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今日も、二つ年下だが、屈託なく笑う姿が自分よりもっと年下に見える彼氏と、いつものスターバックスで待ち合わせだと、急いでいると、どこからともなく香る金木犀の香りを嗅いだ。
スタバ
店に飛び込むと、息を整えながら若い女性に「ホイップ多目のモカフラペチーノ」を注文し、通りからやや離れた店内の席に座った。彼はいつも「カフェアメリカーノ」を注文する。そして、僕の前におかれた「モカフラペチーノ」を見ては「子供みたいだ」と笑う。どっちがだ? と、言いたかったがいつもの会話になぜか安堵する自分がいる。
不安に揺れながら、彼が訪れ、笑顔でいつものセリフを聞くのをしばしの間待つことになる。

9月を過ぎたあたりから、突然のように芳香を放つ花の匂いを嗅いでも、数年前までは思い起こすこともなかった記憶がある。しかし、今の彼氏と付き合いだしてほぼ一年を迎えたあたりから、この匂い、金木犀の匂いを嗅ぐとぼんやりと思い出すことがあった。

あれは、小学校4年か5年のころだったと思う。
仲のいい友達の宮田くんが、及川くんと一緒にいいところにいかないかと誘われた。
陽気で正義感の強い宮田くんとはなぜか気があった。
及川くんは三軒先に住んでいて、同じ学校に通う幼馴染だった。
そんな彼らのいう「いいところ」というのが何んなのか判らなかったが、きっと面白いことに違いないと思いついていくことにした。

すると、自宅から自転車で20分ぐらいのところにある「図書館」に着いた。
図書館といってもそれほど大きな建物ではなかった。所詮、田舎に建っている図書館であり、都会の図書館とは比べ物にならないくらいの小さくて、蔵書も少ないところだった。
 ただ、自分にとって図書館はそこが始めての場所だったので比べるすべはなかったのだが、ただ、当時は大きく見えた。
しかし、その図書館は少々趣が違っていて昔は銀行だった建物らしく、図書館に改造したらしいと後から聞いた。だからだろうか、内部構造が妙に役所の雰囲気を漂わせたもので、高校生になって通いだした別の図書館とは大きく違っていた。

そこへ三人で行くと、突然宮田くんが、一人の男性の元へ走っていった。
「また来たよっ!」
その声はとても弾んでいて、後姿で表情の見えなかった彼の顔が見えるような声色だった。とても、動作のゆっくりとした男性は、呼ばれて振り返り微笑んだ。
微笑んでいたと思う。今となっては、彼の笑顔は忘れたように仕舞いこんだままの『記憶』中だ。
男と宮田くんは二言三言会話を交わすと、宮田くんは踵をかせして僕たちの元へ走り寄り、秘め事を告白するように「さぁ、行こう」と言った。宮田くんの意味ありげな表情に困惑しながらも僕は二人の後を追った。

背の高い本棚が並ぶその奥の壁に黒塗りの鉄の扉があった。
『そんなもの、あっただろうか?』
扉は確かに存在したが、僕には覚えがなかった。
その扉は白い壁に埋もれているようについていたが、それが何の扉であるのかまったく不明だった。男が古めかしい鍵を取り出して、扉を開けると、そこは古い紙の匂いのする薄暗い部屋だった。

その部屋の中はうず高く積まれた雑誌で埋め尽くされていて、見たことのない有様だった。
男は宮田くんに向かって「終わったら声をかけてね」と言うやいなや、宮田君が開け放たれた部屋に勇んで飛び込み、残りの僕たちを急かして入るように言った。
ただ驚きと何が起こったのかわからない入り混じった感情を整理できずに、僕は急かされるまま不思議な部屋に入った。
扉はゆっくりと閉じられたが閉塞感は生まれなかった。

出入りなれた二人は自分の指定位置であろう場所に腰を落ち着かせ、早速、うず高く積まれた雑誌を手に取って静かになった。僕は取り残されたように佇み、ばんやりとしていると、宮田君が僕に気を使ったのか「どこでもいいよ、座ったら?」と言い、僕は手近にあった丸い小ぶりな椅子に腰を落ち着けた。
 すると、すべての空気が自分に向かってくるように感じ、店頭に並んで販売している本屋の比ではないその膨大な量に、僕は圧倒された。この小さな部屋にあった雑誌はすべてが漫画雑誌でこれだけの数を見るのは初めてだった。

驚いた僕を宮田くんは、『してやったり』とでも思ったのか得意満面の微笑で、
「ここね、全部漫画本なんだよ。タダで読み放題なんだ」と言った。
僕は暫くの間、圧倒されてしばらくぼんやりとしていたが、何気に手を伸ばして触れた雑誌を知らず知らず夢中で読みふけっていた。少年マガジンやサンデーにキング、少女コミックやマーガレットなどの少女漫画の数々。膨大な雑誌の独特な匂いに囲まれながら僕は終日をそこで過ごした。
「じゃぁ、又あした〜ぁ」
僕らは合言葉のように言い合って自宅に戻った。

それからというもの、僕たち三人は学校の近くにある駄菓子屋の前で待ち合わせては、図書館の秘密の扉の部屋に行った。三人で、時には二人で来る日も来る日も、そこへ行った。そして、漫画が大量に、しかも誰の注意も受けず、何の干渉もなしに好きなことができる喜びは三人だけの秘密になった。
図書館にいる男と話をするのは専ら、宮田くんで僕や及川くんとはほとんど喋っていなかった。
挨拶をするぐらいだろうか?

何かを話したかもしれないが、今となっては思い出が朧気だ。
ただ、僕は宮田くんと男が話をするのを言い知れぬ何かを抱えて見ていたように思う。
それが何なのか、今でも判らないし、ましてや当時は判らなかっただろう。

ただ、男と気さくに会話する宮田くんが羨ましかっただけかもしれないし、自分のことを気にかけてくれない男に腹立たしさを感じていたのかもしれない。どれをとっても、自分勝手な感情だけで、宮田くんや男には何の責任もない事はわかっていることなのだが…。

一度思い出してしまうと、記憶の引き出しが開け放たれたままなのか、ふとした切欠で思い出すようになった。
今では男の姿が度々蘇るのだが、如何せん時間がたち過ぎているようでその姿が定まらない。
右だったのか左だったのかは覚えていないが、片方の足を引きずって歩く姿が印象的で、色黒い、痩せぎすの体は他の大人より小さいような気がした。
しかし、彼は明らかに大人で、僕たちからすれば下から見上げるティターンだ。
今自分が大人になり、彼の身長がそれほど高くなかったのではと思い返してのことであって、当時は当たり前のごとく大きかった。

 何とか彼のことを思い出そうとするのだが、当時の記憶として残るのは、うず高く積まれた雑誌の中で夢中になって漫画を読みふけったことと、彼に対する淡い想いだけだ。それが『恋』なのかそうでないのかはわからない。だが、忘れえぬ男であることは間違いないのだ。
「どこにいるの?」
頬に当てられた生暖かい感触とともにかけられた言葉で現実に引き戻された。
目の前に立ってにこやかに笑う男を凝視した。
待ち人が来た瞬間だった。

「あ……ぁ、いや、何でも」
「ふ〜ん、そう?」
何故か後ろめたさもってしまった僕を彼は優しそうな表情をして答えた。
「……俺を置いて何処へ行っていたの?」
僕は彼の言葉に心底驚いて彼を見つめた。
きっと、間抜けな表情をさらしていたに違いない。
「あっ、いや…」
妙に恥ずかしくて、口元を手で覆い隠し俯くと、彼の手が優しく頬に添えられた。
「……今度からは遅刻しないよ、君が何処かへいっちゃうからね」
 僕は更に顔を赤くして「…馬鹿言って…」と嬉しい様な、恥ずかしい様な複雑な気持ちで、ニヤついた顔つきで見つめる男に歯が立たなかった。しょった言葉を真顔で口にする男が恥ずかしくてたまらないが、それをサラリと口にしても嫌味に聞こえない、それも仕方がないかと思う。

「ねぇ、これからデートしない?」
『?』
僕は彼の言っている意味がすぐには理解できなかった。
「…デートって…」そう口ごもると、彼は意地悪な顔をして言った。
「『これから映画に行って食事をするコース』なんてどう?」
僕は彼に振り回されてばかりだ。
ウィットに富んだ会話に、見栄えの良さ。自分には不釣合いなパートナーだと思った。連れ立って隣を歩いているのが申し訳ないぐらいだと。そんな負い目を覚えつつ、僕はそれでも彼の隣にいた。

しかし、今の言動はそんな彼には不釣合いなものだ。
そんなことを言わなくても彼は引手数多なのだから。
「このままだと、誰かに浚われちゃうから」と細やかな独り言が聞こえた。
僕はそんな言葉を言う彼に驚いたが、聞こえぬ振りをしてやり過ごした。

彼はそれから頻りに『誰のことを思い出していたのか?』と聞いてきたが、僕は『それは内緒だ』と言ってはぐらかし『思い出の男』の事は話さなかった。

あの男が『初恋』とか、『恋』をしていたのかはどうかはわからないが、今でも気になる人ではある。
そして、今このタイミングで彼のことを思い出したということは何かあるのだろうか。
『男』を考えて無口になると心配した彼が口を尖らせて文句を言うようになった。
良いことなのか、はたまた煩わしい事なのか、先はどうだかわからないが、今は男のおかげで自体が好転したことに安堵しよう。
金木犀の香りに現れた『男』に心の中で手を合わせ、願わくば届けてほしい感謝の言葉を。

                   完

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