだ調子悪いのかな、って心配そうにして、三年の順位を見てウィルが一位なのか、あいつやっぱりすごいなって嬉しそうにしてましたわよ」
「…………!」
 ウィルはさっと顔を赤らめて、踵を返した。すたすたと早足で歩み去るウィルの背中に向けて、ベルフラウが声をかける。
「ウィル! ナップは全教科満点で学年首席でしたわよ!」
「……っ、聞いてないだろ!」
 ウィルはそう叫ぶと、その場から走り去った。

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