五日目〜南・東方戦〜
「……ふぅ」
 青学でいつもやっているサーブ練習を終えて隼人は息をついた。周囲には人はいない。なにせ現在は朝六時だ。ストレッチにランニングをきっちり終えてから練習を始めたのに。ちなみに起きたのは四時頃だった。
 昨日は布団の中で自分と巴との関係やらどうするのが一番巴のためかやらを考えているうちに、消灯までまだまだ時間があるのにいつの間にやら眠ってしまった。なのでまだ夜明け前から目が覚めてしまい、その時間を練習に使っていたのだが。
 練習をしながらも、どうしても巴のことが脳裏によぎる。集中できないというのではないが、頭の中心に巴のことがどっかりと腰を据えていて他のことに回す余裕が少ない感じだ。ちゃんとテニスをしたい。そうでなければ先輩たちにも巴にも、一応なんというかまぁ認めてやってはいるわけだからついでにそういうことにしておいてやらなくもない相手であるリョーマにも、申し訳が立たないと昨日心底思ったのに。
「……そー簡単に切り換えとか、できねーなー……」
 ボールを片付けながらため息をつく。自分はもしかして精神力が低いのだろうか、とかちらりと思ってしまう。それはテニスプレイヤー、というよりアスリートとして致命的だ。
 だけどそれでもどうしたって、自分にとって巴というのは別格の存在なのだ。テニスとは別方向で、自分の根っこに関わる相手。今苦しんでいるそんな相手に、なにがしてやれるか。どうしても考えずにはいられない。
「あーくそっ、練習だ練習! 集中!」
 ばしばしと掌で頬を叩いていると、ふいに後ろから笑みを含んだ声がかかった。
「隼人くん、早いんだね」
「え」
 振り向いて思わず目を見開く。そこにいたのはJr.選抜ジャージを着た、自分より頭ひとつほど背の低いポニーテールの少女だった。
「小鷹……」
「早朝練習? もうサーブ練終わった?」
「あ、ああ、今終わったとこだけど」
「そう……」
 思案するようにかわいらしい顔を傾げる小鷹を、隼人は困惑混じりに見つめた。なんだろう、なにか用があるんだろうか。いや、別に用がなきゃ話しかけちゃいけないわけじゃないけど、小鷹と自分はなんの用がなくても無駄話できるような関係じゃなかった、と思っていたのだが。
 その時は、と気付いて口を開いた。小鷹なら教えてくれるかもしれない。
「なぁ、小鷹。ちょっと話、いいか?」
「いいけど、なんの話? モエりんの話?」
 笑顔でさらりと答えられて思わず言葉に詰まる。
「な、なんでわかんだよんなこと?」
「それ以外に隼人くんが私に話しかけることなんてないでしょ?」
「い、いや別にそういうわけじゃ……」
「はい」
「え」
 小鷹がぽん、と放り投げてきたものを反射的に受け取ってから、また怪訝そうな顔になってしまう。小鷹が投げてきたのはテニスボールだった。
「話す見返りに、練習付き合ってよ。私、今アップとランニング済ませてきたところなの」
「え、いや、それはいいけどよ……」
 隼人は女子相手に練習なんてろくにしたことはない(除く巴)。正直、ちょっと怖かった。小鷹は小さくて、華奢で(女子としては鍛えられているのだろうが)、ちょっと強烈な球を打ったら壊れてしまいそうに見える。
 が、小鷹は笑顔でそんな隼人に鋭く突っ込む。
「言っておくけど、私、今のモエりんより強いつもりだから。油断してたら隼人くんの方が先にミスしちゃうかもよ?」
「…………」
 少しばかりムッとして、隼人はコートの反対側に移動した。そうまで言うならどれほどの腕か見せてもらおうじゃねぇか。
「とりあえず、ラリーからでいいよな。サーブそっちからで」
「いいの? ミスしても」
「ざけんな、俺の方が勝つに決まってんだろ!」
 反射的に怒鳴ってからはっとした。ラリーの練習に勝ち負けなんぞないし、そもそも女の子相手に怒鳴るのはまずいだろ。
 だが小鷹は涼しい顔でにっこり笑い、ベースラインについた。軽くボールをバウンドさせてからトスをして、すぱぁん、ときれいな音をさせて打つ。
「っ!」
 隼人はだっとコートを蹴ってボールを追った。なにが練習だ、サービスエリアぎりぎりのえげつないサーブではないか。むろんしっかり追いついてリターンしたが、その球を瞬時に間を詰めた小鷹はドロップボレーでコートの反対側、ネットぎりぎりに落とす。
「ん、なろっ!」
 だっと間合いを詰めてばしぃんとロブボレーで返したが、小鷹はその球がどこに来るかわかっているかのように余裕を持ってボレーで返す。スマッシュじゃないのか、と一瞬思って、そうかやべぇこれラリーの練習だった、と舌打ちしてシングルスサイドラインぎりぎりに返されたボールを打ち返す。
 それからも何度もコートを縦横無尽に走らされる。対して小鷹はほとんど動いていない。ラリーの練習なのだからそれが当たり前なのだが、むしろ隼人としてはそうなるように打たされたという感があった。手塚ゾーンとまでは言わないが、小鷹の技で同じところに打ち返さされているような。
 んなろ、と走り回らされながら隼人は考えた。小鷹のやつ俺で実戦の練習してやがる。
 それはそれで別にかまわないのだが、こちらがラリー練習だからということが頭にあるせいで全力を出せないのをいいことにうまく踊らされているのは面白くない。ぜってー向こうに先にミスさせてやる! と気合を込めて、隼人はビシッ! とショットを放った。
「っ!」
 小鷹は余裕を持ってショットを打ち返そうとしたが、受けきれずラケットを落とす。それを見て隼人は「っしゃ!」と思わずガッツポーズを取った。こっちが全力のリターンを何発も返せば受けきれなくなるのではという読み通りだ。
「まいったな……やっぱりこういう展開になっちゃうんだ」
 小鷹は苦笑しながらボールを拾い、コートサイドに戻って椅子に座った。隼人もコートサイドの椅子に座り、汗を拭きながら訊ねる。
「なんだよ、こういう展開って? お前が俺コートん中走り回らせたのと関係あんのか?」
「ん……」
 小鷹は苦笑を崩さず、視線をすいとコートの向こうへとやった。なんというか、遠い場所を見るような、大人っぽい表情。思わず隼人は胸がどきりとした。
「私ね、今、強くなったモエりんと戦うつもりでプレイした」
「え……」
「私、ずっとモエりんが怖かったの。今も、正直たまらなく怖い。……いつ、彼女に追い越されるかと思うと」
「……って、はぁ!?」
 隼人は仰天した声を上げたが、小鷹は表情を変えなかった。少し困ったような苦笑い。そんな顔でコートの向こうをひたすらに見つめている。
「ちょ、おい、待てよ小鷹! お前ら友達なんじゃねぇのか!?」
「友達……だよ」
「だったらなんでんなことで怖がる必要あんだ!? いつでもプレイできんのに! 抜いて抜き返されてってやんの、テニスプレイヤーなら当たり前だろ!?」
「……そう、だよね」
 小鷹は苦笑を崩さない。だが隼人はようやくはっ、とした。小鷹の瞳には涙がうっすらと浮かんでいる。泣くのを必死に堪えているんだ、と気付き思わず体が固まった。
「あ、の、こだ、か」
「そうだよね。わかってるの。テニスプレイヤーなら、アスリートなら、誰だってライバル同士で絶えず勝負し続けているものだって。でも……私、まだ受け容れられない」
「…………」
「きーくんが、中学に入るまでテニスから遠ざかってたの、知ってる?」
「あ、ああ……一応、話は聞いてる」
「なんでそういうことになったかも?」
「うん……」
「私もね、似たようなことになったの。小学校六年の秋、今から一年半くらい前に」
「え」
「相手に怪我をさせたことがあるの、ゲーム中に。それも相手を故障させるくらいのひどい怪我を」
「!」
 隼人は絶句した。怪我? 相手を故障させるくらいの? そんなことが実際にありえるのか? それはショットが体に当たれば相当痛いし弱い部分に当たれば骨折くらいさせられないことはないかもしれないが、小学生の、しかも女子の球で?
「相手が見境なく突っ込んできてね。ボールが小指に当たって。それで転んで、打ち所が悪くて骨折。きーくんと違って、練習試合中だったんだけどね」
「け、けどそれじゃ、小鷹のせいじゃないんじゃ」
「みんなそう言った。君には責任はないって。私も、客観的に見てそう思う。私が責任を問われることはないだろう、って」
「な、なら」
「でも相手はもう二度とテニスができなくなったの」
「!」
「骨折もそうだけど、ご両親がね。そんな危ないスポーツをやらせるわけにはいかないってスクールをやめさせて。その子、実力は全然伴ってなかったけど、すごく負けず嫌いで練習熱心で、いつか大会で優勝するんだって言ってた子なの。それがテニスが二度とできないっていうのがすごくショックだったみたいで、わざわざ私のところに来て言われた。絶対許さない、一生恨み続けてやる、って」
「んっだそりゃ! まるっきり筋違いじゃねぇかっ!」
 かぁっと頭に昇った血を、だん! と椅子を叩くことで沈めようとしたができなかった。スポーツをするならどんな選手だって故障の危険とは隣り合わせなのだ、それを相手のせいにするなんてお門違いにもほどがある。
 だが、小鷹は苦笑を崩さず、視線もコートの向こうから動かさない。
「そうだね……でも、私はショックだった。すごくすごくショックだった。自分の大好きだったテニスで同じようにテニスが大好きだった人をもう二度とテニスができないようにしてしまった。そう思うとどうしても、テニスができなくなった。テニスコートに入ると吐き気がして、手が震えてラケット持てなくて。本当に、もう死にそうなくらい苦しかったの」
「で……でも、今はテニス、ちゃんとできるんだろ?」
「できるよ。でも、以前みたいに『テニスが大好き!』って、素直に言えなくなっちゃった。テニスから一度逃げ出して、必死にテニスを嫌いになろうとして、それでも結局私にはテニスしかないんだ、って心底思い知らされたから戻ってきてやってるけど……」
「…………」
「だから、私モエりんに、ずっと嫉妬してきた」
「……はぁ!?」
 思わず目を瞠ったが、小鷹はそれにかまわず話し続ける。
「モエりんのテニスの特徴って、なんだと思う?」
「え……巴の、テニスの特徴……?」
 問われて首を捻った。巴がテニスをする姿を自分はあいつがテニスを始めた頃からずっと(といってもまだ一年にも満たないのだが)見てきた自信はあるが、そう改めて問われると思いつかない。巴は基本的に癖のない相手に合わせたプレーをするし、そもそも始めて一年で特徴だなんだというのは馬鹿馬鹿しいのではないか。
「……って、思うんだけど」
 隼人が自分の思考をなんとか言葉にして伝えると、小鷹はふ、と苦笑を深くした。視線はコートの彼方に据えたまま、静かに言う。
「私は、彼女のテニスの一番の特徴は、すごく楽しそうにテニスすることだって思ってる」
「……え……?」
「モエりんはテニスする時、いつも楽しそうなの。どんなぎりぎりまで追い込まれても。どんな辛い試合でも、それどころか練習の時にだって。楽しいって気持ちをそのまま取り出したような、嬉しくて嬉しくてしょうがないって感じに、幸せそうにテニスするの」
「…………」
 隼人は目を瞠っていた。そうか――そうだったのか。一昨日の練習試合の時巴が見せたテニスが、巴らしくないと思ったのはそういうことだったのか。
 あの時巴は、たぶんテニスをするようになってから初めて、楽しくないテニス≠ニいうのをプレイしてたんだ。
「だから、私、モエりんにだけは負けたくないってずっとずっと思ってきた」
「え……」
「始めて一年の、普通ならまだ初心者でしかない相手に負けたくないって気持ちももちろんあったし、それ以上にあんなに当たり前にテニスが好きな……こんな言い方しちゃ悪いけど、テニスの怖さを知らない子供に負けるなんて情けなさすぎる、って思ったの。……実際は、何度も負けちゃってるけどね……」
「……小鷹」
「一昨日から、かな……モエりん、なにか、苦しんでるでしょ?」
「っ」
 隼人は思わず息を呑む。気付いたのが自分以外にいるとは思わなかった。
「以前のモエりんとはまるで違う、溺れかけの人みたいなテニスしてたの見て、私本音を言うとね、ちょっと溜飲を下げたの。モエりんもようやくテニスの苦しさを知ったのかって……でもね、落ち着いたら思ったの。もし彼女がその壁を乗り越えたのなら、私は本当にもうなにひとつ、モエりんに勝てる要素がないんじゃないか、って」
「な……んっだよそれ! そんな、アホらしいこと本気で思ってたのか!?」
「阿呆らしいよね、本当に……だけど、どうしたって思っちゃうの。テニスを始めた時と同じ、テニスが楽しくてしょうがないって子供みたいな状態のモエりんでも私は何度も負けた。なら、テニスの怖さと辛さを知って、それでもテニスと向き合おうとしたモエりんに、私が勝てることは、もうないんじゃないかって……」
「馬鹿言ってんじゃねぇよ!」
 隼人は立ち上がり、衝動のままに小鷹の顔をぐいっと自分の方に向けさせた。視線を合わせ、小鷹の見開かれた目に向けて真剣に言う。
「いいか、小鷹! テニスってのはな、そんなに甘いもんじゃねぇんだ! 心構えだけで勝てるもんでもねぇし、才能だけで勝てるもんでもねぇ! 練習だけで勝てるってもんでもねぇけどな! けどな、これだけは言える! 勝つ気でやらなきゃ、どんな勝負だって勝てねぇぞっ!」
「…………」
 目をぱちくりさせる小鷹に、あれ? なんか俺、間違えたか? と思いつつ言い募る。
「相手が強かろうが自分より上だろうがなっ、ぜってー勝つ! って思って戦やあ勝てる! 時もある! たぶん……いや絶対! だからそんためには勝てるって思うくらい、練習してやることやったーって思えるよーにしなきゃダメなんだっ!」
 よし、俺たぶんなんかいい話した! とやり遂げた男の顔で笑いかけると、小鷹は「……ぷっ」と唐突に吹き出した。
「へ……」
「ぷっ……ぷふっ、あはははっ、なんていうか……ふふっ、隼人くんって本当にモエりんの従兄なんだね……!」
「あ、当たり前だろ……つか、笑うなよ! 俺笑うようなこと言ったかよ!?」
「ぷぷっ……ごめん、ごめんね。うん、ありがとう。なんか……ちょっと、気持ち楽になったかも」
 目尻に溜まった涙を拭いながらそう笑う小鷹に、隼人は思わずどきりとし、それから顔がすごく近いのに気がついて慌てて体を離しそっぽを向いた。
「べ、別に、こんくらい大したことじゃねーだろっ」
「うん、でもありがとう。そうだよね……勝つ気でやらなきゃ、勝ちたいって思わなきゃ、どんな勝負だって勝てないよね……」
 うん、とうなずいて小鷹は立ち上がり、隼人に笑顔を向けた。
「じゃ、練習続けよっか。話聞いてくれたお礼に、隼人くんの好きな練習付き合ってあげる」
「え……そ、そか?」
「ああ、そういえばモエりんのことで聞きたい話があるんだっけ? なに?」
「……いや。いーよ」
「そう?」
「うん。……なんか、ちょっとわかったから」
「……そっか」
 小鷹は笑顔でそう言って、またラケットを持った。
 それから朝食の時間までずっと練習して、二人揃って朝食に向かうのがなんとなく恥ずかしかったので、顔を洗ってくると言って別れた。

 午前練習のメインは反復ダッシュだった。隼人はこの練習は苦手、というほどでもないが得意ではない。というか、唯一リョーマに水をあけられてしまう練習なのでやっていてちょっと面白くない。
 だがそんなことで練習をサボるなんて冗談じゃないので、きっちり砂浜を何度も笛の音に合わせて往復した。砂に足をとられながらも、全力で反復ダッシュを行う。
 反復ダッシュを何十本と繰り返してから、隼人はコーチに言われ息をつきつつ休憩に入った。少し休んだらまた練習再開だ。
 水分補給水分補給、とボトルに入ったスポーツドリンクをぐいっと飲んだ。選抜合宿初日に学んだ通り、水分補給は少しずつできるだけ喉が渇く前にすることにしているのだ。
「ぷっはー! スポーツドリンクうっまいわー!」
 唐突にすぐ隣で上がった甲高い声に、反射的にそちらを向く。そこに立っていたのは金太郎だった。四天宝寺の面々も何人かそこに集まっている。
「金ちゃん、あんまりがぶがぶ飲むとなくなるで」
「えー、そん時は誰か分けてくれたらええやん」
「やらんっちゅうねん。自分のことは自分で面倒見なさいゆうてるやろ」
「むー」
 金太郎は頬を膨らませ、きょろきょろと周囲を見回す。その狩人のような視線と、隼人の視線がばっちり合った。とたん、金太郎は顔をにっかり笑ませて手を上げる。
「おー、山ザル! ええとこきたわー、スポドリ賭けて勝負せぇへん?」
「はぁ!? なに言ってんだざけんな、水分補給は大事なんだぞつか誰が山ザルだっ!」
 思わず怒鳴ると金太郎はまたむーっと顔を膨らませて肩の上に飛びつこうとしてきた。隼人はそれを素早く避ける。また飛びついてくる。また避ける。そんな小さなバトルを繰り返しつつ金太郎は口でもちょっかいをかけてきた。
「やろうやぁ、別にええやろぉ、減るもんやなし」
「アホか、飲み物は飲んだら減るんだよ!」
「ええやん、ちーとばかし減るだけやって! そんくらいええやろ、なぁなぁなぁなぁ」
「ざけんな誰がてめぇなんぞに……っつかな、なんでハナっから俺の方が負けることになってんだよ!」
「へ? そら山ザルとわいが勝負したらワイの方が勝つからに決まってるやろ」
 当然のような顔できっぱり言われ、隼人の頭にかぁっと血が上った。飛びついてくるのをしっかり受け止め、ぼすっと砂浜に叩き落としてびしっと指を突きつける。
「上等だ、勝負してやろうじゃねぇか! 反復ダッシュ十セット勝負で勝った方が相手のスポドリゲットだ!」
「へっへー、山ザルのスポドリいただきやー」
「ざけんなそれはこっちの台詞だっつーの!」
 ドリンクのボトルを置いてずかずかと、練習場所に戻る。二人で横並びに並び、サブコーチの笛に従ってだっと砂浜を蹴った。
 結果。
 6-4で金太郎の勝ちとなり、隼人のスポーツドリンクの残りは金太郎に奪われることと相成った。
「うしゃしゃしゃ、ワイの勝ちや〜! やーっぱ山ザルよりワイの方が強いやんなぁ〜」
「ざっけんなチビザルっ、ちょっと足が速いからっていい気になんなよ! 真正面からテニスしたら俺のがぜってー強いんだかんな!」
 調子に乗ってスキップする金太郎を、隼人はぎっと睨みつけ飛びかかって頭を拳でぐりぐりといじめた。そりゃ確かに自分はもんのすごく足が速いとは言わないが、そこらへんは試合になればテニス知識とか(それもものすごく詳しいとは言えないが)試合勘でかなりの部分までカバーできるのだ、足が速いからといって即テニスに勝てるとは限らない(重要な要素なのは確かなのでムカつくことはムカついてしまうのだが)。
「あだだだだ! なにすんねん山ザルっ、いだいいだいいだいっちゅうねん!」
「うらうらうら、どーだチビザルっ、降参するかっ」
「うぬぬぅ、コーサンなんぞしてたまるかいな! うらっ、必殺つねり攻撃やぁ〜!」
「あだだだっ、いってぇなこのっ、負けてたまっか指の間ぎちぎち攻撃っ!」
「いだだだだだ! ううっ負けへんでぇ〜髪の毛引っ張り攻撃!」
「いっでぇ! なめんなこのヤロ耳たぶ引っ張り上げ攻撃!」
「……サルが二匹やな」
「一緒にすんな!」
 反射的に振り向いて怒鳴ってから、しまったと顔をしかめる。むすっと愛想のない顔をこちらに向けているのは四天宝寺の、確か財前なんとか。確かこの人は二年だったような気がするからタメ口はまずいだろう。
「え、えーっと、すんませんタメ口利いちまって……っつかそれより前に! サルが二匹ってなんスかそれ! いちいち聞き捨てなんねぇんスけど!」
 謝ってから言い草を思い出しがなると、財前は面倒くさげに眉に皺を寄せた。うっわすっげぇ嫌そうな顔、と思わず隼人が感心してしている間に、鬱陶しそうに吐き捨てる。
「うっといな、自分」
「……はぁ!?」
「やかましちょお黙っとれ、ちゅうてんねん」
「………はぁぁ!!? ざけんなよコラ調子乗んな勝負すっかコラ!」
「ギャハハハッ、やったれ財前、ここで勝ったら山ザルボロボロやで〜」
「んっだとコラ! つかお前先輩呼び捨てにしてんじゃねーよ!」
「……あー難儀や」
「こーら。他校の選手巻き込んでなに騒いでんねん?」
「財前ー、一年いじめたらあかんやろが」
「あ、白石さん……と忍足……ケンヤさん」
「なんでフルネームで呼ぶねん? ちゅーかその間も気になるわ」
「あ、いや、なんとなく……」
 反復ダッシュ練習を終えたところなのだろう、まだ息の荒い四天宝寺の部長の白石と、髪をまっキンキンに脱色した同じく四天宝寺の忍足ケンヤ、とか言った人が声をかけてきた。ケンヤと呼んだのは氷帝の忍足と同じ苗字だから(そのせいでなんとなく覚えていた)自分的区別のためだったのだが、下の名前は金太郎が呼んでいたのをなんとなく覚えたものなので当たっていてちょっとほっとした。
「おー、白石にケンヤ! ワイ勝ったでぇー」
「いじめてませんよ。言いがかりつけんでもらえますか」
「はぁ!? いじめ……てはいなかったかもしんねぇけど因縁つけてきたじゃねぇっスか!」
「ほれみぃ隼人クンもこー言うとるで!」
「謙也くん嬉しそうに言わんといてくれます? 中三とは思えんほどガキくさいですわ」
「なんやと財前! お前ほんまにテットーテツビ生意気なやっちゃな、それが先輩に対する口の利き方か!?」
「そーっスよ礼儀がなってないっスよ財前さん、つかなんでくん付けなんスか!」
「おおっ……隼人クン、キミええ子やなぁ! そやろー財前生意気すぎるよなぁ! うちの連中みーんなどーでもよさげな顔してスルーすんねんもん!」
 満面の笑みでシェイクハンズする謙也に少し気圧されたが、隼人は笑顔で「そーっスよね!」とうなずいた。この人テンション高いけど基本いい人っぽい。善意の人にはこちらも善意で返せというのが親父の教えだ。
「……めっちゃムカつくわこの一年」
「まーまー、そんなに目くじら立てんとき。……隼人クン、もー練習終わったん?」
「え? あ、はい、とりあえずノルマ分は」
「ほな、全体練習終わったらちょおつきあわへん? ジュースの一本でもおごったるさかい」
「え!? いーんスかっ、ゴチになります!」
「なぁなぁ白石ぃ〜ワイには?」
「金ちゃんにはいつもおごってやっとるやろ」
「イヤやーワイにもおごって! ワイもジュースタダで飲みたいわー!」
「ほな金ちゃんには俺がおごったるわ。その代わりいっちゃん安いやつやでぇ?」
「わーい! せやしケンヤ好きや〜!」
「……あー、ほんまやかましわ」
 などと言いつつも、練習が終わったら財前も一緒に自動販売機のところまでついてきた。白石のおごりで100%オレンジジュースを飲む自分の隣で、涼しい顔で自分で買ったアイソトニック飲料を飲んでいる。わっかんねーなーこの人、と思いつつも白石の方を向いて再度頭を下げた。
「すんません白石さん、ごちそうになっちまって」
「ええて。一番安いやつなんやし」
「わいも一番安いジュースやで!」
「おごってもらっといてそーいうこと言うなっつかどこに向けてんだよそのアピール! ……で、なんかお話、あるんスよね?」
 白石を見上げて首を傾げてみせると、んー、と白石は苦笑してみせた。
「話っちゅうほどの話やないねんけどな。そやなぁ……うちら四天宝寺がキミら青学のこと、全国大会前から知っとったの、知っとる?」
「へ? そ、そりゃ青学は去年度の全国大会にも参加してるし」
「そやのうて。テニスの実力で警戒するとかいう以前に、個人的に知っとったんや」
「へ……なんでっスか?」
「うちの藤堂、知っとるやろ? あいつがキミらんとこの天野くん、めっちゃ意識しとってな。そのくせ直接天野くんの話するのはムカつくらしうて。青学の試合のビデオやらなんやらそらものすごい勢いで手に入れとったんや」
「はぁ……」
 確かに大阪から東京まで全国大会の前から何度も天野にちょっかいをかけにきていた藤堂なら、そのくらいはしそうだが。
「まー、藤堂はミクスド用に抜擢された選手やし、もともとウチでもちーと浮いとったヤツやし、そのビデオとかも半分以上ネタで見とったんやけどな」
「ネタ!? ってなんスか!」
「そら青学が関東制覇するまでは俺ら青学全然警戒しとらへんかったからな。関東制覇しても手塚クンさえ抑えとけばええと思てたし。そら関東制覇してからは俺とか千歳とかは真面目にビデオ見て研究とかしたけど、ビデオ見る限りじゃ俺には俺らの脅威になるほどやない、としか判断できんかった」
「うぐぐぐぐぐぐ」
「けどな。そん中で唯一、レギュラー全員一致で『おもろいテニス』って注目しとった選手がおんねん」
「へ……誰スか?」
 白石は自分の分のお茶をぐびりと飲んで、にっと笑ってみせた。
「キミの従妹の、赤月巴や」
「え……」
「そーそー、なんや示し合わしたわけでもないのに全員ミョーに注目しとってなぁ。俺はめっちゃ元気よくテニスする子ぉやなぁ、って思ってて、財前はなんやったっけ、『パートナーやったらやりやすそうなテニス』やったっけ?」
「……はぁ。なんや、やたらプレイ荒いくせに妙に相手に呼吸合わせるのうまい女子やな、思て」
「金ちゃんはー、そのまんま『試合したらおもろそーなテニス』やったよなー?」
「そやで! 下手やけどおもろいテニスやなー、思てん! 勝負したらもっとおもろそやなー、思て、実際めっちゃおもろかったで!」
「俺はそやな、金ちゃんに似たプレイする子ぉやなぁ、って思た。そら金ちゃんの方が強いけどな、根っこのとこが金ちゃんのプレイに似とるなぁ、ってな」
「…………」
「で、東京でキミらと挨拶した時にな、あとで巴サンにみんなして声かけてん」
「……はぁ!?」
「全員気になってんねやからせっかくやし、っちゅーことでな! それになんちゅうの、カワエエ女子なんやから男一人で声かけたらナンパと間違われるかもしれへんっちゅー話や」
「いやカワエエもなにも、あのビデオじゃ顔はようわからんかったやろ。手塚クンに選手紹介してもろてやっと顔と名前一致したんちゃうん」
「謙也さんキモいっスわ」
「ちょ、おっま、なんぼなんでも先輩にそらあんまりなんちゃうか!?」
「ま、それはさておくとしてやな」
「頼むしさておかんといて!?」
「謙也、真面目な話やしちょお黙っとき。……そんでその時いろいろ話してな。俺は、この子はきっと今テニスをするのがたのしゅうてたのしゅうてしゃあない時期なんやろうなぁ、って思たんや」
「…………」
「俺らみたいにある程度長いことテニスやってる奴は、どうしたってテニスが楽しいだけやないっちゅうか、それなりの辛いとこ苦しいとこ感じてまうもんや。そら根本的なとこでテニスが大好き、プレイしてて楽しいっちゅうんはあるけど、きっつい練習やら頑張っても勝てへん相手との出会いやら、もうテニスやめたいとかアホなこと時々ちーとは思ってまうくらいにはテニスの嫌なとこ知ってまう」
「ワイはテニスいっつも楽しいで!」
「うん、それが金ちゃんのすごいとこや。……で、巴サンはそれ以前の、ちょっとイメージに近い球が打てたとか練習うまいこといったとかそーゆーとこで素直に全力で喜べる、まぁいうたら悪いけど初心者でしかない時期に全国大会まで来てもうたんやなー、って」
「………そう、っスね」
「普通、初心者の時期に全国大会まで来て全国優勝までしてまうっちゅーんはどー考えてもありえへん。けどあの子はそれをやった。実際おっとろしいほどの才能……ちゃうな、器やと思うで。せやから、っちゅうかな……俺はどうにも、巴サンの未来が心配やったんや」
「…………」
「挫折を知らない人間は、一度崩れるともろい。まー、それだけっちゅーほど単純な話やないけど……巴サンが楽しくないテニス≠チちゅーんを知った時、どうなるかが心配やった。あの子のあの底の知れん、奇跡みたいにわくわくするテニスがのうなってしまうんやないか、ってな」
「………そっスか」
 隼人のそんな相槌に白石は穏やかに笑い、くるり、と体をこちらに向けて静かに、けれど裂帛の気合を込めて言った。
「俺がなに言いたいか、わかる?」
「わかる、つもりっス」
「えーほんまー? ワイさっぱりわからへんでぇ? 白石なに言うとん?」
「金ちゃん、もーちょーっと俺と一緒に遊んでよな〜」
 背後の雑音を無視して、白石に向き直り、顔を見上げてこちらも気合を込めて言い放つ。
「俺、今まであいつの、巴のテニスを、すごいとか面白いとか、そういう風に思ったことなかったんです」
「……そうなん?」
「はい。俺にとって、あいつは大切な従妹で、家族で、それ以外の何者でもなくて。だから一昨日も、あいつがあいつらしくないっていうか、苦しそうだっていうのはすぐ気付いたし、なんとかしなきゃって思ったけど。それはあいつが、俺にとって大切な従妹で、家族だからで。あいつのテニスがどうとか、そういうのは全然関係してなくて」
 じっとこちらを見つめる白石を、じっと見つめ返し。
「だから、たぶん……そういう俺だから、っつーか……だからたぶん俺が、あいつの答えになってやれんじゃねーかな、って思います。白石さんの話聞いてて、なんか思ったんですけど」
「……ほおか」
 白石はにっ、と穏やかと爽やかの中間ぐらいの笑みを浮かべ、くるりとこちらに背を向けた。
「ほなら俺らが口出しすることはもうないな。行くで、金ちゃん、財前、謙也」
「えー、もう行くん? ついでやし山ザルと試合したいわ」
「今日のところは我慢しとき。Jr.選抜なんやから試合はあとでいくらでもできるやろ。それにそろそろ金ちゃん腹減ったんちゃうん」
「そやな! 腹減ったーメシ食いたいー!」
「ちゅーか白石、お前カッコつけすぎちゃうん。なんぼ他校の一年やからっちゅうてもそないに威圧することないやろ」
「謙也くんウザいっスわ」
「なんでやねん!?」
「他校の一年にまで先輩面せんといてください。鬱陶しいですわ」
「お前俺にどんだけ態度でかいねん!? お前にはいっぺん後輩の立場っちゅーもんをがっつり刻んどかんとあかんよーやなぁ、あぁ!? あ、ほななー隼人クン! また午後の練習で!」
「あ、はい、また」
 ぺこりと頭を下げてから周囲を見回す。もうほとんどの選手は食堂へ向かってしまったらしく、周囲に残っているのは自分ぐらいのものだ。
 小さく深呼吸をして、顔を上げる。少し体から力を抜き、歩き出す。自分にはやらなくてはならないことがある。その形がようやく、見え始めたところなのだ。

「隼人くん、こっち空いてるよ」
 天野が笑顔で手を振るのに、こちらも手を振り返して近づく。確かに天野の隣は一席空いていた。席が少ないテーブルなので、席は三人分しかないのだが。
 残る一席に座って仏頂面でこちらを睨んでいるのは、リョーマだった。
「はい、隼人くんの分の昼食。食べられないよりはいいかなって適当に選んじゃったんだけど、いい?」
「いいに決まってんだろ。悪いな騎一、ホント……世話かける」
「いいって、そんなの。友達でしょ?」
 にっこり笑って言う天野に、感謝の意を込めてがつんと拳を打ち合わせる。この合宿に入ってから天野にはいろいろと世話になっている、選抜が終わったら礼をしなければならないだろう。
「で。出たわけ、結論」
 そんな友情の交歓などガン無視で、いつもながらの無愛想な声でぶっきらぼうに問うてきたのはもちろん、リョーマだ。高飛車でクールで無駄に偉そうな、いつも通りのこいつの視線。こっちの腹の底まで見通すようなその視線を感じると、隼人はいつもカチンときてムカッときて、意地でも負けたくないという気分になる。
 だからふふんと負けずに偉そうに鼻を鳴らしてこう言った。
「おうよ。たりめーだろ」
「……ふーん。ま、当然だね。こっちをこれだけ待たせたんだから」
「うるせ、家族のテニス人生の一大事にほいほい方針決断できるわけねーだろ」
「もう、決めたの?」
「いや、決めたっつーか……これしかねーかな、って。いろいろ考えて、何人かと話してさ、俺に今できんのはたったひとつっきゃねーかな、ってわかったから」
「そっか……具体的にどういうことするか、聞いてもいい?」
「ん」
 小さくうなずき、顔を上げて宣言する。静かに、けれどしっかり気合を込めて。
「巴と、試合する。本気の本気で。そうしたらたぶん、あいつにもなんか伝わるもんがあるんじゃねーかって思うんだ」
「そっか」
 天野は微笑んでうなずき、リョーマはふん、とやはり偉そうに鼻を鳴らした。
「ま、そんなとこだろうね」
「んっだよ、文句あんのかよリョーマっ」
「別に? いいんじゃない、お前にはそれより難しいこと要求しても無理だろうし」
「ぁんだと、コラ!?」
「いくら考えたってどうせそんなところに落ち着くってわかってるんだから、もっと早く決断すればいいのにとは思ったけど。ま、お前にそこまで望むのも可哀想だし」
「リョーマてめぇ、喧嘩売ってんのか」
「別に。……ただ、やるからには、本気を見せてよね」
 す、とこちらに向けられる視線は、鋭く強い。
「巴のテニスどころか、お前自身一皮二皮楽勝で剥けるような、すごいテニスをしてもらうから。そうでなきゃ、ここまでやきもきさせられた落とし前、つかないし」
 む、と一瞬わずかに眉を寄せたが、隼人はへっ、とせせら笑ってやった。面白ぇこと言うじゃねぇか。
「上等だ。脳味噌ぶっとぶくらいすんげぇのをかましてやるよ。見てから吠え面かくんじゃねーぞ」
「そう? じゃあ、楽しみにしてる」
 珍しく口の両端を吊り上げて言うリョーマに、ふんと鼻で笑い返してやる。俺が本気の本気がどんだけすげぇか、お前が一番よく知ってんだろうがよ。
 うし、とひとつうなずいて、隼人は超特急で昼飯をかっ込み始めた。決めたなら早い方がいい。午後の練習をサボることになる可能性大だが、とっとと巴を探して言いに行こう。
 お前と、戦いたいって。

「……偉そうなこと言ってたくせに、巴を探し出す段階でつまずくわけ? お前」
「うっせぇつまずいてねぇ! ちょっと足踏みしてるだけだ!」
 いつも通りの皮肉っぽい口調で言ってきたリョーマに怒鳴りつつ、隼人は周囲に忙しく視線を走らせた。もうすぐ休み時間が終わる、そろそろ探し当てないと本気でまずい。
 まさか巴を探し当てる段階でつまずくとは思わなかった、と隼人は歯軋りをする。合宿所は予想以上に広大で、その中から一人の少女を見つけるというのはなかなかに難しかったのだ。昼休みの間は見つからず、どころか昼練習の間も姿が見えなくて、もう午後練習の時間になろうとしているのにまだ会えていない。
 当然コーチ陣に見つかったら練習に強制連行されるだろうから(もちろんそれはそれで間違ってはいないのだが今自分がしようとしているのはそういうのとはまた違う練習というか、試練なのだ)、人に見つからないよう隠れながら人を探すというのは予想以上に骨が折れた。
「っつかな、なんでお前ついてきてんだよリョーマ。練習しろよ」
「別に、一回ぐらい休んでも取り返せるぐらいの練習はしてるし」
「練習ってのはそーいうもんじゃねーだろ」
「お前らの試合見てた方が面白そうだし」
「む」
「それに、審判がいないと試合、できないでしょ」
「あ……っじゃなくて! スコアカウントぐらいできるっつの」
「試合の片手間にスコアカウントつけて完璧にこなせるぐらい冷静な状態ですごい試合ができるつもりなんだ? 余裕だね」
「ぬぐぐぐ……」
 んっとにこいつはいちいち、と思いつつも、隼人は周囲の探査に戻った。実際審判がいた方が楽なことは確かだし、それにこいつに自分と巴の本気の試合を見せたいという気持ちも、まぁないわけじゃない。こいつが今まで自分と巴の一番そばにいた奴だということは、疑いようがない事実なのだから。
「……ん」
「どうしたの」
「なんか……こっちから、匂いがする」
「は?」
「巴っぽい匂い……」
「なにそれ。お前本当に嗅覚、動物並み?」
「うっせーな! なんかそーいう気がすんだよ、第六感! なんかこう、こっちに巴がいるっぽい、みたいな……」
 隼人は必死に鼻をうごめかせる。本当に匂いを嗅いでいるというわけじゃない、五感すべてを使って巴を追い、第六感を研ぎ澄ませるのだ。以前山の中で巴と別れ別れになってしまった時に、自分はこのやり方で巴を探し当てたことがある。今まで自分にとって巴は絶対に守らなければならない対象だったから。
 もちろん、今でも守るべき対象なのは変わらない。だけど、ただ、今の自分にとって、巴は。
 そんなことを考えて頭をぐるぐるさせながら合宿所外れのコートに向かう――と同時に、コートに入っていこうとする巴が目に入り、即座に隼人は叫んでいた。
「巴っ!」
 ばっと振り向いた巴は、目を見開いてこちらをまじまじ見つめて叫ぶ。
「なんではやくんとリョーマくんがここにいるのっ!?」
「決まってんだろ、お前を探しにきたんだよ!」
「う……う、うぅっ、こっち来ないでよっ!」
 そしてそう叫んで後ろを向きダッシュで逃げ出した。
「は……お、おいっ! ちょっと待てっ!」
 一瞬ぽかんとしてから隼人は全力ダッシュで追いかける。巴も全力で走っているが、短距離走でも長距離走でも隼人は巴に負けたことはない。ぐんぐん間を詰めていく――と思うより早く、自分の横から飛び出した小さな影が巴の左手を掴んだ。
「わっ!」
「なんで逃げるわけ」
「……リョーマ」
「リョ、リョーマくん、放してよ……」
「やだ」
 きっ、とリョーマは巴を睨むように見つめて答える。巴はしばし視線をさまよわせ、うつむいて言った。
「逃げないから。手、放して……恥ずかしいよ」
「は? 恥ず……っ!」
 言われてから今の状態が『手を繋いでいる』としか表現できないことに気付いたのだろう、リョーマはカッと顔を赤くしてばっと手を放した。その様子がなんとなくカチンときたものの、今はそんなことでどうこう言っている場合じゃない、と隼人はずいっと前に足を踏み出した。
「巴。あのさ」
「……なに?」
「俺と試合、しようぜ」
「……え?」
 隼人の言葉に、巴はぽかんと口を開けた。え、そんなに意外かこれ? と思いつつ言葉を重ねる。
「巴がさ、今すっげー頭ぐるぐるするくらい悩んでるのはわかる。俺だって悩んだんだ。なんて言えば巴の悩みを解決できるのかとか、そもそも俺がどうにかできることなのかとか、いろいろさ。そりゃもう、脳味噌煮えそうなくらい。でも、さ」
 ポケットからボールを取り出して、ぽんっと巴に放り。
「俺、頭悪いし、結局思いつくのはさ。テニスするのが苦しい時、助けになるのは、やっぱりテニスだってことぐらいなんだ」
 今まで隼人だって何度も、もうテニスをやるの嫌だと思ったことはあった。苦しくてやってられないと思ったことはあった。だけどそれでも自分はやっぱりテニスから離れられないと、テニスをするたびに思い知らされたのだ。
 だから、巴にも思い出してほしい。自分たちは、テニスプレイヤーはどうやったってテニスから離れられないぐらいテニスが大好きなのだ、ということを。
 ラケットを突きつけると、巴は唇を噛みながら少しうつむいてから、顔を上げてきっとこちらを見つめ言った。
「本気で、やってくれる?」
「たりめーだろ」
「手加減、なしだよ?」
「おう、全力でやらしてもらうぜ」
 真剣な顔でうなずくと、巴はようやく表情を緩め、やはり真剣な顔でうなずき返した。
「わかった。ありがとう、はやくん」
「……おう」
 巴にありがとうなどと言われるのは久しぶりだな、と思い隼人は少しばかり照れくさくなった。でもそれはそれで、悪くない。
「でも、リョーマくんはなんでここに? もうすぐ練習始まっちゃうんじゃないの?」
「……別に。どうでもいいでしょ」
「いや、どうでもよくはないと思うんだけど」
「少なくともお前はそんなこと気にしてる暇ないんじゃないの。自分がどれだけちゃんとテニスできるかを気にしたら?」
「そ、それはそうかも……そうだね、わかった、頑張るよ!」
「じゃ、俺が審判やるから。コート入って」
「うんっ」
「おう!」
 隼人は目の前のコートに入った。巴はその反対側に入る。リョーマがラケットを取り出し、コート脇でさっと回転させて問うた。
「フィッチ」
「ラフ!」
 先に叫んだのは隼人だった。巴はむ、とわずかに眉をひそめたが素早くそれを追うように言う。
「スムース」
 ラケットの回転が止まり、倒れる。上になっていたのは表側だった。む、と今度は隼人が顔をしかめたが、素直にサービスエリアに入った。どんなサーブを打ってこようが、絶対返してやる。
「赤月巴、トゥサーブ」
 ベースラインについた巴が、きっとこちらを睨んでくる。それを笑みを浮かべながら見つめ返し、隼人はたんたんと軽く飛び跳ねて体勢を整えた。巴と試合するのは久々だ。どれだけ成長しているのか、どれだけ強くなったのか。隼人のテニスプレイヤーとしての部分が単純にワクワクしていた。
「ふっ!」
 すぱぁん! といい音を立てて放たれる巴の癖のないフラットサーブ。隼人はダッシュしてそれをフラットストロークで返す。初速がそれなりだった分強烈なリターンになったが、巴は歯を食いしばってそれに追いついてさらに返した。しかもコートぎりぎりに。
「っ!」
 だがそのくらいで負けるほど隼人はやわではない。全力ダッシュで巴の球に追いつき、トップスピンストロークで巴の足元めがけ打ち返した。
「っ……!」
「15-0」
 さすがに打ち損じてリターンがアウトになった巴に、リョーマが静かに宣告する。ふ、と巴は息をつき、ベースラインに戻ってきっとこちらを見た。
 その視線に、お、と思わず目を見開く。ポイントを取られたのに揺らぎのない瞳。それだけではない、あの瞳に映る感情は、なんとなく。
 すぱぁん!
 今度打ち込まれたのは巴の必殺サーブ、ニンジャ・サーブだった。サービスエリアぎりぎりに打ち込まれた高速サーブを隼人はぎりぎり追いついて返したが、それは読まれていたようだった。巴はだっと前に出てアングルボレーで返す。
 それを隼人は必死に追いついて返そうとしたが、ニンジャ・サーブのグリップ力を落とす効果が発揮されたのかヘロ球になってしまった。巴はにっと笑顔になってずばぁん! とスマッシュを決める。
「どーん! ってねっ」
 桃城の口調を真似て得意がる巴に、思わず口元が笑った。
「上等じゃねぇか」
 ぜってー、勝つ! そう気合を入れて、隼人は巴の球に備え構えた。

「ゲーム6-2、マッチ・ウォン・バイ・赤月隼人」
「っしゃあ!」
 ガッツポーズを取ってからはっとした。これは本来なら巴のためにやる試合だったはずなのに、普通に勝負を楽しんでしまった。それは普通に考えて、ちょっとまずい。
 だがネット際までやってきて、「おめでとう!」と笑顔で手を差し出す巴を見ると、そんな気持ちはさっと消えてしまった。こちらも笑顔でしっかり握手を交わし、「ありがとう」と挨拶を返す。
「巴、お前、強くなったな。やっててすげー面白かったぜ」
 そう、面白かったのだ。強さで言うなら巴は最強の男子と比べれば足元にも及ばないレベルでしかないだろうが、試合していてひどく楽しかった。
 予想を常に上回るというか、試合の中でどんどん成長しているというか、試合の中で得たデータより常に上をいく予想を裏切られる楽しさというのもあるし、向こうもこっちの限界をどんどん引き上げてくれるような球を打ってくる。なにより巴がやっていてひどく楽しそうなので、こっちもやっていて嬉しいというか、懐かしいというか、楽しくなってくるのだ。
 もしかしたら巴が男子選手にああも人気があるのは、そういうことなのかもしれない。自分たちが昔、一番純粋にテニスを楽しめていた頃を思い出させてくれるテニス。一番楽しかった頃のテニスをさせてくれるテニス。自分の強さをぐいぐい引き出してくれるテニス。そんなテニスをしてくれる女子選手というのは、普通気になるものかもしれない。だからといって巴につきまとうのを認める気はまるでないが。
 巴は隼人の言葉にちょっと困ったように笑ってから、「うん」と小さくうなずき言った。
「ねぇ、はやくん。せっかく午後の練習サボっちゃったんだしさ、サボりついでにはやくんとリョーマくんも試合しない?」
「へ!?」
 思わずリョーマと揃って目を見開いてしまった。自分は午後の練習時間はまるまる巴のために使うつもりだったし、なのにリョーマとの試合に使ってしまうのじゃ自分が丸儲けになってしまうのではないか。
「……お前、それでいいわけ?」
「うん。リョーマくんとはやくんが試合してるとこ、久しぶりに見たい」
「え、そ、そうか? つ、つかさ、お前の気持ちはどうなんだよ。なんつうか……悩みは解決したわけ?」
 その問いに、巴はにこり、と柔らかい笑みを浮かべてうなずいた。
「うん。ちゃんと二人が試合するとこ見れたら、私もなんか吹っ切れそうな気がする」
「そ、そうなのか……?」
 どうしてそうなるのかよくわからず首を傾げていると、ぽい、とリョーマがボールを放ってきた。
「ほら、やるんならさっさとやるよ。途中で時間切れになって勝負なし、とか馬鹿馬鹿しいことになりたいわけ? ……ま、昨日みたいな試合する気だったら三十分で片をつけてあげるけど」
「ざけんなリョーマっ、今の試合見てなかったのかよ! そーいう風に油断してんなら俺の方が三十分で勝ってやるぜ!」
 そんな風にぎゃんぎゃん喚きあい、サーブ権を奪ってベースラインにつく。本当にこれが巴のためになるかどうかは正直よくわからないところもあるが、リョーマと試合できるというのは嬉しかった。合宿のせいでここ数日リョーマとは試合ができていなかったのだ。もしかしたらそのせいで調子狂っちまったのかもな、とひとりごちつつ、何度かボールを跳ねさせてからトスし、全力でサーブを打った。
 そんな風にして勝負が始まると、隼人はあっという間に没入し、勝負以外のことはなにひとつ気にならなくなっていった。というか、気付かなくなっていった。自分のことも、リョーマのことも、巴のことも。状況のことも、時間のことも。巴が自分たちの試合を見ながら、こぼした涙を懸命に拭いていたことも。

「あっぶね、ギリギリ! もーちょいでくじ引き間に合わねーとこだったぜ。ったく、リョーマがコートチェンジの時水分補給とか言ってトロトロしてっからだぞ!」
「なんで。隼人がサーブの時無駄に間長く取るからでしょ」
「ぁんだと、コラ!? 一流のプレイヤーならサーブの時もしっかり自分のペース作って精神集中しとくもんだろがっ、相手のペースがちょっと自分とズレてるくらいでペース崩すような奴が偉そうなこと言うんじゃねぇっ!」
「バカ言わないでくれる。ペース崩したのお前の方でしょ、俺がちょっと長めに水分補給したくらいで」
「ふざけんなそんくらいどーってことねーよ、お前の方こそさっきの試合でバテバテで練習試合ボロボロとかアホな真似すんじゃねーぞっ」
「こっちの台詞」
「でも、二人ともぜんぜん元気でよかった! 試合止めてから気付いたけど、練習試合前に試合するっていうのは体力的にちょっとまずいかなーって思ったからほっとしちゃった」
「たりめーだろ」
「当然」
 笑顔の巴に揃って答えて、隼人もちょっと笑った。巴が普通に笑っている。いつもの笑顔だ。自分のテニスが巴を変えられるほど大したものか、実はちょっと自信のないところはあったのだがどうやら巴を吹っ切れさせることはできたらしい。
 自分もなんだかさっぱりした。巴がつきまとわれる理由もなんとなくわかったし(だからといってつきまとうのを許す気はないが)、これからは合宿に全力で集中できそうだ。とりあえず今日の試合、ぜってー勝つ、と気合を入れて列の後ろに並ぼうとすると、ふいにくいくい、と巴に袖を引かれた。
「ん? どした?」
「あのさ、はやくん。今日、一緒にペア組んでくれない?」
「え」
「吹っ切れついでに、っていうか。私なりに、けじめつけとこうかな、って思って」
「けじめ……か」
 なんで自分とミクスドをやるのがけじめになるのかはよくわからなかったが。
「よっしゃわかった、お前とペアな。俺シングルスプレイヤーだからな、足引っ張っちまうかもしれねーけど、勘弁しろよ」
 笑顔で言うと、「うん、ありがと!」とにっこり笑顔で返された。物心つく前からずっと一緒だった巴の笑顔。それを見ると、やっぱり胸の辺りがむずむずとするというか、俺がこいつを守ってやらなきゃ、とときめきにも似た使命感が胸を騒がせる。
 シスコンというか、従妹コンと言われるかもしれない、とは思う。でもやっぱり、この位置をそう簡単に他人に渡してやるなんてできないのだ。あの時、自分の一番古い記憶の中で、京四郎に誓った言葉を、自分はたぶん永遠に覚えているのだろうから。

 自分たちの相手になったのは山吹の部長ペア、南&東方だった。巴の相手になったのは南だったのだが、巴が南に頼み込んで東方と組んでもらったのだのだそうだ。自分の力を試したい、どうか東方とのペアと勝負させてくれ、と。
 二日目に南とミクスド相手とのペアとは勝負したからというせいもあるのだそうだが、実際無茶なことをするものだ。だがそれでも巴は試合の中でどんどん動きを見違えるように進歩させていき、自分を上手に動かして6-4で勝利してしまった。
「やったな、巴! お前すげぇよ、さすが俺の従妹!」
 嬉しくなって思わず駆け寄りわしゃわしゃと頭をかきまわすと、巴は少し照れたように笑って、「ありがと」と言った。
 東方は『一皮むけた』と言っていたが、こんな短期間で一皮むけるのがどれほどのことか、ここに来ているプレイヤーなら全員知っているはずだ。やっぱり巴は自分の従妹だけのことはある、大した女の子だ、と隼人は実感した。
 これであとは合宿の練習と、試合に全力で打ち込めばいいだけ。一番を、他の選手たちみんなに勝つことを目指してひたすらに。そう思うと久々にすっきりさっぱりとした気分で、夕飯はひとしお美味く食べられた。
 そして夜、自室にて。隼人は金太郎と睨み合っていた。
「ぜってーお前には負けねーからな」
 ぎっと金太郎を睨んで言うと、金太郎はにかにか笑いながら手の中のカードを揺らしてみせる。
「ワイかて負けへんでぇ〜、勝ったモン勝ちや!」
「〜〜〜っと、ここだっ!」
 シュバァ! と音が立ちそうな勢いでカードを引くと、金太郎がにっひっひ、と笑い声を立てた。まさかっ、と思いつつ見ると、そのカードは見事にジョーカー。
「〜〜〜っそぉ! またかよっ!」
「ていうか早く終わらせてくんない。ビリ対決なんだから」
 冷たく言い放つリョーマに、隼人はぎっと睨みつけ金太郎はべーと舌を出した。
「っせーな、次はぜってー俺が一番なんだからな!」
「次は絶対ワイが一等賞や!」
「……ふーん」
 どうでもよさそうに肩をすくめるリョーマを無視し、隼人は金太郎との勝負に戻った。金太郎の誘いで気分転換にと始めたただのババ抜きだったが、うっかり白熱してもう三回戦目だ。
「……まったく。こんなことをする時間があるなら練習するべきだろうに」
「えー、でもたまにはこんな風に気分転換になることがあってもいいよね。トランプなんて久しぶりだからけっこう楽しいし! でも、やっぱり本当は女の子としたいなぁ……」
「んっだと葵てめぇそーいうちゃらちゃらしたこと……」
「てやっ!」
「あっ! こっこらっ金太郎待った今のなしだなしっ!」
「うっしゃっしゃ、勝負に待ったはあらへんでぇ〜。……うがっ!」
「あ」
 隼人が気を逸らした隙に手元から奪われたカードはジョーカー。どうやら金太郎がババを引いてくれたらしい。現在のところ残りの手札があとお互い一枚という状況になってから、もうババが三周もしている。
 頭にくることに今回のゲームはリョーマが一抜けだということもあり、リョーマは氷のような冷たい視線で熱い戦いを繰り広げる自分たちを見ている。くっそー、見てろ次のゲームじゃこてんぱんにしてやるからなっ、と心の中で誓った。
「どうでもいいけど、早く勝負つけてって何回言わせる気」
「うっせーな黙ってろ! 勝負っつーのは気合が重要なんだよ! うー、右か、左か……」
「でも、実際そろそろ終わりにした方がいいんじゃないかな。消灯の時間が迫ってるし……」
「え、マジ!?」
「マジ」
「うー……じゃ、じゃあ、せめてこの勝負! この勝負がついてから!」
「はいはい、さすがに途中でやめろとは言わないよ」
「っしゃ! 右か〜……左か〜……」
「さー、どっちかな〜?」
 金太郎が二枚のカードを左右の手に持ってゆらゆらと動かす。挑発しているつもりか。だが自分はそんなことでつられるほどガキではない(口元のニヤニヤ笑いはムカつくが)、数度深呼吸してばっと手を伸ばし――
「み――」
「貴様ら、もう消灯の時間だぞ、いつまで騒いでいるつもりだ!」
「うぎゃあっ! ごめんなさーいっ!」
 合宿所中に響き渡るのではないかと思われるほどの雷声に、隼人は反射的に布団を引っかぶった(布団の上で遊んでいたので)。他の奴らも全員似たような状態になっているのは肌で感じ取れた。
 怒鳴った相手はふん、と鼻を鳴らし(その声で声の主は立海の真田だとわかった)、電気を消して部屋を出て行く。気配が消えてから五十ほど数えた頃に、くつくつくつ、と喉の奥から笑いが漏れた。
 うしゃしゃしゃ、と金太郎も押し殺した笑い声を立てる。葵も天野も小声でくすくすと笑い声を漏らした。リョーマと藤堂はむっすりと反応はなかったが、それでもは、と小さく気を緩めたように息を吐き出すのは感じ取れた。
「ビビったよな」
 暗闇の中、小声で言った言葉に、それぞれ言葉を返す。
「そうだね、不意討ちだったし」
「びっくりしたよー」
「しんぞーが喉からとびだしそーになったわー」
「お前らがいつまでも騒いでるから悪いんだぞっ」
「別に」
「あっ、んだよリョーマっ、てめぇだってさっきほっとしたみてーな声出してたじゃんかよっ」
「気のせいじゃない」
「気のせいちゃうでぇ〜。ワイも確かに聞いたもん!」
「あっ、ボクも聞いたよ! 越前くんって意外に女の子みたいな声出すよね」
「……はぁ?」
「あっ、今ボクの方睨んだでしょ。でも真っ暗だから怖くないよーだ」
「はっはっは、こんだけ証人がいるんだったらとぼけても無駄だよなぁ、リョーマ? なーお前ら聞いてくれる、こいつってどー考えても自分が間違ってるって時にもぜんぜん負け認めねーんだぜ? 付き合ってるこっちは大変だっつの」
「お前に言われたくないんだけど」
「はっはーん、お前らさてはにたものどーしっちゅーやつやな?」
『誰が(だ)』
「お前らな、いい加減に黙って」
「……でも、実際二人はタイミングっていうか、人付き合いの間合いとか似てるよね。やっぱり体内時計が同じだとそういうのも似てくるのかな?」
「? 体内時計が同じって?」
「ああ……っと、言ってもいい?」
「あー、別に隠してることじゃねーし」
「……好きにすれば」
「えっと、じゃあ言うと、隼人くんとリョーマくんは同じ家に住んでるんだよ。隼人くんはもともと岐阜県出身なんだけど、青学に通うためにお父さん同士が親友だって縁で下宿させてもらってるんだ。……よね?」
「おう」
「へー、そうなんだ……え、ちょっと待って。じゃあ、巴さんも越前くんと同じ家?」
「え、まぁ……」
「なんだと……!? ちょっと待て、それはどうなんだ、年頃の異性が一つ屋根の下にだな」
「そやそや! 山ザルずるいでっ、コシマエともサル女とも一緒に住んどるやなんて」
「待て! そういう問題じゃないだろう遠山っ」
「そうだよ、ずるいのは越前くんだよ、血が繋がってるわけでもないのに巴さんみたいな子と一緒に住めるなんて!」
「お前もなにを見当違いなことを言っている葵っ!」
「まぁまぁ、みんな、落ち着いてよ」
「俺は落ち着いてる!」
「落ち着いてねーじゃん」
「……まだまだだね」
「なんだと、きさ」
「貴様らいい加減にしろ、なにをいつまでもくっちゃべっておる!」
『ごめんなさーいっ!』
 そんな風に何度も怒鳴られながら暗闇の中で喋っているうちに、いつの間にか隼人はことっと眠りに落ちた。久々に心地よく、なにも考えない安らかな眠りに。
 そして夢を見た。忍者になって、リョーマと一緒に姫の巴を助けて旅をする夢だった。

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