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熊とサウナとエルメスと 〜前編〜

『あ〜あ〜、しかし、疲れたなぁ〜』
滝岡は、ネオンきらめく大阪の夜を溜息交じりで眺めながら、ラーメンに舌鼓を打っていた。
「滝岡さん、明日会社に出社してから帰るんですか?」
屈託無く笑うこの男は、辻 剛士というまだ、入社3年目の大阪支社の営業マンだ。滝岡は東京の本社勤めだが、今回、大阪支社が中心としたプロジェクトがあり、埼玉の春日部支社から2名の技術者と本社の営業から2名が加わっての会議が行われる為 、来阪したのだ。

しかし、滝岡ともう一人の営業マンである柳木が出席する予定だったのだが、急遽滝岡一人で出る羽目になってしまった。
「しっかし、柳木さん風邪拗らせただなんて、ついてへんなぁ」
「つ、ついてへんって……」
「いや、だからぁ、折角プロジェクトチームに入ったのに、病気やって、損してはんなぁと思ったんですけど、滝岡さんは、そう思わへんかったんですか?」
辻にしてみれば、『折角のプロジェクトを棒に振るなんて』と思っているらしく接待でいったスナックの帰りのラーメン屋の屋台に来てまでも未だ、グチをこぼしているのだ。
「いや……あいつも悔しいと思ってるだろう。肺炎にならなければねっ」
 
事実、一週間ぐらい前まではなんとも無かったようだったが、倒れる2日前ぐらいから段々と咳が酷くなっていくのがハタから見ても判っていた。しかし、本人は『大丈夫だ』と言って人の話など聞こうともしなかったが、結局、得意先の玄関を出たところで『パッタリ』と倒れてしまい救急車で運ばれ、即入院という事態になってしまった。

本社の方も直ぐに変わりの人間を人選しようにもプロジェクトの内容を把握している人間がいなかったので、結局、滝岡一人で出張という事態になってしまったのだ。
 滝岡にしても、クリスマスが近づいて、なにかとお金がかかる時期に、出張とは願ったりかなったりの”おいしい”手当てを見込めるのは嬉しかったが、柳木が休んでしまったので”おいしい”とは言えず、仕事が2倍になり、思いもしない超過手当てまで付けられてしまったのだ。

しかし、そうは言っても同僚の悪口はいえないわけで、例え酒の席の出来事で済ますわけにはいかなかった。
「病気なんですよ、仕方がないですね」苦笑いを浮かべながら辻に話をした。
「あ〜、なんだかんだ言ってもぉ柳木さんは同僚ですもんね〜俺なんかがいっても話にならへんって感じッスよね〜。
あ〜、ちょっと妬けるんとちがいますかぁ〜」
辻は酔っているのか普段からそうなのか妙になつきのいい子供のような笑い声を立てながら、滝岡の背中をバンバンと叩いた。
『皆、俺にコイツを押し付けて帰ったんだなぁ……やれやれ』
明日ももう一日、大阪の支社での会議が有り、終り次第東京に帰ることになっているのだが、滝岡は早く帰って一人でぼんやりとしたかった。

「辻くん、辻くん。こんなところで寝ないでくれる?」
滝岡は口の端からラーメンの麺がハミ出ている後輩を揺らして起こそうとした。
「あ〜、もう……腹が……」
「えっ?  何、どうしたって?」
「……は、腹がチャーチューでいっぱいや〜」
辻が大声で箸を握り締めた手を突き上げると、滝岡のどんぶりにぶち当たり、滝岡の前をラーメンの汁とチャーシューの食べさし塗れにしたあげく、辻はそのラーメン汁の上に、音も無く頭から突っ込んだ。

『うひゃ〜……辻くん……』
辻は相変わらず、意味不明な寝言を言うだけで彼の現状は全く判っていなかった。
「ど、ど、どれみはねぇ〜、お池で、らーめん……とぉ〜」
「何、言ってんだかなぁ〜」

仕方く、二人分のラーメン代金を支払い、チャーシューを顔に貼り付けたまま妙な笑い声を立てている”気味の悪い辻”を抱きかかえフラフラになりながら、タクシー乗り場にやってきた。
「ちょっと、辻くん、辻くん」
滝岡が呼びかけると暫く無反応だった辻は急に、電池を入れ替えたロボットのように起き上がり、今までに無いようなきびきびとした態度で滝岡に返事を返した。

「……お、俺は…辻 剛士でぇす。え〜血液がたぁは、B型です……赤いですっ! やっ? み、みどりかもしれぇましぇん! す、住んでるところぉはぁ大阪市北区ぅ……きた、くぅ……しゃん、3丁目ぇぇぇ」
『こりゃダメだな…気持ちがあるが、口がついてこないってな感じだ、どうするかなぁ?』
「だいじょうふぅれすっ、ひとりぃれ、っれますっ……へいっ、タクしーぃ」
「辻くん『へい、タクシー』はないだろう? そんなことで、止まってくれるほど、優しくは無いよ、大阪のタクシーは……」
滝岡が聞いているのかいないのか、酔っ払いの辻にむかって言ったが、心の中では『なんでもいいから、もってってくれ〜』と叫んでいた。

滝岡はこれ以上、ここにいるわけにもいかず、当然生ゴミは捨ててしまいたかったが、半分でも人間の形をしている半生ゴミ状態の辻を抱えながら、予定していたサウナへ向かった。

滝岡は恋人の美紗から『クリスマスはやっぱりエルメスの鞄が欲しい』といわれ彼女の要求も拒否する事もかなわず、ないお金をその日のためにかき集める算段をしていた。
滝岡は給料が年棒制のためボーナスなどという特別な物は無い。したがって12月だからと言って余分にお金があるわけではないのだ。

しかし、かといって月給が決して低いわけではなく、日々この日のために積立をしておけばよかったのだが、性格上そんな几帳面でもない滝岡はズルズルと11月まで過ごしてしまったのだ。

彼女の日に日に高まる「エルメス熱」は現物を見るまでは治らない病気で何を言っても無駄……仕方なくアルバイトを考えていた滝岡だった。
 そんなある日、会議は通常本社で行われるのに、今回のプロジェクトの性質上、中心に行っている支社にて行う事になり、大阪への出張が11月になって入ってきた。
滝岡は、この出張手当てと、宿泊料金を浮かせることができれば、12月のイベントはなんとかクリアできると考え、来阪3度目の今日も、ホテルを宿泊先とせず、サウナを選んでいたのだ。

勿論、割引券とクーポン券を駆使し、更に安い料金を追い求めることも忘れなかった。
そんななかで、顔にチャーシューを貼り付けた辻が居る為に『ホテルに宿泊先を変更すなんて、言語道断だっ!』と憤慨して、辻までもサウナにつれてきてしまった。
「朝、迎えに来るから、大人しく寝てろっ!」
辻の荷物は滝岡が預ってロッカーに直し、ラーメンの汁まみれになった辻を仮眠室に転がしておいた。

 服を脱いで大浴場に身体を沈めると、やっと一日が終った感じがした。
「……はぁ……やっと一息つけた……」
長風呂ではない滝岡は、浸かるのもそこそこにミストサウナへ行き、水風呂につかって、リクライニングルームへ行く事にした。

薄暗い明かりだったが大きくて広い部屋に無数のベージュ色の大き目のリクライングシートとがおいてあった。しかし、その部屋には人影を見つけることはできず、先ほど浴場で一緒だった人たちの多くが、併設されたカプセルホテルへと流れているようだった。

滝岡もお金が許せばの話であれば、カプセルホテルという手もあったのだが、如何せんもう一つの問題として、閉所恐怖症であの胸が締め付けられるような四角い部屋で数時間はありえない話なのである。

『誰もいないなんてのは、好都合かなぁ、静かだし』
滝岡はそう呟くと、部屋の中でも死角になる一番端のもっとも暗いところを選んで、シートに座った。
「ちょうどいい、暗さだな」
本当は疲れているので、直ぐに眠ってしまうだろうと思っていたが、やはり明るい場所では寝付かれないだろうと選んだ場所だった。
目を瞑り、考えるとも無しに脳が思考を開始し始める。
……そういえば、昔、事件にあったっけ???
……ミイラ化した死体が、サウナの仮眠室から見つかったっての。
……隙間に落ちちゃって、見つからなかったって……言ってたっけ?
……たしか……掃除の……時…は……。

滝岡はゆっくりでは有るが、静かに眠りに落ちていった。

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