非幻想異端的日常
2006年 7月 1日 (土)
 人によってものを見る目線というのはかなり違うものだ。それは角度だけでなく、距離の違いもかなり大きい。油揚げを近くに見れば、良い油揚げか悪い油揚げかわかるかもしれないが、全体が見えないので、それがいなり寿司か赤いきつねかを判別できない。物理的な距離なら少し目線を離せば解決するが、精神的な距離はなかなか動かすことが難しい。ならばその距離での分析スペシャリストを目指すという道もあろう。そんなことを考えていたら、「気の持ちよう」と「気持ちの余裕」って言葉はなんか似てるなと思った。深いな。

2006年 7月 2日 (日)
 お得意先のグループ会社の総帥の方の誕生日パーティーに呼ばれた。場所が聞いて驚け、六本木ベルファーレである。会社の皆さん連れてきていいというので、コジロウさんを引き連れ、颯爽とベルファーレに赴いた。
 もうまさにここが音に聞くベルファーレかと思うような壮麗な入口の階段を昇り、天にも届かんばかりの天井から垂れ下がるカーテンの合間を歩いて会場入りすると、普段やりとりしているグループ会社代表のSさんやその愉快な仲間たちの皆さんがいつもと見違えるようなスーツを着て忙しそうに挨拶やらおもてなしに闊歩している。われわれは適当な席に座り、出されたビールを飲みながら宴の開始を待った。
ベルファーレにて アルコールが回ってきた頃、音楽とともに本日の主役である総帥が現れ、マイクを握って御挨拶。舞台の上にピラミッドと積まれたグラスにシャンペーンが注がれ、全員に行き渡ったところで乾杯の音頭と、お食事と歓談のひとときが始まった。お食事がまたすごい。和洋中とりそろったビュッフェ形式で、ローストビーフやかた焼きそば、炒飯などの定番メニューにまぎれて、フカヒレの姿煮や北京ダッグまである。フカヒレの姿煮が銀のプレートにごろごろ転がっている様はまさにバブリーな非現実性にあふれ、幻想的でさえあった。儲かってる会社はやっぱり違うな。
 うまい料理と豪勢な雰囲気をたっぷり楽しんで、夜8時頃、パーティーはお開きとなった。生きていればいいことあるもんだ。最近金が無くて週末100円で過ごさねばならなかったりして、水を買おうか100円ショップでマグカップ買おうか、喉も乾いたし、でも紙コップも残り少なくなってきたし、なんて生活を送っていた俺にもひとときの夢くらい見る権利はあるのだなとしみじみ思った。ここの総帥の方が例えいつか貧乏になり、金があるときはみんな寄ってくるのに貧乏になった途端、世間なんて冷たいもんだなんて思っても、俺だけは感謝の気持ちを忘れず身を粉にしてここの会社の為に天命を全うしようと、巨大なリムジンに乗って去って行った総帥を見送りながら心に誓う今日のこの頃であった。

2006年 7月 3日 (月)
ミラ 映画「ウルトラ・ヴァイオレット」を見にいった。とくに見たい映画ではなかったが、タダ券があったので、見た。まったく期待しないで見たが、期待通り、つまらなかった。これだけ映像処理を施して、ここまで美しくない映像というのもすごい(いっておくが、バカにしているのだ)。チャチな映像としょぼいアクションにひたすら呆れ果て、まさに映画館に座る俺は仏教でいう只管打坐(ただひたすら座る)の境地である。こんな反面教師にもならないひどい映画でも禅の修行くらいにはなるってオチですか。

 漫画「極悪がんぼ」単行本第10巻が発売されたので、早速買って読んだ。今回もかなりよかった。ここまで人間がおもしろく描けている漫画も最近ではあまり無いと思うのだが、この漫画はもっと評価されてしかるべきではなかろうか。

2006年 7月 4日 (火)
 買い物やら銀行やら回った帰り、疲れたので公園のベンチに座って本を読みはじめたら、いきなりにわか雨が降ってきた。傘をさし、肩に乗せて、そのまま読書を続けた。雨の中、誰もいない公園のベンチで傘をさしながら本を読むというのもおつなものだと思った。そんな平日の午後。

2006年 7月 5日 (水)
ピンクの赤飯 彼女がまた実家から送られてきたピンクの赤飯(6月20日の日記参照)をお裾分けしてくれた。こないだ初めて食ってかなり気に入ったので、今回は多めに送ってもらったというか、評判を聞きつけ彼女のお母さんが喜んで大量に送ってきたらしい。人に赤飯を食わせるのが好きなお母さんとみえる。赤飯ばかりこんな大量にいらん!と悲鳴をあげる彼女に、いらんなら俺にありったけよこせと、喜喜として小田原まで出掛け、大量にもらってきた。まばゆいピンク色に染まった餅米に、甘納豆とごま塩の絶妙なハーモニー。今まで赤飯だと思っていたものはいったい何だったんだ思うほどの、甘美なおいしさである。尚、見ればわかるが画像は先月の日記からの流用である。

2006年 7月 6日 (木)
 まだ暗いうちに目が覚めた。ピンクの赤飯を食い、インド映画を見て、仕事をはじめた。まだお昼にならないうちに指が震え、足がガクガク言うほど腹が減りだした。朝食をしっかり食うと、身体の代謝機能が活性化し、規則正しく腹が減るようになるのだ。スパイスヘブンのランチバイキングでインド料理の昼食をとった。本日はチキンカレーにピーマンが入っていて、うまかった。
 夜までずっと事務所で仕事をしていたら、おしりが椅子に貼り付いたようになり、これから外出しなければならないなんて、信じたくなかった。しかし代々木八幡に用事があったので、なんとかおしりを椅子から引きはがして出掛けた。
 テレビでは一日中、どこかの国がミサイルを何発打ったとしきりに報じていた。ミサイル一発打つのにいったいいくらの金がかかるのか、果たして人類にそんな余裕があるのか、疑問ではある。だいたい、ミサイル打つだけの金があるなら、もっとマシな金の使い方があるだろう。なんだ、ミサイル発射って。ミサイルぶっ放して何がおもしろいんだ。想像するに、ぶっ放した男は短小で、己のいちもつに抱くコンプレックスから、ミサイルを日本海にぶち込むという暴挙に出たに違いない。欲求不満の反動もここまでくると世界を巻き込んでの大騒ぎになるってことだ。

2006年 7月 7日 (金)
 子供にあまり高いメロンを食わせすぎると、給食で出された安物のメロンを必ず残すようになり、厭味な子供と思われクラスメートにいじめられる可能性があるので、子供にはあまり高い食い物ばかり食わせるのは考えものである。かと言ってあまり安いものばかり食わせると、味のわからない人間に育ち、大人になって軽く恥をかく可能性もある。従ってあまり贅沢でない予算の範囲内で工夫しておいしいものを食わせることがよゐ子を育てる良き母親の勤めと言える。そんなことをつらつら思った今日と言う日の出来事だった。

2006年 7月 8日 (土)
桃色ハニーと水色ハニー 俳優のぶらっきぃ!さんが出演するというので、新宿URUGAで行なわれた「★桃色ハニーと水色ハニー★vol.2/七夕だよ!全員集合!! 〜決戦は金曜日〜」というイベントに行ってきた。これは鈴木ちえさんと仲原ゆいさんという女優さんがやっている「桃色ハニーと水色ハニー」という女優ユニットを中心に、様々なゲストが出演し、歌あり芝居あり映像ありコントありバンドありのオールナイトイベントである。
 思ったよりおもしろいアーチスト達が揃っていて、楽しめた。ぶらっきぃ!さんは3回ほど一人芝居をやった。最近一人芝居づいている彼だが、先月(6月6日の日記参照)よりおもしろく、観客のウケもよかった。印象的なパフォーマーは何組かいたが、とくに最後に出てきたバンドがすごくて、最後の最後にあいつらがぜんぶ持っていった感があった。
 俺はあまりこういったイベントを見てこなかったが、メジャーでなくともおもしろいアーチストは割とそこかしこに埋もれているものだ。

2006年 7月 9日 (日)
 午後遅くに起きて、だらだら支度して、洗濯したら、一日が終わった。昨日は昼間仕事で夜はオールナイトと、一日で二日分すごしたから、今日はこれでいいのかもしれない。洗濯もできたし、夜はマドゥーリ主演のインド映画も見れたし。

2006年 7月 10日 (月)
 何も予定の無い休日。ひとりでのほほんと歌舞伎町へでかけた。

 東口のカレー屋「ガンジー」で昼食。西口ワシントンホテル地下にも「ガンジー」というインド料理があるが、あそことは無関係である。スペアリブ、トマト、エビ、牛肉などが入っているというミックス・カレーを食ってみた。店名の割には典型的な欧風カレーで、かなり辛い。俺の嫌いな泥臭いタイプのルーで、うまくなかった。
 口直しにミスドで珈琲を飲みながらドーナツを食う。

ブレイブ ストーリー 優待券があったので、宮部みゆき原作のアニメ映画「ブレイブ ストーリー」を見た。よく出来ているが、恐ろしくつまらなかった。これほど完成度の高い映像で、これほど退屈な映画も珍しい。つまらない理由はストーリーが盛り上がりに欠けるからか、あるいは色気がないからそう思えるだけかもしれない。色気がない、とは、このひとことでわからない方にあえて説明するならば、それはエグさであったり、そのままの意味であったり、ダークさであったり、エキゾチズムであったり、人間臭さであったり、ある種のドクトクな雰囲気であったり、あるいは過激さであったり、はたまたキャラクター性であったりする。宮崎駿の映画と比べてみればよい。美少女のパンチラくらい見せなさい。
 それから、プロの俳優はプロの声優じゃないんだから、声優の仕事はプロの声優に任せよう。

 帰り、ひさびさにTSUTAYAに寄った。カルトなインド映画と昔の日本映画と米国のプロレスを借りた。帰ってレトルトのカレーを食いながら、プロレスのDVDを見た。WWEレッスルマニアの1993年までの総集編で、ビンス・マクマホンが自ら解説をしている。見たことあるやつとか、つまらない試合ばかりで、ほとんどビンスの解説ばかり見ていた。とりあえずビンスの顔を見ていれば俺はそれで満足なのであった。
 でもハルク・ホーガンは相変わらずよかった。

2006年 7月 11日 (火)
 ボーダフォンとauで見ると携帯サイトの画像が表示されません、とクライアントからクレームがあり、原因究明にネットをあちこち見てまわり、jpeg画像を二機種で表示させるための容量制限や規格などを調べまくったが、よくわからず、半日くらい悩んで、結局画像の保存形式ではなくタグの問題だったと判明した。これも灯台下暗しというのだろうか。えらい時間を無駄にしたが、半日の謎から開放され、気分はまんざらでもなかった。

2006年 7月 12日 (水)
 ひとつだったら大したことないのだが、朝からあまりおもしろくないことが連続し、ちりも積もれば山となるように、お昼ごろから気分は最悪だった。最悪な気分のまま、出かけた。

hareginza0607.JPG 銀座で時間があいたので、カレー屋HARE GINZAに突入。やたら目立たない処にある隠れ家的なお店だが、カレーはうまいと評判で、店内はけっこう人が入っている。ここの最もオーソドックスなカレーで、ここのカレーの方向性が一発でわかるというスペシャルカレーを注文。口に入れるとまず甘く、後からむちゃくちゃ辛くなるというタイプのカレーで、確かにうまい。俺の好みだ。
 人によってカレーとご飯の比重は異なるとの考え方で、ここはご飯がセルフサービスとなっており、カレーのことをよくわかっている人が作ったお店であることが伺える。
 おもしろくない一日の、唯一の救いであった。

 銀座で仕事を終え、駒込に行った。お会いする予定の先方の都合が立て込んでいるようで、なかなか連絡が取れず、仕方なく駒込のドトールで本を読みながら待った。三時間くらい経っても連絡がとれず、結局、そのまま会わずに帰るはめになった。
 このあたりがイライラのピークである。

 昼に辛いカレーを食ったので、夜は胃にやさしいものを食べようと、そうめんを茹でたら、めんつゆがなかった。慌ててコンビニに買いに行こうと、見ていたテレビをビデオに録画しようとしたら、ビデオテープがデッキに絡まってオシャカになった。コンビ二でめんつゆを買ってきた頃には、プリプリに茹でたはずのそうめんはすっかりやわらかくなっていた。
 これがオチってことでよろしいですか。そう天に向かってつぶやき、俺はまずいそうめんを食ってインド映画を見て寝た。

2006年 7月 13日 (木)
 三月の手術費が市から支給されるというので、手続きに川越に帰った。そしたら長らく国保を払ってなかったので、そちらの支払いから引くと言われた。
 川越に来たついでに母と会った。母は一週間ほど前が誕生日だったので、遅ればせながらめしでも奢ろうと思ったのだ。リクエストを聞いたら何でもいいというので、俺の好きなところを選ぼうかと思ったが、それでは俺の自己満足になってしまうので、逆に俺が嫌いなところ、長崎ちゃんぽんでも食うかと提案してみたら、それがいいと喜ぶので、リンガーハットに決まった。母は皿うどんセット、俺は太めん皿うどんセットを食った。餃子はまあそれなりにうまかったが、俺は餃子という食い物の存在意義を心の底で認めていないので、ふーんてなもんである。食後、リンガーハットの目の前のロイホでデザートのパフェを食い、珈琲を飲み、新宿に帰った。お土産にアリゾナ産のハチミツとちょうしたの缶詰・トロにしんの蒲焼きをくれた。ありがたい。

 インドのムンバイで爆破テロが起こったらしい。北の方からミサイルが飛びかったりして、あちらの過激派も「こっちも負けてられん」と思ったのかどうかは知らないが、まあそんなとこだろう。ああいうことする輩の頭脳はそんな浅薄な考えと大差あるとは思えない。

2006年 7月 14日 (金)
でんきくらげ TSUTAYAで借りてきたビデオで増村保造監督、渥美マリ主演の「でんきくらげ」を見た。色っぽいお姉さんが男から男へと渡り歩き、わらしべ長者のごとく富を得てゆくという、「嫌われ松子の一生」を逆にしたようなストーリーで、渥美マリは魅力に欠けるし、演技はオーバーでひたすら笑える。肝心のエロスも古くて扇情的とは言い難かったが、見ていてふと子供の頃を思い出した。子供の頃、深夜テレビや日曜の昼間とかにテレビでこういう映像をちらちら目にして、やたらドキドキしたっけなあ、と思ってるうちに、老人が赤い腰巻き姿の渥美マリの裸体をさするシーンとか、布団の中で渥美マリが下着を脱ぎ捨てるシーンとかが、妙に子供の頃の目線を蘇らせてくれ、エロい映画を見て童心に帰るという、貴重な体験をさせてもらった。

2006年 7月 15日 (土)
 横浜で打ち合せがあるので同行予定のZ社のNさんと新宿で待ち合わせをしたら、Nさんと一緒にJさんが来ていてびっくりした。Jさんは12年ほど前、俺がまだこの業界に入りたての頃にお世話になった人である。あれから俺は会社をいくつか変わり、最終的にZ社に入社し、その後、独立した。Jさんは当時所属していたGT社から同僚のMさんなんかとやはり独立し、新宿で事業を展開していたはずだった。それが先日解散し、一週間ほど前から何と俺の古巣であるZ社に勤務するようになったという。Z社にJさんというのもえらい不思議なとりあわせだが、人に歴史ありってことで、これも人生の長い歴史の一ページなのだな。

2006年 7月 16日 (日)
 TSUTAYAに持ってないインド映画のDVDが結構あることに気がつき、ぼちぼち借りてみることにした。
なんで大きく写ってるのウルミラとカマラ・ハッサンだけなんだ!(マニーシャは?) 今回借りたのは「インドの仕置人(原題:HINDUSTANI)」。その名の通り、インド版必殺!仕置人みたいな内容だが、原題はうって変わって「インド人」という普遍的なもので、つまりインド人の魂を守るため立ち上がった男が、インドを腐敗させている権力者たちを陰で次々と殺してゆくという、邦題と原題、合わせて絶妙なネーミングといえるお話しである。
 インド映画は全体的に脚本のレベルはそこそこ高いが、演出のレベルが恐ろしく低いような気がする。もちろんインドの監督にもスパーシュ・ガイとかサンジャイ・リーラ・バンサーリとかインドラ・クマールとか、なかなかやるな、と思うような監督はいっぱいいるし、演出は素敵なのに脚本はメタメタという場合もかなりある。しかしこの「インドの仕置人」の監督は脚本はそこそこなのに演出が退屈という典型で、随所に不必要に使われているヘタくそなCGの乱用がまた白けるんだこれが。一発であの駄作「ジーンズ」と同じ監督だとわかった。
 主演はカマラ・ハッサン、マニーシャ・コイララ、ウルミラ・マトンドカルと、映画の出来に反してかなり素敵。音楽もラフマーンで、有名な曲がかなり使われていた。これだけの俳優を踊らせて、曲もラフマーンに作らせて、すべてをぶち壊しているヘタレなCGが悔やまれる。見方によってはおもしろいとも言えるが、まともに作った方がよっぽど素敵になっていたであろう“事実”を思うと、やはりCGはウザいとしか言いようがない。
 ストーリーはかなり重圧で、主人公の男と謎の仕置人との関係は?と考えながら見ていって、最後にその末路を目の当たりにすると、うまく作っていたらかなりショッキングで、メッセージ性にあふれ、それでいていい感じにツッコミどころ満載の傑作になっていたんじゃないかと思わせられる。
 カマラ・ハッサン、おまえ演出でリメイクしてくれ。(意味ないか…)

2006年 7月 17日 (月)
 町田で彼女と合流。ルミネなどを徘徊し、ジョナサンでめしを食った。遠距離だと中間地点が限りなく多いので、町田だの藤沢だの平塚だの開成だの新松田だの相模大野だの本厚木だの、いろんな街を見れるという利点だけはあるな。本当にそれだけだが。

2006年 7月 18日 (火)
 渋谷東急で行なわれているぴあフィルムフェスティバルに、森田芳光監督作品「水蒸気急行」「ライブイン茅ヶ崎」を見にいった。これはかの森田芳光がデビューする前に撮影した自主映画である。「水蒸気急行」はその存在を初めて知ったが、「ライブイン茅ヶ崎」はずっと見たいと思っていた作品なので、この機会に見てみた。
 上映前に、森田芳光本人が現れ、司会者の質問に答える形でトークショーが行なわれた。大した話しはなかったが、森田芳光のデビュー作「の・ようなもの」(81)が、実は森田監督がかき集めた3千万円で制作した自主映画だったと知って驚いた。秋吉久美子主演の自主映画ってのもすごいな。
 「水蒸気急行」(76)はひたすら電車を撮影したフィルムを編集して音楽やラジオの声を入れただけの作品で、1時間それが延々と続く。しかし実験的に様々なカメラワークや編集テクニックを工夫しているので、わりと飽きなかった。そういえばこの時代って、電車好きなやつ多かったなあ、と思い出した。
ライブイン茅ヶ崎 「ライブイン茅ヶ崎」(78)は茅ヶ崎の若者たちの青春をシュールでバカバカしいドキュメンタリータッチで描いた作品。森田監督の独特の映像や言葉がすでにこの頃から開花していて、けっこう笑えたり味わい深かったりした。
 今度「の・ようなもの」もついにDVD化するらしいので、発売されたら早速20年ぶりに見てみるか。

2006年 7月 19日 (水)
カランとアルジュン インド映画「KARAN ARJUN」(邦題:カランとアルジュン)を見た。主演はシャールクとサルマン・カーンとカージョル。悪役はご存知アムリシュ・プリ。
 これはすごかった。さすが傑作と誉れ高き作品だけあって、本当に傑作だった。ストーリー、演出、音楽、踊り、ツッコミどころ、すべて完璧。インド映画として、ここぞというところでバシッとくるべきものがくるという、インド映画でしかありえない傑作である。あまりにもインド映画として純粋な傑作であるがゆえに、感想が書けない。俺がつまらない言葉で伝えられる具体的なものはなにもないということだ。セルジオ・レオーネの「夕陽のガンマン」を見た時も感想が書けなかったが、あれとまったく同じである(3月25日の日記参照)。
 振り返ってみたら血まみれのカーリー女神像のド迫力と、それを前に繰り広げられる妖しいミュージカル・シーンの数々がやたら目に焼き付いている。

2006年 7月 20日 (木)
 人に人を紹介することとか、人に人を語ることとか、人に関するデリケートな出来事がいろいろあって、ひさしぶりに自分のことを考えた。自分のことを語るのはどうも苦手なので、考えた事実だけをここに記録し、筆を置きたいと思う。

2006年 7月 21日 (金)
 高校一年生の時、電池を買いにコンビニへ行き、ついでに単語カードを買って、帰ってきたら、肝心の電池を買い忘れていたことに気がついた。それと似たようなことが、今日、あった。もちろんあの時と同じように、笑って済ませた。電池は明日、あらためて買いに行こう。

2006年 7月 22日 (土)
 東武東上線の開かずの踏切で死亡事故があったらしい。事件が起きた北池袋のすぐ隣の下板橋で十年ほど前、三年ばかし住んでたことがあるだけに、まんざら人ごととも思えない。確かにあの開かずの踏切はやっかいで、あそこをスムーズに通れるか引っかかるかで、始業時間に間に合うかどうかの命運が決まる。遮断機が降りていたのに下をくぐって通ったことも二度三度じゃないし、一度だけだが電車を止めてしまって駅長室で怒られたこともあった。思い返すと、かなりシャレにならんな。

2006年 7月 23日 (日)
 長期入院からついに退院した宇井郎さんと新宿でお茶した。退院するする言ってて、なかなか出してもらえなかった彼だが、ついにこの度、シャバの空気を吸えることとなり、晴れて再会したわけだ。
 メールがあり、待ち合わせ場所の東口の喫茶店に赴くと、彼は若い青年と話していて、後からオジサンがやってきた。交友が広い宇井郎さんだから、長期入院直後となると、いろいろお茶する人がたまっているようだ。
 話しを聞いてみると青年は日本の歴史に残るかの偉大な映像作家の曾孫さんであった。ってことは彼の大叔母は俺が高校の頃に大好きだったアイドルの○○○子ってことになる。感激して「あなたがあのアイドルの○○○子さんの親戚ですか!?」と言ったら、「曾祖父さんのことはよく言われるが、大叔母さんのことを言われたのはあなたが初めてだ」と言われた。初対面でミーハーだったことを暴露してしまった。まあいいや。○○○子はつい先週、なにげにネットで検索したばかりだったので、わりとタイムリーである。
 とりとめなく映画やゲームや仕事の話しをして、夜8時頃みなさんと別れた。

まさらダイニング 帰り、腹が減っていたので中央東口のインド料理まさらダイニングを襲撃。普通のインド料理を最近流行のオシャレなレストランっぽくした感じの店で、ナンはあまりうまくないが、カレーやチャイやタンドリーチキンはなかなかうまかった。しかしインド料理としてはすぐ近くのダージリンの方が全体的にうまい(あちらもそんなスゴいうまいというわけではなかったが)。値段はちょっと高め。

2006年 7月 24日 (月)
 休日。午後4時頃ゆっくり起きて、ゆっくりしすぎだが、ひさしぶりにインド料理でも作ろうと思い、買い物にでかけた。
 小田急ハルクとルミネを回り、ガラムマサラ、ターメリック、マスタードシード、鶏もも肉、タマネギ、ココナツミルク、ヨーグルト、おろし生姜、トマトジュースを買ってきた。
南インドのチキンカレー 今日はひとつ南インド料理に挑戦してみようと、レシピを見ながら南インド風チキンカレーを作った(画像参照)。ジャスミンライスで食ってみたら、なんとなくそれっぽい味にはなっている。しかしレシピ通りに作るとやはりターメリックが多すぎるような気がするな。いまいち味が泥臭い。クローブも少し減らした方がいいな。個人的にはもう少し味に酸味があった方が好みなのだが、お湯を減らして、その分トマトジュースを増やせばいいのだろうか。塩気も足りないし。
 あとどのレシピを見てもシナモン・スティックを使うときは砕いて入れると書いてあるが、あれを砕いて入れると食うときにブツブツ口の中に入って頻繁にペッとちり紙に吐き出さないといけないので、かなり食いにくい。クミンやカルダモンなどのホールは食ってる最中に塊に当たるとほんのり刺激的な香りが口の中に広がったりして、それがまたよかったりするが、シナモンはやはりポキッと半分くらいに折って後で取り除きやすいように使用するのが得策であろう。
 インド料理は一度作るとまたすぐ作りたくなる(いつも心残りが多いからだが)。来週も時間あったら挑戦しよう。

2006年 7月 25日 (火)
 仕事の関係で占い師さんおふたりと食事をした。職業柄占い師さんと接する機会はわりと多い。占い師さんてたまに性格が破綻していたりもするが、また部分的に人格者であったりして、話していてとてもおもしろく、勉強になる。たまに走り抜ける占い師としての独特の視点を感じる瞬間がたまらない。占い師萌えだ。

2006年 7月 26日 (水)
 明け方起きてカレーを食って仕事をしていたら、微妙に具合が悪くなってきた。関節と内臓に違和感があり、微かにゾクゾクする。風邪の初期症状かもしれないので、無理せず横になって眠った。午後、まだからだがツラかったが、今日は給料日なので社員に給料を振り込まねばならず、無理に起き、数ヶ月前に買った葛根湯でパブロンを流し込み、なんとか銀行まで行って給料その他の支払いを終わらせた。しかし今月も経済的にキツいな。

2006年 7月 27日 (木)
 仕事がひとつ一段落し、もうひとつの仕事にとりかかった。こちらはサービスの仕事なので、ちゃちゃっと1時間くらいで終わらせた。暇になったので仕事を探してあちこち電話したが、次の仕事がころがり込むのは少しかかりそうなので、しばらく中断していた別の仕事を再開した。経済的に微妙な立場にたたされている現在、わずかな隙間にも仕事を詰め込むべきなので、あり合わせの仕事をしながら、新たな仕事のネタも考えていた。人と話すたびにいろいろ浮かぶが、ふと新しいビジネスのアイデアを考えるのは、一編の詩を綴るに似たり、としみじみ思った。

2006年 7月 28日 (金)
 無料券をくださるというので、ぶらっきぃ!さんがスタッフとして参加しているお笑いライブに行ってきた。
 無名のお笑い芸人たちのライブなので、テレビに出ているお笑いでも結構つまらないものが多いわけだし、あまりおもしろいものは期待できないんじゃないかと思って見てみたら、意外と楽しめた。
 特にルサンチマンという漫才コンビの芸風が妙にツボにハマり、不覚にも爆笑しまくった。あと中村康さんというピン芸人がいて、この方がやたらすごくて、インパクトがあった。帰り、入口にボーッと立っていたので握手してもらい、激励の言葉をかけさせてもらった。

 しかしなんだな。一年ほど前から自主映画の世界に関わるようになり、様々なアーチストと知り合い、こうしてライブで彼らの芸を見る機会が増え、しみじみ思ふのは、売れてないしょぼいアーチストでも十人中半分くらいはまあ暇つぶしくらいには楽しめるし、二三人はおもしろいと思う人もいるのに、自主映画は十本見ておもしろいと思えるのは一本あればいいところ、という現状である。あれだけ金かけたハリウッド映画でもウンコみたいな映画が腐るほどあるのだ。映画というのはつくづく微妙な芸術なのだな。

2006年 7月 29日 (土)
心から ついにインド映画「Dil Se...」を見た。これはかの「ボンベイ」で有名なマニ・ラトナム監督のヒンディー映画初進出第一弾である。話題性はバッチリで、冒頭の列車の上で踊るミュージカルシーンなど語り草だが、内容は特にいい評判を聞いてなかったので、「ボンベイ」ほどは良くないのかな、と思い見てみたら、これがすんごい大間違い!!! ビックリマークを使用するなど言語道断という俺の日記にあって、思わず人様に読ませる文章というものの禁を犯したくなる大傑作だった。
 主人公の激烈な愛が、様々な価値観の交差する世界にヒロインを巻き込んでゆく。そしてラストに選ばれた運命の選択とは如何なるものであったか。よくこの映画をして「ラストが納得いかない」という感想を耳にしたが、このラストじゃなかったら、何があり得たというのだ。俺はこのラストで、口をアングリと開け、同時に涙がほろりとこぼれ落ちた。一般的なマサラ・ムービーと一線を画する、硬派のラトナムらしいリアリティたっぷりの演出、リリカルな映像美、深遠なダイアローグ。しかしこの激情のラストは、間違いなく俺の愛するインド映画の精神なのだった。
 主演はシャールク・カーンとマニーシャ・コイララ。見事な演技に加えて、彼らがこれほど美しく見えた映画は今までなかった。そしてなんと、プリティー・ズィンタが出演していて驚いた。なんでもこれが彼女のデビュー作らしい。プリティーはあまり好きな女優ではないが、この映画の彼女は実によかった。
 もちろんラフマーンの音楽も、歌と踊りも素晴らしい。
 賞賛の言葉ばかりがずらずらと並ぶ映画の感想というのは俺にとって文章を綴るという行為の半分放棄にあたる。映画に負けたのだ、俺は。心からこの名作に完敗。





 辛い…(カレーのことではない)

2006年 7月 30日 (日)
 昼ごろ目を覚まし、今日は何をしようかなあと、からっぽになった頭で想いをめぐらし、そうだ洗濯物がたまっていたのだと気がついて、ランドリーに出かけた。外はいい天気だったかもしれない。天気のことは記憶にない。心の雲模様ばかりが気になっていたからだろう。
 洗濯機と乾燥機が回っている間、俺の気持ちもぐるぐる回っていた。めまぐるしく動く感情を長電話でまぎらわし、まぎらわす以上の得るものを得、電話を切るころには乾燥機も止まっていた。
 家に帰り、洗濯物を畳まず収納ケースにぶち込んだ。一度パソコンを立ち上げたが、そういえば朝から何も食っていなかったので、ミクシィを少しチェックしただけですぐに落とした。腹は減っていたが何も食う気にならず、台所の戸棚を開けると、ちょっと前に小田急ハルクで買って忘れていたレトルトの参鶏湯が目に入り、それを暖めて食った。ヤマヤで買ったレトルトの参鶏湯は食べた後やたら胸焼けがしたので買うのを止めたが、これはそんなことにはならず、味もそれなりにうまかったので、また買うかもしれない。参鶏湯を食った後、まだ食い足りなかったので、サッポロ一番を食った。人間、悩みがあると食欲がなくなったり逆に食いすぎたりするが、俺は両方のようだ。
 食事中と食後は長いこと友達に貸していたパルプフィクションのDVDが返ってきていたので、それを久しぶりに見ていた。見終わらないうちに時間が来たので、中断して歌舞伎町へと出かけた。休日だというのに仕事で呼ばれていた。今日は妙に人と会いたい気分だったので、有難かった。
 仕事を終え、歌舞伎町の喫茶店でコーラフロートを飲みながら人間観察をしていると、携帯のメールが鳴った。

つづく


2006年 7月 31日 (月)
 もつれた二本の紐がひとりでにほどけることはない。人間が両手でつまみ、意図的にほぐそうとしなければ、紐はいつまでも絡まったままだ。もし絡まった紐がひとりでにほどけたように見えたとすれば、それは見えないところでなんらかの人為的な力が働いたに違いない。
 人の心の紐も、生きていると絡んだりほぐれたりを繰り返している。俺の人生では7ヶ月前から二本の紐が綺麗な調和の紋をつくりはじめ、それが次第に縺れ合い、ときには美しく絡み合い、また醜く歪んでは、どうしようもないほどまで堅く結び合った刹那、それは一瞬にして、二本のまっすぐな紐と紐に離れた。まるで物語のように。
 人生は映画だ。人生の映画では、皆が主役である。アドリブのうまい俳優もいれば、演技の下手な者もいる。台本に忠実な役者もいれば、途中で舞台を降りる人もいる。
 俺の映画もまだ始まったばかりだ。しっかりスクリーンに目を凝らし、この映画を最後まで見届けたい(観客かよ)。

 映画といえば、最近ミクシィでミュージック・クリップの制作コミュニティに所属した。先月の下北沢の自主映画の上映会(6月26日の日記参照)で知り合ったヤスさんという方の主催する団体で、参加したのは他でもない、勉強がてら一参加者として他の映像制作のコミュニティを覗いてみるのも一興かもしれないと思ったのが動機だ。
 で、そのミーティングが本日渋谷で行なわれた。出席者は俺も含めて男性5人。様子を伺いつつ、何か出来ることがあったら何かやってみようかなという程度の腹だったが、なにぶん、少数精鋭で活動しているグループだけに、話しの流れでいきなりひとつ作品を監督させてもらうことに決まった。いいのか、本当に。

 帰り、渋谷でちょっと前から目をつけていたカレー屋「カレー研究所」に突入。
 世界各国のカレーが食えるというコンセプトの店で、メニューはインド風・ジャワ風・スリランカ風・英国風・タイ風・ネパール風・韓国風・マレーシア風などなど、いろいろある。俺はマレーシア風エビ・カレー(だったと思う)を食ってみた。
 「研究所」と言っても通好みの味ではなく、一般向けの味を追求したという感じで、あまり辛くないので食べやすく、無難な味だ。
 ここはいろいろあるだけに、何度か通わないとわからんな。


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