「キエェィッ!」 鉄の爪を装着した武闘家の連続攻撃を一分の見切りでかわしきり、セデルは反撃に出た。最後のモーションの大きな後ろ回し蹴りのせいで大きく体勢を崩した相手に向かい、すぱあんと剣で足払いをかける。 「く!」 半回転して頭から落っこちそうになる相手。だがそこは曲がりなりにもここまで勝ちあがってきた人間だ、素早く体勢を立て直して受身を取ろうとする。 だが当然そんなことを許すほどセデルは甘くなかった。空中で受けもかわしもできないところを狙って、脳天に敏速の一撃を食らわせる。 「がは!」 相手選手はもんどりうって地面に落ち、そのまま動かない。 十秒経ってから、審判が宣言した。 「勝負あり! 勝者、謎の仮面戦士X選手!」 観客席がわっと沸き、セデルは布の中でにこっと笑うと、観客席に手を振りながら入ってきた選手入場口へと向かった。 選手控え室に戻ったセデルは、次の試合まで少し間があるのでどのくらい選手が残っているか見てみようと辺りをうろうろした。武闘大会もすでに三日目を迎え、観客は加熱する一方だが残っている選手はだいぶ少なくなっている。 いろんな人がいた。全身鎧を着込んだ戦士風、軽鎧を装着した武闘家風、弓やらナイフやらを持った人間。誰か気になった人に話しかけてみようときょろきょろしていると、どん、と誰かにぶつかった。 「あ、ごめんなさい」 「なにをする、この馬鹿者が!」 間髪入れず飛んできた罵声に、セデルはひゃっと首をすくめた。 口元に美髯をたくわえたローブ(かなり強力な魔法がかかっている)姿の中年男性は、ひどくイライラピリピリした様子で、セデルに向かって凄まじい勢いでまくしたてた。 「貴様は私を誰だと思っている。魔法王国サントハイムの首席魔道士、パリューグ・ツェリヴルグストなのだぞ! 田舎戦士風情が触れていいと思っとるのかっ!」 「へえ!」 セデルは感心した。サントハイムというのは古大陸群の中にある、世界に聞こえた魔法大国だ。テルパドールもそうだが、五百年前の天空の勇者の仲間を輩出した国で、その魔道研究施設は世界最高峰と呼ばれ、歴史に残る魔道士を何人も輩出している。そこの首席魔道士ということは、名実共に世界トップクラスの魔道士と考えていいということだ。 だが―― 「あれ、でも。今のサントハイムの首席魔道士って、ゼンタルメナとかいうおじいさんじゃなかったっけ?」 「う……」 セデルの悪気のない一言に、パリューグは一瞬固まった。だがすぐに顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。 「こんな田舎の戦士なんぞが、偉そうに言うな! そんな証拠がどこにある! 疑うようなことを言うと承知せんぞ!」 「疑うっていうか、ホントだもん。サントハイムって首席魔道士が代替わりするごとに律儀にルーラ便で手紙送ってくるって聞いたよ」 「ぬぐぐぐぐぐ……」 周囲から忍び笑い、と言うにはずいぶんと豪快な笑い声が聞こえてきた。個人の実力によらず尊敬を勝ち得ようとするものは、職業戦士の間ではすべからく軽蔑される。 カッと顔を赤くしたパリューグは、その怒りを即座にぶつけようと持っていた杖を振り上げる――その腕を、後ろから現れた手ががっしりとつかんだ。 「こんなところで喧嘩する必要ねえだろう。どうせ勝っていきゃぶつかるんだからな」 今のセデルの声よりなお低い胴間声。声の主はそれに見合った、とんでもない巨漢だった。 見下ろされて反射的にびくりとするパリューグに、男は笑う。 「それとも私闘のかどで失格になりたいかい、え、サントハイムの首席魔道士さんよ?」 「ぬぐぐううっ……」 パリューグは悔しげに唇を噛み締めていたが、やがてふん、とそっぽを向いて強がるように鼻を鳴らした。 「まあ、いい。どうせお前らも私の火炎魔法の前に焼け死ぬことになるのだからな。せいぜい今のうちに吠えておくことだ」 わははは、と耳障りな笑い声を立てて去っていくパリューグ。その後ろ姿にふん、と鼻を鳴らしつつも、男は言った。 「気をつけろよ。あいつたぶんお前と当たったら本気で殺す気でやってくるぜ。あんなんでも実力は確かみてえだからな。順調に行けば次の次だろ? まあ、死んでも生き返れるにしたって、あんまり何度も味わいたい感覚じゃねえからな、死ぬってのは」 「え……おじさん、ボクのこと知ってるの?」 「知ってるとも。この大会で話題を二分してるヤツらの片割れだからな、謎の仮面戦士Xさんよ」 にっと笑いかけるその笑顔になんだか嬉しくなって、セデルはにこにこしながら(といってもその顔は見えないのだが)言った。 「そうなんだ、ありがと。なんだかいろんな人がボクのこと知ってるのって、ちょっと嬉しい気もするけど、やっぱり恥ずかしいね」 「ほう、それはまた内気なことで」 「内気? そうかなぁ。でもなんでボクが話題を二分してるの?」 「そりゃ謙遜か? それとも厭味か?」 「え、なんで? みんながなんでボクの話をするのかなんて、ボクわかんないもん」 男はなにかを見極めるようにじっとセデルを見つめていたが、やがて表情を緩めて言った。 「お前さんが強いからさ。明らかに他の奴らと頭一つ抜けている。おまけに姿は怪しさ大爆発となりゃ話題にならない方がおかしいだろ。男のガキとかに人気があるみたいだぜ」 「へえ……」 セデルは思わずにかにかと笑みを浮かべた。 「ボクってやっぱり強く見えるんだ。試合見てて、そうなのかな、って思ってはいたんだけど……えへへ、なんか嬉しいや」 「? どういう意味だそりゃ。あんたほどの奴が自分の強さを自覚してないとは思えないがな」 セデルはふるふると首を振る。 「ボク、あんまり自分のこと強いって思えなかったもん。そばにものすごく強い人がいてさ。ボクなんか全然かなわないの。それもあってこの大会に参加したんだ。自分の強さのレベルを確かめたくて」 「はあ……にわかには信じられねえ話だな。あんたよりはるかに強い奴、か……」 「おじさんは確か、爆砕槌≠フフーゴっていったよね?」 「ほう、知っててくれたとは光栄だな」 「試合はみんな見てるもん。おじさんの試合も面白かったよ」 「……お前さんいくつだ? さっきから人のことおじさんおじさん言いやがって。俺はまだ二十八だよ」 「え、うそっ、見えない! でもおじさんって呼んじゃダメなの? ボクは年上に見られたら嬉しいけどな」 「……お前、本気でいくつだ? まだガキなんじゃねぇだろうな?」 不審そうな顔になって目をのぞきこむフーゴに、セデルは慌てつつ頭の中を引っ掻き回して答えた(仮面戦士Xの年齢その他は一応設定してあるのだ)。 「えっとね、ボクは……二十歳!」 「ふ〜〜〜〜ん……」 フーゴはあからさまに怪しんでいる。このままではまずい。セデルはなんとかごまかさなくちゃと頭を回転させ、唐突に宣言した。 「そうだっ! ボク試合を見に行かなくちゃ! フーゴさんまたね!」 そう言って走り出そうとするセデルの肩を、フーゴがつかむ。 「まあ、待てや。俺はまだ試合まで間があるんだ。なんだったら一緒に試合見物しねえか?」 「うん、いいよ! ……あ……」 反射的に元気よく答えてしまってから、セデルはしまった、と口を押さえた。それじゃ意味がないじゃないか。 だがフーゴはにやりと笑うと、セデルの小さな手をつかんで、選手用の観覧席に向けて歩き出す。 「それじゃあ行くか、謎の仮面戦士Xさんよ。武闘大会の一方の主役と一緒に試合を観戦できるとは、光栄の至りだぜ」 「……なんだか見てると体がうずうずしてきちゃわない?」 試合を観ながらのセデルの言葉に、フーゴはくくっと笑った。 「お前さんもしっかり戦士の血が流れてんだな。安心したぜ」 すぐ前の闘技場舞台で戦う選手たちはセデルには及ばないものの相当な腕の持ち主で、それが激しくぶつかり合うのだから観客席はまさに血沸き肉踊る状態になっている。だがセデルはそんなもの気にもせずくい、と首をかしげた。 「血? 別にボク、血で戦うわけじゃないよ?」 「そういう意味じゃねえよ。お前さんはなんだか普通の戦士とは違うように見えるってことさ」 「ふうん……どんな風に?」 「なんか、妙にお育ちがよく見える。相手に対する労りとかのあたりにな」 「お育ち……そうかなぁ?」 またも首を傾げるセデルに、フーゴは苦笑した。 「まあ、気にするな。お前さんは俺たちとは違う存在みたいに見えるってだけだからな――お、ヴァスコの野郎の試合が始まるぜ」 観客席がわっとどよめき一部でヴァスコの名が連呼される。すごい人気だな、とセデルは思った。 「武闘大会のもう一方の主役って、あの人?」 「ああ。あちらは女どもに人気があるらしい。あの顔じゃあ無理もねえがな、け。……だが、あいつは実際、とんでもなく強いんだよな……」 審判が『はじめ!』と声をかける。ヴァスコの相手選手は気合の声を上げて槍を構え、ヴァスコに突撃していく。その速さは、普通の人間なら対応できないと思われるほど速い。 が、ヴァスコはぎりぎりまでひきつけてわずかに動いただけでそれをかわした。相手は一気に駆け抜けて体勢を立て直そうとするが、それよりもヴァスコが動く方が早い。 「!」 無言で脳に向け、目にも止まらぬ速さでかつフェイントを交えた三連撃。相手選手はばたっ、とその場に倒れた。 わっとどよめく大観衆――それを尻目に、セデルは呟いた。 「………やっぱり、すごく強いね。あの人」 「ああ。うまくいけば俺の次の次の相手だ」 「え、そうなんだ」 セデルがフーゴを見上げると、フーゴはにやりと笑った。 「俺があいつを倒すのとあいつが俺を倒すのと、どっちがいい?」 「え? えーと、えーと……」 「はっは、冗談だ。そんなに悩むな」 わしゃわしゃと布の上から頭をかき回して、フーゴは笑う。 「ただ、俺はお前さんと戦ってみたくなったからな。せいぜい頑張らないかんというだけのことさ」 「え? ボクと?」 「ああ。お前さんみたいな奴とな」 フーゴはそう言うと、手をひらひらさせながらおそらく試合の準備をするために控え室へと戻っていった。 「メラゾーマ!」 パリューグは開始するやいなや極大火炎呪文をぶちかましてきた。確かに駄法螺を吹くだけのことはある、サントハイム首席魔道士というのもまんざら嘘ではないのだろう。これほど強力な呪文なら、大抵の戦士は一撃で戦闘不能に陥るはずだ。呪文は回避することができない、一対一なら呪文さえ唱えられれば勝ち、と思っているのだろう。それは確かに間違いではない。 が、セデルほどのレベルの相手には、そういうセオリーはまったく通用しないのだ。 セデルは盾で火球を受け止め、ダメージを減らした。天空の防具はメラ系呪文に対する耐性もある。 熱くて痛かったがこの程度旅をしている時には何百回と味わっている。セデルは一気に間合いを詰め、フェイントもなにもなしで全力でパリューグの頭をぶん殴った。 「ぐ……」 一声呻いてあっさり倒れるパリューグ。けれんも加減もない全力最速での一撃だ。大して実戦経験も積んでいない人間に防がれるようなものではなく、きっちり当たれば意識を失わずにいられるような人間はほとんどいない。 十秒経って、審判が宣言する。 「勝負あり! 勝者、謎の仮面戦士X!」 わっ、と沸き起こる歓声に、セデルは一礼で応えると、急ぎ足で選手入場口に向かった。試合の前にフーゴに会っておきたかったのだ。 選手控え室には四人しか人がいない。残りはこの準々決勝と準決勝、決勝だけなのだから当然だが。 セデルはフーゴのところへ駆けていくと、元気よく言った。 「頑張ってね! ボク応援してるから!」 「お、X。その調子じゃ勝ったみてえだな。よっし、めでてえめでてえ。あとは俺が勝つだけだな……そううまくいけばいいが」 「どっちが勝つにしても、頑張ってね。ボクフーゴさんのこと応援するよ」 フーゴはにっとひどく嬉しそうな笑みを浮かべ、セデルの頭を布の上からわしゃわしゃとかき回す。 「わわわわ」 「可愛いこと言ってくれるじゃねぇか。こりゃ是が非でも根性入れて頑張んなきゃな」 「うんっ!」 大きくうなずくと、今度はヴァスコのところへ走っていく。 ヴァスコは目を閉じて静かに瞑想していたようだったが、セデルが近寄っていくと目を開け、不審の意を視線にこめてセデルを見た。 だがセデルはそんなこと気にも留めずにっと(布の中で)笑った。 「次の試合、頑張ってくださいね!」 「……お前は俺の次の対戦相手を応援するのではなかったのか」 セデルは初めてヴァスコの声を聞いたが、その声は思ったより低いものの、よく通る声だった。セデルは笑ったままうなずく。 「そうです。けど、あなたとも戦いたいなって思ったから、どっちも頑張ってほしいからそれちゃんと言わなくちゃって思って」 ヴァスコの顔がぎゅっと歪む。一瞬ののち、笑っているのだとわかった。 「それは偽善か? それとも偽悪か? どちらにしろ無益なことには変わりないな。なぜそのようなことをする」 「え……なんでって」 セデルは考える。偽善って知ってる、本当はよくないことをいいことに見せかけることだ。偽悪はその逆。でも無益ってなんで? 第一偽善と偽悪がどう関係あるんだろう。 しばらく考えて、セデルはあっさりと言った。 「わかんないです!」 「……自分がなにを考えているかも知らぬたわけか、貴様」 「え、よくわかんないけど、したいって思ったからしました!」 「…………」 眉を寄せるヴァスコに、フーゴは笑った。 「やめとけヴァスコさんよ。こいつに絡んだって楽しかあねえよ。こいつは本当に自分の思ったことをただ言ってやってるだけなんだからな。裏も表もねえ、ただ心があるだけ。読もうと思ったって読みきれるもんじゃねえ」 ヴァスコはフーゴを底冷えのする目で見た。 「そのような子供が、戦士として戦えるというのか?」 「ああ――だからこそ、俺はこいつと戦いたいと思ったんだからな」 言うと、フーゴはくいくいと手招きをする。 「そろそろ行こうぜ。試合が始まる」 セデルは選手用の観覧席から闘技場舞台を見つめた。舞台ではフーゴとヴァスコが向かい合っている。 「第五十九試合、ヴァスコ選手対爆砕槌≠フフーゴ選手! ………はじめっ!」 はじめの声がかかっても、フーゴはなぜか動かなかった。ヴァスコも動こうとはしない。いっこうに始まろうとしない試合に、観客席からざわめきが沸き起こった。 セデルも一瞬怪訝に思ったが、すぐにわかった。これまでのヴァスコの剣技はどれも後の先を取る受身の剣。相手を先に動かして隙を見出そうというつもりなのだろう。 それだけとも思えないけど、そういうつもりがまずあることは確かだ、とセデルは一人うなずく。 「…………」 ヴァスコはしばし待ったが、痺れを切らしたのかそれとも単に面倒になったのか、ふっと自分から動いた。速いとも思えぬほど自然に、それでいて避ける暇を持たせないほど速く間合いを詰め、目にも止まらぬ速さで剣を振るう―― その瞬間、ガッ! と激しい音がして、一瞬だがヴァスコの動きが止まった。その直後にドゴッ! と音がした、と思うとヴァスコが後ろに数歩退がる。 ――肩口にフーゴの魔神の金槌が思いきり入ったのだ。 わっ、と闘技場中が歓声を上げる。ヴァスコの体に相手の攻撃が触れたのは、これが初めてだったのだ。 とはいえフーゴも無傷ではなかった。頭にかぶった鉄仮面の下から、だらだらと血が流れているのが見える。 セデルはようやくフーゴの狙いを悟った。これまでヴァスコはいつも決まって頭に三連撃を放ってきた。それを見越して、相手が攻撃をする瞬間に逆に踏みこんで勢いを殺し、同時に攻撃を放つ。ヴァスコは攻撃に集中力が奪われているから、頭への攻撃に耐えられさえすれば攻撃はかなりの確率で決まる。 ヴァスコが狙いを外せば負けは必定という危険な賭けだったが、逆に言えば当たればでかい。特にフーゴの装備していたのは魔神の金槌だ。ヴァスコには相当なダメージが与えられたはず。 舐めんじゃねえぞというフーゴの笑声が聞こえるような気がした。すごい、すごいすごい! とセデルは興奮しつつ舞台を見守る。 「………………」 ヴァスコは無表情のまま肩に手をやった。その顔からはどれだけのダメージを負ったかは窺い知れない。 そしてじっ、とフーゴを見つめると、に、と笑った。 ぞくっ、とセデルが背筋を凍らせたのとほぼ同時に、ヴァスコは動いた。敏速や敏捷といった尋常な言葉では足りない、超瞬速とでも言いたくなるような速さで踏み込み――斬る。 数秒のうちに十数回、凄まじい力で斬りつけられ――フーゴはあっという間にズタズタになって、ばたりと倒れた。 闘技場中がどよめく。ここまで見事な殺しっぷりはこれまでの試合でもなかった。フーゴは間違いなく死んでいるだろう。少なくとも一回は心臓に刃が突き刺さるのを見た。 「しょ……勝負あり! 勝者ヴァスコ選手!」 その言葉を聞くと、ヴァスコは顔の表情を無表情に戻し、選手入場口へと向かう。救護班が飛び出し、フーゴの体を抱えた。 セデルはフーゴが救護室に運び込まれたのを確認すると、素早く立ち上がり救護室へと走った。救護室は選手控え室のすぐ隣だ。観覧席からは控え室より近い。 救護室に飛び込むと、ちょうどベホマンがザオリクを唱えているところだった。救護室には蘇生呪文や回復呪文を使える暇な魔物たちがたいてい一人か二人つめているのだ。むろん必要になった時にも呼び出されるが。 この蘇生呪文はなにか驚異的な外的要因がない限り必ず成功し、死体がどんな状態であろうとも死ぬ前の最も元気な状態に戻してくれる。 「フーゴさん、大丈夫!?」 救護班の間から首を突き出して問うと、フーゴは驚いた顔をしたがすぐに笑って頭を撫でてくれた。セデルはほっとして息をつきながら笑う。救護班の人たちには叱られたが、構わない。 「目を覚ますなり男の声で大丈夫、か。嬉しいのか嬉しくないのか微妙なところだな」 「そうなの? ごめん。でもよかった、大丈夫だとは思ってたけど心配しちゃった」 えへへ、と笑うとフーゴは笑みを深くして、わしわしとさらに力強く頭を撫でる。 「わわわわ」 「冗談だ。ありがとな、心配してくれて」 「……えへへ、うん」 「しかし、あいつ……俺が思ってたよりさらにとんでもなかったな」 ふう、と息をつきつつ、死体用の固い寝台に寝かされたままフーゴは天井を見上げる。 「これまでのはあいつなりに手加減してたわけか。あいつはその気になれば簡単に屍山血河を築けるだけの力があるんだな。どうだ、X。それでもやるか?」 問われて、セデルはこっくんとうなずいた。 「やるよ。逃げ出すなんていやだもん」 「そうか……そうだろうな」 「それに……なんだか、ちょっと、いやだから。さっきみたいなの」 その口調に固いものを感じたのか、フーゴは慌てたように起き上がった。 「おい、お前まさか俺の仇討ちとか考えてるんじゃないだろうな。筋違いだぞそんなもん、第一俺はこうして生き返ったのに」 「うん、そうなんだけど……なんていうんだろ、何度も友達や家族が死んで生き返るところも見てるんだけど……でも、やっぱりいやなんだ。誰かがああいう風に、ひどく殺されるの。そういうことしてる人がいたらボク絶対止めるし、自分でもしたくないなって思う」 「あのなあ、勝負なんだぞ。死ぬのも怪我するのも覚悟の上、全部飲み込んだ上で戦うのは当然だろうが」 「でも、ボクはそんなのいやだ。覚悟してしょうがないって思いながら戦うんじゃなくて、そんなことをしないようにさせないようにしながら戦いたい。そりゃ戦ってるんだから怪我したりするのはしょうがないけど、さっきフーゴさんが倒れた時ボクすごくいやだった。怖かったし悲しかった。そういう戦いは、できるだけしたくない」 「お前……」 口ごもるフーゴに、セデルは笑った。 「大丈夫、ボク、勝つよ。絶対に」 第一回グランバニア王室杯武闘大会最終日―― 今日の試合は準決勝と決勝の三試合だけである。どれも激しい戦いになるだろうから、それだけでも盛り上がり及び選手の疲労は大変なものになるだろうというのが予想だった。 実際今から城下の人々は血気に逸っているようだった。当日立見席には凄まじい長蛇の列ができ、武闘大会のためにテルパドールから輸入したいくつもの巨大放送珠の周囲には(有料なのにも関わらず)多くの人々が集まっている。 だが、アディムはそんなことなど意識の端にも上らせず、ひたすら憂愁の海に沈んでいた。 セデルが帰ってこない。帰ったら罰を言い渡されると思っているのか、武闘大会でない時間は新城下町のあたりにいるらしく所在がつかめない。むろん自分で探しに行けばすぐ見つかるだろうことは確かだが、それをするとセデルのどうしても武闘大会に参加したいという意思を妨げることになってしまう。 ただ会えないというだけでも辛くてしょうがないのに(むろんルビアやビアンカのおかげで慰められてはいるのだが、家族に欠員がいるというのはどうしても寂しい気持ちになるのは否めない)、セデルは今日強敵にたった一人で挑もうとしているのだ。それを思うと励ましてあげたいそばにいてあげたいと過保護な親心が顔を出す。 そしてなにより、セデルの心身が傷つくのではないかと不安でしょうがないのだ。決勝の相手になるであろう、ヴァスコ選手は強い。アディムの目から見ても腕は互角か、ややヴァスコ有利というところだろう。 旅をしている時は死ぬことも何度かあったものの、そのたびにアディムはそれこそ死ぬような思いをした。あんな思いは、正直もう二度としたくない。 と、沈鬱な顔で鬱々と沈思するアディムに、明るい声がかかった。 「こんにちはー、アディム。元気? 近くまで来たから寄ってみたよ」 アディムは顔を上げた。それは旅の間で最後から二番目に仲間になった魔物、タークことプチタークだった。 「……やあ、ターク。久しぶりだね。正直あんまり元気じゃないよ……」 アディムは力なく答えた。タークは仲間になった魔物の中では例外的にグランバニア城で暮らしてはいない。エスタークの息子、いわば魔界の王子である彼は、魔界でより強い存在になれるよう修行しつつ、たまにルーラを駆使して人間世界に遊びに来るという生活を送っていた(魔界と人間界の間の扉はすでに閉じている)。 「元気がないのかい? なんで?」 「……セデルが今ちょっと大変なことになっててね……君のほうはどうだい?」 「うーん、おいらも万全とは言いがたいかな。実はね、一週間前に仲間と一緒に人間世界に遊びに来たんだけどさ、その仲間とはぐれちゃって。あいつ人間に偏見の目を持ってるところがあるから、心配なんだよねー」 「そうか……それじゃあ今日はグランバニアに泊まらないかい? 明日になったら一緒に探してあげるよ。今日はセデルのことで頭がいっぱいでそっちまで気が回らない……」 アディムたちはそんな話をしながら闘技場まで歩いていった。 「第六十三試合、決勝戦。謎の仮面戦士X選手対ヴァスコ選手」 闘技場はそれこそ針の落ちる音が聞こえるほど静まり返っている。東にセデル、西にヴァスコ。双方ともすでに武器を構え、静かに相手を見つめている。 闘気は互いにこれ以上ないというほどに高まっている。さらにヴァスコには殺気すら感じられた。だが、セデルはただ静かにそれを受け流し、相対している。 迷いはなかった。 「………はじめっ!」 声と同時に、セデルが跳ねた。というか、宙に浮き上がったと見えるほどの速さで走り、その体の動きから流れるように右下方から左上方へと斬り上げる。 ヴァスコは並の戦士なら瞬時に斬り倒されるだろうその一撃をスウェイバックで避けた。さすがにセデルほどの速さになると一分の見切りとはいかなかったとみえ、ある程度余裕をもって避けている。 そして避けたと思ったら瞬時に毎度おなじみとなった頭に向けての三連撃を放つ。右左上、三方向から向かってくるかわしようのない連撃。 だが、セデルはどの攻撃もわずかに顔を動かしただけで避けた。そしてさらに逆に攻撃してきた腕に向けてねじりこむような一撃。 ヴァスコはわずかに鎧の上を叩かれただけで飛び退って避けた。お互い間を空けて、じっと睨みあう。 観客席がわっと歓声を上げた。開始からわずか数秒で、ほとんど追いきれないほどハイレベルな攻防を見せられ、興奮しているのだろう。 ヴァスコがそれが乗り移ったように熱の感じられる声で、顔を歪めながら言った。 「あれを、かわすか」 「あのくらいなら簡単にかわせるよ。だって見えるもの」 セデルはあくまであっさり答える。ヴァスコはさらに顔を歪め――笑っているって言っていいのかな、とセデルは頭のどこかで思った――ひどく楽しげに言った。 「そうでなくては」 今度はヴァスコから向かってきた。楽しげに、軽々とこちらに走り寄り、今度は四方八方からの連続攻撃で押し切ろうとする。 その攻撃の量に、今度は剣と盾を使わざるをえなかった。左からの一撃を盾で止め、右からの一撃を剣で上に、あるいは下にいなし、上から下から真正面からの攻撃もあるいは避け、あるいは受け止める。 ヴァスコの攻撃は止まらない。中肉中背の体に似合わず驚異的なスタミナを持っているようだ、疾風のごとき攻撃を数えきれないほど繰り出してくる。 普通なら防戦一方から攻撃に押し切られてしまうところ――だがセデルはわずかに口元に笑みを浮かべると、足元の踏ん張りだけで大きく後方へと跳んだ。ヴァスコは当然即座に間合いを詰めようとするものの、一瞬の間ができる――そして一瞬あればセデルが体勢を立て直すことは充分できた。 突き、これは浅い、フェイント。本命は下からのすくい上げるような一撃。セデルはそれを体を回転させてかわし、ヴァスコが剣を戻す前にその回転から元に戻る動きを利用してヴァスコよりさらに速い一撃を繰り出す。 ヴァスコの防御は間に合わなかった。ヴァスコの脇腹に、セデルの剣が思いきり叩きつけられる。 わっ! 闘技場中がどよめく。ヴァスコはその秀麗な面持ちに明らかな苦痛の色を浮かべ、数歩退いた。 だがセデルは内心舌打ちしていた。革で剣を巻いていなければ鎧の上から相手の体を斬り裂けたはずなのに。骨の一本ぐらいは持っていけたかもしれないが、ダメージは決して致命的なものではないだろう――天空の武具から正体がバレることを恐れたゆえの行動が、こんなところで害になろうとは。 ヴァスコはセデルを見つめる。自己抑制力が旺盛なのか、顔には苦痛の色はすでになかった。 その顔がまた歪む。やはり笑いを意味した表情なのだろうが、今度は明らかに喜びの笑いではなかった。ある意味歓喜に満ちてはいるが、その喜びは憎悪による歓喜だ。 すっと剣をこちらに向けた。突いてくるつもりかと身構えたが、近づいてくる様子はない。ただ、顔を歪めて一言唱えた。 「デススラスト」 「!」 そう唱えるが早いか、ヴァスコの剣が瞬時に紅く染まった。そしてあっと思うより早く閃光のようにその紅が剣から離れセデルめがけて飛んでくる。 その速さはほとんど雷光のようだったが、セデルはそれでも驚異的な反射神経で盾をかざしていた。紅の閃光を受け止めんと、主の意思を受けて天空の盾がほのかに輝く。 が、それは無駄だった。紅く鋭い閃光は、かざした盾を透過してセデルの体に直接ダメージを与えたのだ。 これは体術を組み合わせた一種の呪文だ、とセデルは瞬時に理解した。タークのプチスラッシュのようなものだ。回避はできないし攻撃力はメラゾーマ以上、その上天空の防具にも耐性がない。 こんな呪文を使えるなんて、とセデルの心の中はヴァスコに対する素直な賛嘆の念で満たされた。 だが、負ける気はそれでもさらさらない。遠距離は不利だとセデルは跳んだ。 ヴァスコは顔を歪めた。馬鹿なことを、と思っているのだろう。宙に飛び上がるのは相手の不意を衝くし動きに対応させづらくさせるが、その対応に習熟さえしてしまえば料理はたやすい。空中なら避けもかわしもできないというのが常識だからだ。 だからヴァスコは素早く剣を突き出した。この一撃で仕留めるつもりなのだろう、技巧もくそもないがとんでもなく速い一撃だ。 よし、予想通り! セデルは内心快哉を叫んだ。 「な……!」 ヴァスコが絶句して目を見開いた。セデルは盾を放すと突き出された剣の平に手を置いて、そこからさらに手、と言うより指の力だけで跳躍したのだ。セデルの体は剣の軌道の上に飛び、舞うようにくるりと半回転して――ヴァスコの脳天に一撃を入れた。 静寂、そして一瞬遅れての大歓声。一瞬のことで観客のほとんどは目がついていかなかったものの、セデルがなにかとんでもないことをやったのだということはわかったらしい。 ヴァスコはその衝撃にくらりとしたのか一瞬ふらついた。セデルはむろん即座に追い討ちをかける。 しかし敵もさるもの、頭を振りながらもヴァスコはセデルの攻撃を受けた。そこからさらに突き返しやら剣を狙っての一撃やら、剣技の粋を尽くしたような防御と一体になった攻撃を仕掛けてくる。 突く、受ける、振るう、止める、斬り上げる、さばく。狂騒的な大歓声の中、セデルとヴァスコは激しく剣を交わしあった。 一進一退の攻防に焦れたか、ヴァスコは飛び退ってデススラストの呪文を唱えた。瞬時に剣が紅く染まり、セデルの体を貫く。 激痛。だがセデルはそれに耐えた。熟練した使い手なら剣を振るうより早く呪文を唱えることができる、だが呪文と同時に剣を使うことはできない。剣を使った防御をしようとするなら、呪文を使うと至近距離ではどうしても相手に一歩遅れる。 今進めば一撃を入れられる。セデルは突進した。ヴァスコはまだ剣を戻せていない。 いける! そう思った瞬間―― 「顔の布がほどけてるぞ、天空の勇者」 「うそっ!」 セデルははっとして顔に手をやった。布はしっかり巻かれている。 あれ? と思った。 当然のごとく、その隙が命取りになった。戻された剣が繰り出され、セデルの肩口から腹にかけてがばっさりと斬り裂かれる。 激痛。血が噴き出す。何時間も走り続けたあとのような疲労感。 セデルの意識は速やかに闇に沈んでいった。セデルが最後に意識したことは、 ――どうしてヴァスコはあんなに苦々しい顔をしてるんだろう? ということだった。 謎の仮面戦士Xが倒れてから十秒が経過し、副審が手を上げる。審判がそれを見て、大音声で宣言した。 「勝負あり! 勝者、ヴァスコ選手! 第一回グランバニア王室杯武闘大会優勝者は、ヴァスコ選手に決定いたしました!」 わーっ! Xを応援していた者もヴァスコを応援していた者も、興奮しきって歓声を上げた。感極まって泣いている者もけっこうな数いる。 ヴァスコとXの勝負は、それほど観客たちに感銘を与えたのだ。 観客たちが静まるのを待って、審判が宣言する。 「続いて表彰式、次いで副賞の伝説の勇者セデルリーヴさまとの試合に移りたいと思います。休憩を挟みまして――」 「お待ちいただきたい!」 ヴァスコが叫んだ。そのよく通る声に観客も係員たちも思わず動きを止めてヴァスコを見た。 「この武闘大会の主催者であらせられるグランバニア王アディローム一世にお願いの儀がござる! 我はアディローム一世の勇名を世界の各地で聞き及び、武人としてぜひひとたび剣を交えたく存じた! ついては――」 一度息を吸いこんで、また叫ぶ。 「副賞を全て辞退させていただく代わりに、アディローム一世との勝負をお願いしたい!」 一瞬の静寂があって、闘技場はいっせいにざわめいた。 こんな展開になるとは誰も予想していなかった。グランバニアの王であるアディローム一世が勇者の父親というのみならず、極めて強い戦士で英雄であることは誰もが知っている。 だが、アディローム一世が戦うことになるとは。勇者であるセデルリーヴと、ここにいるヴァスコと、どちらが強いのか。好奇心と驚きでいっぱいになって、観客たちは貴賓席を見つめた。 係員たちはうろたえて右往左往する。が、ヴァスコを叱責する声が上がるより早く、貴賓席から一人の男が飛び降りた。 冠をかぶり、マントを身につけ、手には竜をかたどった杖を持っている、まだまだ青年と呼べるほど若い女たちをたちまち魅了する美男子――アディムだ。 「その勝負、受けよう」 アディムのあっさりとした答えに、闘技場は大きくどよめいた。 「ルールはこの武闘大会と同じ。なにをしてもいいが、気絶した、あるいは死んだ相手への追い討ちは禁止。それでいいかい?」 「感謝する」 ヴァスコは無表情で答えると、剣を構えた。アディムは自然体で立ったまま、静かにヴァスコを見て言う。 「その前に、君の傷を癒そう。今のままでは公平を欠くからね……ベホマ」 ヴァスコの周りを白色の輝きが取り巻き、みるみるうちにヴァスコの顔色がよくなった。ヴァスコは唇を噛んだが、なにも言わず剣を構えたままアディムを睨む。 アディムは静かな表情で、自然体のまま。 救護班は謎の仮面戦士Xをまだ回収していないことに気づいて慌てたが、いまさら出て行くわけにもいかず困惑して立ち尽くした。 観客は固唾を呑んで二人の姿を見つめている。 審判は副審からせっつかれ、ようやく自分に求められていることを理解し、大声で叫んだ。 「はじめっ!」 仕掛けたのはヴァスコからだった。瞬時に間合いを詰め、流れるような一撃を繰り出す。 しかしアディムは受けもかわしもしなかった。ただ突っ立って、斬り裂かれるに任せる。 観客も困惑の声を上げたが、ヴァスコはもっと困惑したようだった。ひどく戸惑ったような顔をして足を止めたものの、すぐ頭を振って再度の攻撃に移る。 次々とアディムの体が斬り裂かれ、血が噴き出す。昔気質のグランバニア国民は、恐れ多さのあまり青くなった。 ヴァスコが痺れを切らして叫ぶ。 「このままやられるつもりか! 魔王ミルドラースを倒した戦士の力はその程度のものなのか!?」 「……親っていうのはね、子供を守るものなんだ」 ふいにアディムが口を開く。そこから出てきた状況にそぐわない言葉に、ヴァスコは口をぽかんと開けた。 「でもそれはいつもそばにべったりひっついているということじゃない。むしろいつか自分たちのもとから巣立てるように、無理なことには手を貸して自分にできることできないことを理解させながらも、自分の面倒を自分で見れるように育ててやるのが親の役目だと僕は思う。僕もそうやって育ててもらったからね」 「それが……」 「でもそれは、心配をしないということではないんだよ。子供が大変な状況になれば親はたまらなく心配になるし、傷つこうものなら気も狂わんばかり。喧嘩して帰ってきたら子供の育っていく上でしょうがない一過程とわかってはいても、悲しいし心配するし、相手を恨みたくなる。特に――」 その瞬間、アディムの静かな表情が恐るべき鬼気に満ちたものに変わる。 「卑怯な手段でやられたとなっては、なおさらだ」 「…………!」 「子供のためにしてあげる、なんて思いあがったことは言いたくない。私怨といえばそうなのかもしれない。でも、僕は君を許さない」 その殺気と言うのも闘気と言うのも生易しい、伝わってくる鮮烈なまでの破壊の意思にヴァスコのみならず、闘技場中の人間が震えた。 アディムは杖を振り上げ――突撃する。 「うちの子を傷つける奴は――ぶっ殺す!」 ぱごぐしゃめすっ! その一撃で、ヴァスコは闘技場舞台の床に沈んだ。 静まり返った闘技場の中、アディムはセデルに駆け寄った。息があることを確かめて、素早くベホマをかける。 セデルの顔に赤みがさしてから数十秒、セデルはゆっくりと目を開けた。間近にいるアディムに驚いた顔をしながらも(親なのだ、布の上からでも表情くらいわかる)、挨拶をする。 「おはよー、お父さん……」 「うん、おはよう。立てるかい?」 「え? えっと……」 その時ようやくセデルは状況を思い出したようだった。沈んだ顔になってうつむく。 「そっか……。ボク、負けちゃったんだ……フーゴさんに勝つって言ったのに……」 「でも、頑張っていたよ。もう少しで勝てていた。お父さんはセデルをすごいと思う。頑張ったね、セデル」 「……そう? えへへへ」 セデルは笑顔になった。この素直さはセデルの財産の一つだな、とアディムも微笑みを返した。 「でも、セデル。無断で武闘大会に出場して、帰っても来ないっていうのはいいことじゃないね? お母さんもルビアも、もちろんお父さんも心配したよ」 「………ごめんなさい」 「はい。あとでお母さんとルビアにも謝ること。それから罰をどうするか考えるからね」 「えー!?」 罰と聞いて絶望的な表情になったセデルに笑って、さて、あのたわけ者をどうするか、とアディムはヴァスコに向き直った。手応えはあったから死んでいるか、生きていても起き上がれはしないだろうと思うがアディムとしてはその体すらこの世から消滅させたい気分だ。実際にするつもりはないが。 「アディムー。悪いんだけどそれはちょっと待ってくれないかなぁ?」 そう言いつつ貴賓席からひらりと飛び降りてきたのはタークだった。セデルが驚いて叫ぶ。 「タークくん! いつこっちに来てたの?」 「人間世界に来たのは一週間前だけど、グランバニアに来たのは今日だよー。おいらはね、ずっとこいつを探してたんだ」 そう言ってヴァスコをひょいと背負う。 「彼を? 仲間っていうのは彼のことなのかい?」 「うん、そう。もちろんこいつも魔族だよ。人間に変化してたみたいだけど。こいつはね、おいらの仲間で、父上――エスタークの部下の息子なんだ。おいらが産まれた時からそばにいるんだよ」 「その彼がなぜこの武闘大会に?」 「うん、それなんだけどね。おいらたち古来の魔族はミルドラースの台頭で肩身の狭い思いをしてたんだ。やってることもおいらたちの方針と違ってたしね。でも気にはいらないもののわざわざ全面的に戦争するほどではない。向こうはこっちを無視してたし、父上が眠ってるから魔物に対する威厳も戦力も圧倒的に足りないしね」 「……つまり、気に入らない奴を倒したのが人間だってことが気に入らなかった?」 「そうなんじゃないかなぁ。ヴァスコは特に魔族の誇りうんぬんってことにはうるさかったし。父上も倒したんだし実力は認めなきゃならないのに、自分に勝てなきゃ認めてやるもんかって思ってたみたいだよ」 「で……目当ては最初から僕だったわけか」 「うん、たぶん。おいらが一番強いのはアディムだよって教えたから」 「それでどうしてもセデルに勝ちたかったわけか……だからといってあんな手を使うのが許されるわけじゃないけど」 「うーん、そうだね。おいらもそれはよくないと思う。だから今度改めて詫びに来させるよ、手土産持って。今日はいったん帰る、このまま顔あわせても気まずいだろうから」 「あ、待って!」 ルーラを唱えようとしたタークに、セデルが声をかけた。 「なに、セデル?」 「別に謝らなくてもいいから、また来てねって言って。また勝負しようねって」 「うん、伝えておくよ。ヴァスコも本当は悪いやつじゃないんだ、気位は高いけど。アディム、あんまり怒らないでやって」 「努力するよ」 「じゃあね」 タークはルーラを唱えて姿を消した。ルーラの力は世界の壁すら飛び越える。今頃はジャハンナなりエビルマウンテンなりに着いている頃だろう。 ふう、とアディムは息をついた。憂鬱な日々も、ようやく終わりを迎えそうだ。 「ねえ、お父さん」 「なんだい?」 「ヴァスコさんにタークくんが謝らせようとしてたことって、なんなの?」 「…………」 アディムはいきなりセデルの体を思いきり抱きしめ、しばしその純粋さに対する愛情表現を炸裂させた。 第一回グランバニア王室杯武闘大会は、こうして幕を閉じた。 優勝者は魔族であるヴァスコ、準優勝者は伝説の勇者である謎の仮面戦士Xことセデルなのだが、後者の事実は隠匿、というか表立っては発表されず、噂にもならなかった。アディムの行動があまりに鮮烈で、他言したらアディムに怒られるのではないかと思うと誰も怖くて言えなかったのである。 武闘大会に参加はしなかったものの、グランバニア王アディローム一世の恐るべき強さ、怖さは武闘大会を見た者全てに叩き込まれた。 世界最強の戦士はアディム! と、武闘大会を見た者全てが深くうなずいたのだった。 フーゴはセデルを探して屋上庭園をうろついていた。いつものパターンからすると、今日あたりこの辺にやってくると思ったのだ。 予想通り、セデルは庭園の花の茂みの中に隠れていた。素知らぬ顔でセデルのいる茂みの前に立ち止まり、ぐいっと茂みに手を突っ込んで引きずり出す。 「わあ!」 「罰勉強はまだ終わってないはずですが、セデルさま? グランバニアの王子ともあろうものが、罰から逃げ出すなどあってはならないことですよ」 「お願いフーゴさん、見逃して! だってボク、もうこれで一ヶ月も学校が終わったあと居残りさせられてるんだよ!? 今日はこんなにいい天気なのに!」 フーゴはその目を潤ませての直接的な懇願に、目を細めた。 「どうかフーゴと呼び捨てに、と何度も申し上げたはずですが? お前さんはもう俺の主なんだからな、X」 「Xはやめてよー。フーゴさんがセデルって呼び捨てたら、ボクもフーゴって呼ぶ」 「そういうわけにはいかん、けじめってものがある。俺はグランバニア軍に骨を埋める気なんだからな。こうして気安い口を利けるのも、二人っきりの時だけだ」 「ちぇーっ」 口を尖らせるセデルに、フーゴは微笑んだ。 武闘大会から一ヶ月。フーゴはその腕を見込まれてグランバニア軍近衛隊に正式採用が決まった。 闘技場はまだ残されている。なにか使い道はないかとみな頭を捻っているらしい。 武闘大会の興奮はほとんど治まってきたものの、武闘大会の様子を詳細に記録した記憶珠が売り出されたり、武闘大会について書かれた本が出版予定だったりと、いまだ街の話題はほとんどが武闘大会のことで占められている。 その一方の主役であるセデルは、無断で武闘大会に出場した罰ということで、毎日居残り勉強を施されていた。学校でも最も厳しい先生につきっきりで勉強を見られ、さしものセデルも参りきっている。 そして、もう一方の主役だったヴァスコは―― 「それとな、実は今日は勉強に連れ戻しに来たんじゃないんだ。ヴァスコが来たんだよ、ターク殿と一緒にな」 「え、ホント!?」 ぱっとセデルの顔が輝く。 「ああ、今日はこの前の負けを取り返してやるって張り切ってたぜ。久しぶりにターク殿も一戦交える気でいるとか言ってたな」 「ホントに!? うわ〜〜、ワクワクする〜〜!」 足をばたばたさせるセデルに微笑ましい気分になり、出すぎた真似とはわかっているものの頭を撫でてしまった。 「だからな、早く勉強終わらせて迎えに行こう。あと数日で居残り勉強も終わりなんだろう?」 「うんっ!」 セデルは元気に言って歩き出した。 ヴァスコはセデルの言葉を真摯に受け止めたのだった。勝負で卑怯というか、少しばかりこずるい手を使って勝ったことを悔い、一週間に一度のわりでグランバニア城を訪れる。 今のところ戦績は武闘大会の勝負を入れて二勝二敗。なんとしても勝率を上げるのだとセデルは毎日張り切って稽古をしている。 フーゴも時々相手をしている。自分ではやや力不足であるという感は否めないが、フーゴにとってもセデルはかつて戦いたかった相手だ、不満はない。 それに、今は彼は自らの主でもある。その純粋さ、素直さに、フーゴはこいつを自分の力の及ぶ限り守ってやりたいと心に決めてグランバニア軍に入ったのだから。 この世にも素直な伝説の勇者を、放っておきたくないと思ったから。 フーゴは機嫌よさそうに歩いていくセデルの後ろ姿を見て、微笑んだ。 |