もつれあう真実と感情

 初めて感じた感情に戸惑って暴走したクノンを動けなくして説得し、感情について説明して納得させた。
 アルディラもクノンを大切に思っていることを示してくれたし、この二人のことはもう大丈夫そうだな。

「はい、それじゃ今日の学校は、これでおしまいだ。宿題にしてあった作文明日、集めるから忘れず持ってくること。いいね?」
『はーい!』
 今日も青空学校は上天気。みんなと帰りの挨拶をして授業の後片付けをしている俺に、ナップが声をかけてきた。
「作文の宿題、みんな困ってるみたいだぜ?」
「考えたことを文章にする練習のつもりで出したんだけど、難しかったかな?」
 首を傾げる俺に、ナップは苦笑する。
「なかなか書きにくいよ。将来の夢、なんてさ。オレだって、まだ書けてないんだもん」
 ……もん!? もんって……非常に子供っぽくて、そ、その微妙な語尾の上げ下げとあいまって抱きしめたいくらい可愛い……!
 だがそんな感情を見せるわけにはいかない。俺は奥歯を食いしばって微笑んだ。
「そんなに難しく考えなくて、いいと思うんだけどなあ……」
「そういうわけにもいかないんだってば。それより、今日の授業始めちまおうぜ? 早く終わらせないと、宿題、間に合わなくなっちまうからさ」
 そう言ってやれやれというように目を閉じるナップに(この表情がまた子供っぽくて可愛いんだこれが)、俺もうなずいた。
「よし、それじゃ始めるとするか」

 本日の授業は異界についての知識を深めるということで、各集落を順番に回ることにした。まずは機界集落ラトリクスからだ。
「……とまあ、ここにある品々を見て回ってわかったと思うけど、ロレイラルの機械は道具を、より高度に発展させたものってことなんだ。「科学」と呼ばれる機界ならではの技術体系によってね」
 軍学校で習い、自分でも調べて学習した薀蓄を傾けると、ナップは真剣な顔でうなずいてくれた。
「なるほど……」
「ロレイラルはどうやら他の世界と比べると、極端にマナの力が少ないらしいんだ。だから……」
「ピピピッ!?」
「どうしたんだ? アール」
 ふいに騒ぎ出したアールに、くそーせっかくのナップとの二人っきりの時間なのにー! という気持ちが半分、ごめんアール、また君のこと忘れてたよ……という気持ちが半分の声をかけると、アールは急に嬉しげに叫んで走り出した。
「ピッピピ〜ッ!!」
「ちょ……っ!? おい、どこ行くんだよ、アール!?」
 アールのあとを追って走り出したナップを追って、もちろん俺も走り出した。アールを心配する気持ちが半分、授業中なのにナップと別れてなるか! という気持ちが半分――というのは、やっぱり……不純だよなぁ。

「ここは……」
「どうやら、なにかの工場みたいだな」
「工場?」
「ロレイラルの工場はリィンバウムのとは違って、人手を全く必要としないんだ。機械が、機械をつくるなんてことが当たりま……」
「そんなことよりも今は、アールを探すのが先だってば!?」
「あ、うん……」
 ごめんナップ……ナップに少しでも先生らしいことができるのが嬉しくて、ナップに感心してもらえるかな? なんて甘いこと考えて、つい……ナップに薀蓄傾けるのが楽しかったんだよー!
 しょぼんとする俺の耳に、嬉しげな高い声が聞こえてきた。
「ピピッピピ〜ッ!!」
「アール!?」
「……あっちだ!」

「ピピピッ♪ ピーピピッ♪」
「アール……よかったあ……」
 ナップはアールを抱きしめて(こんなときでも『羨ましい……』って思ってしまう俺は末期だろうか。だろうな……)ほっとしたように言った。
「ピピッ?」
「ダメだろ? 勝手にどっかに行ったりしたら」
「ピピプー……」
 しょぼんとするアールを苦笑しながら見やって、俺はふと気づいた。アールの後ろにある、あれは……。
「いったい、どうしてこんな……」
「どうやら、原因はこれみたいだよ、ナップ?」
「ピピピッ♪」
 缶詰になっているそれを持ち上げ、俺はナップに笑いかけた。
「それ、もしかして……食べ物か?」
「この工場は、きっと召喚獣のための食料を加工する施設なんだ」
「ピーピピッ♪」
 またも薀蓄(というか、推測)を傾けると、ナップは考え深げにうなずく。
「なるほど……それで……」
「まだ、食べられそうなのは、それひとつだけみたいだけどね」
「ピピッ! ピピピッ!」
「わかった、わかった。帰ってから、ちゃんと食べさせてやるから落ち着けってば?」
「ピピッピピ〜ッ♪」
「はははは……」
 ご機嫌なアールに、俺とナップは苦笑を交わしあった。……ちょっと幸せ。
「それじゃあ、今日の授業は、ここまでだ。さあ、戻ろうか」

「なあ、先生はどうして、軍学校に入るって決めたんだ?」
「え?」
「作文の参考に、ちょっと、聞きたいなって思ってさ……やっぱ、軍人になるのが夢だったからか?」
 子供らしい好奇心に満ちた表情でナップは俺の様子をうかがっている。ああそういう表情も可愛い、と毎度お馴染みのやに下がりを心の中に押しこめつつ、俺は少しばかり表情を改めて言った。
「どうだろう……もしかしたら夢のために、軍人になろうとしてたのかもしれないな……」
「どういうこと?」
「強くなりたかったんだ。どんなことにも負けない、強い自分になりたくてさ。そのための方法を教えてくれる場所が、俺にとっては、軍学校だったんだろうな」
「どうして、そんなに強くなりたいって思ったんだ?」
 ……別に、隠しているわけじゃないし、ナップにだったら知ってもらいたいとも思うけど。
 なにもかもを全部話してしまうのはやっぱり少し覚悟が要ったし、ナップにすぐ受け止めてもらおうとするのも酷いと思ったので、俺は目を細めて笑みの表情を作った。
「うん……前に、ちょっとだけ話したよね? 俺の両親が、事故で死んだってこと」
「うん……」
 とたんに目に見えてしょぼんとするナップ。その顔も可愛いけど、俺はそういう顔を見たいとは思わない。急ぎ気味に話を進めた。
「あの時、俺はまだ小さくて、なにもできなかったんだよ。泣いているだけで父さんや、母さんのために、なにひとつできなかった……」
 今でもはっきり覚えている。あの時の感情――思い出したくはないけれど。
「その時、思ったんだ。もう絶対、こんな悔しい思いだけはしたくない、ってね」
「……」
「子供だったんだなあ、きっと……。自分が強くなれば側にいる人たちを傷つけさせたりしない、守ってあげられる。そう思って、軍人になるって決めたんだ」
 どんなに強くなったって、俺に守れるのはほんの少しの存在だけなのに。
「ごめん……なんか、イヤなこと聞いちゃって……」
「気にすることないよ。俺が勝手に、話したことなんだから。偉そうに言っても実際、俺は今ここでこうしてるわけだし。あははははっ、なかなか、思ったとおりにはいかないってところかな?」
「それは違うよ!」
 ふいにナップがきっとこちらを見つめ、怒鳴るようにして言ってきた。俺はきょとんとしてナップを見る。
「え……?」
「だって、先生は今オレたちのこと一生懸命、守ってくれてるじゃないか?」
 ナップ……。
 ナップはにこっと笑って、俺に言う。ナップの一生懸命な気持ちが伝わってくる。自分の気持ちを俺に伝えようとしているのが。
「オレはそう思ってる。みんなだって、きっとわかってるさ」
「ナップ……」
「だから、もっとさ。胸を張ったっていいと、オレ、思うよ」
「そっか……。うん、そうだよな。ありがとう、そう言ってもらえると、なんか、うれしいよ」
 ――うれしいどころか、ナップが俺のことを心底認めてくれているというのがたまらなくて、なんだか俺は泣けてきそうだったのだが、教師としての意地でそこはぐっと堪えた。

 ヴァルゼルドをまた助けたり、ジャキーニさんたちと一緒に海賊の宝を見つけたりしたあと、俺は考え事をしながらいつの間にか集いの泉まで来ていた。
 俺が剣の持ち主である限り、帝国軍の襲撃は続く。なんとかして決着をつけなきゃならない。
 ――と、突然剣戟の響きが聞こえてきた。
 ここから近い。俺は急ぎ足で音のした方へ向かった。
 戦っていたのはヤッファだった。なんだか亡霊のようなものと爪を交えている。急いで助けに入ろうとしたら、ヤッファに近づくな、と言われた。
「こいつらはあんたの剣に反応して、力を増すんだッ!!」
 なだめるように声をかけて亡霊たちを消してから、ヤッファはぐらりとよろめく。慌てて助け起こすと、怒られた。近づくなと言っただろう、と。
 だがその声も途中で途切れた。ふいに赤い光が輝き、ヤッファが急激な発作を起こす。そしてヤッファは――ばたりと倒れた。
 慌ててヤッファの家まで送っていく。あんな発作を抱えながら戦うなんて無茶だ、と言うとヤッファはわかってやってるんだからいいんだ、と言う。
 召喚獣にかけられた誓約は、召喚したものに反逆するのを、苦痛で押さえつける。それを承知でヤッファは逆らい続けているのだそうだ。
 この島には結界によって封印された大きな力がある。碧の賢帝を抜くたび封印は弱まっていく。封印が消えれば島中の生物めがけその力は襲いかかり、島中の生物を亡霊のような姿にしてしまうのだそうだ。
 でも、その封印された力がなんなのか、ヤッファは教えてくれなかった。
 俺は考えに考えて――ナップやカイルたちと一緒に、島の外から来た人間だけで遺跡に調査に向かうことに決めた。
 ヤッファもキュウマも、情報は小出しにして教えてくれるけど根幹的な話は教えてくれない。俺にはまだ言いたくないことがあるみたいだ。
 島のみんなはそれぞれなにか隠してる。それは護人同士争わなくちゃいけないほど、彼らにとって重要な話だ。なにを言っても多分話してはくれないだろう――なら、いっそのこと渦中に自ら飛びこんでいってしまうのはどうだろうと思ったんだ。
 もちろん危ない賭けなのはわかってる。これは博打だ。だけど俺は帝国軍と早く和解がしたかった。このままじゃ何度でも争いが繰り返される。たくさんの人が傷つく。もしかしたら、ナップも――
 それを避けるために、できるだけのことはしておきたい。真実を知るためにやれることは全部しなくちゃならないと思ったんだ。
 ――そうすればあの二人が自ら傷つこうとするのを、止めることができるかもしれない。
 迷惑をかけることになるかもしれないのに、みんなは一緒にいくと言ってくれた。ごめん……ありがとう、みんな。
 喚起の門に着いた。一瞬それを止めるような思考が俺の中を走ったが、俺たちは足を止めず遺跡に向かう。
 遺跡は戦争のせいだろう、ぼろぼろになっていた。そこらじゅうに人の骨が転がっている。
 遺跡の中に入るべく扉を開けようと碧の賢帝の光を放つ。予想通り扉は開いてくれたが、亡霊たちも反応して俺たちに襲いかかってきた……。

 俺たちは亡霊を倒し、遺跡内部に入った。遺跡の中――この島の中枢はひどくごちゃごちゃしていた。サプレス、メイトルパ、シルターン、ロレイラル――四つの世界の力を統合して制御するシステム。これじゃ引き出される魔力も桁外れのはずだ。
 目的に応じて魔力の属性を変換することもできる――それはまるで伝説の、四界の意思をたずさえ悠久に、楽園の守護者となるべき者――
「誓約者……エルゴの、王……」
 ナップが思わずといったように漏らした。
 とにかく遺跡を起動させてみようということになって、俺は抜剣する。と――
『つながった……ようやく、完全な形でつながった……長かった……断たれた回路をつなぐための部品を、見つけ出すまでの時は……同じカタチ……同じ輝きの魂……これこそ、まさに「適格者」なり。全てを「継承」し完全なる力の解放をもたらす……封印を解き放つ鍵よ! 新たな「核識」となりて断たれし「共界線」を再構築せよォォッ!!』
「ア……!?」
「……先生?」
 剣の声が聞こえたかと思うと、なにかが――なにかとてつもなく大きなものが、俺とは違うものが、なにかひどく禍々しいものが凄まじい勢いで俺の中に入りこんでくる。心も、体も、その『なにか』に侵食され、飲みこまれ――
「あ、アア、ァ……ガ、ぎギッ、あ……」
 俺という存在が、なにか別のものに書き換えられていく………!
「や、メ……ろ……あああアアぁぁぁァァ0F1A01AFアアあ0あFァ01ぁEァ0ぁFァ11ァ!?」
「先生、しっかりして! 先生えぇぇっ!?」
 ナップの声が遠い。届かない。ナップの声を意識することすらほとんどできない。俺の意識は膨大な信号の流れの中に浮いている棒切れみたいなものだった。信号に押し流され、飲みこまれ、やがては消えていく……。
 自分の周りでなにか騒いでいる。それもほとんど意識に上らなかった。ただひたすら流れこんでくる信号の中、意識を保とうとするのが精一杯で。
『オー、ト……っ、ディフェン、さ、作動、魔障壁、展開……』
『照合確認終了……継承行程、読み込みから、書き込みへと移行中……』
 圧倒的な情報の流れ。俺の精神は全てその情報に押し流され、押し潰され、構築しなおされて別のものへと変わっていく。
「あ、ああ……っ」
 消える……俺が……消えてゆく……別のモノに……変わってゆく……。
『あきらめたら……いけない……』
「!?」
 膨大な情報の中で、浮き上がるメロディのように誰かの言葉が聞こえた。
『繰り返しちゃ……いけないんだよ……君は……僕と同じになったら……ダメなんだ!』
「君、は……」
『意識を強く……心を、すませて……』
「あ……っ!?」
 一瞬だけ俺の意識が自分を取り戻した、その時――
「しっかりしろよッ!」
 ―――ナップ?
「アンタ、言ったろ!? オレのこと、絶対に守ってくれるって!」
 ナップ。そうだ――俺は確かに、この子と約束した。
「側にいてくれるって、あの時、そう言ってくれたじゃないか!?」
 ナップ……。
「約束……っ、破るのかよぉ……? 負けるなよ……っ、そんな剣の力なんてわけわかんないモノになんて……っ。負けるなよッ!? 先生えぇぇぇぇっ!!」
 ナップ―――
 そうだ。俺は約束したんだ。
 自分で決めたんだ、ナップを、俺の生徒を、いつの間にか世界で一番愛しい存在になっていた子を、俺のできる限りそばにいて、外敵からも寂しさからも、守り続けてあげたいって。
 ナップを、慈しもうって。
 負けちゃダメだ。俺にはナップがいるんだから。まだ彼を守って、育てて、見つめていかなくちゃ、見つめていきたいって思うんだから。
 だから―――
「う……っ、ウオオォォォォォッ!」
 光が満ちて、爆発して、全てのものを呑みこんで――
『回線、遮断……ッ。ば、バカ、な……ッ。シス、テム……ッ、だ、ダ、ダウ……ッ。ギ!? ア、アアァァァァ……ッ!?!?』
 流れこんでくるものは、その思考を最後に消えた。

「心配をかけちゃってゴメンよ、みんな」
 まだ抜剣姿のままそう言うと、みんなまだ呆然としてたみたいだけど、ナップがものすごい勢いで俺の方に駆けてきた。
「せんせえっ!?」
「ナップ……」
 普段の姿に戻る。ナップは泣いていた。その大きな瞳からぽろぽろ涙をこぼしていた。
 心臓がぎゅうっと痛んで、俺も泣きそうになったけど、俺はナップを保護する存在だ、泣くわけにはいかない。その代わりにそっと微笑んだ。
「ありがとう……君が呼んでくれたから、俺、目を覚ますことができた……」
「うう……っ、うわあぁぁぁんっ!!」
 ナップは泣きながら俺に抱きついてきた。俺はこんな時だというのにひどく嬉しい気持ちになりながら、ナップを優しく抱き返す。
 ナップ。ナップ……ありがとう。俺、君が愛しいよ。こんな気持ちになったのは生まれて初めてなんだ。誰かを抱きしめたい、誰かに抱きしめられたいと思うのは……。
 ごめんね、心配かけて。泣かせてしまって本当にごめんね。でも、俺は全部受け止めるから。君の俺を慕ってくれる気持ちも、泣きたい気持ちも、君がもういいって言うまで側にいて、話を聞いて、辛くなった時には抱きしめてあげるから、だからいくらでも俺にぶつけてくれていいんだよ。
 ナップ……。

 そのあとヤッファがキュウマを殺そうとしたので、止めに入って説得し、命を奪い合うことも捨てることも俺は認めない、と言った時イスラが出てきた。
 イスラはこの遺跡を押さえて島を支配すると言い、俺はそんなことはさせないと戦闘に入った……。

 結局イスラは遺跡から撤退。俺たちは重苦しい気持ちで遺跡を後にした。
 キュウマもヤッファも事情を話してはくれなかった。考える時間がほしいと言って。
 俺たちも無理強いはできなかった。彼らの抱えていた秘密はひどく重く、言葉にするのに強い決心が必要なのはわかっていたからだ。
 だが、いつまでも待っていることはできない。俺たちも含めて、その秘密に、真実に向かい合わなくちゃいけない。その時は本当に、間近に迫っている。

 食事を済ませたあと、俺たちは三々五々それぞれの部屋に戻った。全員騒ぐ気分ではなかったからだ。
 だが、俺が部屋に入ろうとすると、当然のような顔でナップがついてきた。これはきっと話したいんだなと見当をつけ(前にもあったし)、俺は微笑んでナップを迎え入れた。
 もちろん内心はけっこうドキドキもので、なにか進展があるんだろうか、いやいやそんなこと考えちゃダメだ、という思考のループを繰り返しているのだが、今日は煩悩よりもナップへの愛しさが勝っている。おかげで少しは冷静に話ができそうだ。
 ナップは椅子に背もたれを前にして腰掛け、こう切り出した。
「今日は、大変だったよな」
「そうだね。ナップも頑張ったね」
 ナップのしたことを考えると俺としては抱きしめて褒めまくりたいところだが、他のみんなだって頑張ってくれたんだ。特別扱いというか、ひいきするみたいでよくないだろう。
 ナップはちょっと笑った。
「命を奪いあうことも捨てることも、俺は認めない、か……そう言った時の先生、ちょっと、カッコ良かったぜ」
「か、からかうなよ」
 改めて言われるとなんだかすごく恥ずかしい……でもナップが! 俺のことを、カッコいいって! ちょっとでもカッコいいって!
 う、嬉しい……思わず目が潤みそうになってしまう。
 ナップは、俺の言葉に大きく笑った。
「ホントだってば。なんか、正義の味方って感じだったもん」
「正義の味方だなんてかいかぶりすぎだよ。俺はただ、周りの誰かが傷ついたり、悲しんだりするのが見たくないだけ。自分の身勝手をとおしてるだけだよ」
 これは本当に、心底そう思う。俺はただわがままなだけなんだ。人が傷つくことや悲しむことが苦手で、嫌で、耐えられなくて必死になってしまうだけ。他のみんなは我慢しているようなことでも、俺は我慢できなくて手を出してしまう、それだけなんだ。
 別に道徳的に優れているとか、そういうんじゃないんだよ。
 だが、ナップは小さく微笑むと言った。
「身勝手でも、別にいいと思うけどな」
「え?」
「だって、先生の身勝手って、絶対に自分以外の人のことを考えてるじゃないか」
 ……それは……。
 ナップは目を優しく和ませて、言葉を続ける。
「最初は、正直呆れてたけどさ。なんとなく、わかってきた気がするんだ」
「ナップ……」
「誰かを守るために強くなる、か……どうせなるんだったらオレも、そんな軍人目指してみようかな?」
 ……ちょっと、複雑な気分だな。俺はナップに、俺みたいな人間にはなってほしくないんだけど。
 俺みたいな情けない人間には。
 そのあとしばらく授業のことなんかを話して、時間を確認すると、俺はナップの肩に手をかけた。
「……そろそろ帰った方がいいよ。明日も授業があるんだし」
 なんだかナップと話してて、また煩悩が立ち上がってきてしまったりもしたし……とか教師失格なことを考えつつ(俺って奴は……)ナップの肩を叩くと、ナップはきゅっとその手をつかんだ。
 ………!?
「ナップ………?」
 ナップは俺の方を見ないまま、俺の手を握って呟く。
「……もう少しだけ」
「もう少しだけって……」
「頼むから、もう少しだけ……!」
 ―――! ナップ………
「ナップ……泣いて……?」
「―――!」
 ナップは俺を見上げた。その瞳はひどく潤んでいる。
「……泣いてない」
「ナ……ナップ、いったいどうし……」
「泣いてない!」
 叫ぶと、ナップは俺の腹のところにぐりぐり頭を押しつけてきた。
 ! ナ、ナップ、そ、そこは、危ないんだよ……!
 俺はもうパニックだった。さっきまで普通に話してたのに、ナップがいきなり泣き出してしまうし、頭を危ない場所に押しつけてくるし、いやナップに抱きついてもらえるのはとっても嬉しいんだけど、うわあ俺はなにをどうすればいいんだーっ!
「…………」
 ナップが小さくなにかを囁いた。
「え?」
「……ここにいるよな?」
「え……う、うん! 俺はここにいるよ。どこにも行かないよ」
 たぶんそういうことが言いたいんだよな? とドキドキしつつナップの頭を撫でる。でもなんで急にそんなことを? と思った時、ナップがぽつりと呟く。
「心配したんだ」
「え?」
「先生のこと、めちゃくちゃ心配したんだからなっ! あのまま、先生がっ、どうか、なっちゃうんじゃないかって……。めちゃくちゃ心配して、なんだか今もまだ不安で、心臓がぎゅってして……怖くって……!」
 あとは言葉にならなかった。ナップはぽろぽろ涙をこぼしながら俺にしがみつき、ぐりぐりと頭を押しつける。
「――ナップ………!」
 俺はもう、なんだかたまらなくなってナップを抱きしめた。強く強く。
 あんまり俺を自惚れさせないでくれ。俺はナップがすごく好きなんだ。そんな風に泣かれたら……ナップも俺のことがそういう風に好きなのか、なんてありえない妄想を抱いてしまうじゃないか。
 そんな思いと同時に、ただ純粋に俺はナップに本当にすまなく思った。心配かけてごめん。泣かせてごめん。不安にさせて、辛い思いをさせてごめん。
 そんな言葉を必死で囁きながら、でもやはり、情けないことに教師失格なことに、俺はナップが俺のために泣いてくれるということが、ひどく嬉しかった………。

 本日の授業結果……二心。

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