新学期――四人同級生になるのこと

 ナップは鏡の中をのぞきこんで自分の格好を確認し、一人うなずいた。
 大丈夫、完璧だ。襟元も曲がってないしズボンにも皺はついてない。襟章も校則通りの場所でキラキラと輝いている。
 ――四年生を表す、緑の襟章が。
 うん、とナップは嬉しげな笑顔でもう一度うなずいて、振り向いた。
「よっし完璧。行こうぜ、ウィル」
「まったく、身だしなみの確認なら歩きながらでもできるだろうに」
「そう言うなって。せっかくの新学期なんだからちょっとくらい気合入れたっていいじゃん」
「君が新学期に際して気合を入れたところなんて僕は見たことがないけど?」
「今回は特別。だって――」
 扉を開けて待っていたウィルの手を引いて、二人一緒に部屋を出る。
「今年はお前と同級になれたんだもん」
「…………」
 ウィルは無言だったが、その言葉に横顔がさっと朱に染まった。

「えっとー、四年の表は……」
「ウィル! ナップ! こっちよ!」
 クラス分けの表の貼ってある廊下を歩いていると、ふいに喧騒を貫く少女の澄んだ声が聞こえてきた。
「ベルフラウ、アリーゼ!」
 手を振る二人の少女に、ナップたちも手を振り返して駆け寄る。
「ごらんなさい。私たち全員同じクラスですわよ」
「え? あ、ホントだ!」
「妙だな。成績優秀な人間はクラスをばらけさせるのが普通だろうに」
 ベルフラウとアリーゼは顔を見合わせて、くすくすと笑いあう。
「ウィルったら、そういう観点からしか考えられないの? これは単純に、問題児をひとつところに集めて監視しやすくしただけよ」
「問題児ぃ?」
「なんだいそれは。心外だな」
 ベルフラウは笑みを浮かべながらからかうような口調で言う。
「ウィルは講師のささいな間違いを指摘するのが大好きでしょう? 最近はそうでもなくなってきたけど、以前は周囲とのトラブルも絶えなかったしね。ナップはしょっちゅう喧嘩騒ぎを起こすじゃない。いじめを止めに入ったとか、因縁をつけられたとか理由はいろいろあるにせよ」
「えー!? だってオレは自分から喧嘩吹っかけたことなんてないぜ?」
「僕だって間違ったことはひとつもしていない。間違いがあったら指摘するのは生徒として当然の義務じゃないか」
「だからよ。間違ってないから罰することもできなくて先生方も苦労してるんじゃない」
「そーいうベルフラウはどーなんだよー」
「私? 私は品行方正な優等生ですから」
「……ベルフラウは女子生徒と男子生徒の軋轢に首を突っ込んでは男子生徒をさんざんにやっつけてるからね。男の講師に対してもいつもそうだから、学校側も問題児と認定したんだろうな」
「なるほどな。じゃあアリーゼは?」
「……私、すぐ涙ぐんじゃうから……」
「アリーゼは女子からも男子からも可愛がられてるから、泣かせた講師や生徒はクラス中から村八分にされるのよ。そういうことが去年はわりと多かったから」
「あはは、お前ら、そんなんじゃ三年でも相当有名だっただろ?」
 ウィルとベルフラウはナップをじろりと睨み、声を揃えて言った。
『君(あなた)には言われたくない』
「なんでだよー」
「自覚ないの、この校内一の有名人。帝国一の講師陣を誇るパスティス軍学校の白兵実技講師を全員叩きのめすような新入生のくせして」
「講師の間でも有名だよ、君の存在は」
 と言いつつも、実際はナップのみならずウィルもベルフラウもアリーゼも校内では相当の有名人だった。なにせ二年も飛び給している上に学年でもトップの成績を保持しているなんて、そんな存在は十年に一人や二人ぐらい。それが同学年に揃ってしまっているのだから、注目を集めるのは当然だろう。
 今も揃って話をしている周りで、『おい、見ろよあの飛び級三人組だぜ』『あの最強新入生もいるぞ』『今度同学年になったからな。天才は天才同士ってか』などと囁き合っている。
 同年齢ということで同列に扱われることが多かったナップも一気に同学年になってしまったというので、この四人はますます一まとめで注目を集める存在になっていた。
「でも、飛び級するだろうとは思ってたけど一気に二年とはね。所定の授業取るの、ずいぶん大変だったんじゃない?」
「あーもー思い出させんなよー……最後のほうは死ぬかと思うくらいマジきつかった」
「早寝早起きが信条のくせに、僕より遅くまで勉強してたものね……でもその甲斐あって全部いい成績で上に進めたじゃないか」
「ま、な。ウィルが手伝ってくれたおかげかも」
 ちょっと照れくさそうに鼻の下を擦るナップに、ウィルも恥じらったように目を伏せる。それを見てベルフラウとアリーゼはくすっと笑った。
「あなたたち、つきあい初めの恋人同士じゃないんだから。こっちまで恥ずかしくなるようなことしないでくれる?」
「な……! だ、誰がこ、こいっ……」
「半年前から急速に仲良くなったけど。いつまで経っても慣れないわね、あなたたち」
「き、君にはそんなこと関係――」
「あ! おい、早く行こうぜ! 教室でいい席取れなくなる!」
「あ、ちょっと、ナップ!」
 走り出すナップを、ウィルたちは慌てて追った。

「私が一年間君たちの担任を勤める、スィアス・バウセンだ。召喚術の講師の一人でもある。以後、よろしく」
 そう言ってにこりと微笑んだスィアスは、水色の髪と瞳をした優しげな雰囲気の男だった。見たところ二十代の後半というところ、講師にしてはずいぶん若い。
 だがスィアスは手馴れた様子で一年間の行事説明、授業カリキュラムの説明などを行っていく。どうやらクラスの担任になるのは初めてではないようだった。
「それでは、次に委員の選出を行う。まず学級委員は――」
「はいっ!」
 一人の男子生徒がばっと手を上げた。周囲の視線がその生徒に集中する。
 その生徒は眼鏡をかけた神経質そうな男子だった。細面に紺色の髪がその印象に拍車をかけている。
「フィンメル・レンゴット……」
 ウィルが思わずといったように呟く。
「知り合い?」
「というほどじゃないけど。去年何度か話しかけられたから覚えてるんだ。『君のような若さに任せて調子に乗っている人間はいずれ破滅するんだぞ!』とかなんとか」
「……なんだそりゃ」
「たぶん、嫉妬だと思うよ。彼は成績優秀だけど実技が足を引っ張って飛び級できないとか、なのに自分は飛び級できるけれどじっくり勉強するためにあえてしないのだと言いふらしているとかいう話を聞いているから」
「はー……」
 さらりと言うウィルに、ナップは少しばかり呆れて声を上げた。自分の場合は少なくとも去年は(腕がかけ離れすぎているせいか)ねたみとかそねみとかそういうものをぶつけられたことはなかったのだが、これからはそういうこともありうるのだろうか。しれっとしているウィルに少し感心する。
「立候補、フィンメル・レンゴット。他には誰かいないかな?」
 教室は静まり返っている。将来出世する時に上に受けがよくなるので多くの生徒は委員を好んで引き受けるが、その中でも桁違いに仕事の多い学級委員を引き受けようという生徒はそうそういなかったらしい。
「お前はやんないの?」
 ウィルに囁くと、きっぱりとした声音で囁き返された。
「いくら評価が高くなるって言っても雀の涙だ。仕事に対して割に合わないよ。それよりも僕は自分を磨くことに力を注ぎたい」
「なるほど」
 ぽそぽそと囁きあっていると、ふいに「はーい」と手を上げた男子生徒がいた。制服をだらしなく着崩した、茶髪碧瞳でちょっと男前、だがいかにも遊んでる不良生徒という感じの男子だ。
「ユーリ・ヴァース。立候補かい?」
「いーえ。推薦でっす」
「ふむ。誰を?」
「ナップ・マルティーニくんを推薦しまーっす!」
「え!?」
 ナップは仰天した。この生徒とは一度も面識がない。なのになんで推薦されるんだ?
「ふむ。ナップ・マルティーニ。推薦を受けるかい?」
「え、いえ、あの……」
 教室中の注目を浴びて、ナップはとりあえず立ち上がった。なにか返事をしなければならない。
「オレ、戦技委員をやりたいんで。辞退します」
 戦技委員というのは白兵実技の時間に講師を手伝って準備やら後片付けやらをする委員である。伝統的に白兵実技に優れた生徒が行うことになっている。
 ナップは去年一回この委員をやり、性にあっていたし実技講師との練習時間も多く取れるので今年もこれをやるつもりだったのだ。
「えー、いいじゃんいいじゃん。このガッコ始まって以来の天才少年だったら地味ーな戦技委員なんかより学級委員の方が似合ってるって」
 あからさまに冷やかし混じりの野次を飛ばすユーリという生徒。ナップはややむっとしてその生徒を睨んだ。こいつ、オレに喧嘩売ってるのか?
「オレは戦技委員がやりたいんだよ」
「委員は本人の希望が優先だ。ユーリ、君の推薦は悪いが却下させてもらうよ」
「へーい」
 ユーリは気にした風もなくにやにや笑っている。なんとなく苛立ってきっと気迫をこめて睨みつけてやると、さすがに気づいたのかナップの方を向いて、なぜかウインクをひとつ飛ばしてきた。
 ナップは反応に困り、とりあえず銃で撃つ真似をしてみる。ユーリはもんどりうって倒れる真似をした。
「なにをやってるんだ」
「いや、ちょっと……」
 そんなことをしている間もスィアスはてきぱきと議事を進行させていく。学級委員はフィンメルに決定。アリーゼは図書委員、ベルフラウは美化委員。用務員さんを手伝うとお菓子が出るからこの委員をやるのだとさっき言っていた。
 ナップは希望通り戦技委員に収まった。相棒はクセード・ウォルムという名の男子生徒。十五歳(飛び級してなければこの年齢のはずだ)とは思えぬほどのごつい大きい体を持つ生徒で、目が合ったので笑いかけてやると無表情に目礼された。
「この一年間、いろいろと大変なことはあるだろうが、私にできることなら助けになるので、気軽に声をかけてほしい。一年間、共に頑張って学んでいこう」
 にこりと浮かべた優しい笑い。いい人そうだな、とナップは思った。もし先生が意地悪だったらどうしようと涙ぐんでいたアリーゼも、ほっとしたように微笑んでいる。というか、頬を赤く染めてぼうっとスィアスを眺めているように見え、ナップはかなり驚いた。
 まあ、アリーゼみたいなタイプはああいう優しそうな人に惹かれるのかな。あの先生ずいぶんお人好しそうだし。

 ――が、教室を移動して始まった召喚術の授業で、その印象はかなりくつがえった。
「諸君、私は君たちにさほど多くを望まない。ただ私の授業についてこれる程度には努力してほしいだけだ。むろん、私の予想を超えて努力を見せてくれた生徒にはより高い内容の授業を行うことを約束しよう」
 そう冒頭に言い放つと、いきなり黒板にカッカッカッカ、とおそろしく複雑な呪文式を二つ書き記し、振り返って言い放つ。
「まず君たちの能力を見せてもらいたい。この呪文式のうちより効率がよいのはどちらか? 上だと思うものは手を上げたまえ」
 展開の早さについていけずほとんどの生徒がまごまごしてしまったが、ナップは必死に呪文式を数秒時間をかけて見比べてから手を上げた。ウィルとベルフラウ、アリーゼも(ナップより早く)手を上げている。他にはクセードとフィンメルも手を上げていた。
「では、フィンメル。上の呪文式からアルド方式による最適呪文式に変えるためにはどの部分をいじればいいか答えたまえ」
 ナップは思わず唇を噛んだ。そんなのとっさに出てくるもんじゃない。必死に考えてこの辺りかな、というのは思いついたのだが今ひとつ自信がない。
「え……あ、あの……三番目と八番目の単語の後尾、ですか?」
「違う。君は三年生でなにを学んできたのだ? アルド方式は三年生の必須方式だぞ。……では、アリーゼ・スーリエ」
「あ、あの………五番目と七番目の単語の後尾と、最後の単語の活用部分、だと思います……」
 その答えに(ちなみにナップの考えた答えとは一部違っていた)、スィアスはに、とどこか怖さを感じさせる笑みを浮かべた。
「正解だ」
 ……その調子でスィアスはど難しい問題をびしばしと出しまくり、生徒たちに揃って冷や汗をかかせまくってようやく終わった。
「諸君の実力はほぼわかった。上の段階にいる者と下にいる者の差がずいぶんと大きいようだな。まあいい。次回の授業では四十頁まで進め、それを下敷きにより高度な召喚技術について話す。最低でも教科書の四十頁までは完璧に理解してくるように。以上!」
 そう言い放つとさっさと召喚術教室から出ていってしまう。生徒たちは思わずはあ、と息を吐いた。それはナップたちも例外ではない。
「……なんか、すげえ人だな……」
「こんなに授業を難しいと感じたの初めて……」
「……歯ごたえがあっていいじゃないか。面白い、次回は絶対に完璧に答えてやる」
「ったく、負けず嫌いだなウィルはホント……アリーゼはどうだった?」
「え!?」
 ぼうっとしていたアリーゼは、びくりとしてナップを見る。
「あ、あの……私……あの……」
「うん」
「私は……楽しかった……けど」
 その答えに、ナップたちは思わず苦笑、脱力した。

 次の時間は白兵実技だ。全員運動着に着替えて運動場に集合する。
「ベルフラウは弓、アリーゼは杖なんだったよな?」
「ええ。自慢じゃないけれど、距離をおいて戦えばたいていの相手に勝つ自信はあるわよ」
 などと話しながら待つことしばし。実技講師たちがぞろぞろとやってきた。
 だが少しばかりその様子が変だ。大勢でひとつところに集まって、真ん中のひときわ体の大きい講師を押したり引っ張ったりしているように見える。
 見ない顔だな、とナップは眉を寄せた。この学校の白兵実技講師全員としょっちゅう剣を交えているナップが知らないということは、新任の講師だろうか。
 とにかく講師たちは生徒たちの前までやってきて整列し号令をかける――が、新任らしき講師はだるそうにあくびなどしている。顔が赤いところを見ると、酔っているのかもしれない。
 整列した生徒たちの視線はその酔っ払い講師と高等部白兵実技主任セルドールの顔の間をさまよった。セルドールもそれに気づいたのか、苦笑しつつ言う。
「これから三年間君たちの白兵実技の面倒を見るセルドールだ、よろしく――といってもほとんどの者は我々の顔も名前も知っているだろうな。まずは新任の講師を紹介する。ガレッガ・ビフェールドだ。……ガレッガ、挨拶を」
 そう言われてガレッガはのろのろと目をこちらにやり、どろんとした目で面倒くさそうに口を開いた。
「ガレッガだ。ま、せいぜいよろしく」
『………………』
 あからさまにやる気のないその態度に、ナップのみならず全員呆れた。これで本当にパスティス軍学校の講師か?
「……まあ、こういう男ではあるが……彼は数ヶ月前まで前線で戦っていた極めて優秀な軍人だ。彼の剣技はきっと君たちの刺激になるだろう――そうだ、ガレッガ。優秀な生徒と模範試合を見せてはくれないか。君の実力を生徒たちにわかってもらうためにも」
「そりゃま、やれって言われりゃやりますがね」
 ガレッガはふわあとあくびをしつつぼりぼりと頭を掻いて、言った。
「そんじゃ、誰でもいーから強い奴出てきな」
 ナップはその言い草になんとなくかちんときて、ばっと手を上げた。見るとクセードも一緒に手を上げている。
「ふうん、二人か――そんじゃ、二人同時にかかってこい」
「はあ!?」
 ナップは思わず叫んでいた。それじゃ試合形式を取る意味がない。
「なんで二人同時なんですか」
「そっちの方が実戦に即してるだろ?」
「模範試合を見せるのが目的なんじゃないんですか? 目的から外れた行為だと思いますが」
 これはウィル。
 ガレッガは面倒くさそうにぼりぼりと頭を掻く。
「ったく、面倒くせえな。言っちまや、お前たちなんぞ何人同時にかかってこられようが一緒だってことなんだよ」
「…………!」
 かちんときた。猛烈に。
「冗談じゃ……!」
「俺は一対一の勝負を望みます」
 ぼそっと、低い声で言ったのはクセードだった。
「あなたと、一対一で戦いたい」
 気を削がれてクセードを見やるナップ。ガレッガはふ、と息を吐いた。
「ま、どーしてもっつーんなら別にいいがね。そんじゃお前からだ。かかってこい」
 クセードが進み出て練習用の斧を構える。クセードは斧使いか、と思いつつ眺めている先で、講師たちも後ろに下がっていった。
 クセードの構えを見て、ナップは感心していた。構えからすると、こいつかなりできる。
 別れた時のスバルほどじゃないけれど、帝国軍の兵士の水準から見てもかなりの高水準だ。
 睨み合うこと数十秒(ガレッガの武器は大剣だった。やる気なさそうに構えもしなかったが)、クセードが動いた。
 思い切り振り上げて、振り下ろす。武器の特性をよく知ってるやり方だ、とナップは内心思った。斧なのに腰が流れてない。体重を利用した重い斧の一撃をまともに受ければ、たいていの人間なら押されてしまう。
 ――が、その瞬間、クセードの武器は叩き落とされていた。
「………え………?」
「な……なんだ? なにが起きたんだ?」
「全然見えなかったぞ……」
 生徒たちがざわざわとざわめく。ウィルやベルフラウ、アリーゼも困惑しているようだった。
 だが、ナップは戦慄していた。
 あいつ、一歩も動かなかった。かわしようがない軌道だったはずなのに。
 ガレッガは一歩も動かないまま、クセードの斧を目にも止まらぬ速さで、構えもしていない状態でクセードが斧を振り下ろし始めてから斧を横から吹っ飛ばしたのだ。
 その技――優秀の一言で済まされるようなものではない。
「…………」
 クセードはなにも言わず、ただガレッガに視線を合わせたままあとずさって斧を拾った。まだやるのか、というようにガレッガがこれ見よがしにため息をつく。
「………………!」
 クセードは斧を下からすくい上げるように、突撃しつつ遠心力を利用して振り回した。狙いは脇腹、あれがまともに当たれば練習用の武器とはいえ肋骨の一本くらいはぽっきりいくだろう。
 ガレッガは片眉をひょい、と上げると――目にも止まらぬ速さでみぞおちを突いた。
「!」
 クセードはどうっ、と一m近く吹っ飛んで倒れる。意識はかろうじてあるようだったが、急所を突かれ息ができない様子だ。
 すかさず講師たちが駆け寄る。思わずしーんとする生徒たちの前で、ガレッガは退屈そうにふああ、とあくびをした。
「次はお前だな」
 す、と大剣で顔を指され――ナップの体の奥で、ごう、と炎が燃え上がった。
 怒りではない。ある意味それよりもっと熱い、戦いたいという熱気のようなものだ。
「……大丈夫かい?」
 ウィルが無表情で聞いてくる。だがそれは感情を抑えているだけで、瞳には心配そうな色が映っているのがナップにはわかった。
「任せとけ」
 それだけ言ってガレッガに向き直り、構える。ガレッガは構えはしなかったが、くいと唇をひん曲げた。
「もしかしてお前さんが話に聞いた天才少年か? この学校の実技講師を全員叩きのめしたとかいう」
「……たぶんね」
 自分の他にそういうことをやった生徒がいるとは聞かないから、たぶん自分のことだろう。
「ふうん……ま、まあまあ使えそうなのは確かだけどな。……来な」
 ガレッガがそう言ったとたん――
 ナップは疾風のごとく動いていた。
 絶妙の足運びと体重移動で、瞬時に間合いを詰め迅雷のごとき突きを放つ。
「………っく!」
 ガレッガはぎりぎりで対応した。わずかに体をずらしつつ、ナップの大剣に自分の武器を添えるようにして軌道をずらしていく。
 だが、ナップはそこから即座に剣を滑らせ、ガレッガの手首を狙って斬りつけた。ガレッガは打たれる寸前に大きく飛び退り、かろうじてかわす。
 ナップはすっと大剣を構え、ガレッガに相対する。ガレッガは――目つきが変わった。
 さっきまでとはうって変わった真剣な瞳でナップを見つめ、すっと大剣を構える。
 しばし視線を交わしあい――今度動いたのはガレッガが先だった。リーチを生かした遠距離から、大きく振りかぶっての一撃を放つ。
 ナップはその軌道を読み切って受け流しもせずに間合いを詰める――だがその一撃はフェイントだった。見かけより力を抜いた一撃だったらしく、途中で瞬時に軌道を変えてナップの首を狙う。
 しかし、ナップもその一撃を読んでいた。あえて防御を捨てて、体全体を使っての突きをガレッガに放つ。
 ガレッガの攻撃が到達するよりナップの突きの方が早い。勝てるか、と思ったが、ガレッガは倒れるようにして身をかわし、脇でナップの大剣を挟みこんでしまった。
 これは外せない、と悟ったナップは、手を放してガレッガと逆方向に転がるようにして攻撃をかわす。そして即座に立ち上がった。
「…………」
「…………」
 周囲の生徒が唖然と見守る中――ナップは思わず笑みを浮かべていた。
 強い。こいつ、強い。
 嬉しかった。自分よりも強い人間がそばにいれば、自分はもっと強くなれる。あの人に、先生に近づける――そう思うとぞくぞくした。
 ガレッガも立ち上がり、ナップの剣を下に落としている。だが、ナップは大剣に固執するような愚を犯す気はなかった。
 間合いを詰める――ガレッガは容赦ない一撃を振り下ろしてきたが、ナップはそれに数瞬早く反応し五分の見切りで剣先をかわしていく。
 かわしながら移動して――ガレッガが剣を振り下ろしきった瞬間には、後ろに回りこんでいた。
 ガレッガが振り向くよりも早く膝裏に蹴りを入れる――かくん、とガレッガの膝が折れる。
 ガレッガを地面に倒すべく、飛び上がって後頭部に蹴りを入れようとする――だが、ナップは素手戦闘にそこまで熟達してはいなかった。力が入らずかするだけになってしまったところへ、ガレッガの振り向きざまの強烈な一撃が脇に入った。
「………っ!」
 体重の軽い哀しさ、ナップは数m吹っ飛んで地面をごろごろ転がった。骨は折れていないだろうが、息が苦しい。
 だがそれでもまだ負けではない、と立ち上がり――
「そこまでっ!」
 気が抜けて、へたへたとへたりこんだ。

 ナップは試合後、ウィルの付き添いで保健室に直行と相成った。ナップは大丈夫だと主張したのだが、講師たちが認めてくれなかったのだ。
「……大丈夫かい」
 ウィルが感情の感じられない声で言う。ナップは苦笑した。
「悪かったな、心配かけちゃって」
「べ、別に僕は心配してなんか! ただ、君が怪我したら問題だと思って……!」
 とたんに顔を真っ赤にして叫ぶウィル。ホントわかりやすい奴、とナップは内心笑った。
「でも、オレ楽しかった」
「……そうなの?」
「これまで学校に自分より強い人いなかっただろ? でも、今日とりあえずの手近な目標ができた。修練のし甲斐もあるってもんだろ?」
 ぐっと拳を握り締めて、呟く。
「すげえ、ワクワクする」

「どうですか、ナップ・マルティーニは」
 授業後、同僚の講師の一人がガレッガに聞いた。ガレッガは数ヶ月前まで現役の、帝国軍でも有数の戦士だったとあって、数年先輩程度では自然敬うような口調になってしまう。年齢もガレッガの方が上だということもあるが。
 ガレッガは、無表情で片付けを続けている。講師は陽気にお喋りを続けた。
「いや、実際大した腕の持ち主でしょう? 私なんか数合いともたずに剣を叩き落されましてね。主任ですら叶わなかったんだから当然ですが。まさに天才というか……」
「あいつは天才じゃあないですよ」
 ガレッガがぼそりと言った。
 返事を期待していなかった講師は、驚いてガレッガを見る。ガレッガは無表情のままぶつぶつと半ば独り言のように呟いていた。
「もちろん素質は高い。並外れているといってもいい。だが、素質だけであそこまで剣を振るえるんだったら、それこそあいつは数百年、いや千年に一人の大天才でしょうが――そこまでじゃない。そこまでの素質を持つ者は人間じゃありえないと俺は思いますがね」
「で、ですが現に……」
「だから素質だけじゃない、ってことだ。あいつは優秀な素質の上に、とんでもない経験を積み重ねて今の腕を築いてるんですよ。それも実戦の経験があるはずだ、一度や二度じゃなく。剣を脇に挟むなんてとんでもないことをやられても動じもしない、冷静に状況を判断して武器を放す。武器を拾うことに固執せず素手でも勝利するために全力を尽くす――そのしぶとさ、柔軟さは死闘をくぐりぬけなきゃ身につかないもんだ」
 ガレッガはふう、と息をつき、空を見上げる。
「あの年でそこまでの経験を積んでるとは。ただの天才よりよっぽどとんでもない。とんでもないガキがいたもんだ――」
 そして、にやりと笑みを浮かべた。
「これはさすがに、この仕事、本気でやらなきゃならねえな」

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