非幻想異端的日常
2005年 9月 1日 (木)
 ひたすらお腹が痛い。

2005年 9月 2日 (金)
 一日三回歯を磨くようになったら、やたら甘いものを食べるようになった。自分は甘いものは最近あまり好きでなくなっていた気でいたが、単に歯にしみるのが恐かっただけだったらしい。
 仕事中もドーナツを中心に、クッキーやらチョコレートやら、やたら間食が増え、砂糖には依存性があるのだと改めて実感。
 歯は健康になったが、どうも胃の調子が悪く、気持よくなる薬以外はあまり薬というものを飲まない俺としたことが、どういうわけか毎日大正漢方胃腸薬を飲んでいる。しかし相変わらず胃の不調は治まる気配がない。
 以前もタバコを辞めたら酒量が増えたり、運動で散歩をするようになったら無駄遣いが増えたりと、ひとつ何か生活を改善すると何かひとつマイナスが出来るという現象が目につく。
 孤独と自由の因果関係に似ていなくもない。

2005年 9月 3日 (土)
 最近ミクシィというコミュニティサイトで自主映画制作のコミュニティを主催しだしたら、またたくまに人が集まって参加者が120人を越えた。世の中にはつくづく映画をつくりたい人たちがいるんだなあ、と当たり前のことを改めて再認識。
 明日はその自主映画のコミュニティの第一回オフ会なので、参加者20人のプロフと今までの書き込みをプリントし、再チェックをした。
 とりあえず人数いるので、誰が何をやりたくてどういう考えを持って臨んでいるのか、把握しとかないとまとめられるもんもまとめられん。
 周囲ではこれだけの人数がいて、本当にまとまるのか、という疑問の声があがっているが、まとめられるかとかそういう問題じゃなくて、まとめるだけのことである。

2005年 9月 4日 (日)
 自主映画のオフ会。
 参加者20人。幻文のオフ会でもこれだけの人数が集まったことはなかったので、やや緊張気味。早めにでかけた。
 早めに池袋に着いて、周囲のゲームセンターをぶらぶらしていたら、参加者のひとりである夜長姫とばったり遭遇。ワルサーとグロッキーを引き連れ、ユーフォーキャッチャーに興じておられた。引き続き霊子くんも合流し、颯爽と会場入り。
 既に何人か来ていて、その後も続々と人が集まってきた。
 全員集まったところでひとりひとり自己紹介。今までの映画に携わった経歴と、映画制作への熱い想い、そして具体的にどういう形で参加したいかを語ってもらった。本業は脚本だの俳優だの音楽だの言っている割には、いざ参加となると「雑用で」と言う日本人的な控えめな姿勢が目立った。
 とにかくいろんな人がいた。アニメ好きのコスプレお姉さん、B型的シュール破綻系思考炸裂のベテラン映画監督、物静かながら映画への情熱を内にくすぶらせているパンク美少女、映画制作をする人たちの情報交換の場だと勘違いして参加してしまった美しい乙女、終始ニコニコ顔を絶やさない俳優志望の女性やら男性やら、脚本家志望で出演もしてみたいというセクシー主婦、プロのポップ歌手顔負けの歌唱力の21歳美少女、そしていつか絶対売れるであろう売れない俳優さん、等等。ついでに女装をしてきたつもりがどこから見てもヒッピーの妖怪にしか見えない大道寺もやってきた。
 20人もいて、全員二次会のカラオケ参加という和気アイアイとした雰囲気は素晴らしかった。
黒田さん 最後は霊子くんと俳優のぶらっきぃさんと大道寺で、うちの事務所で朝まで語り合った。有意義な映画談義に華を咲かせていたが、大道寺はすぐ眠りこけ、残る三人も睡魔に頭がぼーっとしだし、かなり終盤は支離滅裂な会話が展開していたような気がする。録音して後で聞いてたら結構恥ずかしいに違いない。
 まあこのメンバーで映画をとってゆくことになるのだが、さて、本当に出来るだろうか。
 てゆうか、絶対に作ります。

 写真は偶然にも同じファッションだった、俺と俳優のぶらっきぃさん。

2005年 9月 5日 (月)
地上最強のカラテ 大山倍達監修、空手の自画自賛ドキュメント映画「地上最強のカラテ」(76年)を見た。
 何をして最強なのかという基準も時代とともに変わってくるもので、最近ではK-1グランプリに優勝することだったりするのだが、それがまだ真っ赤に燃えさかる瓦を何枚も重ねて頭で叩き割ることだったり、ビール瓶を手刀で垂直に折ることだったり、熊と戦ったりすることだったりな時代の映画である。むちゃくちゃで、とりあえず見ていてスゲエと思える。
 カラテこそ最強、というのがメッセージのこの映画にあって、その手法は唯我独尊を極めている。中国拳法を鼻であしらい、ブラジルのカポエラを舞踊だとバカにし、世界中に勢力を広めている極真会館の栄華をここぞとばかりに見せびらかす。
 なんて体育会系なノリの、素敵な脳味噌筋肉ドキュメンタリーなんだろう。
 いろいろな意味で、やはり地上最強には違いない。

2005年 9月 6日 (火)
 芋虫と女以外で俺に恐いものがもうひとつあることが最近判明した。
 風呂場の排水溝に詰まった髪の毛。まじで恐ぇんですけど。

2005年 9月 7日 (水)
 歯医者に行った。先週前歯の型をとったので、今日は差し歯をはめてくれるかと思いきや、うまく歯茎と合わなくてまた型をとらされた。しかも先週と同じく二回も。先週と今週あわせて計四回である。
 まあ今回新たに差し歯を新調することになったのは歯茎がずれて、差し歯との間に隙間が空いてしまったからで、俺の歯茎はどうもずれやすいらしく、いい加減な差し歯で妥協するとまた数ヶ月後に同じ結果になるので、どうしても慎重にならざるを得ないのは理解したいところだ。
 ちなみに歯茎がずれやすいのは、ひょっとしたら30分の歯磨きを日に3回もやってるからだろうか。俺は本を読みながらダラダラ歯を磨く癖があるので、どうしても時間が長くなる。トイレで長時間漫画を読んで痔になった中学生の頃を思い出した。
 とりあえず型を二回もとったが、問題はその二回目の型取りの前に、歯茎の形を整えていたのか、先生が長時間歯茎を器具でグイグイ押してきた。これがむちゃくちゃ痛かった。
 今までこの歯医者で一番痛かったのは前歯の穴に空気をプシュッと吹きかけられた時だが(3月11日の日記参照)、今回はあれの更に数倍痛い。しかも長時間。
 痛いながらも、俺は割と平然とした顔をしてたので、痛くないと思われたのか知らないが、先生は容赦なく歯茎を押してくる。痛くて痛くて気が遠くなるかと思った。時間にして5分か10分くらいだと思うが、感覚では30分くらいに思えた。先生が歯茎の拷問をやっと終えて、型をとる道具をとりに部屋を出て行ったとき、目から涙がぶわっと吹き出た。よく頑張ったなあ、俺。
 また先週と同じように、仮歯を入れられ、帰った。
 来週こそ本物の差し歯を入れてくれるだろうか。その前に、またあの空気プシュッ、があるのかなあ。毎週痛いことばっかりでイヤだなあ。
 次は違う歯医者行こうかなあ。おっぱい美人の女医さんと会えなくなるのは寂しいけど。

2005年 9月 8日 (木)
 朝いきなりハチャトリアン氏が事務所にやってきた。ハチャトリアン氏という名前を使ったのは最近彼がうちの掲示板でこの名前で書き込みをしているからで、彼はこの日記ではRENE(ルネ)さん、Yくん、その他その時々の名前で頻繁に登場している、カナダに留学していた中学時代の親友のことだ。
 でその彼が最近日本に帰って来た。近いうちに会うことになっていたのだが、いきなり朝っぱらから予告なしにやってくるとは、彼らしい。
 俺は歯も磨かずシャワーも浴びず、慌てて着替えて事務所に赴いた。暫く雑談し、久しぶりに一緒に散歩にでかけた。彼と俺は散歩友達で、むかし俺が米国に留学していて八ヶ月ぶりに帰国した時も、わざわざ埼玉から電車に乗って桜田門まで行き、皇居の周囲をぐるぐる回りながら盛大に散歩をしたことがある。
 今日は彼と四年ぶりくらいの再会だったし、一緒に散歩をするのはほぼ十年ぶりくらいだったので、ひとつ盛大にとばかりにまた電車に乗り、まず東京駅に行った。雨が降っていたので駅ビルのデパートを見物しながら散歩し、その後また電車に乗って池袋に行き、西武デパートの中を見物しながら散歩し、さらにまた電車に乗り、四谷まで行って喫茶店でめしを食い、また新宿に戻って来た。散歩ごときでこれほどまでに一日に移動したのは初めてである。次に何年ぶりに会ったときは、どこまで散歩に行くんだか想像もつかない。
 しかしなかなか有意義な散歩だった。彼はカナダ生活が長いので、日本文化や経済、社会情勢や政治など、普段周囲の人々と会話している内容とはまた別の視点が盛り込まれ、非常に勉強になる。しかし散歩が終わる頃にはぜんぶ忘れた。

2005年 9月 9日 (金)
チャンピオン太 かなり昔に友人のKちゃんに録画してもらった昔のテレビドラマ「チャンピオン太」(「ちゃんぴおんふとし」と読む)を見る。昭和37年放映。
 天才プロレスラー・太が悪と戦う、プロレスドラマである。力道山(画像上)もレギュラーで出演している(本人役)。俺が生まれる前にこんなドラマがあったとは。さすがプロレス全盛期。
 ぜんぜん強く見えない普通の少年という感じの主人公(画像下)が、毎回ぜんぜん強く見えない敵と、ぜんぜんプロレス技に見えないプロレス技を駆使して戦うというパターンで、ラストは必ずジャイアントスイングで敵を倒す。しかしこのジャイアントスイング、足ではなく手を持ってやる。しかも片手。目を回す前に肩が外れるだろう。しかも回すだけじゃなくて、そのまま地面に何度も叩き付けるところが凄い。なんでもこれが太の必殺技「ノックアウトQ」というものらしい。
 とにかくキャスティングとアクションのショボさは驚異的。日本人がまだプロレスの夢に酔いしれていた頃の作品だと思えば愛嬌もあるが、ここまでショボいとさすがに今は悪夢にしか見えない。

2005年 9月 10日 (土)
 ハチャトリアン氏と悠里とフランス料理を食いに行った。久しぶりに会った悠里は体調が悪そうで、邪気の塊のような顔をしていたが、だんだん笑顔になってきた。ハチャトリアン氏は悠里と初対面だったが、うまく対応していた。さすがだ。

2005年 9月 11日 (日)
 久々にアスラと会った。彼とはここ数年交友を断っていたが、幻想異端文学連盟の雑誌に彼が昔投稿した作品を掲載せねばならないので、その打ち合わせである。事務所で少し話し、その後インド料理「ジンナー」に行ってまた話をした。
 アスラがインド料理らしく手で食おうと提案するので、それはよい試みだとばかりに、チキンマサラをサフランライスにかけ、手でこねくりまわして食った。やはり手で食うというのは非常に合理的な考えで、スプーンで食うよりはるかにうまい。食い物の味は舌のみで味わうに非ず、上顎、歯、そして嗅覚が大きく関係している。例えば食い物を舌の上にただ乗せただけでは味はしない。しっかりと上顎との間にはさみ、歯で噛み、その香りを鼻で感じてこそ味は完成するのである。ならばスプーンなどという銀の媒介物質を間に挟むことなく、手で食い物をじかにつかんで口へ持ってゆくことがどれほどの意味をなすものか、理解できるであろう。
 打ち合わせの方だが、どうも彼には雑誌を作るにあたってこうあるべきだという考えがあり、俺は彼の小説を掲載するページだけをどうするかといった話がしたいのに、なぜか話は雑誌全体のコンセプトをどうするかという方向へと流れ(てゆうか流され)、流れつつ引き戻し、結局話は平行線のまま進んだ。しかし彼も昔とくらべて大分人の話を聞くようになったので、最後はある程度の相互理解という形で話はまとまった。
 さて打ち合わせの後、アスラがインドの有名なDJが来日するインドのクラブのパーティに行くというので、興味本位で着いて行った。渋谷の「LA FABRIQUE」。
ベリーダンス 中に入ると暗闇の中、インドの衣装やアクセをした若者が大勢、踊っている。コーラで一杯やりながら、その雰囲気を楽しんだ。暫くすると、インド映画で見るインド女優みたいな格好した女性が舞台に上がり、余興のベリーダンスが始まった。俺はこれが目当てである。
 ちょっと気分がよくなってきたので、久しぶりに酒なんぞを飲みはじめた。インド料理を食った後だし、たまにはよかろう。モスコミュールなどを三杯ほど飲みながら、踊る若者を眺めたり、たまに身体を揺らしたり、時折始まるベリーダンスを鑑賞したりした。そしていつしか眠くなり、椅子に座ったまま眠った。
 目が覚めると場内が明るくなっていた。音楽はまだ鳴り響き、若者達はだいぶ数は少なくなったが、まだ踊っている。まるで夢から覚めたように、それは現実の風景だった。
 渋谷でラーメンを食い、再び事務所に戻って昼くらいまでアスラと話して、やっと寝た。

2005年 9月 12日 (月)
 目が覚めたら夜8時だった。今日は洗濯と買い物に行こうと思ったのだが、既に無理だった。だらだらと身を起こし、パソコンを立ち上げ、キーボードを叩きはじめた。最近貴重な日曜日が、土曜日に吸い上げられてしまうという事態がよくある。あまりよいことではないな。

2005年 9月 13日 (火)
 昼間はほとんど寝ていて、夜仕事した。
 また完璧に昼夜逆転である。
 そろそろ元に戻そう。

2005年 9月 14日 (水)
 深夜仕事しながらうつらうつらと2〜3時間眠っただけで、早朝から出社。
 午後からじわじわと真綿で首を絞められるように眠くなってきた。しかし朝から来客が連続し、眠るわけにもいかない。
 まず朝いちでいきなりハチャトリアン氏が事務所に出没。彼の政治や哲学談義を聞きながら仕事を続ける。ただでさえ眠いのに、これは拷問に近い。
 午後、悠里がやってきて、西新宿でちょっとした手続き。ついでにハチャ氏と三人でジンナーのインド料理を食った。先週と同じように、今日も手で食べた。
 インド料理は手で食べた方が格段にうまい。嘘だと思ったら、今度カレーを食う時、最初の半分をスプーンで食べ、残りの半分を手で食べてみるとよい。あまりのその味の違いに驚くであろう。
 夕方悠里とハチャ氏が帰り、事務所でのデスクワークを再開した。本当は出版社のNさんと久しぶりに会う予定だったのだが、そんな気力も時間も残っていなかった。
 夜、静香と税理士さんがやってきて、仕事をした後、営業のコジロウさんと静香の友達で俺の妹分のよこちんも交えて5人でパークタワーの居酒屋で飲んだ。腹にはまだインドカレーが未消化のまま詰まっていたので、俺はほとんど何も食わず、ひたすらコーラを飲んでいた。よこちんがテンションばりばりに盛り上げてくれたので、何とか眠らないで済んだ。
 皆が帰った後、少しだけ仕事をしたが、睡魔には勝てず、眠った。
 最近、忙しすぎる。トラブルも多すぎる。慌ただしく日常が過ぎてゆく。
 楽しくてしょうがねえ。

2005年 9月 15日 (木)
けろっこデメタン 昨晩早く寝たのに、昼近くまで寝ていた。お陰で今日はフル回転で仕事をした。しかし、仕事はぜんぜん片付かない。景気は悪く、金は儲からない。トラブルは尚も増え続け、たまにイライラする。
 歯医者に行った。今日も差し歯を入れてくれるはずだったのに、また型をとられた。しかもまた2回も。これで3週連続。先週に引き続き(7日の日記参照)、歯茎をグイグイ押され、死ぬほど痛かった。寝不足で治療の間、激痛の中にもかかわらず数回眠った。
 戻ってまた仕事。電話は鳴り響く。何もかもがむちゃくちゃだった。
 夜はビデオで昔のタツノコプロのアニメ「けろっこデメタン」を見た。さすがタツノコプロの昔のアニメはクオリティが高くて面白い。

2005年 9月 16日 (金)
 鴬谷で代理店T企画のSさんとO社長と飲む。かた焼きそばとポテトサラダを馳走になった。滅多に会わない方と飲むと必ず勉強になる。仕事について考えた。軌道修正は当然、必要である。今のままではどうしょもない。

2005年 9月 17日 (土)
フェチ画像 久しぶりに団鬼六先生の●●のN社長とお会いした。前から借りていた段ボール二箱分のフェチ写真をついでに返した。最初は事務所でお話しし、お茶をこぼし、そして西新宿の喫茶店でまた話した。その後、サラダとサンドイッチを買って自分の事務所に戻った。
 事務所がずいぶんすっきりした。この狭い事務所に段ボール二箱分のスペースは貴重である。人ひとり雇える。
 テレビではドラゴン桜の最終回がやっていた。このドラマはたまに見ていた。原作をずっと読んでいた俺としては、ドラマ版のドラマ部分のキャラ達の行動や感情は、東大を目指して学力は向上しているようで、原作で詳しく説かれている東大生のアタマにぜんぜんなっていないような気がする。原作の要素とドラマの要素がきれいな境界線を描いてくっきり分離している珍しい例かもしれない。
 深夜アスラがちょっと遊びに来た。また旅に出るらしい。

2005年 9月 18日 (日)
 三連休初日。
 今週末は久しぶりに予定がない。イベントもなければ、誰とも会う約束もない。ゆっくりひとりで家に引きこもって読書したり映画見たり執筆したりしていようと思っていたところに、いきなりハチャトリアン氏(この名前で呼ぶのは違和感があるなあ)から電話があり、遊びにくることになった。
 めしでも食おうということになり、ずっと前から気になっていた近所にフランス料理レストランに行ってみた。一番気になっていた要素がそこの看板で、まるでマジックで書いたみたいないい加減な文字でフランス語の店名が書いてあり、その下にこれまたいい加減なナイフとフォークの落書きのような絵が書いてある。こういう店は得てしてうまいものだ。入ってみると店内もシンプルなら、メニューも3200円と6000円の2種類のコースしかなく、シンプルである。味はなかなかうまかった。
 めしの後、ハチャ氏が最近ピアノを習っているというので、近くにある音楽スタジオに予約をとり、ピアノの演奏を披露してもらった。思ったよりうまくて、関心した。二十代後半からピアノを習っても、これくらい弾けるようになるもんなんだな。
 俺も二十歳そこそこのときにキース・エマーソンとクラウディオ・シモネッティに憧れてキーボードを始めたことがあるが、もう遅いかと思って二ヶ月くらいでやめてしまった。あのまま続けていたらとしみじみ思ふ。

2005年 9月 19日 (月)
 孤独な週末二日目。ひとりでぶらぶらと映画に行った。
イニシャルD 見たのは「頭文字〈イニシャル〉D THE MOVIE」。特に見たかったわけではなく、無料優待券があったのだ。
 これが意外と面白かった。漫画もアニメも知らず、この映画で初めてすべてに触れたので、豆腐屋が毎朝車で豆腐を運んでいるうちにドリフトの達人になってしまうという設定が非常に面白く思えた。豆腐マニアの俺としては、豆腐の味は鮮度が命であり、昨日作った豆腐と今日作った豆腐では天と地ほどにも味が違う。つまり豆腐を運搬するという仕事には何よりも、豆腐の形を崩さぬ水平感覚と、スピードが要求されるのだ。説得力があるな。
 車が走るシーンのスピード描写と臨場感は、「マッドマックス」以来の出来かもしれない。そうじゃないかもしれない(車の映画はあまり見ないので)。特にアクセルを踏むときの音がいいね。音楽もいいね。
 真面目な映画だけに、香港映画と日本映画のテイストがごちゃまぜになっているのは違和感があった。そこだけ直してくれたら、完璧かと。

2005年 9月 20日 (火)
 孤独な週末三日目。ぶらぶら歌舞伎町のあたりまで散歩して、TSUTAYAで久々にビデオを借りてきた。タブッキ原作の「インド夜想曲」他、ホラー映画一本。帰って早速「インド夜想曲」を見た。
インド夜想曲 こないだ原作を読んだばかりだが、忠実に映像化してあるかに思えて、ちょっと違う。原作とどこか印象が違う。それは何かとつらつら考えたら、これはいわゆる「自分探し」の物語なのだが、自分が探している自分もまた自分を探している。そんな原作にあった曖昧な雰囲気が、映像によって具体的な象形を結んだことにより、返ってぼやけてしまったのではなかろうかと思った。
 いっそセリフを半分くらいに切って説明臭い部分をすべて映像の表現に移し替えたら、もっと原作にあったビジュアル性が浮き上がったのではないかと。

2005年 9月 21日 (水)
 なぜか超忙しい。儲かってないと効率の悪い仕事も受けないといけなくなるので、余計忙しくなる。貧乏暇なしの理論である。
 忙しくて夜は事務所の椅子に座ったまま眠った。

2005年 9月 22日 (木)
 事務所の椅子で目が覚め、そのまま仕事を続けた。
 夜はまた事務所の椅子に座ったまま眠った。

2005年 9月 23日 (金)
 事務所の椅子で目が覚め、そのまま仕事を続けた。
 夜は事務所の床で寝た。布団が恋しい今日この頃である。

2005年 9月 24日 (土)
 ドイツ映画「トランス/愛の晩餐」を見た。いちおうホラー映画である。
 この映画は二十年越しに見たかった作品だ。しかしすごく見たくなったのはつい最近である。ホラー映画ファンだった二十年前、この映画は海千山千のごとく日本に入ってきた未公開マイナーホラーのビデオのひとつだった。内容は美少女が熱狂的に好きなアーチストを殺害し、その人肉を食うというダークな話しである。主役の美少女を演じた女優が後に人気が出て、この作品をこの世から抹殺しようと起訴を起こしたとか何とかどこかで聞いたことがある。後で検索して調べてみよう(書く前に調べろよ)。
 最近になってこの映画のことをふと思い出して、やたら気になっていた。よく考えたら、このストーリーはホラー映画ではない。しかもドイツ映画である。ドイツのホラー映画なんて滅多にないのだ。ひょっとしたらこいつは、とんでもない見落としだったのかもしれない。こいつは海千山千のホラー映画なんかじゃなく、もっと異質の、俺の好きなユルグ・ブットゲライトのような、暗黒異端変態映画なのではないか、と気がついた。
 そんなわけで、見てみたわけだ。
愛の晩餐 見始めて、ホラー映画とはほど遠いドラマかアートみたいな雰囲気に呆然。淡々とした進行ながら映像や演出はかなり高度で、音楽もよい。ビジュアル的にも主人公の美少女のクオリティの高さと相まって、なかなかの完成度だった。美少女がスターを切り刻んだ電気ノコギリの歯を愛おしそうぺろりと舐めくるシーンなど、呪われているほどに美しい。しかもこんな悲惨なストーリーなのに、なぜか最後はハッピーエンド(!?)。日本タイトルを信じて見た人はびっくりだ。
 どういう意図でこんな映画を作ったのか不明だが(実話の映画化とか言うのならともかく)、いまとなってはかなりの異端的珍品である。

2005年 9月 25日 (日)
奥様は魔女 映画「奥様は魔女」を見に行った。特に見たかったわけではなく、無料優待券があったのだ。
 しかし本当につまらん映画は最初の5分でわかるな。冒頭でこれは酷いぞと思いつつ、見てゆくにつれ加速度的に酷さが増し、最後の三十分くらいでついに眠った。よって最後はどうなったか解らない。まあ解る必要もなかろう。
 よくこんなもの金とって見せるな。金払ってないけど。

2005年 9月 26日 (月)
 先日自主映画のコミュニティのミーティング(9月4日の日記参照)で知り合ったとみき監督に現在制作中の映画の脚本を渡され、それがなかなかおバカで楽しい脚本だったので、素直に「バカで面白いですね。でもこれ、本気で映画化するおつもりですか?」とコメントしたら「では撮影を見学に参りますか」と誘われた。
 というわけで本日、おバカな自主映画の撮影現場にお邪魔してきた。慣れない映画の撮影現場で暴走するといけないので、霊子くんを誘って行った。
 今日は喫茶店での撮影をするとのことで(件の映画は90%喫茶店の中で物語が進行する)、ロケ地である江古田の喫茶店におもむいた。江古田と言えば数年前、森園みるくさんの写真展で来たことがあり、みるくさんに名刺を渡したら“ザッピー浅野”の文字を見て「AV男優の方ですか?」と言われたという思い出があり、そんなつまらないことをつらつら思い出しながら現地に到着したら、そこはまさに森園みるくさんの写真展が行われた同じ喫茶店だった。
 現場では、狭い喫茶店内に大勢のスタッフがうごめいていた。とみき監督もいる。思ったより本格的だ。カメラはDVだが、照明とかは一日六万円のレンタル料がかかる立派な機材を揃えており、モニターなんかもあったりして、たかが自主映画と高をくくっていた俺はちょっとびびらされた。
 驚いたのはキャストが脚本で読んだキャラにことごとくぴったりの俳優を使っており、なかなかオーラのある人もいて、絶妙だったこと。出来上がりが楽しみだ。
 それにしてもしみじみ、映画の撮影って大変だ。燃えてきたぞ。

夢民 夕食は江古田のインド風カレー屋「夢民(ムーミン)」でとった。これは先日食った新宿のターリー屋(7月9日の日記参照)と同じ系統の、日本人のスタッフによる日本人的な本格派インドカレー屋である。この種の店の例に漏れず、スパイスの調合などは本格的インド料理っぽくなってはいるが、どこか本物のインド料理レストランで食うようなカレーと比べると味がチャチだ。「ラッシー」と言って注文して出て来た飲み物がコンビにで買う「飲むヨーグルト」にシナモンをふりかけただけだったり、ツッコミ入れたくなる所も多々。味はまずまず。具に大きなトマトやキャベツが入っており、ここらへんはポイント高かった。しかし逆に、これらの具がなかったら大した味ではないかと。

2005年 9月 27日 (火)
連休明け。だるい。仕事したくない。なんて言ってられないので、ばりばり仕事を開始。それなりにはかどったが、まだまだ前途多難である。最近、催促の電話が来ない日って無いな。

2005年 9月 28日 (水)
 午後、コンゴ氏(旧ハチャトリアン)が事務所に出没。最近この日記に彼についてあること無いこと書きまくっていたので、文句を言われた。こんなものはアクセスアップの為のしがない駄文なので、無視して頂けたら幸いである。
 デニーズでめしでも食おうということになり、いったん一緒に外に出たが、突然「○原都知事の近くで食事をするのは御免だ」と言い出し、帰って行った。
 俺は事務所に戻り、仕事を続けた。

2005年 9月 29日 (木)
 渋谷・鴬谷・六本木と巡回。
ムルギー これは地域的に困った組み合わせだ。渋谷には「ムルギー」、鴬谷には「サモサ」、六本木は「サムラート」と、好きなインド料理が三つかぶっている。一日にさんざんあちこち回ってインド料理のある地域が一件もない日もあるというのに、バランス悪い。渋谷は滅多に行く機会ないのだが、鴬谷もひと月に一回しか行かないからなあ。なんせ前回は血迷って蕎麦食っちゃったし。
 とりあえず天秤にかけるまでもなく、最初の到達地点・渋谷で誘惑に負け、結局「ムルギー」のカレーを食った。

 今日渋谷道玄坂で旧友のタケシさんとばったり出くわし、その数分後にまた珍しい人とばったり出くわした。数分おきに連続で誰かとばったり出くわすってかなり奇跡的だな。


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