会いたかった、お母さん
「お母さん!」
「お母さーん!」
 十年ぶりに母親に抱きついて泣くセデルとルビアを、アディムはじっと見守った。
 自分と一緒にいる時は涙を見せたりはしなかったけれど。自分に会うまで、ビアンカに会うまでこの子たちは何度泣いてきたことだろう。
 八歳の、今でさえまだ十歳の少年少女。それが親を求めて世界中を旅し、実際に見つけてくれた。
 自分たちがひどく不甲斐なく感じられ、そして同時に子供たちが誇らしい。相反する気持ちは激しいけれど、ただひとつ確かなのは、この子たちがたまらなく愛しいということ――
 ビアンカの気持ちをきっと自分は誰よりもよくわかる。だから、今は――ただ、見守ろう。他の人間が口を挟める話じゃないだろうから。
 脇で涙を流しながら母子を見つめるトォーワと同じように、アディムは後ろに立ってじっと三人を見守った。

「――アディム」
 翌朝。アディムが会議室で宰相オジロンやら内務大臣やらと話しあって王宮に戻ってくると、屋上庭園でビアンカが待っていた。
「どうしたんだい、ビアンカ。あの子たちは?」
「まだ寝てるわ。……少し、話したいことがあって」
「わかった」
 二人は屋上庭園の中央に進み出た。この辺りは見回りの兵士もめったにやってこないので、内緒話をするにはちょうどいいのだ。
「きれいだろう。城にいる時はルビアがよく世話をしているんだよ。あの子は動物や草木が好きだから」
 その言葉に、ビアンカはふ、と目を伏せた。
「……あの子たちのこと、よく知っているのね」
「そうだね。二年間分だけ」
「…………」
 ビアンカは胸を打たれたようにアディムを見上げ、黙りこんだ。アディムもあえて話の先を促そうとはせず、黙っている。
 数分ほど沈黙が続いて、先に口を開いたのはビアンカだった。
「ねえ、アディム。あなた……あの子たちを初めて見た時、どう思った?」
「そうだね……泣きたくなるほど申し訳なかった。いや、実際に泣いていたな。それと、会えて嬉しくて嬉しくてしょうがなかった」
「そう……そうよね」
 ビアンカは庭園の薔薇の茂みの前に、こちらに背を向けて座り込んだ。アディムの目に十年前と――アディムの主観としては二年前なのだが、その時と少しも変わらない白いうなじが飛びこんでくる。
「……私、母親失格かもしれないわね」
 予想していた言葉だった。アディムは静かに問い返す。
「どうして?」
「私……あの子たちが、怖いの」
「…………」
 ビアンカは堰をきったようにまくしたて始めた。
「だって、十歳よ。あの子たちもう十歳なのよ。私がいないところでもう十年間も生き続けてきてしまってるのよ? まだ子供だけど、赤ん坊じゃないわ。世の中の道理もわかってしまう年よ。あそこまで育ったあの子たちに、いきなり出てきた私がなにをしてあげられるっていうの? あの子たちがいい子だっていうのはよくわかるわよ、明るくて優しくて。でも、それは私が育てたものじゃない。なのに……なのに、どうして突然母親になれるっていうの? 私にとってあの子たちは、まだ両手で二人とも抱き上げられた赤ん坊の頃の記憶しかないのに――」
 最後の方は涙声になって、ビアンカはうつむく。今まで隠していた思いを吐き出して、糸が切れてしまったのだろう、いかにもがっくりという感じの仕草だった。
「……こんなこと考えるなんて、本当に、母親の資格なんてないわね」
「そうかもしれないね」
 アディムの言葉にビアンカは泣きそうな声で笑った。
「はっきり言うわね」
「だってそうだもの。ビアンカ、僕は思うんだけど。僕たちにはもともと親の資格なんてないんじゃないかな。だって八年間も子供たちを放っておいたんだよ。他の人に子供たちを育ててもらって、産み捨て同然にしておいたんだよ。それで親の資格を得ようなんて考え自体、おこがましいと思わないか?」
「………そうね」
「でもね。セデルとルビアは、僕たちのことをお父さん、お母さんって呼んでくれるんだよ」
 は、とビアンカが顔を上げた。アディムは静かな声で言う。
「僕たちみたいな駄目な親でも、あの子たちは親と呼んでくれる。だったら僕たちは僕たちなりに、親をやるしかないんじゃないかな。親の資格なんてなくても、あの子たちが僕らを親だという以上、せめて僕らなりにやれるだけのことはしたいと思わないか?」
「……なにができるの、私たちに」
「あの子たちを自分たちなりのやり方で愛してあげることだよ。あの子たちは僕たちの愛を求めてるんだから。普通の親とは少し違うものになってしまうかもしれないけれど、僕たちにしかできない愛し方っていうのもきっとあると思うんだ。……僕はそう自分で決めて、子供たちと接してきたよ」
 ビアンカはしゃくりあげるような声を上げて、泣き笑いに笑った。
「アディム……あなた、そんなくさい台詞言って恥ずかしくない?」
「ちっとも。だって、心から思ってることだからね」
 そう言ってにこりと笑うアディムに、ビアンカはばっと振り返りつつ立ち上がり、唇にキスをした。
 少し驚くアディムの顔を両手で挟んで、潤んだ瞳で言う。
「そんなあなたが、私は好きよ」
「……ありがと……」
 少し照れたように頭をかいたアディムに笑って、ビアンカは目を擦った。
「よし、もう泣き言言うのはやめやめ! これから魔界に行くんだから、私も気合入れていかないとね!」
 アディムは目を見開く。
「ビアンカ、それは」
「あの子たちも私も、絶対一緒に行くからね。お母さまを助けるのに、家族がついていかなくてどうするのよ」
 そう言ってウインクしてみせるビアンカに、アディムは苦笑した。
「君には、苦労ばかりかけてるね、ビアンカ」
「そう思うんなら、なにもかもが終わったら、たっぷり私のこと甘やかしてちょうだい?」
「約束するよ」
 真剣な顔でうなずくアディムに、ビアンカはかえって慌てた。
「やだ、そんな……真剣に受け取らなくても。私は好きであなたについてきてるんだし、嫌だと思ったら言ってるわよ。私だっていろいろあなたには迷惑かけてるし……」
 わたわたと手を動かすビアンカに、アディムはくすりと笑う。
「じゃあこうしようか。なにもかもが終わったら、しばらく家族で城でゆっくりするんだ。セデルやルビアと一緒に遊んだり、わがままを聞いてあげたりね。十年分は無理だけど、できるだけ子供孝行しようよ。一緒に、ね?」
「……そうね……ふふっ、いいわね」
 ビアンカは笑うと、アディムを熱っぽい視線で見つめた。そしてすっと近寄って抱きしめる。
「その時は私たちも、十年分仲良くしましょ? 私のいない二年の間のことを、体に聞いてあげる」
「……ああ、うん、それはまあ。わかった……」
 アディムは少し顔を赤らめてうなずいた。子供たちに関してはどうすべきか常にぴーんとくるアディムも、妻相手ではどうも分が悪い。
「あ、お父さんずるいー! お母さんにぎゅっしてもらってるー!」
 ふいに澄んだボーイソプラノが庭園に響き渡り、アディムとビアンカはばっと体を離した。
 庭園の散歩道から、セデルとルビアがこっちに向かって歩いてくる。ルビアがセデルの袖を引っ張って言った。
「だめよお兄ちゃん、そういうこと言っちゃ。あれは『ふうふのいとなみ』っていうものなんだから」
「………ルビア………」
「え? 違うの?」
「……まあ、大きく違いはしないけど……」
 アディムのそんな言葉になどかまいもせず、セデルとルビアはビアンカに駆け寄った。
「ねえねえ、お母さん! 今日はボクたちがお城の中を案内してあげるよ!」
「お母さんのいた頃とはいろいろ違っていることあると思うの。それをお母さんに教えてあげたいなって……」
 その純真で、ひたむきな、自分たちを全身全霊で信じる瞳――
 ビアンカはそれを見て、一瞬泣きそうな顔になって、それから笑った。
「そうね! 私はお城のことよく知らないから、二人が教えてくれる?」
「うん!」
「お父さんも一緒にいこ?」
「もちろん、一緒に行くよ」
 十年ぶりに揃った家族。若すぎる上に親としての歴史がない両親と、いい子すぎて親に自らの資格を問わずにはいられなくさせる子供たち。
 でも、それでも僕らは幸せだ。だって僕たちはみんな、全員が全員、お互いのことが大好きなんだから。
「お父さん、早くー!」
「ごめん、今行くよ」
 それにこうして微笑むセデルとルビアは、世界中で一番可愛いし、とアディムはだらしなく笑み崩れそうな顔を根性で整えつつ思った。

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