遅れてきた卑怯者

 俺は一人、森の中で碧の賢帝について考えていた。なんだかふいに、ひどくこの剣のことが気になってしまって。もしかしたら剣に呼ばれたのかもしれない。
 俺はあの時自分の意思でこの剣を?み取った。生き延びるため、ナップとした約束を守るために。
 でも、どうして俺だったんだろう? あの場にいた他の誰でもなく、どうして俺のところに……。
 そう考えた時、突然声がした。剣を手に取ったときの、あの声だ。
『それは、お前が適格者だったからだ……』
 驚く俺に、声は続けて言った。自分の力の源は精神、強い精神と強い想いの備えた者だけが自分を使うことができる。
 そして俺を選んだのは、「継承」に至るため。そうして本来の姿に戻るため。波長、輝き、カタチ、全てを満たす可能性を持つ者が「適格者」だと。
『継承せよ……全てを……』
「ぐ……っ!?」
 その声が響いた瞬間、俺は強制的に抜剣させられていた。
『ひとつに……』
 ――うああぁぁぁっ!?
 俺は頭の中になにかが押し寄せてくる感覚に、絶叫していた。
『手遅れに……なる……』
 そのなにか≠ノ飲み込まれるかと思った瞬間、イスラさんの俺の名を呼ぶ声が聞こえた。そのとたんなにか≠ヘまるで潮が引くように引いていく。
 その後イスラさんには碧の賢帝について聞かれたんだけど、俺は詳しい話はできないと言って謝った。下手に事情を知ったらイスラさんも戦いに巻き込まれちゃうかもしれないから……。
 でもイスラさんは俺の苦しみようは普通じゃなかったと言って剣を手放すことを勧めた。……でも、それはできない。この状況ではまだ、みんなを守るこの力が必要だし――今結局この剣がなんなのか知りもせずこの剣を手放してしまったら、後で悔やむことになると思うから……。
 たしか、前にも今日みたいなことがあったと俺は思い出していた。キュウマと一緒に喚起の門に行った時だ。
 虫の騒ぎでうやむやになったままだけど、ちゃんと話をしてみるべきかもしれない。

 それはさておき、今日の授業はナップの戦い方の長所と短所についてだ。俺なりに戦いの中で感じたことをナップに語ってみた。
「……ってわけで、今のが、君の戦い方の長所と短所ってわけだ」
「攻撃を意識しすぎてつい防御を忘れがちになる、か……」
「プピー……」
 真剣な顔で考え深げに言うナップの顔を堪能しつつ(馬鹿――! 授業中だぞ授業中!)、俺は真剣な顔で続ける。
「自分の欠点を知るのは上達には欠かせないことだからね。そう深刻になる必要はないけど、これからはそこを意識して……」
「なあ、ホントにそれでいいのかよ……」
「え?」
 笑顔になった俺に、ナップはものすごく真剣な顔で言ってきた。
「訓練では、ささいなことかもしれないけど、それって実戦じゃ命取りなんだろ!?」
 う。それは、まあ。でもだからってはいそうですかって直せるものでもないし……。
「それは、ほら……だからこそ、少しずつ克服して……」
「そんなやり方じゃあダメなんだよ!」
「ピピッ!?」
 俺を睨むように見つめて、ナップが叫ぶ。俺はナップの真剣な思いを感じて、じっとナップを見返した。
「ナップ……」
「ごめん……でもオレ、早く強くなりたいんだ!!」
 怒鳴ってしまったことを恥じるように、顔をうつむけながらも懸命に言葉を紡ぐナップ(うわ、しょんぼりとした顔久しぶりに見た。ナップが悲しむのは嫌だけど、こういう顔もやっぱり可愛い……ってなにを考えてるんだ俺はーっ!)。
「どんどん、敵の攻撃が強くなってきている今だからこそ……自分の身は、自分でちゃんと守れるようになりたいんだよ!!」
 そう叫ぶと、目を閉じてまたうつむいてしまう。
「足手まといに……なりたくない……」
「プピィ……」
「…………」
 俺は思わず笑みを漏らしていた。
 いい子だな。強がりと言い捨てるのは簡単だけど、この子は今、自分の意思で必死になって現実に立ち向かおうとしてる。
 こんな小さな体を決意でいっぱいにして。それはやっぱり、この子もこの島を、そして俺たちを守りたいと思ってくれているからだろう。
 俺はこの子ぐらいの頃、きっとこんなに強くなかった。自分の力で誰かを助けたいと、はっきり思うほどには……。
 俺はなんだかひどくこの子の意思がいとおしくなって、こんなことを言ってしまった。
「きつい特訓になるけど、それでも、いいのか?」
「やるよ!! オレ、やってみせる!」
 必死に叫ぶナップに、俺はうなずいた。
「わかった……」

「ルールは簡単だ。その位置から接近して俺に一撃を叩きこめば君の勝ち……でも、俺はこいつを投げて、君の接近を全力で防ぐ」
「リグドの実……」
「小さくても、固いから当たれば痛いしケガするかもしれない。構わないかい?」
「…………っ。やってくれ、先生!!」

「りゃっ! はっ!! ……ぐっ!?」
「どうした!? さっきから、ちっとも距離が縮まらないぞ!」
「くっそぉ……っ」
「プピピィ……」
 俺は近寄るナップにびしばしとリグドの実を当てながら、内心泣きそうになっていた。ナップの意気を尊重しようと思って特訓を言い出したけど、やっぱりこんな風にナップを痛めつけるのはやっててめちゃくちゃ辛い。
 教師は時には厳しくなくちゃならないっていうのはわかってるけど、わかってるけど〜、ああ悔しげに汗を拭うナップを今すぐ抱きしめてあげたいのに〜っ! と思いつつ俺は必死に厳しい口調を作って言う。
「口より手を動かせ! 隙を見せたら、相手はそこにつけこむぞ! こんなふうにだ!!」
 言葉と同時にリグドの実を素早く何個も投げつける。
「あぐっ!? うあっ! ぐ、あ……っ!?」
 為す術もなく全弾食らい、激痛に耐えかねてだろうその場に膝をつくナップ。
「ピピピッ!?」
「う、く……っ」
「…………」
 できるだけ服を着ているところを狙ったつもりだけど、それでもやっぱり何発かは肌を露出した部分に当たってナップの肌を傷つけていた。尖った部分で切ったのだろう、ナップの首からは血が流れている。服の上に当たった部分もきっと、ひどい痣になっているに違いない。
 俺は自分がナップを傷つけているということがもう辛くて苦しくてしょうがなくて、泣きそうに落ち込みながら力なく腕を下ろした。
「やっぱ、シャレになってないよな? これって……」
「いいんだよ……シャレになんなくて」
 独り言に言葉を返され、俺は驚いてナップを見た。
「オレ、大真面目にやってんだからさ」
 そう言って苦しげな息の下からにやりと笑ってみせるナップに、俺はドキリとした。
 なに考えてたんだ俺は。自分が苦しいから訓練をやめようとするなんて。一番苦しいのは他でもないナップじゃないか。生徒が前に進もうとしてるなら、手を貸してやるのが教師ってものだろう? この子がこんなに真剣に頑張ってるのに――
「そっか……」
 俺は息を吸いこんだ。こんなんじゃ君の教師失格だよな、ナップ。
「もう一度、いくぞ!」
「おうっ!!」
「ピーピピッ!!」
 俺はまた腕を上げて、リグドの実を投げつけた。ナップ、俺は――君の力になりたい!
 と――ナップの動きが変わった。防御する動きが――次の動きに繋がっていっている!?
「!?」
「うおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」
 俺が腕を上げるよりも早く、ナップは俺の体に一撃を与えた。
「……っ!」
「あ……」
 まだ信じられないように呆然としているナップの頭を、俺はそっと撫でた。
「ははは……できたじゃないか?」
「でき、た……オレ……できたのか!?」
 ぱあっと広がる満面の笑み。やっぱりナップは――笑顔が一番よく似合う。
「ピピピッ♪ ピッピピーッ♪」
「よくがんばったな?」
 もう一度、優しく頭を撫でる俺にナップは思わず、といったように涙ぐむ。
「先生……」
 うっ……そんな顔をされたら……! 必死にここまで理性を保ってきたのに……!
 思わず手をわきわきさせる俺――だがそんなものに気づきもせず、ナップは満面の笑みを浮かべて飛び跳ねた。
「やったあーっ!!」
 スカされて脱力しながらも、俺も嬉しかった。まだこんなに小さいのに、こんなに頑張って自分の欠点を克服しちゃうなんて……俺だってあんな風に見事にはできないのに。
 ……俺も精進しないと、な。
 君はすごいよ、ナップ……。

 オウキーニの作ったご飯を食べたり、クノンやスバルやゲンジさんと話したり、ヴァルゼルドという軍隊口調の機械兵士と知り合いになったりといろいろあった後。
 俺はヤッファのところへやってきた。ヤッファなら事情を知ってるし、いい知恵を貸してくれるんじゃないかと思って。
 でも残念なことにヤッファは留守で、俺は仕方なく一人ユクレスの広場までやってきた。
 と、その時、物陰からヤッファの呻き声というか、苦痛のあまり漏れる絶叫のようなものが聞こえてきた。慌てて声のした方に向かうと、やはりヤッファが体に爪を立て、のた打ち回って苦しんでいる。
 苦痛の原因はヤッファの体にかけられた誓約なんだそうだ。呪いのように時折全身が痛むらしい。
 俺は心配をさせたくないからこのことは誰にも言うなと言うヤッファに、うなずくことしかできなかった。
 当然相談なんてできるわけもなく、仕方ないので俺はキュウマのところに向かうことにした。なにか知っているとしたら、キュウマが一番確率が高い。
 俺は剣の意思が強引に心の中に入りこんできたことを語り、剣のことについてキュウマの知る限りのことを話してほしいと言った。黙ってた事情があることはわかってるけど、聞かないわけにはいかない。
 キュウマは、剣を「継承」した以上いつか知ることになることだからと俺をリクトさんの墓所である社まで引っ張ってきた。キュウマの話をまとめると、こういうことになる。
 封印の剣、碧の賢帝シャルトスと紅の暴君キルスレスはこの島の戦に使われた。この島は剣と同じく無色の派閥によって作られ、廃棄することを決められたが、それに従わなかった召喚師――この島を楽園にすることを夢見たリクトさんの親友の反逆により戦となった。
 封印の剣によりその召喚師の魔力は封じられたが、彼とリクトさんの最後の奮闘により島から派閥は撤退した。この剣の力はその時に封じられた力の一部。剣を使いこなせれば遺跡の機能を元に戻せるはず、そうすればリクトさんの遺言である家族にシルターンの景色を見せたいという言葉をかなえられる、自分はそのために生きてきたのだ――と。
 俺は初めて知る事実に驚きながらも、キュウマの想いにしんみりしてしまった。思わず声をかけようとした瞬間、キュウマが叫ぶ。
「動くなッ!!」
 なにか隠れている人間がいるらしい、と思った瞬間なにか赤い光と鈍い音が発せられ、キュウマは目眩を起こしたようにふらついた。慌てて支えようとするも、キュウマは必死に手裏剣を投げる。
 だが、現れたのはナップだった。緊急会議に俺を呼びにきたらしい。俺たちは急いで泉へ向かった。
 泉で聞いたところによると、どうやら放火があったらしい。状況からして集落に焼き討ちをかけようとしていたように思えるので、警戒とフレイズによる空からの調査を行うことになった。

 方々で聞いたところによると、火をつけたのは間違いなく帝国軍らしい。ただ、その手際が妙に悪いのが気にかかる。そういうことのようだった。
 フレイズの話では帝国軍は森の中を急いで移動しているらしい。俺たちは急いでその場所へ向かった。
 アズリアは……火をつけたのは君たちなのか、という俺の問いを否定もしなかったけど肯定もしなかった。ただ、急いでいる、そこをどけと言うだけで。
 それで、俺は無言で道をゆずった。
「先生!?」
「自分のしたことには責任をもつ。けして、ごまかしたり逃げたりはしない。誰かの口癖……だったよな?」
 俺の言葉に、アズリアはどこか悲しげな瞳で「さあ、な……」と言うと、行動を再開した。
 ナップには「いいの?」と聞かれたし他のみんなもそう思ってることはわかってたけど、火を放ったのはアズリアたちじゃない。俺はそう確信できたんだ。彼女の性格と、これまでの情報から考えて。
 じゃあ誰が? ということになって、ヤードが俺たちと帝国軍の対立を狙う者の仕業では、と言った時、マルルゥがスバルが捕らえられたという話を持ってきた。
 俺たちは驚いて、降り出した雨と鳴り出した雷の中をマルルゥの案内する方へ向かった……。

 風雷の郷の竹林の中、雨情の道。待っていたのはビジュだった。火をつけたのはお前か、という問いに半分はそうだぜ、と答えるビジュ。
「最初の一件については、僕がやったんだよ」
 後ろから現れたのはイスラ。アズリアの弟、帝国軍諜報部の工作員イスラ・レヴィノス。それが彼の正体だったんだ。
 彼は風雷の郷の人々を人質に取り、取引を持ちかけてきた。俺は碧の賢帝を抜く。
「これを、渡せばいいんだろう?」
 これを渡したから相手が人質を解放してくれるという保証はない。だけど帝国軍の連中は隙なく人質を捕まえていて、手の出しようがない。
 今はまだ、相手の言うままになっているしかない。俺は剣をアズリアに渡した。
 だが、イスラが解放したのはスバル一人。品物ひとつに対して人質が一人、対等な対価だと言う。
 全員を解放する対価は――俺の命、だそうだ。
 俺は、その条件にうなずいた。
「自分の言ってることの意味、本当にわかってんのかよ!?」
「自分でもさ、バカだなあ、って思ってはいるよ。でもね……俺は、やっぱりあの人たちを見捨てることはできないから」
「く……っ」
 目を閉じ唇を噛み締めてうつむいてしまうナップ。
 ごめん、ナップ。辛い思いをさせて。
 でも全員が助かるにはこの方法しかない。俺もそう簡単に死ぬ気はない。まだナップに教えてあげたいことは山ほどあるのに、ナップを一人残して死ねるもんか!
 だけど人質のみんなを見捨てるわけにもいかない。だからチャンスを窺うしかない。
 イスラがどんな方法で俺を殺そうとするかはわからないけど、近寄ってさえくれれば……この状況を打開するチャンスは巡ってくる!
 近寄らなくても帝国軍の連中に隙ができれば……可能性はそこにしかない!
「ふふっ、本当に君は僕の期待したとおりに動いてくれる。ありがとう……そして……さよなら!!」
 イスラは俺に近寄ってきて、剣を振りかざす……今だ! と思った瞬間――
 俺の前に走り出て、アズリアがその剣を受け止めた。
「どういうつもりだい? 姉さん……」
「もう、やめて……いくら任務のためでも、これ以上、私は……お前のそんな姿を見ていることなんてできはしない!」
 アズリア……。
 俺がどうするか判断に迷って動きを止めたその瞬間、ふいにすさまじい強風が吹き出した。その風は帝国軍たちにまとわりつき、動きを封じて跳ね飛ばす。
「これは……」
「母上の「風」だ!」
 現れたのはミスミさまだった。しゃなりしゃなりという擬音がぴったりくる優雅な所作で俺の横に進み出て、にっこりと微笑む。
「よう、辛抱してくれた。レックス」
「ミスミさま……」
「そなたが、時を稼いでくれたおかげで結界を張る用意ができたのじゃ……」
 そうか。だったら俺のあの決断も無駄じゃなかったんだな。ちょっぴりほっ、という気分だ。
「見るがよい!」
 風はますます強くなり、もはや鋭い刃を持った竜巻に形を変えているようだった。人質に触れようとした帝国軍兵の手を切り裂き、体を巻き込んで引き絞りつつ裂いて吹き飛ばす。
「これで、もう貴様らは郷の者には、指一本も触れられはせぬ……」
 言ってどこからかナギナタを取り出し、くるりと回転させて見得を切る。
「重ね重ねの非道の数々、もはや、このまま見捨ててはおけぬわ。白南風の鬼姫ミスミ、これより、参戦つかまつる……覚悟しやれや! 外道ども!!」

 俺たちは襲いかかってきた帝国軍を片っ端から倒していった。ふいに、後方に下がっていたイスラが声を上げる。
「剣が使えないくせに意外と、がんばってくれるじゃないか。そんな君に敬意を表して、ご褒美だよ」
 ぱちりと指を鳴らすと、待機していた召喚師たちが一斉に呪文を唱え始める。召喚術の一斉射撃をするつもりか!
 ダメだ……っ、このままじゃ、また守ることができずに終わってしまう。あの時と同じようになにもできないままにまた……。イヤなんだ……もう、目の前で誰かが傷つくのは……っ。
「大切な人を奪われて悲しむのは……」
 俺は歯を食いしばった。やっぱり、感じる。俺の体の底で、まだ剣と俺は繋がっている。全力で、心の底から、思いきり呼んだ。みんなを……ナップを、救う力を……!
「イヤだあぁぁぁっ!!」
 体が引き絞られるような激痛。体と心になにかが流れ込んできて、めちゃくちゃにされる感覚。
 それでも! 負けるわけには、みんなを守れずに消えてしまうわけにはいかない!
 俺は全精神力を振り絞って、溢れ出るエネルギーを相手に向けた……。
 遠くで響く爆発音。誰かが俺の名前を呼んでいるのが聞こえる。
「みんな……無事、だよね……」
 返事はよく聞こえなかったけど、うなずいてくれたのはわかったから、俺はひどく安心した。
「よかっ、た……」
 体から力が抜けた。血がさあっと下がっていく感覚。あ、これは倒れるな、と人事のように思う。
「先生っ!?」
 ナップの声が遠くに聞こえた。ごめんな、ナップ、心配かけちゃって。だらしない先生で、ごめんな……。
 その思考を最後に、俺の意識は闇に沈んでいった。

 目が覚めたらベッドの中だった。身体のあちこちが重くて、まるで、自分のものじゃないみたいで……。
 原因はわかってる。あんな無茶な形で、剣を呼び戻して、一気に力を使ったからだろう。
 イスラ……彼がアズリアの弟で、諜報部の工作員だったなんて。また問題が増えたことに、なるんだろうな。
 ……でもアズリアの弟は体がひどく弱いって聞いてたんだけど。元気そうだったよな、戦闘にも参加してたし。風聞だから当てにならないといえばそうなんだけど……少し気になる。
 窓から見える外は、雨。闇の中に、ざあざあと雨音だけが聞こえてくる。なんだか妙にいたたまれなくなって窓から目を背けた、その時、ドアから控えめなノックの音が聞こえた。
「どうぞ」
 俺はドアに向かって声をかける。きい、とゆっくりドアが開いた、その向こうに立っていたのはナップだった。
 驚いてしまう俺に、ナップはちょっともじもじしながら言う。
「起こしちゃった?」
 俺は慌てて体を起こして、首を左右に振った。
「いや、もう目は覚めていたからさ」
 もしかして……これは、お見舞いに来てくれたのでは!?
 このシチュエーションに思わずドキドキしてしまう俺をよそに、ナップは安心したように微笑んで部屋の中に入ってきた。
「カイルが、ここまでおぶって連れてきてくれたんだぜ」
 う……それは、ちょっと男として情けないシチュエーションかも……。
 そう思いつつも、ここは大人の余裕を見せて(外面だけは……)微笑んでおく。
「そっか……後で、きちんとお礼をいわなきゃな」
 ナップもちょっと笑って、俺のベッドの脇の椅子にすとんと腰を下ろした。少し顔をうつむけて、やや沈んだ口調で言う。
「さっきの戦い、さ。なんか、似てたよな。俺が飛び出して捕まった時とさ」
 俺はちょっと目を見開いたが、すぐに微笑んだ。
「ああ、なるほど。言われてみればそうかもしれない。あの時と同じこと、また、やっちゃったわけか……」
「そんな、他人事みたいに……」
 呆れたように言うと、ナップは目を閉じ、くすっと笑った。
「まあ、アンタがそういう性格なのは、いい加減、オレもわかってきたけど。それでも、すこしは自分のことも大切にしろよな!」
 怒った顔を作って言うナップに、俺は頭をかいた。俺は俺なりに考えてたつもりなんだけど、ナップに心配をかけちゃったのは確かだろうし。
「そうだな……。倒れちゃったら、もう誰かを守ることさえ、できなくなるってことだもんな……」
 ナップの授業も遅れちゃうし。
「そうだよ。早く元気になって、スバルたちを安心させてくれなくちゃ」
 にこっと、優しく明るく笑うナップに、彼はきっと俺をなんとか元気づけようとしてくれるんだな、と俺は嬉しくなって、胸がいっぱいになって、なんにも言えなくなって、ただ
「うん……」
 とうなずいた。
 ニカッと、元気に笑うナップ。照れくさくなって、苦笑しながらぽりぽりと頭をかく俺。しばらく、その場に和やかな空気が流れた。
 と、ふいにナップが慌てたような顔になって勢いよく立ち上がった。
「そうだ! 忘れてた!」
 言うや部屋の外に飛び出していく。
 残された俺は、ぽかーんとその背中を見送った。忘れてたって、なにが? 俺も忘れ去られてるんだろうか。
 だが、ナップはすぐに戻ってきた。今度は、小さめの鍋を持って。
「……ナップ? それ、なんだい?」
「スープだよ! なにかお腹に入れなくちゃダメだって、みんなで作ったんだ」
「へえ……。ありがとう……!」
 俺はあることに気づいて愕然となった。みんなで……ということは、もしや……!
「……ナップも、作ってくれたの?」
 ナップはその問いに、ぱっと頬を赤らめた(うっ、可愛い!)。
「……ちょっと、手伝っただけだけど」
「……そっか。ありがとう、ナップ」
「な、なに言ってんだよ、オレは別に大したことは……それより、スープが冷めちゃうよ!」
「そうだな。せっかくナップたちが作ってくれたんだから、早く食べないとな」
 俺が(ナップの手作りの料理が食べられるなんて〜! と)内心狂喜乱舞しながらもそう言うと、ナップも嬉しそうに笑って、鍋をベッドの上(俺の脇)に置いた。
 そして、スプーンを鍋に突っ込んで俺に差出し――って、これは、まさか!
「はい、先生。あーん!」
「…………!」
 俺は当然硬直してしまっていた。な、なぜ、なぜナップが俺にあ〜んv なんてっ……!
 こ、これはまさか、ナップからの子供なりのお誘いという奴ではっ!? 密室で二人っきりというこのシチュエーションであ〜んv なんて、これはついに俺の想いが通じたってことか……!?
 いやいやいやいやいかんいかんそれはいかん、通じちゃいけないんだ! 相手は子供だぞ、それも生徒! いくら相手がいいって言っても大人として、教師として……っ!
 でもせっかくナップがこうして俺に気持ちをぶつけてきてくれているんだから、それに応えてやるのが教師の務めでは?
 ダメだダメだ! まだナップは子供なんだぞ、それにまだナップの気持ちを確認したわけでもないのに……っ!
 いや、でも、けどしかし。
 ナップは硬直した表情の裏で煩悶しまくる俺を怪訝な表情で見ていたが、ふいにあ! というような顔になった。
「あ、あのさ……もしかして、大人にはやんないの?」
「………なにを?」
 呆けて阿呆のような返事をした俺に、ナップはカッと顔を真っ赤にしてスプーンを再び鍋の中に突っ込んだ。
「そ、そーだよな、やっぱ大人になったらあーんなんてやんないよなっ!? オレいつも病気になったらばあやにやってもらってたから、じゃなくてじゃなくて! お、オレ出てくから、先生ゆっくり一人で食べてよ! じゃ!」
 早口でまくしたて、ばっと立ち上がると部屋の外へと駆けていくナップ。
 ………………。
 俺はまだなにがなんだかよくわかっていなかったが、これだけはわかった。
 阿呆なこと考えずさっさと『あーん』してもらっときゃよかったぁぁぁっ! 馬鹿、馬鹿、俺の馬鹿っ!

 本日の授業結果……ドキドキ。

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