遭難した翌日。襲いくる煩悩との戦いに勝利した俺は(……本気で死ぬかと思った……だってどこをとっても超好みな顔が目の前で無防備に寝てるわ、寝返りをうつたびに子供らしい華奢な体の感触が伝わってくるわ……俺の理性の極限を試しているとしか思えない)ナップが目覚める前にこっそり起き出した。
何か漂流物の中に使えるものがないかと思って探しに行ったんだけど(煩悩と戦ってる暇があったらさっさとそうしろって? いやだって、目を離した隙にナップが襲われたら困るし……。………。ごめんなさい、俺、ちょっぴりこのシチュエーションを楽しんでました……)、運がいいというかなんというか、武器に鎧、生活用品なんかを手に入れることができた。
戻ってくると、ナップはもう起きていて、声をかけるとちょっと嬉しそうな顔をしてくれた。……嬉しい。
持ってきたものの話をしていると、ふいに鳴り出す俺の腹。ナップに「緊張感ないヤツだなぁ」と笑われてしまった。
よし、まずは腹ごしらえだ。ナップを連れて磯に向かい、魚を釣ることにする。
小魚が二匹、中ぐらいの魚が三匹釣れた。うん、大漁大漁。
小魚は枝を通してそのまま焼く。海水がついているから味付けはしなくていい。
中ぐらいの魚は一匹は蒸し焼きにして、残りは腹を開いて干物にすることにした。手持ちの食料は多いほうがいい。
なんだか物怖じしている風なナップに、かぶりつけばいいんだよと教える。ナップはしばし逡巡した後、はぐっと小魚にかぶりついた(その様子が子供っぽくてちょっぴり和んでしまった)。
「……おいしい!」
焼いただけなのにこんなにうまいなんて、とちょっと感動しているナップに(きっとマルティーニ家ではいつも高級料理ばかり口にしていたんだろうなぁと思うと妙な気分になった)、魚はそうやって食べるのが一番おいしいんだよーと田舎にいた時の思い出を語る。
するとナップは急に黙り込んでうつむいてしまった。
「アンタ……やっぱ、すごいよ。道具もないのに魚を釣ったり、火を起こしたり。一人だったら、オレなにもできなかった、きっと……」
うーん、単にやり方を知っていただけなんだけどなぁ。でもそういう、自分の無力さを噛み締めてしまう時の気持ちは俺にもわかるから、教われば君だってこれぐらいすぐにできるようになるよーと本当のことを言って励ました。
さて、食事が終わったら生き延びるためにも島の探索から始めなくちゃならない。ナップと一緒に浜辺を歩きながら、話をした。
はぐれたままだったらどうしようかと思った、と言うと(正直ナップがあのまま溺れてしまっていた時のことを思うとぞっとする。幾重にも幸運が重なったんだなぁという感じだ)ナップはこれまでずっと一緒にいた機界の召喚獣に助けられたのだと言った。
必死になってその召喚獣がいかに頑張って自分を助けてくれたか主張するナップに(だからあんな無茶をしてまで守ろうとしたんだなぁと納得した)「つまり、この子は君の命の恩人ってことだね」と言うとナップは思いきり喜んで(初めて見た満面の笑顔は思っていた通り、ものすごく子供っぽくてエネルギーに溢れていた)、その召喚獣にアールと名前をつけた。
……しかし、こうして二人で一緒に島を歩いていると(そんな場合ではないというのは重々わかっているんだけど)ちょっぴりドキドキしてきてしまう。なにを考えてるんだ俺ー! と戒めるものの不埒な心はあとからあとから湧いてきて……ううう。
林の中を一緒に歩きつつ、足下に気をつけて、とか俺の通った道をついてくるんだ、とかいろいろ教えていると(いや当たり前のことを言ってるだけなんだけど、ナップも「うん、わかった」とか素直に答えてくれるし)、なんだかいかにも手取り足取りって感じがするっていうか……精神的密着度が高いっていうか……うわああ俺の馬鹿馬鹿馬鹿! こんな時になにを考えてるんだー!
そんなことで煩悶していると、ナップが
「昨日は、その……アリガトな」
と言ってきた。ちょっとはにかんだその顔が、また猛烈可愛い。
俺は照れつつも格好をつけて、
「約束しただろ? 絶対に、君のことは守ってみせるって」
と言った。
「うん……」
と嬉しそうなナップ。
俺は恥ずかしくなって、照れ隠しのように
「それに、俺は君の先生なんだからさ。生徒の面倒くらいちゃんとみられないと先生とはいえないよ」
と言ってしまう。
するとナップはあからさまにムッとした顔をして、どんどん先に歩き出してしまった。
………俺、なんかマズイこと言ったんだろうか。それともまさか……先生としてあるまじき俺の邪心を感知してしまったとか!?
うわあぁぁ、ど、どうしようぅぅぅ!
……とか煩悶しているうちにナップはどんどん先に進み、岩浜で人影を見つけてしまった。声をかけるが――なんとその人影は船を襲った海賊だったのだ!
とんとん拍子に話が(まずい方向に)進み、戦うことに。一人だったら危なかったけど、アールも手伝ってくれて、わりとあっさり勝つことができた。
豪快に大笑して煮るなり焼くなり好きにしろ、という金髪の男に、俺はそんなつもりで戦ったんじゃない、と言った。
「もう俺たちのことを襲わないって約束してくれたら、それでいい」
俺は殺すのはいやだった。もちろん約束が守られる保証はどこにもない。あっさり裏切られてまた敵に回るかもしれない。
でも、だからって殺してしまったら、そこで終わってしまう。分かりあえる可能性も、仲良くなれる可能性も、みんなゼロになってしまう。
それならわかってもらえるまで、何度でも繰り返すほうがいい。戦いを繰り返したいわけじゃないけど、諦めて自分の心を殺してしまうよりその方がまだマシだと思うんだ。そんな風に諦めてしまった人間が、人を……こんなに真っ直ぐな子供を教えることなんて、できないと思うし……。
……馬鹿なこと言ってるっていうのは、わかってるけど。
「……わはははっ! 気に入ったぜ、あんたのその肝っ玉!」
……俺はなぜか気に入られて、彼らの船に客分として来ないかと誘われてしまった。しかも修理を手伝うのなら礼として、近くの港に乗せていってやる、とのこと。
文字通り、渡りに船だ。俺はその提案に乗った。
ナップには本当に信用するのかと言われてしまったが、話の通じない人たちじゃないみたいだったし、この島から脱出する現段階では最も有効な手段を持っている人たちなんだから、疑ってもしょうがないと思うんだけどな。でも、ナップにはどうなっても知らないからな、と言われてしまった。
とにかくその船に向かうと、その船ははぐれ召喚獣に襲われていた。どうしてこうも次から次へとはぐれ召喚獣が出てくるんだ、という疑問を抱く暇もなく、カイルさん――海賊の親分について、俺も戦闘に突入する。
ナップは海賊を助けるということに強い抵抗感を感じていたようだけど、でも一度仲間と認めた相手を見捨てたくはない。見捨てちゃいけないと思う。
信じてもらうためには、こちらから相手のことを信じなきゃ。
俺は先生として胸を張れるような人間ってわけじゃないけど、このことはしっかり断言できるんだ。
ともかく、俺たちは協力してはぐれ召喚獣たちをギリギリまで痛めつけたのだけど、はぐれ召喚獣たちは戦意を失っていない。むしろ躍起になってかかってこようとしている。
……あんまり気は進まないんだけど(だって力を貸してくれたのは確かだけどあからさまに怪しい雰囲気ぷんぷんだったから)、昨日手に入れた剣の力を借りて(なぜかはさっぱりわからないけどできそうな気がしたんだ)はぐれたちを追い払うことにした。剣から発せられる光に、はぐれたちは怯えて逃げていく。
すると、海賊の客分だったと言っていたヤードさんが顔色を変えた。
「どうして、あなたがその剣を使いこなしているんです!?」
なんでもこの剣はヤードさんがどこかから持ち出した二本の剣の一つ、碧の賢帝(シャルトス)なんだそうだ。カイルさんたちはこれを強奪するために船を襲ったんだそうである。
詳しい話を聞こうとすると、その前にお礼が先だと細身の男性(スカーレルさんと言うそうだ)に言われ、俺たちは船の中に招かれた。客人として歓迎する、と言われて俺はこちらこそよろしく、と返したんだけど……なんだかそのままなし崩しのうちにプチ宴会モードに入ってしまう。
食料は節約した方がいいと思うんだけどなぁ、と思いながらも断りきれず盃を受ける。酔わないようにできるだけちびちびと飲んだ。
ナップは最初は警戒して隅っこの方に座っていたけど、海賊のみんなにお喋りに引っ張り込まれているうちに、時折笑顔を見せるようになった。やっぱり基本的に素直な子なんだよな。
ちょっぴり寂しいものを感じなくもないけど、俺は距離をおいてナップを観察していた。トラブルが起きたらすぐ助けに入れるように、でも過保護と思われないよう距離をおいて。
カイルの武勇伝に目を輝かせて聞き入っていたり、スカーレルの冗談に吹き出したりと、元気に喋っていたナップがふいに宴席から離れていくのを、俺は追った……。
舳先で夜空を見上げているナップに近寄る。ナップはこちらに気づいて、なんだよ、という顔をしたけど、俺が「疲れたのかな、と思って」と言うと口を閉じた。
そのまましばらくお互い無言で夜空を見上げていたが、ふいにナップが口を開く。
「しかし、あれだよな。まさか、本当に海賊の仲間になっちまうとは思わなかったよ」
「やっぱりナップは納得できないかい?」
「そりゃあ、そうだって。だって、もともとヤツらが船を襲ってこなければ……こんなことにはならなかったんだもん」
と、膨れるナップ。
俺は反論できず(そう言われると確かに本来なら彼らは犯罪者なんだよな)、
「うん……」
とうなずくしかなかった。他に選択肢はほとんどなかったし、後悔してるわけじゃないけどそう言われると返す言葉がない。
だが、ナップは(もしかして嫌われたらどうしようとびくびくしている俺に気づきもせず)、明るく笑って言った。
「でもさ、そういうのをとっぱらってみたら、ここの連中ってオレ、結構好きだぜ。お頭のカイルなんかすげえ男らしくてカッコイイし」
………………。
「そっか……」
「ふあ……っ」
「ほら、そろそろ眠った方がいい。久しぶりのベッドなんだしさ」
「うん、そうだな、そうするよ……」
俺はナップを部屋まで送りながら、ナップの言った言葉を考えていた。
『お頭のカイルなんかすげえ男らしくてカッコイイし』
………俺は!?
俺は全然男らしくなくてカッコよくないのだろうか!? 全然活躍してなかった!?
お、俺は俺なりに頑張ってきたつもりなんだけど……。
ううう、負けるもんか。ナップがどっちを向いてようが、俺はナップとの約束を守ってみせる! そうすればいつか想いは通じる……
って、通じてどうするんだよ! 生徒に手を出すわけには行かないだろう、俺の馬鹿馬鹿馬鹿ー!
……というわけで、俺はその夜もベッドの上で煩悶することになるのだった。
本日の授業結果……嫉妬を覚えた。