七日目〜Jr.選抜〜
 Jr.選抜トーナメント当日、朝。巴はゆっくりと目を開け、それからこぼしていた涙を拭いた。うん、大丈夫。私は大丈夫。ちゃんとあの夢を、いい夢だと思えたんだから。
 身支度を整え、部屋を出る。少しばかり遅めの時間になっていたので、さっさと食堂へ直行した。朝食は黄金の食事、おいしく食べて今日の活力にしないと。今日はいやっていうほど体力使うに決まってるんだから。
 と、角を曲がるや、ちょうどリョーマとぶつかった。正確にはぶつかる寸前にリョーマは横っ飛びで逃れたのだが、嬉しくなってつい声をかける。
「あ、リョーマくん、おはよう。今日は早起きだね」
「……別に。赤月が、寝坊しただけじゃない?」
「そんなことないでしょ。いつもより、ちょっと遅いかもしれないけど」
 そう言うと、リョーマはいつも通りの仏頂面で、当然のような顔で抜かしてきた。
「あんまり遅いから、当日になって怖くなって逃げたのかと思ったよ」
「なんですって!? なんで私が、逃げなきゃいけないのよ!?」
「じゃあ、どうなの? 今日のJr.選抜、自信はあるの?」
「もっちろん、自信はあるよ!」
「ふーん、そうなんだ? まぁ、実力がない分、自信くらいはあった方がいいよね」
 平然とした顔で(こっそり手の中には汗をかいていたのだがそんなことが巴にわかるはずはない)言うリョーマに、巴はぷぅっと頬を膨らませる。
「ふんだ! 実力も自信も兼ね備えているって証明してみせるから!」
「そう? じゃ、楽しみにしてるよ」
 涼しい顔でそう言うリョーマにべぇっ、と舌を出してから、あ、と気づいたことを訊ねた。
「ねぇリョーマくん、はやくんは? 一緒じゃないの?」
「あいつなら先に会場に行ったけど。組み合わせが気になるとか言って」
「そうなんだ」
「……ていうか、なんで俺に聞くわけ。俺は別にあいつの保護者でもなんでもないんだけど」
「あそっか。じゃあ……配偶者?」
「んなわけないだろ。お前、俺に喧嘩売ってるの?」
 じろっと睨まれるが、巴もここは譲れない。じっと見返して語りかけるように言った。
「でも、リョーマくんとはやくんが、お互いかけがえのない存在だって思ってるのは確かでしょ?」
「……それは」
「だから、お互いのことを大切にしてほしいな、って思うんだ、私。どっちも私にとっては大切な家族だから、どっちにも幸せになってほしいもん。私じゃ――私のテニスじゃ、二人の間に入ること、できないから」
「…………」
 ぎゅ、とリョーマが眉を寄せた。納得したのかな、と首を傾げるや、リョーマはその仏頂面をさらにぶっきらぼうにして、ぼそりと言う。
「別に俺ら、お前に俺らの間に入ってほしいわけじゃないけど」
「……え?」
「お前なりに、お前にしかできないことやればいいんじゃないの」
「え……」
「じゃ。早くしないと遅れるよ」
 そう言ってリョーマは去っていく。その後姿をなんとなくぽかんとしながら見送ってしまった。私にしかできないこと? なんだろうそれ。踵落しとか? マッサージとかはとりあえず得意だけど。ええと、他になにかできること――
 巴ははっ、としてふるふると首を振った。今はそんなこと考えてる場合じゃない。早くご飯を食べて会場に行こう。だってもうすぐ、試合が始まっちゃうんだから。

 試合会場、申し込み窓口の前で巴と真田は待ち合わせていた。なんとか時間通りにたどり着き、お互い挨拶をする。
「いよいよ、Jr.選抜だな……調子はどうだ?」
「……よくわかんないです。だって、あれこれ考えても仕方ないですし。でも、不思議なことに、負ける気はまったくしません」
「頼もしい奴だな。緊張している様子もないのがお前らしい。その調子で全力を尽くしてくれ」
「はい、わかりました! とにかく力いっぱいやります。頑張ります!」
 にっ、と満面の笑顔で言うと、真田はなぜかごほん、と咳払いをして「うむ」とかなんとかうなずいた。
「さて、では申し込みを――」
「やぁ、巴さん。今日も元気なようでなによりだよ」
「………っ!! ゆ、ゆき、村」
「あっ、幸村さん、おはようございます! 体調は大丈夫ですか?」
「もちろん。この日に一番いい体調になれるよう調整してたからね。巴さんは大丈夫?」
「はい! 元気だけが取り柄ですから!」
「フフ、そう? 俺としては君のそういうところにすごく惹かれるから、かまわないけどね。……さて。巴さん、君はどの種目を選ぶんだい?」
「ミクスドです。真田さんと一緒に出場することになって」
「……へぇ。手が早いね、真田。噂は聞いていたけれど、いつの間にそんな真似を?」
「い、いやっ、これは、だな」
「……幸村。赤月と出会ってまだ数日しか経っていないというのに、いきなり名前で呼ぶのはいかがなものかと思うが」
「あ、手塚先輩!」
「フン……くだらねぇ。おい巴、どういうわけで真田をパートナーに選んだ。聞かせろ」
「跡部さん……えーっと、ですねぇ」
 巴は昨日の流れを思い返してみる。最初に原に声をかけられて、勝負することになって、その勝負がついたら真田と組むのが自然な感じになっていて、つまり結局は。
「成り行き、ですかね……?」
『…………』
「フン、ま、そんなこったろうと思ったがな。今のところは全員その程度の扱いってわけか」
「フフ……やっぱり面白いね、君は。おかげで心置きなくシングルスに集中できそうだ」
「…………そうか。赤月、たとえ成り行きだろうとお前が選んだパートナーだ。全力で協力し、戦え」
「はいっ! ……え、どうしたんですか、真田さん。なんだか元気ないですけど」
「……いや。別に、大したことではない」

 そうして、大会は始まった。
 一回戦は聞いたことのない選手との対戦、まず危なげなく勝ち抜いた。
 二回戦で当たったのは、早川と裕太のペア。早川がぎっとこちらを睨み言ってくる。
「赤月さん、小鷹さんと戦うためにはあなたが邪魔なの。全力で倒させてもらうから、覚悟することね」
「私だって、負ける気なんて全然ないから!」
 そうして始まった試合。早川のストーム・エンジェルは強力だったし、裕太とのコンビネーションも見事だったが、巴も次第に真田とのコンビネーションに慣れてきていた。素早いフォロー、息を合わせたゲームメイク、そういったものも遺憾なく発揮できるようになってきていたし、なにより。
「フンッ!」
 真田の放ったショットが裕太のラケットを弾く。さっきから次々とくり出す真田の風林火山は、早川と裕太を圧倒している。
 すごい。やっぱり真田さんはすごい。巴はごくりと唾を呑んだ。この人の凄まじさというものを肌で感じる。鍛え抜かれた体と技、それが見事に彼の実力として結実しているのがわかる。
 だから、自分も、もっと。巴は早川の打ったボールに、だっと飛びついた。もっと、もっといい、すごいテニスをしたい。
 ビシッ! と気持ちのいい音がなる。自分の打ったボールは、相手が反応するより早く、コートを走り抜けていった。
「ゲーム6-3! マッチ・ウォン・バイ、真田・赤月ペア!」
「やりました、真田さん!」
 笑顔で駆け寄ると、真田は厳しい顔をしながらも(ほんのり鼻の頭が赤いのに巴は気づかなかった)、うなずいて答えた。
「うむ、いい試合だった。……以前一度組んだ時も思ったが、お前のテニスは、俺の力をどんどんと引き出してくれるな」
「え、えぇ? け、けど、以前組んだ時、私たち負けちゃいましたよ?」
「だが、俺は心底気持ちのよいテニスができた。あの負けには俺がダブルス慣れしていないこともあるだろう。……心底懸命に、楽しげにテニスをするお前の姿の隣で戦っていると、俺も、テニスを始めた時の喜びが思い出されるのだ」
 巴は思ってもいなかった高評価に一瞬まじまじと見開いた目で真田を見つめてから、「はい!」と叫んでうなずいた。いいテニスを、楽しいテニスをみんなができるようにと頑張って、実際にいいテニスができたと思ってもらえるなら、こんなに嬉しいことはない。
「……赤月さん」
「あ……早川さん」
「今後、あなたも私の標的として認識させてもらうから。覚悟しておきなさい」
 険しい顔でそれだけ言ってから、早川はふいと背中を向けてすたすたと去っていく。裕太は苦笑を浮かべた顔で言った。
「気にするなよ。あいつ、素直じゃないからああいう言い方しかできないけど、あいつなりにお前のテニスを認めたってことだと思う」
「裕太さん……」
「俺も、お前とテニスしてて楽しかった。次の試合も頑張れよ!」
「はいっ!」
 巴は満面の笑顔でうなずいた。

「巴くん、見事な試合でしたよ。早川も裕太くんも、これでまたひとつ成長するでしょう」
「あ、観月さん……ありがとうござ」
「面白いテニスだったぜよ。真田があんな楽しそうにテニスをするところなぞ初めて見たナリ」
「わ、仁王さん。そうなんですか? 真田さんって不器用だけど、優しい人なのに……」
「うっわー、さすがっつーかなんつーか。おもしれーな、お前のそーいうとこ」
「丸井さん! え、あの、みなさん試合は大丈夫なんですか?」
「……俺ら一回戦で青学の黄金ペアに負けちまったからな。真田のご機嫌伺いに来たってわけ」
「ジャッカルさん……そうなんですか。残念でしたね……青学としては、ちょっと誇らしいですけど。ごめんなさい」
「それは当然でしょう、気にすることはないと思いますよ。ああ、ちなみに私と仁王くんは二回戦も突破したあとの休憩時間を使ってここに来ていますので、ご安心を」
「柳生さん。それはよかったですね……でも、どうしたんですか、立海の選手のみなさんが揃って」
「なに、次の試合がうちの選手同士のペアなので、できれば観戦したいと思ってな」
「柳さん……それって」
 巴はじっと試合会場を見る。その中で、圧倒的な実力で敵をあっさり下して勝利していた、自分の次の対戦相手は――原と切原のペアだった。

「立海大の力を証明する組み合わせとなったようだな」
 テニスコートで、自分たちと原たちはお互い真剣な眼差しで向かい合った。特に、向こうの二人の目にはもはや殺気すら感じられる。
 ぎ、とこちらを苛烈な視線で睨みながら、二人が言う。
「真っ向勝負、お願いします」
「真田さん、立海大に入った時に崩された俺の野望、今日こそ果たすっス。あんたを倒してNo.1になってやる!」
「その意気やよし! ならば、俺は高き壁となろう。俺を超えてみろ、赤也! 俺たちは負けはせん。赤也、原、たとえお前たちふたりが相手でもだ」
 きっぱり言う真田に続き、巴もしっかりうなずいた。
「私も、ちゃんと真田さんの高い壁、支えますから! 全力でやらせてもらうので、よろしくお願いします!」
「……楽しみにしているわ」
 そして、試合は始まった。まず、相手方、原のサーブ。
「ふんっ!」
 原の得意技、長身を活かした弾丸サーブ。これを取るのは男子選手でも困難だ。
 だが、巴も伊達にイノシシ娘と呼ばれているわけではない。力を上手く使えば、男子選手と取っ組み合いをしても負けない自信はある。
「はぁっ!」
 打ち返し、打ち返され、ラリーが続く。真田の強烈なスマッシュやリターンも、原と切原は見事に受け返してきた。
 ポイントを取っては取り返されるということが続く。お互い相手のサービスゲームをブレイクできていない。真田も自分も全力で攻めるが、協力し合っての防御でしのがれてしまっている。
 強い。一筋汗を垂らしながら思う。個人の能力もおそろしく高い上に、二人の息がまたぴったりと合っている。ここまで見事なコンビネーションを発揮できるのは、男子ダブルスでも有数だろう。
 だが、自分たちだって負けてはいない。ゲームは4-3、ポイントは40-30、ここが勝負どころだ、と巴は全力でサーブを打った。
 それを原が返す。巴もさらにそれを返す。切原がそれを強烈なボレーで真田に向け返した。
「ふっ!」
 真田はそれを後方の原に向け打つ。原が素早く走り、ばしっとリターンを返す。真田を警戒してのことだろう、真田とは逆側を狙ってきた。
 が、そこには当然自分が詰めている。全速力で前に出てきた巴は、思いきりラケットを握り締め、体を捻り、ドンッ! とばかりにグランドスマッシュを放つ。
「っ!」
 素早くそのボールを受けようとした切原のラケットを、ボールは見事に弾く。巴はにっと笑い、切原にぴっと指差しをした。
「侵略すること、『火』の如く! なーんてねっ!」
「…………」
 打った時のイメージが真田の『風林火陰山雷』の『火』っぽい感じだったのでそう言ってみたのだが、切原にはどうやら地雷だったようで、すぅっと表情が消え――目を閉じ、開いたと思ったらその目は充血して真っ赤になっていた。
「!」
 切原のストッパー解除の第一段階とも言える瞳の赤色化。悪魔化ほどではないが、病院に行った方がいいんじゃないか、と思わずにはいられない。
 だが切原はそんな考えなど気に止めた様子もなく、くくっ、と笑い声を立ててこちらを見下ろすようにしながら告げた。
「正直、ここまでやるとは微塵も思ってなかったよ、巴。でも……。バイバイ」
 そして、切原の暴走は始まった。相手の体を直接、しかも関節などの弱点を狙ったショットでどんどんと攻めてくる。こちらも必死にしのごうとするが、巴も前に出た時にショットを受け損ねて転んだ。
「くぅっ……」
 激痛に顔が歪む。真田が血相を変えてこちらに駆けてくるのに、笑顔笑顔! と気合を入れて立ち上がる。
「おい、大丈夫なのか?」
「大丈夫です! あと100ゲームはできます!」
「キミっ、大丈夫なのか!?」
「わ、私なら大丈夫です! まだやれます」
 審判の声にも元気に答える。本来ならこんな場所に立つ資格のない自分がせっかくこんな大舞台でテニスをさせてもらってるのに、棄権なんてそんなつまらないテニス、絶対にしたくない。
「あー、すみませんね。わざとじゃないんですよ」
「くっ……」
 と、原がずかずかと歩み寄ってきて、へらへらと笑う切原を後ろからがつっ、と殴った。身長もあって相当痛かったのだろう、切原は頭を押さえてしゃがみこむ。
「目を覚ませ、赤也!」
「いちちち……なにすんだよ!?」
 そう言って原を見上げる切原に、あ、と思った。切原の目が、元に戻っている。
「赤月さん、……私のパートナーがすまなかった。赤月さんとは正々堂々と戦いたい」
「原さん……」
 厳しくはあったが真摯な眼差しでこちらを見つめる原に、思わずじんとして見つめ返す。原は数瞬それを受け止めてから、ふいと視線を外して切原を引っ張った。
「……試合の続きだ、赤也」
「まったく、おっかねぇんだよなぁ、昔っから」
「……よく言うよ。何回、私がいじめられてたアンタを助けたと思ってる?」
「へいへい。涼香には逆らえねぇなぁ」
 あの二人、幼馴染だったのか。そんなことを思いつつ、配置に戻っていく二人に、ふふっと笑った。うん、やっぱり、テニスは、楽しいのがいいな。

「ゲーム6-4! マッチ・ウォン・バイ、真田・赤月ペア!」
 そう審判がコールするや、切原と原は揃ってがっくり、とくずおれた。
「ちきしょう! 俺がやってきたテニスは、ここまでが限界なのか!?」
「くやしい……。負けたくなかったのに……」
 涙を堪えているのだろう、歪んだ顔と割れた声で言う二人に、真田はあくまで厳格に告げる。
「お前たちは、ただ試合に勝つためのテニスをしていた。それでは俺たちに勝つことはできん」
 え、と思った。それじゃ、まるで、自分が目指したものを、真田も追っているように聞こえる。
「私たちはただ、ひたすらに全力を尽くしていた……って、ことですか?」
 おずおずと言った言葉に、真田は深々とうなずく。
「そうだ。無我の境地……これが、俺たちのスタイルだ」
 無我の境地。自分がやっていたのは、そんな大層なものではないけれども。
 でも、確かに、今日のテニスは、どれも楽しくて面白くて、全力を尽くさずにはいられない。
「くっ!」
「確かに結果はこのようなことになったがお前たちの成長は肌で感じた。強くなったな、赤也、原」
『!?』
 目を瞠る二人に、真田は重々しく、だが真摯に言う。
「立海大を頼むぞ!」
「はいっ!!」
「……わかりました!!」
「うむ」
 そう力強くうなずく真田に、原は少しためらいながら、おずおずと、けれど真剣な表情で顔を上げ言う。
「あ、あの……真田さん」
「ん? どうした?」
「……ありがとうございました!」
 言って深々と頭を下げる。え、もしかしてここで告白とかしちゃうの、などとドキドキしていた巴は少し拍子抜けしたが、真田が「うむ」となぜか納得した風でうなずいているのにとりあえずここでは口出ししない方がよさそうだ、と決めた。原はさらに、こちらの方を向きやはり真剣に言ってくる。
「……それから赤月さん。色々あったけど、ごめんなさい。許してくれなんてムシがよすぎるかもしれないけど、一言、謝っておきたかった」
「あ……気にしないでください。私にも悪いところはあったんですし」
「……ありがとう」
「こ、こちらこそ、ありがとうございました!!」
 そう言って、巴は深々と頭を下げた。

「やるじゃねーか、巴! ま、俺らに勝ったんだからそんくらいじゃねーと困るけどなっ」
「向日さん……ありがとうございます! 忍足さんに、日吉さん、芥川さんも」
「ま、ジローは試合中ずっと寝とったけどな」
「わわっ、バラすなって! ……だってさぁ〜、巴のテニス見てると俺もテニスやりたくてしょうがなくなっちまうC〜」
「……フン、一度俺を破った奴に簡単に負けてもらっては面白くないからな。……ちなみに言っとくと、穴戸先輩と鳳は現在ダブルスで試合中だ。見に行くか?」
「え……どうしようかな、見てみたいですけど……他の人の試合はいったいどう」
「おーい、モエりん! ちょっとこっちにおいでよ、君の次の試合の相手が決まりそうだよ!」
「凄い試合が動いてる。……イマイチ」
「黙ってろ、このダビデがっ!(げしっ) ……けど、実際すごい試合だぜ。偵察も兼ねて、見てみろよ」
「え、あ、はいっ、ありがとうございます虎次郎さんヒカルさん黒羽さん!」
 慌てて手招きをする佐伯のところへと近付いてみると、そこに広がっていたのは確かにすごい試合だった。コートに立っていたのは吉川と知らない男子生徒のペア、そして海堂と小鷹のペアだったのだ。
 ゲームは5-3で小鷹たちのリード。だが明らかに吉川たちのペアは動きに精彩を欠く。ここまでによほど走らされたのだろうということが伝わってきた。
 なのに、なにがすごいかというと。
「すごい……那美ちゃん」
 そう、小鷹の動きが半端ではなかった。よく動くというだけでなく、動きの一つ一つが考え抜かれたもののように練られている。
 もともと小鷹はシングルスプレイヤーだったせいかダブルスの能力自体はすさまじく優秀、というほどではなかったのに、海堂をごく自然に、当たり前のように的確に動かしている。海堂もそれを受け入れ、的確に小鷹のフォローをしている。
 この二人、すごく強くなってる。
 巴は思わず戦慄するほどの強さで、そう思った。

「……よろしくお願いします、海堂先輩、那美ちゃん」
 決勝戦、試合前。深々とそう頭を下げる巴に、海堂はいつも通りにぶっきらぼうに「おう」と答えただけだったが、小鷹はじっ、とこちらを見て静かに告げた。
「モエりん。私、絶対に勝つから」
「え……」
「あなたと真正面から戦って、勝たなくちゃ私は前に進めない。だから、死ぬ気で勝つために戦うから。あなたとは違う、だけどそれが私のテニスなの。だから――あなたがどんなテニスをしようと、絶対に、勝つから」
 そう言って小鷹はこちらに背を向ける。それを驚きと共に見送ってから、巴は慌ててベースラインについた。なんであんなこと言うんだろう那美ちゃんのあんな顔初めてだ、などといろいろ思うことはあったが、今は試合に全力を注がなければ。
 巴のサーブ。ぽんぽん、と軽くボールを跳ねさせてから、ビシュッ、とサーブを打つ。巴の必殺サーブ、南次郎から教わったニンジャ・サーブだ。相手のグリップ力を落とす効果のある高速サーブ。
 だが小鷹はそれを見事に受け、ラケットの上でぐるりと回転させてリターンしてきた。真田がそれを返そうとするが、そのショットはひどく変則的な軌道を描きながらコートに突き刺さる。
 ベビー・スネイク――小鷹が海堂と生み出した必殺ショット。今日はいつにも増して切れが凄まじい。ベースライン際で、すい、とラケットをこちらに向けて小鷹は巴を見た。
 その視線には、なにかがあった。真剣というだけでは足りない、原のように殺気というのとも違う、あえて表現するなら覇気とでもいうような、強烈な意志の力。巴はごくり、と唾を飲んで、次のサーブの体勢に入った。
 打ち、返され、打ち返す。ラリーが続き、ショットが決まる。小鷹と海堂の力も大したものだったが、こちらには真田がいるし、自分も全力で頑張っている。そう簡単に負けはしない。
 そしてゲーム4-3でこちらのリード、ポイント30オール。そこで、試合は動いた。
「ぬおおぉっ!」
 真田が返ってきたショットに凄まじい速さで追いつき、返す。『風林火陰山雷・雷』――ほぼ直角に曲がる、ラケットを弾きガットを貫く威力を持つショット――これが出ればポイントはまず間違いない。
 が、それに対し、小鷹と海堂はわずかに目配せをした――かと思うと、素早くボールの落下点に駆け寄り、二人同時にラケットを振り叫んだのだ。
『サーペンター!』
 ドゥンッ!
 巴はおろか、真田ですら反応できない速さでボールは飛び、どむっ、とコートを抉りながら着地し、奇妙な軌道を描きつつごく弱く跳ねた。呆然とするしかない巴に、小鷹はじ、と重く、鋭い視線をぶつけてきた。
「今のが、私と海堂先輩の協力技、サーペンター……相手のボールコースを誘導し限定し、相手が焦れて放ってきた強烈なボールを二人同時でのリターンで返す。おそらくは手塚部長にすら取れないボール」
「…………」
「モエりん――これが私のテニス。あなたに勝つために私が、私たちが編み出した、死力を振り絞って作った技よ」
 す、とラケットをこちらに突きつけ、強烈な覇気と共に言ってくる。
「これを、あなたは破れる? ――立ち向かってこれる?」
 まるでこの合宿での自分の悩みを突くような言葉。――それに、巴は、満面の笑顔で応えた。
「うんっ! 絶対取ってみせるよ!」
 小鷹は一瞬目を見開いたが、すぐに「そう」と呟いて配置につく。それを、巴は笑顔で見つめた。
 もちろん自分があの球を本当に取れるかドキドキはしているが、そのドキドキは不快なものではなかった。だって小鷹は自分のために、自分に勝つために本当に頑張って頑張ってあの技を編み出したのだ。
 だったら自分にできることは、もっともっと頑張って、小鷹をもっともっと頑張らせてあげること。もっともっといいテニスをさせてあげること。それだけなのだから。
「真田さんっ、私たちもああいう協力技やってみたいですねっ! 二人だったら、やれちゃう気がしませんかっ?」
「……まったく、お前は。……よかろう! 我が全力をもって、お前の言葉に、お前の熱意に応えよう!」
「はいっ!」
 叫んで、試合を再開する。にっ、と笑顔で小鷹と海堂に対峙した。
 ――飛び交うボール、閃くラケット。
「変則トップスピン!」
 響く怒号、轟く叫び声。
「悪夢への行進曲!」
 汗に、涙に、時には血。勝利に必要な山ほどの苦痛。
「雷神、降臨!」
 だけど、それでも、自分はテニスが楽しいと。相手にも、観ている人みんなにも、楽しいと思ってほしいと心底思うから。
「いざ、行かん!」
「はいっ!」
『我ら、鋼の絆なり!』
 ありったけで、自分の全力振り絞って、いいテニスを思いきりしようと、心から思うのだ――

「ゲーム7-5、マッチ・ウォン・バイ、真田・赤月ペア!」
 わぁっ、と響いた歓声に、深々と息をつく。それから、ゆっくりと小鷹に歩み寄った。
 小鷹は、呆然とした顔でひたすらにラケットとコートを見比べていた。まるで自分が今、なにをしていたかわからないかのように。
 巴はネット際まで近付いてきて、すっ、と手を差し出し、笑う。
「那美ちゃん。お互い、ナイスファイト!」
「――――っ」
 小鷹はぼろ、とその大きな瞳から涙をこぼし、ばっとこちらに背を向けて逃げ出しかけるが、その肩をがし、と海堂が抱え込むようにして止めた。
「かい、どう、せんぱ……っ」
「逃げんじゃねぇ。てめぇがてめぇのやったことに誇り持ってんなら、死んでも逃げるな」
「……っ」
「試合後の、挨拶だ。……行くぞ」
「……っ、はい……」
 揃ってやってきた二人に、真田と一緒にネット越しにそっと握手する。
「ありがとうございました」
「あり、がとう、ござい、ました……」
「また、試合しようね、那美ちゃん!」
 笑顔で言うと、またぼろぼろっと小鷹は涙をこぼし、その場から駆け去っていく。今度は海堂も止めなかった。軽くこちらに頭を下げて、小鷹を追っていく。
 それをじっ、と見つめてから、巴は真田を――大切なパートナーを振り向き、笑顔で言って、頭を下げた。
「真田さん、本当にありがとうございましたっ!」
「……ああ。俺も、感謝するぞ。俺に、こんなテニスを経験させてくれたことを」
「……はい」
 思わず涙がこぼれそうになるのを、必死に堪える。だって、勝者にこんな涙は似合わないんだから。
 それなのに、真田にがしがし、と不器用な手で頭を撫でられると、涙が数粒こぼれてきてしまった。

 巴は会場裏手の休憩場にやってきていた。ミクスドは無事優勝した。自分の力を出しきれた。やれるだけのことをやって、過分なくらいの成果を得ることができた。すごく嬉しい。
 ――けれど、それを巴は手放しで喜ぶことはできなかった。
 そんなことは考えること自体失礼なのはわかっているのに、どうしても思ってしまう。『負けた人が可哀想だ』と。
 自分は頑張る人を頑張って支えたいと思う。それは勝つ人だけじゃなく、負ける人だって同様で。特に親しい人なら、負けた相手を全力で励まして支えてあげたいと思う。
 だが、それを自分が負かせた相手にやったら嫌味以外のなにものでもない。というか、発想自体失礼だ。
 それは、わかっているのに――
 ふぅ、と息をつく。自分の在り方はきちんと考えて決めたつもりではあるけれど、やっぱりどうしても、今みんなの祝福の声に素直に応えることはできない。
「っけんなぁこらぁ! ……んむうむ」
「ひゃっ!」
 突然の叫び声に思わず飛び上がり、声の主を探す。ほどなく見つけたベンチに寝転がっていた声の主は、隼人だった。ほぼ生まれた時から付き合っている自分のただ一人の従兄。
 隼人はなにやら険しい顔をしながら、むにゅむにゅ寝言を言っている。確か隼人とリョーマくんがあと数分でシングルスの決勝なんじゃなかったっけ、と思いつつ寝顔を見下ろした。大丈夫なのかな、こんなところで寝てて。
「っけんなぁりょーまぁ! まけねー、ぞぉ……」
 夢の中でもリョーマと勝負しているのか、と呆れつつも、思わず微笑む。この従兄なら、リョーマと勝った時に、相手の気持ちを慮って落ち込むなんてことはしないに違いない。
 ひょい、と枕元に座り、額を撫でた。ずいぶん久しぶりの感触が手に伝わってくる。陽が暮れるまで外でテニスをしている少年の、太陽の匂いのする感触。
 自分の気持ちのルーツは、確かにこいつにあって。こいつはこれから自分のすべてを懸けて、ただ一人の相手と勝負をつけにいく。
 そう思うとなんだか不思議に泣きそうな気分になって、ぎゅっ、とその頭を抱きしめてしまった。
「……頑張ってね、はやくん」
 そう囁いて、立ち上がる。二人の対戦を、できるだけいい席で見守らなくては。

 巴は呆然とコートを見つめていた。隼人とリョーマの試合。死力を賭したぶつかり合い。それは、凄まじいという段階の代物ではなかった。
 動きが捉えられない。巴は動体視力はいい方だと思っているが、それでもほとんど見えない。そしてそのかすかに見える動きの中では、二人揃って明らかに常識ではありえない動きをしている。
 二人とも、夢中の表情で。
「これは……もしや、『天衣無縫の極み』……?」
 手塚が小さく呟く。天衣無縫。無我の境地の奥の三つの扉の最後のひとつ。あれが、それだと?
「なんだありゃっ、打った球が消えた!? 動いたと思ったら、次の瞬間にはボールがコートに……!?」
「違うな。『天衣無縫の極み』なんてもんは、最初っからねーんだよ」
 目を瞠る。いつの間にか自分の隣に南次郎が立っていたのだ。
「あなたは……越前の」
 南次郎は悠然と二人の試合を眺めながら、どこか熱っぽい口調で言う。
「天衣無縫の極みってのは、テニスをする時、誰もが最初に持っていたもんだ。テニスを始めた時のどんなにやられようと夢中になって陽が暮れるのも忘れてやった楽しくてしょうがねぇテニス。そん時ゃ、誰もが天衣無縫なんだよ。それをみんな忘れて、勝つための、ミスをしねぇテニスを覚えちまうんだ」
「……それって……」
 どこかで、聞いたような。
「だがな。あいつらのあれは、天衣無縫の先にあるもんだ」
「天衣無縫の先……?」
「勝つための≠カゃねぇ。楽しいから=A相手とテニスをするのが、打ち合うのが死ぬほど楽しくて、楽しくてしょうがねぇから、『だからこそ勝ちたい』と血反吐を吐くほど本気で思うテニス。天衣無縫と天衣無縫がぶつかり合った先、一人じゃなく二人でなけりゃたどりつけないテニス。常識を、当たり前をぶち破ってどんなとんでもねぇことだってやってのけちまうテニス。――俺だって中学の時にしかやったこたぁねぇテニスさ」
 また、目を瞠る。中学。一人じゃなく二人。隼人とリョーマのような、南次郎にとってのライバルとやったと思われる、その相手というのはつまり。
「おじさん、それって……」
「フン」
 南次郎は仏頂面で鼻を鳴らして巴の質問を拒む。けれど、その視線が、表情が物語っている。だからこそ、南次郎は京四郎を無二の親友と認めているのだと。
「……俺の相手は、あれを双天双華の極み≠ニか名付けてやがったな」
「双天双華の、極み……」
 巴はまたじっ、と二人を見つめる。楽しいから、だから勝ちたくて、二人が誰よりも相手に勝ちたいと思うから二人はあんなに頑張れていて。二人は本当に夢中で、無我夢中で楽しげに、全力でテニスをしていて、それはなんだか、それはすごく。
「きれいだね……」
 息を呑んだ。いつの間にか隣からかけられたどこか濡れた声。それは間違いなく、自分の親友、小鷹のものだったのだ。
「きれいだね」
 もう一度、試合を見つめながら、静かに、けれど確かな情感をもって告げられた言葉に、巴ももう一度試合の光景を見つめてからうなずいた。
「うん」
 そう、その試合の光景は、とてもきれいだった。
 いつ終わるともしれなかったその試合は、けれど確かに進み、太陽が傾き始めた頃にようやく終わった。
「ポイント256-254、マッチ・ウォン・バイ・赤月!」
 響いた大歓声の中、隼人は我に返ったように顔を上げ、のろのろとリョーマの方へと近づく。リョーマも隼人に近づく。互いに笑みを交わしてから、バシン、と音がこちらに聞こえてくるほどの力でハイタッチをした。
 そしてなぜか唐突にこちらを振り向き、叫ぶ。
「勝ったぞ、巴ーっ!」
 どよ、と周囲がどよめく中、隼人はリョーマと揃ってひっくり返って倒れる。それをぽかん、と見つめてから、ふふっと巴は笑った。なにそれ、なんで突然私なの?
 でも、嬉しい。どういう理由なのかはわからないけど、隼人の中に自分が確かに存在していることが嬉しい。あれだけの戦いをした隼人が、あんなすごいテニスをした隼人が、勝ったあとに呼んでくれたのが自分の名前なのが嬉しい。
 そんな風に名前を呼んでくれるなら、もっともっと頑張っちゃおうっていう気にもなるというもんだ。だって自分は、隼人にテニスを教えていた京四郎を見て、スポーツドクター兼トレーナーという夢を目指そうと決めたのだから。
 だっ、と巴は駆け出した。とりあえず、二人を介抱して医務室に運んで、たっぷりマッサージしなくっちゃ。

「はーい、阿久津さん、こっち寄ってくださいねー」
「チッ……おい、巴! なんで俺がこんなくだらねーことしなきゃ」
「いいじゃないですかー、せっかくなんですから。壇くん、阿久津さんのことよろしくね?」
「はいです! 阿久津さん、せっかくの記念ですし撮っておくですよ!」
「というか、俺はなんで合宿参加者じゃない壇が入っているのかの方が疑問なんだが……」
「まぁ細かいことはいいじゃないですか、南さん。千石さんのことよろしくお願いしますね」
「あ、ああ、わかった。任せてくれ」
「ちょちょちょ、俺阿久津と同類項なのかい? それはひどいよ〜、赤月さ〜ん」
「巴さ〜んっ、六角全員集まったよっ!」
「ありがと、剣太郎くん! あとはー、比嘉中とー……」
「我々はすでに全員集まっていますが」
「おおー、さすが仕事が早いですね、木手さん! 不動峰はどうですか、橘さん?」
「こちらも問題はない。なぁ、杏、神尾、シンジ?」
「もちろんっスよ!」
「そうそう。でも驚いたわ、突然メールが来て集合写真を撮りたい、なんていうんだもの」
 杏の言葉に、巴はえへへと照れ笑いをした。
「なんていうか、あんまり集まれない人たちも来てるんですから、せっかくだからなにか記念になることしたいなって! みなさんこころよく集まってくださってほっとしましたよ〜」
「……なんであんないきなりのメールでこころよくって思えるかな。普通ならもう少し謙虚な気持ちでいるべきなんじゃないの、一年なんだし……まぁ、別にいいけど」
「おーい、巴ー! ワイら来たったでぇ!」
「あ、金太郎! それに、白石さんに千歳さんに謙也さんに財前さん、全員集合ですね!」
「おう。ま、この手の騒ぐ話は俺ら嫌いやないしな」
「浪速のスピードスターがおるっちゅう話や、遅れるわけないやろ!」
「謙也さんウザいっすわ。どーいう関係があるんですか」
「財前、お前ほんまいっぺんきっちりシメとかなあかんなぁ先輩としてっ!」
「あとはー……ルドルフ、氷帝、立海はいるし……」
「巴ちゃーん、青学の先輩たち連れてきたよー」
「あ、ありがと、きーくん、那美ちゃん!」
「どうしたしまして。やっぱりこういう記念はあった方が嬉しいしね。ね、海堂先輩」
「……おう」
「お? マムシぃ、なーに照れてんだ? ミクスドで組んでなんか進展あったか?」
「フシュゥゥゥ! 殺すぞ、テメェ!」
「桃部長、からかっちゃ駄目ですってば」
「バーカ、こんなせっかくのチャンスにからかわねぇでどうすんだよ」
「まぁまぁ、二人とも落ち着けよ。せっかくの記念写真なんだしさ」
「モエりん、俺のデータによるとカメラマンが不二の確率は75%なんだが……不二は?」
「ボクはここだよ。クス……せっかくモエりんにカメラマンを頼まれたんだから、気合を入れて機材の調整を、ね」
「あははっ、不二ってばいつもながらマメだよな〜」
「あんまり騒ぐなよ、英二。他校の奴らもいるんだから」
「で、あとはー、はやくんと、リョーマくんだけかぁ……」
「……む。赤月」
「はい? なんですか、真田さん」
「いや、その……一応言っておこうと思ったのだが、な。俺は、その、なんだ。お前をこれからもパートナーとして」
「おーいっ、巴ーっ! 来たぜーっ!」
「もうっ、遅いよっ、はやくん、リョーマくん!」
「突然メールしてきて文句言われても困るんだけど?」
「もうっ。……あ、すいません真田さん。なんのお話でしたか?」
「……いや……なんでもない」
「そうですか? ……それじゃあ、写真撮りましょうか!」
「そうだね。みんな、並んで―――」
 パシャッ。
 その短い音と共に、この一週間は一枚の写真に封じ込められた。
 いろんなことを経験してきた自分は、写真右下、一番前で、照れて暴れる隼人と真っ赤な顔で自分を睨むリョーマと一緒に、仲良く手を繋いで写っている。

 ――そして、ある日のこと。
「……おい、巴。お前、誰とメールしてんだよ」
「え? 誰って……立海大付属の幸村さんだけど」
 三人並んで寝転がり、ぼーっとテレビを見ている時に問われ、素直に答えると隼人はなぜか(たぶん怒りに)顔を赤くした。
「はぁ!? なんであの人がお前とメールするんだよっ」
「へ? なんでって……Jr.選抜の時にアドレス交換して、テニスでもなんでも相談があったらしてくれていいよ、って言ってくれたから」
「なんだそりゃ! まるっきりナンパじゃねーか! おい巴、もーあの人と連絡取るんじゃねぇ」
「えぇ? そんなこと言われたって……もう次の休みに一緒に練習する約束しちゃってるし」
「なっ……んだそりゃぁ! どこでやるのか教えろ! 絶対ついてくからなっ」
「……ちょっと。うるさいんだけど」
 不機嫌さマックスという感じの声で告げたリョーマに、隼人は指を突きつけて怒鳴る。
「てめぇ、リョーマ! 巴があんなあやしー奴に捕まってもいいってのかよっ、なんだその態度!」
「別に。要は、目障りな真似させなきゃいいって話だし」
「は? なんだよそりゃ、まさか見えるとこでやらなきゃいいとか抜かす気じゃ」
「真正面から言うだけが能じゃないってこと。知られないように邪魔する方法はいくらでもあるんじゃないの」
「む……そりゃそう……かな」
 腕を組み、考え始めた隼人に、リョーマはぽそりと呟く。
「言っとくけど、俺はお前安心させるつもり、全然ないから」
「……は?」
「俺は俺で行動する、ってこと。俺のこと安全な奴って、思われる筋合いないし」
「はぁ!? んっだそりゃってめぇどーいうことだ説明しろっ!」
「やだ」
「てっめぇリョーマーっ!!」
 横で取っ組み合いを始めた二人をよそに、巴はメールの続きを打った。とりあえず、幸村にメールを打ったら跡部と真田と不二に返事を書かなくては。手塚には次の日曜日に電話をするし、謙也にも暇を見てメールの返事を打って(しょっちゅう送ってくるのでつい後回しにしてしまうのだ)、忍足や仁王にも電話をして――
 そんなことを考えつつ、元気に仲良く取っ組み合う隼人とリョーマを見てくすくす笑う。二人とも、ほんっとーに仲がいいんだから。一緒に出会ったのに、二人だけずんずん仲良くなっちゃうんだから男の子ってズルイ。
 でも、大丈夫。二人の心の中にも自分の場所はあるんだって、自分のところに戻ってきたいって気持ちがあるんだってわかったから。二人が二人でどこまで行ったとしても、自分は自分なりの道を進んで、そして疲れて戻ってきた二人をたっぷりねぎらってやればいい。
 だって、自分たちは、家族なんだから。
 だから、私は私で、二人みたいにただ一人の相手って思える人を、のんびり探すとしなくっちゃ。ふんふん鼻歌を歌いながら、巴はメールを打った。
(あ、そういえば、前にこういう気持ちを那美ちゃんに言った時、なぜか難しい顔されて、『一度隼人くんとリョーマくんにその気持ち相談した方がいいと思う』って言われたけど)
 まだ取っ組み合いをしている二人を見て、またちょっと考えて、それからふふっと笑ってまたメールに戻る。
(またでいっか。二人とも、楽しそうだし)
 三人揃っての何気ない家庭生活は、そんな風に何事もなく過ぎていくのだ。朝も学校も部活も帰宅も休日も同じだけれども、永遠ではないのだろう世界は。
 なんとなくしみじみとしながら、巴は疲れ果てたのか揃って絡み合いながら床に寝転がっている二人の姿を写メったりしてみた。

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