ぎぃん、という鈍い金属音とともに剣が飛ばされ、俺は唇を噛み締めた。 「………ちくしょう」 竜王の城に来てから一週間と少し。その間毎日ディリィに勝負を挑んでるってのに――まだ一本も取れてねぇ。 やれることは全部やった。徹底的に剣の稽古をした、レベル上げをした、対戦では奇策だろうがなんだろうが思いついた戦法は全部試した。 ――けど、その全てがこいつに対してはまったくの無駄だった。 俺の攻撃は全て防がれた。何度もやってるうちに目が慣れて、こいつの攻撃はある程度かわせるようになってるけど、それでも長期戦になれば俺の集中力の方が先に切れる。 どんな奇策もこいつには通じない。俺の発想を上回る技を持って、あっさり攻撃を返す。 ―――俺は、本気で、心の底から、しっかり認めなくちゃならねぇのかもしれねぇ。 俺は、こいつに、勝てない、と。 「今回の策は少々苦し紛れの感があるな。そなたの剣は押して砕く剛の剣、突き返しという細剣の手法は馴染むまいに」 「……うるせぇ。んなこたわかってんだよ」 俺はディリィを睨んだ。わかってるんだ。手詰まりになってることは。 ディリィはふふ、と笑うと、すい、と顔を近づけてきた。……なんだよ、なんでそんなに顔近づけんだよ。 「こうして間近で見ると肌の艶が悪うなっておるのう。唇の色も薄い。よほどに思い詰めておるとみえる」 「……うるせぇっつってんだろ」 「まぁ種類はどうあれ、そこまで強く思われておるというのはなんとも心地よいものだの」 「だから、うるせぇってんだよ!」 俺は怒鳴ったが、ディリィは笑顔を崩さなかった。俺の目の前に顔を近づけたまま、楽しそーに笑ってやがる。 ちくしょう……ちくしょう、ムカつくムカつくムカつく! 「――そう腹を立てるな」 ふいに、優しい声になったディリィが俺の頬に触れた。 「怒った顔も魅力的ではあるのだが。たまには笑顔を見せてくれてもよいだろう?」 「は? なに言ってんだてめぇ、キショいこと言ってんじゃねぇって前も言っただろーが」 俺はぱしっとディリィの手を叩き落したが、ディリィは気にした風もなく俺の肩に手を置く。 「つれないな。だが――」 ひょいとディリィが背伸びをし―― 「そんなところが、お主はどうしようもなくかわゆい」 ――俺の額に、唇を触れさせた。 一瞬、、頭が真っ白になって。 それから、猛烈に腹が立ってきた。 「な、な、なにしやがんだこのボケタコ―――っ!!!」 どんっ! と思いきりディリィを突き飛ばし、俺は怒鳴った。 「なに考えてんだオタンコナスッ、俺をいくつだと思ってんだガキ扱いすんじゃねぇっ! キショいことすんなって何度いったらわかりやがんだボケッ!」 「わしは別にそなたをガキ扱いしたつもりはないがな。わしなりに本気でやったのだが」 「ふざけんなどの口でんなこと言いやがるこのスットコドッコイが―――っ!」 「やれやれ」 ディリィはちっと苦笑みてぇなもんを浮かべると、少し真剣な顔になって言った。 「わしは口づけをしたいと思ったからした。むらむらと気分が盛り上がったからな。本来ならそなたの心情を慮るべきだったとは思うが――今は考えるより先に体が動いたのだ、許せ」 「なっ……」 「そなたをかわゆいと思っておるのは天地神明かけて事実だがな」 「だからキショいっつってんだろアホンダラ―――っ!!」 俺が思いっきり怒鳴るとディリィは余裕たっぷりに笑い、俺たちの戦ってたホールから立ち去った。 ………くそ、ムカつく。俺をいいようにあしらいやがって……馬鹿にしてんじゃねぇぞクソッタレ。 なーにが体が勝手に動いた、だ。てめぇがそんなタマか。てめぇはなにやるにしてもきっちり最後まで読みきってから行動するに決まってんだ――― と、そこまで考えて俺ははっとした。俺がそう思ってることは向こうだってわかってるはずなのに、なんであんなことを言ったのか。 あいつと違って、俺は考えるよりも先に体が動≠ュ。それが俺だ。 けど、あいつとの戦いの時は、俺は力の差を埋めようとして必死になって考えて≠「た。ああしてこうして、と頭ン中で戦法練って。 それは悪いことじゃねぇし、間違ってねぇ、とも思う。相手がこっちより強ぇ時に策を考えるのは当然だ。 ――けど、それは俺の流儀じゃねぇ。 考えてみりゃ頭が悪い俺が策考えたってどうなるもんでもない。頭で考えたら俺は遅れるに決まってんだ。 相手の方が俺より強い、なんて考えてみりゃめっちゃ久しぶりじゃねぇか。なのにぐだぐだ策考えるなんて勿体ねぇ。 俺はただ、頭ン中真っ白にして戦えばいい。どうすればいいかは、体が知っている。 ただ$って戦って戦って戦って勝つ。それが俺のやり方だ。もし、それで負けたなら――しょうがねぇ、死ぬだけだ。 いや稽古だから死にはしねぇか、と苦笑しつつ、俺は体の芯にずんと一本線が通るのを感じていた。自分がひどく単純なものになっていくような、稽古の時と同じ感覚。悔しいがこれはディリィのおかげってことになるんだろう。 明日。明日、俺はディリィに俺の今まで全部懸けて戦いを挑む。 勝っても負けても――それで最後だ。 ぎぃん! と派手な金属音が響く。 もう何合打ち合ったんだかわからねぇ。ついさっき始まったばっかりみてぇな気もするし、もう一刻も打ち合ってるみたいな気もする。 俺とディリィの最後の戦い。ディリィはいつもと変わらず、気負いも激しさもない体捌きを見せている。だが、それがこいつの場合一番強いのだということはとうにわかっていた。 俺はなにも考えず、ただ剣を振るってる。だから俺の剣さばきが普段と比べてどうかはわからねぇ。 けど、俺はまだ一発も、まともな打撃を食らってなかった。 心臓はやかましく鼓動を打っていたし、筋肉は痛み始めてた――けど、そんなことはどうでもいい。 世界はただ、俺と、剣と、ディリィ。それだけで充分だった。 剣が飛ばされかけて体勢が崩れた。ディリィの杖が飛んでくる。 体を反らした。避けきれず、短衣が裂けた。 体には当たっていない――なのに、その一瞬、ディリィの動きが止まった。 今だ、と思ったかどうかは覚えていない。 気がつくとディリィが吹っ飛んで地面を転がり、止まったところで体を起こしてげほげほと咳き込んでいた。 そして、俺にこう言った。 「お主の勝ちだ」 「…………」 一瞬呆然として――それから、ようやく頭がおいついてきた。 俺が、ディリィに、勝ったんだ。 とたん、うわーっと体の底からすげぇ……激情っつーか、嬉しさが立ち上ってきた。 「………っしゃあ!」 勝った。ディリィに勝った! ちくしょう、嬉しい。めっちゃくちゃ嬉しいじゃねぇかこんちくしょう! 勝った。俺は勝った! 「おめでとう、ロレ! 勝ったね、勝ったね!」 サマが抱きついてきたが、怒る気にはなれず俺は自分でも嬉しげに叫び返した。 「おうよ!」 サマの体をばしばしと叩く。興奮が体から溢れ出して止まらない。 こんなに嬉しい勝ちは、すげぇ久しぶりな気がした。 ……あとでなんで一瞬動きを止めたのか聞くと、「お主の裂けた服から垣間見えた肌身に目がくらんでの」とかキショいこと言ったんで蹴っておいた。ったく、最後の最後までふざけた奴。 「――それじゃ、な」 「いろいろとありがとうございました」 「いやいや、気にするな。当然のことをしたまでじゃ。久しぶりに楽しかったぞ」 「……あなたにはいろいろと思うところもありますけど――ありがとう、勉強になりました」 俺たちは最後の戦いのあと、昼メシを食い終わってから竜王の城を出ることにした。ディリィは外まで見送りについてきた。 俺はなんというか、勝利の昂揚感が失せて、なんというか、うじゃらうじゃらした気分になっていた。なんか、物足りないっつーか、なんかしなきゃなんねぇような。 そんな思いに関わらず、サマとマリアは話を進めている。 「わしも久々に若い才能に出会えて嬉しかった。修練を怠るでないぞ」 「はい」 俺は、なんか言わなきゃなんねぇって気分に押されて、つい口を開いていた。 「おい」 「なんじゃ」 「……お前、俺たちといっしょに来る気ねぇか?」 言ってから自分の台詞にちっと驚く――だが、俺の気分に一番合った台詞はこれしかない、と改めて考えて確認した。 俺は、こいつと別れがたかったんだ。ムカつく奴だけど、俺は、こいつのこといいなと思った。強いし、頭いいし、俺がどんな奴かわかってる。こいつと旅ができたらいいって思った。 俺はめったにそんなこたぁ思わねぇんだが――こいつのこと、どうやら気に入っちまったらしい。 「言ったであろう? ロトの剣がここからなくなる以上――」 「だったらロトの剣なんてここに置いときゃいいだろーが。お前に代わりができるくれーならなくたって別にかまやしねーよ。それより具体的な戦力が増える方がいいぜ」 「…………ロレイソム」 「第一! 俺はまだてめぇにたった一回しか勝ってねぇんだぞ! 五十回以上負け分が残ってんだ、その借りきっちり返させやがれ!」 こんなことを言うのはちっと照れくさかった。けど、それでも俺は、こいつをそばにおいておきたいって思った。 借りを返すためにも――単純に、俺の気持ちのためにも。 サマがにっこり笑って言う。 「そうですね。ディリィさんが来てくれれば頼もしいと思います。それに、竜王の曾孫が世界を救ったとなれば、竜王に対する世界の不当な認識を改め、竜族との交流を復活させるきっかけになるかもしれません」 「サウマリルト――」 「どうですか? ディリィさん。僕たちと一緒に来てくれませんか?」 ディリィは―― 少し考えて、首を振った。 「いや、やめておこう……やはり人間たちにとっては、自分たちを救うのは人間であると信じていられるほうがよかろう。現在竜族は滅び行こうとしている。もはやほとんどが魔物と大差ない状態じゃ。そんな竜族に人間が歩み寄ろうとしたところで、ろくなことにはならん」 「俺はそんなこと言ってんじゃ――」 「それに。そなたたちは三人でひとつ。三人で絶妙な平衡を保っておる。わしが入ってそれを壊したくはない」 「……………」 俺は黙りこんで、頭をかいた。 三人でひとつ、か。ある意味そうかもしれねぇ。こんなことは死んでも言わねぇが、俺はこの旅にサマが欠けてもマリアが欠けても嫌だろう。 一人でも旅はできる。大神官ハーゴンを倒すこともできるかもしれねぇ。けど――こいつらがいねぇと、楽しくねぇんだ。 この半年、ずっと一緒に旅してきた。俺たちは仲間だ。けど――ディリィは、まだ仲間じゃねぇんだよな。 こいつを気に入ってるのは俺だけだ。マリアはなんか反発してるみてぇだし。馴染むには時間が必要だろう。 そういうのは別に乗り越えられねぇことじゃねぇと思うんだが――こいつがこう言っている以上、ついてくる気はねぇんだろう、な。 しょうがねぇか。 俺は、ディリィに向けてにっと笑った。 「……今回の勝ちはまぐれ勝ちだったからな。今度は――今度会った時は、実力で勝つ」 ディリィも笑って答えた。 「うむ。次の手合わせを楽しみにしておるぞ」 「……ああ」 とりあえず、今はさよならだ。 俺は背を向けて歩き出す。サマとマリアのついてくる気配がした。 ふいに、ディリィが叫んだ。 「お前たち! 幸せになるのだぞ!」 なに恥ずかしいこと言ってやがんだくせぇんだよ馬鹿もうちっと洒落た台詞考えやがれ。 俺はそう思ったが、口には出さず、代わりに一度だけ振り向いてでかい声で叫んだ。 「―――またな!」 船に向かい歩く道の途中で、サマが柔らかく笑いながら言ってきた。 「ロレ、ディリィさんのこと、すごく気に入ったみたいだね」 「ん? まぁな。俺とまともに勝負できる奴なんてめったにいねぇからな」 「まともに勝負というか、あなたの方が負けていたじゃない」 「うるせ。……それがどうした、サマ?」 「うん……ロレのその気持ちと、マリアを好きな気持ちとはどう違うのかなって思って」 「はぁ!?」 俺はカーッと頭に血が上るのを感じた。なに言い出しやがんだこいつ、いつも言ってんだろーがそんなこと素面で言えるかボケッ! 「知るかタコッ! てめぇで勝手に考えろ!」 「じゃあ、僕に対する気持ちとディリィさんに対する気持ちはどう違う?」 「はぁ?」 またわけわかんねーこと言い出しやがってこいつは……。 俺は頭をかいて、そっけなく答えた。 「んなもん知るか。違う人間に向けた気持ちなんて同じなわけねぇんだ、それぞれ説明できねぇくらい違ってて当たり前だろうが」 「説明できないくらい違うの?」 「……つうかな、同じに考える必要ねぇだろ。てめぇもマリアもディリィもみんな違うんだからよ、それぞれに気持ち一個でいいじゃねぇか」 「……それぞれに、それぞれの気持ちがあるってこと?」 「まぁな」 「………ふぅん」 サマは静かに言うと、少し微笑んだ。 |