スー〜エジンベア〜最後の鍵――5
「……っ!」
 テンタクルスの頭頂部を斬り裂いて、セオは魔船の甲板の上に着地した。魔船に絡みついていた触腕が、だらりと力を失って崩れ落ちる。
 戦闘のような緊急時、魔船は基本的に自動的にその場に停止するように設定されている。経験値のことも考えて、まずは足を止めて対処しようというように全員で決めていた。
 それがたとえ、今回のように唐突に海中から現れたテンタクルスの群れに、船体ごと絡みつかれるという場合であっても。
「チッ……うじゃうじゃうじゃうじゃとっ、一度に何匹現れやがってんだこのクソイカ……!」
「とりあえず十体までは確認したが、見たところ次から次に新しく表れているようだぞ。勇者の力に惹かれたのかどうかは知らんが、よっぽどこの船に惚れたとみえる」
 次々絡みついてくる触腕の間から、続々と乗り込んでくる痺れくらげたちを次々ドラゴンテイルで叩き落としながら唸るフォルデに、ロンはいつものように平然とした声で応じる。テンタクルスの巨大な触腕で次々殴られて、一度は血を吐くほどの怪我を負っていたが、今は何度も飛ばしたベホマラーである程度回復しているらしい。
「まったく、ありがたいやらありがたくないやらだな……他の船を襲われるよりは、マシだけど……ぉぉおっ!」
 ラグが何度も四方八方から触腕を叩きつけられながらも、微塵もひるまず船に絡みついている巨大なそれを抱え込み、渾身の力を込めてぐいっと釣りの要領で引き上げる。
 驚異的な腕力と常識外れの平衡感覚、そして驚くべき戦士の体術でそのまま宙に放り投げた。波が立ち魔船が揺れ、周囲のテンタクルスが反射的にか大きく体を退く。その一瞬の間でセオとラグは機を合わせ、宙に舞ってテンタクルスの急所めがけ斬りつけ、頭部を一刀両断しつつ魔船からずれた場所へと叩き落とす。これが複数のテンタクルスに絡みつかれた時、魔船の被害を少なくするのに一番手っ取り早いとこれまでの戦いで学んでいたのだ。
 とりあえず全部の触腕を引っぺがしはしたものの、周囲のテンタクルスはまたも触腕を伸ばしてくる。巨体に似合わぬ素早い動きのそれを、懸命に斬り落としながら早口で相談した。
「しかし、ここまでの数じゃ一体一体倒してたんじゃらちが明かんな」
「……俺が呪文で」
「俺がビッグバンで全部吹っ飛ばすよっ!」
『…………』
 レウが満面の笑みで言った言葉に、その場に一瞬沈黙が下りた。
「え? え? なんでみんな黙るんだよー?」
「……いや、その、なんていうか……」
「お前のビッグバンが、セオのギガデインよりも強力な威力と効果範囲を持っているのはわかっているが」
 ビッグバン――レウがルザミで押し寄せる魔物を一掃するために使った、きわめて強力な爆発を起こす呪文だ。『レベルが上がったらいつの間にか覚えてた』という、イオナズンとは原理の異なる――というかより始源の力に近い原理によるというその呪文は、これまでの戦いでも一度ならずその威力を発揮してくれた。のだが。
「お前はすぐ油断して制御甘くすんじゃねーか! この前魔船の帆柱吹っ飛ばして修理が終わるまで数日足止め喰わせたの忘れたのかよ!」
「うぐっ」
 レウが痛いところを衝かれたという顔になった。確かに、レウはこれまで、呪文を唱えた時に何度もそういった事故を起こしてきた。
 攻撃呪文というものは、本来魔法使い呪文も僧侶呪文も、その根本的な性質からして巻き添えを出さない≠謔、にできている。術者の意志をごく当たり前のように読み取り、たとえ術者がその存在を認識していなくとも、味方や物品を自然と避けて、敵だけに影響を与えるように創られているのだ(ただし基本的に自身の制御能力を超えたことはできない)。
 賢者の場合はそもそもこの世界の仕組みを理解していなければまったく働かない呪文なので、自分の処理能力を超える構成の呪文を無理やり発動させたり、新しい呪文のような実験的な試みに失敗したりでもしなければ、そんな事態を起こしはしない。――ただ、勇者呪文の場合は。
「セオが一度もそんなこと起こさないから考えたこともなかったけど、勇者呪文って制御に失敗すると本当に巻き添え起こすもんな……」
「うぐぐぅっ」
 そう、セオ自身そんなことはまったく知らなかったのだが、勇者呪文というのは呪文の中では唯一、制御を失敗すると当たり前のように巻き添えを出す呪文らしいのだ。世界に新しい理を持ち込んでいるも同然なのだからうまく働かなくても無理はない――といえばそうなのだが、レウが唱えたメラゾーマが魔物ごと魔船の甲板を焼いた時には本当に驚いた。
 魔船の強力な対魔防御壁をあっさり貫くその魔力をセオは本当にすごいと思ったのだが、もしこれが原因で万一のことが起きでもしたら本当に取り返しがつかない。なのでここしばらく、レウには(呪文の制御の特訓をしつつ)攻撃呪文を使わないように、という厳命が下りていたのだが。
「で、でもっ、俺ここんとこいっしょーけんめー呪文の練習したしっ! だからビッグバン使っても、たぶんだいじょーぶだと」
「たぶんだぁ? お前んなしみったれた自信で本気でやれっと思ってんのかよっ」
「う、うう、だ、だってーっ」
「………レウ」
 セオが声をかけると、少しだけ涙目になっていたレウは、ばっとこちらを振り向いた。
「セオにーちゃんっ」
「レウは、できると思うんだよね?」
「え」
「レウは、本当に、自分ができる、と思うんだよね?」
「………うんっ」
「……じゃあ、大丈夫、だね。ラグさん、ロンさん、フォルデさん。俺は、レウは、大丈夫だと、思います」
『…………』
 ラグたちは一瞬顔を見合わせてから、それぞれの表情(苦笑やら少し不満そうな表情やら)で答えた。
「セオがそこまで言うんだったら、任せるしかないかな」
「まったく……こうも次々新しい顔を見せられては、嬉しいやら悔しいやら、複雑だな」
「チッ……そこまで言うんだったら任せてやらぁ。けどもし失敗したら、お前も一緒に責任取れよなっ」
「はい……もちろん、取ります」
「………チッ。おい、レウ! お前もししくじったら」
「ちょっと黙ってろフォルデ。レウはもう呪文の集中に入ってる」
 レウはすっと目を閉じた。彼の周りの魔力が、世界を構成する粒子の一つ一つが、次々と歓喜に沸き立っていく。彼の意に従えることを、彼に使われることを、喜びとともに受け容れていくのがわかる。
 彼の力は世界の始まりの力。始源を呼び起こす、世界を新しく生まれ変わらせる、世界に愛された力―――
「始源よ………!=v
 世界が、爆発した。自分たちに迫っていた触腕も、次々乗り込んできた痺れくらげも、マーマンダインも、マリンスライムも。大王イカもテンタクルスも、周囲の空間すべてが始源の大爆発に巻き込まれ、消滅していく――
 そして次の瞬間、世界は静寂を取り戻した。見渡す限りと言ってもいいほど集まっていた魔物たちの群れも、怒涛の勢いで荒れ狂っていた波も、世界そのものが弾けたような爆発も、すべて消え去って。
 ――魔船が折れることも、砕けることも、傷つけられることもなく。
「………っ、だいじょぶだよねっ、どこも傷つけたりしてないよねっ!?」
 目を閉じるやわたわたと周囲を見回すレウに、セオは少しだけ顔を緩ませながら、うなずいた。
「大丈夫だよ、レウ。……すごかったね」
「………っ! セオにーちゃんっ、ありがとーっ!」
 言うや飛びついてくるレウの体を、わたわたと受け止める。レウに自分などが触れてはいけないのではないかという想いが湧き上がるものの、そんな気持ちを抱かれていると知ったらきっとレウは傷つく、という想いが自然と体を動かし、そっと、できるだけそっと、ふぅわりと抱きとめた。
「おらっ! いつまでべたべたしてやがんだっ、いつまた魔物どもが出てくるかわかったもんじゃねーんだからとっとと配置につくぞっ」
「………はいっ!」
「はーいっ!」

 エジンベアを出て、一ヶ月半ほど。自分たちはまだ、ラゴス族の人々に言われた、渇きの壺を使うべき西の海の浅瀬≠ワで到達できてはいなかった。
 海流や風自体は状態の悪い物でもなかったのだが、エジンベアを出てからというもの、今までに層倍する勢いで魔物たちが襲いかかってきたので、どうにも進みが遅くなってしまっているのだ。グリンラッドとガディスカ大陸の狭間、ネルンマーズ海峡を進んでいったため進むのに氷を砕く必要はなかったものの、夏から秋へと季節が移り変わっていく頃ということもあり、寒さもどんどんと厳しくなってきているし、旅の進みは順調とは言えないだろう。
 だが、自分たちの間の空気は、けして悪いものではなかった。
「なんでこんなにぱかぱか魔物が出てくんだろーね? なんか、ここらへんやたら魔物がいたりすんのかな?」
 レウが温めたミルク(中にひと匙アンゴスチュラビターズが入っている)を飲みながら言うと、同じものを飲みつつ(いつ魔物が襲ってきてもおかしくないので、酔うわけにはいかないのだ)フォルデが肩をすくめる。
「んなこともねーだろ、別にここらへん通った船が沈められまくるとかいう話も聞かねーしよ」
「そうだな。これはどちらかというと、勇者の力が高まっているせいなのではないか、と思うな」
 ロンが老酒を舐めながら(この程度で酔うほど酒に弱くはない、ということで)言った言葉に、レウとフォルデが首を傾げる。
「勇者の力って、どんな?」
「レベルけっこう上がったから、勇者の力も上がってるとか言うのかよ?」
「いや、勇者の力とレベルの上昇に相関関係は今のところ見つかっていない。それよりも、エジンベアの勇者――キャルヴィンだったか、あいつとセオが友誼を結んだことが大きいんじゃないかと思う」
「彼と? 確かに、宴席でもセオはずいぶん彼に話しかけられていたけど……その後も、わざわざ見送りにまで来るくらい懐かれていたみたいだし」
 ラグにウォッカ(ラグはロン以上に酒に強いのだそうだ)を啜りながら言われ、セオはなぜかひどく恥ずかしくなってうつむいた。事実なのだが、なぜかひどく恥ずかしい。
 キャルヴィンは、宴席を設けてくれただけでなく、その日はわざわざ自身の屋敷にセオたちを泊めて歓待してくれた。その間もいろいろと話しかけてきてくれたし、セオなりにそれに応えようと珍しく(普段はほとんど仲間以外の人間と交渉以外の会話をするということがないので)、できる限り自分の考えていることや思っていることを話した。キャルヴィンが喜んでくれたかどうか自信はないのだが、嬉しそうな顔はしてくれた、と思う。
 その後も船が出る時見送りにまで来てくれたし、彼が今後勇者としてどう活動していくのかということまで教えてくれた(彼はまずエジンベアを護るべく周囲の魔物たちを軍を率いて討伐する、という活動を行っていたので、これからはエジンベアの防備を固めたのち単独行動でレベルを上げていくつもりなのだそうだ。どちらが魔王を倒しても恨みっこなしだ、と笑顔で言ってくれた)。なので、確かに友誼を結んだ、と言えなくはないとは思うが。
「勇者の力が同調・増幅した結果、大きな力を持つのはセオとレウで経験済みだろう。今回はそこまで深いものでもないが、勇者同士が友好的な交流をした際に、勇者の力が一定期間活性化するのは実例があるらしいからな」
「けど、イシスの婆ちゃん……はともかくとして、ポルトガのあのやたら脳天気な奴と話した時は別にんなことなかったじゃねぇか」
「まぁ、そうだが……勇者の力は本人の意志や感情が大きく影響するようだからな。あの頃セオは魔物と戦うのを心底拒んでいたし、活性化したところで発現はしなかったんだろう」
「……ごめん、なさい」
「いまさらそんなこと気にする必要ないよ。セオが自分の力をどう使うかは、セオ自身にしか決められないんだし」
「ま、そんなわけで、魔物の襲ってくる頻度はしばらくはこのままなんじゃないか? いつ終わるかはわからんが」
「えー、ずっとこのままでいーよ! 今の方が経験値いっぱい稼げるじゃん!」
「相変わらず脳天気なこと抜かしやがって……二、三百数えるごとに一回魔物が襲ってくるなんて状況でまともに旅できると思ってんのか、お前はよ」
「でも、ほとんどの時は魔物数匹しか出てこないじゃん。ものすごい数出てくるのは数日に一回ぐらいだし。そういう時ぐらいしか呪文使う必要ないし。だったらこのまま進んでって大丈夫なんじゃねーの?」
 レウが不思議そうに首を傾けつつ問うた言葉に、仲間たちはそれぞれ苦笑した。
「まぁ、今のところは確かにそうかもな。魔物がもっと強くなってきたらそうも言ってられないだろうけど」
「船でなく自分の足で歩くとなれば体力の消耗もさらに激しくなるだろうが……まぁ、そんなことを今から気にしても始まらんか」
「ま、ぐだぐだ考えててもしょうがねーのは確かだな。飯食ってる時とかには魔物全然来ねーし」
 食事のように、心から休息したいと思っている時に魔物を惹きつけなくする、というのも勇者の力の一端らしい。自身を鍛えようという気持ちのためか、寝ている時などに不意討ちされる可能性はそれなりにあるのだが、全員が顔を合わせる食事の時にはこの時間の邪魔をされたくない≠ニいう気持ちが働くのか、一度も魔物に襲撃されたことはなかった。もちろん万一の時のために監視用の呪文や、魔船に付属している魔動装置は作動させているが。
「それじゃあ、目的地まで、予定通りに行けばあと二週間。その間、魔物がどれだけ襲ってくるかわからないけど、急がなくちゃならない理由があるわけでもないし、気楽に行こうか」
「うんっ!」
「おう」
「そうだな」
 ラグの優しい言葉に、セオは仲間たちから一拍遅れて、「………はい」とうなずいた。

「西の海の、浅瀬か……確かに、こりゃそうとしか言いようがないな」
 魔船を海の真ん中で停めて、甲板に全員集まったのち、ラグは眼前の海を見つめてそうひとりごちる。実際、目の前にあるのは本当にそうとしか言いようのない光景だった。
 どこまでも広がる、蒼く冷たい海。陸地のまるで見えない大海原の真ん中に、突然島ひとつ程度の小さな浅瀬が広がっている。
 ラゴス族の村で正確な座標を教えてもらわなければ見つけられなかっただろう、ごくごく小さな、けれど魔船では船底がぶつかって通れないだろうぐらいにははっきりとした浅瀬。エジンベアから一ヶ月半の時間をかけて、ここまでなんとかたどり着くことができた。
「ここで渇きの壺を使え、か……こんなもん、どう使えってんだ」
「お前、キャルヴィンさんの言うこと聞いてなかっただろ。あの人がこっちに渇きの壺渡す時に、いろいろと使い方を教えてくれたじゃないか」
 フォルデが船室から持ってきた渇きの壺を叩くと、ラグが言葉を返しつつ持ち上げる。目配せされたのを受けて、セオも渇きの壺の傾けられた船縁に立った。
「よし……じゃあ、ロン。頼むぞ」
「ああ。……渇きし者よ、神より授かりしその底なしの喉をしばし潤せ! 大海に水なき穴を開け、我らの道を開きたまえ!=v
 ロンが呪文を唱えるや、渇きの壺が光った――と思うが早いか、眼前の浅瀬を浸していた水が、すさまじい勢いで壺の中へと吸い上げられていく。空中の道を通って壺の中へと、大量の海水が何百分の一にまで圧縮されながら壺の中へと飛び込んでいくのだ。
 その驚異的な光景が続いたのは、ほとんど三十数える間にも満たなかっただろう。海水は壺に吸い尽くされ、浅瀬だった場所は陸地になっていた。周囲の海水はその中には入っていかない――渇きの壺は土地自体に渇≠フ属性を与える力があるので、それが発揮されて水はこの土地の中に入っていくことができないのだ。まるで透明な仕切りでもあるかのように、海水は浅瀬の周りできれいに壁を作っていた。
「ふわー………すっげー………。なぁなぁこれってさ、この先ずっとこのまんまなの?」
「力を解かない限りはな。さもなきゃ渇きの壺の力が消えるか。まぁ神の創った代物なんだから、そうそう消え去りはしないと思うが」
「……生物の類は、別の場所に押し出される、んですよね」
「ああ。呪文を少しばかりいじれば、範囲内の生物をそのまま範囲外に押し出すくらいはたやすい。……で、使ってみたはいいんだが」
「……祠、みたいなものがあるな。浅瀬だった場所の、中心に」
 その祠はひどく古く、海水に浸されていたせいだろう、今にも崩れそうなほどぼろぼろだった。海の底にあった時は海産生物が住み家としていたようで、あちらこちらに欠けた部分がある。
 だが、それでも扉はしっかりと閉ざされ、封印がされている。さほど強力なものではなさそうだったので、ロンならば簡単に解けるだろうが、それでもこの祠が最低でも古代帝国時代からの遺跡であることがわかった。
「えっと、わらんか、だっけ? スーの神さまって、きっとあの中調べろって言いたかったんだよね?」
「そうだろうな……鬼が出るか蛇が出るかわからんが、ここは行ってみるしかないだろう」
「うんっ! へへーっ、久しぶりだなーっ、こういう風にどっかに乗り込むみたいなのっ」
「なに喜んでやがんだ、狭いとこで戦うからにゃしくじればすぐ周り巻き添えになんだからな、下手打ったら承知しねぇぞ」
 などと言いつつ、それぞれ順番に(すでに武器や防具は装備しているので)探索用の道具を準備するべく部屋に戻る。当然ながら船旅では探索用の道具は使わないので、今回のように危険が予想される建物の中に乗り込む時に使う明かりやロープ、くさび等々は、もちろんいつでも取り出せる場所には置いてあるものの、基本的に各自の部屋にしまわれているのだ。
 見張りを何度も交代しつつ全員が揃うと、さっそく小島になった浅瀬だった場所へと乗り込む。小島といっても、高さは浅瀬だったころと変わらないので、船からだと海水が渇きの壺の力に阻まれて壁のようになっているところを降りていかなくてはならないのだが、面倒だし降りている途中に魔物に襲われたら困る、ということでルーラッチを使って転移することにした。
 本来なら船に見張りや番人として人を残しておくべきなのだろうが、ワランカがわざわざここに来るように、と告げた場所なのだ、どう考えてもなにか、尋常な方法では対処できないものがあるに違いない。できるだけ戦力を集中しようということで、魔船の防衛機構を作動させた上で少し離れた場所に停泊(港があるわけでもないのでそういう言い方はおかしいかもしれないが)させておくことにした。
 ロンが封印を解いた後、フォルデが先頭になり、セオとレウが並んでその後ろに立ち、その後ろにロンが、一番後ろにラグが、という順番で中へと入る。ずっと海の中に沈んでいたのだろう遺跡の扉は、フォルデが注意深く開ける動きに従い、意外にあっさりと開いた。
 フォルデが気配を探り、罠を探りつつ、慎重に中に入る。中は長年人が訪れることのなかった建物らしい古びた匂いがしたが、意外にも腐敗臭はしなかった。渇きの壺が水分をすべて飛ばしたせいもあるのだろうが、もしかしたらこの建物の中には有機物がまるで存在しなかったのかもしれない。
 広々とした空間。聖堂かなにかかと思うほど大きなその部屋だったが、聖堂ならあるであろう聖印――神の象徴がどこを探しても見つからなかった。そもそも装飾らしいものが床に刻まれた紋様ぐらいしかない。部屋の中央から広がる花のように刻まれているその紋様は、複雑かつ精緻で刻んだ人間の高い技術がうかがわれるものだったが、その意匠と感じ取れる魔力からすると、魔力を封印する働きを持つ呪術刻印なのではないかと思えた。
 部屋を見回してみたところ、この部屋を形作っている石材はすべてが蒼水石――暗闇で蒼く光る、魔力を蓄積する力のある石でできているように思える。つまりこの部屋全体に蓄えられた魔力を使って、なにかを封じているのではないか、とセオは考えた。
 そして、封印しているものというのは、普通に考えれば、紋様の中央にあるあの宝箱の中のものなのだろう。自分には、宝箱の中からはそこまで強烈な力は感じ取れないのだが、この祠すべてがあの宝箱の中にあるものを封じるためにあるのはおそらく間違いない。そして、この祠にはおそらく、古代帝国の遺跡としても規格外なほどに強力な魔力が込められているのも。
 部屋の四方に掲げられたかがり火が、まるで今火をつけられたかのように赤々と燃えていることからもわかる。いかに古代帝国の魔道技術が高かろうと、明かりを作るのにかがり火を――薪に火をつけて作った明かりを永遠に燃やし続けるなどという馬鹿馬鹿しいことはしない。かがり火を永続的に燃やし続けるというのは、燃えればなくなる薪という物質を、永遠に燃え尽きないようにする――つまり、少なくとも時間を止めるか物体を無限に創生するくらいの桁外れの魔術を行使しなければならないのだ。そのくらいなら空間を永続的に光らせた方がはるかに魔力を効率よく使える。
 しかし、この部屋の中のかがり火は赤々と勢いよく燃えている。有機物が存在しなかった可能性を考えると、おそらくこの部屋の時間は封印された時からずっと止められていたのだ。海の中に、海水の水圧に耐え、水を微塵も侵入させない、時間の泊まった祠を造り、それでいて扉の封印はある程度の技術があれば解ける程度のものですませられる――古代帝国であろうとも人間外というべきその魔法技術は、普通に考えれば、神の手によるものなのだろう。
 そしてそこまで厳重に封印をした宝物がある場所に、スー族の祖霊神であるワランカが自分たちを案内した。その事実の重みが、自然と知れる。
 仲間たちと顔を見合わせると、フォルデが無言のまま宝箱へと進み出ていく。罠に関しても身をかわす技術に関してもとっさの危険を察知する能力に関してもパーティ随一であるフォルデがこういう時には一番前に立つ、というのはレウにもヤマタノオロチの洞窟前からきちんと教えてある。
 ――と、ふいに、声が響いた。
『ようやく参ったか、勇者の系譜を継ぐ者よ』
「っ!」
 フォルデが即座に声のした方――部屋の奥、封じられた扉の向こうに向け武器を構える。自分たちもそれに続く。声に敵意は感じられなかったが、だからといってすぐに警戒を解いていいわけではない。
「あなたは、どなたですか」
 セオができるだけ静かに声に応えると、声はわずかに笑い声を立てた。
『なにを怯えておる。お前たちは今の世に在る者の中で随一と言ってもよい力を持つ勇者の一行、我をわざわざ警戒する必要もあるまいに』
「いえ。俺たちは、まだまだ、決して、強くはないですし、そもそも、強かったからといって、油断していても生き残れる、というわけでもありませんから」
『ふふ……用心深いことだ。ゆえにこそそれほどの力を得たのかもしれぬがな』
「……お聞きしても、いいでしょうか。あなたは、どなたですか?」
 その問いに、またわずかに笑い声が立つ。
『私は古を語り伝える者』
「古……」
『世界に幾柱か存在する、上古の時代を語り継ぐ役目を持つ者の一人。真実を知らんとする者に、その階梯に応じ求めるものを与えるのが私の務め』
「……俺たちにも、求める真実を与えてもらえる、と?」
『その必要はあるまい。お前たちには、その宝箱の中にあるものが与えられるのだから』
「え……」
「……こん中になにが入ってるってんだよ」
『開けてみるがいい。罠も鍵もかかってはおらぬ。この祠の封印も、ただその力を垂れ流さぬために在るものなのだから、この祠の場所をワランカより与えられたお前たちにはなんの用も為すまい』
「…………」
 一瞬視線を交わす。その間に見えたフォルデの視線の熱に、ここはフォルデに任せよう、と仲間たちの間で同意が得られた。フォルデはうなずいて、さらに一歩前に出る。
「なんでてめぇの言うことをいちいちはいそうですか、と聞かなきゃならねぇんだよ。そもそもてめぇが嘘をついてねぇって証拠がどこにある? 顔も見せねぇでぐだぐだ偉そうなこと抜かす奴をどう信用しろってんだよ」
『信用せぬというならばそれもよい。ただその宝箱の中にあるものは持っていくことを勧めるぞ。それがなければお前たちの旅はやがて行き詰まることとなるのだから』
「……なんでそんなことがわかる」
『それを持って旅をしていけばおのずと知れよう』
「ふざけてんのかこのボケ。てめぇの脳味噌はネズミ以下かよ。ゾンビみてーに腐れてんじゃねーのか」
『……なんだと?』
「こっちはてめぇを信用できねぇっつってんだよ。てめぇがどんな罠仕掛けてやがるか警戒してんだよ。そんな相手に、どんな罠があるかもしれねぇもんを持って旅していけばわかる、だあ? 見当違いな返事にもほどがあるだろうが、てめぇがどんだけ生きてんだか知らねぇがその程度のこともわかんねぇのか」
『……………』
 声は沈黙した。フォルデは気にした風もなく、扉の向こうにずけずけと言葉を投げつける。
「今までに会った偉そうな喋り方する奴はたいていそうだったけどよ、てめぇもその類に漏れず脳味噌あったかくできてやがるよな。自分の言うことが相手に受け容れられて当たり前だ、なんぞとおめでたいことを当然みてぇに信じ込んでやがる。それでよくまぁ賢ぶったことを抜かせるもんだぜ、みっともねぇったらありゃしねぇ。てめぇの能無しっぷりをわきまえる、ぐらいのこともできねぇのか身の程知らずが。語り伝えるだなんだと偉そうなことを抜かすんだったらな、どんな相手にもきっちり受け容れられるように真実を伝えるぐらいのことはしてみやがれ、この脳腐れボケが」
 心底鬱陶しげに、見苦しいものを見たと言いたげに次々言葉を投げつけられながらも、扉の向こうの声は沈黙していた――が、しばしののち小さく笑い声を立てる。
『なるほど……考えたな。こちらを警戒している、ということを伝えて、こちらにお前たちを説得するために情報を引き出させよう、というわけか。警戒しているというのも真実なのだから、たとえこちらがそちらがなにを考えているかお見通しであろうとも、説得する気があるのならばある程度の情報を渡さざるをえない。こちらの反応さえも我々の出方を読む情報にしようというわけか、まったく、よく考えたものだ』
「その程度のことも考えなきゃわかんねーのかよクソボケが。本気で脳味噌ねーんじゃねーのか。それともまさかこの程度のことでてめぇらの怪しげな情報網使いやがったのか、ったく頭悪ぃにもほどがあんだろ。自尊心だの矜持だのって言葉も知らねーみてーだな、このドブネズミ以下のクソクズが」
『………そこまでにしておくがいい、盗賊よ。いかにお前が勇者の仲間の一人であり、ワランカの託宣を受けた者とはいえ、どんな相手にもどのような口を利いてもよいということにはならぬのだぞ』
「ほー、だったらどうする。俺に罰でも当てるってのか? いいぜ、やってみろよ。やれるもんならな。呪いでもなんでもかけてもらおうじゃねぇかよ。俺をてめぇの責任で、てめぇの都合で全力で敵に回してみやがれ!」
『………………』
「……できねぇのかよ。やっぱりな。てめぇみてぇな奴らはいっつもそうだ。偉ぶってるわりにゃあてめぇの尻をてめぇで拭う根性もねぇ、臆病者のクソクズタマなし野郎だ。俺らの周りにちょっかいかけてきやがったのだって、俺らがてめぇらを見つけそうになったからこれ以上逃げ隠れできなさそうだと踏んで、だったら先手を打って利用してやろうなんぞと考えたんだろうが下衆野郎。腐れた腹が丸見えなんだよ! 隠すほどの腕も演技力もねぇんだったらはなっから人様を利用しようだなんぞと思い上がったこと考えてんじゃねぇよ、身の程知らずの能無し野郎が!」
『………………』
 扉の向こうの声はひたすらに沈黙し、もはや言葉を返そうとはしない。ふん、とフォルデは鼻を鳴らし、ずかずかと、一見無造作に宝箱に近づいた。
「……結局、宝箱は開けるのか?」
「たりめーだろうが。目の前に宝箱があるんだぜ、もらっていかねぇでどうするよ」
「罠が仕掛けてあるかもしれんぞ?」
「普通の罠なら俺が見破る。魔法だなんだってややこしい罠が仕掛けてんだったらてめぇが見破れ。それでもかかったらその時考える。そもそも神だなんだって奴らと喧嘩しようってんだ、どこに罠が仕掛けてあるかもわかんねぇのは当たり前だろ。罠ばっか警戒して身動き取れなくなるなんぞそれこそ馬鹿馬鹿しいだろうが」
「そーだよな! ……あれ? なー、俺たち、神さまと喧嘩するってことになったんだっけ? とりあえず神さまがなに考えてんのかわかんないから調べようって話じゃなかった?」
「俺は最初っから喧嘩を売る気なんだよ。人のことをどう動かしてもいいだなんぞと考えてるクソどもに舐められっぱなしでいてたまるか」
「……というか、俺は扉の向こうにいた相手からなにか情報を引き出そうとして喋ってるもんだと思ってたんだが、もしかして単に悪口を言いたかったのか?」
「んっだよ、悪ぃかよ」
「いや、悪いとは言わないが……なんというか……」
「まぁいいんじゃないか、そういうのはこいつらしくてとても可愛いし。情報を引き出そうという気もなくはなかったんだろうしな、悪口言いたい気持ちが八割とはいえ」
「っ……偉そうに人のことああだこうだ言ってんじゃねぇっ、あと気色悪ぃこと言うなっ!」
「フォルデ、なに怒ってんの? そんなに気持ち見抜かれたの、やなのか?」
「っっっ………! だからてめぇはその上から目線やめろってんだよっ、あと気色悪ぃ方は無視かよっ!」
「え、だってロンがフォルデのこと可愛いって言うのいつものことじゃん」
「俺に対してしか言ってねぇみてぇに言うなぁっ!」
「だって俺言われたことないぜ?」
「え……」
「そう、だったっけ? ……確かに、そう言われてみれば、言ったことがない気も……」
「……よく覚えていたな。お前はそういったことは気にしないと思っていたんだが」
「気にしてるわけじゃねーけど、人になに言われたかくらい覚えてるよ」
「……本当に言ったことがないのか? 一度も? レウは別に可愛くない子供ってわけじゃないと思うんだが……」
「まぁ、俺もレウがまったく可愛くないとは思わんがな。だが悪いが、俺は子供は趣味じゃないんだ」
「っ……」
「? しゅみって、子供ってこととなんか関係あんの?」
「つまりな、俺がお前を恋愛対象というか情欲を抱くことができる相手だと思え」
「だあぁぁぁっガキになにとんでもねーこと抜かしてやがんだこのクソタコ変態賢者ぁぁぁっ!!!」
 場の空気が落ち着くまでには少し時間がかかったが、全員が口を閉じるやフォルデは宝箱に向き直った。とたん、空気の気配が変わる。
 フォルデは的確に手を動かし、精緻に感覚を働かせ、宝箱を調べていく。その集中力は、万一のことがあった時に罠の効果範囲外から助けに入れるよう、ある程度離れた場所に立っている自分にも感じ取れるほど鮮烈なものだ。周囲の空気を塗り替えるほど、世界の在りようを変えるほど、苛烈で鋭く、それでいて清冽なフォルデの気迫が、仲間との会話すら寸分の狂いも影響も与えられないほど的確に、宝箱を、その周囲を探査していく。
 ほどなくして、フォルデはぴん、と音を立てて宝箱の鍵と、蓋を慎重に開けた。それから小さく息をついて、手で自分たちを招き寄せる。
「とりあえず、来ていい。たぶん危険はねぇと思う」
「わかった。お疲れさん」
「お疲れさまっ」
「同じく、だな」
「お疲れさま、です……」
「だーもうっいちいちんなこと連呼しなくていいっ! いいから来いっ、たぶんこれぁ魔法の品ってやつだ、俺が見てもわかんねぇんだよっ」
 顔を赤らめながらそう怒鳴られて、セオはああ申し訳ないフォルデを怒らせてしまった、と泣きたくなる――だが、体温は下がらなかった。セオに感じられる空気は、相変わらず柔らかく、優しく、暖かい。
 あれ? と思わず首を傾げ、自分の心身になにか歪んだ影響がないか探査し、なにも感じられなかったことにまた首を傾げ、は、と気づいた。もしかして、自分の体は、『フォルデは怒っていない』と感じているのではないか、と。
 思ってもみなかった考え方と、自分の心と体が別の感じ方をしていることに思わず目をみはったが、その間に仲間たちは宝箱の中をのぞきこんで口々に喋っていた。
「これは……鍵、か? ずいぶん古風、というか……雅な装飾がしてあるけど」
「え、これ鍵なの? なんかすっげー変な形してるけど。この棒んとこ、こんなにぐねぐね曲がってたら入る錠とかなくねー?」
「……まさか、とは思うが。……すまんが、一度Satori-System≠起動……賢者の情報網を使っていいか? これがなんなのか、きっちり確認しておきたい」
「おい……なに抜かしてんだ。あんなクソうさんくせぇ上にクソ厄介なもん、使ったところでどんな役に立つって」
「俺もできる限りの用心はするし警戒もする。だがSatori-System≠ナなければ得られない情報というのはあるし、得ておかなけばならない情報というものもある。これはたぶん、その双方に該当する代物だ。Satori-System≠フ侵食は、よほど近距離から俺を狙い撃ちしてくるのでなければ一瞬の侵食値は微々たるものだしな、いちいち気にするべきことじゃない。もちろんその一瞬の隙を狙って大量侵食を行おうとしてくる可能性もあるから、お前らにはしっかり見張りを頼む必要はあるが……どうだ、頼めんか?」
「……わかった。無理はするなよ」
「むろんのこと」
「おい、ラグ……」
「ロンがここまで言うんだ、実際によほど大切だと思ったことなんだろう。まぁ魔法関係について俺は役立てそうにないから、いざという時にはセオとレウに頑張ってもらうことになるけど……大丈夫かな?」
「おうっ!」
「……はい。絶対に、ロンさんを、護ります」
 全身全霊に気合を満たしながらそう言うと、フォルデはむ、とわずかに唇を曲げたが、すぐに「わぁったよ」と一歩退いた。その代わりにロンが前に出て、宝箱の中を見て目を閉じる。
 と、思うやすぐに見開いた。それから緊張感に満ちた顔で、大きく深呼吸をしてみせる。
「……これは、なるほど。確かに封印するに足る代物だ」
「どういうことだ?」
「これは最後の鍵≠ニいうものでな。どんな錠も、どんな封印も開く力を持つ、最高最後の鍵だ」
「あ、やっぱり鍵なんだ」
「……たかが鍵じゃねぇかよ。んなもん、わざわざこんなとこに仰々しく……」
「どんな封印も開く、と言っただろう。この鍵は、所持している者にありとあらゆる封じる≠ニいう働きを持つものを解放する力を与える。これがあればおよそこの世にあるどんな結界も封印も意のままに解ける。たとえ、神がほどこした封印だろうとな」
『―――!』
 一気に場の空気が緊張する。その中で、ロンは落ち着いた口調を変えずにむしろ淡々と説明する。
「だから当然Satori-System≠フロック……鍵も解けるし、俺というSatori-System≠フ端末にかけられた封印も解ける。具体的に言うと、Satori-System≠ノ存在する情報ならば俺はいくらでも探れるし、喋れるようになったということだ」
「……なんだそりゃ。そんなもんを、わざわざ、神とやらが俺らに取りにこさせた、って?」
「そうなる、よな。……つまり……」
「もしかして、神さまっていいもんってこと?」
 レウがきょとんと首を傾げて言ったことに、その場は一瞬騒然とした。
「いや、必ずしもそうと決まったわけじゃ……」
「なに抜かしてんだてめぇ、これまで神だのなんだのって奴がやってきたこと忘れたのかよ」
「そうだな。これが懐柔の手段であると同時に、罠であるという可能性も消し去ることはできん」
『罠ではないぞ。懐柔である、という意見には、確かに捉えようによっては、と答えるべきであろうがな』
『っ!』
 半ばその存在が意識の外に在ったのだろう、扉の向こうから声をかけてきた相手に、ラグとロンとフォルデはばっとそちらの方向を向いた。
「……そんな台詞が信用できると思うのかよ」
「そんな言葉だけで、俺たちのそちらが俺たちをうまく操って利益を得ようとしている、という疑いを消すことができるとでも?」
「せめてなぜこれを俺たちに渡そうとしたのか、くらいは説明してもらえませんか」
『その必要はない、と言ったはず。我が言葉を信用できぬというのならば私がなにを言おうとも意味はない。我が言葉に信ずる価値を見出したならば、おのずから真実を見出すことはできるだろうさ』
「もったいぶった言葉使やあ頭いいとでも思ってんのか。ちったぁまともにこれこれの理由でこうしてくださいと頭下げて頼んでみやがれ」
 フォルデの怒りに満ちた嘲りの言葉に対し、扉の向こうの声はわずかに沈黙してから苦笑する。
『それができるならそれもよかろうがな。私もなぜこれをお前たちに渡すのか、はっきりしたところを知っているわけでもないのでな。いろいろと推測はできるし、おそらくは真実とそうかけ離れてはいないだろうとも思うが……私が知り、語り伝えることを許されるのは上古の真実のみ。それ以外のことについては、私は知りようがないし、興味も持てぬ。戯れにあれやこれやと思考を巡らせる程度が関の山だ。そういうように創られているのでな』
『――――』
『だが、これが罠ではない、というのは間違いのない事実であろうし、これがなければそなたたちの旅は行き詰まるであろう、というのも正しい推測だと私は考える。私に最後の鍵を渡すよう命じた方より直接聞いたことであるし、語るのを許されたことだ。そして私が推測したことでもある。――さて、どうするかね?』
『…………』
 仲間たちが無言で、素早く視線を交わす。その中にそれぞれの迷いと思考を感じ取り、セオは手を上げた。
「……あの。俺が、持っていっても、いい、ですか」
「セオ……いや、だけど、大丈夫なのかい?」
「もし罠だったとしたら、俺が一番、抵抗できる可能性が高い、です。一応、勇者、ですし。それに……たぶん、ですけど、この鍵そのものには、罠とか仕掛けてないんじゃ、って思いますし」
「それは……なんでだい?」
「なんとなく、なんですけど。神さまたちは、俺たちを、敵に回したくない、って考えていると、思うんです」
『……へ?』
「おい、なんでそーなんだよ。あれだけクソムカつくことやっといて」
「そうで、なければ。ジパングで、わざわざ、俺に、忠告するようなこと、しないと思いますし……あそこでわざわざ事実を明かしてくれたのには、一種の、誠意が、あるからだろうと思いますし……」
「あ……」
「そりゃ……そう、だけどよ」
「それに、ルザミで。エリサリさんに、あの儀式を行わせたってことは、少なくとも、俺が瀕死の状態だと困る、っていうことですよね? 少なくとも今は、神さまたちは、俺たちに元気でいてほしい、はずです」
「え……おい待てよ、なんでエリサリのやったことが神連中と」
「? あの……だって。ルザミは、神さまの創った牢獄なわけですから、そこにわざわざ俺たちを通して、儀式まで行う許可を出す、っていうのは、普通そういうこと……ですよね? エリサリさんはエルフ――神に仕える妖精族なわけ、ですし、神さまとの繋がりも深いでしょうし、異端を狩るのが役目、っていうことは、存在する神さまたちの意にそぐわないものを狩るのが主な役目なんじゃないか、って思ったん、ですけど……」
 セオにとってはそれは当然以前の思考だったのだが、もしかしてまったく見当違いの考えだったのだろうか、とおろおろするセオの前で、フォルデはすさまじく顔をしかめて頭をばりばりと掻き、ラグは苦笑しつつ肩をすくめ、レウはにこにこと変わらぬ笑顔を浮かべていたが、ロンは一人難しい顔で訊ねてきた。
「だが、その元気でいてほしい時期のあとに君を利用するなりなんなりするために、今のうちに布石を打ってきた、とも考えられるぞ。この鍵にそういった遅効性の罠が仕掛けられていない保証はない、そういった術もこの世には存在する」
「そのくらいの術だったら、たぶん抵抗できる、と思います。わざわざ遅効性にする、っていうのは、やっぱりその分魔力を喰いますし、ある程度の時期の指定もできるようにするとなるとさらに、消費分は、増えますし。それだけ、術の威力は弱くなる、わけですから」
「―――ふむ」
「それに、もしこの鍵に俺の処理能力を超えるほどの罠が仕掛けられていたとしたら、ロンさんが絶対に気づいて対処してくれる、と思いますし」
 ごく当たり前の認識を念には念を入れて説明しておくと、ロンはふっ、と小さく苦笑した。
「そこまで信頼されては、こちらとしても全力に信頼に応えるしかないな。わかった、持っていってくれ。確かにこの上なく有用な道具には違いないんだからな」
「はい」
「ただし、使うのは俺が本格的に調べて、支障がないと確信したあとになるが、それでもいいか?」
「はい。もちろん、です」
「……チッ。わぁったよ、任せりゃあいいんだろうが。……その代わり、まずいと思ったら勝手に手ぇ出すからな、覚えとけよ」
「そうだな、実際、それしかないだろうな」
「はい。ありがとう、ございます」
 自然に深々と頭が下がる。それをぽんぽんと叩かれたり拳を触れられたりされて、思わず顔が赤くなった。こんな風に、優しく触れられるのは、やはりどんな時でも申し訳なくも――いや、申し訳ないと思っていては仲間たちの心を穢すことになる。本当に、ただもうなんとも言いようがないほどに、嬉しい、と、ただそう言うべきなのだろう。
「あ、話終わった? セオにーちゃんが持ってくってことでいーんだよな?」
「……てめぇ、話聞いてなかったのかよ」
「うん。だってセオにーちゃんが持ってくって言ったんだから、結論絶対変わんないだろ?」
「……レウ。そういう風に話し合いで手を抜いてると、いざ普段と違うことをやる時に痛い目に遭うぞ」
「あ、そっか……うん、じゃーこれからは気をつけるっ」
「そうしなさい。……セオ?」
「え、あ、はい?」
「まだなにかあるのかい? 扉の方をじっと見てるけど」
「え……はい。あの……ひとつ、聞きたいことが」
「聞きたいこと?」
「はい……古を語り伝える者、さんに」
『……私に?』
 わずかに面白がるような響きがにじんだ声に、セオはこっくりとうなずいて訊ねた。
「あの。よろしければ、なんですが。もし、俺たちが、ワランカの言葉とはまったく関係なしに、ここを訪れて、あなたに真実を教えてほしい、と言ったら、あなたはなんて答えられる、んですか?」
『ふふ……なるほど。自らの階梯を、そこに許された真実を知りたい、というわけか』
「あの……えっと、はい。そう、なります」
『ふむ、では語ろう。――イシス砂漠の南、ネクロゴンドの山奥にギアガの大穴ありき。すべての災いはその穴より出ずるものなり』
「え……」
『今のお前たちの階梯に許された真実はこの程度のものだ。これをどう使うかはお前たち次第だが――その鍵も含め、うまく使ってくれることを期待しておこう』
「……はい。ありがとう、ございます」

「……ったく、なんだってんだよあのクソタコ野郎。最後まで偉そうな口叩きやがって。ギアガの大穴だかなんだか知らねぇが、んな阿呆みてぇな話がなんの役に立つってんだ」
 スーの、ラゴス族の村まではルーラで一気に転移することができた。この村にルーラ用の結界が張られているというわけではないのだが、世界にはいくつか結界を張る必要のない、結界の効果が自然と発揮される地域もあるのだそうで、この辺りもそのひとつだ、と以前ラゴス族の人々から聞いた通りだ。さすがは脈≠ェ徹った地、と言うべきだろう。
 まぁ、村に対して移動の便がいいように創られたものではないので、転移してから少し歩かなければならないという枷はあるのだが。
「まぁ、そうとんがるなよ。確かに大して意味があることを言ってくれたわけでもないけど、邪魔になることというわけでもないんだし」
「どう邪魔にならねぇってんだ。聞くだけ無駄な話じゃねぇか、災いがどこから来るだなんだと、くっだらねぇ」
「まぁ、お前が目の前の現実以外のことは瑣末事と思いたがる視野狭窄的性質を持ち合わせているのは今に始まったことじゃないが、本当にそんなものがあるんだとしたらそれなりに意味のある情報ではあると思うがな。その大穴とやらがどんな性質を持つかはわからんが、もし災厄を無尽蔵に吐き出すような代物だったら次の魔王の出現を防ぐためにもなんとか対処しなければまずいわけだし」
「……そりゃ、そうかもしんねぇけどよ」
「フォルデー、拗ねんなよー。別にフォルデの言ってることがまるっきり間違ってるとか役に立たねーとか言ってるわけじゃないんだし」
「拗ねてねぇよ! っつか毎回毎回言ってるけどてめぇに上から目線で物言われる筋合いねーってんだよ!」
 そんな風にお喋りをしながら、通りかかるラゴス族の人々に挨拶をしつつ族長の家へと向かう。エドに話をするべきかとも思ったが、とりあえずは一般的な常識にのっとり人間に先に話をした方がいいだろうと考えたのだ。
 自分たちは、幸いなことに、ラゴス族の人々にとりあえず村を普通に歩いても許されるくらいには信用を得ているらしい。見とがめられることも文句を言われることもなく族長の家にたどり着くことができた。
 族長の家は、蓄財することの難しい狩猟採集経済下(この辺りのスー族の人々はもちろん農耕も行うが、生活に必要なものの大部分は狩猟採集に頼っている)のものらしくさして豪奢な家というわけでもなかったが、家の周囲に広がる畑は多くの人間の手が入っていることを感じさせた。それだけ慕われている、ということなのだろう。
 家の外から来訪を告げると、入るように言われる。スー族の家を訪ねた時の礼儀作法については詳しくないので戸惑ったが、とりあえずできるだけ礼を失しないようにしずしずと頭を下げながら中に入った。
「……来たか。ワランカの神託、果たしたか」
 とたん、真剣な面持ちでこちらを見つめている族長と、その隣に上手に腰を下ろしてこちらを見ているエドの視線とかち合って、一瞬硬直する。エドの体ではこの家の中に入っているのは辛いのではないかと思っていたのだが、さすがワランカの使いというべきか、その程度のことはなんでもないらしい。
「……はい。うかがった海域で、こちらの渇きの壺を使わせて、いただきました」
「水が引けたあとには祠が建っていたのだが、その中にいた者に言われ、この最後の鍵を手に入れた。あなた方にとっては、これで問題なく神託を果たせた、ということでよろしいか?」
『…………』
 族長とエドは視線を合わせ、小さくうなずきを交わす。顔に浮かぶ表情は満足げで、とりあえず大過なく言いつけを果たせたのだ、と少しばかりほっとした。
「この、最後の鍵という代物を、我々の物にしろ、ということがワランカの神託に託された命令だったのかな? 我々にはワランカのご意志というものはとんと感じることができないので、あなた方に確認していただけると助かるのだが」
「ワランカの意志、説明すること、できない。我ら、ただ御言葉受け取り、あるがままに受け容れるのみ」
「あなた方にとっては、これであの神託を果たせた、ということになるわけか?」
「果たせた、果たせないという問題ではありません。ワランカの御言葉をあなた方が受け取り、その通りに行動し、なにかを得た。それで我々にとっては充分なのです。ワランカのご意志はこの天が下にあまねく広がり、我々を見守っていてくださるがゆえに」
 ちっ、とフォルデが舌打ちをした。話が通じないと思ったのだろう、苛立ちと憤懣を込めてぎろりと族長とエドを睨みつける。
「んなことは俺にとっちゃどーでもいいことだけどな。……とにかく、渇きの壺を使ったあとこうして持ってきたんだ、イエローオーブはきっちり渡してくれるんだろうな」
 その言葉に、族長とエドは揃ってきょとん、とした顔になった。馬のきょとんとした顔などそう見られるものではないが、びっくりするくらい人間的な仕草で困惑を込めて首を傾げているので、否が応でも気持ちが伝わってくる。
「お前たち、友達から、教えられてないのか?」
「……は?」
「オクトバーグからの使者、とやらいうあなた方の友達が、この村を訪れて言ったのです。我々が勇者セオが取りに来るのを忘れた時のために、預かっておくと」

 だんっ、と力強い足で大地を踏みしめるや、フォルデは仰天した顔で周囲を見回した。
「なんっ……なんだこりゃ。これ……街じゃねぇかっ!」
 物珍しげにきょろきょろと周囲を見回していたレウが、きょとんとした顔になって訊ねる。
「え? 街なんだから街で当然じゃん。なんかおかしーとこでもあんの?」
「おかしいところ、というか……ここは八ヶ月ほど前には片手で数えられるぐらいの建物しかなかったんだよ」
 ラグが自身困惑げに周囲を見回しながら言った言葉に、今度はレウも心底仰天した顔になってきょろきょろ周囲を見回し叫ぶ。
「えーっ! マジで!? そんなことフツーあんの!? だってここって、もう、アリアハンとかポルトガとか、そんくらいの大きさじゃんっ」
「……そこまでか、どうかは、わからないけれど……」
 だが、周囲に広がる光景は、まさにそう言いたくなるほど驚くべき代物だった。八ヶ月前ここに来たときには、確かに周囲にあったのは森と、海と、数軒の建物だけだった。だが今やここ――かつてポルトガの御用商人であり、共にバハラタまで旅をした女性商人オクタビアに座標を教えられた、この街オクトバーグのルーラ発着場にあるのは、巨大な空間とそこに次々降り立っては街に入っていく商人らしき数えきれないほどの人々、そしてその向こうに広がる数えきれないほどの建築物だ。
 あるいは高く、あるいは広く、あるいは大きく、あるいは美しい、種種雑多でありながらそれぞれ趣向を凝らし、贅を尽くしたと言いたくなるほどの、金と手間をかけた建物の群れ。それが幾重にも幾重にも、それこそ王都のように見渡す限りに広がっている。
「ほらっ、そこの人たち! なにしてるんだ、さっさとどいて! まだどんどん次が来るんだぞっ」
 係員らしき人に甲高く笛を鳴らされながら言われ、慌てて発着場から出る。そこには、まさに王都の発着場のような――いやダーマの発着場ですらここまでの活気ではなかっただろうと思えるほどの勢いで、声を嗄らして客を呼び込む商人たちが軒を連ねていた。
「オクトバーグ名物ミスリルの細工物! 全部一品物、現品限り!」
「はいはい旦那さん今日のお宿はこちら! ここがオクトバーグで発着場に一番近い宿屋だよ!」
「武器の発注ならお任せください! 一本から一万本まで数問わずで承ります!」
「商談の際の礼服をお求めのお客さまはぜひこちらへ! 採寸から一日足らずでお仕立ていたします!」
 道の両側にびっちりと並ぶ店、店、店。その店頭に何人、何十人、何百人と集まっている客引きたち。それらが客を次々呼び止め、店に招き入れ、道は足の踏み場もないほど混雑していた。それを眺め回し、ラグが途方に暮れたように言う。
「すごいな、これは……アッサラームよりさらに上ってくらいの勢いだ。これじゃ道を通り抜けるだけで一苦労だな」
「そーだよなー……う、っぷ」
「………! レウ、大丈夫!?」
「う、だいじょぶ、だよ。ただ、ちょっと、くらって、きただけ」
「こりゃ人に酔ったんだな……こんな混雑レウは生まれて初めてだろうし。どこかで少し休めるといいんだが……」
「……ちょっと待ってろ」
 呟くように言うや、すっとフォルデの姿が消える。いや、一瞬で宙へと飛び上がり、体術を駆使して屋根の上へと上がったのだ。そして混雑しきった人の波がほとんど進んでもいないうちに、自分たちのいたところへすたっと周りにほとんど気づかれもせずに降り立ってみせる。
「この二百間ぐらい先に千夜一夜亭≠チてそれなりにでかい酒場がある。俺はこいつ連れて先に行って休ませてる、そこで待ち合わせるぞ」
 そう早口に言って、フォルデはひょいとレウを担ぎ上げ、またふっと姿を消す。その常識外れなまでの体術を、認識できた人間は自分たち以外誰もいないようだった。
「……すごいな。フォルデ、エジンベアよりますます体術が冴えてきてる気がするぞ」
「そりゃまぁ、エジンベアからまたレベルが上がってるしな。俺としてはそれよりも、あいつがあんな風に自然にレウに優しくできるようになったという事実にちょっぴり胸を高鳴らせてしまうんだが」
「お前な……まぁ、気持ちはわからないでもないけど……あいつも、実際ちょっとずつ大人になってきてるんだよな……」
 そんな言葉を交わすラグたちの背中を追って歩を進めること一刻近く。発着所からの通りを抜けてすぐ、おそらくは街の中央にあるだろう広場に千夜一夜亭≠ヘあった。この街は広場から放射状にいくつもの道が広がり、その道の周囲に道の性質に応じた建築物が建っている、という仕組みになっているようで、中央広場は実にさまざまな人々が行き交っている。
 鍛冶屋の老人、裕福な少女、商人の一団、貧しい青年。数えきれないほどの人々でごった返している、街の中心――店に入り際に数瞬その光景を眺めて、ふと、なにかが胸に兆した。
「千夜一夜亭……ここか」
「まぁ、でかいのは確かだが……またいかがわしげなところを選んだな」
 そんなことを言いながら千夜一夜亭≠フ中に入っていくラグとロンに気づき、はっとして慌ててあとを追う。とたん、扉の脇に待機していた男たちに、満面の笑顔で出迎えられた。
「いらっしゃいませ、ようこそ千夜一夜亭へ!」
「お泊りですか、それともご休憩? どちらも何人でもお任せあれ!」
「酒も女も最上質のものを取り揃えておりますよ、さあさあ、奥へ!」
『……………』
 一瞬視線を交わしてから、ラグがすっと前に進み出て、笑顔で応える。ロンは嫌そうに顔をしかめ、セオの背中についた。
「休憩で。先にこちらに来てる連れがいると思うんだけど。子供と銀髪の男の二人連れで……」
「ああ、はいはいいらしてますよ!」
「お二人とも酒場でご休憩なさってます。ご案内いたしましょうか?」
「ああ、頼みます。それとアッサラームウォッカがあったら、それを」
「はい、すぐに! ささ、お三方ともこちらへ、こちらへ!」
「みなさんどちらからのお客さまですか? 最近は本当にいろんな国からのお客がいらしてますからねぇ!」
「どんな国のお客さまにもご満足いただけるよう酒も女もいろんな国のものを取り揃えてますので! さ、こちらへ、こちらへ!」
 何人もの男たちに周囲を取り囲まれ、満面の笑顔でにぎやかに喋りかけられながら酒場へと向かう。どうやらここは酒場宿と言うべきだろう場所だったようで、入り口からは宿に向かうか酒場に向かうかで分かれている道を店の下男だろう男たちが案内する、という形になっているらしい。客一人一人にそんなに何人もの人々がついていては人手が足りなくなるのではないか、とセオはつい心配になってしまったが、男たちはまるで気にしていない顔でにぎやかに喋りかけながら自分たちを酒場部分へと案内した。
 酒場は劇場仕立ての二階造りになっていて、奥には舞台がこしらえられ、その上では肌も露わな女性たちが嬌声を上げながらにぎやかに踊っていた。アッサラームのベリーダンスと似た雰囲気ではあるものの、あれよりも踊りの勢いと見た目――衣服や装飾品の華やかさを重視しているように見えたが、それを見ている男たちはベリーダンスと変わらない勢いで大声で歓声を上げている。
 こういうところではレウは休めないんじゃないか、と思わず首を傾げてしまったが、男たちに案内された席で待っていたレウは、冷たい飲み物の効果もあってか落ち着いた顔をしていた。むしろフォルデの方が真っ赤な顔を思いきりしかめ、苛々と椅子を揺らしている。
「悪い、待たせたな。大丈夫……という顔はしていないな、あんまり」
「え、俺はだいじょーぶだよ。ちょっと休んだら落ち着いたし……っていうかごめんな、セオにーちゃんも、ラグ兄も、ロンも。フォルデにもさっき謝ったけど、俺のためにわざわざ」
「気にすることはない、俺たちも休みたくなったくらいだ、ああいう人ごみは慣れていない者には厳しいからな。――それはともかく、フォルデ、この店に決めたのはお前だろう。なにをそう苛々しているんだ」
「るっせぇなっ! 俺は単にでかい酒場宿だと思ったからこの店選んだんだ、淫売宿だと知ってたらわざわざ選ぶわけねーだろ!」
「……まぁ、確かに、あんまり教育によろしい宿ではないからな……」
 案内してくれた後もにこにこ笑いながら席の横に立っている案内してくれた男たちに心づけを渡して解散させつつ、ラグは小さくため息をつく。レウがきょとんと首を傾げた。
「いんばいやどって、なに? きょーいくって、誰の?」
「……てめーが気にするこっちゃねーよ、体調回復したんだったらとっとと出るぞ」
「そうだな。押しつけがましい淫売宿というだけで俺のこの店に対する評価は最悪だが、何人も無駄に案内人をつけたあげく心づけが百ゴールドを超えるまで立ち去ろうとしないなんぞ、アッサラームのぼったくり店よりも始末に悪い」
「ひゃくっ……!? おいラグっ、お前それ素直に払ったのかよ!?」
「騒ぎを起こしたくなかったんだよ。それに……今俺の財布、そのくらいはした金って言えちゃうくらい豊かだし」
「う……」
「まぁ、確かに、阿呆ほど出てくる魔物を倒しまくった分ゴールドも貯まったからな。魔物を倒すだけで金が貯まる勇者の力というのは旅にも生活にも非常に便利だ――が、どこから金を持ってきているのか冷静に考えると時々恐ろしくはなるな。場合によっては貨幣経済を破壊しかねないし」
「なーなーセオにーちゃん、いんばいやどってどーいう意味?」
「……ごめん、俺も、知らないんだ。でも、淫売≠ェ、『女性が金品を得て男性に性行為を許すこと』という意味であることから推測すると」
「セオ、それはあとで説明してあげるからレウにほいほい教えるのはやめてくれないか?」
「え? あ、えと、はい……」
 なぜそうした方がいいのかはわからなかったが、ラグの顔からは(表情は苦笑の形でありながらも)ある程度の真剣さが感じ取れたので、素直にうなずく。それにラグはまた苦笑し、ほとんど心づけと交換されたように渡されたアッサラーム産のウォッカをくいっと乾して、顔色を変えもせず立ち上がった。
「さて、じゃ、そろそろ行こうか。オクタビアさんがどこにいるのか探し出すのは、正直骨だろうけどね」
「そうだな。なんならレウとセオは宿で待っているか? 二人ともこの手の探索にはあまり戦力にならないだろうし」
「………あ、の」
「やだよ! せんりょくになんなくても仲間じゃんっ、一緒にやって経験積んだ方があとあとのためにも絶対いいじゃんか!」
「ふむ、確かに。まぁセオとレウがちょっとばかり場数を踏んだところでそうあっさりこの手の仕事が得意になるとは思えなくはあるが、二人ともそういう気概でいるなら文句はない」
「あ……はい。ありがとう、ございます」
「ありがとなっ!」
「いやいや」
「なにくっだらねぇことくっちゃべってんだ、とっととオクタビアの野郎ふんづかまえて分捕りやがったイエローオーブ取り返してやんなきゃ」
「おやお客さん、お帰りですか?」
 喋りながら支払いを済ませる場所を探していると、先刻と同じように下男だろう人々がばっと自分たちを取り囲む。ラグが落ち着いた中にも警戒を滲ませた声で問いに応えた。
「ええ。お勘定を済ませたいんですが?」
「それでは、酒代、場所代、劇場入場料、奉仕代もろもろ込みで、五万ゴールドいただきます」
「………あぁ?」
 ぎろり、とフォルデが男たちを睨みつける。男たちは胸を反らせて居丈高に告げた。
「払わないというならあなた方は犯罪者、ということで通報させていただきますが?」
「この街では買ったものの代金を払わないというのは一番重い罪なんでね、連絡すればすぐに衛兵が飛んできますよ」
「はっ、ふざけんなぼったくり店が。んな馬鹿馬鹿しい話があるかよ」
「いえ……もし、この街でそういう法律があり、かつ、代金の事前提示原則の無視を規制する法律がない場合、そうなる可能性もあります」
「は………はぁ?」
 困惑げに眉をひそめこちらを見やるフォルデに(そしてもし聞いているのであればレウやラグやロンや周囲の男たちにも)軽く説明する。
「このオクトバーグという街の存在の政治的正当性は1312年にダーマが制定した未開発土地占有法――つまりは誰も所有権を主張しない土地を開発した者はその土地に対し所有権を主張できる、という法律に法っていると思われますが、その中には所有権者に立法権を認める条文が記載されています。つまり、この街の所有する人間には、この街の中における法律を自由に制定できる権利があるんです。国際商取引法に基づき土地占有者間での取引については一定の規則が存在しますが、その土地内における商取引についての法律はその土地の権利者が定めるわけですから、商取引のやり方に不満があっても『この街ではこういった法律で取引をしているんだ』と相手が主張した場合、その正誤を法律的に云々することはできないし、法律である以上『知らなかった』っていう主張が確実に通るわけじゃないのじゃないか、って……」
 なぜかぽかんとする男たちにふんと鼻を鳴らして、フォルデがぎろりとこちらを睨む。
「……わけわかんねーけど、要するになんだって? こいつらの言ってることにはいそうですか、って従わなきゃなんねぇってか?」
「いえ……こういった場合においては、基本的には当事者同士の話し合いでことを進めるべき、と考える法律家は多いでしょうし、お互いの交渉でことをすませるのが一番穏便にことをすませられると、思うん、ですけど……」
「まぁ、そうだな。……さて、となると、一番簡単なのは少しばかり心をいじることなわけだが」
「いや、そこまですることもないだろう。心をいじる術なんてのはほいほい使うもんじゃない。そもそもそれは違法だ、非常時でもないのに違法行為をするのは気が進まん。それに、この場合はこちらの方が話が早いさ。……ちょっと聞きたいんだが。君たちはオクタビア、って女性商人を知ってるか?」
『………は!?』
「この街の創始者の一人だと思うんだが。俺たちは彼女と面識があってね。できれば、彼女と話をしたいんで、彼女がどこにいるか教えてもらえると助かるんだが」
「な……なにを、馬鹿な。あんたらみたいな連中が、オクタビアさまの知り合いなわけが……」
「はっ。なぁにがオクタビアさまだよ、あんな性悪女に無駄に頭下げてんじゃねぇ」
「フォルデ。……俺たちは、アリアハンの勇者のパーティなんでね。彼女には借りも、貸しもある。それは彼女に聞いてもらえればはっきりすると思うが?」
『…………!』
 男たちは血相を変えた顔を見合わせ、忙しく視線を交わす。それから一人が店の奥へと走り、穏やかな表情を作っているように見える商人――たぶんこの店の支配人らしき人を連れてきた。
「え〜……申し訳ありませんが、お客様。どうかこちらの特別席までお運び願えませんかね? もちろんみなさまのおっしゃることを疑っているわけではございませんが、オクタビアさまといえばこの街を治められている、いわば商人たちの王とも呼べるお方。そのような方の知己ともなれば、うちの店とも下手なおもてなしなどできませんし、ぜひともオクタビアさまにあなた方がこの街にいらしていることをお知らせしたいのですが、オクタビアさまにご連絡を差し上げるというのはなかなか難しい話でして……なにせ、忙しい方でいらっしゃいますから……」
「チッ……白々しいことを、よくもまぁそうもくだくだしく言えるもんだぜ。要するに金を払わずに逃げられないように捕まえておこうって腹なんだろうが」
「いえいえ、まさかそのような! 我々としてもオクタビアさまのお知り合いにどうか、我が店自慢のおもてなしを味わっていただこうと思いまして!」
「まぁ、オクタビアさんに渡りをつけてくれるっていうなら助かるのは確かだろう。ここは素直にお願いしておこうじゃないか」
「おお、皆様ありがとうございます! うちの店でもとびっきりの娘を呼びつけますのでな!」
「いるか、そんなもの。俺がこの世でなにより嫌いなことのひとつは、商売女に媚びられることだ」
「…………」
「……フォルデ? そうかそうか、お前商売女にまとわりつかれるのがそんなに好きな男だったのか。いやはや、童貞らしい思考だな、まったく」
「っ……るっせえぇぇぇ! てめぇにゃ関係ねーだろ、っつか童貞だのなんだのは関係ねーだろっ、っつか俺は別に商売女にまとわりつかれたいなんぞと思ってねぇっつーんだよっ!」
「……なーなー、フォルデ。どーていって、どーいう意味?」
「っっっ………てめぇみてーなガキが知る必要はみじんもねー言葉だよっ!」
「いやいや、それは少しばかり乱暴というものだろう。せっかくだから教えてやろう、レウ。童貞というのは、処女とある意味似てはいるがまったく別の趣を持つ言葉で」
「ロン……お前、子供にそういう説明の仕方はやめろ」
 などと話しつつも、自分たちは特別席――どうやら劇場を観覧するのに一番いい席らしいのだが、そこに案内され、オクタビアに連絡がつくのを待つことになった。その間、酒食を何人もの女性が運んできたが、ラグとロンは部屋に入れることなく追い返す。
「あとでその分の代金を要求されるかもしれんしな。ぼったくり店にほしくもないものをよこされて諾々と受け取ってたまるか」
「それに……まぁ、教育にも悪いしね。セオは……まぁともかくとしても、レウもいるんだし。子供でいられるうちは子供でいた方がいいよ」
 セオはラグの言葉がどういう意味かはよくわからなかったのだが(あとなぜフォルデが一瞬惜しげな表情を浮かべたのかも)、自分たちに対する気遣いの感情は間違いなく感じ取ることができたので、レウと一緒にこっくりとうなずいてその気遣いにできるだけの感謝を表したのだ。

「……なんだ、この屋敷」
「わー……きんきらきんだなー」
「悪趣味、とは言わないけれど……ここまで金のかかった屋敷は、アッサラームの大商人の家でも見たことがないな……」
 オクタビアの屋敷を前に、小声で仲間たちが囁き交わす。自分たちの周囲を、オクタビアがよこしたという男たちが取り囲んでいるためだろうか。
 実際、オクタビアの屋敷というのは、今までに見たことがないほどきらきらしいものだった。光り輝いている≠ニいう意味において。
 屋敷自体は三階建ての、どこにでもあるとは言わないがアリアハンにもそれなりに存在する程度の大きさのものでしかないのだが(それでも施工時期を考えると、街の規模の拡大と資金と人手も考えに入れると、実際相当な資金が投入されたであろうことは想像するに難くない)、その屋根から壁から、すべてに太陽光を跳ね返して眩しく輝くほどの金箔が張られている。
 いったいどれほどの金を使ったのだろう。このような屋敷ではあまり気分が落ち着かないのでは、と自分などは思ってしまうのだが、この屋敷は当然のようにその輝きをあらわにしているのみならず、玄関前の小道にはこれまた総金箔の彫像が立ち並んでおり、のみならず屋敷の周囲には壁のように公道との間を隔てるものがまったくない。その代わりに何人もの傭兵らしき人物が周囲を巡回しており、それはそれで相当な人件費がかかるのでは、とつい心配してしまった。
 ともあれ、千夜一夜亭≠ナ、オクタビアに遣わされたという男たちに『どうか我々と共に急ぎオクタビアさまのところへいらしてください』と言われここ、オクタビアの屋敷――遣いの男たち(武装している、おそらくはオクタビアの私兵)に周囲を取り囲まれて人ごみをかき分けるようにして郊外の高級住宅地の中でもひときわ目立つ屋敷にやってきた自分たちは、屋敷を警護している傭兵たちに顔を確認されてから、屋敷の中へと案内された。武装解除はされないままだ。
 屋敷の中もまた豪奢な家具と細工で満ち満ちていたが、家令らしき老人に案内された部屋の中は、むしろ物が少なく、色調も落ち着いていた。あるのは大きな机と大量の資料、あとはオクタビアの座っている椅子くらいのものだ。
 会ってから半年以上経つが、以前より少し痩せたように見えるオクタビアは、家令に声をかけられながらも、それを気にした風も見せず忙しく書類に筆を走らせている。自分たちはしばらく黙って待っていたが、すぐにフォルデが苛立ちに満ちた声をかけた。
「おい。そこのクソ商人、てめぇ俺たちが来てんのが見えねぇのかよ」
「……うるさいね、今あたしは仕事中なんだ。せめてこの書類を片付けるまでの間くらい待てないのかい」
「んっだとてめぇ……!」
「……それに、もう終わるさ。今日の仕事の分はね」
 言ってしゃっ、と末尾にサインを記した書類の束を、オクタビアが手元の鈴を鳴らすややってきた男たちが持ち去っていく。その書類の数の多さに、オクタビアがどれほど大量の仕事をしているかというのが嫌でもわかった。オクタビアは、きっと、商人として優秀であるのみならず、為政者としても働き者なのだろう。
「――さて。じゃあ、話をしようか、勇者さま。今日はどんなご用でおいでだい?」
 じ、と睨むようにこちらを見てにやりと笑うオクタビアに、セオは小さく一礼してから告げた。
「あの……オクタビアさん。俺たちは、さっきまでスー族の部族のひとつ、ラゴス族の集落にいたんですけど……」
「てめぇがそっからイエローオーブを分捕りやがったって聞いてとっちめに来てやったんだよ」
 ずい、と自分の横から進み出たフォルデが告げる。同様にラグもロンも、レウも前に出て口々に言った。
「お前がどういうつもりでいるのかは知らんが。少なくとも俺たちが探していたものを横から分捕るというのは、契約違反だと思うが?」
「あなたとはオーブを見つけたら俺たちに渡してくれるように、という契約を結んでいたはずですよね?」
「っていうかさっ、俺たちがちょうどイエローオーブを渡してもらおうっていう時に横からかっさらうって、ずりーだろっ、おばさんっ」
 レウの言葉に一瞬頬をゆらめかせたが、オクタビアは黙って自分たちの言葉を聞いていた。そして――それから、ふん、と鼻で笑う。
「笑わせんじゃないよ、坊主ども。いいかい? あたしたちはこう契約したはずだよ。ダーマに勇者セオ・レイリンバートルの名においてオクトバーグの安全と平和を嘆願するのと引き換えに、オクトバーグで手に入る中でも最高の武器防具と、オーブの入手を依頼する。オーブを入手した報酬として、あたしは勇者のパーティに対する命令権を一回分得る。そうだね?」
「………はい」
「なら、あたしはオーブを入手した時点であんたたちに対する命令権を得てるってことになる。その命令権でもってあんたらに『オーブの所有権をあたしに譲渡しろ』と命令した場合、あんたらはそれに従わざるをえない。そうじゃないか?」
「………は?」
 ロンが珍しく驚いたような声を出した。ラグとフォルデとレウはそれぞれ一瞬ぽかんとしてから、それぞれの表情でオクタビアに詰め寄る。
「ちょ、ちょっと待ってください。それって、なんていうか、屁理屈じゃ……」
「ふざけんな、詐欺だろんなもんっ! おいクソ商人っ、てめぇんなに俺らに喧嘩売りてぇのかよ、あぁ!?」
「え、えと、えとえと、なんかよくわかんないけど、おばさん、それずるだろ!? よくわかんないけど、でもっ」
「ぴぃぴぃ騒ぐんじゃないよオスガキども! まともに商談する頭がないなら黙ってな!」
「っだとてめぇっ……!」
「フォルデ。悪いが、少し黙っててくれるか」
「っ……」
 冷えた声で言ったロンに、フォルデは一瞬言葉に詰まってから後ろに下がった。逆にロンは一歩前に出て、零下の視線と声でオクタビアに語りかける。
「なるほど。そういう仕掛けか。お前は最初からそういうつもりでいたわけだ。――もしや、お前は最初からイエローオーブの場所と、それを手に入れる方法について知っていたのか?」
「さあね? 商売の種を商売相手に明かすわけないだろう。それに、知ったところでなにが変わるんだい? たとえば、街を最初に創ろうとしていたラゴス族の長老の弟に、ちょいと手管を使ってあたしたちに絶対的な信頼を抱かせていたとしても、そこからの伝手でイエローオーブの情報はとうに知っていたとしても、あんたたちがラゴス族の村に現れたらすぐに連絡するようラゴス族の人間を何人か躾けていたとしても、あえてイエローオーブをすぐには得ずあんたらが手に入れる直前になってかっさらうことでこの街に対する影響力を強めるだけの時間を稼ごうとしたとしても――そんな証拠はどこにもないし、あったところであたしからイエローオーブの所有権が動くことはないだろう?」
「………チ。イエローオーブの代償として、俺たちになにを要求する気だ」
「さあ、なにを要求しようかね? 少なくとも一回きりの命令権なんてぬるいものじゃないのは確かだね。あんたたちがこれにどう逆らったところで、裁判をするのはこの街の裁判所になるわけだし?」
「……おい。あの女、なに言ってやがんだ……?」
「……つまり、俺たちは最初から騙されていたってことだろう。彼女は、最初からイエローオーブのある場所も、手に入れる手づるも持ちながら、俺たちの首に首輪をつけるためにあえて黙っていたんだ」
「そういうこと言ってんじゃねぇよ! いっくらあの女が屁理屈並べたてようが、んなもんがそうそう通るわけねぇのになんであんな自信たっぷりなんだっつってんだ!」
「……ご自身の言葉を、通せる自信があるからだ、と思います」
「なん……だって?」
「確かに、俺たちが裁判を起こし、オクタビアさんに不服申し立てをすることはできると、思います。裁判がどう進むかは、裁判を進める人間の弁論しだいで、どうとでも変わりうる程度に、つけ込める隙のある論理ではあると、思いますし。でも……裁判を行う場所が、おそらくは、このオクトバーグになる、というのが問題なんです。オクタビアさんは、この街に強い支配力をお持ちのようですから、裁判所ごと抱きこんで、一方的に自分のいいように話を進めることも、できるでしょうから」
「………は!? なんでそーなんだよっ、こいつと裁判すんのになんでこいつの街の裁判所使わなきゃなんねーんだっ!」
「基本的に、裁判というものは、案件の起こった場所の一番近くで行うもの、なんです。俺たちが、オクタビアさんと契約を結んだのは、この街ですから、この街の裁判所を使うのが普通です。それに不服申し立てをするならば、この街の裁判所がオクタビアさんに支配されているということを証明する必要がありますが、実際に賄賂を渡しているならともかく、裁判官個人が相手の心情を推し量ってそれに都合のいいように動いているという場合、証明はとても難しい、ですし」
「………っ」
「それでも、俺が勇者であるということを理由に、ダーマの裁判所で裁判を行ってもらうことも、できますが……」
「……なんで勇者だからってそうなるんだよ」
「……勇者が国家に属するものだから、です。いわば国家の代理人なわけですから、この場合は国家間の争いということになり、ダーマが介入するに値する問題、ということになります。ただ、そのためには、勇者が属する国家自身が不服申し立てをしなければ、ならないので……」
「ああ、もうその先はいいよ。……アリアハンで会った連中に、借りを作りたいとは思えないしね」
「……、はい」
「ま、そういうこったね。さぁて、どうする、勇者さま? 腕ずくであたしからオーブを奪うかい? まぁ勇者なんだからそのくらいできるだろうねぇ、でもその時はあんたの評判は地に落ちるのみならず、勇者という存在そのものが世界から排斥される動きを作ることになる。勇者は自分たちを守ってくれる存在、それが当たり前の常識として存在してるから世界中が勇者を味方として頼り、尽くしてるんだ。それがひっくり返されたら――自分たちを攻撃するかもしれない相手だって考え始めたら、あんたたちみたいな化け物を、人でなしを、世界が受け容れてくれるわけがないだろう?」
「…………」
「てめぇ……ふざけんなよ。なに偉そうに見当違いのこと抜かしてやがる、俺たちは世間の奴らに受け容れてもらおうなんぞ」
「あんたはそうでも、仲間には受け容れてほしい奴らがいると思うけどね?」
「っ………、っ……!」
「それともあんたがこっそりオーブを盗み出そうって腹かい? まぁあたしもそれなりに防御策は取ってあるけど、なにせ盗賊の人でなしさまだ、盗まれちまう可能性はあるだろうね。だけどあたしはオーブの場所を定期的に移動させてる、もちろんこの館内でってことじゃなく、いくつもの保管場所を、不規則にね。だからまずその場所を探らなけりゃどうにもならないし、探るにはこの街にとどまって調査する必要がある。そしてあたしはその気配を感じるや、即座にイエローオーブを破壊する」
「な……! おばさん、本気で言ってんのかよ!? オーブは魔王を倒すのに必要なんだぞっ!?」
「オーブが魔王を倒すのに必要? なにを言ってるんだい、あれは霊鳥ラーミアの封印の鍵と言われる神具――要するに、伝説、つくりごとから生まれた宝飾品だろう? そんなものが実際に存在する魔王を倒す役に立つわけがないじゃないか。そして今はあたしの所有物だ、あたしの所有物を狙っている盗賊の気配を感じたから、っていう理由で壊したからって、どんな罪に問われるっていうんだい?」
「そーいう問題じゃ……!」
「魔王はあんたたち勇者が倒してくれるだろう。あたしたち、そんな大きな話には関わりのない小市民たちは、その間にもせいぜい自分の飯の種を確保しなきゃ生きていけないのさ。文句があるんなら、自分のおまんまを、人間のできるやり方でいくらでも稼げるようになってから言うんだね!」
「っ………!」
「……さて、話は終わりだ。あたしは忙しい身なんでね、まだ残ってる仕事が山ほどある。あんたらにしてほしいことができたらこっちから連絡するからね、今日のところはお引き取り願おうか」
『…………』
 全員それぞれの表情で顔を見合わせて、『一時退却』という方針に同意し、仲間たちがオクタビアに背を向けようとする――その直前に、セオはおずおずと手を上げた。
「あの……オクタビア、さん。最後に、ひとつ、お聞きしても、いい、ですか?」
「ふん……まぁ、聞くだけだったらお好きにどうぞ。答えてやるとは限らないけどね」
「ありがとう、ございます。……あの、この街での、商売の競争を、貧富の差が大きくなるようにしているのは、オクタビアさん、ですか?」
「――――」
 オクタビアの表情が、一瞬固まった、と思った。が、すぐにふん、と鼻を鳴らして問い返してくる。
「だったら?」
「あの……なぜ、そんな、ことを?」
「金を儲けようとしない奴は貧乏生活。うまく金を儲けられた奴は豊かな生活を得られる。それは世界のどこでだって変わらない話だろう。それのどこがおかしいんだい?」
「そうとも、言えます。でも、たとえば景気をよくするために、意図的に競争を煽る時、競争に負けた、でなければそこからはじき出された人たちを守らない、やり方は、経済的にも、政治的にも、多くの問題を生む、と思うので……もしそうしてらっしゃるんだったら、なぜそんなことをするのか、お聞きしたい、と思って……」
「―――ふざけるんじゃないよ」
 そう呟いたオクタビアの声は、低く、重く、同時に烈火のような怒りをはらんでいた。ぎぃっ、と渾身の力を込めてセオを睨みつけ、一言一言、まるで斬りつけるように言葉をぶつける。
「あんたは、今の傭兵の一月の雇い賃の相場を知ってるのかい」
「……すいません。あまり、よくは」
「戦力になるレベルなら、最低でも三千ゴールド。それが数百人。月百万ゴールドは軽く吹っ飛ぶ」
「……戦時下以外で、傭兵を、そこまで大量に?」
「この町は商人の街だ。町民から徴兵なんてすればあっという間に人が消える。だが商売なら、そこで金が儲けられるならどれだけ税金を課せられようと人は集まる。街としては問題なくやっていける」
「…………」
「街を守るには金がいるんだ。あたしは街を守るんだ。そのためならどんなことをしてでも金を作る。そのくらいのこともわからない奴が偉そうにどうこう言うなっ!」
「………………」
 セオはじっとオクタビアを見つめてから、深々と頭を下げた。
「……はい。差し出がましいことを言って、本当に、ごめんなさい」
 そしてオクタビアに背を向けて、仲間たちと一緒に部屋を出た。背中に、焦げつくような熱気を持ったオクタビアの視線を感じながら。

「……すまん。完全に、これは俺のしくじりだな。賢者の力を得た後に、あらかじめ契約書を精査して、この街の情報ももっと頻々に調べておくべきだった」
「そうすりゃあ防げた、ってのかよ」
「そうだ。あの女は契約違反はしてないんだからな、当然今回のようなことになる可能性も気づいておくべきだった」
「ロンさんのせいじゃ、ないです。……俺の方こそ、ダーマの定めた商法ぐらいは知ってたのに、気づかなかった、んですから。本当に……ごめんなさい」
 オクタビアの屋敷を出て、敷地の外へと歩きながら、口早にそんな会話を交わす。
「いや、それだけなら気づかなくても無理はない。常識的に考えれば、この街がこんな短期間でここまで大きくなるなんぞ誰も思わんからな」
「? この街が大きくなるのとなんの関係が……ああ、あの女が裁判所を抱きこめるかどうか、ってことか」
「いや、そうじゃない。裁判所を抱き込むだけなら規模が小さい方がやりやすい。問題は、この短期間にダーマに自治都市として認められるだけの規模までこの街が大きくなってしまったということだ」
「……どーいうことだよ」
「この街が自治都市――ひとつの政治的個体として認められるほど大きくならなければ、俺たち――勇者のパーティがごねればダーマの裁判所で裁判が受けられたからさ。ひとつの国を代表する人間の問題は世界を揺るがしかねない、だから小規模な政治個体内で問題を解決するのは不適当だ、っていうことになるからな。だが、ここまで大きな自治都市となると、法的な権利としては一個の国家とも呼べるまでになる。そうなると、あくまで中立団体として平和維持に努めているダーマとしては、公正に方を執行するために俺たちの権利と同様にあの女の権利も重視せざるをえなくなるわけさ」
「……んなしょーもねー理屈で勝手に優遇されてたまっか。そんくれーなら自力で奪い取ってやった方が数百倍マシだぜ」
「! そうだよなっ、やっぱり自分たちでオーブ取り返せんだよなっ!」
「まだ相手の家の敷地から出てもないのにそういうことを言うなよ、あの脅し文句忘れたのか? ……まぁ、実際あれは脅し文句だとは思うけど」
「うるせ。……まぁ、あの女の言ってることが本当なら確かに骨の折れる仕事じゃあるけどな……盗賊が俺一人じゃ、場所を特定するのにけっこうな時間がかかっちまう」
「そこらへんは、やりようによってはかなり絞れなくはないが」
「マジかっ!? ……おい、まさか賢者の力使うとか抜かすんじゃねぇだろうな!?」
「そんなもん使わなくても、俺たちはオーブ専用の探知機があるだろうが」
「あ……山彦の笛!」
「だからな、お前ら、そういうことを相手の敷地内で……」
「心配するな、外に聞こえないように結界ぐらい張っているさ―――む」
 ロンが足を止める。それから一瞬遅れてラグも驚いたように目を見開いて足を止めた。フォルデはその数瞬前から気づいていたのだろう、厳しい表情で相手を睨みつけている。その、突然現れたように見える、蒼い髪に紅玉の額冠を乗せた、八ヶ月ほど前二か月間一緒に旅をした男性を。
「――サヴァン、さん」
「やー、セオくん、みんなー、久しぶりだねー」
 そう言ってにこにこと手を振るサヴァン――蒼天の聖者≠ヘ、ごくごく当たり前の顔をして、とことこと自分たちに向かい歩み寄ってきた。

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