僕はマリアの部屋の扉をノックした。まだマリアとそうたくさんの宿屋に泊まったわけじゃないけど、基本的に僕たちとマリアは別の部屋に寝ることにしている。マリアは同じ部屋でもかまわないと言ったけど無理してるのが見え見えだったし、ロレも嬉しくなさそうだったから。 そんなことからも彼らがお互いを意識しているのがよくわかる。わかってしまうと、やはりどうしても胸が痛い。 でも、大丈夫。平気な顔ぐらいできる。どんなに胸が痛くたって、ロレに嫌な思いをさせることを考えればなんでもない。 「………どうぞ」 かなり遅れてだけどマリアの返事が返ってきたので、僕は部屋の中に入った。マリアはベッドに座って、窓の外を見ている。 「もう街並みは見えないんじゃない?」 そう言うと、マリアは困ったような顔をした。 「別に街並みを見ていたわけじゃないから……」 「そう? マリアは宿にいる時いつも街並みを見てるから今日もそうかと思った」 「そうね……癖になっているのかもしれない。窓の外を見るのが」 僕はマリアに近づいて、できるだけ柔らかい口調で言った。 「あんまり無理しない方がいいよ。無理っていうのは長く続かないものだから」 「……私は別に、無理なんか」 「君がなにを苦しんでいるのか僕にはわからないけど。でも僕たちは君を仲間だと思ってる。だから辛い時には力になりたいと思うよ。できることなら君にも僕たちを頼ることを覚えてほしいと思う」 「…………」 「そう思うのは、迷惑かな?」 「いいえ………いいえ、迷惑なんかじゃない」 マリアはきかんぼうのように首を振った。だがこちらを見ようとはしない。こちらを見ずに、小さな声で言う。 「わかってるの……あなたたちが私を受け容れてくれているのは。だからこそ怖い……本当の私を知って、幻滅されるのが怖い」 「君はそんなに本当の自分が醜いと思っているの?」 「……ええ」 「僕は本当の君とやらを知らないからなんともいえないけど――僕たちは一度君に抱いた感情を、君が本来は全然違う存在だったからってあっさり変えられるほど器用じゃないよ。僕は君が好きだし、ロレだってそうだ。その気持ちをあっさりなかったことになんてできない。そこらへんは信じてほしいな、できるなら」 「…………」 マリアはうつむく。辛そうに、苦しげに。 「信じられない?」 「そうじゃない、そうじゃないけど……」 そのまま黙りこんでしまう。 僕は仕方ない、とマリアに言った。 「マリア、話してくれないなら話してくれないでいい。でも、僕たちはずっと君が話してくれるのを待ってることを、辛い時に思い出してくれたら嬉しいな。それじゃ」 「…………」 うつむくマリアを残して、僕はマリアの部屋をあとにした。 ドラゴンの角に入っておじいさんに呪われた姫がどうとか言われてから、マリアはムキになっているみたいだった。バギを連発して敵を次々蹴散らしている。 「マリア、あんまり無理しないで。今日の戦いはまだまだ続くんだから」 僕がそう言うと、ロレも顔をしかめた。 「まさか魔法力のこと考えねぇで呪文使ってんじゃねぇだろうな?」 「……そういうわけじゃないわ」 「ならいいけどよ。無理して呪文使うなよ、この程度の敵なら呪文がなくても勝てる」 あ。その言い方は……。 案の定、マリアは愕然とした顔になった。 「……呪文の攻撃は、必要ないってこと?」 「必要ないってほどでもねぇけど。なきゃ勝てねぇってほどでもねぇよ、この程度ならな」 「………………」 「おい、なに落ちこんでんだよ」 「落ちこんでなんかいないわ! そうね、強いあなたには別に呪文なんて必要ないわね! 私の力なんて必要ない、そうでしょう? 私が守らなくてもあなたは平然と生きていけるもの!」 ……そういうことなのかな? マリアは自分が必要とされないことに落ちこんでいたのか? いや、それではつじつまが合わない。それはどちらかというと副次的なものな気がする。 そんなことを考えているうちに、マリアとロレはどんどん熱くなってきて―― ――あ。 ロレが、マリアの腕をつかんだ。 「放して!」 「放すかボケ! いいか、言ったはずだぞ! 俺はお前を守る、だから一緒に旅をしろってな! てめぇはそんなことも忘れたのかよ!」 「忘れるわけないでしょ!」 「……じゃあ、なんで………」 「駄目なのよ……私は、あなたたちを傷つけてしまう……私は、呪われた姫なのだもの……」 「だからなんでそうなんだよ、わけわかんねぇこと言ってんじゃねぇよ! なんでお前が呪われてるんだ!」 「呪われているのよ! だって私は自分の母親を殺した人間なんだもの!」 「………は………?」 今の二人にはお互いしか見えてないんだろうな、と思う。僕のことなんかすっかり忘れてしまっているだろう。 それを思うと、やっぱり、胸は痛い。 だけど、大丈夫。どんなに胸が痛くても。 大丈夫だって、決めたんだ。 「二人とも」 だから僕は静かに言った。 「あんまり大声で話してると魔物が寄ってくるからさ、もう少し小さな声で話さない?」 じっとしていれば魔物に見つからない呪文、トヘロナをマリアがかけて、マリアは話を始めた。 マリアの過去は想像以上に重いものだった。産まれてくる時に呪いを逸らしてそのせいで母親を亡くし、幼い頃魔術の暴走に巻き込んで師を亡くし、ハーゴンのせいで父親を亡くし。 特に父親――ムーンブルク王は目の前で、じわじわと殺された。しかも彼女をムーンブルク王の手で殺せば王は助かるという条件をつきつけられて。 それは本当に、普通なら耐えられないくらい辛いことだったと思う。初めて会った頃の彼女が拒食症に陥っていたのももっともだ。 たぶん彼女は死にたかったのだろう。けれどハーゴンへの憎しみが強くて死ぬこともできず、死ぬに死ねない中途半端な状態でこれまで旅をしてきたんだ。 それは本当に、辛くて辛くてしょうがないことだったんだろうとは思う――だけど僕には今ひとつ実感が湧かなかった。 僕はたぶん、そういう状況に陥ったとしても、あんまり辛くないだろうから。 それはもちろん少しは悲しいだろうとは思う。罪悪感を抱くと思う。でも僕の父上が目の前で、僕を守るために一寸刻みで殺されても、それはそれでしょうがないこととして受け容れてしまうと思う。もちろんそんな事態を防ぐために全力を尽くすけど、もし駄目だったらしょうがないと受け容れて、それからどうするかの方を考えてしまうと思う。 こういう時、自分が欠けた人間であることを実感する。ロレと出会ってからはほとんど忘れていた、僕が人を愛せない事実。 僕が愛せたのは、愛しているのは、ロレただ一人。 そのロレがマリアを抱きしめる。強く、強く。マリアを慰めてやりたい、元気付けてあげたい、そう思っているのだろう。 ロレらしい。 ロレは、僕とは違って、本当に深く人を愛せるから。 ――その愛は、僕に向けられてはいないけど。 でも、僕が好きなのはロレだから、それは絶対に変わらないから。 だから僕は僕もマリアを慰める言葉を言おうと、口を開いた。 風のマントは気持ちよかった。高空から滑り降りる感覚っていうのは初めてで、ちょっと気持ちがスカッとした。 マリアもそうだったみたいで、もう一度やってみたいね、なんて話していると、着地したところに座っていたロレがすっくと立ち上がっててきぱきと風のマントを外し始めた。 「あ、手伝うよ」 「いらねぇ」 「でも、一人だと難しいよ?」 「いらねぇっつってんだろ!」 パシッと僕の手を払うロレ。ずきん、と胸に痛みが走った。 ロレは僕を無視してマントを外そうとしている。でも、その手はすごく遅い。というか、手が震えてまともに動かないみたいだ。 「ロレ、もしかして。怖かったの?」 「………………」 しばしの沈黙。 それからロレはぐわっとこっちに向かってのしかかるように動いてきた。僕がどきんと胸を高鳴らせていたんだけど、ロレはそんなこと当然気づかず僕の頭をぐりぐりといじめた。 「うるせぇ、黙れ、喋るな、サマのくせに!」 「いたたた、いた、痛い痛い痛い!」 叫びながらも僕は笑っていた。 大丈夫。僕はこうして生きていける。 たとえロレが僕のことを好きじゃなくても。仲間として、そばにいることを認めてくれているなら。 マリアがくすくす笑っている。ロレが「笑うな!」と叫ぶ。そんなことがひどく嬉しくて、僕は笑い続けてロレに殴られた。 |