あいつの家族の話
 俺たちはペルポイに行ったあと、南下してサマルトリアに向かっていた。サマの提案で、そろそろロトの盾の試練を受けてもいいんじゃないかってことになったからだ。
 ロト三国が有するロトの装備は、持ち出すのに試練っつーのが必要になる。別に王家が試練を与えてるわけじゃなくて、ロトの装備自身が装備者に試練を与えるんだとか。
 別に俺はハナっからその試練ってやつ受けてもよかったんだが、親父がまだ旅立ってもいない若造がなにをぬかす、って受けさせてくんなかったんだよな。サマルトリアに行った時はサマ探すほうに気が取られてたから試練受けるなんて考えもつかなかったし。
 ま、今受けりゃいいんだから別にいいけどよ。今まで普通の盾でも別に困んなかったし。けどまぁ強ぇ敵に対抗するには強ぇ防具があったほうがいいに決まってる。んなわけで俺らはえっちらおっちらサマルトリアに向かったわけだ。
「けど、ロトの盾使うんだったらペルポイで力の盾買わなくてもよかったんじゃねぇか?」
「ううん、でもロレにも自力の回復手段はあった方がいいと思うんだよね。僕たちの手が回らない状況だってこれからあるかもしれないわけだし」
「二つも盾持てってのかよ」
「力の盾は背負っていけばいいと思うよ」
 そんなことを話しつつ、サマルトリアの港に入港する。思ったよりたくさん船が泊まっていた。
 入国審査にやってきた兵士にサマが手形を見せる。とたん、兵士が愕然とした。
「あ、あ、あなたは……本物の、サウマリルト殿下なのですか………!?」
「はい」
 サマがにっこり笑ってうなずくと、その兵士はとたん真っ赤になって膝にくっつくほど頭を下げた。
「お、お、お、お会いできて光栄です! 殿下のご活躍は過去に何度もお聞きしました、僻地への施療院の建設や不正の摘発! そして今は世界を救うためのロトの末裔の勇者としての旅……ご尊敬申し上げております!」
「ありがとう。あなたのような私たちを信じてくれる人のおかげで、私たち王家の人間は大過なく勤めをこなすことができます」
 サマが微笑みながらそう言うと、兵士はゆでだこのように真っ赤になった。そしてまた頭を下げて船の外へ駆け出す。
「サウマリルト殿下がお帰りになったぞーっ!」
 そんなことを叫びながら。
 俺たちは思わず感心しながらサマを見てしまった。
「すげぇな、お前。めちゃくちゃ国民に慕われてんじゃん」
「本当。あなたは旅立つ前は国政には参加していなかったと聞いたけど、彼の言い方からするととてもそうは聞こえなかったけど?」
「僕はただ父上の地方巡察についていった時に聞いた国民の声を反映してもらえるよう父上にお願いしただけだよ。それを大げさに考えてるんじゃないのかな」
 サマは困ったように笑って、そう言った。
 けどそういうレベルの話じゃねぇのは、すぐにわかった。
「……ん? なんか、人が集まってきてねぇか?」
「そうね……なんだかいろんな人が……」
 船を下りようと荷物を出している間に、どんどん人が船の周りに集まってきてる。ふぅ、とサマがため息をついた。なんだ? と思っていると、その群集から歓声が上がり始めた。
「サウマリルト殿下! サウマリルト殿下!」
「我らが王子! 天の御子!」
「御世とこしえに、我らが君主!」
 ………なんだ、こりゃ?
 王子を敬うにしてもこりゃ尋常じゃねぇ。なんでこんな崇拝されてんだ、サマの奴?
 だがサマは落ち着いた様子で群衆の前に立ち、船の上ですっと静めるように手を上げた。周囲がさーっと波が引くように静まり返る。
 サマが落ち着いた、よく通る声で話し始めた。
「コートロック(この街の名前だって聞いた)のみなさん。わざわざ私に会いに来て下さって、本当にありがたく思っています。ですが、申し訳ありません。今の私は、あくまで世界を救うために旅をしている身。サマルトリアに来たのもそのための準備のため。みなさんの願いや言葉をお聞きしたいのは山々ですが、今はその時間がありません」
 群集はときおりざわめきつつも聞いている。俺はサマがなにが言いたいのかよくわからなかったが、サマは当然そんなことにかまわず言葉を連ねる。
「ですが、お約束します。世界を救ったのち、一ヶ月以内に、再びこの街を訪れることを。みなさんの言葉をお聞きすることを。そのことを納得いくまで話しあうこと、納得いったことは国政に反映させることを、我が名にかけて誓いましょう」
 わーっ、と群衆が湧いた。なんだこいつ、なに言ってやがんだ? いやなに言ってるかはわかるんだが……なんでんなことするんだよ、こいつ?
 きょとんとする俺たちにかまわず、サマはなんか呪文を唱える。確かこの響きはルーラの呪文………?
 けど、こんなとこで唱えて意味あんのか? という疑問を口にする間もなく、俺たちは宙に飛んで、次の瞬間サマルトリアに着いていた。

 ルーラっつー呪文はきちんと制御できさえすれば明確にイメージできる場所全部に瞬時に移動できるらしい、とあとで聞いた。
 けどんなことはどうでもよく、サマルトリアに着いてからがまた大変だったんだ。街中の奴らがサマに向けて押し寄せてくる、サマはそいつらににこにこ笑いながらいちいち対応してやっている、相手された奴らはますます興奮してサマに話しかける、それでもあとからあとから人は押し寄せてくる。
 ある時は政治について話し、ある時は赤ん坊に祝福を与え。サマは王子っつーよりは、聖者か生き神様みてぇな扱いを受けていた。
 なんとか城にたどりついた時にはもう昼を過ぎていた。ここにやってきたのは朝だっつーのに。
「僕のやり方がまずかったんだろうけどね」
 城について、案内の兵士に連れられて(この兵士がまたサマの姿を見るなり感涙に咽ぶわ城中に伝令を走らせるわで大変だったんだ)謁見の間へ向かう途中サマが解説する。
「僕は国政に就く前にまず国民の生の声を知りたいなと思ったから、方々の地方都市に行った時国民を集めて王家の人間に言いたいことを聞かせてもらったんだよ。もちろんサマルトリアでもね。その意見の中で国政に反映できるものを意見書としてまとめて関係部署各所に通達した。それでいくつか改善されたところがあるんだ。それで僕は国民からやけに慕われちゃってね、買いかぶりなのに」
「なにをおっしゃるのです殿下! 殿下ほど賢く、美しく、お優しい方はこのサマルトリア三百年の歴史の中にもいらっしゃいますまい!」
 先導の兵士が熱のこもった口調で言う。
「その意見書が実に効率よく、現実的で。殿下の意見でサマルトリアの国庫の無駄な支出が事実上三分の一になったのですぞ? のみならず産業も潤い、福利厚生も充実した。まさに天から下された御子としか言いようのないお方ですのに!」
「大げさだよ、マキシウム。僕はただ王家の人間としての義務を果たしただけだ」
「そのような……我らのような一兵卒の名前まできちんと覚えてくださるということ自体、もったいない限りですのに。ロレイソム殿下とマリア姫からもおっしゃっていただけませんか、サウマリルト殿下はご自分の素晴らしさにご自覚が過小に過ぎます」
 その持ち上げっぷりに、サマは苦笑しただけだった。

 謁見の間で、俺たちはサマルトリア王と王妃の前にひざまずいた。他国の王子や姫と王じゃ、王の方が立場は上だ。
「サウマリルト! よく戻った、よく戻ったな! 送ってくれる手紙で無事なことはわかっていたが、それでも我らはお前の身を案じない日はなかったぞ!」
「ああサウマリルト、もっとよく顔を見せてちょうだい! お前の美しい顔を! よかった、無事に帰ってきてくれて本当によかった!」
「父上、母上、ご心配をおかけして申し訳ありません」
 サマは礼儀正しく頭を下げる。王と王妃の取り乱しっぷりとは対照的な冷静な態度。三百六十度どっから見ても完璧な王子様って感じだ。
「ですが今日この地に戻りきたのは我が盟友と共に世界を救うため。ロトの装備を手に入れるためなのです。またすぐ旅立つことを、どうかお許しください」
「おお……サウマリルトよ。その心、まさしくロトの勇者! 我らはお前を心より誇りに思うぞ!」
「けれどサウマリルト……いま少し、せめて数日は城に留まってはくれませんか? せめてお前が無事帰ったことへの祝宴なりとも開かせておくれ。ロレイソム殿下とマリア姫の歓迎の宴もかねて!」
 ……普通そっちがメインになるんじゃねーか? まーいいけどよ、んなもんどっちだって。
 サマはわずかに眉をひそめ、それから肩をすくめた。
「ロレイソム殿下とマリア姫と相談の上お返事いたしたく思います。とりあえず、一度退がらせていただけますか? 旅の汚れを落としてからまた参りますので」
「うむ……承知した。よい返事を期待しておるぞ」
「それと、ロトの盾の試練及び継承の儀式の準備を進めておいていただけますか? 今日中に試練と継承を済ませたく思いますので」
「うむ。そうしよう……だがその前に、サリアにも会ってやるようにな。あの子もお前にまた会える日を、心待ちにしておったのだから」
「はい、承知しております」
 サマのその言葉をしおに、俺たちは退室した。

「お前さ……なんか、親父さんたちと話してる時猫被ってねぇか?」
 案内された客室にサマルトリア王にどう答えるかとかを相談するためやってきたサマに、俺は聞いた。ちなみに当然マリアもやってきている。
 サマはきょとんとして、それから笑って言った。
「なんでそんなこと聞くの?」
「なんでって……なんか、気になったから」
 普通家族と話す時っていっくら公式の場でももーちょい砕けた感じになると思うんだが。サマの態度はまるっきりよそいき――他人と交渉するときの態度だったからな。
 けどこいつがそういう風に返してくるの珍しいな、と思いながら答えると、サマは困ったように笑って首を振った。
「そういう意味じゃなくて。わかりきってることなのにどうして聞くのかなって思って。だってロレにはもう話したでしょ? 僕は家族も友人も臣民も、好きにはなれなかったって」
「へ?」
 言われて慌てて記憶をたどる。
 ………あー、確かに聞いたわ。聞いた聞いた。ベラヌールの宿屋で俺がサマを抱こうとして吐いちまったあとで。
 けど……あんなこと、お前本気で言ってたのか?
「サウマリルト……どういうこと?」
「……あんまり言いふらすことでもないから言わなかったんだけど。僕はロレに会うまで、誰かを本当には好きになることができなかったんだ。家族にも友人にも臣民にも、どんなに尽くしても、どんなに優しくしてもらっても本当に好きになることはできなかった。頭のどこかで『この人たちが死んでも別に僕悲しくないな』って考えちゃうんだ」
「………そう、なの。だからあなたは、ロレイスにあんなに尽くすの?」
 は? なんで俺の話が出てくるんだ。
「……そうかもね。誰も好きになれなかった、これからも好きになれないだろう僕がただ一人好きになった人だから、僕の全てで幸せにしてあげたいって思う。それが尽くすっていうことなら、そうなるんだろうね」
「…………。じゃあ、私は?」
「え?」
 サマがきょとんとした顔をする。
「私のことはどう思ってるの?」
 俺はちょっと驚いた。こいつがそんなこと聞くとは思ってもみなかった。
 けど、んなこと言われりゃそりゃ気になるわな。一緒に旅してて仲間だと思ってる人間が自分のことなんとも思ってないっつーのは、正直……嫌な気分だろうと思う。
 サマ、お前は――本気で俺以外誰も好きになれないっていうのかよ。
「マリアは恋敵かな」
「え!?」
「は!?」
 俺たちはサマがにこにこしながら言った言葉に、思わず瞠目した。
「な、な、な……なに言ってんだてめぇはっ!」
「そ、そ、そうよ! サウマリルト、あなた勝手なことを言わないでくれるかしら!?」
「二人ともそんなに慌てなくたっていいのに。そんなに変なこと言ってないと思うけど?」
 くすりと笑うサマにカーッと顔が熱くなる。なに言ってやがんだこのボケッ、それじゃまるでマリアが俺のことそーいう意味で好きみたいじゃねーかっ!
「このヤロ、からかってんのかてめぇっ!」
「いた、ロレ痛い、痛いってば、そこやめて本気で痛いから!」
 悲鳴を上げながらも嬉しそうなサマ。なんか、腹立つのと照れくさいのとくすぐったいような気分が混ぜこぜになった、妙な感じだった。
 と―――
 ばーん、とノックもなしでいきなりドアが開いた。俺は思わず手を止めたが、サマはまだくすくす笑いながらそちらに目をやる。
 そして、目が見開かれた。
「―――サリア」
「お兄ちゃんっ!」
 その叫び声と同時にそのガキはサマに抱きついてきた。ぐりぐりぐりとサマの腹に頭を押し付けながら、でかい声で叫びまくる。
「お兄ちゃんっ、お兄ちゃんっ、お兄ちゃんっ! 待ってたんだから、ずっとずっと会える日待ってたんだからねっ!」
 栗色の髪、フリフリのドレスのちっこいガキ。以前サマルトリアに来た時とほとんど変わってねぇ。
 こいつがサマの妹。そーいや名前サリアとか言ったっけな。
「――ただいま、サリア。心配かけてごめんね」
「お兄ちゃん……」
 そのサリアは目をウルウルさせながらサマを見つめる。だがサマはといえば冷静な顔で優しくサリアの頭を撫でただけだった。
「サリア、でも少しお行儀が悪いね。お客様の前で挨拶もしないというのは」
「あ……ごめんなさい……」
「挨拶できるね?」
「はい」
 くるりと俺たちの方を向いてお辞儀する。
「申し遅れました、私サマルトリア第一王女のサリア・ラヴェンナ・サマルトリアと申します。ロレイソム殿下とマリア姫には以後お見知りおきを」
「了解した」
「こちらこそお見知りおきを、サリア姫」
 マリアがにっこりと微笑む。俺はもう一回会ってるから今の挨拶じゃ妙なんだが、わざわざ口に出すことでも……
 と思っていたらサマがにこにこ笑いながら言ってきた。
「あれ、でもロレはサリアに会ったことがあるんじゃなかったっけ?」
「……ああ、まぁな」
「サリア、それじゃあ満点はあげられないな。今度から気をつけられるね?」
「………うん………」
 ……なんかサリアってガキ、俺の方を睨んだ、ような……?
 だがすぐにぱっと表情を明るくして、サマに再び抱きついた。
「お兄ちゃん、サリアダンスいっぱい練習して上手になったの! お父さまとお母さまが舞踏会を開いてくださるの、サリアも今度は特別に踊っていいって! お願い、サリアと一緒に踊って!」
「……そうなのか、頑張ったね、サリア。それじゃあお手並みを拝見させてもらおうかな?」
「うん!」
 そう叫んでまた思いきり抱きつく。……なんつーかめちゃくちゃ懐かれてんなー……普通妹ってこうも兄貴に懐くもんか? 俺にも腹違いの妹いるけどこんなんじゃねぇぞ。二親とも同じ妹だから……とも思えねぇよなぁ。
「それでね、それでね、お兄ちゃん。お兄ちゃんがいない間にサリアずっといい子にしてたのよ? お誕生会にお兄ちゃんがいなかったのも我慢してね、お兄ちゃんに言われた通りお友達いじめるのもやめてね……」
「……偉かったね、サリア」
「うん! それからね、春のお花見会でね……」
「サリア――悪いんだけど、少し待ってくれないか。これから僕たちは話し合わなきゃならないことがあるんだ。話はそのあとにしてくれないかな」
 その言葉に、サリアは目を見開いた。愕然としたようだった。
 それからじっと俺の方を見た。睨むような、恨みがましいような視線で。
 ……なんだ? 俺、なんかしたか?
「―――わかった」
 それだけ言ってサリアは部屋を出て行く。俺たちはなんとなくそれを見送った。
「……サウマリルト。さっきの言い方はよくないと思うわ」
 しばらくしてから、マリアが口を開く。
「………そうだね」
「そうか? 俺にも妹いるけど邪魔くさい時はもっとひでぇこと言ってるぞ?」
「あなたは参考にはならないの。――サリア姫が本当にあなたを慕っているのは私でもわかるわ、なのにあんな冷たい言い方をするなんてあなたらしくない」
「そうだね―――迂闊だった。久しぶりだから、正直ちょっと苦しくなっちゃって」
『苦しい?』
 俺とマリアは思わず声を揃えた。サマはなんつーか、妙に息苦しげな顔をしてうなずく。
「サリアは子供だから、愛情が容赦なくて――かなり、苦しい」
 その時俺はサマの言っていることがよくわからなかったが、なんにせよ俺にしてみればどうでもいいことで苦しがってるように思えたので、肩をすくめてこう言って軽くサマの頭を小突いた。
「阿呆なことで苦しがってんじゃねぇよ、馬鹿」
 するとサマは、なぜかふわーっと、あーこーいう言い方したくねぇけど花がほころぶように笑って、ゆっくりとうなずいたんだ。

 結局俺たちは三日だけサマルトリアに滞在することに決めた。サマの親父さんたちの願いを無碍にするのも悪いかと思ったし、その程度なら旅に支障も出ないだろうということで。
 最初俺らは一週間くらいここにいるか? とサマに聞いたんだが、サマはひどく苦しそうな表情で、できればもう少し早めに出発しない? と言ってきたんで三日になった。サマがなんか、家族に対して馬鹿みてぇに気を遣ってるのはわかるんだが、そこまで苦しそうな顔しなくてもいいだろって気ぃすんだけどな。
 揃ってそれをサマルトリア王に報告すると、王と王妃はもっといてくれると思ったのかがっかりした顔をしたが、それでも瞳を輝かせて三日間の予定を楽しげに語った。
 で、俺たちは解放されて、昼食まで自由時間になった。サマはサリア(と、王と王妃)に話をしなきゃなんねぇってんで俺らと別れたけど。
 一度来た城だけど前来た時は急いでたから大して部屋の配置には詳しくねぇ。マリアが散歩したいっつったんでつきあうことにした。
「……しっかし、サマの奴なんなんだろーなあの家族への遠慮っぷり。普通家族ってどーしたってざっくばらんになるもんだろ? なんか嫌な思い出でもあんのかな」
「――あなたは、家族と一緒にいる時そうなるのね」
「は? お前だってそーだ……」
 そこまで言って気づいた。マリアは、もう家族がいねぇんだ。
 しかも生まれた時からお袋さんはいなかった。親父さんともなかなか意思の疎通が取れなかったって聞いた。
 ――やべぇ。なに言ってんだ、阿呆か俺は。
 俺は内心ひどく焦りながらマリアを見つめた。マリアは以外に冷静な顔をしていて、俺の顔を見返すとくすっと笑った。
「なんて顔してるのよ」
「……俺、変な顔してるか?」
「ええ。今言ったことをものすごく気にしてますって顔。あなたには全然似合わないわ」
「………そうか?」
「そうよ。あなたは遠慮会釈なく怒鳴って喚いて傍若無人に振舞えばいいんだわ。あなたはそういう人間だもの」
「っせーな、俺だってたまにゃあ人を気遣うことぐらいできらぁ」
 奇妙な感じだった。誰かに、それもマリアに自分をこういう人間だと判断されるってのは。
 けど、マリアが最近じゃ珍しく本当に楽しそうに笑ってるんで、悪い気分じゃねぇなと思った。
 俺もちょっと笑って、この雰囲気なら聞けるなとつい気軽に聞いちまったんだが。
「そういやさ、お前なんか俺に隠してるっつーか、言いたいことねぇか?」
「!」
 マリアは俺の言葉に一瞬固まった。表情が消えた。しまった、俺またなんかまじぃことやったか? と遅ればせながら冷たい汗が背中を伝う。
 だが、マリアはすぐに硬直を解いた。俺の方を見て、うなずく。だけど表情は固いままだった。
「――あるわよ」
 俺は警戒を解かないまま、こーいうのは苦手なんだが用心深く訊ねた。
「で、それを俺に言う気はねぇのか?」
「ええ、ないわ」
 その妙にきっぱりとした答えに、俺は顔をしかめた。
「なんでだよ。俺はてめぇのもやもやも受け止められねぇほど弱っちぃ男か?」
「――そういうことじゃなくて。私の方の問題で」
「お前の方の?」
「ええ、そう」
「でも言いたいんだろ。言っちまやいいじゃねぇか」
「私は弱虫だから。言ったあとの辛さにきっと耐えられないってわかってるから」
 妙にきっぱりした言い方だった。まるで自分の弱さを切り捨てるみてぇな。
「けどだからって言いてぇこと言わねぇのは体に悪ぃぞ。言っちまえよ、聞いてやるから」
 俺は妙にムキになりながらマリアに迫った。なんかひどく気になった。俺の体のどっかが、こいつの話を聞きたいと喚いている。
 なんつーか、こいつが俺に隠すってことは、すげぇ大変なことじゃねぇかと思ったんだ。なんでなんか、よくわかんねぇけど。
 マリアは迫る俺に、ふっと視線を床に落として、小さく言った。
「―――旅が終わったら、話すわ」
「旅が?」
 俺は驚いた。こいつがそんな先のことを言い出したことは今までなかったからだ。
「ええ……決めていたの。旅が終わったらあなたに話そうって」
「………そうか。わーった。よし、忘れんなよ」
「私は忘れないわ。――あなたがどうかは知らないけれど」
「バカヤロ、忘れるか」
 俺はなんだかマリアのその言い方が妙にカチンときたんで、ぎっとマリアを睨むようにして言った。
「忘れねぇよ、絶対」
 俺のその言葉に、マリアはなんつーか、妙に苦しそうっつーか、辛そうっつーか……言ってみりゃ切なげな顔で俺を見て、小さくうなずいた。
 ……なんでお前がそんな顔することがあるんだよ。それ、俺のせいなのか?
 俺のためにそんな顔、絶対させたくねぇのに。

 ロトの盾の試練を受けるのは、二日目の朝ということに決まった。今日の晩飯はサマの家族と一緒に取ることになった。
 俺とマリアは王の席から見て左側に並んで座らされた。王妃やサマ、サリア姫と向かい合わせになる形だ。
「ロレイソム殿下、マリア姫。お口に合いますかな?」
「は、大変おいしくいただいております」
 うあー久々に敬語使うと口が痒いぜ。
「とてもおいしいですわ。サウマリルト殿下もとても料理がお上手ですけど、それは宮廷料理人の腕がよろしくていらっしゃるからでもあるのですね」
 マリアは薄く微笑みながらすらすらと褒め言葉を口にする。……こいつもしっかり王族なんだなっつーのを実感するぜ。
 サマルトリア王は嬉しげにうなずいた。
「サウマリルトは興味を持ったことはなんにでも極めずにはおれないのですよ。好奇心旺盛というか、探究心が旺盛なのですな」
「学問や乗馬、戦技は王族のたしなみですけれど、料理や音楽や造園にまで手を染めているのですよ。我が息子ながらその興味の広さには頭が下がりますわ」
 へー、サマの奴んなことまでやってたのか。っつーか……普通息子を褒められたらもーちょい謙遜するもんじゃねーか? 親バカだなこの二人。
 サマがにっこり笑って言う。
「父上、母上。それは親の欲目というものですよ。僕はただ興味の持ち方が人より偏っているだけです」
「まぁ、サウマリルトったら。相変わらず謙虚だこと。世間を知って少し変わってしまうかと心配したのだけれど」
「どうですか、お二人とも。旅でサウマリルトはお役に立っていますかな?」
 期待に満ちた目で俺たちを見るサマルトリア王。マリアは小さく笑んでうなずいた。
「はい。サウマリルトは旅に欠かせない戦力です」
 戦力……っつーのとはちっと外れてる気もするが。まぁサマがいないと旅はうまくいかねぇのは確かだろうな。料理とか金勘定とか作戦とか、いろいろ細かいことやってくれる奴いなくなるし。今んとこ戦闘でこいつがいなきゃ困るってことねぇけど。
 だから俺はうなずいた。
「ご子息のおかげで私たちはちゃんと旅ができると言っていいと思います」
 サマルトリア王と王妃は満足気にうなずいた。サマはなんか愕然とした顔をして俺の方を見ている。
 なんつー顔してんだか親の前で、と俺はにやりとからかうような笑みを浮かべてやると、サマはちょっと顔を赤くして嬉しげに微笑み返した。
 そのあとも王族っぽい相手のことを褒めあうよーな会話が続いたんだが、その間中俺はなんかサリア姫に睨まれていた。
 ……なんなんだこのガキ? 俺に喧嘩売ってんのか?
 まーこんな女のガキの売る喧嘩買うほど暇じゃねぇけどよ。

 ロトの盾の試練っつーのは俺んとこにあるロトの印の試練と同じよーなもんらしかった。盾の周りの防壁を突破して盾を装備できれば試練クリア。
「トラマナの呪文使えば簡単なんだけど、それは禁止されてる。でも回復呪文は使ってもいいから、難しい試練じゃないと思うよ」
「要するに防壁のダメージに耐えられりゃいいってことだろ? 上等じゃねーか。ロトの盾の力がどれほどのもんか知らねぇけど、俺らを舐めたらどうなるか教えてやるぜ」
「ロレイス、ロトの盾を敵みたいに言わないでちょうだい」
 儀式なんて言われるだけあって、試練にはやたら観客がぞろぞろいた。たぶんサマルトリアの貴族やら軍の人間やらだろう。たまにそいつらがサマに向け歓声を上げるのが聞こえた。
 サマは笑顔でそいつらに手を振っていたが、それがまた猫被ってんなーっつーのがまるわかりの笑顔だった。少なくとも俺とマリアには。
 ……こいつ、本気で家族や友達全部に猫被ってんのか?
 俺はいまだに信じられてなかった。俺のことをあんな風に、あそこまで思いっきり愛する奴が、ガキの頃から一緒の家族や友達を好きになれない? んなことあるわけねーだろと当然のように思ってたんだ。
 けど、少なくとも今こいつの笑顔がまるっきりのにせもんだっつーのはわかる。
 なんか妙に苛立たしい気分で、(儀式用のやたら裾の長い服を着せられた)俺たち三人はサマルトリア王の前に進み出た。
「サマルトリア国主、カイネヴェルト・アザンダ・サマルトリアがロトの末裔たる勇者たちに問う! ロトの残しし神の武具、その手に得んと欲するか?」
『欲します』
 俺たち三人は王の前にひざまずきそう答える。王はうなずくと、王錫でぽんぽんぽんと俺らの肩を叩いた。サマ、俺、マリアの順で。
「では進め! ロトの盾の築きし壁を乗り越え、その手に盾をつかむがいい!」
 俺たちは泉の中に安置されているロトの盾に向け歩き始めた。サマが先頭でそれに俺とマリアが続く形だ。
 サマの国なんだからサマが目立つのが普通だろうと俺らは別に疑問もなくこういう形になってたんだが、ふいにサマが足を止めた。
「? どうした」
「ロレ、先頭になって」
「はぁ? ここお前の国だろ。お前が目立った方が親父さんたちも喜ぶんじゃないのか?」
 事実、俺らがこういう風に早口で小声で会話している間にも、サマには強烈な期待の視線が投げかけられてんだから。
「僕が先じゃこれ以上進めないよ。ロレが先頭の方がいいと思う」
「……まー、お前がいいってんならいいけどな」
 俺はそれ以上言わずさっさとサマの前に出た。周囲の奴らがざわりとざわめく。やっぱサマが先頭に立つのを期待してたんだな、こいつら。
 けどサマが先に行けっつってんのに、俺がそいつらの気持ちにいちいちかまってやる理由はねぇ。俺はサマとマリアを後ろに従えて歩き出した。
 けど、いくら進んでも防壁らしいものは少しも感じられねぇ。もっとびりびりっと電撃みてぇなもんが来るんじゃねぇかと思ってたんだが。
 俺はすたすたと進み、泉の中の小島の中心にあるロトの盾――中心にスプレッドラーミアが金地で装飾された真っ青な盾を持ち上げた。
 ――そして、その瞬間周囲の景色が変わった。

『――問おう。勇者とはなにか』
 真っ暗い闇の中で、以前ロトの剣と同調した時と同じような、低く鈍く神々しい声が聞こえた。
(知るか)
 俺はきっぱり答える。
『勇者がなにかをも知らず、勇者を名乗るか』
(俺は別に勇者だなんて名乗った覚えねぇよ。周りが勝手に言ってるだけだ)
『ロトの血を引き、世界のために戦いながら勇者と名乗ることをせぬのか』
(んなこたぁどーでもいいんだよ)
 俺はぐりん、と首を回して言い放つ。
(俺はただ俺の好きで世界を守るだけだ。そーいうのを勇者と呼びたきゃ呼びゃいいし、呼びたくなきゃ呼ばなきゃいいさ。んなこたぁ俺に取っちゃどーでもいいことなんだからな)
『どうでもいい、と? 勇者の責務も名の重さも、ロトの血の積み上げてきた実績の重みも?』
(どーでもいいだろーがんなこと。顔も知らねぇご先祖様がどんなこと言ってたかなんて知らねぇし責任持てねぇよ。――けど)
 声のするほうに向けて親指を立てながら。
(俺は$「界を救うって決めた。ムーンブルクの仇を討つって決めた。だったらなにがあろうと人になにを言われようとやるだけだ。俺がやりたいからやる。ただそれだけの簡単な話だっつーんだよ)
 俺の言葉に、声は微笑んだようだった。
『―――然り』
 闇の中からぼんやりと盾の形に光が浮き上がるのが見えた。それに手を伸ばすと、声は自身を震わせるようにしながら言う。
『我が真の名は勇者の盾。勇者の身を守る勇者のための盾なり。我は汝を我が主と認め、いついかなる時もそばにありて身を守ることを誓おう』
(―――おう)
 俺はそれだけ答えて、盾を手に取る。声が歓喜の叫びを上げた。
『我を使うがいい、勇者よ! 我は汝の思いに応じて、自在に力を貸すことを約束しよう!』

 ――一瞬の、立ち眩みを起こしたような感覚。
 ここはサマルトリア城内の泉の中の祠、ロトの盾を手にしたところ。俺の後ろにはサマとマリアが、さらに後ろにはサマルトリア王侯貴族の面々がこっちを観察してやがる。
 それをしっかり認識して、俺はふぅ、と小さく息をつき高々とロトの盾を上げた。顰蹙買おうが知ったことか。
 なんで俺にばっかこんなもん見せんのか知らねぇけどな。お前らが俺にしてほしいことがあるっつーんなら、応えてやらねぇわけにもいかねぇだろ!

 で、夜。
 出発を明日に控え、俺らは舞踏会に出ることになった。面倒くせぇなぁとは思うが、まーしょーがねーよな、サマの親父さんたちも俺たちに喜んでもらおうと思ってやったんだろーし。
 というわけで俺らはそれぞれ分断され、女官たちにつきまとわれて舞踏会用のやったらキラキラした服に着替えさせられた。俺はガタイがでかいんでお直しが必要だとかで、昼飯のあとはずっと採寸にかかりきり、サマともマリアとも会えやしなかった。
「まぁ……ロレイソム殿下、なんと凛々しい……」
「……そりゃどーも」
 うっとりする侍女女官どもに軽く言って、俺は鏡を見た。その中にはやったらキラキラフリフリした衣装を身に着けた俺が映っている。
 正直なとこげー冗談じゃねぇなんで俺がんなカッコしなきゃなんねぇんだ、と思うがさすがに口には出せねぇ。俺としては軍装でよかったんだがなー、その方が楽だ。よくまー貴族どもはこんなカッコしてちーぱっぱできんな、肩凝らねぇのかよ。
 すでに外は陽も落ち、あちこちにつけられた魔法の灯りと松明にも関わらず薄い夕闇が城全体を取り巻いている。じきに舞踏会の刻限だ。
 その前にあいつらと合流しちまおう、と思って俺は部屋を出た。
「ロレ!」
 歩き始めたとたん後ろから声がかかり、俺は振り向く。そこには当然のようにサマが立っていた。当然のよーにサマもキンキラの王子様ルック。……こーいうカッコはルプガナでも見たけど、今回のはさらに金かかってる感じの服だ。ま、当然だけど。
「ロレ……すごい似合ってる。すっごくカッコいいよ。普段のロレもカッコいいけど、そういう服も気分が変わっていいね。すごくきれい」
「へいへい、そらどーも。きれいっつーのは男にいう言葉じゃねーだろーが」
 眼をうるうるさせながら上目遣いに言うサマに、俺は適当にぽんぽん頭を叩いてやりながら言った。こいつこんなんで俺のことどー思ってるか隠し通せんのかな……まーいいや、バレたらバレた時のことだ。
「……あのさ、ロレ。僕……どうかな。似合ってる?」
「はぁ?」
 俺は呆気に取られてサマを見た。そりゃ確かにそのキンキラした服はサマの一見深窓の王子様って風貌に似合ってなくもねぇが、男がなんでそんなこと聞くんだ。
「阿呆か。なんで俺が男の服云々しなきゃ……」
 そこまで言って、俺ははっとした。サマは俺を好きなんだから、女が男を好きになるみてぇに好きなんだから、サマもやっぱり女みてぇに服褒めてもらいてぇとか思うのかもしんねぇ。
 ……ちくしょ、男相手の色恋沙汰なんざ経験なんてひとっかけらもねぇんだぞ俺は。
「あー………そーだな。まー、似合ってんじゃねぇか?」
 俺の言葉に、サマはたまらなく嬉しそうに微笑んで答える。
「ありがとう……」
 ……だから、なんでお前はそんな風に、こんな言葉にそこまで喜ぶんだよ。神様に声かけてもらったみてぇに、死ぬほど嬉しそうに。
「……おら、マリアんとこ行くぞ。舞踏会の最初にはお前ら二人がダンスすんだろ?」
「……うん、そうだね」
 サマはなんかちっと寂しそうに笑って、俺の横に並んだ。……くそ、なんでんな顔すんだよ。サマといいマリアといい、俺ってそんなに無神経なこと言ってるか? くそっ。
 マリアのいる部屋の前に立ち、軽くノックをする。扉がそーっと開いて、中から侍女が顔を出した。
「まぁ、殿下方! マリア姫をお迎えに?」
「ああ」
「もう少しお待ちくださいね、今準備してらっしゃるところですから! うふふ」
 ……そーいや女の支度っつーのはいっつもやたらめったら長ぇんだよな……あー面倒くせこっからえんえん待たなきゃなんねぇのか。
 壁に寄りかかって窓の外を見ながらサマと話す。
「女っつーのは面倒だな、どーしてああもごてごて飾りたがんだか」
「そうだね……」
「んなやたらめったら飾ったって男はんなとこ見てねぇっつーのによ。容れもんじゃなくて中身だろ、普通重要なのは」
「そうだね……でも、僕はわからないでもないな、自分を飾る気持ち」
「はぁ?」
 俺が呆れてサマの方を向くと、サマはにこにこ笑ってやがった。けど――なんか、切なそうだった。わずかに揺れる瞳が。
「ひとつには、自分でも自分をきれいだと思いたいから――素のままの自分じゃ見慣れてるからきれいだとは思えないからね。飾ると気合が入っていつもよりきれいだと自分で思える、それがひとつ」
「…………」
「もうひとつには――不安なんだよ、みんな。好きな人に自分がきれいだと思ってもらえるかどうか、そのままじゃ不安で、なにかしなきゃいてもたってもいられないんだ。だから必死にありったけ飾って飾って磨きたてて、飾ってもそれが相手にきれいと思ってもらえるかは別問題だってわかってるけど、それでも全力で自分を美しいと思えるようにさせずにはいられないんだよ」
「…………」
 ―――サマ。
 お前もそういう風に思って自分を飾ったのか? ありったけの力使って自分を磨きたてたのか?
 そういや普段のサマよりちっと肌の色艶がいいかもしれねぇ。髪がきれいに整えられてるかもしれねぇ。爪がつやつやきらきらしてるかもしれねぇ――
 けど、それでもやっぱり俺には『だからどうした』で済ませられちまうようなもんで、俺はひどく心苦しくなった。
 こいつが、必死で、全力で俺に向けた媚態に、少しも感じてやれないことが。
「マリア姫、お支度おすみになりました」
 扉が開いて、侍女がなんかうきうきした口調で言う。それから先触れの侍女のあとから、静々とマリアが進み出てきた。
「――――」
 俺は言葉を失った。マリアを見て、言葉を失うのはこれは何度目だろうと頭のどこかがそんなことを思った。
 きれいだった。薄紫色の髪を結い上げてきらきらしく輝く宝石をちりばめたヘッドドレスをつけ、白とピンクに水色を散らしたふんわりとしたドレスに身を包んだマリアは、女神様よりきれいだと思った。
 ドレスは腰の位置が高く、不自然でない程度にスカート部分がふんわりと広がり、下の方も金銀珊瑚やらなにやらで豪華に飾り付けている。肩の部分もふくらみをもたせ、袖先はきゅっとしまって瑞々しい感じ。
 襟まわりはぐっと広く、その艶っぽいうなじやら鎖骨やらを下品にならない程度に露出させ、そして顔には恥ずかしそうにわずかに朱を佩かせて――
 本当に、きれいだった。
「……マリア、すごくよく似合うよ。すごいきれい」
 俺の視線の先でマリアが微笑む。
「ありがとう。あなたも似合っているわ、サウマリルト」
「ありがとう。……ほら、ロレもなんとか言ったら?」
「………………」
「……変、かしら」
 少し悲しそうに、辛そうに、切なそうにマリアが言う――俺は、ゆっくりと首を振り、ぼそりと言った。
「きれいだよ」
 とたん、マリアの顔が一気にぼん! と音が立つかと思うほどの勢いで朱に染まった。こいつも恥ずかしいんだ、と思うと俺は少しほっとした。
「――行こうぜ」
 腕を差し出す。俺は普段こーいうの大っ嫌いなんだが、なんか、今は――こいつの前ではいっぱしの王族らしく振舞いたくなっちまったんだ。
「……ええ」
 マリアが顔を赤らめつつ頷いて、俺に手を預ける。それからサマの方にも手を差し出して、サマもマリアの手を支え、三人揃って歩き出した。
 ――なんか俺は、サマがマリアの手を取った時、すんげームカついたんだが――なんでなのかは、よくわからなかった。

「――ロトの勇者たちに、乾杯を捧げようぞ!」
 サマルトリア王が音頭をとって舞踏会は始まった。ダンスのリードは予定通り、サマとマリアだ。
 サマが微笑んで一礼し、マリアがうなずいてサマの手を取る。ダンスが始まった。
 完璧な動きで正確無比なステップを刻む二人の足。サマの手はマリアの腰に、マリアの手はサマの腰に。片方の手を繋ぎつつ優雅にフロアを動き回る。
 二人とも軽く微笑んで、余裕たっぷりに、楽しげに笑いながら。くるくると見事に舞い踊る。
 どっからどう見ても、お似合いな一対。周囲にため息をつかせるそんな二人を――俺はイライラしながら眺めていた。
 んだよ、マリアの奴なに笑ってんだよ。サマの奴どこ触ってんだ、俺が好きなんじゃなかったのかよ。ひっついてんじゃねぇよこっち向きゃあがれ、くっそ腹立つなー!
 そしてすぐになに考えてんだ俺はと後悔する。周囲から漏れ聞こえてくる「お似合いねぇ……」「サウマリルト王子もマリア姫も本当に素敵……」というため息のような声がその気分にさらに拍車をかけた。
 似合うってなんだよ。いや俺なに腹立ててんだ自分だってお似合いって思ったじゃねぇか。けどサマは俺が好きなんだぜ、マリアのことは別になんとも。そういう問題じゃねぇだろ阿呆か俺は。じゃあどういう問題なんだよムカつくムカつくムカつく!
 じりじりしながら二人を見守っていた俺は、二人のダンスが終りかけた頃の隣の女の「一曲お願いできますか……?」という上目遣いの願いに無意識にうなずいてしまっていた(嬉しげにフロアの中央へ引き出されてから気がついた)。くそ、んなことやってる場合じゃねぇのに、と思いながらもゆったりと流れるワルツに合わせて叩き込まれたステップを刻む。
 紅潮した顔で俺の顔を見てくる女の顔をぼーっと見返しながら、俺はひたすらサマとマリアのことを考えていた。あんにゃろ、舐めんな。ざけんなよコラ。面白くねぇ。そんな意味のない言葉ばかりぐるぐると頭の中を回る。
「あ、ありがとうございました!」
 俺は無言で一礼する。女が仲間のとこへ戻ってきゃんきゃら喚いてるのも聞こえたが耳に入らなかった。
 サマとマリアは――
 周囲を見回す俺の前に、やったら着飾った女どもが殺到してきた。
「ロレイソム殿下! ぜひ一曲、お相手を……」
「私ともぜひ!」
「私とも!」
 こ……こいつら、うぜぇ……!
 けどそれを口に出すわけにはさすがにいかねぇし……困り果てて周囲を見渡すと――
 マリアが、おそらくはサマルトリアの青年貴族に、囲まれてるのが見えた。
 ――その瞬間、俺の辛抱の糸は、全部まとめてぷっちーんと切れた。
「――失礼。先にある方に申し込んでからお相手させていただきます――私は自分から申し込む方が好みですので」
 に、と久々に女を蕩かす用の笑みを浮かべてやる。女どもは一瞬陶然とした、その隙を縫って俺はマリアのところへ足早に向かう。
「―――マリア」
 青年貴族の相手をしながらなんかきょろきょろ周りを見ているマリアに、俺は声をかける。
「――ロレイス!」
 マリアが俺の方を見て、輝くような笑顔になる――その笑みに思わず心臓が跳ねたが、意地にかけて動じたような顔は見せずわずかに微笑んでマリアに歩み寄った。
「なんの話をしてたんだ?」
 言いつつ軽く貴族どもを威嚇する。殺気をこめて睨みつけてやったらびくって思いっきり震えてやんの、面白ぇ。
「ダンスの申し込みをされていたのだけど……」
「ほう、じゃあ断れ」
「―――は?」
「俺が先にお前にダンスを申し込むからだ」
「――――」
 マリアはきょとんとした顔をして、それからぱあっと顔に朱を上らせつつ、つんとそっぽを向いてみせた。
「そんなダンスの申し込み方がある? 無作法な人ね」
「それなら礼儀にのっとって申し込んでやろうか?」
「え……」
 俺はすっと軽く身をかがめ、マリアの手を取ってちゅ、と手の甲にキスをして笑った。
「一曲お相手願えますか、我が姫君?」
 カッとマリアの顔が真っ赤になった。それから、潤んだ瞳で俺を見上げ、ちょっと笑って言う。
「喜んで、殿下」
 俺とマリアは手に手を取ってフロアの中央に踊り出た。それを貴族どもはぼーっと見送るしかない。
 ………く―――っ、気持ちい――――っ! なんつーか……こーいう感じの気持ちよさって初めて味わった気がするぜ!
 音楽はアルマンドからメヌエットに変わっていた。それもわりかし早いテンポのやつ。俺の好きなダンスだ。
 俺はマリアの背中にすっと手を回し(俺とマリアじゃ背の差がありすぎて腰に手を回すのは難しい)もう片方の手を合わせ、踊りだした。
 久々のまともなダンスだったが、思ったよりちゃんと踊れた。ガキの頃みっちりダンスを仕込んでくれた親父や家庭教師に感謝だ。あの頃は嫌でしょうがなかったけど。
 楽しかった。ぞくぞくするほど。マリアと一緒に、フロア中の視線を集めながら踊るのが。
「……どこにいたの。探していたけれど、見つからなかったわ」
 俺の手に手を預けながら囁くマリアに、俺はステップを刻みながらにやりと笑った。1、2、3、4、5、6、1、2、3、4、5、6。
「女どもに囲まれてた」
「…………そう」
「うざったくてな。俺もずっとお前探してた。お前はサマと一緒に目立ってたからすぐわかったけどな」
「………………そう」
「なんだよ、『そう』ばっかでよ。もーちょいなんか言うことねぇのか、この際だから言いてぇこと全部ぶちまけちまえ」
「ぶちまけません。言ったでしょう、旅が終るまでは秘密なの」
「このアマ」
 俺は笑った。マリアも笑った。遠くにサマとサリアが踊っているのが見えた。あいつもご苦労なこったな、と思いつつ足はリズムを刻みつつフロアを移動する。1、2、3、4、5、6。
「でも……なんで私にダンスを申し込んだの。……申し込んでくれるとは思っていなかったわ」
 俺はそう言われて初めて考えた。なんでマリアにダンス申し込んだんだ? 俺ダンス嫌いなくせに(ダンス自体は嫌いじゃねぇが申し込みやらなんやらに伴うあれこれがうざったい)、わざわざ自分から。
 だが、ちょっと考えてすぐやめた。今俺は楽しい、気持ちいい。なのになんでわざわざどうでもいいことを考える必要がある?
「ま、そうだな。せっかくの舞踏会で、目の前にとびきりのいい女がいるんだ。申し込まなきゃ損だろってぇとこかな」
「え――」
「どーでもいーだろ、んなこと。今は――俺に集中しろ」
 そう言うと、マリアはぽっと顔を赤らめて、無言でダンスを続けた。
 俺も――ただ、マリアを見つめた。目の前の、すこぶるつきにいい女の、たぶんこの世でいちばんきれいな女のマリアを、ただ見つめ、リードし、ひたすらに彼女に集中した。

 マリアとのダンスを終え、サマとサリアと一緒に喝采を浴びて。
 次から次へダンスを申し込んでくる女どもを、俺は適当に相手していた。
 サマも似たようなもんだった。やっぱサマは女の貴族どもにもすげぇ人気があるらしい。マリアも右に同じ。
 はーやれやれ面倒くせぇなぁ、とか思っていると、ふいにくいくいと袖を引っ張られた。
「ん? ……サリア姫」
「ロレイソム殿下、私はもう休まなければならないのです。最後に一曲、お相手願えませんか?」
 サリアはそう言ってお辞儀をし、俺を見つめる。
 その目は、はっきり言ってこれから勝負を挑むつもりじゃねぇかってくらい真剣で、睨みすえるような強さをもって俺の目の中に飛び込んできた。
 だから、俺はうなずいた。このガキがなにを考えてるにしろ、勝負はつけとくにこしたことはねぇ。
「喜んで、姫君」
 俺はサリアの手を取ってフロアの中央に進み出た。曲はガヴォット、テンポは早くもなし遅くもなしの踊りながら話をするには悪くない曲だ。
 1、2、1、2。ステップを刻みながら、きっと俺を睨んでくるサリアに俺の方も半ば睨むような強い視線で顔を見返す。
「……話したいことがあるなら早く言ったらどうだ。ダンスが終わったら誰かに聞かれるぞ」
 二拍子のステップを三十回繰り返してもサリアに口を開く様子がないので、俺は自分から水を向けてみた。するとサリアは睨むような目をふいに弱め――というかうるっと潤ませて、俺を見る。
 俺は慌てた。なんだ、なんでいきなり泣くんだ?
「………なんで?」
 呪詛を詠ずるような恨みがましい声で、それでも顔は恋愛劇の主役のように悲愴にサリアは言う。
「なんで、あなたはお兄ちゃんにあんな顔をさせられるの?」
「は?」
 俺はきょとんとした。お兄ちゃんって、サマのことだよな。
 あんな顔って……どんな顔だよ。俺別にサマに変な顔させた覚えねぇぞ?
 そんな俺の感情をどう読み取ったのか、サリアは恨めしげに、悲しげに言う。
「あなたは別に大したことを言ってるわけじゃないのに。普通に喋ってるだけなのに。なんでお兄ちゃんは、あなたの喋ってることにばっかりあんなに嬉しそうにするの? 楽しそうに笑うの? ずるいわ。ずるい」
 サリアは憎しみすら感じさせる目で、踊りながら俺を睨む。
「お兄ちゃんが声を上げて笑うところなんて、私一度も見たことなかったのに」
「………………」
 俺は、ちっと愕然としてしまった。
 声を上げて笑うところを見たことがない? 一度も? 家族が? 二親とも同じ妹が?
 それは――普通考えられねぇことだと、俺は思った。
「一度も――ないのか?」
「一度もない。お兄ちゃんは私がなにをしても、なにを言っても、にっこり笑って優しく答えるだけだったのに。それが当たり前だと思ってたのに」
 サリアは俺を、今にも泣きそうな、潤んだ瞳で刺すように睨んだ。
「どうしてあなたと話している時はお兄ちゃんは楽しそうに笑うの? 他のことみんなどうでもいいみたいにあなただけ見て嬉しそうにするの? なんで?」
「………………」
 答えようがない。なんて言っていいのかわからなかった。
 サマが俺を好きだからって言えばいいのか? ただ一人愛してるんだって?
 言えっこねぇだろ、そんなこと。そんな俺だって嘘じゃねぇかと思うようなこと。
 だって、俺は、サマが本当の本当に、俺以外にはあんな表情見せたことがないなんて、全然知らなかったんだから。
「あなたはお兄ちゃんのなんなの。お兄ちゃんはあなたをどう思ってるの? 私たちよりあなたの方が大事なの? なんで? そんなのいや。そんなのずるい。ずるいわ」
 泣きそうな顔で何度も何度も訴えるサリア。俺はなんと言えばいいのかわからず、ただこう言うしかなかった。自分ではさっきまで、本当に当たり前のように考えていたことを。
「俺は――サマは、お前の兄貴は――あいつなりに、お前らのことを大切に思ってると、思う」
 本当にそうなんだろうか。サマは一度もこいつらに声を上げて笑ったところを見せたことがなかったのに。
 そのはずだ、あいつは俺を本当に好きだって俺は感じたんだから。そんな奴が、自分の家族を大切に思わないわけはねぇ――
 けどサリアは、泣きそうな顔で、こう言う。
「じゃあどうして、お兄ちゃんは帰ってきてから一度も私の顔を見て笑ってくれないの?」
 ――今度こそ俺は、なにを言うこともできなかった。

「あなた、嫌い。私あなた大嫌い」
 そう別れ際に言われ、俺はサマを探していた。
 あんなガキに嫌いって言われても別に辛くはねぇが、あんなガキが、まだ成人まで四年もあるガキが俺みたいな年上の男に大嫌いって言ってしまえるほど、サマのあいつに対する態度が辛かったんなら――
 サマにはそれを知っておく義務があると思ったんだ。
 フロアのどこを探してもサマはいない。ちっと舌打ちした。トイレかなんかかとフロアを出かかる――その時に、ふとテラスが気になった。
 テラスの方に、サマがいるような気がする。
 根拠もなにもねぇただの勘だが、俺は自分の勘はけっこうあてにしてる。テラスへ向かうガラスの扉を開け、外に出る――
 その瞬間ビリ、と電流が走ったような感覚を覚えたが、一瞬で収まった。気にせず周囲を見渡す。
 テラスにはほとんど人がいなかった。妙だな、と俺は思った。普通テラスってのは舞踏会が盛り上がってくると男と女がいちゃつくのによく使われてんのに。
 サマは思った通り、テラスの先端に立っていた。誰かと話してる。
 部屋の中からの明かりで相手の姿が見えた。頭に蝙蝠みてぇな趣味悪ぃ髪飾りつけて、杖持ってる。着てるのは……ありゃなんだ、祭服か? 神官ってことか? 神官が何で舞踏会にいんだよ。
 顔は、不気味なくらい整っていた。顔のどの部品もケチをつけるところがないって感じで、妙に作り物めいた印象を受ける。
 一応遠慮して、俺は静かにサマの後ろから声をかけた。
「サマ」
「………ロレ」
 サマは意外そうな顔をした。なんだ? 俺がお前を探しに来ちゃおかしいのかよ。
 それからああ、という顔をして、微笑む。
「どうしたの? まだ舞踏会は盛り上がっているでしょう?」
「お前と話がしたかったんだよ。……そちらは?」
 一応礼儀として聞くと、サマは困ったような笑みを浮かべた。
「落ち着いて聞いてね? ――こちらは大神官ハーゴン。僕たちの最終目的だよ」
「―――――!?」
 俺は一瞬目を見張り、それから剣はないものの即座に飛びかかろうとし――サマに腕を抑えられた。
「ロレ。ここで戦うのは無理だよ」
「なんでだよ!?」
 敵がいんだぞ。俺たちの旅の最終目的が、マリアの憎む仇が目の前に! 戦うしかねぇだろう状況だろうがよ!
 だがサマは冷静に首を振った。
「武器も防具もない、戦う準備なんてなにひとつできてない。なによりすぐ後ろにはサマルトリアのなんにも知らない人たちがいるんだ、戦いになったら絶対あの人たちを巻き込むことになる」
「く………!」
 ハーゴンを睨みつける。視線で人が殺せるならとっくに殺せてるだろうってくらいに。けどそいつは、ハーゴンは表情を変えなかった。無表情のまま、危険なんぞ塵とも感じてねぇって顔で俺を見ていた。
「……高位魔族はそうほいほい人のいるところへ降りてこられなかったんじゃねぇのか」
「私は半ば人、半ば魔族という存在なのでな。別に準備せずとも人のいける場所ならばどこにでも行ける」
 おっそろしく静かな声だった。周りの音を吸い込むような、妙な響きのある。
 俺は苛立ちつつサマの方を向く。
「そんで、このクソ野郎はなんでこんなとこにいやがんだよ」
「サウマリルトと話をしに来たのだ」
 ハーゴンが静かに答えたんで、俺は即座に噛みついた。
「うるせぇっ、お前には聞いてねぇ!」
「………………」
 ハーゴンはただ静かに俺の方を見る。俺は敵意をこめて見返す。サマは困ったような顔をして、そんな俺たちを見つめる。
 つと、ハーゴンが俺から視線を逸らした。
「ローレシアの王子、ロレイソムよ。お前にはわからぬのだろうな。お前の力では強さでは、救えぬ者がいるということなど、永遠に」
「なにを……」
「自信、誇り、自己に対する絶対の確信。それが我らを惹きつけ、同時に苦しめる。お前は理解しようとしない、ただ愛するだけだ。だから最後にはいらぬと言って放り出すことができる。ただ与えていただけだからという事実を理由に」
「な―――」
 俺はわけがわからなかった。なに言ってんだこいつ? ムーンブルクを滅ぼし、世界を滅ぼそうとしてる魔族のくせして。
 けど、わけがわからないなりに――
「うるせぇ、利いた風なこと抜かしてんじゃねぇ。てめぇに俺のなにがわかるってんだ」
 こんな奴に俺のことを云々されるのは絶対にごめんだった。
 ハーゴンは、俺の怒気を思いきり浴びせられたにも関わらず、表情を動かしもせず、ただ首を振った。
「わかる。私はお前に似た人間を、一人知っているからだ」
「は?」
「サウマリルトよ」
 ハーゴンはサマに向き直る。サマもそれに視線を合わせた。
 サマのその顔を見て、俺はぞくり、と背筋に冷たいものが走るのを感じた。サマの表情が、怖い。
 デルコンダルの時みてぇに殺気で満ちてるっつうんじゃねぇ。それよりももっと静かで、普通で――それよりずっと、なんにもなかった。
 なんの感情も浮かんでねぇ、悲しいとか嬉しいとかなんにもねぇ、ただ静かな表情。けどそれはひどくサマの顔に普通に馴染んでる。んな顔、ちっともサマらしくねぇのに。
「なんですか」
「私はいつでもお前が私のところに来るのを待っている。私は――お前を理解したいと思っているのだから」
「…………」
「また会おう」
 そう言ってなにごとか呪文を唱え、ふわりと宙に浮かんでから高速で天へと昇りハーゴンは姿を消した。
 サマはじっと、その姿を見つめていた。
「―――サマ」
 俺はおそるおそる、サマに言った。もし俺が話しかけてもあの表情のままだったらどうしよう、と考えながら。
 それは幸い杞憂で、サマは俺の方を向きいつも通りの顔で笑った。
「ロレ。どうしたの? なにか僕に用があったの?」
「あ、ああ……サリアがよ。なんかお前が声を上げて笑ってくれないとか、サリアの顔見て笑ってくれないとか気にしてたみたいだったからよ。お前もーちょいサリアに優しくしてやってくれって、言いに……」
「サリアそんなこと言ったの?」
 サマは目を見開き、苦笑してハーゴンの消えた空を見つめる。
「参ったな……気づかれてたなんて。迂闊だったな。あとでフォローしておくよ。サリアを傷つけるのは、僕も本意じゃないからね」
「………ああ―――」
 俺は答えながら拳を握り締めていた。なんて顔して空見てんだよ、サマ。
 サマはさっきのあの顔をしていた。無表情というより、なんにもない表情。楽しいとか嬉しいとかなんにも感じねぇで、ただ生きて死んでくみてぇな顔。
 苦しさなんて微塵も感じさせねぇのに――俺は見てるだけで、たまらなく苦しくなった。
「―――サマ!」
 たまりかねてぐいっと腕を引いてこっちを向かせる。サマはきょとんとした顔をして、俺の方を向いた。
「どうしたの、ロレ?」
「………あのな―――」
 俺はぎゅっとサマの肩を握り締め、しばらく言葉に迷って、結局こんなことを言った。
「――踊らねぇか、サマ?」
「え………」
 サマは目を大きく丸くして絶句する。
「せっかくだしよ、誰もいねぇし。音楽もちょうど切り替わったとこみてぇだし」
 音楽はサラバンドからワルツに変わったところだった。三拍子のゆったりしたリズムがこっちまで聞こえてくる。
「ここまでお膳立てされてて踊らねぇのももったいねぇかなって……お前がいやっつーんなら、別にいいけどよ……」
 俺は口ではそんなことを言いながら必死に願っていた。うなずけ。うんって言いやがれ、サマ、と。
 サマは俺をじっと見つめ――急にその顔がぼんっと真っ赤に染まった。そして震える手を俺の方にさしのばし、か細い声で言う。
「ほん……とうに、踊ってくれるの………?」
「嘘ついてどーすんだよ。おら、踊るのか踊らねぇのか」
 俺が睨むような顔で言うと、サマはおそるおそる、激しく動いて俺の言葉を壊すのを恐れてるみてぇに、小さくうなずいたのだった。

「――女役はしねぇぞ、俺は」
「うん………」
 夢見るような、半ば陶然としたような顔でサマは俺を見る。
 俺が男役、サマが女役でステップを刻み始めた。1、2、3、1、2、3。
 サマは上手だった。女のステップは慣れてねぇだろうに、俺の腰に回った腕にわずかに体重を預けつつ、見事に動いてリズムを刻み始める。1、2、3、1、2、3。
 サマが瞳を潤ませながら囁くように言う。
「まるで夢見てるみたいだ……ロレと、本当に踊れるなんて………」
「そーかよ」
 俺はぶっきらぼうに言って、サマの体を優しく回転させた。1、2、3。
『――そーいう顔してろ』
 俺は内心で呟く。
『てめぇはいっつもそんな風に、嬉しくて嬉しくてたまらねぇって顔して俺のあとひっついてくりゃいいんだ』
 サマの女よりは確実に重い体を、そっと支えながら。
「あんな顔、もう二度とすんじゃねぇぞ」
「え?」
「なんでもねぇよ」
 そう言って俺は少し笑い、踊り続ける。サマは嬉しそうに、本当に嬉しそうに俺についてステップを踏む。
 俺はサマがそんな顔をしてることが嬉しかった。こいつの中には気持ちがめいっぱい詰まってることがわかって嬉しかった。
 ――サマが俺を好きなのを俺が一番負担に思ってることは、しばし忘れて。

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