自分の居場所は君の側

「誓約の名の下に、ナップが命じる……」
 わりと調子よく呪文を唱え終わると、ナップは気合を入れて叫んだ。
「来いっ!」
 サモナイト石の輝きが頂点に達し、ぽんっという感じで機界の召喚獣が現れる。
 それをナップが送還するのを見やってから、俺は微笑んだ。
「うん、いいぞ。だいぶ安定して召喚獣を呼べるようになってきてるね」
「へへっ、まあな」
 ずいぶん進歩が早いなと思う。召喚術っていうのは危険な知識でもあるのに、こうも早々とものにできるとは思わなかった。まだだいぶ≠ナしかないけど。
 でも、こういう風に生徒がちゃんと勉強して進歩していくのを見せられるって、なんだかすごく嬉しいなぁ。
 それはそれとしてナップの得意そうな笑みにすぐ下がりそうになる目尻をなんとか通常の位置まで引き上げながら、俺は真面目な顔を作る。
「とはいえ、くれぐれも召喚をする時は、集中すること。魔力の制御に失敗したら、術の暴発や召喚獣の暴走を招いてしまうからね」
「それなんだけどさ。具体的に、どういうことになるんだ? なんか、いまいちピンとこないんだよな」
 まあ、そうだろうな。でもここは大切なところだ。俺は真剣な顔になって説明した。
「術の暴発っていうのは喚び出すつもりのない召喚獣を喚んでしまうことさ。そして、暴走は誓約の力に逆らって召喚獣が、勝手に暴れだすこと。どちらにしても大変なことになる。術者の安全はもとより、下手をしたら、周りの人たちまで、危険になるからね」
「…………」
「そうした事故が原因で術者の手から離れて野生化してしまったものたちが、はぐれ召喚獣として人々をおびやかす存在になるんだよ」
「なんか、こわいよな。そういう話を聞いちゃうとさ」
 少し不安そうに苦笑するナップに、笑いかける俺。
「だいじょうぶだよ。自分の力量以上の無茶さえしなければ、暴発も暴走も、まず起こったりしない。要は、心構えさ」
 そういう認識があるかどうかで召喚術をきちんと制御できるかが決まったりするんだけど。
「さて、それじゃ今日からは術の使い方だけじゃなくて、その作り方である「誓約の儀式」について勉強しよう」
「やりーっ!」
 嬉しげにガッツポーズをするナップ。うんうん向上心が旺盛で可愛いなぁ、とうなずきながら俺は考える。
「最初は……そうだな、まずは「護衛獣」との誓約をやってみようか?」
「護衛獣?」
「召喚師の身の回りの世話や、護衛をする召喚獣のことだよ」
「それなら、もうコイツがいるじゃん?」
「ピピッ、ピピー!」
 笑ってアールを持ち上げる。
「うん、だけどさ、アールは君と正式に誓約したわけじゃないだろ?」
「そりゃ、そうだけど、でも……」
「ピピプー……」
(…………)
 辛そうに目を伏せるナップに、俺はずきゅんときてしまった。不意打ちでそういう顔をされると、なんというか……弱い。俺はたまらず言ってしまう。
「よし、それじゃあその子と誓約の儀式をしてみるかい?」
「え、いいの!?」
 驚きと喜びが入り混じった顔。
「この島の召喚獣たちは普通のはぐれと違って誓約に縛られていないみたいだし……君の努力次第で何とかなるかも?」
「よーし……」
 ナップはやる気満々に気合を入れた。

「古き英知の術と我が声によって、今汝へと、新たなる名を与えん……」
「…………」
 まだぎこちない部分がそこらじゅうに残っているものの、懸命に呪文を唱えるナップ。俺はそれを後ろから見守った。アールも真剣な表情だ。
「新たなる誓約のもとにナップがここに望む……」
 カァァ、とサモナイト石が輝きだした。精神を集中していたナップが、ふいにアールに向けて小さな笑みを投げかける。
「よろしく頼むぜ? アール……」
「ピッピピッ!」
「今ここに、護衛獣の誓約を交わさん!」
 気合をこめてナップが叫ぶと同時にサモナイト石の輝きが目を開けていられないほどに高まり――ふっと消滅した。
 俺は優しく声をかける。
「目を開けてごらん?」
 不安なのか、のろのろと目を開けたナップは、アールを見て目を輝かせた。
「あ……」
「ピピッピピ〜♪」
「アール!? それじゃ……」
「誓約の儀式は成功だよ。ほら、これが証拠さ」
 俺がアールのサモナイト石を差し出すと、ナップはぱあっと花が咲いたような(欲目入ってるかもしれないけど俺にはそういう風に見えたんだよ! うう、理性理性……)笑顔を浮かべた。
「サモナイト石に……刻印が……」
「この召喚石で呼べばいつでも、この子は君のところにやってきてくれる。大事にするんだよ」
「うんっ!」
 素直で元気な笑顔の返事。一瞬で盛り上がる押し倒したい衝動に蹴りを入れ、俺は微笑みながら説明した。
「ついでに、もうひとつ。普通の食事以外に召喚獣たちには特別な食べ物を与えられるんだ」
「特別な食べ物?」
「誓約も無事に成功したことだし、さっそくあげてみようか?」
「ピッピピー♪」
 ナップが電磁バーガーをあげてやるのを見ながら、俺は説明する。
「自分の世界の食べ物をあげたほうが、召喚獣も喜ぶし、元気になる。当然、そのぶんだけがんばってくれるんだ」
「なるほど……」
「おぼえておくんだよ」

 授業が終わって釣りに行ったら浜辺で倒れている人を発見したので、クノンに手当てをしてもらった。とりあえず無事だということでほっと一息。
 ジャキーニさんにこの島の周りには結界が張られているらしいという話を聞いたあと、スバルくん……と、呼び捨てでいいと言われたのでスバルたちと一緒に蓮の上を跳んでどっちが早く向こう岸にいけるかとかで遊んだ。感心されるほど早く跳んで、宝物までもらってしまった。こういう風に親しくなるのって、やっぱり嬉しいな(子供だからどうとかは置いておくとして!)。
 そのあとミスミさまに会いに行ったら、なんとスバルとミスミさまが親子だという話を聞いてしまったあと……学校の先生をしてくれないかと頼まれてしまった。将来、人間たちがこの島を訪れる時のため、この世界についての知識を教えてやってほしい、ということなのだけど……。
 困ってしまった。確かにミスミさまの言うことは正しいと思う。人間たちと共存するため、誰かがこの島の子供たちにリィンバウムのことを教えてやらなくちゃならないと思う。
 でも、それよりなにより俺はナップの家庭教師なんだ。役に立てるものなら役に立ちたいけど、それよりまず俺はナップの先生でいたい。ナップにいろんなことを教えて、傷つかないように守ってやりたいんだ。
 それなのにナップの気持ちも聞かないで学校の先生になんか、なれるわけがない。
 だから、考えさせてください、と言うと――
「こんのォ……バカタレがァァッ!!」
 突然現れたおじいさんに思いきり怒鳴られた。
「言うに事欠いて一人のための、先生でいたい、だとォ? 「子供たち」を導いてやれぬ者が「子供」を導けるはずなかろうがッ!!」
 あのそれって順番が逆では? と言う間もなく引っ張られて、俺は『教師のなんたるか』をたっぷり説教されてしまったのだった。

 あのおじいさんはゲンジという名で、「名もなき世界」から召喚されてきたらしい。
「そのジイさまに説教されて、結局は引き受けちゃったってことでしょ?」
 ……そうなんだけど。でも、俺は、流されて引き受けたっていうつもりはないんだ。
 俺なりに、ゲンジさんの言葉に、感じるものがあったから。
「俺たちとしては別に構やしねえがよ。ナップがどう思うかまでは知らねえぞ?」
 ……そうなんだよな。それが問題なんだ。

「そういうことでさ、俺、島の子供たちの先生をやろうと思うんだ」
「……」
 俺が説明している間、ナップはじっと俺のほうを苛立ちに満ちた目で睨んでいた。や、やっぱり怒ってるのかな、と内心ちょっぴりびくびくしながらもナップに微笑みかけて言う。
「ナップは、やっぱり反対かな?」
「当たり前だよッ!」
 思いのほか、激しい反応が返ってきた。やっぱり怒ってるよ〜とびくびくする気持ちと少しは俺を自分のものとして見てくれてるんだ〜と(こんな時だというのに……)嬉しくなる気持ちが入り混じり困り果てる俺に、ナップは腹立たしげに吐き捨てる。
「だけど、アンタはもう約束しちゃったワケだろ……だったら、認めるしかないじゃないか……」
「ただ、約束したからやろうと思っているんじゃないんだよ」
 そのくらいの気持ちなら最初から約束なんてしない。
「今日、ゲンジさんって人に叱られてさ、俺、気づいたんだ。今の俺は、君の先生を名乗れるだけのことができていない……」
 だってナップ、君がなにが嫌で、どうしてそんな風に苦しんでいるのか、俺にはちっともわかってないんだから。
「!」
「胸を張ってそう言えるようになるためには、先生としての勉強をしなくちゃ、って」
 君の気持ちを、君が俺になにを望んでいるのか、わかるようになるために。
「先生としての……勉強……」
「うん、そのために学校の先生を、やってみようと思ったんだ」
「わかったよ……」
 ナップはいかにも渋々という感じで言った。
「アンタがそこまで言うんなら、認めてやるよ」
「ナップ」
「でも、そのせいでオレをほったらかしにするのだけは、絶対に許さないからな! あくまで、アンタはオレのために雇われた家庭教師なんだからな」
 俺を独占したいと思ってくれてる!? と(そういう意味ではないのはわかってるけど……)跳ね回りそうになる心を抑えて、俺はしっかりうなずいた。
「うん、わかってる。絶対にそんなことはしないから……」
「……」

「ほら、みんな。席についた、ついた!」
 学校初日。俺は気合を入れて授業に臨んだ。
 生徒はスバルにパナシェ、そしてナップ。ナップの方が二人より少し年上だから一緒にやるのは難しいのかもしれないけど、俺はできることならやっぱりナップも一緒に教えたかったんだ。
 ナップは、俺の誘いに、ぶすっとした顔ではあったけどうなずいてくれた。
「えーっと……今日から、君たちにこの世界についての勉強を教えます。先生のレックスです。みんな、よろしく」
「おう!」
「よろしくお願いします」
「……」
「よーし、それじゃあ授業を始めようか?」
 主目的はリィンバウムの知識を伝えることとはいえ、そのためには子供たちには同時に読み書きの勉強も教えなくちゃならない。同時に一般教養も身につけさせたいから、やるべきことは多岐にわたる。
「それじゃ、この文章を10回ずつ書いたら持ってくるんだよ」
 どうなることかと思ったけど、とりあえず普通に授業は進んでいる。なにか質問があったら受け付けようと子供たちの席の間を歩いていると、ナップが特別に出した課題をやりながら眉を寄せているのを見つけた。
「……」
「どうだい、なにかわからないところとかあるかい?」
「この部分の計算が、ちょっと……」
「どれどれ?」
 とのぞきこんだとたん、パナシェの叫び声が聞こえてきた。
「やめろってばぁ!?」
 ……トラブル発生か?
「ごめん、ちょっとだけ待ってて」
 俺はナップに頭を下げて、パナシェの方に向かった。
「こら! ちゃんと真面目に書きとりしなくちゃダメだろ?」
「だって、先生。スバルが、横から邪魔してきて……」
「おいら、邪魔なんかしてないぞ? 勝手に決めつけるな!」
「ウゥ……っ」
 喧嘩しないでくれよ……授業中に……ナップを待たせてるのに……。
「ああ、二人とももめてないで、まずは手を動かして。それが終わらないと次の勉強に進めないぞ。さあ、がんばって」
 二人を諭してから俺は急いでナップのところに戻った。
「……お待たせっ! ここの計算式はね、こっちの応用なんだよ」
「ここの、この部分?」
「うん、そうそう。具体的には……」
「返してってば!?」
「!」
 ………またか………。
「こら!」
「スバルが、ボクの書いたのを……」
「なに言ってんだよ? これは、おいらのだ」
「ウソをついてるのがどっちかなんて字を見れば、すぐにわかっちゃうぞ。見れば……」
 ………ダメだ。字が汚すぎて判別ができない………。
「先生、ウソつきはスバルだよね!?」
「なんだよっ、弱虫のくせに、いい子ぶって!」
「ちょっと、二人とも! ケンカは……」
「先生さ〜ん!」
 ………今度はなんだ?
「ま、マルルゥ?」
「ひどいですよう! マルルゥだけ、のけ者にして、遊ぶなんて。マルルゥも、仲間に入れてくださいです!」
「あのね、マルルゥ? これは遊んでるわけじゃなくて……」
「そうだ、そうだ。マルルゥは帰れよ!」
「ヤンチャさん……どうして、イジワルをするですかー!?」
「ボク、ウソついてないのに……っ」
 ああ、もうなにがなんだか。なんだかしっちゃかめっちゃかに……
「いい加減にしろッ!!」
 ………ナップ!?
 俺が「ナップ……」と声をかけると、ナップは一瞬だけぎっとこっちを睨んで背を向けた。
「……帰るッ!!」

 走り去るナップに、俺は集いの泉の近くで追いついた。
「待ってくれよ!? ナップ」
 後ろからそう叫ぶと、ナップは足を止め、くるっと振り返って叫び返してきた。
「……ウソつき!!」
 …………。
「オレのことほったらかしにして、アイツらの面倒ばっかみてさ……これじゃ、全然約束と違うじゃんか!」
「それは……」
 確かにそういう形になっちゃったけど、ほったらかしなんていうつもりは……
 ……言い訳だ。俺は確かに、絶対そんなことはしないって言ったのに……。
「どうでも、いいんだろ? オレのことなんて、本当はもう、どうでもいいんだろ!?」
「!?」
 違う。それは違う。ナップ、君は俺の最初の生徒で、守ると約束した子で、めちゃくちゃ可愛いと思ってる子で―――
 だから、結局なんなんだろう。
 俺にとって、ナップって、つまるところなんなんだろう?
 思考のループに陥った俺に、ナップが言葉を叩きつける。
「戻れよ……っ!」
 今にもこぼれおちそうに、涙をいっぱい目に溜めて。
「さっさと戻ってアイツらの先生やってりゃあいいだろッ!!」
 ナップ……!
「そんなことない!!」
 なんとか『どうでもいい』ってことだけは否定したくて、必死に叫ぶ。
「!」
「君だって、俺の大切な生徒なんだよ……大事だとかいらないとかそんな区別、できるわけないだろう!」
「でも……っ」
 ナップは涙目のまま、俺を睨んで叫んだ。
「オレは、そんなんじゃイヤなんだよッ!」
 そしてくるっと背を向ける。
「……っ!」
「ナップ!?」
 走り去るナップを、俺は追うことができなかった。
 なにがそんなに嫌なのか。それもわからない俺が、今のナップになにを言ってやれるのか、わからなくて……。

 帰ってくると、船にはまだナップはいなかった。しょんぼりしていると、カイルとスカーレルが帰ってきて、帝国の兵士を見た、と言う。
 ……ナップが危ない!
 俺は思わず走り出していた。

 鬼妖界集落にナップを探しに来て、ミスミさまにナップを探してもらうよう頼むと、俺はゲンジさんのところへ立ち寄った。
 この人なら、今のナップに俺がどう向き合えばいいか、道を示してくれる気がして……情けないとは思うけど。
「バカタレが……」
 やっぱり叱られてしまった。
「おおかた、お前はあの子のことを怖がっておったんじゃろう!?」
 ………!
「怒らせんように、傷つけんように考えて優しく、接していく。それもよかろう。じゃがな……思いきって近づかなければ子供の心を知ることなど、できんぞ?」
 ……返す言葉もなかった。
 その通りだ。俺はナップが、ナップの反応が怖かった。怒るんじゃないか、傷つくんじゃないかっていつもびくびくしながら接していた。
 ちゃんと大切に思うなら、よけい真正面から、自分の心を見せて向き合わなくちゃならなかったのに……。
 自分の弱さが、愚かさが、情けなくて、悔しかった。
「わかったら、さっさとあの子のところに行ってやれ。きっと、お前のことを待っておる……」
 俺は「はい!」と答えて、走り出した。

 ユクレス村の妖精の花園でマルルゥたちに会った。マルルゥたちもナップを探してくれていたらしい。
「おいらたちがふざけて騒いだせいなんだもんな。謝らないと、なんか気持ち悪くて……」
 ……いい子たちだなぁ。俺は、この子たちのことが、なんだかすごく可愛く感じた。
 と、その時パナシェが走り寄ってきた。ナップが武器を持った人間たちに捕まっている、と言う。
 ……帝国軍!
 俺は場所を聞くと、あとは先生に任せて家に戻るように言った。なんとしても、絶対ナップを助けなくっちゃ……!

「ナップ!?」
 俺は岩場で帝国軍に囲まれているナップを見つけ、叫んだ。この前集落を襲っていた顔に刺青をした男がいる。
「その子を、離せ!」
「やはり……貴様だったか……」
 兵士たちの向こうから現れたのは……アズリアだった。アズリア・レヴィノス。軍学校時代の俺の同期……。
 驚く俺に、アズリアは自分はこの部隊の隊長だ、投降しろと言ってきた。海賊に加担していた事実は見過ごせないと。
 でも……俺は間違ったことはしていない。そのつもりだ。自分なりに正しいと信じてやったことなんだ。
 俺がそう言うと、ならば私の手で捕らえるのみだ、と剣を抜く。気は全然進まなかったが、俺も合わせて武器を構えると、刺青の男が「こっちにゃあ、人質がいるってことを忘れんじゃねェ!!」と叫んだ。
「は、離せよっ!!」
「ナップっ!?」
 刺青の男――ビジュはアズリアの命令に逆らい、ナップを抱え込んで武器を捨てろ、と言う。手を出したらナップを殺す、と。
 ……俺は言われた通り、武器を捨てた。
「なんでだよ!? なんでこんなヤツの言うことなんか聞くんだよ!?」
「黙ってろッ!!」
 ビジュはそう怒鳴ると、ナップを殴りつけた………!
 そのとたん、ズキーンと胸が痛んだ。ナップが殴られたってことが、すごく胸に痛かった。
 ……許せない。
 ナップを……あの子を、殴るなんて……! 絶対に、許さない。
「よせっ! お前が恨んでるのは俺だけだろ!?」
 必死になって俺の方に注意を引き寄せると、ビジュは言われなくてもそのつもりだ、と次々に召喚術をぶつけてくる。
 ……痛い。確かに痛い。
 だけど、こっちの方がはるかにマシだ。ナップを傷つけられた時の、ナップを傷つけてしまった時の痛みに比べたら、たかだか召喚術を数発体にぶつけられたくらいがなんだっていうんだ!
「どうして……っ!?」
 ナップが泣きそうな顔で訊ねてくる。
 そんな顔、させたくない。君には、笑顔の方がもっとずっと似合うのに。
 だから俺は微笑んでみせた。
「は、はは……っ、だって、俺はさ、君と、約束……しただろ? 絶対に、君のことは守ってみせるから……ってね?」
「!?」
「んじゃ、その約束を律儀に守って……」
 ビジュが少しずつこっちに近づいてくる。くそ、ナップさえ離せば召喚術かましてやるのに。さっきからそういう隙は少しも作ろうとしない。
「死ねええェェッ!!」
 死んでたまるか……俺はナップとまだちゃんと話すらしてないのに……っ!
「せ……っ、先生ええぇぇ〜っ!!」
 ――その瞬間、なにかが青く輝いた。
「ピピピピィーッ!!」
 ドウンッ!
 召喚術の音だ。その音と共にビジュが悲鳴を上げながら吹っ飛ぶ。
「先生っ!? しっかりしてよ!? せんせえ……っ!!」
 ……ナップの声だ。
「ごめんなさいっ! オレのせいで……っ、うっ、うう……っ」
 泣かないで、ナップ。俺のせいで泣いたりしないで。
「俺なら、大丈夫だから。だから、ほら……もう、泣かないで?」
 俺には、君が泣いてる方が、ずっとずっと辛いんだから。
 やっきになって攻撃しようとするビジュ。そこに助けに来てくれたのはカイルだった。のみならず、キュウマさんやヤッファも、みんなが助けに来てくれた。アズリアはそれに対抗して兵を動かし、ナップを巻き込んで、そのまま戦闘に突入した……。

 戦闘の中で俺はシャルトスを抜き、なんとか帝国軍を退けた。アズリアは敵に回してしまったみたいだけど……。
 戦闘後、ナップは方々から責められたけど、俺はナップと二人きりで話をさせてくれ、とみんなにちょっと遠慮してもらった。
 ――夕暮れの崖っぷちの森を、ナップと二人ゆっくりと歩く。そういえばここのところ授業以外でこんな風に二人っきりで向き合う機会ってなかったな、などと場違いなことを考えた。
 二人ともしばらくの間なにも言わなかった。ナップはうつむいて小刻みに震えながら、俺のあとをついてくる。
 最初に口を開いたのは俺だった。叱責でも謝罪でもなく、こんな言葉が口をついて出た。
「だけどさ、驚いたよ。あの時、君が召喚術を使ったのには……」
「……」
「なんていうか……俺が思っていたよりも、君はずっと強くなっていたんだね」
 俺のただ守りたいっていう押し付けなんか、お笑いにしかならないくらいに。
「強くなんか……っ、ない……っ」
 ナップはうつむいたまま肩を震わせたかと思うと、ばっと顔を上げて泣きそうな顔でこっちを見た。
 本当に、今にも泣きそうな顔で。
「オレ、ちっとも強くなんかない! 弱虫なんだよっ!」
 体を小さく震わせながらこっちを見上げる。大きな目を、さっきまで剣を振るっていたとは思えないほど小さな体をたまらない想いでいっぱいにして。
「こわかったんだ……」
 こわかった? ナップも、怖かったんだろうか?
「アンタが、どんどん他のみんなと仲良くなっていって……オレのことなんか、忘れちゃうんじゃないか、って……こわくて……こわくて、たまらなかったんだよぉっ!」
 ナップ………。
 そんなことを、考えていたのか。
 俺は本当に馬鹿だ。ちゃんと考えればすぐわかることなのに……君はずっと、初めて会った時からずっと、俺に『寂しい』って言い続けてたのに。
 いろんな形で……何度も何度も、『寂しい』って。
「イヤなんだ……っ、もう、ひとりぼっちにされるのは……っ。みんな、オレの側にはいてくれない……ほめてくれなくていい、悪いことをしたら叱ってくれていいんだ、だから……っ!」
 ぽろぽろっ、とナップの瞳から涙がこぼれおちた。泣きながら、搾り出すような心の底からの叫びを俺にぶつける。
「ちゃんと、オレのこと見てよぉ……っ!!」
 心が、ぎゅんと痛んだ。
 伝わってくるよ。ナップの、精一杯の気持ち。
 自分の存在を認めてほしいっていう、たまらなく寂しい気持ちが……。
「そっか……ずっと、そんなこと気にしていたんだ?」
「う、ううう……っ」
 いとおしい、と思った。
 このたった一人で泣いている、幼い子供が。
 この子の側にいたい、と思った。
 同情でもなく、義務感でもなく。ただ俺自身の気持ちで、この子と一緒にいたい、って……。
「ナップ? 俺が、君の家庭教師を引き受けるって決めたのはね……君が、どこか昔の俺に、似ていたからなんだよ?」
「……っ!?」
 仕事を探していたせいも、俺で助けになるならと思ったせいもあるけど、なによりも。
 自信がないと尻ごみしてしまう、俺の背中を押したのは。
「俺も、小さい時に事故で両親が死んでさ。一人ぼっちだっていじけてた……」
 苦しいとか寂しいとか感じることもできないくらい、はっきりした孤独。だけど――
「でもね……そんな俺を、村の人たちが助けてくれた。家族みたいに、優しく、厳しくしてくれて……その時、思ったんだ。大きくなったら俺は、この人たちのようになりたいって。困ったり、苦しんでる人たちを、助けられるような人間になりたいってね……」
「……」
 うつむくナップの肩を、俺はできるだけの想いを込めて優しく叩いた。
「ごめんね、不安にさせちゃって。だけど……俺は、なにがあろうと君の先生だからね?」
 君がどこに行こうと、君にどんなことがあろうと、それだけは絶対変わらないから。変えないって、決めたから。
 君は、一人ではないよ。
「う……っ」
 ナップはまたぽろぽろっと涙をこぼしながら、どん、と俺に抱きついてきた。ぐりぐりと頭を擦りつけながら、涙声で叫ぶ。
「うわあぁぁぁん! 先生……っ! せんせえぇぇぇっ!」
「うん……」
 俺はしばらくの間、ナップを優しく抱きしめていた。何度も背中を撫で下ろし、ここにいるよと伝える。
 こんな俺の胸でよければ、いくらだって貸してあげるから。
 ――ずいぶんと長い間、もしかしたらすごく短い時間だったのかもしれないけど、ナップが泣き止んできたのを見計らって俺は言った。
「さあ、もう泣かないで。一緒に、みんなのところへ帰ろう?」
「うん……っ」
 見えずにいたもの、ずっと知らずにいたもの。
 それを認め、気づきあって俺たちは、ようやく互いの居場所を見つけたんだ。
 先生と生徒ってだけじゃうまく言い表せない。はっきりした形も見えてこない。
 でも、これだけはわかるよ。俺たちにとって、これからが始まりなんだってこと。
 沈んでゆく夕陽の中を、二人でゆっくりと歩いていく。
 繋いだ手の温もりと、そこから伝わる健気な力。
 今はただ、それが素直に嬉しかった……。

 船に帰ってきてみんなに謝り、食事を済ませてみんなが自室に引っ込んだあと。俺とナップは、示し合わせたってわけじゃないけど、船の外に残った。お互い顔を合わせて、ちょっと照れくさくなる。
 お互いなにを言えばいいのかわからなくて、でももう少し二人で話したくて。二人で並んでしばらく星空を見上げた。
 俺はなんだかすごく幸せな気分になったけど、そんなことを言うわけにもいかないので、こんなことを言った。
「先生って呼んでくれたの初めてだよね?」
「う、うん……」
 ひどく照れくさそうなナップに、俺は笑いかけた。
「ありがとう。うれしかったよ」
「そ、そんなのっ、改まって確認するなよな! まったく……」
 顔を真っ赤にしてそっぽを向いてしまうナップ。可愛いなぁv と思いつつ、俺はおずおずと話を持ち出した。
「それで、学校のことなんだけど……」
「続けていいよ。オレ、もう平気だから」
 ちょっとうつむき加減になりながら、健気に言うナップ。いい子だなぁ、やっぱり。
「ただ、オレの授業は別にやってほしい。オレ、頭が悪いから、やっぱ、つきっきりで教えて欲しいし……」
 ためらいがちな口調でそう言うと、そっと上目遣いで俺を見上げて言う。
「ダメ?」
 …………!
 そ、そんな顔でそんな口調で「ダメ?」なんて言われたらどんな願い事も聞いちゃいそうだ……! か、かわっ、めちゃくちゃ可愛い……!
「そんなことないさ。なんとか、がんばってそうしてみるよ」
 冷静さを取り繕ってそう言うと、ナップは満面の笑顔でうなずいた。
「うんっ!」
 やっぱりナップには笑顔が一番よく似合う。泣いてる顔も可愛いけど、やっぱり笑った顔を見ていたい。
 ……そう言えば、さっきナップの泣いてる顔をたくさん見たけど、『泣いてる顔可愛い〜!』とかは思わなかったな。ただいとおしくて、涙を止めたくて。
 抱きつかれたり、手を繋いだりと普段ならドキドキしただろうシチュエーションも満載だったのにそんなこと気づきもしなかった。なんていうか、たまらなく優しい気持ちになっていて……
 ……これは、やっぱり、俺は、本格的に……
「どうしたんだよ」
 急に黙りこんだのを不審に思ったのか、ナップが俺の顔をのぞきこんでくる。俺はドキッとして、その拍子にあることを思い出した。
「……そういえば、前にも一度だけ俺のことを先生って呼んでくれたことがあったよね」
「え?」
 記憶にないらしく、本気で驚いた顔をするナップ。
「ほら。初めてこの島に漂着した日に、はぐれ召喚獣に襲われたあとで……」
「……ああ!」
 思い出して、恥ずかしくなったのかナップはわずかに顔を赤くした。
「でもあれはなんていうか、はずみっていうか……」
「うん……俺もなんていうか、今日が本当の初めてって気がするよ。少しでも、君の先生になり始めることができたのも、今日のことだし……ようやくって感じで、情けないけど」
 俺は少し考えて、ナップに右手を差し出した。
「ナップ。これまでありがとう。そして……これからも、よろしく」
「……うん」
 ナップは微笑んで、同じように右手を差し出した。俺は俺のより一回り小さい手を、そっと握りしめる。ナップも握り返してきて、お互いそっと微笑みを交し合った。
 ここからが、始まりだ。この子の先生としても、一人の人間としても……。

 本日の授業結果……愛に変わった。

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