――いくら逃げたって無駄なことよ。
――いひひひ……手前ェはな、もうおしめえなのさ。
――強き者が弱き者からなにもかも奪い取る、それが、戦いの真理。
――傷つけることを拒む者の武器に、いかほどの威力、宿ろうものか?
うるさい! そうだとしても、俺は、俺は……っ。
――かなわぬと知りつつそれでも、刃向かうというか……つくづく、愚かよなあ。
うああぁぁぁぁっ!!
――それじゃあ、殺し合おうか?
イスラ……っ。
――遠慮はいらないよ。僕と君は、同じ力を手にした適格者じゃないか……心おきなく、存分に傷つけ合おうよ! どっちかの息の根がさ、止まる瞬間まで!!
やめろ……っ。
――あははははははっ♪ あはっ、あっははははははははは……
やめてくれえええぇぇぇぇぇっ!!
「……っ!?」
俺はベッドの上で飛び起きて、ため息をついた。
いつもと同じ夢、まったく結末の変わらない夢。プレッシャーを感じてそれが夢に出ているのだろうという理屈は自分でもわかっているものの、著しく気力を削ぐことは変わりない。
……自分の不甲斐なさに吐き気すら感じる。
食欲はなかったが朝食を食べに船の外へ下りていくと、みんながなにやら論争していた。どうやら俺に、容赦なく戦えと言うかどうかを話し合っているらしい。
……俺としては戦うつもりではあるんだけどな。ただ――踏ん切りがつかないだけで。
人を殺した手でナップのそばにいられるか、考えちゃうだけで……。
俺は情けなさとみんなに対する申し訳なさにいたたまれなくなって、ちょっと声をかけただけでその場を逃げ出してしまった。
始まりの浜辺まで逃げていって、考える。
……本当に情けないな。ナップ、ひどく心配してる風だった。生徒をあんな風に心配させて……俺には本当に教師の資格がない。
いやそれよりも、ナップのそばにいる資格もないんじゃないだろうか。だって俺は、あの時から全然進歩がない――あの時と同じ葛藤をずっと続けてるんだから。
ナップのお父さんを危険な目にあわせた、あの時から……。
「ここに、いたんだ。先生……」
「ナップ……」
俺はひどく驚いたが、それを外には出さずに微笑んだ。
「よく、わかったね」
「なんとなく、ここじゃないかって思ったんだ。ここで初めて先生は、あの剣を使ったから……」
そ、それって俺とナップの心が通じ合ってるってこと!? うわあホントに〜!? などと盛り上がる心を抑えて、小さく「そっか……」と答える俺。
「アズリアから聞いたよ。先生が、どうして軍人を辞めたのかを」
「…………」
そっか。聞いちゃったんだ……。
俺が馬鹿な情けをかけたせいで、ナップのお父さんたちが人質に取られたってことを。
「本当のこと、ちゃんと言えなくて、ゴメン。俺がちゃんとしてたら君のお父さんだって危ない目には……」
「先生は、悪くなんかないんだ!」
「ナップ……」
「悪いのは、先生の優しさにつけこんだヤツなんだ……俺は、そう思ってる」
「……ありがとう」
ああああナップは本当に優しいなあぁぁ。可愛くていい子だなあぁぁ……俺はこの子を守りたい。そして過ぎた望みかもしれないけどそばにいたいって思うんだ……あと、少しの間だけでも。
じっとナップを見つめる。ナップは強い瞳で俺のことを見返す。俺になにかを求めているのは、なんとなくわかった。
俺はドキドキしながら、なんて言えばいいんだろうとナップを見ながら考え――ふいにぽろりと言葉をこぼしてしまった。
「俺の両親……本当は、事故で死んだんじゃないんだ」
「え?」
きょとんとした顔のナップを見て、俺は焦った。なにを言ってるんだ俺は、こんなことナップに言ったってどうしようもないことじゃないか。
でも一度口に出してしまったことはなんとか始末をつけなければならない。それに……もしかしたら俺は知っていてほしかったのかもしれない。ナップに、俺の好きな子に、俺のことを……。
俺は続けた。
「殺されたんだよ……戦争に負けて、逃げる途中の、旧王国の軍隊に襲われてね……」
「!?」
驚愕した表情をみせるナップ。
ごめん、ナップ、いやなこと聞かせて。俺は後悔しながらも、口を動かす。
「父さんも、母さんも小さかった俺のことをかばって死んじゃって。目の前でそれを見て俺、なにがなんだかわからなくなって、村の人たちが見つけてくれた時には、全身血まみれで笑っていたらしい……」
「…………」
「なにもできなかった自分が悔しくて、弱い自分が、すごく憎らしくてさ。笑うことでしか多分、現実を否定できなかったんじゃないかな、きっと」
「そんな……」
「それからしばらく俺は、周りの世界を拒絶し続けた。そうしていれば嫌なことを認めなくてすむと思って……誰とも口を聞かずに、長いこと、自分の世界に閉じこもってたんだ」
「プピー……」
「でもね? そんな俺に村のみんなは、ずっと言葉をかけ続けてくれたんだ。俺が、俺であることを忘れてしまわないよう何度も、何度も根気よく……」
その苦労を思うと、今でも自然と頭が下がる。
「だから、俺はなんとか自分のことを忘れずにいられたんだ」
「そうだったんだ……」
あからさまにしょんぼりとした顔。俺に同情してくれてるのかと思うとこんな時なのに少し嬉しくなって、ナップが胸を痛めてるのを見て胸が痛くって、俺はそんな過去気にしてないよ、俺は幸せだったよと伝えるために口を開く。
「その時、思ったんだ。強い力は、どんなものでも、打ち負かすことができるけれど、想いをこめた言葉のもつ力は、そうやって打ち負かされたものを、より強く、よみがえらせることができるって」
綺麗事かもしれないけれど、俺は本当にそう信じたんだよ。
「だったら……俺は、言葉の力を、想いの力を信じたい。打ち負かす力じゃなくわかりあうための力で守りたいんだ。一人でも多くの人の、優しい笑顔を……」
「先生……」
じっと、泣きそうな瞳で、縋るように俺を見つめてくるナップ――
それを見て、俺は決心した。
「でも、今回ばかりはそうも言ってはいられないみたいだ」
「え……」
俺はナップをじっと見つめる。今ようやく決心がついた。
ナップを傷つけてしまうかもしれない。そばにいられなくなってしまうかもしれない。でも、ナップを、みんなを守るためなら俺はどんなことでもしよう。
彼の、彼らの命を守るためなら……。
「イスラたちのことをこのまま放っておけばたくさんの命が、その犠牲になる……だから、戦うよ。今度こそ、俺は全力であの剣を振るう。力じゃなきゃ、もう止められないから」
「先生……」
じっと俺を見つめてくるナップの頭を、俺はぽんぽんと叩いた。
「さあ、戻ろう? みんなが心配している」
「う、うん……」
少しうつむきながら、ナップは俺のあとについてきた。
シアリィさんを無色の手から助けたあと、俺は船長室に集まっていたみんなに向かって言った。
「……行こう」
力じゃなきゃ、もう止められない。これ以上ナップに、みんなに傷ついてほしくない……だから。
俺は……たとえナップに嫌われたとしても(嫌だけど嫌だけど嫌だけど! それでも……傷つけたとしても守りたいから!)、苦しめたとしても。イスラたちを殺す気で戦う。
俺たちはイスラのいる場所へと向かった。剣が居場所を教えてくれたから……。
イスラはいつも通り挑発をしてきたが、俺はくだらない前口上はもう聞き飽きたと切り捨てた。
「俺と決着をつけるのが望みなんだろう!?」
「へえ……どうやら、ここに来てやっと覚悟ができたみたいだね?」
ああ、覚悟をしたさ。手を汚す覚悟を。ナップの、みんなのそばにいられないかもしれない覚悟を……。
「お前を倒して、俺はその剣を封じてみせる。たとえ、命のやりとりをすることになったとしても……お前に、もうこれ以上誰かを傷つけさせるわけにはいかない!!」
「はははは……いいよ! 最高だよ! それでこそ、戦う意味があるものさ!」
哄笑するイスラに、俺は武器を構えた。
「行くぞ……イスラアアァァッ!!」
「来い! 来いよッ! レックス、その怒りの目で、僕を殺しに来いッ!!」
「は、ははは……っ、なんだよ……やれば、こんなにもできるんじゃないか? 虫も殺せないような顔して、やっぱり君も僕となにも変わらない。自分の望みのために他人を傷つけられる人間だったってワケだ」
「もう、そんな挑発には乗らないよ、イスラ」
「!?」
「君の言うと折り、今の俺は、目的のためなら手段を選ばない覚悟をもっている……それがわかったのならすぐに剣を捨てて降伏するんだ」
敵を殺してでも守る――そう俺は決めたのだから。
「く……ッ! なめるなあァァッ!!」
「……無駄だッ!!」
俺は抜剣し、イスラを容赦なく打ちのめす。イスラの抜剣状態が解除された。
「今のは手加減した。次は、本気で打ちこむ」
イスラは荒い息をついていたが、やがて投げ出すように言う。
「……認めるよ。勝ったのは、君だ。だけど、君には僕からこの剣を取り上げることは絶対にできない」
「……」
「知ってるはずだよ? 継承したものを殺さない限り、この剣の活動は停止しない……そして、僕を殺せるのは、同じ力を持つ君だけだってことも」
「…………」
「みんなの笑顔を守るんだろ? なら、僕を殺してこの剣を奪いなよ?」
「……っ」
「さあ、早く!?」
殺す。殺さなければ――ナップが、みんなが――守るために殺す、みんなを守るために、イスラを殺さなければ――!!
「うあああああアアアアアアぁぁぁぁァァァァァァッ!!」
碧の賢帝を高々と振り上げ――
『先生!』
――ナップの俺に向けた笑顔が、頭をよぎった。
ガイン!
「……!」
剣は地面を叩いていた。イスラの頭ではなく。
「できないよ……っ」
ここまで来て。覚悟を決めたはずだったのに。
でも、俺にはできない。だって、殺してしまったら――
あの笑顔が消えてしまうから。
あのきらめくような笑顔が、もう二度と俺には向けられないってわかっているから。
嫌われるとかそばにいられないとか、俺の問題じゃなくて。ナップの輝きが、あの子の光が、ひとつ消えてしまうから、だから――
「やっぱり、俺にはできない……君を殺すことで全てを終わらせるなんて、俺は認めたくないんだァァッ!!」
俺は、もう――どうすればいいのかわからない。みんなを守るためには殺さなくちゃならなくて、みんなその方が正しいって言うんだろうに、俺は――一人の少年の笑顔のために、それを放棄しようとしている。
死んで終わりになるのは嫌なんだ。人を殺してしまうのは嫌なんだ。殺して終わらせたく、全てをおしまいにしてしまいたく、ないんだ……!
でも、じゃあ、殺さなければ守れない時――俺はどうすればいいんだろう。
「バカだよ……どうして……君は……」
イスラが小さく呟いて、抜剣する。
「ウオオォォォッ!!」
紅の暴君が、碧の賢帝に叩きつけられ――
碧の賢帝は、砕け散った。
「あ……」
「形勢逆転だね」
イスラの声が遠くに聞こえる。なにもかもがどんどん遠ざかり、耳にも目にも入らなくなっていく。ただ、俺が、俺を形作っているいろんなものが……壊れていく……!
「あ……? ああ、あ……っ!?」
俺≠ェ大きな嵐に巻き込まれ、叩きつけられ、舞い上がっては砕けてゆく。巨大な波に飲み込まれ、どうしようもなく小さくなってゆく……。
「アアああぁぁぁっ? うあアァっ!? うああアあアアァぁぁあアあァッ!?!?」
なにもかもがわからなくなっていく。周りの状況も、俺がなぜ今こんなに苦しいのかも。
ただ、粉々になった感情が、俺を責めさいなむ。お前が、お前が、お前が、と……。
「ああぁぁぁぁっ!?」
「あははははははっ! ははっ、ははははっ! あははははは……」
自分がなにか暖かいものの上に乗っかっているのを感じたが、それがなんなのか俺にはもうわからなかった。ただ、なにも考えることができないまま、呆けたように涙を流しながら押されるままに動くだけで。
もうなにかを感じることすら難しいまま、俺は目を閉じた。ナップの泣き声が聞こえたような気がしたが、それすらもどんどん遠ざかって、俺は世界から断絶した……。
本日の授業結果……崩壊。