サマの呪いを解いて一週間。俺たちは、まだベラヌールにいた。 サマの体力が予想以上に削られていて、サマを入院させていた医者がある程度の静養が必要だ、と判断したからだ。 サマもそれに同意したので、俺たちはベラヌールに留まってサマの体力の回復を待っているわけだ。 静養といっても、病気ではないのだからということで医院ではなく宿屋で面倒を見られている。食事はまだ柔らかいもんしか食えないし宿屋の中ぐらいしか歩けないけど、一週間前の液体しか喉を通らなかった頃よりずっとマシになってる。 ……そして俺は、その一週間―――ほとんどサマにつきっきりだった。 朝起きたら最初にサマのとこ行って、サマにメシ持ってきてやって一緒にメシ食って、くだんねーこととかいろいろ喋って、サマが寝たら剣の稽古しに行って、帰ってきて寝る。そんな生活をこの一週間繰り返してた。 自分でも柄でもねぇことしてんなー、とは思う。俺が一緒にいたってサマのなんに役に立つわけでもねぇのに。 けど、俺はなんとなく、その方がいいんじゃねぇかなって思ったっつーか……その、なんつーか……俺が、そうしてやりてぇな、なんてことを思っちまったんだ。サマのそばにいて、少しでも、こいつの想いになにか返してやりてぇなって。……マジ、柄にもねぇけど。 まず、最初に俺はサマに謝った。ひでぇこと言って悪かったって。 サマは戸惑ったような顔で、なんで謝るの? なんて言った。俺がそう思ったんなら謝ることなんて全然ない、と本気で思ってる顔と口調で言うサマに、俺は怒鳴った。なんでお前はそんな風に自分大事にしねぇんだって。 ――けど、すぐまた謝った。こいつがこんなに自分を軽んずるのは、俺のせいなのかもしれねぇと思ったからだ。 けど、サマはびっくりしたような顔で逆に謝ってきたりして。その上世話されながらも最初の頃はあからさまにびくびくしていた。俺が急に優しくなったんで怖くなったらしい。……俺はそんな風に怯えなきゃなんねぇほどサマに優しくしてなくて、傷つけてきたんだなーと思うと、ひどく苦しい気分になった。 けど俺はそれでもこいつになにかしてやりたくて、少しでも返してやりたくて、自分でも不気味に思うくらい、俺としては珍しくこの一週間他人に――サマに優しくし続けてきたんだ。 それでそろそろ聞いていかなくちゃならねぇなー、とお前はいつから俺のことが好きだったんだと聞いてみて――ぎょっとした。 「……それ、マジか?」 「……マジだよ? 前にちゃんと言ったと思うけど」 サマはなぜ俺が驚いているのかわからない、という顔できょとんと首を傾げた。 「……お前、本気で俺に初めて会った時から俺のこと好きだったのか?」 「うん。そう言ったでしょ?」 「なんで?」 「なんでって……?」 「俺のことなんにも知らねぇのに、なんで俺のことを好きになれたんだ?」 俺の言葉に、サマは優しく笑った。 「ロレが、ロレだからだよ」 「……なんだよそれ」 「そのまんまだよ。ロレが、そういうロレだから――僕は一目惚れしたんだ。人生でただ一人、ロレを好きになったんだよ」 「………ふーん………」 我ながら力の入ってない声でそう言うと、俺はサマから視線を逸らした。開け放たれた窓から見える水都の景色を眺める。 別にんなもん見たいわけじゃなかったが――正直、サマの顔が見られなかった。 こういう、サマが俺のことをどんなに、どれだけ好きかって話は、これが初めてじゃない。けど俺はその話題が出るたび、気まずく目を逸らさなきゃならなかった。 ……結局俺はまだ、サマの想いにどう応えるかってこと、決めかねてたから。 「……なんか食いてぇもんねぇか?」 俺はいつも通りに、そんなことを聞いて誤魔化した。 「食べたいものはないけど、少し喉が渇いたかな」 そしてサマはそんな風に笑って誤魔化されてくれる。 「バカヤロ、ちゃんと食え。食って栄養つけろ。てめぇだって医者だろうが、そのくれぇわかれ」 「わかってるけど。気を遣わなくていいよ、必要な栄養分は頑張って取ってるから」 「タコ、必要なだけ取りゃいいってもんじゃねぇだろ。てめぇは痩せすぎなんだよ、しっかり肉つけやがれ」 「うーん、でも僕ってあんまり肉がつかない体質みたいなんだ」 お互いに遠慮しあった、ぬるま湯のような会話。そういうのは俺は好きじゃねぇけど、だからって前みたいに遠慮会釈なく振舞うのがいいとも思えねぇ。 『ロレ、僕のこと気持ち悪いんでしょ?』 ――あんな台詞で自分のことを見限るような真似、もう二度とさせたくねぇんだ。 「―――ロレ」 「んだよ」 ぶっきらぼうにそう返すと、サマは少し困ったように優しく微笑んで言った。 「本当に、気を遣わなくていいよ」 「…………」 俺は黙って、ベラヌールの街並みを睨むように見続けた。サマにかえって気を遣わせちまってるのはわかってたが――俺には他にどうすればいいかなんて思いつかねぇよ。 と、コンコン、と部屋の扉がノックされた。サマが口を開くより先に俺が怒鳴る。 「開いてる!」 がちゃり、と扉を開けて入ってきたのは、マリアだった。なんかキラキラ光る円盤みてぇなもんを持っている。 「……二人とも。今、ちょっといいかしら?」 「俺はいいぜ」 「かまわないよ。なんの用事……かっていうと、その円盤だよね?」 マリアはうなずいた。 「ええ……ゴーディリートともう一度話をしてみようと思って」 「は? って、それとその円盤がどう関係あるんだよ」 「この円盤はトオースハマの呪文の受け容れ口になる魔法具なの。これがあればゴーディリートとの連絡は格段に容易になるはず」 「もしかしてお前、この一週間ずっとこれ作ってたのか?」 「……ええ」 どうりであんまり姿が見えねぇと思った。 「大変だったでしょう。お疲れさま」 「いいえ……それより、ゴーディリートと連絡を取っていい?」 「もしかして、ディリィさんと何度か話をしたの?」 「話というか……私のトオーワルマの呪文の受け容れ口は向こうに作られていたから。伝言を残す形になっただけだけれど」 などと俺にはわかんねぇことを話しつつ、マリアは円盤を床に置き、なにやら呪文を唱えた。 ――とたん、ぶんっと音が聞こえそうな強さでディリィの姿が現れた。前と同じように、宙に浮いて、影のない姿で。 『――久しいな、サウマリルト。無事呪いが解けたようでなによりじゃ』 「ありがとうございます」 頭を下げるサマを、ディリィは制した。 『楽にしておれ。まだ体力が回復していないのであろう?』 「もうだいぶ元気にはなってるんですけどね」 「嘘つきゃあがれ、まだ宿屋の中しか歩けねぇくせに」 「宿屋の外に出てないだけで、ほとんど普段通りに歩けるようにはなったよ?」 『ふむ……確かに氣はかなり回復しておるようだが、休んでおくにこしたことはない。早めに話を済ませるとしよう』 そう言うとディリィは俺たちの方を向いた。 『まず、サウマリルトがいつ呪いをかけられたかだが。おそらくそれは一ヶ月前のマイラであろう』 「……ロレたちから話を聞いて不思議に思ってたんですけど、ロレの居場所はともかくどうして僕に呪いがかけられたことがわかったんですか?」 『ロトの剣からの繋がりよ。ロトの剣はお前たちパーティ全員と感応していた。全員ロトの勇者じゃしな。わしはそなたたちと別れてからロトの剣から送られてくる情報に精神を傾注していたのでな。だいたいの状態ぐらいならばわかる』 「ロトの剣がそんなことを……」 「精神接触されているのは気づいていたけれど」 『魔神転化の呪いは表面化するのに時間がかかる。最初に呪いの種を植え付け、呪われる者の魂の内でそれが育ってきた頃に外部から合図を送ることで呪いは力を発揮する』 「……ちょっと待て。それってこの街に、ハーゴンの手先がいるってことじゃねぇか?」 『あるいは、な』 うなずくディリィに、俺は迷わず立ち上がった。 『どこへ行く気だ』 「ハーゴンの手先を探してくるに決まってんだろ!」 「手がかりがないのにこの広い街から探すのは無理だよ」 『そうじゃな。もう一回呪いをかけようと接触してくるならば捕まえようもあろうが』 「だからって、このままにしとくわけにもいかねーだろ!」 『まあ待て、話はまだ終わっておらん。……サウマリルトよ。はっきり聞こう。そなた、マイラでハーゴンに会っておるな?』 ――――! 「………はい」 小さくうなずいたサマに、俺は思わず噛みついた。 「お前マジハーゴンと会ったのか!? だったらなんでさっさと言わねぇんだよ!? 俺たちの最終目的だろ!?」 「最初に言いそびれちゃって……そのあとは、気持ちの問題でそういうことを思いつくことができなくて」 う゛……それって俺のせいだよな……そう言われるとなにも言えねぇ。 「……で。ハーゴンはお前になにしたんだ?」 「……少し話をして。それから僕の頬に触れて。たぶんあの時に呪いの種を仕込んだんだろうな。それから――」 「それから?」 「ロレを殺すつもりだと言ったから、攻撃したら姿を消した。そのあと遠話で少し話をして時間を稼がれて、魔的結界を張られてアトラスを召喚された」 俺は少し驚いた。 「俺を? 名指しで殺すつもりだって?」 「うん……」 『そなた、ハーゴンになにか恨みを買うようなことでもしたか?』 「知るかよ。会ったことも顔見たこともねぇんだぜ。……けど、まぁ」 俺はにやりと笑ってやった。 「向こうが俺を殺すつもりだってんなら、上等だ、殺される前にぶっ殺してやる。もともと殺すつもりだったんだ、それによけいに気合が入るってだけの話だぜ」 『やれやれ……野蛮というかなんというか。もう少し相手がなにを考えているか予想してみようとかはせんのか』 「するかよめんどくせぇ。ハーゴンがなに考えてようが俺らのすることはできる限り早くハーゴンをぶっ殺すってだけだろーが」 『それはそうであろうが……マリア? 大丈夫か?』 「え!?」 マリアがはっとしてびくんと震える。 「え、ええ。大丈夫……気にすることはないわ」 とか言いながら杖を握り締める手がわずかに震えてる。……もしかして、こいつまたハーゴンの話聞いて怯えちまってたのか? 「マリア」 「……ロレイス?」 俺は震えるマリアの手をぎゅっと握った。 「言っただろーが、俺がお前を守ってやるって。俺たちがついてる。怖がるこたぁねぇよ」 「……あ、あなたに守ってもらおうなんて私は少しも思ってないわ!」 「んだと!? てめぇ偉そうなこと言ってんじゃねぇ、弱ぇくせしゃあがって!」 「なんですって!?」 「なんだよ!」 『これこれ、いい加減にせぬか。……しかし、なぜロレイソムだけをわざわざ名指しで殺すなどと言ったのだろうな? ロトの血族はすべからく魔を統べる者にとっては危険な存在であろうに』 「知るか。俺としても好都合なんだ、別に気にする必要ねぇんじゃねぇの?」 俺を狙うっつうんなら、俺より先に他の奴らに手出しするこたぁねぇだろうからな。 「……ロレ。僕は気にするよ」 サマが、口を開いてそう言った。 「ハーゴンがロレを殺そうとしているのはなぜか、どうすれば守れるのか、すごく気にするよ」 「…………そうかよ」 以前なら「勝手に言ってろボケ」の一言で済ませてたような台詞。 けど、もうそういうわけにはいかない。俺は、こいつがどれだけ俺のことを好きか知っちまったんだから。 ――そのあと、ディリィはなんかサマに話すことがあるとかで、俺たちに席を外させた。んで、俺とマリアはとりあえず一緒に廊下に出た。 「俺は剣の稽古に行くけど、お前はどうする?」 そう何気なく聞くと、マリアは困ったような顔をした。 「……つきあってもいいけれど……あまり稽古の役には立たないと思うわよ?」 俺は思わずがくんとこけた。 「んなわけねーだろ! お前と剣の稽古してどーすんだ、んな細っこい腕で剣振り回せるわけねーのに、人でなしか俺はっ!」 「……そういう言い方はないでしょう。私だって護身用に体術の基礎ぐらい習っているのよ」 「どーせ体操ぐらいにしかなんねー程度しかやってねーんだろ? いらねー。木偶に棒持たせて立たせといた方がマシだぜ」 「………っ、あなたってよくそんなに簡単に人を悪し様に言えるわね! きちんと教育を施された人間なのに、どうしてそう粗暴になれるのかしら!?」 「んだとコ……!」 ――怒鳴りかかって、俺は気づいた。 こーいう風に気軽に簡単に、人の悪口言っちまうとこが、あいつを――サマをあんなに傷つけて、優しくされても怯えさせるようにしちまった原因を作ったのかもしれねぇ。 「――悪かった」 柄にもなくそんな風に反省して頭を下げると、マリアは驚いたようだった。 「……どうしたの? あなたがそんな風に言うなんて……」 俺はよっぽど謝ったり反省したりしねー奴と思われてんだなー、と思うとちっとため息をつきたくなったが、まーこれは自業自得ってやつだろう。俺はばりばりと頭を掻いて言った。 「なんつーかな……ちっと、反省したっつーか。サマの奴、今でも俺がなんかしてやるとすげー申し訳ながるんだよな。遠慮しまくっていいよ、自分でやるからっていっつも言いやんの。それってやっぱ、俺が口悪ぃからだろ?」 「………………」 「俺があいつの気持ち気づかなかったせーで、そんなに……なんつぅんだ、あいつを不安にさせちまったのかって思ったら、やっぱ悪ぃなーって気してきちまって」 「………………」 「だから、あいつのためにも……柄にもねぇけど、もーちょい、優しい振りしてやっかな、って。そしたらあいつも、俺に気ぃ遣わねぇようになるかな、って……」 「………そう」 マリアは深い深いため息をついて、いったんうつむき、そこから視線をずらして廊下の窓から外を見た。 「? なんだよ」 「いえ……いいことだと思うわ。あなたが人のことを気遣うようになるなんて、雪が降らなければいいとは思うけれど」 「んだと、コラ」 「……私では、できなかったのね」 マリアはたぶん聞こえないと思って言ったんだと思う。それくらい小さな声だった。 けど、俺は感覚は人よりずっと鋭いんで、マリアの言葉をしっかり聞き取って呆気にとられた声を上げた。 「んだよ、お前もしかして、俺の口が悪ぃのずっと気にしてたの?」 「! 勝手に人の独り言を聞かないで!」 「しょうがねーだろ聞こえちまったもんは。……気にしてたのかよ」 マリアはさっと顔を朱に染めてそっぽを向いた。向きながら小さな声でぽそぽそと言う。 「……別に、気にしていたというほどではないわ。ただ、私はそういう言葉遣いに慣れていないし、時々……時々、ショックだった。……別に気にしてほしいわけではないけれど、私は……私は結局、あなたに気にもしてもらえない存在なのだと思うと、なんだか……なんだか……」 「……あーっ、もう!」 俺はなんだか猛烈に自分をぶん殴りたい衝動に駆られつつ、マリアを抱き寄せた。マリアがびくっと震えるのがわかった。 「……はな、して」 「あーもー、なんでお前らはそーなんだよ! それならそうとちゃんと言ってくれれば、話してくれれば……いや、そうじゃねぇな」 こいつらは伝えてきていた。自分にできる精一杯のやり方で。それに耳を貸そうとしなかったのは、気づかなかったのは、俺の咎だ。 「……っとに、俺ってよっぽど人でなしかって思えてくんな……」 「…………」 「んっとに……しょーがねー奴だな、俺って。……マリア、悪かったな」 「……べ、つに、謝ってほしいわけじゃ……」 「謝らせろ。俺が珍しく謝りてぇって思ってんだから。……マジ、いろいろ、悪かったな。それと……いろいろ、ちゃんと言ってくれて、サンキュ、な」 「…………気にすることは、ないわ。私がしたいって思ったから、やったことだから」 そう言って俺を見上げ、涙目で微笑むマリア。その姿は健気っつーか、どっからどー見ても弱ぇのに必死に頑張って戦ってる奴って気がして、俺はなんか妙に優しい気持ちになって、思わず微笑んで言ってしまっていた。 「お前、いい女だな」 「――――!」 マリアはカーッと顔を赤くしたかと思うと、俺の頬に平手打ちを食らわせ、俺の腕から抜け出して走り出し、俺から一丈ほど離れてから振り向いて、真っ赤な顔のまま体を震わせて言った。 「あな、あな、あなたって人は、本当に、この、この………」 なにか言葉を探していたようだったが、見つからなかったようで、泣きそうな顔をして口を開き。 「野蛮人!」 そう怒鳴ると顔を真っ赤にしたまま後ろを向いて駆け去っていく。 俺は平手打ちはされたが、なんだか怒る気になれず、というかおかしくてくっくっと笑った。そーだなー、考えてみりゃあいつも女なんだよなー、改めて考えてみたことなかったけど抱ける相手なんだよなー、とか妙なこと考えちまって。 しばらくそうして笑ってたんだが、やがてあることを思い出して頭を押さえた。なんか、落ち込みそうな気分で。 あいつは――サマは、女じゃねぇのに、俺に抱かれたいって思ってるんだ。 そのことを、思い出しちまったんだ。 それからさらに一週間が経ち、サマの体力はほぼ完全に回復した。明日からまた旅が始めなくちゃなんねぇ。 当然サマもマリアも早く休むだろう、そんな夜。俺はコンコンと、サマの部屋の扉をノックした。 「はい、どうぞ」 はっきりした声が返ってくる。まだ起きてたか、とほっとして、俺は中に呼びかける。 「俺だ。入っていいか?」 「ロレ!? ちょっと待って、すぐ開けるから!」 それから数秒、本当にすぐ部屋の扉が開いた。サマがわずかに息を荒げながら、こっちを見上げる。 「どうしたの、ロレ、こんな時間に?」 にっこり微笑むサマに、俺はなんだか居心地の悪い感じを味わいつつも、ぶっきらぼうに言う。 「中入っていいか」 「うん……」 少し戸惑ったような顔をして、俺を中に案内するサマ。ここんとこ、俺はサマのこういう顔しか見てねぇ気がする。いや、そりゃそんなこたぁねぇんだろうけどこういう顔が一番印象に残ってる。前は笑ってる顔しか見せなかったような奴なのに。 ベッドに座るサマに、その隣に座ろうか、部屋備え付けの椅子に座ろうか迷って、結局俺は立ったまま、数度深呼吸してサマに話しかけた。 「………サマ」 「うん」 「あのな」 「うん?」 「サマ、俺はな……」 「うん。なに?」 にこにこしながらこっちを見上げるサマ。その笑顔に、なんつーか、無理してるもんを読み取っちまう俺は考えすぎなんだろうか。 けど、そう感じちまうんだ。こいつが俺に気を遣って、自分の気持ち俺にしたいこと全部自分の中に押しこめて、そんで無理して笑ってるようにしか見えねぇんだ。 ……あいつが必死で、死にそうになりながら、命かけて俺を気遣うとこ見ちまったから。 「サマ、俺は、あのな」 「うん」 なかなか出てこようとしない言葉に焦れる俺。だがサマはいっこうに気にせずにこにこ笑って俺を見上げ続ける。 ……俺が言うしかねぇんだ。俺が言わなきゃこいつから言うわけねぇ。俺が言わなきゃ始まらねぇんだ! 俺は覚悟を決めて、勢いよく口を開いた。 「サマ!」 「なに?」 ……覚悟を決めたつもりでも、サマの笑顔を見ると一気に力が抜けていく。 だってこいつは男だ。男なんだ。男なのに。 ――男なのに、俺を好きって言うんだ。 男なのに、全身全霊で俺が好きなんだ。 「………サマ」 「なに、ロレ?」 俺はなんだかひどく苦しいような気持ちになりながら、それでも言わなきゃなんねぇっつう気持ちに後押しされて、ようやく言った。 「あのさ。俺と、ヤるか?」 「―――え?」 サマはいつも通り、きょとんとした顔をした。そりゃそーだろーなー、と思いつつも俺は繰り返す。 「だからさ。俺に、抱かれるか? って」 「――――――――」 きっかり十数える間、サマの顔から完全に表情が消えた。 そしてその後、絶叫の形に変わった。 「え――――――っ!?」 「でかい声出すな、馬鹿!」 「ンむ、グ……ご………ごめん。でも……でも、でも………なんで?」 大きく目を見開き、ほとんど呆然としながら俺に問うサマ。 俺ははーっと、深いため息をついてからのろのろと言った。 「あのな……お前、俺をずっと好きだったんだろ?」 「うん」 「俺のこと好きで、俺が幸せになるようにって、今までずっといろいろしてきてくれたんだろ?」 「………うん」 「だからな……なんつーか。ちっとでも返してやりてぇっつーか。俺とそんなにヤりてぇっつーなら、俺の体でいいんなら、お前に……やってやりてえなって、思って、よ」 抱くくらい俺はそれほど大したことだと思わねぇし……大切だと思ってるらしいこいつがほしいって言うんなら、こんなに俺を好きなこいつが言うんなら、やってやればいいんじゃねぇかって。 「………ロレ。駄目だよ。それは駄目だ」 サマは悲しげな顔をしながら首を振る。その顔は、今の俺には今にも泣き出しそうなくらいに、本当に悲しげに見えた。 「僕はロレに無理して僕を抱いてほしいわけじゃない。僕はロレに幸せになってもらいたいんだから。僕の心も体も、そのために、ロレが幸せになるためにあるんだよ。なのに、ロレに僕のために嫌な思いさせるなんて、本末転倒じゃない」 以前なら「なに阿呆言ってやがるボケタコ」の一言ですませただろう台詞。だけど、今は、こいつが心底本気で、自分が俺のためにあるんであって俺になにかさせるためにあるんじゃないって思ってるのがわかっちまう。 こいつの、本気を見ちまった今となっては。 俺はなんだかたまらなく胸が痛くなったんだが、それを表すにはどうにも気恥ずかしくて、だから俺はただ、ぶっきらぼうにこう言った。 「俺がお前のためになにかしたいって思うのは、おかしなことか」 「え………?」 「心も体も俺のために使おうとするお前のために、なにかしてやりたいって思うのは、そんなにおかしなことか?」 「ロレ―――」 サマはあっけにとられた顔でまじまじと俺を見つめた。俺はやっぱりひどく気恥ずかしくなって、顔をそむける。 しばしの沈黙があって、サマがおそるおそる、なんだかひどく苦しそうな顔で、俺に訊ねてきた。 「ほん……とうに、僕に、なにかしたいって、思ってくれるの?」 「……ああ」 「僕のために……こんな僕のために、僕を、気色悪い僕を抱いてもいいって、そう思ってくれるの?」 「お前は気色悪くなんかない。――そんなこと言ったのは全面的に俺が悪かったけどよ、もーそろそろ俺信用できねぇか。俺はお前を気色悪いなんて思ってねぇ。っつーか……俺なりに、大切だと、思ってる。……言わせんなこんなこと」 「ロレ………」 震える声。か細い声。まだ怯えているのがよくわかる、たまらなく頼りない声。 それでもサマは、そんな声で、怯えながら泣きそうになりながらも、俺をじっと見つめて聞いてきた。 「……ロレ………僕を、抱いて、くれる?」 「ああ」 俺がぶっきらぼうにうなずくと、サマは泣き笑いに笑って、そろそろと俺に手を伸ばしてくる。俺は、その腕を思いきり引き寄せてキスをした。 「………………は、ぁ」 サマの唇から喉の渇きに耐えに耐えて水を飲んだ時みたいな、たまらなく幸福感に満ちた吐息が漏れた。 ただ唇をくっつけただけなのに。まだ舌も入れてねぇのに。お前はそんな息をつくほど俺がほしかったんだろうか。 サマの唇は前と違い、とても暖かかった。そして前と同じように薄く小さく、とても柔らかかった。 生きてる。生きてここにいる。 俺はなんだかそれが泣けてきそうになるほど嬉しくて、そして同時にそーか俺はあの時も口移しとはいえキスみてぇなことこいつとやっちまってたんだよなー、と思うと腹の底からかぁっと燃えそうなくらい熱いなにかがせりあがってきて、そういう感情のままにサマの小さな唇を俺の厚い唇で挟んで、しばらく愛撫したあとにおもむろに舌を入れた。 「! ………は……ん、ロ………レ………」 かすれるような声で途切れがちにサマが俺の名を呼ぶ。体中を、おそらくは快感に、たまらないというように震わせながら。 思ったよりも抵抗感はなかった。男とキスしてるってのに。 むしろ、俺にこんなに軽く触れられただけで、もう死にそうなくらい震えてるこいつが……なんつうか、その、あー、つまりあれだ……可愛いとか、そんな妙なことを思ったりしちまって。 ――だって、こんなに強く、全力で俺のことを求めてくる奴なんて、初めてだったから。 俺は舌をより深く差し込み、サマの口の中を上あご下あご頬の内側葉の裏舌の裏舌の付け根、とたっぷり時間をかけて愛撫しまくった。じゅ、くちゅ、じゅぷ、じゅぱ――と俺にとっては毎度おなじみの音がたち、やっぱ男相手でもこーいう音は変わんねーんだなとか思う。 そしてそのままゆっくりとベッドの上に押し倒す。とさ、と軽い音が立ち、サマがひどく潤んだ瞳で俺を見上げるのが見えた。 たぶんこいつは今死ぬほどドキドキして緊張してんだろうなーと思うと、俺までなんだか緊張してきた。こいつが満足できるようにしてやれるかなとか、初めての時だって考えたことねぇようなことが頭に浮かぶ。 ……いまさらだけど、俺男相手のやり方なんて知らねーんだよな………こっから先どーすりゃいいんだろ。キスまでは男も女も同じだと思うんだが………。 胸とか触ってやりゃいいのかな、と唇を少しずつ移動させて、あご、首筋と唇を落とし、服をはだける。平らな胸があらわになった。 ……俺は胸が感じたことなんてねぇけど、こいつ胸感じるんだろうか。そーいうのは俺は普段やりながら探ってくんだけど。でも普通男は胸って感じねぇよな? だって男だもんな。サマだって、いやだってっつーか、サマは男だ。 そうだ、サマは男だ。 ―――その思考が頭をよぎった瞬間、俺の胃の奥が猛烈な勢いで軋んだ。 「う………っ」 「………ロレ?」 サマの半ば夢見るような、ぼうっとした、頼りなげな声。 それに応えてやりたいと思う気持ちはあったが――それよりも。 「う………!」 「ロレ!?」 俺はサマから離れて、部屋を飛び出し、廊下を全速力で走った。口を押さえ、歯を食いしばりながら。 サマが俺を追ってくる気配を察知し、来るな! と叫びたかったが口を開けず俺はひたすら走った。階下に下り、廊下の隅へ走り、扉を開け放って香水を使ってはいるがそれでもやはり隠せない匂いを放つ場所、要するに便所に駆け込み――― 胃の中に入ってるもんを全部吐き出した。 「うぅうぉぉおえぇぇぅぉえっ」 「………すまん」 俺はサマの部屋に戻るなり、土下座して謝った。 あのあと、俺が吐いている間中、サマは俺の背中を優しくさすってくれて、吐くもん全部吐き終えちまったら宿の人間に頼んで水持ってきてくれた。口の回りの汚れ拭いて、なんかもう茫然自失状態だった俺に変わって便所の後始末までしてくれた。 ―――どんなにかショックで、辛かったことだろうに。 とにかくもう申し訳なくて申し訳なくて、ひたすら頭を下げずにはいられなかった。 だが、サマはそんな俺に、慌てたように言った。 「わ、ロレ、そんなことしないでよ! ……言ったでしょ、僕の体も心もロレを幸せにするためにあるんだって。ロレに罪悪感を抱かせるためでも、いやな思いをさせるためでもないんだから」 「…………すまねぇ…………ホント」 「気にしないでよ、本当に。ロレが悪いんじゃないんだからさ。僕に魅力がないのが悪いんだから」 俺はなんだか泣きたくなった。俺には想像するしかできねぇけど、命かけて惚れてる相手に抱いてもらえそうになって、いざこれからって時に逃げ出されて吐かれるってのは、自分が相手にとって吐き気を催すような存在だって知らされるってのは、それこそ死ぬほどの衝撃なんじゃないだろうか。 俺はこいつをそんな存在だなんて思ってないつもりなのに。本当に気色悪くなんかないのに。 でもこの状況じゃその台詞はあまりに説得力がなくて、俺はひたすら頭を床にこすりつけた。 「マジ、悪ぃ…………」 「ロレ。顔を上げてよ」 あくまでサマの声は穏やかで優しい。 なんでこいつはこうなんだろう。自分がどんなに苦しくても辛くても、優しい言葉をかけ続けようとするんだろう。 取り乱して怒鳴ってくれた方が、まだ気が楽だ。 「……俺、マジでお前のこと気色悪ぃなんて思ってねぇから。ホントだから……だから、頼むから、自分のこといらねぇなんて思わないでくれよ………」 必死で言った俺の言葉に、サマはなぜか、困ったように笑った。 「うん……わかった。思わないから、顔を上げて」 俺はのろのろと顔を上げる。思っていた通り、サマのいつもの優しい笑顔がそこにあった。 「本当にロレが悪いんじゃないよ。ロレが気にする必要全然ない。しょうがないことなんだよ、きっと」 「……すまね……俺、お前に、なにかしてやれるかなって、お前になにか返してやれるかなって思ったんだけど………」 「僕はロレに返してもらおうなんて思ってないよ。僕がロレのことを好きだから、好きでロレが幸せになれるよう頑張るってだけなんだからさ」 こんなことをされても――お前は俺のことが好きって言い切れちまうんだな。 俺は頭を下げた。うなだれたって動きのほうが近いかもしんねーけど。 「マジで………ごめん………」 そんな俺に、サマは少し、また困ったように笑って、下から俺の顔をのぞきこんで言った。 「ねぇ。それなら、ひとつお願い聞いてくれる?」 「……お願い?」 俺はばっと頭を上げた。俺にできることがあるならなんでもするって勢いの俺に、サマは笑って言う。 「聞いてくれる?」 「ああ、聞く。なんでも聞く」 「じゃあさ」 少しだけ首を傾げて、恥ずかしそうに。 「僕と、同じベッドで寝てくれない、かな?」 ――そんなわけで、俺とサマは同じベッドで寝ることになった。 宿屋のベッドだから男二人が(サマは男にしては小柄だが)寝るにはだいぶ狭苦しく、俺たちはベッドの上でしばしごろごろ転がりあった。 「二人で寝るにはやっぱ狭っ苦しいな……」 「ロレ、もっとこっち寄っていいよ」 「バカヤロ、それじゃてめぇが落っこちちまうだろ」 「それじゃ、ロレが僕を抱きしめてくれる? そしたら落ちないと思うけど」 「………わかった。来い」 横向きになって両腕を広げると、サマは自分で言い出しておきながらちょっと顔を赤くして、おずおずと俺のそばにより、体を回転させて背中を俺の胸にくっつけた。 「おい、なんでそっち向くんだよ」 「だって……あんなことしたあとでロレに真正面から抱きしめられながら眠ろうなんてしたら、心臓壊れちゃうよ」 心底嬉しげに、少し照れくさそうにそう言って、サマは俺の腕にそっと頭をすり寄せた。 「えへへ。ロレの匂いがする」 「……どうしてお前そんな嬉しそうなんだよ。あんなことあったあとなのに」 「え? だって、僕すごく嬉しかったもん」 「……は?」 サマは笑みを含んだ、たまらなく幸せそうな声で言う。まるで今がこれ以上ないくらいの幸福な状況みてぇに。 「だって、ロレが僕の気持ちを、ロレを好きだって気持ちを気遣ってくれたんだよ? ロレを好きでいてもいいって言ってくれただけじゃなくて、僕の気持ちのために僕を抱こうとまでしてくれたんだよ? たとえできなくても、そりゃできなかったのは残念だけど、それよりずっと、ロレが僕の気持ちを認めて、大切にしてくれたって思うと、嬉しくて嬉しくてたまらなくなるよ」 「――――…………」 俺はなんか、本当に泣きそうになってきた。胸がたまらなく痛い。どうしてこいつは、本当に、ここまで俺が好きなんだろう。 俺は、こいつを抱いてやることさえできない男だってのに――― 「サマ」 「なに?」 俺の腕の中で、サマが答える。サマのサラサラの髪が俺の鼻をくすぐる感触。 「……なんで、お前、そこまで俺が好きなんだよ。なんで俺なんだ? お前ならもっと他の、お前を好きになって大切にしてくれる奴を好きになりゃ、もっとずっと幸せにしてもらえただろうに」 俺のあとから考えるとけっこうひでぇ台詞に、サマはくすりと笑って答えた。 「それはね……僕もいろいろ考えてみたんだけど。たぶん、僕の欠けたところが、ロレの凄いところにちょうどうまくはまるからだと思う」 「は? 俺の……凄ぇところ?」 なんだそりゃ。 「うん。僕はね、ロレと出会うまで、誰かを好きになったことって一回もなかったんだ。家族も友人も臣民も、僕は大切だと思えなかった。どんなに頑張って尽くしても、大好きだって思えなくてさ。この人たちが死んでも別に僕悲しくないなって思っちゃうんだ」 俺は眉を寄せながらサマの言葉を聞いた。サマの性格にはあまりにそぐわないように思える言葉ばかりで、なんだかピンとこない。 「でも、ロレはさ。愛するのも憎むのもいつも全力で。ちっともためらわないで。周りにいる人たちを心から愛してその人たちのためになにかするのを当然と思って、ごく自然にやるでしょう?」 「おい、俺はそんな聖人みてーに周りの奴らを……その、愛したりなんてしねぇぞ。つーか、俺ぁ人を愛すだなんだってのには縁がねぇ奴で……」 サマはくすくすと笑う。 「ロレは自分をわかってないね。ロレが当たり前のようにやってる、他人を受け容れることが、他人を労わることが、他人を守ることが――どんなに難しいことか、わからないでしょう?」 「…………」 そうか? 俺本気でそんなことやってるか? 「世界を当然のように受け容れて愛することが、どれだけすごいことかロレはきっとずっと気づかないだろうね。辛いこと苦しいこと憎しみ恨み、そういうもの全部まとめて当たり前に受け容れて、それでも自分が生きているこの世界を当たり前に愛することがどんなに難しくてすごいことか。……僕は、世界の誰一人愛せなかった僕は、君のそんな愛に救われたんだよ」 俺はサマがなにを言いたいのかどうにもピンとこなかったが、これだけはわかった。 「……お前、思い込み強すぎ。俺そんな愛溢れる人間じゃねぇぞ」 思わず言ったその言葉に、サマはまたくすくすと笑う。 「いいんだよ、思い込みでも。僕が世界で、人生でただ一人、好きにならせてくれたのは間違いなく君なんだから」 「………そうかよ」 本当に、お前はなんでそんなに全力で俺を好きなんだろう。俺は自分から抱こうとしても吐いちまうような奴なのに。 俺はお前になにをしてやればいいんだろう。お前の懸命さにどうすれば応えてやれるんだろう? サマの頭を半ば無意識に、何度も何度も撫でながら。サマを腕の中に抱きながら。サマの静かな、優しい呼吸の音を聞きながら。 俺はそんなことを考えて、でも結局なにもしてやれずに、いつのまにか爆睡して朝まで寝こけたのだった。 |