非幻想異端的日常
2007年 3月 1日 (木)
 高熱で気が遠くなりそうだったので、医者に行ったら、インフルエンザだと言われた。点滴をして、薬を貰い、帰ってフルーツゼリーとごぼうサラダの昼食を食って薬を飲んで寝た。
 風邪が治りかけてぶり返したと思ったら、インフルエンザのウイルスを貰っていたとは。不覚をとった。
 やることはたんまりあったが、ほとんど一日中ポカリスウェットをがぶ飲みしながら、寝ていた。
 夕食は栄養つけようと思って、セブンイレブンの豚塩カルビ弁当を食った。
 夜になる頃には熱もだいぶ下がり、昼間寝すぎてぜんぜん眠れないので、ひとり事務所にもそもそと出社して仕事をはじめた。

2007年 3月 2日 (金)
 9時頃目が覚めたが、高熱で気持ち悪くて起きれない。そのままベッドで唸って午後1時くらいにやっと起き上がり、昨日買っておいた菓子パンを必死に食った。今まで風邪を引いても食欲が無くなることなんてなかったのに、今回はパンひとつがぜんぜん食えない。やっとの思いで食い終わり、薬を飲んでまた寝た。
 夜、ちょっと具合が良くなったので、事務所に降りてメールをチェックして少し仕事をした。
 午後1時すぎに朝食をとったのだから、午後9時に食うのは昼食ということになる。で昼食はマルちゃんの天ぷらそばと菓子パンを食って薬を飲み、食後はこないだ中古で買った「トゥルー・ロマンス」のビデオを見た。よく考えたらこのビデオは以前にも中古で買ったような気がする。探したらふたつ出てきそうだ。
 こんな恋愛がしてみたい、と思う映画があるとすれば、俺はペキンパーの「ゲッタウェイ」か、この「トゥルー・ロマンス」だったりする。少し前まではインド映画のような恋愛にも憧れていたが、そろそろ現実を考えねばならない歳になった。インド映画から現実を見て「ゲッタウェイ」「トゥルー・ロマンス」に目標を軌道修正するというのも、俺以外の者には訳がわからんだろうな。

 深夜テレビで増村保造の「しびれくらげ」がやっていたので見てみた。
 去年見た「でんきくらげ」よりはおもしろかった。

2007年 3月 3日 (土)
 昼間、少し調子が良くなったので、事務所に降りて仕事した。しかし社員にインフルエンザをうつすとマズいので、最低限のことだけやって早々に切り上げた。しかし静かにベッドに横になってるのもつまらないので、TSUTAYAに行ったり、古い歯ブラシでガスコンロを風呂場でゴシゴシ洗ったり、テレビで再放送のドラマをとりとめなく断片的に見てたりした。この世にはいろんなドラマがあるんだな。
 夜、事務所から社員が居なくなった頃に仕事の続きをしようと思ったら、少し具合が悪くなっていた。昼間とくに無理した覚えは無いので、薬が切れたのだろう。もしくは昼食に十割蕎麦を茹でて食い(ガスコンロ掃除の伏線である)蕎麦湯を大量に飲んだので、薬が蕎麦湯で薄まって効きが弱かったのかもしれない。しかしやらねばならぬ仕事は幾つかあったので、仕方なく重い身体をかかえて事務所に出て仕事を終わらせ、クラクラしながら仕事を片付けた。
 この後、夕食を食わねばならない。しかし食欲が無い。思いをめぐらすに、現時点で唯一口に入る食物と感じるのはマクドナルドのハンバーガーだが、あいにく近所に深夜営業しているマクドナルドはないのである。如何ともし難い。とりあえずサンクスに行ってこよう。

2007年 3月 4日 (日)
 病院から処方された薬、よく見たらこれが噂のタミフルだった。これはインフルエンザ発症後2日以内に投与しないと効かないそうだが、火曜日から飲みはじめて未だにズルズル治らないところをみると、手遅れだったらしい。
 そう、インフルエンザはまだ俺の中に猛威を振るっている。

 ゴチャゴチャといろいろ処方された薬を一日三回飲まないといけないので、珍しく1日3食とっている。以前に痔で入院したときもそうだったが、普段1日1食しかしない俺にとって、1日3食もとる生活を続けると、なんとなく1日中食べてばっかりいるような感じになり、生きるために食ってるのか、食うために生きてるのかよくワカラン状況になり、虚しくなる。普通の人は1日3食するそうだが、どうしてこんな生活が続けられるのか不思議でしょうがない。おまけに風邪でほとんど寝ているもんだから、太りそうで恐い。

 こないだピンクパンサーの新作を見たので、ふとピーター・セラーズのクルーゾー警部が見たくなり、シリーズ第2作目の「暗闇でドッキリ」を借りて見た。やっぱり本家はよい。

★☆ 香港映画「マッスル・モンク」を見た。アンディ・ラウ、セシリア・チャン主演。
 筋肉ムキムキでカンフーの達人で霊感のある元僧侶(アンディ・ラウ)が女刑事(セシリア・チャン)に協力し、事件を解決するというのが前半で、後半は僧侶の過去のカルマの話しになり、前世の因縁やらを巻き込んだ壮大な物語に発展する。壮大すぎだ。普通のアクションのほうがよほどおもしろい。
 21世紀に入って香港映画もインド映画と同じく、味気なくなったなあ。これから先、こんな映画ばかりが作られてゆくのかと思うと、おじさんはもう情けないやら悲しいやらで、20世紀に戻りたくなる。

2007年 3月 5日 (月)
 インフルエンザ5日目。だいぶ治って咳が少し出るくらいかなと思いきや、まだ少し頭がクラクラするというか、からだの芯に病の気配が残っている。
 風呂に入って鏡を見たら、やっぱり太っているような気がする。俺のお腹はもう少し凹凸があったはずだ。なんだこの、つるっとまるく、不気味に描かれたゆるやかな楕円は。体重計が無いのがせめてもの幸いである。風邪太りだ。
 昼間寝すぎて、夜眠れず。

2007年 3月 6日 (火)
 ときどき起きて仕事をした以外は、ほとんど寝ていた。

2007年 3月 7日 (水)
 インフルエンザでクライアントに集金を先延ばしにしてもらってて、ようやく外に出られるくらいまで回復したので電話したら、今度はクライアントがインフルエンザになっていた。流行ってるね、インフルエンザ。

2007年 3月 8日 (木)
 インフルエンザがだいぶ回復したので、銀行やら集金やらで外出。
 咳をしたりして、頭を揺れると、胸が気持ち悪くなる。まだ体調は万全ではないようだ。
 ひさしぶりの池袋だったので、少し散歩した。病み上がりにしてはちょっと歩きすぎた。

2007年 3月 9日 (金)
★★★★ コーエン兄弟の「レディ・キラーズ」を見た。
 これはまたコーエン節のよく利いた映画だ。もうトム・ハンクスの演技を眺めているだけでご飯三杯はいける。その他のよく練られた登場人物たちの動向を見守っているだけで物語はひとりでにおもしろおかしく流れてゆく。特に黒人のおばさんが抱腹絶倒のリアリズム。
 とにかくおもしろいことは至極おもしろい。しかし、コーエン兄弟の映画はこれじゃダメなのだ。いい加減に諦めろよと我ながら言いたくなるが、俺にとってのコーエン兄弟の映画はもっと遥かに神の域なのだ。

2007年 3月 10日 (土)
 神楽坂で打ち合せ。非常にざっくばらんなビジネスの申し出で、何か具体的なネタがほしいところであった。ここで思考停止しないことが大切かと。

 夜、自主映画Reのヒロイン・小梅さんが、前回の撮影の時の忘れ物を取りにやってきた。マフラーと脚本。マフラーはいいとして、女優が脚本を忘れるとは此れ如何に。
 少し社長室で今後の撮影のことなどを話した。

★★★ 韓国映画「復讐者に憐れみを」を見た。
 去年見た映画の中でもピカイチの傑作「オールド・ボーイ」のあの感動をもう一度、とばかりに、同じ監督の映画を借りてきてみた。これと「オールド・ボーイ」と「親切なクムジャさん」と合わせて“復讐三部作”なんだそうだ。
 「親切なクムジャさん」よりはだいぶマシだったが、「オールド・ボーイ」には程遠い。それは監督が感性よりも法則を、勘よりも理論を重んじていたからかもしれないし(そんな印象なのだ)、単に、結局のところ感性も勘も神業には至らなかっただけだとも言える。ならば神業を見せてくれた「オールド・ボーイ」は偶然の産物だったのかと言うと、絶妙なまでの物語と感性(あるいは法則)の偶発的な遭遇はあったに違いないが、やはりあれだけのものを作る映画作家ではあるのだと思う。つまりはこの映画にも光るものはあったのだ。
 しかし三つ見た限りでは、打率から言って、俺の中ではイマイチの監督の部類に入る。つまりはもうこの監督の映画を積極的に見ることはないだろう。
 前半の少女の存在が印象的だった。タコを食いながらテレビを見るシーンは好きである。

 深夜、スカイプを立ち上げて仕事をしていたら助監督のテステスさんが話しかけてきて、六本木で終電に間に合わず帰れなくなったので今からこちらに来てよいかと言うので、もちろんオウケイした。
 暫くして、彼はタクシーでやってきた。
 先日の横浜での撮影のVTRを彼はまだ見ていなかったので、一緒に見た。彼としては思ったより満足のいく画が撮れていたようで、安心していた。
 八割方見たところで彼が眠いと言いだし、消灯。

 俺は数十分眠っただけですぐ目が覚めてしまい、その後しばらく頑張ってみたがどうしても眠れないので、起きて事務所に降りて日記を書きはじめた。

2007年 3月 11日 (日)
 自主映画Reの宇井郎監督が半月ほど前から行方不明になっている。自宅の電話も携帯もメールも通じないし、あれほどマメだったミクシィにもまったアクセスしていない。共通の知り合い何人かに聞いても誰も消息を知る者がいない。宇井郎さんの性格から言って、誰にも何も言わず、しかも映画制作の真っ最中に行方をくらますことなど考えられないので、これは何かあったのかと最近やたら心配になっていた。
 そこで本日、宇井郎さんの自宅まで、昨晩から泊まっていたテステス助監督と一緒に行ってみた。
 中央線と青梅線を乗り継ぎ、羽村市のマンションを訪れると、呼鈴を鳴らしても誰も出ない。仕方なく裏から建物をよじ上ってベランダの窓から中を見てみたら、中はもぬけの殻だった。家具もベッドもテレビも何も無く、まるで引っ越しか夜逃げした後のように、何もなかった。そして郵便受けには郵便物が溜まっており、表札にはまだ名前がある。
 表札に名前があるということは、正規の引っ越し手続きをせず部屋を引き払い、その後の半月ぶんの郵便物が溜まっていると推理される。ってことは何か事件に巻き込まれたか、夜逃げだろうか。
 帰りに警察に寄って事情を話したが、話しを聞くだけで、死体で発見されでもしない限り何もしてくれなさそうだったので、諦めて帰った。

 自主映画Reの音楽担当のともさんのライブが大塚であったので、テステスさんと羽村の帰りに見に行った。
 ともさんのライブはこれで三回目。前二回は普通のポップスだったが、今日はアシッド・ジャズ。俺はジャズが嫌いだが、今日はちょっとファンクな感じで、とてもよかった。今までで一番よかった。ともさんもいつになくカッコいいメイクとファッションで、しびれた。

 通販でひさしぶりに買ったDVDが三つ届いた。
★★★★★ ひとつは「WWE マクマホン」。その名の通り、世界最大のプロレス団体WWEの悪のオーナーにして俺の最も尊敬する経営者でもありアーチストでもあるビンス・マクマホンのアンソロジー&ベストマッチ集である。
 それからゲンスブールの活動を追った「ゲンスブール1958-1969」と「ゲンスブール1970-1989」。ゲンスブールの古いプロモやらテレビ出演やらインタビューやらドキュメンタリーを集めたDVDだが、半分以上がビデオで持っていたものの、これまでは汚い映像で字幕無しで見ていたので、嬉しい。
 一日で俺のバイブルとも言えるべきDVDが三つも増えた。大変喜ばしいことだ。

2007年 3月 12日 (月)
 ひさびさに早起きしたので、マクドナルドの朝マックでマックグリルを食った。
 前にも書いたが、俺はジャム・ハム・サンドが大好物である。これは食パンにジャムをぬり、ハムを挟んで食う、甘さとしょっぱさのハーモニーが絶妙な逸品である。
 先日この話しを友人にしたら、そんな気持ち悪い食い物が好きなら、マクドナルドの朝マックのマックグリルを食ってみよと言われたので、食ってみたわけだ。
★★★ これはベーコンやソーセージを、メープルシロップ入りのパンケーキで挟んだという、やはり甘さとしょっぱさのハーモニーが売りの新感覚パンケーキサンドだそうだ。
 食ってみたが、ジャム・ハム・サンドのインパクトには程遠かった。パンというのはもともと甘味があるものだし、それが普通のパンからメープルシロップ入りのパンケーキになったからと言って、それほど変わったものとは言えず、普通の味の範疇である。

 フランス映画「マドモアゼル a Go Go」を見た。ジェーン・バーキン主演、ゲンスブール出演・音楽の、おしゃれな泥棒コメディである。1972年制作。
 特に感想は無い。

 宇井郎さんが失踪して、急遽、俺が宇井郎さんのパートを監督しなければならないかもしれなくなったので、とりあえずロケ地だけでも探しておこうと、ダンスシーンなのだが、昨晩ダンスシーンの撮影が出来そうなライブハウスに片っ端から電話し、渋谷南口に1時間数千円で借りれるところを発見し、本日、ロケハンに行ってみた。
 なかなか雰囲気も照明もよく、また借りれる日にちに必要なスタッフ&キャスト全員が参加できるので、有無を言わずここに決めた。
 さて、そこで、今月の29日(木)に自主映画エキストラ&雑用スタッフを募集しております。時間は昼12時〜午後3時まで。場所は渋谷。
 お時間と興味のある方は、メールください

2007年 3月 13日 (火)
 2月から我が社の電話番号がタウンページに掲載されたからか、少しおかしな電話が増えた。

 本日、事務所の電話が鳴った。
 俺「もしもし」
 編集者「どうも、わたくし、国際グラフという雑誌の者なんですが」
 俺「はあ」
 編集者「実はあなたにインタビューをさせていただきたいのですが」
 俺「インタビューですか?」
 編集者「そうです」
 俺「なんで俺に?」
 編集者「本誌では毎月、起業家の方のインタビューを掲載させていただいてまして」
 俺「何をしゃべればいいんですか?」
 編集者「会社の運営などについて」
 俺「まあ俺でよければ構いませんけど」
 編集者「インタビュアーは元ボクサーの畑山隆則さんです」
 俺「それはいいですね」
 編集者「明日にでも取材に伺いたいのですが、よろしいでしょうか」
 俺「いいですよ」
 編集者「つきましては、取材費がかかりますので」
 俺「は?」
 編集者「インタビュアーも有名人ですしね」
 俺「うちが、おたくに、お金を払うのですか?」
 編集者「そうです」
 俺「それはダメでしょう」
 編集者「ダメですか…」
 俺「ちなみに幾ら払うんですか?」
 編集者「8万円です」
 俺は電話を切った。

2007年 3月 14日 (水)
 昨晩30分しか眠れず、寝不足で出掛けた。

 大道寺に誘われ、秋葉原へ。何でもホームページの制作を依頼したいとかで、接待も兼ねてメイド喫茶でお茶をするという主旨だと思ったが、とりあえず仕事の話しはまったく無く、メイド喫茶で割り勘でお茶しただけだった。接待で割り勘とは此れ如何に。
 そういえば一昨年、彼に誘われメイド喫茶に行こうとして秋葉原で待ち合わせてすっぽかされ(2005年4月18日の日記参照)、仕方なく一人でメイド喫茶を2件ハシゴしたことがあるが、単にあれの雪辱戦とも言えるべきひとときだったと言える。
 とりあえず2年ぶりのメイド喫茶は進化していた。ヲタク文化もめまぐるしく変わっているのだ。俺には関係のないことだが。
チョロギ 帰り、秋葉原をぶらぶらしていたら、わけのわからんものを発見した。萌え萌えのイラストが描かれた袋に入ったチョロギ。なぜ、チョロギなのか。チョロギに萌え系美少女というこの取り合わせ。中には袋と同じ萌え萌えイラストのステッカーの付録まで入っている。さすが秋葉原というべきか。
 今年の正月はチョロギを食い逃したので(1月2日の日記参照)、買ってみたが、帰って食ってみたらやたらしょっぱくてシワくちゃでまずかったので全部捨てた。

 秋葉原を脱出し、銀座へ出て打ち合せ。

 事務所に戻り仕事をしようとしたが、寝不足と疲労でボロボロで、仕事どころではなかった。とりあえずの業務を終わらせ、さっさと上がってレトルト・カレーを食ってビンス・マクマホンとゲンスブールのDVDを見た。
 今夜は早く寝たいものだ。

2007年 3月 15日 (木)
 一昨日に続いて、今日もどこかの雑誌社から電話があり、有名人によるインタビュー取材をしたいとオファーがあり、最後の最後に実はお金が7万円ほどかかりますと言ってきた。
 こういうの流行ってるのだろうか。それ以前に、受ける企業があるのだろうか。謎だ。

2007年 3月 16日 (金)
 大久保で取材。素敵なお姉さんとお会いして、いろいろお話しを伺った。幅広い活動をされているようで、また彼女の主催している企業は俺がサラリーマンをしていた9年ほど前におつきあいがあったので、今日初めてお会いしたのだが、おもしろかった。

2007年 3月 17日 (土)
 目が覚めたら夜の7時半だった。一瞬、目を疑い、続いて虚しさが胸中に立ち籠める。重い気分をかかえながら起きて支度して出社。よく寝ただけに、仕事ははかどった。

★★★ 映画「デスレース2000」を見た。1975年公開のマイナーなアメリカ映画である。主演はデビッド・キャラダイン。あと「ロッキー」で有名になる前のシルベスタ・スタローンが助演で出ている。制作はかのロジャー・コーマンで納得。デビッド・キャラダインの顔が見たくて借りてきた。
 タイトルの通りレースものだが、そのルールがすごい。ゴールを目指して車を走らせる道中、人を轢き殺すと、ポイントが入る。轢き殺した人間が女や子供や老人であると、ポイントが高い、というルールだ。斯様なルールの下、デビッド・キャラダインやシルベスタ・スタローンなど演ずる命知らず(他人の)のレーサーたちが、女・子供・年寄りをバンバン轢き殺しながら、ゴールを目指して疾走するのだ。彼らの乗り回す殺人カーのデザインがわかりやすい怪奇さに満ちてて、よい。
 設定はとんでもないが、映画の作り方は至って大真面目である。この頃のアメリカはこのように、大真面目にバカな映画をよく撮っていた。
 古き良きバカなアメリカを味わうには良質の一品だったと言える。

2007年 3月 18日 (日)
★☆ 松尾スズキの初主演映画「イン・ザ・プール」のDVDを見た。
 登場人物や設定は可笑しいのになぜか笑えない、という映画で、その原因はことごとくツボを外した演出にある。松尾スズキの演技は大好きだが、この映画の松尾スズキはまったくダメダメだった。この松尾スズキの使いようを見ても、演出のツボの外し具合の度が知れる。
 見ているこっちが「がびーん」だ。


 夜、高田馬場のミニシアター「BABACHOP」にて、ミクシィの自主映画コミュニティの集まりがあった。
 ここは毎回まず夕方から自主映画の上映会があり、夜8時か9時くらいからミーティングやワークショップがあり、11時くらいから飲み会、そして朝まで、という構成である。今回で3回目で、俺は1回目に出席した(1月21日の日記参照)が、2回目はReの撮影で欠席していた。
 昨晩ほとんど1時間くらいしか寝てなかったのと、チューハイなんぞを飲みながらだったので、眠くなり、自主映画鑑賞はほとんど寝ていた。まあ今日は前回ほどクオリティは高くなかったような気がする。前回の飲み会で知り合った自主映画の監督である中山柔さんのプロモが2本ほど上映されたが、そのふたつが一番よかった。
 ワークショップでは、クレーンの使い方と、効果的な照明のやり方を教わった。照明の講師はやっさんである。俺がクレーンを使って撮影するのはまだ少し先になるだろう。照明はむちゃくちゃ勉強になった。
 フランス人と日本人のハーフのアレックスという青年が来ていて、BABACHOP店長さんが撮影中の自主映画のシーンにちょうどよいとのことで、いきなり出演を頼まれていて、その場で自主映画の撮影が始まった。やっさんの照明技術のワークショップの後で実践が見れて、さらに勉強になった。
 深夜から飲み会。飲んで食って、居酒屋にカラオケもあったので、途中からカラオケに移動せずしてカラオケになった。
 明け方、帰った。

2007年 3月 19日 (月)
 事務所のウインドウズのパソコンが壊れて、母がいらなくなったパソコンを呉れるというので、わざわざ車で新宿まで持ってきてもらった。有り難い。お礼にデニーズでめしを奢った。
 しかし貰って初めて気付いたが、パソコンのOSはウインドウズ98で、しかもイーサーのジャックが付いていない。どうやってネットに繋ぐんだ、これ。

2007年 3月 20日 (火)
 銀座。巨大チキンカツ。ビンス・マクマホン。

2007年 3月 21日 (水)
 先日、2週間ほど行方不明になっていた宇井郎監督からやっと連絡があった。なんでもマンションの家賃の支払いを委託していた人のミスで、家賃が滞納になっており、部屋を強制退去させられ、これまでずっと立川あたりの24時間営業のマクドナルドで100円のコーヒーをすすりながら雨露を凌いでいたらしい。
 それまで何の問題も無く住んでいたマンションをある日突然、青天の霹靂とばかりに追い出されホームレスと化し、路頭に迷うことになった45歳の辛さとは如何ばかりか。
 で、本日は女優の小梅さんと復活した宇井郎さんを社長室に呼んでダンスシーンのリハーサルをやる予定だったが、小梅さんが風邪で寝込んで中止になったので、宇井郎さんと久々の再会と、先日の横浜での撮影のVTRのチェックと、29日の撮影の打ち合せなどをした。
 その後、宇井郎さんがメールとミクシィのチェックをしたいというのでiBookを貸し、インド映画のDVDを流したりピザを注文して食ったりしながら、モニタを覗き込みキーボードを叩く宇井郎さんとだらだら雑談をして夜まで過ごした。

2007年 3月 22日 (木)
 休日。歌舞伎町にて映画鑑賞。

★★★★ 映画「パフューム ある人殺しの物語」を見た。
 なんか汚い映像でおもしろくなさそうな予告編に騙されて、招待券が無かったら到底見ることなど無い映画だったが、これがなかなかの拾い物。
 前半、名演技で映像をビシッとしめてくれるダスティン・ホフマンがシブい。他にも映画としての見所、見応えたくさん。
 生まれつき天才的な嗅覚を持つ匂いフェチの主人公が、その能力を生かして一流の天才香水職人に成長し、あげくの果てにそのフェチ心の赴くままに、美しい乙女の体臭を保存するため殺人を犯してゆくというスリラー。
 18世紀のパリは酷い悪臭だったというが、確かにフランスでは基本的に風呂に入る習慣が無いから、生まれてから一生風呂に入らないで死ぬ人もこの時代は多かったらしいし、またトイレも無く、人々は排泄物を無造作に外に捨ててたわけで、パリの街は糞尿と人々の体臭につつまれ、こんな状況下で香水文化が発達したのは当然と言える。
 俺も友人に匂いフェチが多く、周囲の影響を受けて最近はすっかり匂いフェチになってきたので、主人公に少なからず感情移入するものがあった。
 最後の方の展開はむちゃくちゃすぎてかなりついていけなかった。だいたい乙女の体臭を摘出してあれほどの究極の香水が出来るのか、もし出来たのならそれは天才の理屈を超えた神通力に他ならず、そこまで確信させるだけの説得力がもう少しほしかった。原作通りだそうだが、映画単独としてはあそこで素直に死刑になったほうが納得いくラストになったろう。
 殺人の過程も駆け足で無理矢理だし、スリラーというよりは匂いフェチ映画として非常に良質だった。

2007年 3月 23日 (金)
 事務所の玄関の電子レンジのあたりを掃除した。

2007年 3月 24日 (土)
 地獄の給料日。

 自主映画Reのダンスシーンのリハーサルで小梅さんが社長室に来訪。監督の宇井郎さんは朝、病院でモルヒネを打たれてからだが動かなくなり、欠席。
 カメラを回しながらダンスをひととおりやってもらった。ダンスは思ったより決まってたが、表情がいまいち。あと撮り直しになったシーンのリハーサルもついでにやった。とりあえず監督は宇井郎さんなので、あまりうるさく演出はせず、気になったところを少し調整するだけにとどめておいた。
 リハーサル後、ハイチ料理で一緒にめしを食った。
 小梅さんと話しをしていると、随所に気持ちのよい瞬間がある。それはプロの女優としての彼女の気概や本能が伝わってくる言葉とか、変化に乏しい表情のベールにゆるく包まれたわかりやすい性格だとか、いろいろだ。

2007年 3月 25日 (日)
 社長室に置いてあった使ってないパソコンラックを下の事務所に移動したので、空いたスペースに新しく本棚を買った。Yahooショッピングで検索して5千円の安くてなるべくたくさん本が入りそうなやつを買った。部屋がまたずいぶんとスッキリした。
 ついでにこれまで無数の段ボール箱に詰め込んであった膨大な量の本を整理して、読み返す可能性の高いものや好きな作家の本や創作のネタに使えそうな本を中心に本棚に並べた。いらない本はとりあえず玄関に積んだ。
 最後にインド布で、本棚をカバーした。本棚のラインナップをむき出しにしておくのは、俺の頭の中をむき出しにしておくことと同じなので、これは恥ずかしい。

 本の整理で摘出した二百冊あまりのいらない本をすべてキャスター付きの巨大なバッグに詰め、コロコロ転がしてブックオフまで運んだ。途中、キャスターの片方が壊れ、転がらなくなり、持って運ぶには重すぎたので、タクシーを使った。
 査定の間、店内をウロウロしてて、思わず三冊ほど文庫本を買った。三冊で1,000円。ちなみにタクシー代が700円。そして査定の結果は3,000円。帰りに無性に寿司が食いたくなり、回転寿司に寄って1,300円。
 苦労して運んだ本を売って得た金は帰るまでにきれいに消滅した。まさに泡銭。

 夜は明日の撮影の準備と、亀田のボクシング鑑賞。

2007年 3月 26日 (月)
 自主映画Reの撮影。今日とあと1日で終了。俺の監督するパートは今日でついに終わりだ。
 午前中に社長室に主演の司さんとアシスタントのシアンを呼び、簡単な室内で出来る部分の撮影と、近くの新○中○公園の公衆トイレでゲリラ撮影。
 午後は渋谷で街の雑踏のシーンを撮影。参加はシアンと司さんに、お母さん役の浅葱さん、その相方さん(エキストラ)、メイクの天羽さん。ちなみにこちらもゲリラ撮影。
 雨が降っていたので、喫茶店で皆でお茶しながら雨が止むのを待った。待っている間、天羽さんが浅葱さんのメイクをした。喫茶店でメイクとは、自主映画らしくておもしろい光景だ。
 じき雨が止んだので、喫茶店を出てささっと撮影。今日で撮影も四日目だし、だいぶ手際もよくなってきて、驚くほどスムーズに終了した。時間は短くなったのに、画はより納得のいくものが撮れる。とりあえずは理想的な進歩だかな。

 撮影後、シアンと司くんと食べ放題のインド料理屋オーカルカッタで食事した。その後シアンだけ社長室に寄り、今日撮影した映像を一緒にチェック。その後、キルビルのパート1のDVDを鑑賞して、帰った。

 今日は疲れた。

2007年 3月 27日 (火)
 邦画「幕末太陽傳」を見た。1957年。川島雄三監督。フランキー堺、石原裕次郎主演。
 川島監督の映画を初めて見たが、なんとまあ、見たこともないような軽妙な演出だろう。ほとんど神業、すばらしい。
 物語は落語をベースに、当時流行った“太陽族”といった若者文化を幕末を舞台にパロった映画で、赤線廃止直前の現代の品川から江戸時代の遊郭へと場面が変わる冒頭など、当時の日本の時代背景が密接に関わる映画なのだが、それに反して、何の知識もなく今に見てもまったく色あせた印象もなく、わかりやすくおもしろい。
★★★☆ 実はこの映画は高校の頃から見たいと思っていたのだが、フランキー堺の顔があまり好きではなくて躊躇していた。しかしフランキー堺、よかった。一塊のジャズ・ドラマーがこの演技を操るとは。逆に、石原裕次郎って演技ヘタだったんだな。
 難点を言えばラスト。もう少し気の利いたラストはなかったのかと思ったら、資料によると最後は主人公が江戸時代のセットから外に出て、現代の街中へと走り出すという原案だったらしい。川島監督はこのラスト以外はやらないと主張したが、反対したフランキー堺やスタッフから説得され、普通に走り去ってゆくだけのラストとなったそうだ。後年、フランキー堺は「監督の言う通りにしておけばよかった」と語ったという。…って当たり前だ。どう考えてもここはそのラスト以外に有り得ねえじゃねえかよ。バカだなあ、大傑作になってたのに。
 とりあえず次は写楽かな。

2007年 3月 28日 (水)
 渋谷でD社のTさんと打ち合せ。ちょっとこぎれいなビルの地下のカフェバーみたいなところで、ビールを飲みながら、打ち合せはつまみの運ばれてくるまでの少しの間で終わらせ、後は久しぶりに飲みながら仕事のことや映画のことなど雑談した。つまみは豚のほほ肉のナントカと砂肝のナントカをたのんだが、実にうまかった。

 米国のテレビドラマ「ER」なんぞを今更ながら借りてきてこないだ第一シーズンの第1話を見てみたが、どうも詰まらないので、タランティーノが監督したという第24話を借りてきて見てみたが、もっと詰まらなかった。
 タランティーノって、キルビルの日本人の演出などを見ても思うが、あれほど普段の映画では天才的な演出力を発揮するのに、少しいつもと状況が違うと途端に下手に見える。映画の達人かと思いきや、割とフットワーク重かったりしてな。

2007年 3月 29日 (木)
 明日は撮影だってのに、締切間近の仕事が詰まり気味で、準備する暇もありゃしない。それでも要領よく何とか平穏に一日は終わった。

 最近忙しいが、相変わらず金は無い。
 広告の仕事は一般の仕事と違い、今の頑張りが数ヶ月後に返ってくる。今、自分は果たしてどのくらい頑張ってるのかが形としてわからない。ひょっとしたら無駄なことばかりやってるのかもしれないし、実に成ることを結構やってるのかもしれない。

2007年 3月 30日 (金)
 自主映画Reの撮影最終日。俗にいうクランクアップってやつだ。
 本日は小梅さんのダンスシーンと、それから先月横浜で撮影した分の撮り直しが2カットほど。場所は渋谷のライブハウス。
 宇井郎さんはリハーサルを欠席して(3月24日の日記参照)から連絡がとれず、また失踪かと心配だったが、朝になっていきなり電話があり、来れるそうで、ほっとした。
 11時50分、待ち合わせ場所の渋谷駅南口に集まったのは、本日の主役・小梅さん、メイクの天羽さん、美術のマイコさん、強力な助っ人ぶらっきぃ!さん。現地に直接は主演の司さん。少し遅れて宇井郎監督。ずっと後から異様な雰囲気をひっさげ大道寺もやってきた。予定に入ってて来れなかったのはヒノモトさんという自主映画の飲み会で知り合った監督さんと、テステス助監督。
 テステス助監督は2台目のカメラを持っていて、今日の撮影はダンスシーンだけにどうしても2台カメラが欲しかったのだが、何故か連絡なしに彼は来なかった。これは一大事だ。何が一大事かと言うと、話しは数週間前にさかのぼる。彼はReのクランクインの数日前、スロットをやる金が欲しさに何と武士の魂であるカメラを質に入れた経緯があるのだが、その時は幸いスロットでたまたま大当たりして、クランクインの前日にカメラを取り戻せ、事無きを得た。「もうあんなことは二度としませんよ。あっはっは」と笑っていた彼だったが、何とまたしても、彼はカメラを質に入れていたことが2日前に判明した。今日の撮影はどうしても2台のカメラで撮影したかったので、昨日、俺は思い切って彼に10万円を貸したのだ。今の経済状態で10万円はかなり痛いが、パナソニックのDVX-100Bならどうせ10万円以上で売れるし、それを撮影後に担保で受けとれば問題ない。しかし10万円を振り込んだ後、その日、彼と連絡がとれなくなり、結局、今日当日も来なかった。未だに連絡さえとれない。昨日振り込む前に「その金でまたスロットやったりするなよ」と釘を刺したし、彼は「そればかりはやりません!」と約束してくれたので、ひょっとしたら彼に何か事件でも起きたのではないかと心配である。
 気を取り直して、撮影開始。
ダンスシーン 最初の1時間は天羽さんとマイコさんが小梅さんをいじくりまわしてる間にステージの照明とカメラのチェック。人手不足でかなりやりにくかった。人手不足を感じる度に、イライラはしなかったが、心の奥に憤りの粒がパチンコ玉くらいの重さで軽くのしかかっているのを微かに感じていた。ぶらっきぃ!さんとは今日が実に初めての一緒の現場だったが、彼の仕事っぷり、大いに感銘を受けた。彼は普段うるさいことをよく言う人だが、うるさいことを言うだけのことはある。仕事人である。
 カメラが1台だけで心配だったが、宇井郎さんと話し合いながら、なんとか要領よく時間内に終わった。納得のいく画が撮れたし、帰ってVTRをチェックしてみたら、さすがライブハウスだけに照明がキレイで、すごく良い色が出ていた。小梅さんの踊りもよかった。Reの山場になるシーンになったかもしれない(画像参照)。
 撮影後、近くのジョナサンで皆とめし。

追記:3日後やっとテステスくんからメールがあり、「生死のあいだをさまよってます」と報告があった。生死の境を彷徨っていたのか、それはよかった。いや、よくなーい。一日も早く、回復して、10万円返して…もとい、元気に社会復帰していただきたい。

 いったん事務所に戻り、撮影機材を置いて、すぐに集金に出掛けた。六本木1件に池袋2件。撮影だけでも疲れるのに、集金3件はえらく疲れた。さらにその後、事務所で今日中の仕事が待っていた。

 スティーブ・マーティン主演のアメリカ映画「奇跡を呼ぶ男」を見た。
 これは胡散臭いインチキ霊感宗教男の物語。アメリカに住んでいたとき、この映画で描かれているインチキ宗教ショーとまるきり同じようなテレビ番組をたまに見たことがある。まあこの映画を見ないまでも、これらの宗教ショーの裏舞台がこんなもんであることは想像に難くない。
 でこの映画だが、ラスト、言いたいことはわかるが、かなりオチが弱い。しかしインチキ宗教営利団体の裏舞台を暴くことがこの映画の第一義だとすると、途中にあったポートレイトだけでこの映画の価値はじゅうぶんだとも言える。スティーブ・マーティンはさすが、この手の役を演じることのできる唯一の男で、よかった。演出はかなりクサイ。
 描かれているものがやはりあれなので、見ていてかなり気分が悪かった。

2007年 3月 31日 (土)
サタデー・ナイト・ライブとアメリカン・コメディ 先日、新宿ルミネの本屋をぶらぶらしていたら、映画のコーナーで「サタデー・ナイト・ライブとアメリカン・コメディ」(みのわあつお著)という本を見つけ、中をパラパラめくってたら、買わないわけにはいかなくなった。かのアメリカのコメディの殿堂番組サタデー・ナイト・ライブ出身のコメディアンたちを中心に、アメリカの70年代以降のコメディの歴史を綴った書物で、コメディ・ファンには貴重な情報が怒濤のごとく載っている。扱っているコメディアンもジョン・ベルーシからダン・エイクロイド、ビル・マーレイ、チェビー・チェイス、エディ・マーフィ、スティーブ・マーティン、マイク・マイヤーズ、アダム・サンドラー、ザッカー兄弟、レスリー・ニールセン、メル・ブルックス、アル・ヤンコビック、アンディ・カウフマン、ハワード・スターン、ジョン・キャンディ、ジム・キャリー、その他多数。俺の20年のコメディ遍歴の縮図のような網羅っぷりだ。
 で読んでいるうちに、サタデー・ナイト・ライブの映像が見たくなり、TSUTAYAに行くと、先週まであったサタデー・ナイト・ライブのコーナーにビデオがひとつもなくなっており、DVDも半分以下に減っていた。どうやら縮小したらしい。誰も借りるやつおらんのか。
 もしやと思って中古ビデオのコーナーを見てみたら、あったあった。「トム・ハンクス特集」「エディ・マーフィ特集」「ウエインズ・ワールド特集」「ジョン・ベルーシ特集」その他ベスト版が数本。「ビリー・クリスタル特集」と既に持っている「スティーブ・マーティン特集」だけ抜かして、すべて買った。現在TSUTAYAでは中古ビデオ半額キャンペーンで一本150円の激安価格で買えた。実にタイムリーな拾い物である。
 しかしサタデー・ナイト・ライブのビデオって、「○○○特集」とか言って、たまにぜんぜん特集じゃなくて、普通に特定の日の放送をそのまま2回分くらい収録してあるだけなのがあって、看板に偽りあるのだ。


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