三日目〜鳥取・樺地戦〜
「みなさん、おはようございます!」
 早起きして一番にコートにやってきた巴は、なぜかわらわらと一時にやってきた一緒に練習する約束をした選手たちに頭を下げた。挨拶は元気よく、というのは父から教わった人間関係の基本だ。
「おはようっ、巴さ……」
「おはようさん、巴。今日も元気やな」
「おはよう、巴。朝っぱらからでかい声じゃな。ま、そういうところが面白いんじゃが」
「赤月さん、おはよっ。今日も可愛いね〜」
「おはよう、モエりん。うん、君のそういう元気な顔を見ていると、こっちまで元気になってくるね」
「ちょ、横入りしないでよー! サエさんまで!」
 次々とこちらに挨拶してくる人々にいちいち頭を下げ返しながら巴は首を傾げていた。なんだかよくわからないけど、すごく注目されてるみたいだ。なんでだろう?
 そういえば跡部さんが自分は珍しがられてるとか言っていた。見世物扱いされているのかと思うとちょっと落ち込むが、いやむしろこれを好機と前向きに捉えて注目してもらえているうちにいろんな人の長所を吸収しよう! と気合を入れる。
 全員と挨拶を交わしてから、練習が始まった。とにかく人数が多いので、どうしてもまとめ役が必要になるが、幸い手塚に跡部に真田に橘と超高校級選手が揃っているため、仕切りは任せられる。乾や柳や観月が打ち合わせて決めたという練習メニューで、みんな揃って練習した。
「巴くん、そこは手首の回転をもっと鋭く。そのやり方ではボールコントロールが甘くなりますよ」
「えと、こうですか? 観月さん」
「そう、いいですよ。それからもう少し手首と肘の動きを連動させて……」
「モエりん。新作のパワーリストをつけてやってみて、どうだ? だいぶ荷重が厳しくなってきているだろう」
「まだまだ、このくらい余裕ですよ!」
「そうか。ならば、もっと振り抜く時に体全体を使うようにしなくてはな。以前も何度か言ったと思うが?」
「う……すいません」
「赤月巴。お前の身体能力を見たい。俺の打つサーブをどこまで拾えるかやってみてくれないか?」
「いいですけど……まだ私、柳さんとファーストネームで呼び合えるくらいには親しくなれてないんですねー。悔しいです」
「……お前も俺のことをファーストネームでは呼ばないだろう。お前が俺を名前で呼ぶなら考慮してもいいが」
「え……えと、じゃあ、蓮児さん……? うわーなんか改めて言うと恥ずかしいですねー」
「巴くん! こちらのメニューがまだ終わっていませんよ!」
「あ、はーい! すいませんっ!」
 なんだか自分ばっかり面倒を見てもらっていて申し訳ない。他の人たちだって乾や柳や観月に練習を見てもらいたいだろうに。
 そう漏らすと観月はにっこり微笑んで言った。
「君がそんなことを気にする必要はありませんよ、君はまだ初めて一年にもならない初心者なんですから。はっきり言ってしまえば、君には他人のことを気にしている余裕はないと思いますがね」
「う……そうですね」
 確かに言われてみればその通りだ。自分は選抜合宿に来た人間の中でおそらく一番下手くそだ、他人のことを気にかける資格はない。
「わっかりました。みなさんにはご迷惑おかけしちゃいますけど、どうかご指導よろしくお願いしますっ!」
 勢いよく頭を下げると、わずかに苦笑する気配がして、すっと手を伸ばされ髪を直された。
「気にすることはないですよ。ボクとしても君という興味深い選手の成長を間近で見れることは……」
「モエりん、ちょっと付き合ってくれないかな? カウンターの調子がどうも悪くって」
「あ、はい、不二先輩! すいません観月さん、ちょっと失礼しますね」
 頭を下げて不二についていく。と、不二がわずかに微笑んだ。
「? 不二先輩、なにか楽しいことでもあったんですか?」
「そうだね……どこかの誰かが待ってくれと言いたげに手を伸ばしているのに全然気付かないのが楽しくも嬉しい、というところかな」
「? ? ?」
「おう、巴、不二と一緒に練習するんやったら俺とにしとかへん? どのカウンターも楽勝やで?」
「クソクソ侑士、抜け駆けしてんじゃねぇよ! おい巴、俺が相手してやる、こっち来いよ」
「おう巴ぃ、オレ様のボレー味わわせてやる。相手しろい」
「丸井くん、少しは状況を読みなさい、今そんなことを言っても巴さんも困るでしょう。……まぁ、彼女が自ら私に共同練習を求めてくるのなら私も受けるのにやぶさかではありませんが……」
「モエりん、俺と一緒に」
「巴さん、俺と」
「俺と」
「俺と」
 次々押し寄せ騒ぎになったところにになったところに真田と手塚が「なにをやっているか、たるんどる!」「宿舎の周り三十周してくるか」と一喝しその場は収まった。だけどなんでこんなにみんな私のために、本当にみなさん親切なんだなぁ、と心底感謝したのだった。

 巴はふらふらと朝食前の歯磨きをするべく洗面所に向かっていた。食後も歯を磨くのでリョーマなどには「無意味なんじゃないの、それ」と言われるが習慣になっているのだから仕方がない。
 洗面所に着くと、樺地が歯を磨いているところに出くわした。ぺっと洗面所に口の中のものを吐き出し、うがいをする。
「あ、樺地さん! おはようございます!」
「ウス」
 挨拶をするといつも通りの返事が返ってきた。落ち着いた返事になんだかほっとして、笑顔で言う。
「樺地さんも食前食後に歯を磨くんですか?」
「ウス」
「えへへ、私もそうなんです。食事する前に歯を磨く必要はないような気もするんですけど、習慣なんで」
「いい習慣だと……思います」
 リョーマとは正反対の優しい言葉に思わず笑みがこぼれる。にこにこっと笑顔で頭を下げた。
「ですよねー。じゃあ、私、歯を磨いてきますね!」
「ウス」
「今日も一日、頑張っていきましょうね、樺地さん!」
「ウス!」
 普段より少し力強くうなずく樺地に手を振って、去っていくのを見守る。樺地はいつも力強くて、無口だけれど優しい。鳥取さんもきっと心強いだろうなー、と思うとなんだか嬉しくなった。
 笑顔で歯を磨いていると、なぜか朝食を一緒に取ろうと誘う人たちが何人かやってきたので、慌てて巴は歯を磨き終えうがいをした。やっぱり自分は注目されているのだ、今のうちに少しでも多くの人と仲良くなって技を盗みたい。

 昼休み。練習をしようかとコートに向かっている途中、声をかけられた。
「ほうら、やっぱりだ」
「え? 伊武さん、どうかしたんですか?」
 いつも通りの仏頂面で立っている伊武。この人が唐突なのはいつものことなので突然の言葉は気にしない。
「ここで待ってたら、巴が通り掛かると思ってたんだ」
「はぁ。なにかご用でしょうか?」
「買出しに行くんだ。手伝ってくれない?」
「はい、いいですよ!」
 笑顔でうなずく巴に、伊武は仏頂面で肩をすくめた。
「……どーせ誰が声をかけてもにこにこしながらついてくんだろうなぁ……タチが悪いよね、ホント」
「は? すいませんよく聞こえなかったんでもう一度」
「別になんでもない。ほら、行くよ?」
「はいっ」
 連れだって歩きながら、いつものように軽くお喋りをする。
「なにを買いに行くんですか?」
「氷帝の跡部ってヤツご指名のブランドタオル」
「え……跡部さんの? それをなんで伊武さんが」
「昨日の晩、部屋でやったゲームで氷帝のヤツらに負けたんだよ」
「つまり、罰ゲームってヤツですね」
「……まったく、なんで俺が買いに行かされるんだよ。ま、負けたんだから仕方ないけど」
 いつも通りにボヤく伊武に、巴はくすくすと笑う。ボヤきながらも律儀に命令に従うのは非常に伊武らしい。
 その時あれ、とふと気付いた。跡部さん一人のスポーツタオルを買いに行くのに、なんで手伝いが必要なんだろう?
 数秒考えて、まぁいいか、と気にしないことにする。別に必要だろうとそうじゃなかろうと、伊武は自分に声をかけてきたのだから。
「ごちそうさま、お地蔵さま。……プッ。ちょっといいか?」
 今度は天根に声をかけられた。慌てて向き直り「どうしたんですか?」と訊ねると、いつも通りの無表情(伊武の仏頂面とはまた違う)でこう言われた。
「これからテーピングや傷薬を買出しに行く。お前も一緒に行かないか」
「え」
 伊武さんに先に誘われているのだが、と一瞬考えたが、すぐに笑ってうなずいた。
「そうですね! 一緒に行きましょう!」
「……ふーん。キミ、先に誘われたこっちにはなんのフォローもなしなんだ。まぁいいけど、確かに俺なんかに誘われるよりそっちの方がマシだよね。……人の気持ちとかまるで無視? それってどうかって普通考えない?」
「なにボヤいてるんですか、伊武さん。一緒に行くんでしょう? どうせスポーツショップに行くんですから行先同じじゃないですか」
「………キミって、本当人の気持ちとか考えてないよね」
「え? なんでですか?」
「待ってよー、ダビデー……あ、巴さんっ! 一緒に来てくれるの!?」
「あ、うん。葵くんも一緒に買出し? 大変だね」
「ううんっ、巴さんと一緒に買い物できるんならこのくらい全然平気だよっ!」
「買い物じゃなくて買出しだろ。……ったく、優先順位狂ってるんじゃないの。本音と建前の使い分けもできないわけ?」
 それからも巴たちはちょっと進むごとに声をかけられ、一緒に買い物に行くことになった。宿舎を出る頃には青学の二年の先輩たちと天野、不動峰の神尾と伊武、氷帝の鳳に立海の切原、六角の葵と天根、ルドルフの裕太に四天宝寺の金太郎とその連れの名前を知らない一年、と十数人の大所帯になってしまったが、ふと後ろを見ると自分たち同様に宿舎を出ようとしている二人組を見つけ巴は声を上げた。
「ん? あ、はやくーん、リョーマくーん!」
 手を振ると、隼人はなぜか一瞬表情を固くしたが、すぐに笑顔になって手を振り返してきた。リョーマはいつもの通りわずかに眉をひそめただけだ。
「おう! なにやってんだよ、こんなとこで」
「うん、あのね。なんかみんなサブコーチから買い物頼まれたんだって。行く場所同じだし、せっかくだから一緒に行こうかってことになって」
 聞いてみるとサブコーチに買い物を頼まれたというのが大半だったのだ。
「お前も頼まれたわけ?」
「うーんと、私は最初伊武さんに一緒に行かないかって誘われたから、それで行き会ったみんなをついでに誘って」
「お、じゃあ一緒に行くか。いいっスよね、みなさん?」
「おう、来いや。ここまで人が増えたんだ、いまさら一人二人加わってもなんも変わんねぇよ」
「……まー、いーけど。……ていうかそもそもなんでこんなに人がいるわけ? 狙ってることあからさますぎ……」
「別にいーけどよ、てめぇの分はてめぇで持てよ? 他のやつらもな」
「言われなくてもそうします」
「よっし、んじゃ行きますか! とっとと行ってとっとと帰ってこねーと!」
「なんでお前が仕切るわけ?」
「うっせーなっ、別に仕切ってねーだろボケリョーマっ」
「式を仕切るのは親近者。……プッ」
「あはは……じゃあ、みんなで買出しにレッツゴー!」

「結構な荷物になったっスね〜」
「だな。こんなに大勢で行く意味あるのかとか思ったけど、荷物多くて驚いた」
「……このくらいで音ぇ上げてんじゃねぇぞ」
「べっ、別に持てねぇなんて一言も言ってねーだろ!」
「まぁまぁ、裕太さん。海堂先輩も、気合入れにしたって無理にそんなぶっきらぼうな言い方しない方がいいですよ?」
「……無理なんざしてねぇ」
 がやがやと喋る声を聞きながら宿舎への道を歩いていると、巴はふとある店に気付いた。
「あ……」
「どうした、巴?」
「いえ、あの、あそこの喫茶店可愛いなーって。ちょっと寄っていきたいなって思ったんですけど……荷物あるし、無理ですかね……」
「……別に、いいんじゃない? 少しくらい」
「お! コシマエええこというやん! なーなー休んでこうや〜、ワイ腹減ってもーた」
「そうだね、巴さんがそうしたいなら……少しくらいいいんじゃないかな」
 全員特に異論はないようで、全員で喫茶店に入って一番大きなテーブルに案内される。なぜか「できるだけ不公平のないように」と天野に囁かれ真ん中の席に座らされた。
 ハート型の椅子といい、ピンク系統の色味といい、どこを見てもかなり可愛らしくて嬉しいのだが、巴は少しばかり恥ずかしかった。
「喫茶店でジャージっていうのは、ちょっと恥ずかしいですね……」
「じゃあ、今度はちゃんとした服を着て来ようか」
 鳳がにこりと笑っていった言葉に、嬉しくなって笑顔で返す。
「そうですね、一緒に来ましょう!」
 すると、今度はリョーマがぶっきらぼうに言った。
「別にどっちでもいいんじゃない。赤月は、なに着ても変わらないでしょ?」
「どういう意味よ?」
「別に」
「むう〜」
「でもさっ。巴さんの私服姿っていうのも見てみたいよね! 普段どんな服着てるの?」
 今度は葵だ。
「え、私服ですか? そうですねー、普通にジャンパースカートとかワンピースとか。動きやすい格好が多いですね。Tシャツとジーンズみたいな格好もよくしますよ」
「へぇ、やっぱ女の子って感じだな。そういや、お前趣味ってなんかあんの?」
 次は神尾。
「趣味ですか? えーと、那美ちゃんにアロマテラピー教えてもらってから、少しかじったりしてますけど……あとは料理とか……うーん、一番打ち込んでるのがテニスなんで、他のことにあんまり時間使わないですねー。勉強とか身だしなみとかも整えるともういっぱいいっぱいで」
「あはは、巴さんらしいね。巴さんって料理も好きなの?」
 また鳳。
「ええ、まぁ、そんなに上手でもないですけど……」
 そこまで答えて巴ははっとした。なんでこんなに自分ばっかり質問を受けるのか。不公平な気がする。
「あー、なんかみんな、私のことばっか聞いてません? 私にも質問させてくださいよー」
「質問、昵懇、謹厳実直。なにか聞きたいことがあるのか、言ってみろ」
「そうですねぇー……」
 巴は少し首を捻った。改めて聞かれると、すごく普通のことしか思いつかない。なので、素直にそれを口にした。
「みなさんの好みのタイプって、どんな女の子ですか?」
「はあ?」
「ゴハッ、ゴホッゲホッ!」
「ゴフッ! ゲホッ、ゴホッ!」
「ゴホッ、ゴホッ!」
「ゲフッ、ゴホッ!」
 海堂と神尾、それから四天宝寺の一年の金太郎じゃない方、さらに隼人が同時に噴いた。
「わっ、みなさん、急に咳き込んでどうしたんですか? はやくんまで」
「巴、お前なぁ……」
「テメェのせいだろ! なに聞きやがるんだ急に!」
「だって……気になるじゃないですか、そういうのって。あ! そんなに慌てるってことはもしかして……先輩も神尾さんも、さては気になる人でもいるんじゃないですか?」
 わくわくと聞くと、神尾はうろたえ海堂には凄まじい目で睨まれた。
「なっ……別にそういうわけじゃ」
「フシュウウウ!」
「わ、海堂先輩、落ち着いてくださいっ!」
「まぁ……確かに、急にんなこと聞かれてもなぁ」
 苦笑する桃城の横で、葵は元気に手を上げる。
「え、なんで? ボクは全然かまわないよ! ボクはねー、可愛い子! 目がぱっちりしてて、髪がさらっと長くってプロポーションもきれいな子がいいな! 具体的に言うと、巴さんみたいな子、ボクすっごくタイプだよ!」
「え……」
 そういう返事が返ってくるとは思わなかった。悪口を言われているわけではないが、どうリアクションしよう、と巴は一瞬迷う。その間に神尾ががっとその発言に噛み付いた。
「おいコラッ、勝手なこと言ってんじゃねぇぞ一年の分際で! 第一なぁ、そういう誰が好みとかそういうことは、胸にこっそり秘めておくもんで……」
「おー、なーなー健坊、あれが負け惜しみっちゅーやつなん?」
「俺に聞くな!」
「なんだとてめぇ!」
「まぁまぁ、神尾さん。金太郎くんも、ね? 悪気がないのはわかってるけど自分の言ったことが相手にどう受け取られるか考えないと駄目だよ」
「えー、考えてんでワイー。ワイかて今んとこ好みの女はサル女やし」
「え!?」
 金太郎までそんなことを言い出すとは。え、私って実はモテるタイプだったの? と思いつつもいやいやただ好みのタイプって言われてるだけで好きだとかだったらこんなにあっさり口にできないだろうし、と首を振る。その間に男子たちはぎゃあぎゃあと盛り上がっていた。
「遠山! なに言ってるんだお前はっ、なにも考えてないくせにっ」
「せやし考えてるてー」
「俺は、俺のダジャレに笑ってくれる子がいい」
 天根がぼそりと言う。あ、ようやく普通の会話になった、と巴はそちらの方を向き目を輝かせる。
「え、それって、ダジャレを言ったときは、いつも笑わなきゃいけないんですか?」
「いつも、ドイツも、フランスも。……うーん。イマイチ」
「あは、あはは……」
「あー、俺は元気があって、明るいヤツだな。そんで、一緒に騒いで楽しいヤツ。気が強いヤツもタイプかな」
 桃城も同様に言う。なんだか楽しくなってきた。巴はにこにことうなずく。
「へぇ〜」
「うーん、俺は、一言で言うのは難しいけど……俺のことを信じてくれる、浮気しない子ならそれでいいかな」
 今度は鳳。鳳らしい優しい言葉に、巴はうんうんとうなずいた。
「なるほど……」
「……なに? もしかして俺も好みのタイプが君だって言うとか思ってる? 君って実際相当図々しいよね。……ったく、なんでこんなところで全員並んで手差し出さなきゃいけないわけ。バッカじゃないの?」
 伊武がいつも通りにぶつぶつと口の中で言う。巴はやれやれと思いながら答えた。
「もー、伊武さん、誰もそんなこと言ってないじゃないですか! なにもそんなにボヤかなくても……そーだ、伊武さんの好みのタイプってどんな子なんですか?」
「カワイイ子」
「ずいぶんとまたストレートな。えーと、他には……?」
「外国人かな」
「へぇ……さすが伊武さん、珍しい答えですね。不二さんは?」
 訊ねると、裕太は(口に出して名前を呼ぶきっかけがないので苗字で呼んでいるのだが)あからさまにうろたえる。
「へっ、俺っ!? ……タイプとか、そんなのねぇよ。こうだから好きとか、嫌いとか……よくわかんねぇしよ。きっと、好きになったヤツがタイプってことなんだろうな。……って、なに言わせんだよ、こっ恥ずかしいな!」
「す、すみません。えへへ〜。切原さんは?」
「ん? そーだな、明るい子がいいな、やっぱ。一緒にいて楽しい子じゃねーと」
「そうなんですか〜。そっちの……健坊くんは?」
「お、お前にまで健坊呼ばわりされる筋合いはないっ! 姓で呼べ姓で! 藤堂と!」
「あ、うんわかった、藤堂くんね。じゃあ、藤堂くんの好みのタイプは? 教えてくれる?」
「……そんなもの……今の俺にはテニスがすべてなんだ! 女がどうとかいう余裕はない!」
「ふんふん、なるほどね〜。その気持ちはちょっとわかるかな。きーくんは?」
「え、俺も? 俺は……」
 とたん、隼人とリョーマが同時に勢いよく立ち上がった。
「さーそろそろ行きますか! でねぇと遅刻しちまいますよ!」
「赤月、急がないと練習の支度間に合わないんじゃないの?」
「あ、そうだね!」
 時間を見れば確かにそろそろ戻らないとまずい。慌てて立ち上がると他の男子たちも立ち上がった。
 帰りは少し早足になりながら、みんなといろいろお喋りをして帰る。楽しかったが、少し気になったのは。
 隼人とリョーマがなぜか、こっちをあんまり見てくれない、という事実だった。

「ああ〜、疲れたー! 休憩休憩〜」
 三時休みに宿舎の入り口辺りで涼んでいると、ふいに声がかかった。
「とかいうわりには元気のいい声ね」
 振り向くと、そこには小坂田と桜乃、そして小鷹が立っている。巴は思わず仰天した。
「あれれ!? なんで朋ちゃんと桜乃ちゃんがここにいるの?」
「ここまで、わざわざ差し入れに来てくれたんだって」
 小鷹が微笑む。巴は満面の笑顔になった。
「そうなんだ! ありがとう、って……二人とも学校は?」
「今日は映画の会で学校が午前中で終わったの、だから来られたんだ」
「ああ、そんな行事あったね」
「それにしても、本当に羨ましいわ〜。ここでもリョーマ様と一つ屋根の下なんて!」
「あはは……」
「ん? その笑い方、気になるわね。さては、合宿のメンバーに好みのタイプでも見つけたのかしら?」
 巴は驚いてぶんぶんと手を振り回した。
「ち、違うよ〜。そんなわけないでしょ、テニスをしにきてるんだもん」
「あらあら、どうなのかしら〜。でも、まぁ、今日のところはそういうことにしといてあげる」
「そ、それよりも、差し入れってなんなの?」
 巴の言葉に、桜乃は笑顔になって手に提げていた袋から箱を取り出し、開けた。
「うん、ほら! ひなまつりケーキ!」
 桃色のクリームで綺麗にデコレーションされたケーキを見て、巴と小鷹は目を見張る。そういえば今日はひな祭りではないか。
「そっか、今日は三月三日なんだね」
「うん! きっと、合宿所だと、気分が出ないだろうなって思って」
 その気持ちは嬉しい。嬉しいのだが。
「どうよ、この私と桜乃の心意気! 感動モノでしょ? って、なによあんた、その苦しそうな顔は」
「え、えっと……。あれだけ練習した後だと生クリームはキツいかな、とか」
 苦笑すると、小鷹も困り顔でうなずく。
「それはあるかも……」
「なによ、二人とも! せっかく持ってきたんだから一口くらいこの場で食べなさい!」
「わあっ、無理やり食べさせるのなし! 生クリームが鼻につくってば!」
「と、朋ちゃん……。落ち着いて落ち着いて」
 桜乃に割って入られて、小坂田はいかにも渋々と矛を収めて代わりに指を突きつけた。
「もう、しょーがないわねぇ! 後で味わって食べなさいよ」
「そうしまーす」
「二人とも、本当にありがとう!」
 小鷹と二人で笑顔で言うと、小坂田は満足げにうなずいた。桜乃も笑顔だ。こういう時友達というのは本当にありがたいものだと実感する。
「あれ? 朋ちゃんに竜崎さん。どうしたの、こんなところで?」
「あ、きーくん!」
 思わず声を上げた。部屋に戻っていたのか、天野が宿舎の中から出てきたところにちょうど鉢合わせたのだ。
「あ、ケーキ……もしかして、ひな祭りの?」
「そ、そーよ、悪い? 女の子として那美とモエりんが可哀想だから、特別に作ってきてやったのよ。言っとくけど、女の子のためのお祭りなんだからあんたの分はないからね!」
「え、ひどいなー。そりゃ、今年はひな祭りケーキ二人に作ってあげられなかったのは悪かったと思ってるけど」
「え? きーくんもしかして、朋ちゃんと那美ちゃんに毎年ひな祭りにケーキ作ってあげてたの?」
「そーよっ。作んないわけないじゃないこの年中行事ごとに無駄に料理作るマメ男がっ」
 確かに、言われて見ればそれは意外でもなんでもない。バレンタインにだって天野は隼人や先輩たちにお菓子を作ってきていたのだから。
「でも、今年は朋ちゃんたちが作ってくれたんだよね? 一口くらい食べさせてくれない? 久しぶりに朋ちゃんの作ったケーキ食べたいよ」
「あんたにだけはぜっったいあげない! 行くわよっ、桜乃!」
「ま、待ってよ、朋ちゃん」
「じゃあね、那美、モエりん!」
 そう叫んでから早足で宿舎を出て行く二人を目で追いながら、巴はそろそろと天野の方をうかがった。小坂田が天野に理不尽なことを言うのはいつものことではあるのだが、今回は特にひどいような気がしたのだ。
 だが、天野はわずかに苦笑しているだけで怒った様子は微塵もない。それどころかスグに普段の優しい笑顔になり、巴たちに手を伸ばしてきた。
「那美ちゃん、巴ちゃん。それ、冷蔵庫に入れておいた方がいいんじゃない? 今日ちょっと暑いから、外に出してたら傷んじゃうかも」
「あ、そ、そうだね」
「なんなら部屋の冷蔵庫まで持つけど?」
「え、いいよ、すぐそこだもん。別に重くないし」
「あはは、それもそうだ。じゃ、俺は練習に行くよ」
 手を振って歩き出す天野。巴は思わず、その背中に呼び止める声をかけていた。
「あの、きーくん!」
「ん? なに?」
 くるりと振り向く天野の笑顔にわずかに逡巡したが、気になる気持ちを抑えられず訊ねる。
「あの、きーくん、悲しくなったり腹立ったりしなかったの?」
「……朋ちゃんに?」
「うん……今に限ったことじゃないけど」
 いつもないがしろにされ、怒られ怒鳴られ馬鹿にされ、なのにどうしていつもそんなにも優しいのだろう。自分だったら絶対に喧嘩になっていると思う。
 だが、天野はくすりと笑った。
「別に怒ることでもないよ。俺は朋ちゃんのことが好きだし、朋ちゃんが朋ちゃんなりに俺のことを大切に思ってくれてるのも知ってる。だからなに言われてもわりと平気なんだ。その底にある気持ちを信じていられるから」
「……そうなんだ」
「巴ちゃん、なにか悩みでもあるの? 相談くらいになら乗ってあげられるけど」
「え、いやいやいや、そういうんじゃないから!」
 そう、そういうんじゃない。天野と小坂田の間にある、絶対的な信頼感が少し羨ましくなっただけで、別に悩んでいるわけじゃない。
 自分だったらそういう絶対的な信頼感のある、あったはずの相手と、少し距離が遠くなっただけで、別に悩んでいるわけじゃないのだ。
 
 練習が終わり、練習試合のくじを引く。誰と当たったかな、と対戦表を見て、思わずうっと唸ってしまった。
「……氷帝の鳥取さんと樺地さん! きょ、強敵だなぁ……」
 同じように対戦表を見ていた鳥取が、こちらに気付いて笑顔を向けてきた。その隣には樺地が立っている。
「赤月さんと対戦か。お互い、ベストを尽くそうね!」
「もちろんですよ! 全力で行かせてもらいます」
「ウス」
「私、赤月さんと戦うの、ずっと楽しみにしてたんだ……」
 どこか寂しげに言う鳥取に、巴はわずかに戸惑った。
「鳥取さん……?」
「この試合、私の全てを出す。絶対勝つよ、樺地くん!」
「ウス! 勝つのは自分たち……です」
 見つめあい燃える瞳で誓い合う二人に少し気圧されながら、巴はまだ組んでいない人を探した。鳥取と樺地と戦うのだから、こちらもそれなりの実力を持つパートナーでなければ困る。
 そしてできれば気が合う相手、とクジを引く前の選手たちを探して、ふと目が合った相手に近寄る。
「亜久津さん、ペアの相手、お願いできませんか?」
 なぜか周囲がざわりとざわめく。だが亜久津はいつも通りの不機嫌な顔で答えた。
「仕方ねぇ……。やってやるよ」
「ありがとうございますっ!」
 頭を下げると、フン、と鼻を鳴らされた。
「相手は誰だ」
「氷帝の鳥取さんと樺地さんです。樺地さん相手だとパワー負けしそうで怖いですね。鳥取さんもスタミナあるし……」
「テメェ、なに言ってんだ? ビビってんじゃねーよ、あ゛? 俺に比べたら、どいつもこいつもイモばっかりだぜ。勝てねぇわけねーだろがっ」
「つ、強気ですね……。私も見習わないと。とにかく頑張ります!」
 そうだ、勝たなければ。絶対に勝たなくては。以前戦った時は鳥取の故障のせいでちゃんとした試合にならなかった。今度こそ、なんとしても勝たなくてはならない。

「赤月、サービスプレイ!」
 巴はすぅ、と何度か深呼吸すると、必殺のニンジャ・サーブを放った。ライン際ぎりぎりに突き刺さるサーブに、自分は調子がいいと確信する。
 何度かニンジャ・サーブを放って何度か返される。樺地の返し技ならまだ返しようがあるが、鳥取のスカイハイ・スライスは超高度から落ちてくる跳ねないリターン、いかに亜久津が前衛でも返すのは難しい。
 それでも1ゲーム目、サービスゲームを取って、一進一退の攻防が始まった。亜久津はダブルスには慣れていないが、青学の先輩たちも似たようなものだったので巴は合わせるのにさして苦労はしない。だが鳥取と樺地はどちらもほとんど超高校級の選手だし、なにより互いにひどく息が合っている。後衛の鳥取めがけスマッシュを放っても樺地に防がれてしまうことも何度かあり、試合はどんどんと長引き始めた。
 しっかりしなきゃ。負けるわけにはいかない。亜久津さんのためにも、あの時の勝利を、青学の全国優勝を嘘にしないためにも。
 だけどそもそも、私って全国優勝に貢献してたっけ?
 ふとそんな言葉が思い浮かび、巴は慌てて首を振った。そんなことを考えてる場合じゃない、今は試合中だ。
 なのにサーブを打ちながら、ボールをリターンしながら頭は勝手にぐるぐる回転してしまう。全国優勝に貢献なんていえる貢献は自分はしていない。それは最初からわかっている。自分はまだテニスを始めて一年にもならない初心者なんだから。でも自分はここにいる。Jr.選抜という大舞台に。なんで? 竜崎先生が推薦してくれたから。でも自分だって頑張っている、強くなったともいわれた、認めてもらっている。
 だけどそれは、同じ一年の隼人ほどじゃない。
 全国大会の決勝で見た、隼人とリョーマの、あのダブルスほどじゃない。
 ――そう思ったら、なんだか急に、体が重くなったように感じた。
 必死に体を動かす。負けたくない、しっかりしなきゃ、パートナーのためにもみんなのためにも、そしてなにより自分のためにも勝たなくちゃ。納得いかない戦いなんかしたら鳥取さんにも失礼すぎる。
 だけど、なんでだろう、体がいつも通りに動いてくれない。そもそも自分がどんなテニスをしていたのか思い出せない。なんで、なんでこんな時に、と思いながら必死に走り、ラケットを振った。
 だって、声がする。どんなに必死に走って、ボールを返しても。『違う。私のテニスは、私の目指すテニスはこんなんじゃない』って。
 駄目だ、そんなこと考えてちゃ。勝たなくちゃ。戦って、勝たなくちゃ。
 そう必死に言い聞かせて動き、走り、ラケットを振って。気がついたら、5-7で負けていた。

「……おめでとうございます、鳥取さん」
「ありがとう、赤月さん。すごくいい試合だったよ。……強くなったね」
 にこりと笑う鳥取の顔がまともに見れない。だってなんて言えばいいのだろう。自分の目指す、自分らしいテニスじゃないテニスで戦って負けた自分が。
「お互い、これからも頑張ろうね!」
「はい……」
 亜久津が全身から不機嫌のオーラを発しているのは感じ取れたが、今はとても亜久津と向き合う気力が湧いてこなかった。自分が間違ってるのはわかってる、わかってるけどどうすればいいのかわからない。
 たまらなくて、試合後の握手が終わるや走り出した。が、一分も走らないうちにぐいっと腕をつかまれる。
「おい、巴! 巴! 待てよ!」
 隼人だ。
 そう思ったら、ぎっと全身の力をこめて隼人を睨みつけていた。
「なに! 放してよ!」
「なにって、お前……」
 言いかけて隼人は言いよどむ。同情されてるのか、と思ったら頭に血が上り、全力で腕を振り解こうと暴れる。それでも隼人は巴の腕を放さなかった。
「落ち着けよ! 俺は別に、ただお前が……」
「……私が、なに?」
「お前が……さっき、妙にお前らしくなかったから、それで……」
「わかってるよそんなこと!」
 そう、わかってる、そんなこと誰よりも自分が一番よくわかってる。
「わ、わかってるってな、お前」
「わかってるよ、そんなのわかってる」
 自分がどれだけ馬鹿で、惨めなことをしたかは、誰よりも自分がよくわかってる。なのに。
「わかってる……わかってるのに! 隼人の、バカーっ!」
 全力で隼人の腹を蹴り、怯んだ隙に走り出す。バカ、バカ、バカ! と頭の中がわんわん鳴っていた。
 わかってる、自分がバカなのはわかってる。だけど。さっきまで昨日今日と自分とまともに話そうともしてこなかった隼人が、話しかけてきた今の自分が。たまらなく惨めで、愚かしく思えて仕方なかったのだ。

「あれ? 今日って三月三日、ひな祭りね」
 寝る前、杏が言った言葉に巴ははっとした。練習後しっかり一人で食べていた、小坂田と桜乃が持ってきてくれたひな祭りケーキのことがバレたのかと思ったのだ(こんな時でもしっかり食欲がある自分が少し悲しかった)。
「どうしたの? そんなにびっくりした顔して」
「え、別に……。ちょっと、その……。そうだ! 家のお雛さま、ちゃんと片付けてくれてるかなって心配になったんです。ほら、よく言うじゃないですか。お雛さまを片付けるのが遅れると婚期も遅れるって」
 巴がおどけた振りをして言うと、原が首を傾げた。
「……確かに言うわ。神経質に気にする人もいるみたいだけど」
「でも、それって迷信じゃない?」
「それに婚期って、結婚の時期だよね。ずいぶん気が早い話だなぁ」
「あ〜? ひょっとして昼間に朋ちゃんが言ってた通り……。実は、この合宿で気になる人でも見つけちゃったんじゃない?」
 好奇心に目をキラキラさせて言ってくる那美に、巴は仰天した。
「は、はい!? なに言ってるの、那美ちゃん。話が飛びすぎだよー!」
「でも最近、モエりん、手塚先輩とやたら仲がいいよね〜」
「だって、同じ学校の先輩だし……」
「そういえば、お兄ちゃんもあなたのこと、ずいぶん気に入ってたけど」
「え? ええっ!?」
「私は跡部さんといい雰囲気って思ってたんだけどな」
「ええ〜っ!?」
「あらあら、気が多いこと。観月さんともよく話したりしてるのに」
「…………。たるんでるわね」
 なんでこんなにみんな詳しく知っているのか。女の子ネットワークの恐ろしさを久々に感じ、巴は思わずおののいた。
「それで、本当のところはどうなの? 誰が本命?」
「本命もなにもないんだってばっ! そんなつもり、全然ないし」
「あ〜、それじゃ、他の人? 山吹中の千石さんとか」
「六角中の佐伯さんもありえそう!」
「ほらほら、正直に言っちゃいなさ〜い」
 全員ノリノリでこちらに迫ってくる。凄まじい団結力だ。気分としては生贄にされた子羊、俎上の鯉。
 ここは逃げるが勝ちだ、と布団に飛び込んで掛け布団をかぶった。
「おやすみなさーい! ぐー、ぐー!」
「あら、逃げられちゃった。それじゃ、私たちも寝ましょうか」
『おやすみなさーい』
 いつも通りの一日の終わり。けれど、今日の巴の心は、確かに昨日とは違っていた。
 はしゃいでみても、おいしいものを食べても。自分が今苦しいのだということを心は忘れていないのだから。

 それでもその夜も夢を見た。
 亜久津や千石たちと一緒に、三蔵法師一行になって天竺を目指す夢だった。

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