俺が自分の部屋で(当然サマと俺とは別の部屋を取っている)、これからどう動くか相談しなきゃなんねぇのか、と気を重くしながら考えていると――突然、ドンドンドンと勢いよくドアが叩かれた。 「誰だ、なんの用だ!」 着替え中だった俺は手早く着替えを終えてそう怒鳴る。扉の向こうから返ってきたのは、聞きなれた、だけどひどく切羽詰った声だった。 「ロレイス! 早く来て! 大変なの!」 「なんだ、どうした!」 俺はさっさと扉を開けた。そこには予想通りマリアがわずかに息を荒げながら立っている。 「どうした、マリア」 「サウマリルトが――」 その言葉を聞いて俺は一気に気が重くなったが、それでも聞いた。 「サマが、どうした」 「サウマリルトが呪いをかけられたの!」 とにかく見に行かなけりゃ、ということでサマの部屋に駆け込んで、俺は絶句した。 サマの部屋には医者がもう入っていて、サマはベッドに寝かされていた。いや、正確に言うなら縛り付けられてたんだ。 サマはベッドにベルトでがっちりと縛り付けられていた。のみならず、口にも猿轡みたいなもんをかまされていて、ほとんど死刑囚みてぇに拘束されていた。 「な――なにやってんだよっ!」 俺が叫ぶと、医者がうるさげに俺を睨んだ。 「お静かに」 「お静かにじゃねぇだろ、これてめぇがやったのかよ! なんでサマをこんな――」 「拘束しなければこの患者は自分の体を傷つける」 は、として俺は医者とサマを慌しく見比べた。 「この患者は呪いにより、想像を絶する激痛と絶息の苦しみを与えられている。拘束して口を常に開かせておかなければ、自分の手で命を絶ってしまう」 「な―――」 俺はようやく気づいた。サマがここまで拘束されているのに、どれだけ激しく暴れまわっているか。 戦闘でどんな傷を負っても取り乱すことのなかったサマが。体中をぐるぐる巻きにされてるのに、ベッドがひっくり返るんじゃないかと思うほどがたがたがたっ! と激しく体を揺らしている。 猿轡をされているのに声にならない絶叫が喉の奥から響くのが聞こえた。何度も何度ものた打ち回り、ベルトが引き裂かれるんじゃないかと思うほど震える。 俺には想像もつかねぇが――ひどく苦しいんだ、ということはよくわかった。 「これ……なんなんだ!? なんでサマがこんな苦しがってんだよ!」 「呪いだ、おそらくはな。聖呪に反応した……だが、どんな呪いなのかが皆目わからん」 「呪いなんだったら教会の奴ら呼んできて治させりゃいいだろ!」 「もうやった。だが教会の聖呪よりはるかに強力な力で弾き返された。司祭は今教会の文書をあたってどんな呪いか調べてる……わかったところでここまで強力な呪いじゃ解くのは望み薄だろうがな」 「な……」 俺は呆然とした。なんだそりゃ。なんだそりゃ! 呪いって……なんだそりゃ! 「……サマは、このままだとどうなるんだ?」 「……食事はとても取れないだろうから、衰弱して死ぬか、あまりの苦しみに狂死するか、だな」 「…………!」 ぐらり、とした。 サマが、死ぬ? 今までずっと一緒に旅してきて、何度死んでも蘇ってきたサマが? その時俺ははっとして叫んだ。 「そうだよ、死んでも俺たちゃ確実に生きかえれるんじゃんか! それなら……」 「それなら、殺してもいい、とでも言う気?」 いつの間にか後ろに立っていたマリアが、青い顔をしながらきっと俺を睨む。 「死んでも解除されない型の呪いだったらどうするの? サウマリルトは激痛と、絶息の苦しみに加え、死の苦しみも味わうことになるのよ?」 「………!」 「なにより……こんな苦しみをいつまでもサウマリルトに味わわせておくわけにはいかないわ……」 なんとかしなきゃ、と苦しげに言うマリアの声は、掠れていた。 ――と、一瞬、サマがうっすらと目を開いて、俺と視線を合わせた。 「サマ!」 思わず俺が叫ぶと、サマは(その瞬間も痛みが走ってるのは表情や体の反応から明らかなのに)小さく笑みを浮かべ、ぐるぐる巻きに縛ってある拘束具を震える腕で振り払った。 「サマ!」 「なにをしているんだ、君は!」 慌てて拘束具を付け直そうとする医者を制して、サマは、のた打ち回るほどの激痛が走っているだろう体をゆっくりと起こして、手のひらに血が出るほど爪を立てながら、猿轡を取って、口を開いた。 「―――ロ、レ……っ。僕のかけ、られたのは、ハーゴンの、呪い……だよ」 「……ハーゴンの………? おい、それよりサマっ、大丈夫なのかよ!?」 俺の発した間抜けな問いに、サマは、汗をだらだら流しながら、優しく笑う。 「だい、じょうぶ、だよ。それ、より、お願いがっ……あるんだ」 「お願い……?」 まだ半ば呆然としながら言う俺に、サマはにこっと、以前と同じ、優しい笑みを浮かべて言った。 「僕を、この、街に――この街の、どこか裏路地にでも、捨ててい……っ、て」 そう苦しそうな息の下から必死に言って――すぐまた盛大に咳き込んだ。 俺は、数十秒かけて頭の中でその言葉を理解して、絶句した。 「な……なに言ってんだよっ!」 俺は大声で叫んだ。 「おま……捨ててけって……そんな……んなことできるわけねぇだろ!?」 「それが、最良の、選択だよ……っ。僕は、もともと、大した、戦力に、なって――ぐふっ、がは!」 「これ以上話すのは無理だ、医者として承服できん!」 そう叫ぶ医者に、サマはちろりと、ひどく冷静な視線を向けて言った。 「だいじょう、ぶ――今さえもてば、あとは、どうなったって、いいから」 その口調は、変な言い方になるが――完全に正気で、冷静で、至極当然のことを言っているサマの普段の口調、そのものだった。 「な――」 「ロレ、ごめんね」 サマはたまらなく苦しそうな呼吸をしながら、俺を見つめて言った。優しく、暖かく微笑んで。 「ロレ、ごめんね。こんな、汚い、僕で。いやな、思い、させて、ごめんね。でも、僕、もう、いなくなるから。だから、僕のことなんか、全部、捨てて、忘れて、幸せに――なってね」 「な――んだよ、それ」 俺は、今度こそ呆然としながらのろのろと言った。 なにを、言ってるんだ、こいつは? こんな時に――自分が死ぬほどの苦しみを味わってるって時に、なんで、俺に――謝って、幸せになってねなんて言ってるんだ? 「てめぇ、馬鹿言うのもいい加減にしろ! お前今の状況わかってんのか!?」 ああ違う、そんなことを言いたいんじゃない。こんな風に怒鳴りたいんじゃない。 けど俺はどうしてもそんな風にしかできなくて、サマの胸倉をつかんで怒鳴った。 「おい、お前!」 「黙ってろ! わかってんのかサマ、お前今の苦しみがこれからずっと続くかもしれねぇんだぞ!? 俺のことなんか気にしてる場合じゃねぇだろ、どうしてなりふりかまわず俺らに助けてくれって、呪い解いてくれって言わねぇんだよ!?」 「だって」 サマはきょとんとした顔をした。それこそ普段と同じように。 「ロレ、僕のこと気持ち悪いんでしょ?」 「――――」 俺は、頭の中が一瞬真っ白になった。 頭の中から言葉が消えた。俺に胸倉をつかまれて、ときおり激しく咳き込みながら言葉を紡ぐこいつに、なにを言えばいいのかわからなくなった。 『ロレ、僕のこと気持ち悪いんでしょ?』 確かに、お前のことを気持ち悪いと言ったのは俺だ。 だけど、だけど、だからって。 なんで、そんなに簡単に。 「気持ち悪い、僕のこと、なんか、捨てて、しまって、いいよ。げほっ、目障り、なら、土に、埋めて、くれても、水に、沈めて、くれても、いい。ごめんね、が……っ、自分で、しなきゃ、いけないのに、手間を、かけさせて、しまって……げ、えほっ……!」 「お……前、なに考えてんだ! 自分のことなんだと思ってんだ!? 俺がどんなこと言ったって、お前は、お前で、ちゃんと………!」 必死に言う俺に、サマは困ったように笑う。もののわからない子供にするように。 「ロレが、存在を、認めない……っげっほ、僕に、なんて……えほっがふ、存在する、価値、ないよ」 「――――」 俺は。この時、ようやく。 サマが、俺の思っていたより、ずっとずっと、俺を好きなんじゃないかという事実に。 俺が、サマにどれだけひどいことを言ったかという事実に。 遅まきながら、気がつき始めたのだった。 力を使い果たしてぐったりするサマを医者はベッドに寝かせて拘束しなおし、マリアに言った。 「お嬢さん、魔術師のようだが、睡眠系呪文は使えるかね?」 「え? ええ」 「ではラリホローマの呪文は?」 「! そうだわ、うっかりしていた! あれを使えばサウマリルトの苦しみを和らげられるわ!」 呆然としている俺をよそに、医者とマリアはサマに近寄って呪文を唱えた。サマががくっと体から力を抜いた――というか……息をしてない!? 「おいっ! お前らなにしやがった!? 息してねぇぞ、こいつ!」 「騒々しいな……少しは黙らんか」 「ラリホローマ……人を仮死状態にする呪文。完全な仮死状態というよりは極めて深い眠りに近いものだけれど、飢える心配はなくなるし、苦しみはほとんど感じられなくなるはずよ」 「……そ、っか……」 俺はほっとして息をついた。少し安心した。サマがのたうち回る姿なんて、何度も見たいもんじゃねぇ――つうか、二度と見たくねぇ。 「今のうちに対策を考えなければ――サウマリルトはハーゴンの呪いと言っていたわよね」 「ああ……」 「呪いをかける側と接続ができて、向こうの情報が流れ込んでいるのかしら……私と同じようにサウマリルトも呪いに……それではどれだけ強力な解呪師を連れてきたとしても、直接力で解呪するのは望み薄ね……」 マリアは必死に思考を巡らしているようだった。普段こういうのはサマの役なんだが、とちらりと思って、そのとたんずきりと胸に痛みが走った。 「……やっぱり、どんな呪いかを探って、それに見合った解呪方法を調べるしかないと思うわ……」 「そうか、で、どうやって調べりゃいいんだ!?」 勢い込んで訊ねた俺に、マリアは難しい顔で考えこむ。 「文献をあたるしかないのだろうけど、この街にどれだけ呪いに関する蔵書があるか……お医者様、ご存知ありませんか?」 「……一番呪いについて詳しいのは教会の司祭だろうがな。まったく心当たりはないと言っていた……蔵書を調べるということだったが、司祭は呪いについては蔵書のほとんどを暗記しているはずだ……」 「そうですか………」 うつむいたマリアに、俺はなんだかひどく息苦しい感覚を覚えながら声をかける。 「……なぁ、別に司祭だけが呪いに詳しいわけじゃねぇんだろ? まだ調べる場所はいくらでもあるよな?」 「……そうね。でも、呪いというのはムーンブルクの魔術師連合ですら、基本的に教会に任せるべきとされている分野なのよ……教会の聖呪、そして集積された呪いの知識はそれだけ他を引き離しているってことなの……」 「……だ、からって……別に、まだ、どんな呪いかわからねぇって決まったわけじゃ――」 「そうね……」 答えるマリアの声は、どこまでも小さく暗い。 頭がぐらぐらする。サマの呪いが、解けない? この先ずっと? そんな。そんなことあっていいはずがない。許されるはずがない。 だって、サマは、悪いことなんてひとつもしてねぇ。人を傷つけることも、憎むことも。――俺にあんなにひでぇことを言われたってのに。 悪いことをしたのは、傷つけたのは、俺なのに。 体がふらついて、どん、と壁に背中をつけた。どうすりゃいい? 俺は、どうすりゃいいんだ。 ―――まさか、もう――どうにも、できねぇのか? なにもかも手遅れなのか? そんな、そんな――― 「……せめてここにゴーディリートの持っていた蔵書があれば」 「え?」 俺はばっと食いつくようにマリアを見た。 「ディリィの蔵書? それがあればなんとかなるのか?」 「あるいはね。彼の城の蔵書は魔術師連合のものをはるかに上回っていたから……だけど、彼の城はどんなに急いでもここから一ヶ月はかかる。その間にいつハーゴンの呪いが私たちのかけた呪文を打ち消すか、わからないわ……」 「…………」 俺は思わず拳を握り締めた。ディリィ。あいつの力があれば、サマは助かるかもしれねぇのに。 このままじゃ、どうにもならないままで、サマは苦しみながら死んじまうかもしれねぇんだ。 体の震えを止めようと、思いきり奥歯を噛み締めた。助けがほしい。もしかしたら生まれて初めてってくらい、真剣にそう願った。俺じゃ、俺だけの力じゃ、どうにもならねぇんだ。 助けがほしい。親父、母上、師匠……ディリィ、頼む、誰か……サマを、助けてくれ………! 『――呼んだか?』 いきなり耳に飛び込んできた声に、俺はばっと顔を上げた。この声―― 「ディリィ!?」 『その通り。やれやれ、お主が必死でわしの名を呼んでくれたおかげで、ようやく通じたわ』 俺たちの目の前で、宙に浮きながらそう苦笑したのは、確かに竜王の曾孫、ディリィだった。影がないのとわずかにぼやけているので、実体ではないと知れる。 「……トオースハマの呪文!? どうやって私たちとの繋がりをつけたの?」 『ロレイソムはロトの剣を取り込んだ。わしはロトの剣に同調させられたことがあり、ロトの剣には魔法的にしるし≠つけてある。位置は世界のどこにいてもわかるさ……だがそれでもそう簡単に受け入れ態勢のない相手側と遠距離通話ができるわけもなく、繋ぐのに一ヶ月以上もかかってしまったがな』 「一ヶ月………?」 『さて、二人とも』 ディリィはひどく真剣な顔になって、俺たちを見た。 『状況を説明してもらおうか?』 『……やはりな』 俺たちが行った説明に、ディリィはあっさりそう答えた。 「お前……知ってたのか!?」 『知っていたというか、一ヶ月前にサウマリルトに呪的仕掛けが施されたのは感じ取っていた』 「じゃあなんでそれを早く……!」 『だから一ヶ月前からお前たちと連絡を取ろうと苦心していたのだろうが。これでも必死だったのだ』 「………悪ぃ」 うなだれた俺に、ディリィはきびきびと言う。 『落ち込んでいる暇はないぞ。サウマリルトのかけられた呪いは、十中八九魔神転化の呪いじゃ』 「魔神転化……?」 「聞いたことがないわ……」 『それはそうであろう、これは魔族に伝わる呪法じゃからな。簡単に言えば――人を、魔族に変える呪いなのだ』 「な……!?」 絶句する俺たち。だがディリィはまるで斟酌せず続ける。 『魔神転化の呪いはある程度の時間をかけて、肉体にこの上ない苦痛を与えながらじわじわと魂に誘惑をかけ、魔族――正確には人でありながら魔族でもあるものなのだが、そういう存在に変えてしまう。一度かかれば自力で解呪するのはほぼ不可能―――心身ともに弱っていなければ、まずかからぬ呪いなのだがな』 「…………!」 俺は息を呑んでいた。サマが心身ともに弱っていた。それは、どう考えても―― 俺のせいだ。 マリアとディリィが真剣に言葉をやり取りしている。それが遠くに聞こえた。 「解呪方法は?」 『魔族と人は本来相容れぬ存在――人としての力を強めれば、魔族に変える呪いは弾かれる。世界樹のある島の場所は知っておるな?』 「そうか、世界樹の葉を飲ませればいいのね」 『うむ。だが、気をつけよ。急がねばならぬ、たとえラリホローマの呪文をかけたとしても魂への侵食は進んでおる。呪いが完遂し、魔族となってしまえばもう取り返しがつかん』 「だいたいの期限はわかる?」 『サウマリルトがどれだけ抵抗できるかによる。だが、まったくの無抵抗でも人が魔族となるには三日はかかる。死にもの狂いで抵抗すればどんどんと時間は延びていくことだろう』 「そう……」 『サウマリルトが呪いを完全に受け容れてしまっていれば、魔族となる前でも引き返せなくはなるが。そういうことは起こるまい、サウマリルトには好いておる人間がおるのだからな』 「…………」 受け容れてしまっていれば、引き返せない。 好きな奴がいれば、そういうことは起こらない。ディリィはそう言った、けど。 俺は胸元を握りしめていた。体中を貫いた痛みに耐えるように。 サマの好きな奴が、本当に今も俺なんだとしたら。サマは。自分を捨てて、忘れろと言ったサマは。 もう――― 「んなこと……考えてる場合か……っ!」 俺はどん! と思いきり自分の胸を叩いた。はっきりした痛みに少し頭の中が冴える。 やらなきゃならねぇことが決まった、やれることがある。それならそれを全力でやるしかねぇだろう! 「ディリィ! 他になにか言っとくことあるか?」 『……いや。とりあえず事態を打開するのに必要なことは全て言った』 「よし。じゃあ行くぞマリア」 「――ええ。すいませんお医者様、彼を入院患者として扱っていただけますか? 前金で……」 「……千ゴールドでいい。どうせ俺たちは寝る場所を提供する役ぐらいにしか立たなそうだからな」 「ありがとうございます。――行きましょう」 『気をつけていってこい。わしも万一の時のために魔神転化の呪いについてもう少し調べてみる』 「頼む。――行ってくる」 そう言って部屋を出かけ、俺は一度だけサマを振り返って、小さく言った。 「……俺が帰るまで、ちゃんと生きてろよ」 そうして今度こそ部屋の外に向き直り、俺たちは出発した。サマのいない、俺とマリア二人だけの旅へ。 道具屋でキメラの翼を買って、船を出す。最初に舵を取ったのは俺だった。 俺は世界樹とやらのある島までずっと自分が舵を取るつもりだったんだが、さんざんやりあって俺が七刻、マリアが五刻のわりで舵を取ることに決着がついた。 俺らの船は魔船ってだけあって基本的には舵さえとっていればどの方向へも自由自在に動ける。風は北風、帆を広げる必要もない。 マリアが魔物を追い払う呪文を唱えたんで魔物は一匹も出なかった。ひたすら、ひたすらに東へ東へと進む。 ――船出してから一刻ほど。荷物の整理を終えたのか、マリアが船室から出てきて俺の前に立った。殺気がこもってるんじゃないかと思うほど、真剣な顔で。 「――今度こそ教えてもらうわ」 「……なにをだよ」 「あなたとサウマリルトの間になにがあったか、をよ」 「…………」 俺は無言のまま、マリアを見つめた。マリアはきっと俺を睨む。 「ゴーディリートの言っていた、サウマリルトが心身ともに弱っていたというのはあなたが原因なのでしょう?」 「………………」 「あなたが、そしてサウマリルトがなにをしたのか。私には聞く権利があると思うわ。この一ヶ月の間、あなたたちの間で伝書鳩をやっていた私には」 「………………」 「そして、あなたが、本当に、私を仲間だと思っているのなら――教えてくれるべきだと思う。こんな言い方、したくはないけれど」 そう言ってうつむくマリアの瞳にわずかに濡れた雰囲気を感じ、俺は唇を噛み締めた。こいつにも、ずっと俺らのせいで迷惑かけちまったんだ。 話さなきゃなんねぇよな。覚悟を決めて、俺はマリアにサマに告白されて手ひどく振ったことを話した。 ――が、マリアの反応は、俺の考えていたのとはまったく違っていた。 「そう……」 一度だけ深いため息をついた。目に見える反応はそれだけ。 あまりに平然とした様子に、俺はおそるおそる言っていた。 「……お前、変だと思わないのかよ。あいつは男のくせに、男の俺を好きだっつったんだぞ」 「最初は、少し驚いたけれど。予想はついていたから、それほどの衝撃ではないわ」 当然のことながら、俺はぎょっとした。 「おい……マジか? なんでそんな予想ができるんだよ? そういう……ほのめかしとかしてたのか、サマが?」 「いいえ。彼はなにも言わなかった。だけど――見ていればわかるわ」 「なんでそうなる!? なんで見てるだけでわかるんだよ、俺はそんなもん少しも気づかなかったぞ!」 「あなたが特別鈍感なのよ」 俺は返す言葉に詰まった。そう言われるとそうなのかもしれねぇと思えてくる。 ……けど、俺だってあいつのことをなにも見てなかったわけじゃねぇつもりなのに。 「……俺は、サマはお前が好きなんだと思ってた」 「まさか」 「だってよ! 惚れてもねぇのにあんなにこまごま面倒見られるもんか!? お前にいちいち気ぃ遣って、優しくして、そんなこと下心なしでどうして――」 俺は、はっとした。 下心つきのあいつの誠意を、気持ち悪いと拒絶したのは、俺じゃなかったか。 「……最初はね、この人、私を好きなのかな、と思ったこともあったわ。ムーンペタにいた頃、本当にいろいろこまごまと面倒を見てくれたし、どうしてそこまでってくらい苦しんでる私に優しくしてくれたから」 黙りこんだ俺に、マリアがゆっくりと言う。 「でもね、気づいたの。この人にとっては私って、全然恋愛対象じゃないなって」 「……なんでだよ」 「だってね、普通好きな女性を相手にして下の話とかするもの? 生理がどうとかお小水がどうとか。体調の管理に必要だからって、そういうことを顔を赤らめもせず平然と聞くのよ?」 「…………」 「それは彼は医者の資格を持っているそうだからいいとしても。――彼の向ける笑顔がね、私に向けるのと宿の人に向けるのと、まったく同じなのよ」 「は? ……けど、あいつはお前のことすげえ大事にして――」 「それは私が弱っていたからだと思うわ。彼は多分、それが私でも見知らぬ他人でも、弱っていたら平等に助けの手を差し伸べる人なんじゃないかしら。同じように優しく微笑んで、同じようにその人間が一人で立てるようになるまで尽くす」 「…………それは…………」 確かに、あいつは困ってる人がいたら誰にでも手を差し伸べるけど………。 「彼は神様みたいに優しい人よ。そして神様みたいに誰にでも平等に人を愛すの。けれどそれは、誰も愛していないのと同じではないかと以前気づいたわ」 「…………」 「唯一の例外が、ロレイソム、あなたよ」 「……俺?」 「そう。あなたは気づいていなかったんでしょうね。サウマリルトはあなたにだけは、あなたに対してだけは表情を変えるの。褒められたら天にも昇らんばかりの笑顔を浮かべるし、けなされたら身も世もないというように落ちこむ。誰に対しても同じような笑顔で接する彼が、あなたに対する時だけ感情を動かすのよ」 「………んな、わけねぇだろ。あいつはいつだって馬鹿みてぇに気持ち顔に出して、しょうもねぇことに死ぬほど喜んで、くだらねぇことで泣きそうになって、馬鹿みてぇに懐いてきやがって――」 「その表情をあなた以外に向けたところを見たことがある?」 「…………」 ―――ない。 サマがひっつくのも、嬉しそうに笑うのも、泣きそうになるのも俺に対してだけだ。 愕然とする俺に、マリアは静かな声で言う。 「サウマリルトはあなただけが特別なの。あなたに対してどれだけ細やかな心遣いをしているか、それが当たり前の貴方は気づいていないんでしょうね。あなたに気を遣わせないようにひそやかに、あなたが気持ちよく過ごせるように自分の時間を犠牲にしている」 「…………」 「あなたが彼にどう応えるかについては私は口出ししないわ。しちゃいけないことだと思う。だけど、あなたが、あれだけ彼の愛情を受けたあなたが、彼を傷つけるだけ傷つけて放っておくと言うのなら――」 私はあなたを軽蔑する。 そう、マリアは言った。 ひたすらに操舵輪を握って東へ東へと進む。受け持ちの時間が終わったら船室に戻って眠り、目が覚めたら操舵輪のところへ向かって替わる機会をうかがう。魔物が一匹も出ないので、変化ってものがなにもなかった。 どんなに気持ちが急いていても、船は一定以上の速さでは動いてくれない。追い風の時に必死に帆を張っても、すぐに風向きは変わってしまう。この二ヶ月である程度慣れてきてはいるものの、俺は風が読めるほど船旅に習熟してはいないのだと思い知る羽目になった。 その間中、俺は考えていた。らしくないことに。サマと、サマにどう応えるかということを。 だって、俺は知らなかったんだ。気づかなかったんだ、全然。自分でもその鈍さに嫌気がさすが、本当にサマがそんなに俺が特別だなんて思わなかったんだ。 あいつは誰に対しても優しいんだと思ってた。親切なんだと思ってた。いや、親切は親切なんだろう。だけど、俺に向ける笑顔だけが特別だなんて、少しも思わなかったんだ。 俺の言った言葉が、サマにとっては死刑宣告にも等しい言葉だなんて、全然気づかなかったんだ。 だけど俺は言っちまった。サマの思いを、今まで俺に向けてくれていた優しさを、全て否定するみてぇな台詞を。 俺は後悔は嫌いだ。んなもんしたってなんの役にも立たねぇ。んなことしてる暇があるんなら、今やれることをした方がいい。 けど、やれることをやりながらも、俺はものすごく久しぶりに後悔ってのをすることになっちまっていた。何度も何度も蘇る、苦しみ悶え、ひどく咳き込みながらも、自分を捨てて幸せになってくれと優しく笑ったサマの顔。 なんでそんなに、そこまで俺に尽くそうとするんだよ、サマ。俺はお前に、一度だって優しくしてやったことなんかないってのに。 なんで俺のことなんかそんなに好きなんだよ。俺はお前をあんなにひどく傷つけたってのに。 俺を憎むことも、恨むこともせず。許すとかそういう段階でさえなく。あいつにとってはあんなにひでぇことを言われても、俺に尽くすのが当然なのか。 「ちくしょう……っ、どうすりゃいいんだよっ……!」 俺は唇を噛み締める。サマがどれだけ全力で俺を好いてくれてるかはわかった。俺が娼婦に抱くみてぇな感情より、ずっとずっと、比べることさえ悪いほどの強さで俺を想ってくれてるのは。 けど、俺は、あいつに応えてやれねぇ。 俺はホモじゃねぇ。男を抱きたいとは思えねぇ。男に惚れるだなんだってのは、やっぱり聞いただけで嫌悪感を覚える。 あいつをそんな風に思いたくはない、思いたくはないけどこれはそういう話なんだ。男が男に惚れてるって話なんだ。避けて通ろうったってできるもんじゃない、サマのことを考えるなら。 俺はあいつには応えられない、何度考えてもそういう結論しか浮かんでこない。だけどそれを伝えたらあいつはどうなるんだろう。にっこり笑って受け容れて、そのまま死んでいくんだろうか。 「サマ………サマの、クソ馬鹿野郎……なんで……」 なんであいつは俺なんか好きになったんだ。もっと他の、あいつにもっと優しくしてやれる、好きになってくれる、そういう奴を選べばいいのに。 本当に、どうして、俺なんだろう。俺じゃなければ俺だって、もっとあいつに――優しくしてやれたのに。 そんな考えても考えても埒のないことを繰り返し考えながら、俺たちは世界樹の島へたどりついた。 「………!? なんだこの人の数!」 世界樹の島は、俺が思ってたよりずっと人の多い場所だった。外周を岩山に囲まれた島の唯一の浜辺は港になっていて、いくつもの船が停泊している。 世界樹の存在は海にいた時からわかっていた。天を突くほどの、他の樹とは明らかに存在の段階が違う巨大な樹。 そこの周りに、いくつもの露天やら建物やらが立ち並び、小さな街のような様相を呈している。そこにうじゃうじゃ、とまではいかないが、かなりの人がうろつきまわっていた。 「世界樹の存在は有名だもの。世界樹の葉は蘇生の儀式と同じほどの確率で人を蘇らせることができるのよ。危険な場所に向かう人のお守りに、と世界中から人が集まってくるわ。だから世界中の国が協力して、世界樹の保護と葉を求める人の管理をしているのよ」 行きましょう、遅くなったら今日中に葉をもらえないかもしれないわ、と言って歩き出すマリアを、俺は慌てて追いながら訊ねる。 「ちょっと待てよ。もしかしてこいつら全員世界樹の葉取りに来たのか? それじゃ……葉もらうのにすげぇ時間かからねぇか!?」 「かかるでしょうね。だから急いでいるのよ。少しでも早く葉をもらうために」 そう言われて俺は慌てて順番に並ぶために急いだが、それでも俺たちの前には何千人(もしかしたら何万人)って人が並んでいた。 苛々しながら遅々として進まない列で待つ。じりじりしながら待っているうちに、陽が落ちてとっぷりと夜はふけた。それでもまだ俺たちの前には少しも減ったようには思えねぇ列が並んでいる。 「……マリア。お前はどっか別のとこで休んでていいぞ」 遅まきながらそう言ったが、マリアは首を振った。 「休んでいても気になって仕方がないもの。ここにいるわ」 「………そっか」 俺はいまさらながらマリアが真剣に俺たちのことを大切に思ってるのを感じ、今までの仕打ちを改めて申し訳なく思った。 「……悪かったな、マリア」 「なにがかしら?」 「いろいろとな……」 謝ることが多すぎて、謝りきれねぇくらい。俺はこいつにも、サマにも迷惑をかけている。 だから、死なせねぇ。死なせるわけにはいかねぇ。 なんとしても、サマを、救ってやらなきゃならねぇんだ。 頼む……頼むから、間に合ってくれ………! 「七千五百七十五番の木札をお持ちの方、こちらへ!」 「おお!」 世界樹へ続く道を開けられて、俺は迷わず駆け出した。 世界樹の目の前まで来ると、世界樹は自然に一枚ぴらりと葉を落とした。俺は泣きそうなくらいほっとしてそれを受け取り、マリアと一緒にキメラの翼を大空に放り投げる。 次の瞬間、俺たちはベラヌールの街の入り口の前に立っていた。 「――よし!」 俺は叫んで駆け出すが、街の入り口で足止めされた。いつもの通行審査だ。 じりじりしながらまたも列に並ぶ俺に、突然マリアが硬い表情で言ってきた。 「――ロレイス。大変だわ」 「? なんだよ」 「魔的結界が張られている。おそらくはハーゴンの手の者によるものだわ」 「……なんだそりゃ、どういうことだ?」 「魔族がどんどん送りこまれてくるということよ。うかつだったわ……呪いをかけているのだから位置がわからないはずはない。こちらが呪いを解除するのを妨害することは目に見えていたのに」 「……つまり、敵がいるってことか? 街の中に?」 「……たぶん」 マリアは緊張した表情でうなずく。俺はきっと前を見据え、剣の柄を握った。 どんな敵だろうが……邪魔する奴は全員ぶった斬る。俺は、早くサマのところへ行かなきゃならねぇんだ。 手続きを終えて駆け出したとたん、俺は強烈な炎に包まれた。――ベギラマだ。 肌を焼く苛烈な熱に歯を食いしばって耐えて、炎が放たれた方向へと駆け出す。戦槌を持って祭服を着た前にも見た魔族が並んでいた。 片っ端から首を跳ね飛ばす。敵は何度もベギラマを放ってきたが、俺しか目に入ってないようでマリアにまで呪文の効果を及ぼさなかった。 それならこっちのもんだ! 全力で剣を振るい、一分も経たないうちに全員斬り倒す。 後ろからマリアが何度もベホマをかけてくれたおかげだ。俺は指を上げて合図を送り、走り出した。 またベギラマが飛んでくる。今度は杖を持った奴だ。何体もの魔族が俺に呪文を飛ばし、数体の魔族がそいつらへの攻撃を阻もうと道を塞ぐ。 「邪魔だっ!」 叫んで俺は次々敵を斬り倒す。ベギラマが何発も飛んできて俺の体を焼く。俺の皮膚が黒焦げになる。生きながら肉を焼かれる激痛が体を走る――だが、そんなこたぁどうでもいい。 まだ体は動く。剣は振るえる。足は持ち上がる、走ることができる! それでいい、それで充分だ。俺はサマに―― サマのとこに行かなきゃならねぇんだ! マリアのベホマが何度も飛んで、俺は何度も瀕死になりながらも全員斬り倒した。 よし、目は開いてる。どっちに行きゃいいかも覚えてる。俺は後ろも見ずに全力で走った。 サマのいる医院まであと少し、橋を越えればすぐそこ――というところまで来て、俺はざわっと、戦士としての勘が全力で警報を上げるのを感じた。 とっさに大きく跳んで身をかわす――だが、そんな動作少しも役には立たず、俺は突然膨れ上がった爆発に吹き飛ばされた。 激痛。爆発と打ちつけられた時の衝撃で、あばらと肩、それに左足の骨が折れた。爆発の力で体中に亀裂が入っているのがわかる。ベギラマとは違う、それよりさらに強力な呪文だ。 新しい敵だった。最初の戦槌持った魔族に似てるけど、色違いの祭服を着て、赤い戦槌を構えている。 その漂わせる妖気、鬼気、どちらも尋常じゃない。これまでの敵とは明らかに、レベルの違う魔族だ。 だが――当然、俺は迷わず武器を構えて走り出した。 敵は再び呪文を唱え始める。もう一発食らえば俺は確実に死ぬだろう、けど、俺は、ちゃんとサマに会わなきゃならねぇんだ。 会って、ちゃんと、言わなきゃならねぇことがあるんだ! 「そこを………」 石畳を踏むたびに足に走る激痛を無視し、やかましく痛い痛いとがなる肩を使って剣を振り上げ、呼吸するたびに激痛に呻くあばらを大きく広げて息を吐き出し。 俺は全力の一撃を、そいつにぶちかました。 「どけぇ――――っ!!!!」 マリアのバギがそいつに当たったのが見えた。そいつの呪文がわずかに乱れる。 その一瞬があれば、そいつが呪文を唱え終わる前に剣を振り下ろすには、充分だった。 そいつが消滅したのを確認して、は、は、と荒い息をつく。痛ぇ、めちゃくちゃ痛ぇ。 けど、こんなのはなんでもねぇ。今もサマは、呪いをかけられて苦しんでんだから。 動けと命じてもなかなか持ち上がらない足を必死に動かして、のろのろと進む。行かなきゃならねぇんだ、俺は。 サマのところに。 ふわ、と光が俺の体に落ちて、体が軽くなる。マリアのベホマだ、と思う暇もなく、駆け出す。 早く。早く早く早く。 サマのところに――― サマ。 サマ、サマ、サマ、サマ! 死なないでくれ。俺はお前をどう思ってるのかはまだわからねぇ、応えてやれる自信なんて欠片もねぇ、けど―― 俺は、お前が大切なんだ。お前に死なれたら嫌なんだよ! サマ………! 「サマ!」 俺が医院の扉を突き開けると、あの医者が驚いたようにこっちを見た。 「お前さん帰ってきたのか。それで世界樹の葉は……」 「サマは!?」 俺に詰め寄られ、医者は顔をしかめながらも、サマのところに案内してくれた。 「サマ!」 俺が駆け寄ってもサマは少しも反応しなかった。眠ってんだから当たり前だが。 「言っとくが、どれだけ呪いが進行したかなんて俺にはわからんからな。本当にただ寝かしておくことしかできなかったんだから」 「いいからさっさと目を覚まさせろ! 葉を飲ませなきゃならねぇんだから!」 「そりゃ覚まさせるがな……ラリホローマは複数の人間でかける呪文で、呪文をかけた人間がいないと解くのに手間が……」 「ここに、います」 いつの間にか、やや息を荒げながらもマリアが後ろに立っていた。医者はほ、と息を吐くと、うなずいて呪文を唱え始める。 ――だが、呪文を唱え終わってもサマは目覚めようとはしなかった。 「な……なんでだ!? 呪文解いたんだろ!? なのになんで」 「……こりゃ衰弱で目が開けられないんだな……水を飲み込む力もあるかどうか……」 「どうすりゃいい。どうすりゃ葉を飲ませられる?」 「一番やりやすいのは口移しだろうが――」 その言葉を聞いたとたん、俺は迷わず世界樹の葉を取り出し、口に含んでいた。 飲み込みやすいように何度か噛み、葉を小さく柔らかくする。 サマの細い、華奢な体をそっと起こし、首を支えて、顔を近づけ――唇と唇を触れさせた。 サマの唇は、薄く、小さく、柔らかく――冷たかった。 唇を割って舌で口の中へ葉を送り込む。喉の奥へ奥へと必死に葉を押しやり、やっとのことでごくん、と葉を飲ませた。 ―――息詰まるような、数瞬。 じっと俺はサマの目を見る。必死に。起きてくれ、頼むから起きてくれ、と願いながら。 果たして――数瞬ののち、サマはゆっくりと、目を開けた。 「サマ………!」 「………え?」 サマは目の前に俺がいるのを知り、ぎょっとしたようだった。そのいっそう痩せた顔を驚きに固まらせ、ひどく細い手で、慌てて俺の腕の中から逃れようとする。 「え、なに、も、しかして、僕、呪いが解けちゃった、の? ……ご、ごめん、ロレ、ごめん、ごめんね、迷惑かけて。でもいいから、捨てていっていいから、僕のことなんて全然気にしないでいいから」 掠れた声で、必死になって、サマは俺に謝った。ひどく衰弱した体で。 力ない手を必死に動かして、俺から逃れようとした。 それもおそらくは――自分が気まずいからじゃなく、俺にいやな思いをさせないために。 「ロレ、本当に僕のことなんて気にしなくていいよ、捨てていってもいいし、あ、ついてきた方がいいならついていくけど、ロレがいやな思いするならやめた方がいいと思うし―――」 ぼろぼろになりながら、死にかけながら。俺のことを、俺のことだけを気にするサマ――― 「…………っ!」 俺は。 俺はもう――たまらなくなって、サマを抱きしめていた。 「ロ、レ………!?」 「サマ」 その細い体を思いきり抱き寄せて、耳元で囁く。 「だ、駄目だよ、そんな、わかってるから、僕のこと気持ち悪いのわかってるから、無理しないで、遠慮しないで僕のことなんか捨てて忘れて全然かまわないから―――」 「もういい」 俺はぎゅっとサマを抱きしめた。目頭が熱くなるのがわかった。 先のことはわからない、けど今はこいつを抱きしめてやりたかった。俺のことが好きっていう、俺の嫌いな自分になんてなんの価値もないと言い切っちまう、どうしようもなく寂しいこの男を。 「ロレ………?」 「いいから………もう、いいから。わかってるから」 「わ、かってるって」 「俺、お前とちゃんと向き合うから。あとでちゃんと話すから………だから今は―――黙って、抱きしめさせろ」 俺はぎゅっとサマを抱き寄せる。こいつに対する想いをありったけこめて。 そのうちに、サマの腕が、震えながら、怯えながら、おずおずと俺の背中に回されるのがわかって―― その感触がひどく嬉しいと、俺は涙をこぼしながら思った。 |