親友の息子の恋の相手
『アディムへ。

 よっす。元気か? お前のことだから元気にやってると思うけどな。
 今日わざわざキメラ便で手紙を書いたのは、お前を三週間後のウチの宮廷でやる舞踏会に招待しようと思ったからなんだ。
 世界を救ったあとラインハットに寄った時は俺たちとデールに挨拶したくらいですぐ帰っちまっただろ? それをウチの宮廷雀ども(しぶとく既得権を主張する貴族どもな)が騒々しく騒ぎ立ててさ、ラインハットとグランバニアの関係を強化するためにも世界を救った感謝の意を表すためにも、勇者一行を招いて宴を催すべきだとかうるさくてよ。
 ま、あいつらの腹積もりは伝説の勇者にしてグランバニア王家の方々とお近づきになって自分の権力を強化するか、うまくすればグランバニア王家と縁戚関係になろうってところだろうからそんなもん無視するつもりだったんだけど。ちょっとおかしなことになっちまったんだよな。
 実は、最近、コリンズの様子がおかしいんだ。暴れっぷりにも冴えがないし、食欲も普段より落ちてる。考え深げに空を見上げたりしてため息をつくことが多くなった。
 それを見てると、どーも恋わずらいしてるんじゃないかって思えてしょうがないんだよな。
 城内の娘というわけでもなさそうだし。城下町に出かけるのは前より減ってるから城下町の娘でもなし。
 となるとあとはお前のとこのルビアちゃんしか思いつかないんだ。あいつがルビアちゃんを気に入ったのは明らかだったし、様子が変になったのはお前らが世界を救って俺たちのところに挨拶に来た頃からだったし。
 だとすると、あいつの恋は前途多難なんだよな。ラインハットとグランバニアは船でも三週間近い時間がかかるし、キメラの翼だってグランバニアに行ける翼をあいつがそうそう手に入れられるとは思えないし。
 で、ついついおせっかいとは知りながら世話を焼くことにしたわけだ。親バカと笑ってくれ。
 伝説の勇者を招く舞踏会っていう場だったらお前らが来ても全然不自然じゃないし、勇者が子供な以上子供が舞踏会に出席するのも認めることになるだろうし。話でもさせてやって、きっぱり振られるなり友達から始めるなりさせてやろうと思ってさ。
 もちろんこれは俺の勝手な都合だ。そっちの方で都合が悪いっていうんなら遠慮せず断ってくれ。
 うちのクソガキに娘を近づけさせたくないっていう父親心理が働いたとしても、お前の親バカっぷりじゃあしょうがないだろうって諦めてるしな、わっはっは。
 ま、冗談は抜きにしても、本当に無理して来てもらう必要はないんだ。舞踏会では宮廷雀どもがお前らに群がるのはほぼ確実だから、楽しい時間を過ごせるかというとあんまり自信ないしな。できるだけ防ぐつもりではいるけど。
 うちのクソガキを哀れに思って、子供たちも来てもいいって思ってくれるなら来てほしい。
 来るって言うんだったら返事をよこしてくれ。正式な招待状を送ってよこす。
 お互い仕事上でも父親としても気苦労の多い身の上だが、子供たちはしっかり守ってやろうな。
 追伸。あんまりビアンカさんに苦労かけるなよ。実家に帰られても知らねえぞ。なんてな。

                                             ヘンリー。』

 ラインハット王国宰相ヘンリーからの個人的なキメラ便(キメラの翼を使った速達の手紙)を受け取って、アディムは考えこんだ。
「………ふむ」

「……ということなんだけど、みんなはどうする?」
 家族揃って、王家の食堂で晩餐を取る時間。アディムは招待状の話を家族に話した。
 むろん、コリンズがどうこういうことは一切言わず、ただヘンリーから招待されたとだけ口にして。
 今日も家庭教師の先生たちから授業を受けたあと(学校の設立を急いではいるが、やはり二ヶ月やそこらでは人材設備共に揃わない)、街で最近やってきた子供たちとたっぷり遊んできた双子は顔を見合わせた。
「……舞踏会って、どんなことするの?」
「そうだね、僕もよく知らないけど。聞いた話ではご馳走を食べたり、出席者とお喋りしたりダンスしたりするみたいだね」
「うーん。ごちそうは食べたいけど、知らない人とダンスとかするのはやだなぁ……」
「二ヶ月前の、世界を救ったあとの宴ではセデルもルビアと一緒に踊ってたじゃないか」
「あれは特別だよ。お父さんたちが楽しそうに踊ってたから、ボクもやってみたくなっちゃっただけで。見よう見まねでやってただけで、ちゃんとした踊り方なんてわかんないもん」
「でも、様になってたよ。お前たちくらいの年であれだけ踊れれば大したものだ。僕たちだって踊り方なんてちょっと習っただけにすぎないんだから、同じ調子でやればいいんだよ」
「うーん……そう、なのかな?」
 首を傾げて考えこむセデルをよそに、ルビアはきゅっと唇を引き結んでうつむいていた。
「どうしたんだい、ルビア?」
 アディムが優しく聞くと、ルビアはそっと顔を上げると、小声で言う。
「……わたし、行かなきゃダメ?」
「そんなことはないよ。……行きたくないのかい?」
「…………」
 無言でこくんとうなずくルビア。アディムはテーブル越しにルビアの瞳をのぞきこむようにして言った。
「コリンズくんがいるからかい?」
「うん」
 素直にうなずくルビアに、アディムは内心苦笑した。ヘンリー、コリンズくんの恋はますますもって前途多難みたいだよ。
「だってあの子意地悪なんだもの。わたしたちを子分にしようとするし、騙したりするし、見つかってもプレゼントでごまかすし」
「そうだねぇ……」
 アディムは今度ははっきりと苦笑した。ヘンリーと子供の頃からつきあっているアディムの目から見れば、コリンズの行動はコリンズなりにルビアたちに好意を感じ、なにか旅の手助けをしたくて、でも素直に親切にはできずもってまわったやり方でプレゼントをしたのだ、と理解できるのだが、さすがにそこまでの理解力をこの子たちに求めるのは酷というものだろう。
「あの子とダンスとかしなきゃいけないなら、わたしグランバニアでお留守番してます」
 きっぱりというルビアに、アディムはちょっと考えこんだ。そしてすっと立ち上がりルビアに歩み寄り、腰を落として視線を合わせる。
「ルビア。ルビアはどんなものが嫌いだい?」
「え?」
 ルビアは戸惑ったようだったが、父親の質問ゆえかおずおずとしながらもはっきり答えた。
「にんじんと、ピーマンと、たまねぎと、お魚と……虫と、動物さんや草木や魔物さんたちをいじめる人、意地悪な人、高いところ、暗いところ、暑いところ、怖いもの、あと、えっと……」
「無理に思いつこうとしなくていいよ。すぐ出てくるのはそれくらい?」
「………うん」
「その中でも、ルビアは嫌いでも他の人は好き、っていうものがあることはわかるよね?」
「…………うん………」
 アディムはルビアの目を見つめながら、優しく言葉を続ける。
「ルビア。お前はとてもいい子だよ、優しくて、聡明で。だけど、ルビアにはちょっと頑固なところがあるな。一度嫌いになったものは絶対にずっと嫌い続けて、視界に入れようとせず遠ざかるようなところ」
「………………」
「もちろん嫌いなものを無理に好きになる必要はないよ。嫌いなら嫌いでいいんだ。だけど、あんまりかたくなになるのはいいことではないと僕は思う。嫌いだって決めこんでしまって好きになる機会をふいにしてしまうのは、哀しいことじゃないかい? 嫌うより好きなものが多い方が、生きていくのが楽しいだろう。嫌いなものにたまに好きになれるチャンスを与えてあげるっていうのも、悪くないと思うよ。……もちろん嫌なら無理をすることはないけどね」
「…………」
 ルビアは顔を赤くしてうつむいた。そして、小さな声で言う。
「……わたし……行きます……」
「……そうか」
 アディムは微笑むと、ルビアの頭を優しく、けれど力強く撫でた。ルビアは少し泣きそうに顔を歪めながら、じっとアディムを眺める。その視線には許されたことに対する感謝が込められているな、とアディムは思った。
 怒られたように感じてしまっただろうか。そう思うとぎゅぎゅぎゅーんとこみ上げるものがあり、アディムは唐突にルビアを思いきり抱きしめていた。
「ごめんよーっ、ルビアーっ! お父さんはお前を怒ったりしてないからねっ、お前はセデルと同じで世界一いい子だよーっ! お前が本当に嫌なことなんか絶対させないからねーっ!」
「だから暴走するのはやめなさいっていつも言ってるでしょ!」
 がつん。ビアンカに後頭部を思いきり殴られて、アディムは呻きつつ手を離した。アディムの腕から解放されたルビアが、ふうと息をつく。
「……ビアンカはどうする?」
「あなたは行くんでしょ? だったら私も行くわよ。夫を一人で行かせるわけにはいかないもの」

 そういうわけで、グランバニア王家の面々はその日から三週間後にラインハット王宮の舞踏会に出席することが決まった。
 返事を返すとすぐに公式文書としての形式を整えた正式な招待状が送られてきた。国家元首を招待するのだ、どうしてもそれなりの威儀というものが必要になるのだろう。
 こちらも形式を整えた返事を返し、王宮の予定表にもラインハットの舞踏会出席という予定が書き込まれた。
 それから当日まで、アディムたちはみんなで教師についてダンスの授業を受けた。礼儀作法はグランバニア流でやらせてもらうにしても、ダンスはある程度の技術がないと相手に迷惑をかけることになる。
 幸い揃って超人的な運動能力を持つアディム一家は、みるみるうちに要領を飲み込んで、巧みなステップを刻めるようになった。
 そして――その日がやってきた。

 アディムたちは家族四人だけでラインハットの地に降り立ち(ルーラで)、真っ直ぐ王宮に向かった。ラインハットの城下町は住宅街、それに随伴する商業地区、離れたところにある工業地区と様々な建築物が並んでいてそれなりに見応えがあるのだが、今日は街を歩いている暇はない。
 すでに時刻は夕刻に近くなっていた。舞踏会は七時からなので、それほど余裕があるというわけではない。
 城門まで来ると、衛兵が槍を突き出してこちらを誰何しかけ――はっと気がついて姿勢を正した。
「ようこそ、ラインハットに! 歓迎いたします、グランバニアのアディム王、そして伝説の勇者様!」
「ありがとう」
 セデルだけを特別扱いする言い方はやめてほしいんだけどな、ルビアが傷つくし、などと思いながらもアディムは小さく笑って城門を抜ける。衛兵が思わずといったようにこちらを見送っているのが感じられたし、衛兵の声を聞いたか自分で気づいたか、方々から視線が飛んでくるのにも気づいていた。
 たぶん好奇心なんだろうな、と家族を連れてラインハット王宮王族の私室に向かいながらアディムは思う。一国の元首とは思えないほど質素な格好ではあるが(なにせ日課の視察から戻ってきてすぐ出発してしまったためいつもの旅装束なのだ。ビアンカや子供たちも似たり寄ったり)それは今更だろう。二年前から何度かこの城を訪れているが、自分たちはいつもこんな格好だったし。
 世界を救った勇者を一目見たいと思っている人間はラインハットに限らず数多い。グランバニアでは勇者という名より王子である歴史の方が大きいためさほどでもないが、それでも新しく街にやってきた者たちの間では勇者としてあがめられときおり突然平伏されたりすることもある。
 セデル自身はそのように扱われることはやはりあまり嬉しくはないらしい。ボクだけが頑張ったんじゃないのに特別扱いされるのは嫌だ、と言っていた。
 ともあれ歩く途中で誰かに声をかけられることも平伏されることもなく、アディムたちはヘンリーたちの居住するラインハット王室の居住区の中心、居間にたどりついた。ここから各自の部屋へ扉で繋がっているのだ。
「おう、来たな!」
 扉を守る衛兵に取次ぎを願って中に入ると、即座にヘンリーの声が飛んできた。どうやら待ち構えていたらしく、長椅子から即座に立ち上がってこちらに歩いてくる。
「久しぶり、ヘンリー」
 そう言ってアディムが笑うと、ヘンリーも小さく笑った。
「ま、ほとんど三ヶ月ぶりだから久しぶりって言ってもおかしくはないわな。元気そうでなによりだ」
「ヘンリーさん、こんにちは!」
「こんにちは」
「こんにちは。よく来てくれたね、二人とも」
 きちんと挨拶する二人にヘンリーは笑顔を返す。そしてちろりと長椅子の後ろに目をやって、いくぶん意地悪そうな口調で言う。
「ほれ、お前のお客さんが来てくれたぞ。客をもてなす側が挨拶しないでどうするんだ」
「…………」
「コーリーンーズ?」
 脅すような口調に恐れをなしたわけでもないだろうが、ヘンリーの言葉に従い長椅子の向こう側にひょこんとコリンズの緑色の頭が現れた。そしてのろのろと自分たちの前にやってきて、胸を張り鼻を鳴らして言う。
「ふん、よく来たな。まあ歓迎してやってもいいぞ。お前たちを招待してやったのは俺だからな」
 その偉そうな口ぶりに、ルビアはむっと顔をしかめて黙りこみセデルも小さく唇を尖らせる。アディムは思わず苦笑した。体がわずかに震え、鼻の頭に汗をかいている。コリンズがこれでも緊張しながら必死に歓迎の言葉を述べているのはアディムにはわかるが、こうも言葉をひねくれさせられてはセデルやルビアには通じるまい。
 むろんそれを理解しているのだろうヘンリーは、アディムと一瞬目を見交わして同じく苦笑し、コリンズの頭に拳をくっつけてぐりぐりと押し回す。
「いてっ! なにするんだよ父上!」
「お客さんに対してその口の利き方はなんだ? 第一一応二人を招待した名義人はお前になってるけど、実際に招待状やらなにやらを準備したのは俺だろうが」
「う、うるさいなぁ! 父上は黙ってろよ!」
「偉そうなこと言うな、ガキのくせに」
「いて、いて、痛い痛い痛い!」
 悪童父子の演じる寸劇に全員の唇がほころびかけた時、奥の部屋からマリアが出てきた。
「まあ、いらっしゃいアディムさん、ビアンカさん、セデルくん、ルビアちゃん。ご挨拶が遅れてしまってごめんなさい、今みなさんの服を用意していたものだから」
 優しい笑顔でそう言われ、アディムたちもそれぞれに挨拶を返す。それが済むとアディムはさっそくマリアに訊ねた。
「衣装は注文通りにできていますか」
「ええ。きっとよくみなさんにお似合いになられると思いますわ」
 うふっと嬉しげに笑うマリアに、アディムの頬もほころんだ。セデルとルビアがくいくいとアディムの袖を引っ張る。
「お父さん……衣装ってなに?」
「言っただろう? 舞踏会の時着る衣装だよ。グランバニアから持っていくと荷物になるし、汚れるからね。ラインハットで仕立ててもらってたんだ。僕とグランバニアの仕立師が相談して型紙と造形を考えたんだよ」
「えー? この格好じゃダメなの?」
「郷に入っては郷に従えって言うだろう? 状況に合わせて服は着替えないとね」
 にっこり笑うアディムに、セデルはぴんとこない顔をしていたが、ルビアはわずかに頬を紅潮させてこくりとうなずいた。やはり女としての性か、特別な時間のために用意された服を着るというのは心躍ることのようである。
 微笑むアディムに、ビアンカが笑みを含んだ声をかける。
「あなたの図案なの? どんな服が出てくるか不安ね」
「グランバニアの仕立師も素晴らしい服になるって太鼓判を押してくれたから、おかしなものではないはずだよ」
「ふうん……ねえ、その服ってドレスよね?」
「もちろん」
「うわあ、ドレスって名のつく服を着るなんて結婚式以来だわ。グランバニアの王宮じゃそんな服を着る機会ないものね」
「でしたら早めに着付けを済ませた方がいいかもしれませんわね。ちょうど準備ができたところですわ、こちらにいらしてくださいな」
 マリアの言葉に従って、興奮のためかやや頬を赤く染めながらビアンカとルビアは奥の部屋へ引っ込んだ。着付けを手伝っているのだろう、女官たちの笑いさざめく声がこちらまで響いてくる。
「さて、ご婦人方が着付けをしてる間に俺たちも着替えるか。どうせ長く待たされるんだ、今のうちにできるだけやること済ませちまおうぜ」
「そうだね。まあ、大して時間はかからないと思うけど」
 ヘンリーの言葉に従いアディムたちは男性用の衣裳部屋に入った。ヘンリーとコリンズの従僕が衣装を持ってきてくれる。ドレスと違ってほとんど一人で着られる衣装だが、服を着替えさせるのに慣れた従僕たちの手は巧みだった。あっという間に四人の男性陣は舞踏会の衣装に身を包み終える。
「セデル……すごく似合うよ」
「えへへ、ホント?」
 セデルは衣装をつけた自分の姿を鏡に映して一回転してみせた。セデルの衣装は青――高い山から見た空のような紺碧色を基調にした服だった。ラインハットの貴族の子弟が着るようなダブレットとは異なり、体にぴったりした動きやすそうな、軍服にも似た長袖長ズボン。だがともすれば地味すぎるともとらえられそうなデザインは、目の覚めるような蒼色の生地にアクセントとしてつけられた見事な白の刺繍、それにアディムが用意していた胸元のブローチ――グランバニアの名細工師に頼んで作ってもらった、ダイヤモンドに黄金の羽に似た細工を飾った装飾品のおかげでぱっと人目をひきつけるものになっている。
 それにセデルにはこういうシンプルな服の方がよく似合う。その周りの人間も元気にするようなイキイキした表情がなによりも魅力的なセデルには、よけいな飾りは邪魔なのだ。アディムは息子の凛々しくも瑞々しい貴公子姿を惚れ惚れと眺めた。
「うん、思った通りだ。セデルには青の地にダイヤモンドがよく映えると思ったんだ。すごくきれいだよ、セデル」
「きれいって、女の人に言う言葉じゃない? ボク男だよ?」
「男でもきれいなものはきれいだと思うけど。じゃあかっこいいって言い方を変えようか?」
「……そう? えへへ」
「おいおい、自分の息子の容姿を褒めちぎる父親ってのは見てて不気味だぞ。惚れ惚れとするのは娘か妻だけにしとけ」
 軽くアディムの後頭部を小突いたヘンリーは、典型的なラインハットの貴族スタイル舞踏会版だった。真紅のくるぶしまで届く長いマントに黄緑色のふくらみ袖つきダブレット。前を留める飾り紐の金色が目に鮮やかだ。さすが十年以上ラインハットの宰相を務めているだけあって、堂に入った貴公子、伊達男っぷりである。
 アディムはといえば、同じくくるぶしまで届きそうな濃紫のマントに白の上着。暗緑色のズボンという格好だ。自分の服はどうも思いつかずヘンリーに適当に仕立ててくれと頼んでおいたのだが、やはりこの親友のセンスは侮れない。縫いつけてある刺繍や飾り紐も含めて、自分には似合っているような気がした。
「俺もこういうのがよかったなぁ」
 コリンズがセデルの衣装をつつきながら言った。コリンズは父と同じ真紅のマントに明碧色のふくらみ袖ダブレット、ひらひらつきという格好だった。コリンズ自身には似合っているのだが、やはりいくぶん子供っぽく見えるのは否めない。
「俺の衣装ってほとんどみんなひらひらがついてるんだぜ。俺もう十歳なのに」
「へー、こういうひらひら? これってなんのためについてるの?」
「意味なんかねえよ。ラインハットの貴族の子供の服にはみんなついてるんだ」
「ふうん、じゃあ取っちゃえばいいじゃん。動くのに邪魔そうだし」
「お、お前いいこと言うじゃんか。それじゃさっそく……」
「こら、取ったら母上に怒られるぞ?」
「……う」
 固まったコリンズを見てセデルは笑い、コリンズに怒られていた。どうやらセデルはコリンズと仲良くなり始めたようだ。セデルはもともと人懐っこい子だから、よっぽどひねくれた子供じゃなければたいていすぐに仲良くなれる。
 ルビアはそうはいかないだろうな、と内心苦笑した。ルビアは動物や魔物に対しては積極的だが人見知りと人の好き嫌いが激しい。ルビアの心に近づくには細心の注意が必要なのだ。
 少なくとも三十分以上は時間が経ってから、ようやく女性陣の入っていった部屋の扉が開かれた。中からしずしずと人が出てきて――アディムは思わずほう、と息をつく。
 どの女性も美しかった。ビアンカは猩々緋に染められた体にぴったりした胸開きドレス、髪は高く結い上げてヘッドドレスは黒真珠。全体的に暗い色調だがビアンカの勝気な表情のせいかそれらは黒い炎のごとく燃え上がって見え、上品でありながら凄艶とさえ言えそうな雰囲気をかもし出していた。
 マリアは白と金色を基調にしたスカートを釣鐘状に広げた豪奢と清楚が同居したドレス。結い上げた髪にトパーズをつけ、扇を持って微笑む姿は非の打ち所のない貴婦人そのもの。
 ルビアは――妖精のようだった。明碧色から深緑色へグラデーションを描く幻想的なドレス。スカートはローブ風に自然に流れ、風のように自由な動きを感じさせる。
 結い上げるほどの髪はないが、銀の鳥をかたどった髪飾りに透明度の高いルビーを二つ目のようにあしらった細工を髪に挿した姿は気高い女王のようにも、深窓の姫君のようにも見える、とアディムは思った。
 衣装代に装飾品代、その他経費もろもろ合わせると、アディムのポケットマネーからしてもかなりの額に上ったが(こういう自分たちの遊興に使う費用は旅の間に魔物を倒して稼いだポケットマネーから出すと決めている)その価値はある、とアディムは満面の笑みを浮かべた。
「すごく、きれいだよ、ルビア……ビアンカとマリアさんも」
「まるで私たちがついでみたいな言い方ね?」
 からかうように扇を広げるビアンカに、アディムは頭をかいた。
「そういうわけじゃないけど……ルビアとビアンカの美しさは違うから。ルビアは妖精のお姫様みたいにきれいだし、ビアンカは炎の精霊みたいに激しさを感じさせて魅力的だ」
「ふふ、まあいいわ。許してあげる。こんなドレスを送ってもらっちゃったことだし、ね」
 ドレスの裾を軽く一回転させて笑うビアンカ。ルビアはおずおずとアディムに近づいてきた。
「お父さん……わたし、本当にきれい?」
「ああ。妖精よりずっときれいだよ。女神様みたいだ」
「うん! ルビア、そのドレスすごく似合ってるよ! 可愛い!」
 セデルにも元気に保証され、ルビアは恥じらって笑みを浮かべた。うっすら化粧を施したルビアのその微笑みは、いつにも増して可愛らしい。
 ヘンリーがつんつんとコリンズをつついた。
「おい、お前も一応は招待主だろうが。招いたご婦人に賞賛の言葉の一つも言わないでどうする」
「………………」
 コリンズはルビアが部屋に入ってきた時からずっと真っ赤になって硬直してルビアを見つめていたが、父親にそう言われてふいに硬直が解けたように声を上げた。
「お、おい!」
「…………」
 ルビアは警戒してすっと身構えた。コリンズはそれにも気づかず、口をパクパクさせて、おもむろに叫ぶ。
「そ、そのドレス……足が太く見えるな!」
「………!」
 ルビアは顔をパッと赤く染めてコリンズを睨んだ。コリンズもさっと顔を朱に染める。
 照れくさくて口が勝手に動いてしまったんだと思う――が、今の一言はルビアを傷つけた。
 これはちょっと許せん。すっとポケットの道具袋からドラゴンの杖を取り出そうとして、アディムはビアンカに思いきり殴られた。

「みなさんに紹介します。この四人の方々が、我がラインハットの盟友グランバニアの王家にして世界を救った英雄、アディローム一世、ビアンカ王妃、セデルリーヴ王子、ルビアレーナ王女です」
 国王デール一世の声に、列席者の間からわっと拍手が起こった。大広間中の視線を浴び、アディムは緩く微笑んで一礼し、ビアンカもにっこり笑ってそれに習う。セデルは「よろしく!」と元気に叫んでぴょこんと頭を下げ、ルビアは顔を赤くしつつラインハット流に少し膝を曲げた優雅な挨拶を送った。
「ご存知の方も多いと思いますが、アディローム一世はかつて我が兄、ヘンリーと共にこの国を支配しようとした光の教団の怪物を倒し、この国を救ってくれました。そして三ヶ月前、同様にして世界を救ってくれたのです――伝説の勇者、セデルリーヴ王子の父親として」
 再びわっと湧き起こる拍手。アディムは微笑んだだけでそれを受け流した。
「伝説の勇者であるセデルリーヴ王子はもちろんのこと、ビアンカ王妃も、ルビアレーナ王女も世界のために全力を尽くし魔王と戦ってくれました。世界の一員として、国を治める者として、彼らに尽きせぬ感謝の念をこめ、そのせめてもの証として今日この日宴を設けました。この四人の英雄を祝って、みな大いに歌い踊りましょう!」
 ひときわ大きな拍手が起こる。それは宴の始まりの合図でもあった。
 まずラインハット随一の大貴族にして大公であるヘンリー、マリア夫妻がダンスのリードを務める。流れ出した音楽に合わせて、滑るように大広間の中央に躍り出た。
 ラインハットでは最初のダンスは最も身分の高いカップルによるクーラントと決まっている。ヘンリーは優雅な笑顔を浮かべつつマリアを支え、激しくはないがおそろしく複雑なそのステップを見事に踊りきった。
 ついで貴族たちが競って進み出て、細かく優雅なステップのメヌエットを踊る。ラインハットでは舞踏は貴族のたしなみであると同時に、センスや技術を競う戦いの道具でもあった。ヘンリーによりその権力の大半を奪われた今になっても、その伝統にしがみつく貴族は多いようだ。
 そんな踊りの様子を見ながらアディムたち一家はテーブルに集まって食事をしていた。グランバニア王家は今日の主賓、席はデール国王と並ぶ上座だ。デール国王は体調を理由に挨拶をしたあと引っ込んでしまったが、テーブルにはラインハット流の料理技術を尽くした食事が並べられている。
 今でこそ工業商業にも力を入れているが、もともとラインハットは肥沃な農地を持つ第一次産業、特に牧畜が盛んな国だった。バターやクリーム、複雑玄妙な味のソースと豊かな素材が組み合わさった料理はもはや芸術と呼ばれるほどで、セデルは目を輝かせてあちこちの皿を飛び回っていた。
「お父さん、お母さん、これおいしいよ!」
「どれどれ……うん、これはいける。中に入ってるソースがいい味出してるね」
「凝ってるわねぇ。私お菓子じゃないムースなんて食べるの初めて。ルビアもちゃんと食べてる?」
「うん。このアスパラガスと海老のお料理好き」
「グランバニアではアスパラガスはあんまり手に入らないからね。せっかくだからたくさん味わっておくといいよ」
 だが当然ながらそういつまでも家族でほのぼのとしてはいられなかった。最初は牽制しあって遠巻きにしていたが、ふいにある貴族の一家が滑るようにこちらに近づいてくる。
「アディローム王にはご機嫌麗しゅう。わたくしはクレメイル伯ヴォーデン・エオネア・セルヴェイユと申します。これは我が妻ファルナ・センディ・エルシオーネ、並びに息子のウルリオ・ヒールシャ・テオロニール」
 背筋は反り返るくらいぴんと伸びているが、どこか目つきに卑しさを感じさせる男が言った。その横には似たような顔をした女性と少年が笑みを浮かべつつ立っている。
 アディムは笑みを消して、一礼した。ビアンカ、ルビアもそれに習う。一人セデルだけが「こんにちは!」と元気に挨拶した。
「世界の英雄であらせられるグランバニア王家の方々のご高顔を拝謁させていただき、光栄至極に存じます。当家は六代前に王家から姫を降嫁された家系でして。グランバニアの方々とも縁がないとは申せません、このよき日をご縁により親交を深められたらと――」
「おやおやクレメイル伯、無理なことをおっしゃる。六代も前のご縁を持ち出すとは。アディローム王、ご健勝そうでなによりでございます。当家では先代がグランバニアとの折衝にあたったことがあるのですよ……」
 それから先は、もう嵐のようだった。
 なに伯だなに爵だどこどこ家の誰々だ、あとからあとから入れ代わり立ち代わり貴族が次々やってくる。もはや名前を覚える暇もない。アディムは最初からほとんど聞き流すつもりで応対していたが、生真面目に名前を覚えようとしているビアンカやセデルは目を白黒させていた。
 無視してもいいよと耳打ちしようかな、とアディムが思った時、笑い声が聞こえた。
「グランバニアからのお客人にラインハットの恥を見せつけるつもりか?」
「ヘンリー……」
 周りの貴族は明らかに一歩下がった。ヘンリーはただ薄い微笑みを浮かべているだけなのだが、この辣腕宰相はラインハットの貴族たちの間では相当に恐れられているらしい。
「お近づきになろうと考えるのなら相手の都合を考えることだ。王子と王女はまだお若くていらっしゃるのだ、そういちどきに詰め掛けては困られるだろう。控えられよ」
 貴族たちは気まずそうな顔を見合わせると、すごすごと退散していった。アディムはかなりほっとして、ヘンリーに笑いかける。
「助かったよ。ありがとう」
「悪かったな、助けに来るのが遅れちまって。ここぞとばかりに請願やらなにやらしに来る貴族どもが多くてさ。お前の国は貴族ってのがいないから戸惑ったんじゃないか?」
「少しね。うちの国は宮廷儀礼っていうのには縁がないから」
「そこらへんは羨ましいな。やかましい宮廷雀どもがいないっていうのは」
「確かに楽をさせてもらってるよ。僕が王をやっていけるのはグランバニアがそういう国だからっていうのが大きいし」
 と、ヘンリーはマリアたちと一緒に嬉しげに食事を再開したセデルやルビアたちを見やってから、少し離れて、ちょいちょいとこちらを手招きした。アディムがそれに従ってすぐそばに立つと、耳打ちするようにして囁く。
「悪かったな、うちのガキのためにわざわざ来てもらっちまって。お前らに嫌な思いをさせたくはなかったんだが」
「別に、僕が来ることを決めたのはコリンズ君のためじゃないよ」
 ヘンリーはきょとんとした顔になった。
「そうなのか? 俺はてっきり……確かにお前の普段の親バカぶりからするとコリンズとルビアちゃんをくっつけようとか考えるのは妙だなーと思ってたけど」
「あのね……将来ルビアがどんな人と結婚するかそれともしないかはルビアが決めることだよ。寂しくはあるけど、僕が口を挟むことじゃない。それに、まだまだ先の話だしね」
「じゃあなんでわざわざ?」
 アディムはくすっと笑った。
「そんなの決まってるじゃないか。久しぶりに君に会いたかったからだよ」
 正直にそう言って静かに微笑むと、ヘンリーはものすごく妙な顔をした。靴下の上から足の裏をくすぐられているような顔だ。
「お前な……そういうこと口に出すか、普通? ったく、この天然女殺しが」
「なんだよ、それ」
「俺と一緒に旅してた時からそうだったろうが。その面でさらっと口説くような台詞言ってメロメロにした女が何人いたと思ってる。それで本人は全然口説いてる意識がないんだから処置なしだよな」
「それはヘンリーだろ。女の人を前にすると別に口説いてるわけじゃないのにすらすらと褒め言葉が出てきて。年齢問わずで女の人たちをうっとりさせてたじゃないか」
「ばっか、あれは……」
「まあ本命のマリアさんにはてんで駄目だったけど」
「……こいつ!」
「あはははっ」
 ヘンリーにじゃれつくように頭を挟まれ、アディムは楽しげな笑い声を上げた。

 それを見つつ、双子がこっそり小声でビアンカに言った。
「お母さん……」
「なんだかお父さんすごく楽しそう」
「ん? そうね」
 マリアとのお喋りを中断してビアンカが笑う。
「ボクたちと喋ってる時は、あんな風に笑い声あげたりしないよね。なんでだろ?」
「そうねぇ。あなたたちにもお友達がいるでしょ? お友達と私たち家族と、どっちも好きで大切だけど、話すことも一緒にやることも違うでしょ? そういうことよ」
「そうなんだぁ……」
 セデルとルビアはわかったようなわからないような顔でうなずいた。

「殿下! そろそろ主賓のアディローム王にもダンスを見せていただけませんか!」
 宴が始まって小半刻が過ぎた頃、貴族の一人がそう声を上げた。それに追随するようにあちこちから同様の声が上がる。
 ヘンリーは眉を上げると、アディムを見た。気遣うような気持ちと、面白がるような気持ちが等分に入り混じった視線だ。
「どうする、アディム?」
 アディムはにっと笑った。よその宮廷でそう目立つのも気が引けて自分から踊り出すことはしなかったが、せっかくダンスを勉強したんだから少しくらいは踊ってみたいと思っていたのだ。
「喜んで。ビアンカ、踊ってくれるかい?」
 ビアンカも勝気ににやりと笑う。
「お望みのままに」
 アディムはすっとビアンカの手を取ると、ビアンカをエスコートしつつ大広間の中央へと向かった。ヘンリーがすかさず声をかける。
「音楽は?」
「テルパドールの楽曲で……『唄う影と光』」
 その言葉に楽師たちが一瞬ざわめいた。テルパドールの文化はラインハットにはほとんど入ってこない。香辛料などのテルパドールの特産もほとんどサラボナ経由だ。
 だが王宮楽師の意地にかけて、知らないとは言えない。譜面帳をひっくり返して、数分で全員が譜面を手に入れた。
 ビアンカが眉を面白そうに上げる。
「あれを踊るのね?」
「うん。せっかくだから目立ちたいだろう?」
「そうね。私もラインハットの人たちに特訓の成果を見せてやりたいし」
 音楽がいったん止み、踊っていた貴族たちが壁際に下がっていく。アディムとビアンカは大広間の中央に向かい合って立った。
 音楽が始まる――さすが王宮楽師、初見の譜面でも見事な演奏だ。四分の二拍子の哀愁に満ちた音楽が流れ始める。
 そのとたん――二人が同時に動いた。ビアンカがくるりと回転してアディムの懐に飛び込み、アディムは右手でビアンカの腰を支えつつ回転する先の手をつかんで引く。
 それはラインハットの王宮では見たこともない舞踏だった。時に体全体を密着させ、時に指先だけを触れ合わせて大きく間合いを空け。パートナーを抱きしめて押し倒すかのように体を傾け、次の瞬間には指先でくるりとパートナーを回転させ。脚が、尻が、指先が、ドレスの裾が、妖しく、かつ急激に動く。情熱的で、激しく、ひどく扇情的な踊りだった。
 しかもその動きがぴったりと調和して乱れがない。時に大きく離れて激しく動くのに、近寄る時は寸分のズレもなくぴたりと呼吸を合わせる。その巧みさに、見守る観衆はうっとりと息を吐いた。
 音楽がクライマックスにさしかかる。動きが鋭角的になり、音が跳ねるごとにぴたりぴたりと指先が止まる。そしてアディムがふわりとビアンカをリフトし――くるりと半回転して着地、さらに回転して指先を伸ばし――音楽が止まると同時にぴたりと完全に動きを止めた。
 わっ、と観衆がどよめいた。見惚れていた貴族たちがいっせいに拍手をする。歓声の中アディムとビアンカは嬉しげな笑みを浮かべて、子供たちとヘンリー一家のところに戻ってきた。
「お父さん、お母さん、すごーい、かっこいいっ!」
 飛びつくセデルの頭を撫でる。
「ありがとう。予想以上にうまくいったな、特訓した甲斐があった」
「すごいな、アディム! 見事だったぞ!」
「あんな踊り見たことありませんでしたわ。素晴らしかったです」
「ありがとう。あれはテルパドールの踊りなんだ。教師がテルパドールから来た踊り子だったから学んだんだけど。テルパドールでは踊りは神の業として、他の国の踊りも含めてすごく研究されてるんだって」
 アディムは久々にやや興奮して嬉しげな笑みを浮かべた。努力の成果がこうも見事に表れて、興奮せずにはいられない。ビアンカも同じなようで、何度もアディムと顔を見合わせて笑みを交し合った。
 それからはアディムもビアンカも、ほとんどひっきりなしに踊りに誘われた。グランバニア王家ということを抜きにしても、二人とも若く美しい。どうにかなる望みはないにしろ、踊ってみたいと思うのは無理のないところだろう。
 メヌエット、ブレ、ジグ、ガヴォット。目まぐるしく変わる音楽に会わせ、優雅に軽々と舞い踊る。
 途中でセデルとルビアも加わった。見ていて自分たちの努力も試してみたくなったのだろう、小さくうなずきあって手を取り合い、大広間に進み出る。周囲が気を遣って空間を空けた。
 だが二人は気を遣う必要もないほど見事にステップを刻んだ。細かい技術は巧みとは言えないが、しっかり叩きこまれた基本の動きに実戦で鍛え上げられた敏捷性も加わって、セデルとルビアは一曲見事に踊りきる。輝くような笑顔で戻ってきた二人に、アディムはすごいねと言って頭を撫でてやった。
 それをきっかけにして若い、というより幼い貴族の子弟がいっせいに二人にダンスを申しこんできた。本来なら成人、十六歳になっていない者は舞踏会に参加することはできない。だがこの舞踏会はまだ十歳の勇者セデルとルビアも重要な賓客、むしろそのために開かれた舞踏会。その二人に合わせてまだ年若い少年少女が何人もいる。彼らにとっては初めての舞踏会、物怖じもするが大人のように振舞ってみたい気持ちも強い。凛々しい王子や可愛らしい王女と踊ってみたいと思う者が多いのは当然だろう。アディムは一人ほくそえみながらその微笑ましい光景を見つめた。
 一方、コリンズは、セデルやルビアに劣らないほどダンスを申しこまれてはいるのだが、その全てをぶっきらぼうに断っていた。一人でただ、じっと、ルビアを見つめていたのだ。
 ルビアが何度か踊ってきて、召使いに飲み物をもらいつつ一休みしている時。コリンズは意を決したように、ルビアにつかつかと近寄った。
「おい」
「…………」
 ルビアはさっと無表情になり、一歩あとずさった。それに一瞬傷ついたような顔をしたものの、コリンズはそれでもふんぞりかえってルビアに言う。
「おい。お前が踊りたいって言うなら、一緒に踊ってやってもいいぞ」
 ルビアは顔をしかめた。
「……わたし、そんなことを言う子と踊ったりしたくありません」
「…………!」
 コリンズは硬直して蒼褪めた。いくらなんでも好かれているとは思っていなかっただろうが、こうも完璧に拒絶されるとは多分思っていなかったのだろう。
 コリンズは二、三歩あとずさると、くるりと背を向けて駆け出した。大広間を抜けて、城の外周の回廊へと向かっていく。
「……ったく、しょうがないな、あいつは」
 ヘンリーは小さく舌打ちしてあとを追おうとした――が、アディムは一歩前に出てそれを止めた。
「僕が行ってくるよ」
「お前が? なんで?」
「僕の娘にも関係あることだからね」
 そう笑うと、アディムは周りの視線が大広間の中央に向かっている隙に、そっと抜け出してコリンズを追った。

 人が落ち込んだ時に行く場所は、高くて人気のない場所と相場が決まっている。アディムは王室居住区の上の尖塔に向かった。
 はたしてコリンズはそこにいた。泣いてはいなかったが、しょんぼりを絵に描いたような顔で座りこみ、ラインハットの城下町を見つめている。
 アディムは微笑んで、コリンズの隣に立った。
「座ってもいいかい?」
 コリンズはこちらを見上げて、驚いた顔になった。まあコリンズとはほとんど話したことがないのだから無理もないだろう。父親の友達、というのは子供にとっては自分の生まれる前のことぐらいピンとこないものだし。
 だが、アディムが微笑みをたたえてじっと待っていると、コリンズはおずおずとうなずいた。
 アディムはコリンズの隣に座り、同じように城下町を見つめた。時刻は多分八時前後、城周辺の住宅街の明かりが夜の闇にぼんやりと映る。
 しばらく黙っていると、コリンズの方からぽそっと言ってきた。
「なんで、俺を追ってきたんだ?」
 アディムは微笑んだ。
「君から聞きたい言葉があったからかな」
「……聞きたい言葉?」
「うん。……君は誰かに謝ったことがあるかい?」
「なんだよ、それ」
「ないの?」
 コリンズは拗ねたように唇を尖らせた。
「ちょっと、ある。父上とか、母上とかに」
「それはしてはいけないことをしたって思ったからだよね?」
「………うん」
「ヘンリーとマリアさん以外の人には謝れない?」
「……そんなこと、ないけど………」
 コリンズはうなだれてしまう。アディムは少し黙って、こう言った。
「ルビアが好きかい?」
 コリンズはばっと立ち上がり、顔を真っ赤にしてこちらを睨んだ。
「おっ、おれは別に! 好きとか、嫌いとか、そんなこと、別に、そんなの……」
「うん。でも、好きでいてくれたら嬉しいよ」
 コリンズはぽかんとした顔をする。
「……なんで?」
「僕の娘だからね。嫌われるより好かれた方がずっと嬉しいよ。ヘンリーの子供には、特にね」
「…………」
「そして、僕の子供たちを好きな人には、きちんと気持ちや思ったことや言わなくちゃいけないことを伝えてほしいって思っているよ」
 コリンズがは、とアディムの顔を見上げた。アディムは静かで、不思議に深い、人の心にすっと入りこんでしまうような微笑みを浮かべながら言う。
「思っていることを伝えるっていうのは難しいよね。自分の考えを言葉にするのはややこしくて面倒くさい。相手に誤解されることだって多いしね。でも、必死になってでも相手に伝えないと、相手は自分のことをわかってくれない。そうじゃないかな」
 コリンズは黙ってじっとアディムの顔を見つめている。アディムは落ち着いた口調で続けた。
「君の感じている気持ちはとても大切なものだよ。それを伝えるべきだと思う人に、自分の口から伝えてほしい。相手にわかる言葉で、ね。そうしないと、君はずっと苦しいままだよ」
「…………」
「うちの子もまだ子供だから、わかってもらうのはけっこう難しいかもしれないけど――でも、真剣な想いをないがしろにしたりはしない子だよ、二人とも」
 そう付け加えると、コリンズは顔を真っ赤にして、いったんうつむき、そしてばっと顔を上げて叫んだ。
「おれ、謝ってくる!」
 そう言って駆け出すコリンズを見送って、アディムはこっそり苦笑した。ちょっとおせっかいが過ぎたかもしれない。
 でも、間違ったことをしたつもりはない。コリンズにルビアと仲良くなってほしいというのは本当だし。
 ただし、ルビアとの交際やらなにやらを認めるかどうかというのは、また別の問題だ。アディムは少しばかり物騒な笑みを浮かべると、コリンズを追った。

 コリンズは息を切らせて大広間に飛びこんだ。大広間ではさっきと同じように音楽が流れ、子供たちも含めた貴族たちが踊っている。
 だがコリンズの目にはそんなもの少しも入らなかった。ただルビアだけを探して視線をさまよわせる。
「………あ!」
 いた。また休憩しているのか、テーブルの側でお菓子を食べながら飲み物を飲んでいる。
 コリンズはごくりと唾を飲みこんだ。心臓が早鐘だ。体中が熱くて足が石になったように痛み、ふわふわする。
 でも。
 コリンズは一歩一歩ルビアに近づき、あと数歩というところまで来て声をかけた。
「ルビア」
 ルビアはこちらを振り向いて、わずかに目を見開いた。コリンズがルビアの名前を呼んだのは、初めてのことだった。
 だがコリンズはそんなこと気づきもせず、真っ赤になって緊張しながら口を動かした。
「ルビア……あの、あのな」
「…………」
 ルビアは警戒してさっと身構える。コリンズは何度か唇を噛んで数分近くためらったが、やがて決死の思いで口を開く。
「さっきは、いやなこと言って悪かった。ごめん、なさい」
「………………」
 ルビアは目を大きく見開く。コリンズはいったん目を閉じて、全精神力を振り絞って続きをいった。
「よかったら……一緒に、踊って、ほしい」
「…………」
 ルビアは少し考えるように首を傾げたが、やがて小さくうなずいた。
「いいわ」
 コリンズは顔中をさらに赤く染めた。心臓が破裂しそうだ。死にそうなくらい胸が苦しい。
 でも、それでも。
 コリンズはルビアの手を取って、大広間の中央に進み出た。曲は基本のメヌエット、コリンズも何度も先生について習った踊りだ。
 ルビアがこちらに向けて優雅に一礼する。コリンズもぎこちなく礼を返して、ルビアと踊り始める――
 が、簡単にはいかなかった。体が固くなって思うように動かない。ステップを何度も間違えて、その度にルビアの足を踏んだ。
「いた!」
「ご、ごめん!」
 何度もそんな声を交わしつつ、必死にルビアをリードする。ダンスはそんなに熱心にやってたわけじゃないけど、上手だって言われてたのに。コリンズは泣きそうになった。
 なんとか一曲踊り終え――コリンズはルビアの顔が見られず、うつむいていたのだが、ルビアの足はラインハットの貴婦人が礼をする時と同じように優雅に曲がり、そして声が聞こえた。
「踊っていただいて、ありがとう」
 コリンズは思わず顔を上げた。緊張もなにもかも忘れて叫ぶ。
「なんでそんなこと言うんだよ!? おれ、全然ちゃんとできてなかったのに!」
「………だって」
 ルビアは小さく首を傾げ、言った。
「あなたは一生懸命踊ってくれたもの」
 そして小さく、恥じらうように、そっと微笑む。
 ――コリンズは、雷に打たれたように、立ち尽くしてしまった。

「――やれやれ。まあ、あいつのことだからこんなところだろうな」
 ヘンリーが小さく笑う。
「あなた。コリンズをあんまりいじめないでくださいね?」
「いじめるもんか。可愛がってやるだけだ。――それに、女の子のことじゃ俺だって人のことは言えないからな。なんにも言わないよ」
「………ふふっ」

「いいの? コリンズくん、あの様子じゃますます……」
「僕が口を出すことじゃないだろう?」
「……普段のあなたからは想像もできない台詞ね」
「僕は子供の人生を支配するような親にはなりたくないんだよ」
「……ねえ、もしあの子が数年後に誰かに手を出されるようなことになったらどうする?」
 アディムは即座に答えた。
「相手の男は死刑確定」
「……やっぱりあなたってそういう親よね……」
「お母さん、手を出したらなんで死刑なの?」
「あなたが成人したら教えてあげる」

 衣装を脱いで普段の服に着替えて。アディムたち一家は、ヘンリー一家と相対していた。
 舞踏会も終わって、ヘンリーたちの部屋でラインハット風の菓子をつまみながらしばらく談笑して。子供たちが眠くなってきたのでそろそろ引き取ることになった。衣装は後日キメラ便で贈ってもらう予定である。
「それじゃあ、ヘンリー。また会いに来るよ」
「おう。お前も元気でやれよ」
「マリアさんも体に気をつけて」
「ありがとうございます。みなさんも」
「コリンズくんもね」
「………うん」
 コリンズは珍しく素直にうなずく。ヘンリーがお? という顔をしたが、口に出してはなにも言わなかった。
 セデルがヘンリーたちに挨拶したあと、進み出てコリンズに言う。
「それじゃあ、またね、コリンズくん」
「ああ。今度来た時は旅の話いっぱい聞かせろよ」
「うん、いいよ!」
 にこっと朗らかに笑うセデル。
 ついで、ルビアが進み出た。
「………それじゃ」
 そっけない台詞だが、コリンズの顔は赤くなった。
「あ……ああ」
 ルビアはうなずいて、アディムのそばに立った。慣れ親しんだルーラの移動態勢である。
 やろうと思えば相当離れたところからでも一緒に移動できるのだが、それでは疲れるし精神衛生上よろしくない。
 アディムは全員揃っているのを確認し、最後にヘンリーに手を振ってから言った。
「ルー……」
「待ったぁっ!」
 飛び出したコリンズに、アディムは驚いて呪文を止めた。コリンズは赤い、ひどく緊張した顔で、声を震わせて言う。
「ル……ルビア」
「……なんですか?」
 訝しげな声を出すルビアに一瞬怯んだ顔をするも、コリンズは必死に言う。
「おれ……おれ、な」
 アディムは思わず息を呑んでコリンズを見つめた。言うのか? まさか言うのか?
「おれ……おれ、おれ……」
 全員沈黙してコリンズを注視する中、コリンズは何度も「おれ……」を繰り返し、やがて意を決したように言った。
「おれと、文通してくれ!」
『………………』

 一瞬後、ヘンリーの馬鹿でかい笑い声が部屋中に響き渡り、コリンズは顔を真っ赤にしつつヘンリーにつかみかかったりしたのだが……ルビアは、その願いに、首を傾げながらもうなずいたのだった。

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