「はァ?」
 ナップはものすごく聞きたくない言葉を聞いた、というような顔をした。
「だからさ、今日から授業を始めようって言ったんだよ。もともと、俺は君の家庭教師として雇われたんだしさ。ちょっと予定は狂っちゃったけど、やっぱり、ちゃんと勉強はしないとね」
 俺が微笑みながら得々と説明すると、ナップは「え゛ーっ!?」とあからさまに顔をしかめてみせる。やっぱり聞いていた通り、勉強は基本的に嫌いなんだろう。
 う、ちょっぴり心が痛い……でもここは譲れない。
 曲がりなりにも雇われた人間としてはきっちり仕事を果たさなくちゃならないし……それに俺はナップに人生でつまづいたりしてほしくない。
 つまり軍学校の試験に落ちたりしてほしくないんだ。ナップのためにも、俺自身のためにも、軍学校に受かるため、ナップの人生に役立てられる技術を身につけさせるため、しっかり勉強しなくっちゃ!
「ほら、紙とペン。カイルさんたちからもらってきたんだ。教科書のほうはヤードさんから借りた本を参考に、作ってるところだからさ」
「う゛……っ」
 追い詰められたような呻き声を発するナップ。そんなに勉強が嫌なのか……。
 でも、結局は(いかにも渋々という顔をしながらだけど)ちゃんと椅子に座って授業を受ける態勢になってくれた。

「さて、最初は……」
 かけた眼鏡をくいっと押し上げて、考え深げに言う。この眼鏡は俺が少し視力が弱いためもあるけど、どちらかというと教師という初めての仕事に対して形からでもそれらしくしてみよう、という俺の単純な考えによるところが大きい。
「そうだな、まずは、あれから勉強していこうか?」
「はァ、なんだよ?」
「召喚術の基本だよ」
「え……ホントにっ!?」
 いかにもやる気のなさそうだった声が、急に嬉しげなものに変わった。やっぱり子供にとって未知の不思議な力っていうのはすごく魅力的に感じられるんだろうなぁ、と微笑ましく思いながら話しかける。
「ナップは召喚術についてどんなことを知ってる?」
「別の世界にいる召喚獣たちを呼んで、不思議な力を借りるための方法だろ」
 大ざっぱではあるが、間違ってはいない。
「うん、そのとおりだ。よく知ってたね」
「へへへ、まあね」
 褒めると嬉しげに鼻の下を擦る。うっ、その仕草子供っぽくて可愛い、と思いながらも仕事中仕事中! と自分を戒めて話を続ける。
「俺たちの暮らしているリィンバウムは、4つの異なった世界と隣りあっている。召喚術っていうのは魔力と呪文、そしてサモナイト石を使ってそれぞれの世界から召喚獣を呼び出してその力を借りる方法のことなんだよ」
「サモナイト石?」
 きょとんとした顔のナップに、知らないのか、と意外に思いながら手持ちの石を差し出した。
「ほら、これのことさ」
「へえ、こんな石っころがねえ?」
 ナップは興味津々という顔だ。よし、興味は引き続いてるな、と確認しつつ俺は話を続ける(なにせ初めての授業だから緊張してしまって……)。
「この五色の石はそれぞれが異世界への扉を開く鍵になるんだ。黒い石は機界ロレイラル。全てが機械仕掛けで作られた世界」
「ピピッ♪」
「うん、そうだね。君のいた世界だ」
 しまったアールの存在を忘れてた、と焦りながらも(おかしなところは見せてないつもりだったけど……)微笑んで言葉を返す。
「へえ、そうなんだ?」
「赤い石は鬼妖界シルターン。人と妖怪が共に暮らす戦乱の世界。紫の石は霊界サプレス。天使や悪魔、霊的な生き物たちの世界。緑の石は幻獣界メイトルパ。亜人たちが共存する自然豊かな世界」
「あれ、だったらこの透明の石はどこの世界のなんだ?」
「その透明な石については、はっきりわかっていないんだよ。今、説明をした4つの世界の召喚獣たちは呼び出せないけど、それらと全く異なった召喚術を用いる時に必要になるんだ。とりあえず今のところ「名も無き世界」ってところの鍵だって言われてるんだ」
「ふーん……」
 と、黒いサモナイト石がふいにぼんやりと光る。
「!」
「心配しないで。サモナイト石が君の魔力に反応しているんだ。どうやら、ナップは機界の召喚術と相性がいいみたいだな」
「ホントに!? すげえカッコイイ機械兵士とか呼べる?」
 ナップは『わくわく』と大きく書いてあるような顔で勢い込んで訊ねてきた。やっぱり男の子って、大きな機械仕掛けのものとか好きなんだなぁ、と思いつつ微笑う。
「練習次第だけどね」
「やったーっ♪」
「ピッピピーッ♪」
 その満面の、天真爛漫な笑みに思わず抱きしめたくなる衝動が湧き起こるのを抑えつつ、俺は冷静なふりをして言った。
「具体的な手順や必要な技術はこれから少しずつ教えていくから。それじゃ、今日の授業はこれまで」
 と、言うやいなや部屋の扉がノックされる。これからのことを話し合うということで、船長室に集まることになった。

 俺の持っている剣は無色の派閥の計画に使われるはずだったものをヤードさんが持ち出してそれを帝国に回収されたもので、それを取り返すためにカイルさんたちはあの船を襲ったんだそうだ。
「なんだよ、それ!? それじゃあ、オレたちとばっちりを受けただけってことかよ!?」
 ナップはそういって怒ったが、とばっちりもなにも海賊に船を襲われるっていうのはそもそもとばっちりみたいなもんだと思うんだけどな。謝っている相手を責めても現実が変わるわけじゃないよ、となだめて、これからどうしていくかを考えようと言った。
 それでも納得いかない感じのナップに、必ず連れ帰るからもうしばらく辛抱してくれと頭を下げるカイルさん。それで渋々ナップも納得したみたいで、「男と男の約束だからな」と言っていた。
 ……無意味だとはわかってるけど、嫉妬の炎がめらめらと……。俺って奴は、こんな時に……。ううう。
 あとでよく我慢したね、と褒めると別に、と流され、俺は「そっか……」と力ない笑みを浮かべるしかできなかった。

 島の調査をすることになった。
 まずはカイルさんたちが島に着いた時見た灯りのようなものを調べようという話になったんだけど、その灯りのどこから回るかということで意見が割れる。
 俺が最終的な一票を下すことになったんだけど(ナップの意見は無視か? と思ったんだけど話がややこしくなりそうだから言うのはよした)、手がかりがまるっきりないんだから近くから回っていけばいいと思ったので、赤い灯りに一票を投じた。
 ナップはなにか言いたげだったけど、俺が機先を制して「ここで待っていてくれ」と言うと(……そりゃ、本音を言えば俺だってナップと一緒にいたいけどさ。やっぱり教師としては、危険そうな場所に生徒を連れていくのはよくないだろうと理性を働かせて……)、不満げだったけど一応従ってくれた。機嫌を損ねちゃったかな……ううう。
 行った先にあったのは鬼妖界の遺跡らしきものだった。そしてなぜかいきなりシルターンの妖怪まで出現、こちらを襲ってきて戦闘に。
 あっさり撃退すると、彼らの頭目らしきキュウマと名乗る鬼のシノビっぽい人が現れた。島の護人――秩序を守る四者の一人なんだそうだけど……。
 無断で境界に入り込んできたそちらが悪い、島の者なら誰もが知っているはずの掟だ――とかなり敵対ムードなところへ、今度はすごく綺麗なやっぱり鬼の女性が現れた。
「キュウマよ、よく見るがよい。その者らは人間じゃ」
「人間!? ……ならばなおのこと……」
「やめよと言うておるのが、わからぬと言うのか!?」
「……っ」
「おそらく、はぐれて間もないのじゃろう。なら、掟を知らぬのも仕方あるまい」
 ミスミ――鬼姫と名乗るその女性のおかげで、完全な対立は避けられそうな感じになってきた。他の護人たちとも話し合う必要があるということなので、キュウマさんに連れられて『集いの泉』と呼ばれる場所に向かう。
 アルディラさん、キュウマさん、ファルゼンさん、ヤッファさん……この四人の護人たちに、事情を説明する。
 船の修理が済めばすぐ出て行くから協力してくれないか――というカイルの言葉は、あっさり断られた。この島は召喚術の実験場で、この島に住む者たちはみんな異世界から召喚されて還されることがなかった者たち。だから人間を信用しない、関わりたくもない――という言葉に、俺は最初は返す言葉を思いつかなかったけど、どうしても納得できず立ち去るキュウマさんを追いかけた。
 お互いもっとちゃんと話をしよう、という俺の訴えに、もう一度だけ話をする機会を考えよう、とキュウマさんは答えてくれた。

 ナップにかくかくしかじかと話をすると、「そんなことが……」と沈んだ顔を見せた。やっぱりこの年頃の少年には、こういう人間の醜さをあからさまに示すような話はショックなんだろうな、と気の毒に思いつつ安心させようと(自分に言い聞かせる意味も込めて)言った。
「でも、大丈夫さ。話し合っていけばきっと、わかりあえる。キュウマさんも協力してくれるって言ってくれたしね。俺は、そう信じてるよ」
 というか、信じようと思うんだ。まず信じなけりゃなにも始まらないから。お互い理解しあおうとしなきゃ、いつまで経ってもなにも生まれないと思うんだ。
 ――と話をしたとたん、集落の方から爆発音が聞こえた。
 慌てて駆けつけるとそこには帝国の軍人たちが集落の人々を襲っている姿があった。人間にとって我らは化け物でしかない、出会えば争うしかない――というキュウマさん。
 人間と召喚獣、どちらに味方するかって言われてもそんなの決められないけど、というよりそんな括りで話しちゃいけないって思うけど、俺はただ――
 誰かが傷つくのは嫌だ! 殺したり殺されたりって殺し合いになっちゃうのも嫌だ!
 俺はそんなことが目の前で行われてたら――絶対止める。傷つきそうな人たちを、絶対守る!
 ――戦いが終わって、みんな無事でほっとした……けど、俺はちょっとだけ、やるせなかった。結局力でしか問題を解決できないのかなぁとか、どうして話ができないんだろう、どうして争いになっちゃうんだろうとか、そういう埒もないことを考えてしまって。
 でも、おかげでキュウマさんは俺たちのことを信用してくれたみたいなのは、救い、かな。

 どうしても気になってしまったみたいで、俺たちのあとについて様子を見にやってきたナップは、帰り道、憤懣やるかたないという様子で言った。
「なんだよ、あいつら。まったく……」
「まだ、怒ってる?」
「当たり前だろ! アンタのおかげで助かったっていうのに、あいつら、礼ひとつ言わないなんて……」
 ……これって俺のために怒ってくれてるってことなんだろうか。そ、それはかなり嬉しいかも。少しは俺のこと気に入ってくれてる!?
 ……いや、単にナップにとって気に入らない話だってだけなんだろうな、うん……。
 ともかく俺は、乱れる気持ちを抑え込んでナップに微笑みかける。
「いいんだよ。俺が好きでやったことなんだからさ」
 そう言うとナップは呆れたように溜め息をついた。
「はぁ……アンタって、本当にお人好しだな」
 う……よく言われることではあるけど……。本音なんだけどなぁ。
「なあ、どうしてそんな風に、他人を信じられるんだよ?」
 ふいに真剣な顔になって訊ねるナップに、俺は苦笑した。
「どうして、って言われてもなあ……」
 特別な理由があるわけじゃなくて、俺にとってはこれが普通なんだけど。どんな人でも、疑うよりは信じたいと思うのって、そんなにおかしなことかな?
 でも、それをはっきり言うのはなんだかためらわれて、結局苦笑するだけに留めた。

 本日の授業結果……もう一歩。

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