香辛料の効いた肉料理をがつがつと食いながら、俺はサマの言葉に眉を寄せた。 「つまり、やろうと思えばドラゴンの角に登らなくても向こう側の街に行けるってことか?」 「うん、橋が落とされてからはキメラの翼を使って行き来してるそうだから。頼めば一緒に連れて行ってもらえると思うよ。まあ、だいたい予測してたことだけど」 「んだと、コラ。じゃあ俺らなんのために五週間かけて風の塔くんだりまで行ってきたんだよ?」 「えっとね、一つには保険。ムーンペタじゃ実際のところはわからなかったから、交通手段がない時のために。それと貴重なアイテムを手に入れておくにこしたことはないと思ったし、西ウーラ大陸に行く前の経験値稼ぎと、マリアに戦闘と旅に慣れてもらうって目的もあったかな」 「……そうかよ」 ったく、いつもながらそつのない奴だな。どんな行動にも理由がありやんの。時々突拍子もねぇこと言ったりやったりするけど。 「で、なんでそんなこといきなり言い出したんだよ。結局ドラゴンの角登るのはやめんのか?」 「ううん、僕としては登りたいと思ってる。絶好の経験値稼ぎの機会だもの。でも二人は面倒くさいかなって思ったから、一応今のうちに聞いておこうと思って」 「俺はかまわねぇよ。俺らは強くなんなけりゃならねぇんだろ? 戦い避けてたら強くなりようがねぇじゃねぇか」 「私も……その方が、いいと思うわ」 マリアのぽつりと言った言葉に、サマはマリアの方を見た。 「マリア、ずいぶん疲れてるみたいだね。今日は早めに休んだ方がいいよ?」 「……私は大丈夫。気にしないでいいわ」 平板な、硬い声。マリアがサマにこんな言い方をするのは珍しい。 「お前、なんか変じゃねぇか? マジで大丈夫なのかよ」 俺がひょいと額に手を当てると、マリアはなぜかびくりと震えて(……怖がってんのか、こいつ?)、身を引いた。 「……触らないで」 俺はいくぶんムッとして鼻を鳴らす。 「触るか、ボケ。嫌がられてまで人気遣う趣味俺にゃあねぇよ」 「…………っ!」 マリアはきっと泣きそうな目で俺を睨むと、がたん、と椅子を引いて立ち上がった。 「私は一度だってあなたに気遣ってほしいなんて言ってないわ!」 そう叫んだかと思うと、二階の部屋へと走るマリア。俺はそれを呆然と見送った。 「……なんだあいつ。なにムキになってんだ?」 「少し情緒不安定だね。たぶん、この一ヶ月ずっとよく知らない人たちと一緒に生活していたせいじゃないかな。疲れたんだよ、きっと」 「ふーん……けど今まではそんな様子ちっとも見せなかったじゃねぇか」 「弱みを見せたくなかったんだよ。マリアはすごく人見知りするからね。隊商の人たちに弱い自分を見せるのが、怖くてしょうがなかったんじゃないかな、たぶん」 「なんだそりゃ」 俺はさっぱりわけがわからなかった。あいつはどっからどう見てもハナっから弱いやつじゃねぇか。そんな奴が意地張ったってたかが知れてんだろうに。 そう言うと、サマは困ったように笑って言った。 「弱い人間が、自分の弱さを憎んで、認めたくないって思うことはわりとあることだよ」 「ふーん……」 そう言われても俺にはやっぱりぴんとこなかったが、サマがあとで様子を見に行ってくるよ、と言ったんでその場はうなずいた。 面白くないような気もしないではないが、どう考えても俺よりこいつの方が適任だ。 ドラゴンの角っつう塔の一階には、何人か人がいた。 「おい、魔物が出るんじゃなかったのか? なんで人がいんだよ?」 「ドラゴンの角は交通の要所だったところだからね。橋をかける見通しは立ってないとはいえ、調査をしようとする人がいてもおかしくはないよ」 「危なくねーのか?」 「危ないけど。僕たちほど頻繁に魔物と出会うわけでもないからね、そうそう襲われるようなことは――」 ギャチュウゥゥウゥ! 「ぎゃああぁっ!」 「お化け鼠だ、お化け鼠が出たぞーっ!」 「やっぱりあんじゃねーか、ボケッ!」 即座に俺は剣を抜いて魔物のいる方向へ走る。だが当然というか、マリアが呪文を唱える方がはるかに早かった。シュババァ! と風が巻き起こって、魔物どもを切り裂く。 魔物たちは悲鳴も上げずに息絶えた。やれやれ、と俺は剣を収めて襲われた奴らのいるところへ歩いていった。マリアとサマもついてくる。 「おい、大丈夫かお前ら」 「おお……ありがとう。あの呪文を唱えてくれたのはあんたかね?」 「いや、さっきのはあいつだ。ほれ、あの紫の髪に紅い目の」 「!」 俺が助け起こしたじいさんは、マリアの方を見ると固まった。信じられない、というように震えながら言う。 「……まさか……あんた、呪われた姫………!」 「は?」 マリアの顔色がさっと変わった。血の気が引きすぎて白くなった顔でジジイを見つめるマリアを、ジジイは震える指で指す。 「ムーンブルクを死に絶えさせておきながら、なぜ生き延びている! あんたは、あんたは、どれだけの血を流させる気なのじゃ……!」 「んだとコラジジイ! 誰が死に絶えさせるだ、なんだその言い草! てめぇ喧嘩売ってんのか!?」 俺がジジイの胸倉をつかんで怒鳴ると、周りの奴らが飛んできてジジイを俺から引き離した。 「ほらデゴザさん! こっちへ!」 「呪われし姫はムーンブルクの壊滅で死んだでしょう? もう誰も死んだりしませんから!」 「放せ! 放せ、きゃつが……呪われた姫が! 死ぬ、みんな死んでしまう……!」 「……なんだ、あのジジイ」 憮然と呟くと、男の一人が申し訳なさそうに頭を下げる。 「いや、すいません。あの人、紫の髪に紅の瞳の女性を見るとすぐああなっちゃうんですよ。少しボケてきてるのかな、仕事ではまだまだ現役なんですけどね」 「紫の髪も紅の目もめちゃくちゃ珍しいってほどじゃねぇだろ。両方は俺もこいつしか見たことねぇけど」 「ええ、珍しい組み合わせですからめったにそんなことはないんですけどね……ムーンブルクのお姫様がそれと同じ髪と目だったって知ってます?」 「……ああ」 「なんでもね、あの人の息子はそのお姫様の魔力の暴走に巻き込まれて――」 「ロレイソム!」 「ああ?」 俺はマリアの方を向いた。マリアはぐっと唇を噛んでこっちを睨んでいる。 ここ最近で気づいたんだが、これはこいつが泣きたい時の顔なんだ。 「なんだよ。……珍しいな、お前が俺の名前呼ぶなんて」 「……っ、早く、行きましょう。いつまでもここにはいられないわ」 「んー、そうだな。じゃあな、おっさん。あのジジイしっかりしつけとけよ」 「いや、俺らにしつけられるような御仁じゃないんですけどねぇ……」 苦笑する男を置いて、俺たちはドラゴンの角の二階へと向かった。 うねうね動く蛇の塊やらでかい花やら鎌持った敵やらがうじゃうじゃ出てくる。確かに訓練にはなるわな、こりゃ。 マリアがガンガン呪文唱えて蹴散らしていくが、それでも間に合わない。俺とサマはマリアをガードすべく敵を次から次へと斬り捨てた。 「マリア、あんまり無理しないで。今日の戦いはまだまだ続くんだから」 サマがそう声をかける。俺は顔をしかめてマリアに言った。 「まさか魔法力のこと考えねぇで呪文使ってんじゃねぇだろうな?」 「……そういうわけじゃないわ」 「ならいいけどよ。無理して呪文使うなよ、この程度の敵なら呪文がなくても勝てる」 俺がそう言うと、マリアは愕然とした顔になった。 「……呪文の攻撃は、必要ないってこと?」 「必要ないってほどでもねぇけど。なきゃ勝てねぇってほどでもねぇよ、この程度ならな」 「………………」 マリアはうなだれる。なんだ? 俺なんか変なこと言ったか? 「おい、なに落ちこんでんだよ」 「落ちこんでなんかいないわ!」 マリアはきっと、壮絶な目つきで俺を睨む。俺はつい気圧されて一歩後ろに退がった。 「そうね、強いあなたには別に呪文なんて必要ないわね! 私の力なんて必要ない、そうでしょう? 私が守らなくてもあなたは平然と生きていけるもの!」 すげえ勢いでばばばとそう言ったかと思うと、マリアはくるりと背を向ける。 「いい機会だわ、ここで別れましょう。お互い得るものがなにもないなら、一緒にいたってしょうがないでしょう?」 「おい、待て! なんでそうなんだよ、このタコ!」 俺はマリアの腕をつかんだ。マリアは険しい、固い、泣きそうな表情で俺の手を振り解こうと暴れる。 「放して!」 「放すかボケ! いいか、言ったはずだぞ! 俺はお前を守る、だから一緒に旅をしろってな! てめぇはそんなことも忘れたのかよ!」 「忘れるわけないでしょ!」 泣きそうな叫び声。悲痛っつーのはこういうのを言うんだろうって感じの。俺は思わず動きを止めて、ぼそっと言った。 「……じゃあ、なんで………」 「駄目なのよ……私は、あなたたちを傷つけてしまう……私は、呪われた姫なのだもの……」 「だからなんでそうなんだよ、わけわかんねぇこと言ってんじゃねぇよ! なんでお前が呪われてるんだ!」 「呪われているのよ! だって私は自分の母親を殺した人間なんだもの!」 「………は………?」 俺は呆然とした。 母親を、殺した? 聞き流すには、重すぎる台詞だ。涙をぽろぽろこぼしながら俺を睨むマリアを、じっと見返す。 「どういうことだ、そりゃ」 「どういうこともそういうこともないわ、そのままよ。私は母親を殺したの! 私が母上を殺してしまったのよ!」 「どんな風に?」 「どんな風に……って」 マリアは驚いたように目をパチパチさせた。長いまつげが揺れる。 「なんで、そんなことを聞くの?」 「俺にはお前が好き好んで母親を殺すような奴には思えねぇからな。つーか、お前じゃ人殺しは無理だろ。罪悪感に耐えきれるたぁ思えねーよ」 「…………でも、私が殺したのよ」 「だからどうやって。それを聞いたら納得してやるよ」 「…………私が生まれる時に」 「は? もしかしてアレか、難産で死んだってやつか? 阿呆かお前、そりゃお袋さんは気の毒だったけどな、そんなもんお前のせいじゃねぇだろ」 「私のせいなのよ! 私のせいで母上に呪いがかかってしまったんだもの!」 「………は?」 「二人とも」 サマの声がして、俺たちはばっとそっちを振り向いた。 ――こいつの存在忘れてた。 「あんまり大声で話してると魔物が寄ってくるからさ、もう少し小さな声で話さない?」 マリアがじっとしてりゃ魔物に気づかれないっつー呪文をかけて(なんでそれを夜の見張りの時に使わなかったんだと言ったら使えるようになったのは最近だと返された)、俺たちは床に座りこみ話を始めた。 「……私はね、極めて豊かな魔法の才能を持って生まれてきたらしいの。少なくとも宮廷魔術師はみんなそう言っていたわ」 マリアがか細い声で呟くように言う。俺とサマは黙ってそれを聞いた。 「魔力を持つ者は、魔力を退ける方法も自然に身についている。それは生まれる前でも同じ。――それが、仇になったの」 「どういうことだよ」 「私の母上はね、父様が無理を押し通して娶った、下級貴族の娘だったの。それも愛妾ではなく正妻、王妃として。王妃の子ならば長ずれば王になるわ、そうなれば王妃の縁戚関係が力を得て、これまで権力をほしいままにしてきた大貴族たちの地盤が揺らぐことになる。――それを嫌った貴族の一派が、堕胎の呪を母上にかけたの」 「堕胎の呪……って、お前を殺そうとしたってことか!?」 「そうよ、私がまだ母上のお腹の中にいるうちに。死産で生まれてくるように」 「それでお前、大丈夫だったのかよ!」 マリアは笑った。苦しげに、辛そうに。 「そうでなければ今ここにはいないわ。……いっそ大丈夫でなければよかったのに」 「はぁ!?」 「まだわからないの? 胎児だった私は、かけられた呪いを自分の身から逸らすべく、一番そばにいた母上にその呪いを押し付けたのよ」 「――――」 一瞬、頭が真っ白になった。 サマは静かに、落ち着いた口調で問い質す。 「呪いをかけた貴族は? ムーンブルクの魔法技術ならかけた呪いを逆にたどることもできたはずでしょう?」 「見つかったわ。死刑に処された。でもそれがなんになるの? 私が母上を、自分の身を守るために殺してしまったことには変わりないのよ。だから私は生まれた時から呼ばれてきたの。呪われた姫、ってね」 「………だから? だから俺たちにお前と関わるなって?」 俺が低い声で言うと、マリアは首を振った。ひどく虚ろな表情で。 「話はまだ終わりじゃないわ。私は当然、子供の頃から父様から遠ざけられていた。最愛の、無理に無理を重ねて娶った女性を殺されたのだもの。一応王位継承権は一位とされていたけれど、私はずっと父様に疎まれてきた」 「…………」 「だからそんな私に近づいてくるような人間もいなかった。取り入ったところで先が見えているんですもの、当然ね。だから、私は子供の頃からずっと一人だった。豊かな才能を持っているからと、毎日毎日魔法と姫としての教養の勉強、それしかやることがなくて。誰に省みられることもなく、あの広い城の中で、一人で生きてきた」 「…………」 「そのために精神が発達していないせいだって言われたけれど。私は、小さい頃呪文をうまく制御できなかった。呪文が暴発してしまうことがよくあった。――一度、暴走がとんでもないレベルになったことがあって――その時、私は、人を一人殺してるの」 「…………!」 俺は絶句した。それは――キツい。 「あのおじいさんの息子さん?」 サマが聞く。なんで、そんなに静かに聞けるんだお前は。こんな話聞いて。 「たぶんね。その時私の呪文の教師だった人は、ドラゴーマ出身だったと聞いたから」 「……暴走したせいだろ? お前が自分の意思でやったことじゃないんだろ?」 「ええ。でも私の責任なことには変わりない」 「そうじゃないだろ!? お前その時いくつだったんだよ!?」 「五つよ」 「そんな年で自分のやったことに責任持てるかよ! 俺だってガキん時力が強すぎたせいで訓練の時相手に怪我させちまったけどな、気にすることねぇって言われて本気で気にしなかったぞ! ガキはミスを繰り返して成長していくもんだろ!?」 「でも、私が殺したのは確かだわ」 「違う! そんなガキの暴走を抑えられないそいつが悪い! 教師っつーのはガキがヘマやった時に責任取る義務があるんだ!」 「でも……!」 「マリア、僕もそう思う。君は責任の取れる年齢じゃなかった。王妃が亡くなったのも君の責任じゃない、胎児に自分を守ってさらに母体を守るなんて芸当要求するほうが間違ってる。何度でも言うよ、君の責任じゃない」 「でも……」 「いいかい、マリア。子供にはね、大人に保護させる義務があるんだ」 「……義務?」 「そう。大人は親に受けた愛情を子供に返すことで親に恩返しをしている。育ててくれた恩はそういう形でしか返せないからね。恩返しの機会を奪うのはよくないことだよ。たとえ親に愛情をもらえなかった子供が親になったとしても、そういう人間は愛することで救われるんだからね」 「…………」 「亡くなった人の悪口を言いたくはないけど、君が悪いんじゃないことで呪われた姫なんていう奴らは馬鹿だ。最低の馬鹿だ。そんなことで君に近づかなかった人間なんてろくなもんじゃないから無視していい。それよりも、僕たちは君が真っ直ぐ育ってくれて、君とこうして会えたっていうことの方がずっと嬉しいけどな。もちろん君のお母さんが死んでしまったのは悲しいけど、彼女が死ななければ君が死んでいたんだよ? 僕たちは、君に会えて、とっても嬉しいけどな?」 「…………」 サマ。こいつって……すげえ文句すらすら言うな。やっぱり、こいつ……すげえ。 だが、マリアは本当に、今にも泣きそうな顔をして、ふるふると首を振った。 「私の罪は……それだけじゃないわ」 ……まだなんかあんのかよ、おい。 「父様を――私を許してくれた父様を、私のせいで死なせてしまった」 「……んだ、そりゃ」 「あの夜。ムーンブルクが滅びたあの夜――私は父様に呼び出された」 「ムーンブルクの……王に?」 「そして言ってくださったの。今日ようやく反対勢力を一掃することができた。お前を王にする障害はもうこれでどこにもない。反対派に足元をすくわれないためにお前と親しくすることはできなかったが、私はずっとお前を愛していたよ、と。ずっと見守っていたよ、と、そう言ってくださったのよ」 「……どう思った?」 サマが聞く。 「嬉しかった……たとえそれが嘘でも、本当は気まぐれにおっしゃっただけのことだったとしても、あんなに嬉しいことなかった。嬉しくて嬉しくて泣きながら父様に抱きついていると――あいつが現れたのよ」 「あいつ?」 マリアの表情に、ごうっ、と音が感じられるほど強烈な憎悪が閃いた。 「大神官ハーゴン」 俺は思わず気圧されてわずかに身を引いた。マリアの顔は怒りと憎しみに歪み、さっきまでの美少女とは別人のような形相だ。 その今まで見たこともないほど強い憎悪の感情。こいつの中にはそんな感情がつまってたのか。 体を射抜かれたような痛みを感じる。俺は、なんにも気づいてやれなかった。 気づいても、俺じゃなにもできなかったかもしれねぇけど、それでも、俺は気づいてやりたかった。 「奴はそこに突然現れてこう言ったの。ムーンブルク王よ、お前はその娘と自国の民とどちらが大事か? って」 「……んだって?」 「父様はこう言ったわ、比べられるわけがなかろうって。そうしたらハーゴンは言ったの。では比べてもらおう。――そう言って、ハーゴンはそのとてつもない魔力で魔物をムーンブルクの街中に召喚したのよ」 「…………」 「お前が国を守ろうとするならその娘を自分の手で殺せ、さもなくば街を魔物に襲わせる。その言葉に父様は首を振り――ムーンブルクは大量の魔物の襲撃を受けた」 「…………」 「パニックに陥る私にかまわず、ハーゴンは言った。お前は娘を守って国を滅ぼした。王としては失格だ。その娘一人にムーンブルク三十万の民の命を背負わせるか? けれど父様は険しい顔で首を振った。民の命はわしの体の一部だ、なくなればひどく苦しく辛い。だがマリアはわしの最愛の娘だ、この娘がいなければわしが生きていく意味が消える。どちらも守ってこその王だ」 ……筋の通った言葉だ。俺でも似たようなことを言うだろう。 マリアは憎悪の表情を浮かべながらも、その時のことを思い出しているようだった。体が震え、目には悲痛な涙が浮かぶ。それでも憑かれたように話し続けた。 「するとハーゴンはこう言った。ならば実際にお前の体を削っていこう。肉体の苦しみを味わってもそう言っていられるか? そしてハーゴンは呪文を唱え、そのとたん父様の腕が吹っ飛んだ」 「…………」 「私は、絶叫した。すぐに呪文を唱えようとした。け、れど体が動かなくて呪文も唱えられなかった。ハーゴンは、何度も何度も呪文を唱えて、父様の体を、す、少しずつ、削り取って、それで」 「……もういい」 「それでも、父様は私を殺すとは言わなくて、私はハーゴンに私を殺しなさいと、何度も、言ったのだけど、ハーゴンはそれを無視して、父様の体を削り続けて、父様に私を殺してくださいと懇願したのだけど、父様は何度も首をお振りになって」 「もういい」 「こ、ろしてって、何度も何度も言ったけれど、とう、様は聞かずにどんどん体の部分がな、くなって、いって、それでも私に対しては微笑んで、もう足も失われて四つんばいになりながら、ハーゴンの隙をうかがって私を呪文で飛ばして――」 「もういい!」 俺はマリアを抱きしめた。思いきり。マリアが息を呑むのが伝わってきた。 震える声でマリアが言う。 「は、なして」 「放すか」 「なんで? なんであなたはそうなの? 私がおぞましくはないの?」 「なんでお前がおぞましい」 「私は母を殺し、教師を殺し、父親を殺した呪われた姫なのよ」 「……だから、お前は一人で行くってしつこく言ってたのか」 こくん、とうなずくマリア。 「……私は本当に呪われているのかもしれないと……自分の周りの人間を災厄に巻き込むように生まれついているのかもしれないと……それなら私のすべきことはハーゴンを道連れに死ぬことだって、思ったのよ……」 「馬鹿野郎」 俺はマリアを抱く腕に力をこめた。こいつの不安全部吹き飛ばしてやりたかった。 「俺はお前のそんな運命に巻き込まれるほど弱くねぇ。安心しろ」 「だけど! 人間って簡単に死んでしまうのよ!?」 マリアが弾かれたように絶叫する。 「私があなたたちと一緒に行くのを拒んだのはそれだけじゃないわ。もしあなたたちと一緒に旅をして、あなたたちのことを大切に思うようになって、それでもしあなたたちが先に死んでしまったら? 私はまた残されて、ただ一人。得たと思った瞬間にまた失うのはもう嫌なのよ! それならいっそ、最初からなにも、ない方がずっと、ずっと――」 「うるせぇ。いいか、マリア。俺はお前よりずっと強い。だから死ぬのはお前よりあとだ。つーかな、俺はお前も死なせねぇし俺も死なねぇ。お前が泣くようなことはもう起こさねぇ!」 「なんでそんなことが言えるの!? 強大な魔術師団を持つムーンブルクでさえハーゴンの軍勢の前には一日もたなかったのよ、あなただけでなにができるっていうの! 私にあなたたちを守らせてもくれないくせに……!」 「……お前、ハーゴンを倒すのは無理だと思いながら旅してたのか?」 俺の言葉にマリアはびくりとして、うつむいた。 「そういうわけでは……ないけど……」 俺はマリアを抱きしめながら、その頭をぽんぽんと軽く叩く。 「……な、なに?」 「悪かったな」 「……なにが?」 「俺、初めて会った時お前にひでぇこと言っただろ。お前を傷つけるようなこと。悪かった」 「そ、んなの、別に……」 「謝らせろ、ずっと謝りたかったんだよ。……よし、これでもうお前も俺も、お互いに言ってねぇこととかねぇな?」 「え?」 マリアはきょとんとした顔になってから、おずおずとうなずく。 「ええ……」 「よし。じゃあそろそろ行くか」 「え?」 そっとマリアを放して立ち上がった俺に、マリアは慌てて言ってきた。 「ちょっと待って。問題はまだ全然解決してないじゃない。私はあなたたちとはもう別れるって――」 「別れたいのか」 「え……」 「本当に、別れたいのかよ」 俺が上からじっと見下ろしてやると、マリアはぱっと顔を赤らめて、珍しくガキみてぇにうーうーとしばらく唸ると、小さく首を振った。 「そうだろーが。第一お前一人で旅なんかできるかよ。体力ねぇ上に不器用なくせして」 「あ、あなたに言われたくないわ! 普段から細かいことはサウマリルトに任せきりなくせに!」 「仲間なんだから頼るとこは頼っていーんだよ。俺はお前を仲間と決めた。だから守るのは当然だ。そんで俺は絶対死なねぇ。だから安心してついてこい」 「……っ、私は……」 「てめぇが信じられねぇっつうならこの旅中かけて信じさせてやる。一人で行くっつっても行かせねぇからな。てめぇみてぇな危なっかしい奴放っとけるか」 「あ、危なっかしいって! だからあなたに言われたくないって言ってるのよ!」 「二人とも」 『…………』 俺たちはふいに発せられた言葉に黙りこんだ。 くそ……サマのことすっかり忘れてた。さっき言ったこと全部、こいつに見られてたってことか。 ……うがああなんかもーれつに恥ずかしくなってきたっ! なに言ったんだ俺はー! 「そろそろ呪文の効果が切れると思うんだけど? あんまり大きな声上げない方がいいんじゃないかな?」 「……そうね」 「マリア。僕はロレと違って保証はできないけど。でもいまさら別れるなんてできないでしょう? ここまで一緒に旅してきたんだもの。もうマリアの心は僕たちを仲間として認めてると思うよ。今別れたってもう手遅れっていうか、寂しくなっちゃうと思うけどな?」 「…………」 マリアはちょっと黙って、それからくすくすっと笑った。俺の初めて見る、本当におかしそうな笑顔で。 「そうね。もう手遅れね」 「あは、実はそれを狙って僕たちと別れる決断を先延ばしにしたんだけどね」 「そうなの? ずるい人ね」 くすくすと笑いあうサマとマリアに、俺はぶっきらぼうに言った。 「おら、さっさと行くぞ! 夜までにはこの塔攻略しちまいてぇからな!」 「あ、待ってよロレ!」 俺を追いかけて走ってくるサマとマリアを見ながら、俺はがしがしと頭を掻いていた(兜の上からだから、苛々は解消されなかったが)。 なんっか、面白くねぇ。こいつらが仲いいのはわかってるけどよ。サマがマリアを好きなのも、マリアがサマを嫌いじゃねぇのもわかってるけどよ。 俺にあれだけ言わせといて、なんであいつは笑わねぇんだよ、俺には。 ……別にいいけどなんなこと。んなもんあいつの勝手だし。あいつが誰に惚れようとあいつの勝手―― あーけどっ、なんか面白くねぇ面白くねぇ面白くねぇっ! ドラゴンの角の最上階で、俺たちは風のマントを荷物から出した。 「これで本当に飛べるんだろうな?」 「そのはずだよ。これだけ高い所からならたとえドラゴーナ川ほどの大河でも越えられると思う。たぶん」 「頼りねぇなぁ……もし落っこちたらどうする気だよ」 「その時は僕たちがフワルーラの呪文を唱えるから大丈夫だよ」 「なんだそりゃ」 「落下制御の呪文。大地と風の精霊に働きかけて、落ちる速度をゆっくりにすることができるんだ」 「へー、便利だな……つーかそんな呪文があるんなら空飛べる呪文だってあるんじゃねぇか?」 「あるよ、トベルーラって言うんだけど。でも僕まともに使えないよ? 魔力の制御が難しくて浮かぶだけで精一杯」 「それでもすごいわ。私移動系の呪文は苦手だからルーラも使えないの。魔力の微調整が苦手で」 「マリアは内包してる魔力がすごいからね……っと、こんなもんでいいんじゃないかな」 風のマントを俺に装着させると、サマは微笑んだ。 「よく似合うよ、ロレ。かっこいい」 「お世辞言うな、ボケ」 「お世辞じゃないよー。心の底からそう思うよ?」 俺は阿呆なことを言うサマを軽く殴ると、腕を差し出した。俺が風のマントを装着してるんだから(一着しかないなら一番体のでかい俺がつけるのがいいというので意見が一致したのだ)、サマとマリア両方と繋がってなきゃならねぇ。色々考えたが、腕を組むのが一番いいということに落ち着いたのだ。 サマはじっと俺のことをなぜか切なげに見て、それからはんなりと笑って俺と腕を組んだ。 「ロレ、手も握っていい?」 「……別にいいけど」 「えへへ」 サマは嬉しそうに微笑んで、俺の手を握る。男の手握ってなにが嬉しいんだ、変な奴。 ――そして俺は、一度深呼吸をしてから、マリアに「ん」とぶっきらぼうに腕を差し出した。 マリアはじっとこちらを見て、それから少し微笑んで、サマと同じように俺と腕を組む。 抱きしめた時は華奢だ華奢だとばっかり思ってたけど。こうしてくっつくと、なんか柔らかいな、こいつ。やっぱり――女だ。 あーくそなに考えてんだ俺はっ、と首を振り、俺は二人に言った。 「行くぞ! 覚悟決めろよ!」 「うん」 「決めるほどの覚悟は必要じゃないと思うけれど、決めたわ」 「よし、行くぞ!」 俺は大空へ、一歩を踏み出した。 |