建国祭――ナップとウィル友達になるのこと

 帝国第五席執政官第二子にして現在はパスティス軍学校三年首席のウィル・アルダートは、夏期休暇のあの瞬間から二ヵ月半、ずっと後悔していた。
 彼の心中は、『ああなんで僕はあの時ナップにあんなことを言ってしまったんだろうなにを考えてるんだ僕はおまけに顔を合わせるのが照れくさくて寝たふりをするだなんて僕の嫌う子供のようなやり方だとしか言いようがない僕の馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿!』……というようなもので、要するに彼は自分のやったことが恥ずかしくて恥ずかしくてしょうがなかったのだ。
 自分の言葉や行動がひどく子供じみて感じられた(事実子供なのだが)。ナップととても顔を合わせられない、そう思っていた。
 しかしナップと自分は同室であり、寮規を守ろうとするとどうしても寝る前には顔を合わせねばならないのだ。あのあとベッドに運ばれて、とても目を開ける勇気がなくて寝たふりをしているうちに眠りこんでしまい、明けて翌朝。ナップはごく当然という顔をして「おはよ」と声をかけてきた。
 恥ずかしがっている顔など見せてたまるか! と必死に表情を取り繕って自分もごく当然という顔をしてみせたが、その裏では『ああ恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい、穴があったら入りたい!』とか思っていたのだ。
 一人になるとこっそり頭を抱えこんだりしていたが、その程度では発散されなかったのか、二ヵ月半経った今になってもナップの顔を見ているとふと猛烈に恥ずかしく、照れくさくなって心臓がドキドキしてしまうことがある。そんな時は顔が赤くなっていませんようにと願いながらそっぽを向いて手元に集中しているふりをするのだ。
 ナップはなんら変わったことがないような顔をしてごく普通に接してくるのに、こちらは時々逃げ出したくなるほど恥ずかしくなってしまう。
 自分が自分らしくない行動を取っているのはわかっているけれどもどうすれば元に戻るのかわからない。そんな宙ぶらりんな体勢のまま、ウィルは二ヵ月半を過ごしていた。

「ウィル! なにやってんだよ、早く行こうぜ!」
 部屋に勢いよく飛びこんできて、ナップはそう叫んだ。
 ウィルは困惑と苛立ちを当分に混ぜこんだ顔を作って、机の前からナップを見る。ナップの顔は嬉しげな笑みを作り、頬は赤く上気して、興奮しているのがはっきりわかった。
「扉を開ける時は静かにやってくれないか。なにをそんなに騒ぐことがあるんだい」
 ナップは心底呆れた、という顔をした。
「なに言ってんだよお前。本気で言ってんのか? 今日は建国祭じゃんか!」
「建国祭――ああ、確かに今日だったね」
 建国祭。それは新たな巡りの祭りと並ぶ、帝国最大の祝祭である。
 帝国設立を記念するこの日は、帝国ならどんなに小さな村でも祭を行うのが普通だ。帝都ウルゴーラには劣るものの、帝国有数の都市である工船都市パスティスでも当然祭は行われる。
 山車が出て、パレードが行われる。屋台が出て、吟遊詩人たちが歌を奏でることだろう。工船都市には工船都市だけの祭というのもあるが、建国祭はひとつ桁が違う祭だ。この日ばかりは規律に厳しい軍学校といえども終日休業、生徒も教官も街に出て馬鹿騒ぎをすることが許される。
「でも、僕には関係のないことだ。人込みは好きじゃないし、祭も嫌いだから」
 ウィルがそう言うと、ナップはぽりぽりと頭をかいて、それから真剣な顔になって言った。
「なんで?」
 ウィルは一瞬言葉に詰まった。
「なんでって……疲れるし。騒々しいのは嫌いだし……」
「我慢できないくらいか?」
「……我慢できないとは、言わないけど」
「じゃ、一緒に行こうぜ」
 そう言ってぐい、とウィルを立ち上がらせ手を引っ張る。
「ちょ、ちょっと!」
「オレ、お前と一緒に祭見に行きたいんだ。行ってみてどうしてもいやだっていうんなら諦めるからさ、一回ぐらいつきあってくれよ」
「き、君は友達がいっぱいいるんだろ!? そいつらと一緒に行けばいいじゃないか!」
「そりゃ、いるけどさ。オレはお前がいいんだ」
「え……」
 ウィルは思わずかあっと頭に血が昇るのを感じた。そしてすぐ頭を振って血を下げようとする。なにを赤くなってるんだ、僕は。
 ナップは楽しげに笑いながら言う。
「オレ、誰かと一緒に建国祭を見るの初めてなんだよ。なんかすっげー楽しみ!」
「…………」
 ウィルは顔を赤くしながら、口の中だけで呟いた。
 僕だってそんなの初めてだよ。

「おじさん、イカ焼き二つね!」
「はい、毎度! 軍学校の学生さん?」
「そうだよ。わかるの?」
「はは、そりゃあその制服は有名だからね。はい、あがり! 制服汚さないようにお食べよ」
「わかってるって!」
 そんな会話を何度も交わしつつ屋台を次から次へと渡り歩く。
 またたくまに両手の中が食べ物で満杯になり、ウィルは思わずため息をついた。ウィルは基本的に食が細いし、上流階級の上品な料理に慣れている。こういう屋台のような庶民的な料理が大量に並べられているのを見ると、なんだかげんなりとしてしまうのだった。
「なんだよウィル、全然食べてねーじゃん」
「……君が食べればいいよ。僕、食欲ないから」
「そーいうこと言うなって。とりあえずそのイカ焼き一口食べてみろよ」
「…………」
 ウィルは懐疑的な目つきでイカ焼きを見つめた。たれをかけられて紫色と茶色の中間ぐらいの色に染まっているイカは、ひどく体に悪そうに見える。
 だがナップはにこにこしながらじっとウィルとイカを見つめている。まあ一口くらいなら体に害もないだろう、と湯気の立つイカの頭をはくりと控えめにかじって――目を丸くした。
「おいしい……!」
「だろ?」
 得意げなナップ。
 思わずはぐはぐとイカ焼きをかじってしまうウィルに、ナップは説明した。
「イカが新鮮ならこーいう風にちょっと味付けしてただ焼いて食うのが一番うまいんだよ。ここ港だもん、新鮮な魚介類はいくらだって手に入るだろ」
 確かに軍学校で一番うまいとされている料理は新鮮な魚介類をふんだんに使ったブイヤベースだ。だがそれを屋台の食べ物にまで当てはめて考えようとは思いつかなかったウィルは、思わずまじまじとナップを見つめてしまった。
「どこで知ったの、そんなこと。君だって帝国有数の豪商の跡取りなんだから、そんなこと知る機会普通なかっただろうに」
 ナップは照れくさそうに頭をかく。
「家庭教師の先生に、教えてもらったんだ」
「……ふうん」
 そう答えた自分の声には、我ながら冷たいものが潜んでいた。
 ナップは怪訝そうな顔をしてウィルを見たが、口に出してはなにも言わずパレードの方に向き直る。
「こっからじゃよく見えないな……上に行こうぜ」
「上?」
「そ、上」
 ナップはにっと笑うと、背後にある倉庫の上に伸びている鉄柵を示した。

 ウィルは食べ物を持ったままではそんなところに登れないと主張したのだが、ナップはウィルの荷物を片手に抱えこみ、そのまま片手でらくらくとてっぺんまで登ってしまった。
 教官に見咎められたら減点される、と言いたいところではあったがそれが正当でないことはウィルの方がよく知っている。建国祭はよほどはめを外さなければ教官も生徒も相身互いでお互いを見咎めないのが不文律になっているのだ。
 しぶしぶ鉄柵の上へと登ると、ナップがん、と食べ物を出してくる。一応受け取ったが、ウィルは足でバランスを取りつつ受け取ったものを逆にナップに差し出した。
「君も食べてよ。いくらなんでも全部は食べきれない」
「そうか?」
 じゃ、遠慮なく、などと言いつつナップはいくつか食べ物を受け取った。足をぶらぶらさせながら、串焼きをかじったり飴を舐めたりしながらパレードを楽しげに見ている。
「見ろよウィル、すげーなあれ! 蝶みてーなカッコ! ハデハデだよなー!」
「……そうだね」
「うわ、山車の上に織物が載ってる。なんでだ?」
「たぶん、織物店の山車なんだろう。宣伝を兼ねてるんだと思うよ」
 などと埒もないことを話しつつ、二人でパレードを眺める。ウィルはこっそりとナップの様子をうかがった。
 ナップはかすかに楽しげな笑みを浮かべて、今は焼き菓子をかじりながらパレードを眺めている。ふいに右手を薄桃色の唇に近づけ、ぺろりと舐めた。焼き菓子の蜜が手についたらしい。
 ナップの年相応に小さな手が唇を覆っている。あの手が二ヵ月半前僕の肩を抱いたんだな、などとちらりと思ってしまい、たちまちのうちにその時の感情が思い出されてきてウィルは勢いよく頭を振った。思い出すな、こんな時に!
「ウィル」
 ウィルはふいに声をかけられて一瞬絶句したが、必死に平静を装って答えた。
「なんだい」
「まだオレにお前のこと、わりと∴ネ上に好きにさせる気になんない?」
「………!」
 ウィルは体中が熱くなるのを感じた。きっと自分の顔は真っ赤になっているだろう。
 震える声で言う。
「なんのこと?」
「お前がいやだってんならいいけどさ。恥ずかしがってるだけならそろそろ覚悟決めてほしいんだけどな」
「なにを言っているのか、わからない……」
「ホントにわかんないのか?」
 じっと見つめられて、ウィルはうつむき、のろのろとかぶりを振った。
「君がなにを求めているかなんて、僕には全然わからないよ……」
 あんな情けない自分を見たあとで、君がどう思うかなんて。僕はこれまでずっと、誰にも、ただの一人にも、自分の心を明かさずに生きてきたんだから。
 ナップは笑って言った。
「そんなに固くなんなよ。別に求めるとか、そんな大げさなことじゃないんだ。ただ、お前さえよけりゃそろそろちゃんと友達になろーぜってこと」
「……………」
 ウィルは思わず息を呑んだ。
「……なんで?」
「なんでって?」
「なんで君は僕にそんなにかまうんだ。僕の――あんな情けないところを見ておきながら」
 ナップは苦笑した。
「人間なんだから、情けないとこや恥ずかしいとこの一つや二つ持ってるのが普通だろ。友達になりたいってのは、そーいうとこ全部ひっくるめた、いいとこも悪いとこもあるお前と、友達になりたいっていう意味だぞ」
「…………」
 ウィルはまたうつむいた。
 なんで君は――そうなんだ。今まで僕と相対した人間は、みんな僕の性格を嫌がって距離をおいてきた。ベルフラウだって僕の性格を面白がってはいるけど親しくはしていない。アリーゼはむしろ僕から遠ざかりたがっている。
 それでいいんだと思ってきた。一人の方がいいと思ってきた。
 なのに――君はいつまでたってもすぐそばで僕のことを見つめていて、話しかけ続けてくれるから。僕がどんなことを言っても、無視するでなく、愛想を尽かすでなく、反応を返し続けてくれるから。
 一人じゃないんだ、と錯覚してしまうじゃないか。君だって、どうせすぐ僕のそばを去っていってしまうに決まってるのに。
 そんなのは間違ってるのに、君のそばは心地よいって、思ってしまうじゃないか。
「……まるで、子供みたいだ」
 ウィルはぼそりと言った。
「なにが?」
「すべきことは決まってるのに、ほしがっちゃいけないものをほしがってしまう。そんな習性、僕はとっくのとうに捨てたはずだったのに」
 ナップはくすり、と笑った。
「いいじゃんか別に。大人だってそうだよ。大人だってしなきゃなんないこととしたいことの間で迷って、本当にしなくちゃいけないのかどうかいつも考えてるんだ」
「……自分が大人みたいに言うんだね」
「大人の人に聞いたことがあるんだ。オレが早く大人になりたいって言ったら、大人だってそんなに変わらないよ、って」
 空の星を見上げて、目に懐かしげな色を浮かべて。
「大人だって子供だってどうしようもない気持ちっていうのが生まれることはある。大人にしか子供にしかわからない気持ちが生まれることもある。でも、どちらも重要なんだって。その時その時の気持ちも大切にしなくちゃならないのは子供も大人も同じだって」
「馬鹿な。感情に流されていいことなんてあるわけがないだろう」
「そうでもないだろ。だって俺たちを動かしてるのは気持ちだもん。気持ちがなかったら生きてる理由だってなくなっちゃう、それならどんな気持ちだってちゃんと向き合うのは当然だろ?」
「…………」
 確かに、そう、かもしれない。
「だからオレは自分なりのペースで、できるだけ急いで大人になるんだ。あんまりさっさと大人になっちゃったら、なんかいろんなの取りこぼしちゃいそうだから。子供の時間だって子供の気持ちだって、ちゃんと重要なんだって先生言ってたもん」
「やっぱり、先生なんだ……」
「え?」
「……君には、僕は必要ないだろう。だって僕は、君の一番じゃないんだから」
 ふっとそんなことを口にしてしまい、ウィルは真っ赤になってナップに背を向けた。これじゃまるで自分がナップの一番にしてほしいみたいに聞こえるじゃないか。
 ナップはしばらくの間黙っていたが、やがて笑った。
「拗ねんなよ、そんなことで」
「拗ねてないっ!」
「あのさー、友達って一番がいりゃ他の奴誰もいらなくなるもんか? そうじゃないだろ? いろんな奴がいて、そりゃ誰が大事っていう順番はあるにしろ、それぞれにそれぞれの居場所があるから友達やってるんじゃないのか?」
「…………」
 ウィルは息を呑んだ。
 それぞれに、それぞれの居場所―――
 そんなことは、考えてもみなかった。自分にとって居場所とは自分の力で勝ち取るもので、軍学校では首席の居場所を、軍に上がれば上級軍人、やがては大元帥の居場所を欲していたはずだった。
 なのに――こんなに簡単に。あっさりと。ごく当たり前のように――
(ああ)
 ウィルは自分の目に涙が浮かぶのを感じた。
(僕は、ずっと、その言葉を聞きたかった気がする)
 与えられる幸福。本来なら勝ち取るべきものである居場所を、当然のものとして受け取れること。
 それは人としてあるべき姿ではなかったかもしれない。退歩というべきものなのかもしれない。
 だが、生まれてこの方それを与えられなかった自分は、ずっとそれがほしかったのだと、無条件に与えられるものがほしかったのだと、ようやく気づいた。
(情けない……)
 でも、それも本当の自分だ。心のどこかで父に、母に、兄に言ってほしかった。死力を振り絞って努力しなくても、我々は君のことを愛していると。
「……もし僕が首席じゃなくなっても、そう言える?」
「当たり前だろ」
「勉強しなくなっても? 軍学校をやめても、そう言える?」
「お前がそうしたいって思ってそうするんならな。寂しくなるから文句はいうだろうし、場合によっては取っ組み合いの喧嘩だってするかもしれない。でも、お前がちゃんとお前なら友達やめたりなんかしない。するわけないだろ」
「…………」
「……ウィル?」
 ちょっと不安になったような、わずかに揺れる声。
 彼も決して大人じゃないんだ、とわかって、ウィルは小さく笑った。自分ほどではないにしろ、彼もまだ子供なのだ。
 ウィルは目元を拭うと、ゆっくりとナップの方を向いた。
「僕と……友達になってくれる?」
 ナップの顔に心底嬉しげな笑みが広がる。
「うん」
「僕たちのどちらかが死ぬまで友達でいてくれる?」
「どっちかが死んでも。別れた時に友達なら、自分が死ぬまでずっと友達だよ」
「………うん」
 今にも走り出したくなるくらい恥ずかしかったが、ここは鉄柵の上だ、そう簡単には逃げ出せない。覚悟を決めて、すっと右手を差し出した。
 ナップが破顔して、右手を差し出す。そっと相手の手を握り締める。
 ナップの手は、年のわりにはひどく硬かったけれども、暖かかった。
「……そんなところでなにをなさっているのかしら、あなたたちは?」
 面白がるような声が下から聞こえてきて、ウィルは慌てて下を向いた。そこには軍学校の制服を着た女子が二人、こちらを見上げている。
「ベルフラウ……! アリーゼまで!」
「まったくあなたがたときたら、握手をするのにそんなところまで登らなければできないの? 同じパスティス軍学校の一員として恥ずかしいわ」
「ご、ごめんなさい……私は見ちゃダメって言ったんだけど……」
「……どこから見てた?」
「心配しなくていいわよ、あなたたちは口に出さなくちゃ友達になれないのかとかからかったりしないから」
「………! ベルフラウ!」
 ふふっ、と笑ってベルフラウは空を見上げた。
「もうすぐ花火よ。祭も終りね」
「ごまかすなよ!」
「ごまかしてないわ。建国祭に花火を見逃すなんて馬鹿なことしたくないでしょう? ……ほら!」
 どーん、と音がして、空に大輪の華が咲いた。パスティスにはさほど高低差が存在しないため、海から上げる花火はよく見える。
 色とりどりの華は確かに見惚れてしまうほど見事だったが、ウィルは羞恥のあまり死にそうになっていた。ぐっと唇を噛み締めて下を向く。
 と、肩をつつかれてウィルは顔を上げた。ナップが少し顔を赤くして、照れくさそうにしながらも笑って言う。
「とりあえず、恥ずかしがるの後回しにして花火見ようぜ。せっかくの祭なんだから」
「…………」
「せっかく二人で祭見に来てるんだから、さ」
 そう言った瞬間ナップの背後の空で黄金色の華が咲く。
 ウィルの心臓はその瞬間、なぜかときり、と跳ねた。

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