王の仕事はいつだって
 魔王ミルドラースを倒し、世界を平和にした勇者たちであるグランバニア王家一家がグランバニアに帰還して、一ヶ月が経ち。
 グランバニアを挙げての三日三晩続いた宴も終わり、お祭り気分もようやく静まってきて、王城にも城下町にも日常が復活しようとしていた。
 いまだに町では乾杯のたびごとに「伝説の勇者セデル王子に乾杯!」やら「勇者の父親アディム王に、そしてその一族に乾杯!」やらやっているが、それはそれとして生活のため人々は日々の仕事をこなさなければならない。魔物が見境なく人を襲うことがなくなった今、不安から解放された人々は懸命に、楽しげに仕事に打ち込むのだった。
 それは王宮でも変わりがない。十年ぶりに、本格的に執務を執り行うことを考えればほとんど三十年ぶりに、グランバニアに正統の王が帰還したのである。王城で働くどんな役人も高級官僚も、奮い立たずにはいられまい。
 だが、彼らの主であるところのアディローム一世は、大人しく玉座を温めていてはくれなかった。

「坊っちゃん、いいえ、アディム王! 王は王宮で政務を執り行うものですと、何度も申し上げましたのに!」
 王宮、王の執務室に毎度お馴染みとなってしまった甲高い男の叫び声が響き渡り、次の間に控えているメイドや従僕たちは思わず首をすくめた。
 声を上げたのはサンチョ、詰め寄られているのはアディム王である。
「王たるもの、常に王宮でどっしりと構え、持ち込まれる問題を解決していくのが本来のあり方! アディム王はただでさえこの十年間国を空けていらっしゃったのですから、王の威厳を国中に知らしめるためにも玉座に座していてくださらなければ。外歩きをなさっている間に王が襲われるようなことがあれば、このサンチョどうすればよいか……」
 よよよと泣き崩れるサンチョに、アディムはなだめるように、しかしあくまで冷静に言った。
「僕も何度も説明しただろう、サンチョ。僕は国政に明るいわけでは決してない。もちろん勉強はしているけれど、王という仕事はわからないことがわかるようになってから、なんて悠長に構えていて勤まる仕事ではないと思う。だから僕は僕なりに、今自分にできることをしなければならないんだ」
「ですから! 玉座にあって王宮中にアディム王の威厳を示し……」
 すがりつかんばかりにしながら言うサンチョの言葉に、アディムは静かに首を振る。
「王宮の人々はそれぞれに国のために精一杯のことをしてくれている。王宮の人々をおろそかにしたりはもちろんしないけど、僕の今すべきことは十年も国を空けておきながら魔王を倒した英雄として名ばかりが高まっている国王がどんな人間か、自分たちの国を治めさせて大丈夫なのか国民に知ってもらうことだと思うんだ。そして、僕自身国を、国民をよく知ること。そうしなければ国をどう導くかなんて考えられるはずがないだろう?」
「各地に嘆願書を集める目安箱があります! 王宮にいてもそれらに目を通せば……」
「それらは僕のところに回ってくるまでに検閲を受け、無難なもの以外は取り除かれてしまっている。国民の生の声ではないよ。サンチョ、いいかい――国王は国という船を動かす船長だ。船長一人では船を動かすことはできない、多くの部下の助けが必要だ。けれど船をどこに向かわせるか指示する船長がいなくては船は動かない。そして、どこへ動かすか決めるには船の乗員たち――国民たちの総意を、心からの声を知らなくてはならないんだ」
 その静かだが威厳に満ちた、まだ二十歳を少し過ぎたばかりの若者とは思えない器の大きさを感じさせる声と表情にサンチョは一瞬気圧される――が、ここで退いてはならじと気合を入れなおして叫んだ。
「ですが、坊っちゃん!」
「その辺にしておきなされ、サンチョ殿」
 宰相オジロンが何人かの官吏を連れて入ってきて、苦笑しつつ王の執務机の前に立った。
「オジロンさま……」
「確かに王が毎日玉座を空けられるのは困りものだが、王が南方領の各地を回ってくださっているおかげで南方領から少しずつ物資が送られるようになり始めておる。不正を摘発されて罷免された代官もおるし、南方領でも陛下を初めとして王室の人気はどんどん高まっているそうだ。これはアディム王にしかできぬやり方ではないかな」
「しかし……」
 さらに不満を言い募ろうとするサンチョに、官吏の一人が言う。
「なにより王の執務は滞りなくこなしてらっしゃるのですから、問題はありませんよ。さ、これからご政務の時間なのですから、サンチョ殿は退室してください」
「ううう……坊っちゃん、いえアディム王! 申しましたことをお忘れにならないで下さいね!」
 サンチョが出て行くのを見送って、官吏たちは苦笑した。
「サンチョ殿にも困ったものだ。王が王宮から出ることを、むやみやたらと恐れられる。明らかにその王の行動が国を利しているというのに」
 アディムは執務を執り行うようになってから、ルーラを駆使して午後はグランバニアの各地へ不意打ちの視察を行っていた。地方行政府にいきなりの査察を行いつつ、各地を治める代官、その土地の実力者、なんの権力も持たぬ道行く人々と話をし、相手の求めるものを聞き、自分がこれから国をどう動かしていこうとしているか話すのである。
 確かに午後中王が王宮にいないというのは常識からは考えられないことだったが、その常識外れの行動のおかげで各地方と王宮との繋がりが強化され始めている。グランバニアという国家が一つにまとまり始めているのだ。
「サンチョはただ、僕がまたいなくならないかと不安でしょうがないだけだよ。これから長い年月をかけて、もう大丈夫なんだと納得していってもらうつもりだ」
 アディムの浮かべたふわりとした笑みに、官吏たちは一瞬見惚れた。アディムの柔らかい声と表情は威厳で人を圧する代わりに見るものの心を和ませ、男相手でも惹きこんでこの人の力になりたいと思わせるのだ。
 それに加えてアディムの人並み外れた見識の高さ、行動力、視点の高さを知った王城の官僚たちは、ほとんどがアディム王に忠誠を誓っている。王家びいきの人間はもとより、そのような感情を持たない若い世代にも、この人に仕えたいという思いを抱かせる存在なのだった。
「それじゃあ今日の仕事にかかろうか。まずは城下町の拡張工事と、学問所にかかる費用の見積もりを見せてくれないか?」
 言われて慌てて官吏たちが資料を提出し、説明する。それをアディムは素早く吟味し、数字を修正することもなくうなずいた。
 基本的に最初にきちんとした方針を決めて、細かいところは官吏に任せるのがアディムのやり方である。細かい作業を厭うわけではないが、あまり実作業に口出しはしない。
 アディムのこの姿勢は怠惰だという人間もなくはなかったが、むしろ信頼していただいているのだと奮い立つ者の方が多かった。むろん不出来な仕事をすれば柔らかに、しかししっかりとお叱りを受けてしまうし、きちんとした報告をすれば優しい言葉をかけていただける。懸命に仕事をして信頼に応えよう、そう誓って多くの官吏は仕事に励んでいる。
「なんとかなるね。この線で進めてくれるかい?」
「は。しかし、どうしても学問所を設立せねばならないのですか? 町に人が集まってきている現在、急務であるのは城下町を拡張することであるように思えるのですが。学問所のようなものに金を使うよりも、その分の金を使って工事を進めた方が――」
「そういう考え方は間違ってはいないと思う。でも、僕にとっては正しくはないんだ」
 アディムは物柔らかに、しかしきっぱりと言う。アディムが王として打ち出した最初の政策は、学校、それも実学を中心とした職業を見据えた学び舎を国中に作ることだった。
「グランバニアはいい国だ。国民の間には自らの手で自らを治めるという考えが浸透している。ただ、欠点は人生の選択の幅が狭すぎるってことだ」
 アディムは政策発表の際、居並ぶ官僚たちに向けて説明した。
「樵の子は樵、兵士の子は兵士、職人の子は職人。それが当たり前だとみんな思っている。だけど人生っていうのはそんなに狭くない。この世の中にはいろんな職業があり、いろんなことができるんだっていうことを知ってほしい……そのためには世界の仕組みを教えてくれる場所が必要なんだ。強制的に学ばされる学校ではなく、自らの意思で知りたいと思うことを教えてくれる学び舎が。そして、ただ食べるために生き死んでいくというだけではなく、人生を豊かにするという考えを持ってほしい……そのためには学校が絶対に必要なんだ」
 官僚たちの多くはアディムがなにを言いたいのか理解できないようだったが、アディムの言葉に従い学校を作るべく動き出した。その手始めに王都に学問所を作り、学者を招聘して教師となるべき人材を育てることとした。またこの学問所でも講義を行い、その内容は通話珠で各地に放送される予定である。
 アディムは自分の考えが現代の人間には理解されがたいのを知っていた。だがこれは必要だと思っていた。国を富ませるのも王の重要な仕事だが、とりあえず国民が食べるに困らないだけのものを持っている今、将来に向けて国民の精神が伸びやかに育つよう心がけることもそれ以上に重要だと思っていたのだ。
 長くかかる仕事なのはわかっている。だが国を治めるという仕事は一朝一夕に済ませるわけにはいかないだろうとアディムは覚悟していたのだ。
 もちろん現在の問題を解決するのも非常に重要である。アディムは口を開いた。
「次は木材の値崩れについてだね。各国にやった調査員の報告は?」
「はい、それについてですが……」

 ルーラで一日視察から帰ってきて、アディムは城門を潜り抜けた。勇者の一族が治める国という名が広まり、グランバニア王都には人が集まり始めている。城砦の中だけでは対処しきれなくなり、城門の外にすでにいくつか簡単な家が建ち始めていた。
 そんな中を迷いなくアディムは足を進める。方々からひそひそと『あれがアディム王だ』『勇者の父親だ』という声がするのにも気づかぬ素振りだ。
 まれに興奮した者が飛び出してきて何事か喚き散らす時があるが、そういう時アディムはにっこり笑って一言二言で相手の気を静まらせてしまうのだった。
 城下町に入る。すでに時刻は夕刻、家々からは夕餉のいい匂いが漂い始めている。仕事場から家路についた者たちは、アディムを見かけると笑って、あるいは厳粛な顔で頭を下げて挨拶してきた。
 それに挨拶を返していると、ふいに、澄んだ声が聞こえる。
「お父さーん!」
「お父さん!」
 とたんに――
 アディムはでれっと思いきり相好を崩した。それは一瞬ですぐに顔を引き締めたが、眉や口元は気を抜けばすぐさまだらしなく笑み崩れそうにふるふる震えている。
「どうしたんだい、セデル、ルビア?」
 そう、その声の主はセデルとルビアだった。城下町の人々から親しげに声をかけられながら、こちらに向かって元気よく走ってくる。
 アディムの目の前に立ってもほとんど息も切らせずに、二人は輝くような笑みを見せた。
「そろそろお父さんが帰ってくる頃だって思って」
「わたしたちみんなで一緒にお父さんを迎えに来たの」
「そうか、ありがとう。お前たちと四時間ぶりに会えて、僕もすごく嬉しいよ」
 本当に嬉しそうに頬がぴくぴく震えている。手も今にも二人に抱きつかんとしているかのように震えまくりだ。だが、双子はそんなことに微塵も気づかず口々に言った。
「お父さん明日も王様のお仕事なんでしょ?」
「お父さんすごく忙しくて大変なんだもん、ボクたち今日お風呂上がったらマッサージしてあげるね!」
「わたしたち今日授業が終わったあと按摩さんのところに習いに行ったの。お父さんたちの疲れを取ってあげたいから」
「大変だったけど、お上手ですって按摩さんに言ってもらえたよ!」
 えっへん! と胸を張るセデル、その横で恥じらいながら微笑むルビア――その二人を見てアディムは屈託なく笑い――唐突に二人を抱きしめて絶叫した。
「セデル、ルビア―――っ!! お前たちはなんていい子なんだ、こんなにいい子がこの世にいていいのかってくらいいい子だ―――っ! お父さんは今猛烈に感動しているよ、お前たちが世界の誰より好きだ―――っ!!」
「やめんかーっ!」
 ばしぃ! と後頭部を叩かれてアディムは我に返った。振り返るとそこにはビアンカがため息をつきつつ立っていたのだ。
「あれ、ビアンカ。いつの間に?」
「あのね。セデルとルビアと一緒に歩いてきたでしょ? あなたには子供たち以外目に入らないの?」
「い、いやそういうわけじゃないけど……」
「それよりも! いつもいつも言ってるでしょ、街中で唐突に子供たちを抱きしめたり叫んだりしないでって。あなたはっきり言ってものすごく怪しいわよ。セデルもルビアも恥ずかしがってるじゃない」
 言われては、とアディムは二人の顔を見た。セデルは少し苦しそうに顔をしかめ、ルビアは恥ずかしげに顔を赤くしている。アディムはうつむいて心底すまなそうな顔をした。
「ごめんね、セデル、ルビア。苦しい思いをさせてしまったね……いつもお父さんが考えなしなせいで、嫌な思いをさせて本当にすまない……」
 しゅーんとしてしまうアディムに、セデルとルビアは慌てた。
「そんなことないよ! ちょっと苦しかったけど、お父さんにぎゅってしてもらえて嬉しかったもん!」
「お父さんは考えなしじゃないわ。わたしたちが苦しい時に、ほしい言葉ちゃんとくれるもの」
 二人に真剣な顔で慰められ、アディムは微笑んだ。
「ありがとう。二人とも本当に優しいね」
 そう言ってそっと頭を撫でる。双子は嬉しそうな顔でそれを受けた。
 ビアンカはその様子を見ながら、やれやれと息をついていた。
 旅をしていた時からその兆候は(あからさまに)あったが、世界が平和になって城に帰ってきてからというもの、アディムの子供たちに対する愛情表現の過剰っぷりはとどまるところを知らない。家族の居室だけならまだしも、王宮のど真ん中でも城下町でもどこでもその愛情表現を炸裂させる。
 旅をしていた時はビアンカも気分が盛り上がっていたから不自然に感じなかっただけで旅の途中でも似たようなことはやっていたのだが、アディムの愛情表現が常軌を逸して激しいのは確かだ。ビアンカの目から見ると今のアディムの行動は父親の威厳も王の威厳も粉々に砕いているような気がしてしょうがない。セデルとルビアがそれを受け容れてしまっているからさらにアディムは暴走すると思うのだが、セデルとルビアにアディムを叱れというわけにもいかず、ビアンカはほとほと困り果てている。
 今日も帳簿とにらめっこして疲れてるのになんでこんな気苦労をしょいこまにゃならんのかしら、とその聡明さとやりくりの上手さを買われて宮廷内の庶務を取り仕切る立場になったビアンカは嘆息するのだった。
 ビアンカの思いなど知る由もない三人は、楽しげに今日なにがあったかを報告しあっている。
「今日はね、歴史の先生が面白い話をしてくれたんだ! 笑いを求めた王様の話!」
「それからね、町に新しく来た子と遊んだの。石蹴りをしたのよ」
「そうか。お父さんはイルデブランドっていう村に行ってね、いろんな人と話をしたんだけど、その中で農作物の研究をしてる人に会ってね……」
「はいはい、話をするなら王宮に帰ってからにしましょ。もうすぐ晩ご飯もできるでしょうし」
「そうだね! じゃあ、手繋いで帰ろ!」
「今日はお父さんと手を繋ぐのがセデルで、お母さんとがわたしね」
 一家は横一列に並んで手を繋ぎ、歩き出した。町の人々からかけられる声に、笑って返事を返しながら。
 アディムはふと、セデルの頭の高さを繋いでいない方の手で測った。
「………? どうしたの、お父さん?」
「……いや、セデルもルビアも最近どんどん背が伸びてきたなと思ってね。これからもきっとすくすく成長していくんだろうな」
「ホント? えへへ、嬉しいなぁ。そうだ、ボク二日前計ったら一ヶ月前より0.5p増えてたんだよ!」
「わたしも、ちょっとだけ伸びてたの」
「そうか……二人ともどんどん大きくなっていくんだなぁ。やがては大人になって……独立して、結婚して…………――――セデル、ルビア―――っ! 愛してる―――っ!」
「わ!?」
「だから唐突に暴走するのやめなさいったら!」
 騒ぎながらも楽しげに、世界を救った一家は自分たちの家へと帰っていった。威厳も迫力もないけれど、街中の人間に幸せそうだなぁ、と見守られながら。

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