守りたかった……。
大好きな人たちを、大切なものたちを。
なによりも、あの可愛らしい少年の、俺の生徒の笑顔を、悲しみから、苦しみから、守りたかった……。
ずっと笑顔でいてほしい。それだけを願っていた。
傷つけたくなかった……。
敵からも、味方からも、誰一人、何一つも奪いとることなく、ただ守りたかった……。
奪われる者の悲しみも、打ち砕く者の虚しさも、もう、繰り返したくない。だから、剣を振るってきた。なのに……。
教えてほしい。それは、解なき問いなのか。見てはならない夢なのか。
対立する概念が、お互いに消し合うしかない運命だというのならば……どうして、俺たちは他人と共に生きているのか。なんのために、想いを紡ぐ言葉を作りあげたのか。
なんのために、いろんな生き方を教える教師という職業が存在しているのか……。
わからない。わかっていたのかさえも、もう、わからない。
砕け散ったものがなんだったのか、それすらも……。
教えてほしい。俺が今、この場所にいるその意味を……あの子の笑顔を守れなかった、この俺が……。
「…………」
コンコン、とドアをノックする音。
「入るよ、先生?」
がちゃり、と扉を開ける音。
「あ、あのさ……ナップ、ここに来たりなんかしてないよね?」
「…………」
「いない、よね? やっぱ……」
「…………」
「兄貴たちはさ……黙ってろ、って言ってたけど……あのね!? ナップが今朝から、どこかへ行っちゃったの」
「…………」
「今、フレイズとかが探してくれてるからすぐ見つかるって思うけど……一応、ほら、先生には、ちゃんと知らせたほうがいいと思ったから」
「…………」
「それじゃ……」
また扉を開ける音。
「…………」
しばらくの間俺は微動だにしなかった。だが、数十秒経ってから、のろのろと、機械仕掛けの人形のようにぎこちなく動き出す。
「探しに……探しに行かなくちゃ、ダメ、だよな……」
自覚しないままに口が動く。力のまるで入らない体が、ネジを巻かれた人形のように勝手に動いた。
――だって。
「だって……俺の、生徒……なんだから……」
―――ナップ。
その名前は、こんな時でも、俺を動かした。
「話は聞いておる。ナップがいなくなったらしいな」
「ええ……」
ナップ。その名前を思い浮かべると、勝手に口が動いた。心にはまるで波が立たないのに、ざわめきさえしないのに、脊髄反射のように勝手に体が動く。
「ま、当然じゃろうな。お前のその面を見りゃ、誰でも、側にいたくもなくなるわい」
「それでも……俺は、あの子の先生だから……」
なんて説得力のない台詞。普段なら自己嫌悪の始まりになりそうなこんな言葉も、今の俺には心を波立たせる石にもならない。
「この、バカタレが!! 今のお前に、あの子の教師を名乗る資格があるつもりかッ! 義務感だけで務まると思っとるなら、今すぐ教師など辞めちまえ!」
「……っ」
「悔しいか、若造?」
悔しくはない。今の俺は、そんな気持ちすら感じることができないのだから。
「じゃがな……あの子は、きっともっと、悔しがっておるのだぞ」
「!」
ナップ………。
「教師とは、学問や技芸を、ただ教えるだけの仕事ではない。学ぶということを通じて、様々な生き方の規範を示してゆく。それこそが、本当の教師というもんだ」
「……」
「そんなつもりなどなかったのかもしれんがな。あの子は、ずっとお前の姿を見つめて成長してきたんじゃ。もう一度、よく考えてみるがいい……」
ゲンジさんの言葉が俺の心の中に沈んでいく。ずぶずぶと、湖面に波を立たせられないほど深く……。
……あそこにいるのは、パナシェか?
「…………」
こんなところでいったい、なにをして……
「!?」
「ユクレスさま……ユクレスさま……どうか、ボクのお願い叶えてください……」
目を閉じたまま、パナシェは一心に祈っている。
「先生に、笑顔を返してあげてください……」
切々とした、ひどく真剣な声音で。
「今までのお願い全部かなわなくてもいいから、だから……お願いです……ユクレスさま……先生に、笑顔を返してあげてください……」
パナシェ……。
「……っ」
普段なら涙してしまいそうなその光景も、今の俺には届かない。ただ、心の底に沈んでいくだけだ。
「やっぱり、ここにもいないか……」
頭の中は真っ白なのに、口が勝手にそう動く。
「う……っ」
「うおっと!?」
ふらついて倒れかかった俺を、逞しい腕が抱きとめてくれた。
「なにもない場所ですっ転ぶとは、おぬしつくづく器用じゃのう」
「ジャキーニさん……」
すとん、と地面に座らされて、ジャキーニさんも横に座る。
「メシも食わずにほっつき歩いとったらそりゃ、めまいだって起こすわい! まあ、ワシの抜群な行動力のおかげでケガせずにすんだわけじゃがのう? がっはっはっは!」
「すみません……」
力の入らない口からでも、反射的にそう出てきた。
「は……」
ジャキーニさんは途中で笑うのをやめて、気まずそうに咳払いをする。
「まあ、あれじゃ……ワシは無学じゃけえ、むずかしいことはようわからんがなあ」
右目を閉じて、一人うなずく。
「おぬしはよくやった。それは、間違いないと思うとるぞ」
「…………」
「とりあえず……ほれ、ナウバの実。食うか?」
「え……」
「好物なんじゃろう?」
「う、うん……」
のろのろと体が動いて、差し出されたナウバの実を口に運ぶ。
好物のはずのそれは、砂を噛むように味がなかった。
「腹が減っておったらなにをやったってうまくいかん。オウキーニの口癖じゃ。たらふく食って、ぐうすか眠って、頭の芯をしゃっきりさせてみりゃあ、また、違った波だって見えてくるかも知れん。そうじゃろうが?」
「うん……」
ありがとう……ジャキーニさん……。
そんな言葉がふいに頭をよぎって、俺は一瞬硬直した。
俺はなにも感じられない。考えられない。そういう風になったはずなのに。
なんで、そんなことを思うんだろう。
歩き続けて、いつの間にか暁の丘の岩槍の断崖にまで来てしまった。この前俺がイスラに剣を折られた場所だ。
「…………どうして、俺、こんな場所に、来たりなんかしたんだろう。こんなところにあの子がいるはずがないのに……」
口がそう呟くに任せながら歩いていると、声が聞こえた。
「ピピピッピー!!」
「!?」
俺の力の入らない体が勝手に動いて崖っぷちに向かう。そこには、予想通りアールがいた。崖っぷちでぴょんぴょん飛び跳ねながら騒いでいる。
「ピピー! ピッピピー!?」
「アール! ナップになにかあったのか!?」
「プピィ……ッ」
崖の下をアールは指し示す。まさか……
「ナップ!?」
崖の下にナップは寝転がっていた。それも、いかにも落っこちた、というように力なく。――意識は、ないようだった。
手持ちのサモナイト石を使ってナップの傷を癒す。呪文を唱える声が震えたが、召喚獣は間違いなく呼び出されてくれた。
「う、う……っ」
「しっかりするんだ! ナップ!?」
「……先生?」
ナップが薄く目を開ける。俺は必死になってナップに呼びかけた。
「ああ、そうだよ、ナップ」
ナップが薄く開けたままの目を、泣きそうに潤ませて笑う。
「よかった……出てきて……くれたんだ……」
「ピピィ……」
「ゴメン、アール。やっぱ、ちょっと無茶だったみたいだ」
――ちょっと!?
「どうして、こんな無茶なことをしたりしたんだよ……」
俺は体中を怒りとも悲しみとも悔しさともしれないものでいっぱいにしながら言う。体の熱さに、声が震えた。
「あんな高い所から落ちて、この程度ですんだのが、奇跡みたいなもので。死んでいたって全然、おかしくないんだぞッ!?」
「…………」
「黙ってたら、なにもわからないだろ!?」
「仕方ないだろ……っ」
ナップが今にも泣きそうな潤んだ目で俺を睨んだ。一瞬、心臓が痙攣を起こす。
「どうしても、オレはこいつを、取り戻したかったんだっ!」
ナップはポケットに詰めたなにかを俺に突き出した。それは碧色の、不思議な輝きを持つ金属の破片――
「これは……」
あの時、砕け散った剣のカケラ……。
「封印の剣は、持ち主の心の剣なんだろう? それが折れたから先生は、あんな風になっちゃって……だったらさぁ!? 剣を元通りにできればアンタの心だって、治るはずだろ!?」
俺を必死の面持ちで睨みながらも、ナップの瞳からは涙がぽろぽろこぼれおちていた。泣くもんか泣くもんかとこらえながらも。
その顔は、必死で、懸命で、ナップの精一杯の意地がこもっていて――
とても、きれいだった。
「ナップ……」
たまらなく胸が痛くなって、俺がなんとかそれだけ言うと、ナップはうっと顔を歪めると、俺の体に飛び込むようにして抱きついてきた。その肩を抱きしめることもできず呆然とする俺に、ナップは俺の胸のところを握りしめつつ叫ぶ。
「イヤなんだよっ!! あんな情けない姿のアンタのこと、ずっと見てるなんて……」
涙に濡れた声で、何度も何度もしゃくりあげながら訴える。
「先生なんだろっ!? アンタは、オレの先生なんだろっ!?」
「……っ」
「言ってっ、たよな? 昔のことっ、話してくれた時……っ。想いを、こめた言葉は、打ち負かされたものをより強く、よみがえらせてくれるって!?」
「!」
泣きながら、涙声で叫びながら、ぐりぐりと俺の胸に頭を押し付けて。
「だったら、オレがいつまでも、何度でも呼びかけるから……だから……っ」
きっと俺の顔を睨み上げ、体全体で。
「負けるなよ、先生!」
全存在をかけたように必死に、そう叫ぶ。
「負けちゃあ……っ、イヤだよおぉ……っ」
「ナップ……」
そうだよ……そうだったんだ……
剣が砕け散ったことが原因だったんじゃない。それは、ただの言い訳だったんだ。
俺の心は、砕け散ってなんかいない。ただ、弱い自分がそうなったフリをして逃げていただけで。
砕けてなんかいない! だって……だって……
そうじゃなかったら、この子のくれた言葉がこんなに胸に響くはずないから……っ。
「先生……泣いて……」
俺はナップをぎゅっと抱きしめていた。自分もぽろぽろ涙をこぼしながら。
この子のことが、愛しくて、愛しくてしょうがなくて、やましいことなんか考える暇もなく、ただぎゅっと抱きしめていた。
「……っ」
息が詰まったような声を出すナップ。
「ありがとう……ナップ……」
涙声で、そう告げる。
「君の言葉、ちゃんととどいたから……だから、俺は……」
君の俺に対する気持ちが、たまらなく強く感じられたから。
どんなことが起きたって、俺が君を好きなのは、守りたいのは変わらないって思えたから。
「約束するよ。もう、負けないって。誰にも……自分自身にも、絶対負けないって!!」
「先生……っ」
ナップは満面の、太陽みたいに眩しい笑顔になって、大きくうなずいた。
「うんっ!」
「でも、剣の破片を集めて、直そうなんてよく思いついたもんだよなあ」
「へへっ、まあね」
普段とは少し違った、照れくさそうな口調で(まだ少し目を潤ませながら)言った。
「で、集めた破片はどんな方法で直すつもりだったの?」
「え?」
一瞬きょとんとして、顔をしかめた。
「う……」
「やっぱ、そこまでは考えてなかったってことか……」
「プピー……」
苦笑する俺に追従するように、アールが呆れたみたいに肩をすくめる。
「い、いいじゃんか!? 剣が無くたってさ、ちゃんと、先生は元気になったし……」
「うん、そうだな。ナップががんばってくれたその気持ちが、俺にとっては一番、効き目のある薬だったってことで」
我ながらやに下がりながらそう言うと、ナップは「あ……」と言って、ぱっと……頬を染めた。
か……可愛い〜〜!!!! そ、壮絶に、猛烈に可愛い……!! ナップが俺のために恥じらってくれているなんて……! 男冥利に尽きるっていうか、なんていうか……い、生きててよかった……!
「さて、それじゃみんなのところへ帰ろうか?」
もっとこうしていたいけど……という台詞を呑みこんでそう言うと、ふいに横から「待て……」という声がかかった。
ウィゼルが剣の破片をよこせと言ってきたのだ。俺はそれを断った。
勝てるかどうかはわからない、けど俺はもう気持ちを曲げたりはしない。それならやるべきことを全力でやるだけだ。
するとウィゼルはふ、と笑った。剣を修復してやってもいいと言う。
俺はその言葉を信じることにした。ナップは信じられない、という顔をしたけど、無色と戦わなければいけない以上剣の力は是が非でもほしい。負けたくないんだ。守りたいものがあって信じたいものがある、それが、はっきりとわかった今だから、もう、負けたくない。自分をごまかしたくないんだ。
そう言うとウィゼルは俺たちをメイメイさんの店へ連れてきた。この二人は面識があったらしい。
メイメイさんが言うにはウィゼルは伝説的に有名な魔剣鍛冶師なんだそうだ。
ウィゼルはナップに手伝いを頼んだ。俺は剣へこめるべき確たるものを探せ、と言われた。
確たるものっていうのがなんなのか最初はピンと来なかったんだけど、メイメイさんに言われて気がついた。
一番、大切な守りたいもの。それはやっぱり――
「ごめんな? 剣の修復の手伝いで忙しいのに……」
「気にすんなよ。本格的な作業が始まるには、まだ時間がかかるみたいだし」
俺は、ナップを店の一角の視線も声も通らなさげなところに呼び出していた。
剣にこめることができるのは――やっぱり、ナップへの想いしかない。
「そっか……」
「まあ、メイメイさんもいるし、おかしなことにはならないと思うぜ。で、さ。話ってなんなの?」
……話っていうか……確たるものを探せって言われたから、想いの再確認みたいなもんなんだけど。
でもそんなこともちろん言えないから、俺は用意してきた言葉を唇に乗せる。
「うん、さっき言われたことについてなんだけど……あの時、俺はあせってたんだと思う。オルドレイクやイスラ、言葉も理屈も通じない強大な力をもった敵を前にして、正直、みんなを守っていけるのか、こわくて仕方なかった……」
特にナップ、君の信頼に応えながら、君の笑顔を曇らせないようにしながら、君を守るなんて俺には全然自信がなかったんだ。
「本当はわかってるんだ。こんなやり方ばかりしていたら、損をするばかりだってことは。でも、俺はバカだから傷つけられることよりも傷つけることのほうがこわくて……」
君を傷つけるくらいなら俺なんてひゃっぺん死んでもいいなんて、君の気持ちを考えないことをちらっとだけど本気で考えてた。
「最後の最後で迷ってみんなに迷惑をかけることになって……」
「迷惑なんて、いつオレが言った?」
「え……」
「さっきから聞いてれば、先生、自分のしたことが、間違いだったって思ってるけどさ。そんなこと思ってるの多分、先生だけじゃないのか?」
「!?」
ナップはさっきとはまた違う真剣な顔で、少年とはとても思えないしっかりした意思をこめて俺を見ながら言う。
「そりゃあ、オレだってこの島に来た最初はアンタのやり方に文句ばっかつけてたけど。でも、なんだかんだ言っても、先生ってば強引に押し切ってきたじゃないかよ?」
「あ……う……」
そんなに強引だったかなあ。
「そんでもってさ、全部実現しちゃうんだもん。みんな、先生はそういう人なんだってとっくの昔に、納得してるって思うぞ」
「あは、ははは……」
そうだとしたら……俺って、かなり間抜けだなあ。
「仮に違ってたとしても、オレは、先生の考え方キライじゃないぜ。納得できるって思う」
「ナップ……」
どきりと、心臓が跳ねる。ナップの静かな真剣な、でも想いをこめた瞳に。
「強くなりたい、カッコよくなりたい。そう思って、オレは軍人に憧れてたけど現実は違ってた。戦いの恐ろしさや悲しさ、いっぱい見ていっぱい悩んで……どうしたらいいのかわからなくなった時、オレ、気づいたんだ! どうして、自分がずっと戦ってこれたか。その理由に……」
「それは、なんだい?」
ドキドキしながらそう問うと、ナップは笑った。
「なりたかったんだよ、先生みたいにさ」
「俺、みたいに?」
「うん……オレが、最初に軍人になるって決めたのは、オヤジに聞いた話の中に出てきた……傷つきながら、人質を守りぬいてくれた若い赤毛の軍人さんに憧れたからだもん」
―――え!?
「ナップ……」
「へへへ……っ」
顔を赤くして照れくさそうに笑うナップ――
あああつまりナップは俺に会う前から俺のことに憧れてくれていたと!? そんな風には見えなかったけどっていうか幻滅させちゃった!? 今ではどうなんだいナップ俺のこと少しでもそういう意味で好きってあああなにを考えてるんだ俺はナップは生徒だぞそれにまだこんなに小さいのにーっ!
などと頭の中で高速で思考を駆け巡らせている俺に、ナップは力強く言う。
「先生の夢は、もう先生だけのものじゃないんだ。オレも同じなんだ。だから、力を合わせてがんばれば、きっとかなえられるよ!」
「ああ……きっと、そうだよな!」
混乱しつつもとりあえず力強くうなずく俺。
と、ナップは小さく微笑んで、澄んだ眼差しで言った。
「だから、オレは今のままの先生でいてほしいって思う。たまたま一回負けちゃったくらいであきらめるなんてらしくないって!」
――――!
ナップ……それは、もしかして……
『今のままの俺が好きv』っていう……メッセージなのかーっ!? そうなのかーっ!?
だったら……だったら俺頑張るよ……死ぬほど頑張るよ……!
「そっか……うん、そうだよな。ありがとう、ナップ。俺、自分が忘れていたものが何か、わかった気がするよ!」
忘れていたっていうか、今強く強く再確認した。
俺はナップが世界一好きだ……やましい気持ちとかもそりゃあるけど、この気持ちだけは本当だって誰にでも宣言できる!
「うん、やっぱさ。先生は、笑ってるのが一番だって!」
やっとわかった気がする。俺が守りたいもの信じたいものがなんなのか、が。
それは抱いちゃいけない想いなのかもしれない。ひとりよがりのわがままと何も変わらないのかもしれない……でも。
俺の答えは、それしかない。
相手に、あの子に、俺の生徒に、嫌われても、拒まれても、それでも……
それが、俺なんだから!!
―――ガイン!
ナップ……
―――ガイン!
ナップ……
―――ガインッ!
ナップ………!
ただひたすらにナップのことを想いながら槌を振るって、ようやく――
新たなる剣が完成した。
剣の中に息づく生命が感じられる。俺のナップへの想いを核にして完成した剣――
果てしなき蒼、ウィスタリアス。
名前はメイメイさんがつけてくれた。ナップにも受けがよかったし、俺も気にいった。
だが落ち着く間もなくパナシェが店に飛びこんできた。みんなが無色と決着をつけにいったということを伝えるために。
口止めされていたけど、心配で言わずにはいられなかったと言うパナシェの頭を、俺はぽんぽんと叩いた。
もちろん助けにいく。そのために(いや、そのためだけじゃないのは確かだけど)俺はこの剣をもう一度手に取ったんだから!
俺たちが遺跡に着いた時は、カイルに召喚術が放たれようとした瞬間だった。俺は即座に召喚術を放ってオルドレイクを吹き飛ばす。
「ごめんよ、みんな。遅くなって……」
オルドレイクはなにやら吠えていたけど、今の俺にはそんなもの虫の鳴き声ほどにも気にならない。
かつては負けたかもしれない。でも今は、もう違う!
俺は抜剣し、戦闘に突入した……。
逃げるオルドレイクたちを俺は見逃した。スカーレルたちには申し訳ないけど……やっぱり復讐や殺人を肯定することは、教師としてやっちゃいけないことだと思うから。
暗殺者たちを指揮していた「茨の君」ヘイゼルが取り残されていたので、助けたりというアクシデントもあったけど。全員無事に終わることができた。
みんなの今を、守りたい。今この時、懸命に生きる生命を、その可能性を、守っていきたい。
そして、誰よりもナップを守りたい――
それが、俺の望んだ答え。揺るがない気持ちだってことにようやく、気づいたんだ。
簡単なことじゃないと思う。途方もなく難しくてかなわない夢かもしれない(俺の煩悩は自分で言うのもなんだけどしつこいし)。
だけど、俺にはみんなが、ナップがいる。つまづいた時には支えて、間違った時には叱ってくれる、みんなが、ナップがそばにいてくれる。
だから、もう立ち止まらない。ためらわず、いけるところまで走っていこうって思う。
俺の選んだ、ひとつの答えをできるところまでかなえるために!
イスラは残っているけれど、今はただ笑いたい。その時に強くあれるように。
君と一緒なら、きっとできるはずだから……。
「やったな、先生! これでもう、無色の派閥なんかこわくないぜ!」
宴会が終わって、船に帰ってきて。どちらからともなく二人で船の外で、並んで星を眺めながら、ナップがそう言った。
「ああ、みんなが俺に力を貸してくれたおかげだよ。とくに、ナップ。君がいなかったら、きっと俺は立ち上がれなかった」
そう、君がそばにいてくれたから。
「君の言葉が勇気づけてくれたから……俺は、本当に自分が守りたかったものを、見つけることができたんだよ。ありがとう……本当に、感謝してる」
たとえ、それが俺にとっては君が軍学校に合格するまでの地獄の始まりだったとしても。
それでも君を守りたい、君のそばにいたい、君の好きな俺で、君を好きでい続けていたいって、心から思うんだ。
「いいんだってば! 改めて、礼を言うようなことなんかじゃないって!」
ナップは照れたように手を振った。そして、少し潤んだ瞳で俺を見つめ、小さく笑って言う。
「だって、アンタはオレの先生でオレはアンタの生徒だもん。そんなの、全然当たり前のことだって!」
「そっか……」
先生と生徒というだけの想いしか君が抱いていなかったとしても、君がそれを当たり前だといってくれることが俺には泣きそうに嬉しいよ、ナップ。
「あとは、イスラをやっつけて紅の暴君を封印するだけだな?」
「ああ、だけど間違いなく今までで、一番きつい戦いになるだろうな……心も、身体も、全てをかけてぶつかっていかなくちゃきっと、彼には勝てない」
「だいじょうぶだって! だって、今の先生にはオレたち、みんながついてるんだもん」
にこっと優しく、強い微笑みを浮かべるナップ。
「前みたいに一人きりで戦うんじゃない。みんなで、戦うんだ!」
「ナップ……」
「ぶちかましちゃおうぜ? イスラの目を覚ますくらいきっついのをさ!」
最初に会った時と同じ悪戯っ子の、でもそれよりもずっと強くて活力にあふれた笑みを浮かべ、俺を軽く拳で叩くナップ。
俺も、笑みを浮かべた。
「ああ、そうだな!」
二人並んで空を見上げる。この島に来たときと同じ、降るような星空だ。
しばし無言で星を眺めているうちに、ぽろっと口からこぼれた。
「それが終わったら、いよいよ、この島ともお別れだな……」
……今口にすべきことじゃなかっただろうか。
でも……本当のことだ。俺はマルティーニさんに雇われているんだし、そうでなくても心配しているだろうマルティーニさんにナップの顔を早く見せてあげた方がいいだろう。
そして、ナップを軍学校に入学させ――今のナップなら落ちることはまずありえないから――そのあとは……。
俺はこの島に帰ってくるつもりだ。この島は俺の性に合っていて居心地がいいし、仕事が、居場所がある。村のみんなにはいつか恩返しをしなくちゃならないけど、帝国での暮らしよりも働いていて楽しいんだ。
なにより――ここにはナップとの思い出が、いっぱいつまっているし……。
つまり、ナップの軍学校への入学が俺とナップとの別れになる。いつか会うこともあるかもしれないけど、それはたぶんずっと先のことになるだろう。
それを思うと、体が震える。怖いし、悲しい。身を引き絞られるほど。ナップと別れたら俺がどうなってしまうのか――こんなに好きになってしまった今では、想像もつかない。
でも、俺はナップを忘れない。死ぬまで忘れない。どんなに辛くても――俺が人生で、たぶん一番愛した人として。
そんなことを思いつつ、流れそうになる涙を堪えて空を見ていると、ナップがおずおずと口を開いた。
「あのさ、先生……そのことなんだけど……」
俺はナップに向き直った。ナップは真剣な、でも少し潤んだ瞳で俺に言った。
「オレ、本当は……ずっと、この島にいたいって思ってるんだ……」
――――!!!!??
「え……」
「逃げるつもりで言ってるんじゃないぜ! よく考えて、決めたんだ。言ったよな? オレが軍人を目指したのは先生に憧れたからだって」
「ああ……」
「先生と出会って、一緒にこの島で暮らしてきて、改めて、思ったんだ。オレが本当になりたいのは、先生みたいな軍人じゃない。先生みたいな人間になりたかったんだって!」
――――おいおいおいおいおいおいおいおい!?!?!?!?
「ナップ……」
震える声でそう言う俺に、ナップはどこか必死な声で叫ぶ。
「だったら、軍学校に行くより先生の側にいて、色々と教えてもらったほうがいいだろ!? 勉強だって、戦い方だって、先生に教えてもらった方が絶対、いいに決まってる! だから、オレ……」
俺の服の裾をつかんで、俺を見上げて、それ以上は口にできずにじっと俺を見つめる――
俺はめちゃくちゃ混乱していた。ナップが……俺の、そばにいたい、ってことか?
ナップは実はそんなに俺のことが好きだったのか!? う、嬉しい! 俺も君のことが大好きだよナップ!
とか、
ナップ……それってもしかしてプロポーズ!? お、俺に手を出してもいいよって言ってるのか!?
とか、
色々と教えるって、色々って……そういうことを教えてほしいって暗に言ってるのか!? どどどどどど、どうしよう〜〜嬉しいけどっ!
とかいろんな思いが頭の中を駆け巡る。
だがナップのその思いは、申し出は、たまらなく嬉しかった。これからもナップのそばにいられる。もしかしたら一生そばにいられるかもしれない。先生と生徒という関係だけじゃなく、一歩進んだ関係にだってもしかしたら――
『だめだ! それだけはダメだ!!』
ナップの申し出を受け容れる方向に流れそうになった俺の心の中で、理性と良識が大きな声を上げた。
俺ははっとした。そうだ、ダメだ。ナップの申し出はたまらなく嬉しい。気持ちだけなら受け容れたくてたまらない。
でも、ナップのことを考えたらどうだ? ナップは帝国有数の貿易商マルティーニ家の一人息子。彼には幸せな一生が約束されてる。軍学校に進んでもきっとこれまで以上に頑張ってくれることだろうし、軍でもきっとエリートとして上級軍人にだってなれるはずだ。
人間的にもこのまま俺のそばにいるのはよくない。俺はナップには俺みたいにはなってほしくない。ナップにはナップ自身の、彼だけの答えを見つけてほしいんだ。
それに……ずっとそばにいたら、俺はきっと彼に手を出してしまう。彼はただ俺のことを先生として人間的に尊敬してるだけなのに。
ナップに嫌われたくない。それ以上に傷つけたくない。俺がナップに手を出したら、きっとナップは傷ついて、自分のことを責めるだろうから……。
うううううぅぅぅぅぅ嫌だよぉ別れたくないよぉこの申し出を受けてしまいたいよぉっ! と叫ぶ俺の心を泣きそうになりながらも必死に叱咤して、俺は口を開いた。
「君の気持ちはわかったよ、ナップ……でもね……それだけじゃ、君の考えに俺は、賛成できない」
「!?」
ナップの顔から、すっと血の気が引いた。
「君が初めて、俺を先生って認めてくれた時、話したよね? 昔の俺と、君は……どこか似ている、って」
「あ……」
「だけど、今はもう違う。君はあの時より、ずっと強く、たくましくなったと思う。俺も、以前の俺じゃない。みんな、少しずつ変わっていっているんだ」
「けど……っ」
泣きそうな顔で反論しようとするナップに、心を鬼にして言葉を続ける。ナップ〜、俺だって必死なんだから泣かないでよ〜、俺だって今にも泣きそうで君の言葉を受け容れたくてしょうがないのにっ!
「君は、君だよ。どれだけ真似をしたって絶対、俺にはなれない。俺が、君になれないようにね」
「先生……」
「憧れてくれるのはうれしいよ。でも、自分のことだから、俺は自分の欠点だってわかってる。そして、それ以上に……先生という立場だったからこそ、君のもってる、君だけの魅力が俺には、よくわかるんだ」
本気の台詞だ。君にしかない魅力に、俺は惹かれたんだから。
「オレの、魅力……」
「だからこそ、俺は君にもっと広い世界を見てほしい。俺たちだけじゃない、色んな人と出会って、色んなことを経験してほしい。決めるのは、それからだって遅くはないだろう?」
言った。言い切った。言ってしまった。
よくやった、俺……誰も褒めてくれないだろうけど、今は誰も喜んでくれないかもしれないけど……これが正しいんだ。これが最上の道なんだ。
ナップは泣きそうに目を潤ませながらも、うなずいた。
「うん……」
「あわてなくたっていい。君はまだ、最初の一歩を踏み出したばかりなんだ。迷ったり、疲れたらいつだって、頼りにしてくれればいい。君が大人になっても、この先、選んだ道が分かれることになっても……俺はずっと、君の先生だから」
君に邪な思いを抱いてしまう、駄目な奴だけど。
俺はずっと、君の先生であり続けるから。
その一言に、万感の思いをこめて言った。
ナップは俺を見て、そっと微笑んだ。
「うん……ありがとう、先生……先生に会えて、オレ……よかった……」
「ナップ……」
君がそう言ってくれれば、俺はこれから先ずっと生きていけるよ。君のことを思いながら……。
と――ナップの瞳から、ぽろ、ぽろろっと涙がこぼれおちた。ほろほろほろほろと、泣き声も上がらないのに涙だけがこぼれおちてくる。
「ナ……ナップ………!?」
そんな、ナップ、そんなに泣かれると俺はもうどうしていいかっていうかうわあどうしようどうしようナップが泣いてるよ泣き顔可愛いじゃなくてじゃなくて!
パニックに陥る俺を見つめながら、ナップは微笑みながら涙をこぼしながら、掠れた声で言う。
「オレ……先生のこと、大好きだよ。世界で一番、大好きだよ……」
――――――――
その瞬間、俺の頭の中から理性とか良識とか思考とか記憶とか、そういうものが全部吹っ飛んだ。
「ン……!?」
俺はナップに口付けていた。その小さい体を抱えこんで、色の薄い唇に俺の唇を押し付ける。
「せん……んッ」
口を開いた瞬間に舌を差し込む。夢にまで見たナップの唇を思う存分味わいながら、ナップの舌に俺の舌を絡め、つつき、吸い、舐め回す。
「ンッ……ム、はァ……」
後頭部から背中、お尻にかけてを撫で回し、揉みしだきながらナップの口の中を蹂躙し、唾液をすすり、下半身では足でナップの股を割ってぐりぐりとナップの股間を刺激し――
ナップの手がそっと俺の腹のあたりをつかんだ時になって、ようやく理性が復活した。
「……………………」
どざあぁ――――っと、音を立てて俺の体中から血の気が引く。
や……やややや……やっちまった…………!
「――ごめん!」
そう絶叫して俺はナップを見ることもできないまま、その場から逃げ出した。みっともなく。
終わりだ、終わりだ、終わりだ――そんな言葉が、頭の中でわんわんとこだましていた。
本日の授業結果……やっちまいました。