ハーゴンとの再会の話
 僕たちはペルポイを出たのちサマルトリアに向かっていた。ロトの盾を手に入れるためだ。
 ロトの武具を手に入れるには試練が必要だと言われてるけど、ここまでレベルを上げておけばどんな試練にもほぼ対応できるだろう。
 サマルトリアには当たり前だけど行ったことがあるからルーラでひとっ飛びしようと思えばできるけど、僕は一応港までは船で移動した。経験値稼ぎのためだ。
 船を港に置いてそこからルーラで移動。港で兵士につかまって一演説ぶつ羽目になったけど。
 サマルトリアの城下町に着いてからも、周囲にうじゃうじゃ人が集まってきてかなり疲れた。まぁ、いつものことなんだけど……久しぶりだからきついなぁ。
 その上これから父上やら母上やらサリアやらと家族の会話をしなきゃならないわけか。……考えただけでぞっとするな。
 ロレとマリアは僕にうじゃうじゃ人が集まってくるのにやっぱり少し驚いてたみたいだった。そりゃそうだろうなぁ。普通じゃないよねこの僕に対する崇拝っぷり。
 僕はただ、他にやることがなかったから、僕は生きていちゃいけないんじゃないかという想いから逃げたかったから全力でやるべきことをやっただけなのに。

「サウマリルト! よく戻った、よく戻ったな! 送ってくれる手紙で無事なことはわかっていたが、それでも我らはお前の身を案じない日はなかったぞ!」
「ああサウマリルト、もっとよく顔を見せてちょうだい! お前の美しい顔を! よかった、無事に帰ってきてくれて本当によかった!」
「父上、母上、ご心配をおかけして申し訳ありません」
 僕は頭を下げつつ父上と母上を観察する。二人とも少し面やつれしているな。やっぱり心労のせいだろうか。
 あとで主治医の所見を見せてもらおう。きちんと毎日食事を取らせて運動させて、あとはストレスを避けるためにサリアに話し相手になってもらって――
 僕はそんなことを考える自分に心底吐き気がした。久しぶりに会った両親に、そんな風なことしか思えないのか?
 しかも僕は、本当はそんなこと、父上と母上の健康状態がどうなろうと、別にどうだっていいと思ってるくせに。
「ですが今日この地に戻りきたのは我が盟友と共に世界を救うため。ロトの装備を手に入れるためなのです。またすぐ旅立つことを、どうかお許しください」
「おお……サウマリルトよ。その心、まさしくロトの勇者! 我らはお前を心より誇りに思うぞ!」
「けれどサウマリルト……いま少し、せめて数日は城に留まってはくれませんか? せめてお前が無事帰ったことへの祝宴なりとも開かせておくれ。ロレイソム殿下とマリア姫の歓迎の宴もかねて!」
 ……他国の王子と姫の前でそんなことを言うのか、この人たちは。真剣に正気を疑うな。
 そう冷酷に判断を下しつつ、心の別の部分がそんな僕を憎憎しげに罵っている。こうも大事にしてくれる、愛してくれる人たちに、よくもまぁそんなことが言えたものだ、お前はこの人たちに少しも愛を返してはいないくせに、と。
 ――家族や臣民と一緒にいると、いつも感じる毎度お馴染みの苦痛だ。
「ロレイソム殿下とマリア姫と相談の上お返事いたしたく思います。とりあえず、一度退がらせていただけますか? 旅の汚れを落としてからまた参りますので」
「うむ……承知した。よい返事を期待しておるぞ」
「それと、ロトの盾の試練及び継承の儀式の準備を進めておいていただけますか? 今日中に試練と継承を済ませたく思いますので」
「うむ。そうしよう……だがその前に、サリアにも会ってやるようにな。あの子もお前にまた会える日を、心待ちにしておったのだから」
「はい、承知しております」

「お前さ……なんか、親父さんたちと話してる時猫被ってねぇか?」
 ロレの寝泊りする客室に三人集まった時ロレにそう聞かれ、僕はきょとんとしてから少し笑った。
「なんでそんなこと聞くの?」
「なんでって……なんか、気になったから」
「そういう意味じゃなくて。わかりきってることなのにどうして聞くのかなって思って。だってロレにはもう話したでしょ? 僕は家族も友人も臣民も、好きにはなれなかったって」
「へ?」
 ロレの方もきょとんとした顔をする。ああ、やっぱりロレにとっては僕の身の上話なんてどうでもよかったんだなぁ、と僕は内心苦笑した。
 こういう風に時々再確認して僕は苦しくなる。胸が痛くなる。ロレの中の僕の存在の軽さ、小ささに。
「サウマリルト……どういうこと?」
「……あんまり言いふらすことでもないから言わなかったんだけど。僕はロレに会うまで、誰かを本当には好きになることができなかったんだ。家族にも友人にも臣民にも、どんなに尽くしても、どんなに優しくしてもらっても本当に好きになることはできなかった。頭のどこかで『この人たちが死んでも別に僕悲しくないな』って考えちゃうんだ」
「………そう、なの」
 説明に、マリアは一瞬苦しそうに顔を歪めた。マリアは感受性が強いから、僕の苦しみを不完全ながらも感じとってしまうんだろう。
 別にそんなの感じる必要なんてないんだけどな。
「だからあなたは、ロレイスにあんなに尽くすの?」
 ……なかなか鋭いな、マリア。
「……そうかもね。誰も好きになれなかった、これからも好きになれないだろう僕がただ一人好きになった人だから、僕の全てで幸せにしてあげたいって思う。それが尽くすっていうことなら、そうなるんだろうね」
「…………。じゃあ、私は?」
「え?」
「私のことはどう思ってるの?」
 ……そういうことを聞かれるとは思わなかった。
 でも、言われてみれば確かに僕もマリアに自分がどう思われているかっていうのは気にならないこともない。感じやすいマリアならよけい気になって当然だろうな。
 僕のマリアに対する想いっていうのは、『ロレの好きな人だから僕も大切にする』っていうものだけど、それをロレの前で言うとロレがいやがるだろうから……こういう言い方にしておくか。
「マリアは恋敵かな」
「え!?」
「は!?」
「な、な、な……なに言ってんだてめぇはっ!」
「そ、そ、そうよ! サウマリルト、あなた勝手なことを言わないでくれるかしら!?」
 ロレもマリアも面白いくらい慌てて顔を赤くし、僕に詰め寄ってくる。もう……本当に二人とも息がぴったりなんだから。
「二人ともそんなに慌てなくたっていいのに。そんなに変なこと言ってないと思うけど?」
「このヤロ、からかってんのかてめぇっ!」
「いた、ロレ痛い、痛いってば、そこやめて本気で痛いから!」
 ロレに関節をいじめられて僕は悲鳴を上げた。痛いんだってば、本当に。
 でも、嬉しい。ロレが僕をかまってくれるのは、痛かろうが苦しかろうが、とっても嬉しい。
 僕はまだ、ロレのそばにいていいんだって、思えるから。
 と、突然ノックもなしで部屋のドアが開いた。なんだろうとまだ喜びを引きずったままの顔でそちらを向き――僕は一瞬固まった。
「―――サリア」
「お兄ちゃんっ! お兄ちゃんっ、お兄ちゃんっ、お兄ちゃんっ! 待ってたんだから、ずっとずっと会える日待ってたんだからねっ!」
 体に抱きつかれながら、僕は嘆息した。サリアは少しも変わっていない。
 僕のことが好きだと全身で示すその態度も、開けっぴろげでストレートな性格も。
 それは一般的には可愛い、と呼べそうなものだったかもしれないけど、僕にとっては彼女は、彼女と一緒にいることは、苦痛そのものだった。
「――ただいま、サリア。心配かけてごめんね」
「お兄ちゃん……」
「サリア、でも少しお行儀が悪いね。お客様の前で挨拶もしないというのは」
「あ……ごめんなさい……」
「挨拶できるね?」
「はい」
 サリアはロレたちの方を向き、頭を下げた。
「申し遅れました、私サマルトリア第一王女のサリア・ラヴェンナ・サマルトリアと申します。ロレイソム殿下とマリア姫には以後お見知りおきを」
「了解した」
「こちらこそお見知りおきを、サリア姫」
「あれ、でもロレはサリアに会ったことがあるんじゃなかったっけ?」
「……ああ、まぁな」
「サリア、それじゃあ満点はあげられないな。今度から気をつけられるね?」
「………うん………」
 サリアは落ち込んだ顔をして、一瞬ちらりとロレの方を見た。それから僕にまた嬉しげに抱きついてくる。
「お兄ちゃん、サリアダンスいっぱい練習して上手になったの! お父さまとお母さまが舞踏会を開いてくださるの、サリアも今度は特別に踊っていいって! お願い、サリアと一緒に踊って!」
「……そうなのか、頑張ったね、サリア。それじゃあお手並みを拝見させてもらおうかな?」
「うん! それでね、それでね、お兄ちゃん。お兄ちゃんがいない間にサリアずっといい子にしてたのよ? お誕生会にお兄ちゃんがいなかったのも我慢してね、お兄ちゃんに言われた通りお友達いじめるのもやめてね……」
「……偉かったね、サリア」
「うん!」
 にこにこ笑顔でうなずくサリアを見ながら、僕は苦しくて苦しくてたまらなくなっていた。
 逃げ出したい。僕は君にそんなこと言ってもらいたくはないと、喜んでもらいたくも愛してもらいたくもないと叫びたい。
 どこまでも容赦なく押し寄せる愛の大波――僕はずっとこれがいやでたまらなかったのだ。
「それからね、春のお花見会でね……」
「サリア――悪いんだけど、少し待ってくれないか。これから僕たちは話し合わなきゃならないことがあるんだ。話はそのあとにしてくれないかな」
 たまらず言った言葉に、サリアは目を見開いた。
 それからなぜかじっとロレの方を見て、うなずいて部屋を出ていく。
「―――わかった」
 それを見送ったあと、マリアが眉をひそめて言ってきた。
「……サウマリルト。さっきの言い方はよくないと思うわ」
「………そうだね」
「そうか? 俺にも妹いるけど邪魔くさい時はもっとひでぇこと言ってるぞ?」
「あなたは参考にはならないの。――サリア姫が本当にあなたを慕っているのは私でもわかるわ、なのにあんな冷たい言い方をするなんてあなたらしくない」
「そうだね―――迂闊だった。久しぶりだから、正直ちょっと苦しくなっちゃって」
『苦しい?』
「サリアは子供だから、愛情が容赦なくて――かなり、苦しい」
 そう言うとロレは、肩をすくめて僕の頭を小突き、ひどく軽い口調でこう言った。
「阿呆なことで苦しがってんじゃねぇよ、馬鹿」
 ………ロレ―――
 その瞬間、すうっと僕の体から力が抜けた。楽になった。苦しまなくてもいいなんてことはないと思う、僕は生まれた時からずっとみんなを裏切っているのだから。
 だけど僕は、ロレのその言葉は、まるでロレが僕を許してくれたみたいに聞こえて――すごく楽になったんだ。
 だから、僕は、笑ってうなずいた。そうだよね、馬鹿だよね、僕………。

 でもやっぱり正直、家族との会話はこたえた。一年以上ずっとロレと一緒で、気を遣わなかったわけじゃもちろんないけどでもそれでもロレと一緒にいるのは楽しかった。気を遣うのさえ楽しかった。
 好きな人だから。
 家族は、そうじゃない。
 家族というのは僕にとっては臣民と同じくらい大切な存在だ。
 つまり、目の前で殺されそうになっていたら身を挺して庇うくらいには。たとえそれが失敗して死んでも大して悲しくないだろうと確信できてしまうけれど。
 つまり、僕は家族をちゃんと好きだとは、正直微塵も思えないのだ。
「サウマリルト、口に合うかしら? お前が好きなクローネを焼かせたの」
「ありがとうございます母上、美味しくいただいています」
 嘘だ。中のクリームに気を取られてパイのサクサク感が損なわれている。僕だったらもっとうまく焼く。
「サウマリルト、そなたの温室で咲いた薔薇だ。わしの育て方もまんざら悪いものではなかろう?」
「はい、驚きました。父上、初めて育てられたとは思えませんよ」
 嘘だ。悪くはないけれども僕の残した株なら言われた通りに世話を続けていればこのくらいの咲き方して当然だと僕は思っている。
「お兄ちゃん、サリアね、毎日ちゃんと勉強して教科書終わらせたの! すごいでしょ?」
「すごいね、サリア。感心したよ。ちゃんと頑張っていたんだね」
 嘘だ。感心なんてしてない。その程度王族ならできて当然、今までしてこなかった方がおかしいと思ってる。
「サウマリルト、旅の間の話をもっと聞かせておくれ」
「私たちはお前とずっと話をしたかったのですよ」
「お兄ちゃん、サリアたちのお話もいっぱい聞いてね!」
 にこにこ笑いながら言う家族に微笑みを返しながら、僕はこみ上げる吐き気と戦っていた。
 この人たちは、どうしていちいちこんなに嬉しそうに僕にかまうんだろう。僕は、かまってもらう価値なんかない人間なのに。
 かまってもらえなければ罪悪感を抱かなくてすむのに、その方がよっぽどすっきりするのに―――
 そう思わず胸を押さえながら、僕は思った。

 ロレとマリアと一緒に家族団らん――夕食をこなした僕たちは、翌朝ロトの盾の試練を受けることになった。
 ロレたちを巻き込むのは気が進まなかったけど、正直一人よりはずっと楽だった。……嬉しいことも、あったし。
 城中の人間が見守る中、僕たちは父上の前にひざまずいた。儀式の始まりだ
「サマルトリア国主、カイネヴェルト・アザンダ・サマルトリアがロトの末裔たる勇者たちに問う! ロトの残しし神の武具、その手に得んと欲するか?」
『欲します』
「では進め! ロトの盾の築きし壁を乗り越え、その手に盾をつかむがいい!」
 僕たちは泉の中に安置されているロトの盾に向けて歩き始めた。なんとなく僕が先頭になっている。
 だけど進むにつれ、空気が抵抗を増してきた。ロトの盾の築いた防壁がはっきりと感じられる。空気に電流が流れ、痛烈な痛みを感じさせる。ロトの盾が僕を拒否しているのがよくわかった。
 ……これ以上は無理、だな。
 僕は足を止め、ロレの方を振り向いた。
「? どうした」
「ロレ、先頭になって」
「はぁ? ここお前の国だろ。お前が目立った方が親父さんたちも喜ぶんじゃないのか?」
 そんなこと、僕にはどうでもいいよ。
 他に優先させることがなければ考慮するけど、ロトの盾がロレを求めていることが――ロレだけは痛みを少しも感じないように平然とした顔をしていたのだから――明白なこの状況で、いちいち周囲の期待に応えなきゃと気負うほど僕は頭が悪くない。
 ――それに、ロトの盾を手にするのは、ロレの方がずっと似合うし。
「僕が先じゃこれ以上進めないよ。ロレが先頭の方がいいと思う」
「……まー、お前がいいってんならいいけどな」
 そう言ってロレは前に出て、ロトの盾を取り上げ、一瞬硬直してから盾を高々と上げた。
 その姿は、やっぱりすごく男らしくて、力強くて、カッコよかった。

 明日サマルトリアを旅立つという夜。僕たちは舞踏会に参加することになっていた。
 父上と母上が一緒になって、僕たちのために催す宴。普段なら考えただけでうんざりするところだけど――今日は、ロレがいる。
 ロレが一緒だったらわずらわしいことがなくなるっていうわけでもないだろうけど……でも。
 ロレが一緒にいる。ロレと一緒に、舞踏会に出る。
 その事実は、なんだか僕の心をときめかせてくれた。うんざりする、飽き飽きした催しだけど――
 恋人たちの舞い踊るパーティに一緒に出るっていうのは、なんだかドキドキする。なにを勝手に期待してるんだと思いつつも。
 侍女や女官が服を選ぶ。殿下にはこちらが似合うわ、いいえこちらよ、と埒もないことを言い合っている。
 でも、僕は。
「――悪いけれど、今日は僕に服を選ばせてくれるかな?」
 ロレ。
 なんだろうこの気持ち。今まで経験したことのないこの感情。
 自分を飾りたい。一生懸命飾り立てて、そして好きな人に見せたい。
 一瞬でもいいから、こっちを向いてくれる時がないかって、僕を見て、少しでもいい気持ちになってくれることがないかって、思い求めてしまう。
 ロレはきっと僕のことなんか歯牙にもかけてくれないよ。僕がどんなに飾ってみせたって少しも気にかけたりはしないよ。理性はそう忠告する、だけど。
 ありえないとはわかっているのに、どうして夢を見てしまうんだろう。一言でも、ちょっと顔を笑ませるのでもいい、僕を見て少しでもいいなと思ってくれないかって願ってしまうんだろう。
 僕では無理なのかもしれないけど――それでも、僕はロレを幸せな気持ちにしたいと思うんだよ。
 少しでも与えたいって、僕の与えたものがロレにとって大切なものになればいいって、思うんだ。
 僕は自分で服を選んだ。数十、数百もある服の中から、必死に考えて吟味して。
 ロレはあんまりごてごてしたのは嫌いだろうから、すっきりしたデザインの、でも銀糸で華やかな縫い取りをした鳥の子色の衣装。エメラルドを袖口にあしらい、胸元には翡翠のブローチをつける。
「まぁ……殿下、お似合いです……」
 侍女女官たちがうっとりとした声を上げる。僕はそれに礼を言いつつ、鏡の中の自分をためつすがめつした。
 悪くはないと、思う。変ではないと、思うんだけど………。
 着替える前にお風呂に入って、髪は何度も整えた。顔も念入りに洗って化粧水をつけた。爪も磨いた――でも、それでもやっぱりロレが喜んでくれるという気はしない。
 どうしよう、怖い。ロレに相手してもらえなかったらって、すごく怖い。
 必死に何時間もかけて体を磨いて、服を選んで、全身飾りつけて。ロレに少しでも、いいなと思ってもらうために。
 でも、きっとロレは―――
 たまらなくなって僕は部屋の外に出た。苦しい、怖い、息が詰まる。早く、早くロレに会いたい。でも会うのが怖い。
 人の行きかう廊下を足早に歩いて――ロレを見つけた。
「ロレ!」
 ロレは振り向いた――そのとたん、僕は頭がくらりとした。
 きれいだった――ロレの着ているのは黒地に金銀真珠をあしらった衣装で、その暗い色調の中に鮮やかな色の混じる服はロレの凛々しい顔立ちを引き立てている。
 ぴんと伸びた姿勢、厚い胸板、逞しい腕。そういう力強さを感じさせるものがフォーマルな衣装を身につけたせいで不思議にきれいという印象に変わる。
 ――すごく、カッコよかった。
「ロレ……すごい似合ってる。すっごくカッコいいよ。普段のロレもカッコいいけど、そういう服も気分が変わっていいね。すごくきれい」
「へいへい、そらどーも。きれいっつーのは男にいう言葉じゃねーだろーが」
 ロレはぽんぽんと僕の頭を叩きながら苦笑する。
 ――僕の服について、なにか言ってくれるだろうか。
 僕は一瞬待った。ロレが僕の衣装についてなにか口にしてくれるのを。
 だけどロレの視線は、いっぺんも僕の服にも体にも向かなかった。ただ普通に顔を見て、少しも動揺せず、少しも普段と変わらず会話してるだけだった。
 ――耐えきれず、僕は聞いてしまっていた。
「……あのさ、ロレ。僕……どうかな。似合ってる?」
「はぁ?」
 ロレは阿呆じゃないか、というような顔をして僕を見た。
「阿呆か。なんで俺が男の服云々しなきゃ……。………。あー………そーだな。まー、似合ってんじゃねぇか?」
「ありがとう……」
 僕はお礼を言って、笑った。嬉しかった。ロレが僕の、必死に選んだ服を似合うと言ってくれたことが。
 でも、同時にひどく寂しく、苦しかった。ロレは僕に気を遣って、僕を傷つけないために似合うと言ってくれただけなんだ。
 僕はロレには、結局なにも与えることができなかったんだ。いいものを、なにも。ただ、気を遣わせただけで。
 ――儀式のあとすぐから体を磨いて、侍女や女官におもちゃにされながら必死になって服を選んで、変じゃないか変じゃないかって鏡の前で何度もあっちをむいたりこっちを向いたりしたのは――結局、全部ただの徒労だったってことなんだ。
「……おら、マリアんとこ行くぞ。舞踏会の最初にはお前ら二人がダンスすんだろ?」
「……うん、そうだね」
 僕はロレの横に並んで、歩き始めた。舞踏会の最初に、僕とマリアはダンスをする。宴の主賓と自国の王子のダンスというわけだ。
 妙な感じだった。両方ともお互いが一番踊りたい相手じゃないのはわかりきってるのに。
 マリアはまだ支度ができていないということだった。僕たちは壁に寄りかかってマリアを待つ。
「女っつーのは面倒だな、どーしてああもごてごて飾りたがんだか」
「そうだね……」
「んなやたらめったら飾ったって男はんなとこ見てねぇっつーのによ。容れもんじゃなくて中身だろ、普通重要なのは」
「そうだね……でも、僕はわからないでもないな、自分を飾る気持ち」
「はぁ?」
「ひとつには、自分でも自分をきれいだと思いたいから――素のままの自分じゃ見慣れてるからきれいだとは思えないからね。飾ると気合が入っていつもよりきれいだと自分で思える、それがひとつ」
「…………」
「もうひとつには――不安なんだよ、みんな。好きな人に自分がきれいだと思ってもらえるかどうか、そのままじゃ不安で、なにかしなきゃいてもたってもいられないんだ。だから必死にありったけ飾って飾って磨きたてて、飾ってもそれが相手にきれいと思ってもらえるかは別問題だってわかってるけど、それでも全力で自分を美しいと思えるようにさせずにはいられないんだよ」
「…………」
 まるっきり自分のこと言ってるなー、と思いつつ僕は微笑んだ。本当に――馬鹿みたいだな、僕。
「マリア姫、お支度おすみになりました」
 扉が開いた。先触れの侍女のあとから、マリアがやってくる。
 ロレが絶句する。マリアは、とてもきれいだった。
 白を基調にした清純さと艶が同居したドレス。すごくよく似合っていたし、とてもきれいだった。だからそう言った。
「……マリア、すごくよく似合うよ。すごいきれい」
「ありがとう。あなたも似合っているわ、サウマリルト」
「ありがとう。……ほら、ロレもなんとか言ったら?」
 僕はロレを肘でつつく。僕はそう言うべきだ、と思った。見守る侍女や女官たちに対するポーズとしてではなく、本当に、他の誰でもないロレのために。
 ロレが、マリアを見て、感動しているのは、僕にもわかったから。
「………………」
「……変、かしら」
 マリアの言葉に、ロレはゆっくりと首を振り、言う。ぼそりと、ぶっきらぼうに、だけど心からの言葉で。
「きれいだよ」
 マリアの顔が赤くなる。恥ずかしそうにうつむくマリアに、ロレが腕を差し出す。
「――行こうぜ」
「……ええ」
 マリアが頷いてロレに手を預け、僕にも手を差し出したので僕も手を取って三人で歩き出した。
 ――苦しかった。たまらなく。
 最初からそうなることはわかっていたけれど―――ロレは、僕がどれだけ磨き上げても少しも反応しないけど、マリアだったら本当にきれいだと思えるんだ。
 僕じゃ駄目なんだ。
 ――そんなこと、最初からわかっていたけれど。

 僕とマリアは向かい合って、一礼した。ダンスのリードは予定通り僕たちが取ることになったからだ。
「お手柔らかに、姫」
「こちらこそ」
 マリアが僕の手を取って、ダンスが始まった。
 マリアは上手だった。ステップも正確、リズムもばっちり。今まで踊った女性の中では一、二を争うかもしれない。
 身長差がそんなにないからリードも楽だ。僕は踊るのが取り立てて好きとかいうわけではないけど、マリアとステップを刻むのはわりと楽しかった。
 マリアも楽しげに微笑んでいた――どちらも一番踊りたいのはこの相手じゃないのに。
「ごめんねマリア、最初の相手が僕で」
「それはこちらの台詞だわ。あなただってロレイスと踊りたかったでしょうに」
 マリアの体を支えつつ言うと、マリアも笑ってそう返してきた。僕は少し照れくさくなりながらもマリアと一緒に体を回転させる。
「城の舞踏会じゃロレと踊れっこないからね。マリアは踊るんでしょう、ロレと?」
「……わからないわ。私のことをわざわざロレイスが誘ってくるなんてとても思えないもの」
「自分から申しこんじゃえば?」
「無理よそんなの。舞踏会でのダンスは男性から申しこむものでしょう。女性は精一杯着飾って、誘ってくれるのを待つしかできない……」
「そんなにこだわることないと思うけどな。相手はロレなんだし」
 僕はマリアにはもっと積極的になってほしいと考えていた。ロレは自分からなんてなかなか言えないだろうから、マリアの方から攻めていってくれた方が二人はうまくいくんじゃないかなって。
 ロレが、幸せになってくれるんじゃないかなって。
「そ……そう言うなら、あなただって言えばいいじゃない」
「え?」
「踊るように、ロレイスに言えば? ロレイスだってあなたのことを大切に思っているんだし……」
 僕は思わず笑ってしまった。
「もしかして、まだロレが僕のことを好きなんじゃないかって疑ってるの?」
「そ、そういうわけじゃないけれど……」
 少し口ごもって、それから顔を赤くしてマリアは言う。
「……だってあなたたち仲がいいんですもの。私にはとても入っていけないくらい。私よりサウマリルトの方がずっと大事なんじゃないかって思いたくもなるわ」
「……そんな風に見えるの? 僕はいつもロレとマリアが気の合った喧嘩っぷりを見せるのに嫉妬してるんだけど」
「え……」
 マリアはきょとんとした顔をした。僕たちは二人、どちらからともなくくすくす笑い出す。
「よその芝生は青く見えるってことだね」
「馬鹿みたいね、私たち」
「恋をすると誰もが馬鹿になるんだそうだよ」
「まぁ……ふふ」
 笑い合いながら、でも僕はこっそり、『でもロレが僕よりもマリアを好きなのは間違いない事実だろうけどね』と思っていた。
 だって、ロレは、着飾ったマリアを見た時、確かに思わず見惚れていたのだから。

 サリアと踊っている途中――いろいろと話しかけてくるサリアの相手をしながら――ロレとマリアが躍っているのを見た。……やっぱり踊るんだな、あの二人。
 そのあともいろんな貴族の女性にダンスを申しこまれて、一応相手をした。こんなところで相手に恥をかかせても意味がない。
 ―――本当に踊りたい人とは踊れないって決まってるんだから、別に誰と何人踊ろうが同じことだし。
『―――サウマリルト』
 僕は一瞬、硬直した。この声。忘れもしない、忘れるわけがない。
『―――こちらだ』
 僕は周りの貴族女性の誘いをやんわりと断って、テラスに出た。どうして気づかなかったんだろう、人払いの結界が張られている。
 ――それだけ、彼の魔力が並外れているということか。
「――久しぶりだな。サウマリルト」
「お久しぶりですね。大神官ハーゴン」
 紛うことなく、トオーワの呪文で声をかけてきたのはハーゴンだった。以前と少しも変わらない青白く冷たく、けれどひどく整った顔。
「どうしたんですか? こんなところまで」
「……やはり、驚かぬのだな」
「いいえ、正直言うと少し驚いてます。わざわざ僕たちがいる時を狙ってくるとは思わなかったので」
 というか、城内には清浄の結界が張られているはずなのにまさか魔を統べる者がこうもあっさり入り込めるとは思っていなかった。
「サマルトリアには間者を放ってある。お前たちが来たことはすぐに知れた、報告を聞いて飛んできたのだ」
「そうですか……あなたはサマルトリアを攻めに来たんですか?」
 やろうと思えばたぶん彼一人でもサマルトリアは落とされるだろうな、と思いつつの僕の率直な問いに、ハーゴンは首を振った。
「いいや」
「なんでそうしようとしないのか聞いてもいいですか?」
「別に大した理由があるわけではない。ただ、今日はサウマリルト、お前と話をしにきたというだけのことだ」
「僕と話、ですか」
 僕は小首を傾げた。ハーゴンの話か。だいたい想像はつくけれど。
「サウマリルト。お前はなぜ親や妹と一緒にいるのだ?」
「そうすべきだと考えられているからです」
「そんな考えにお前は微塵も価値を認めていないのに?」
「他に守るべき信条もありませんから」
「今はお前にはそれ以上のものができたのだろう?」
「…………」
 確かに。
「もとより捨ててもいっこうにかまわないものだったのだろう? 優先事項ができたのならなおさらだ。いっそ滅ぼして、殺して、消してしまいたくはないのか? 家族も、臣民も、鬱陶しく自分につきまとう全てを」
「……………」
 そう思わなかったわけじゃない。父上や母上やサリアと一緒にいるのがたまらなく苦しくて、鬱陶しくて、全てを消してしまいたくなったことは一度や二度じゃない。
 だけど。
「――優先事項があるからです」
「というと?」
「ロレがいるから、好きな人がいるから。その人に恥じるような、その人の意に沿わないようなことはしたくないと思うんです。それに、僕が家族を消してしまったら、ロレは――」
 あの誰よりも優しい人は、きっと。
「きっとすごく怒って、傷ついて、苦しむと思いますから」
「…………」
 ハーゴンは、少し黙って天を仰いだ。空には星が輝き、月がときおり雲に隠れながら冷たく柔らかい光を僕たちに向け降り注がせている。
「――そうしてずっと死ぬまで人間のふりをしていこう、と?」
「はい、そのつもりです」
「誰もお前のまことの心など理解はしてくれぬのだぞ?」
「僕は別に誰かに理解してもらおうなんて大それた望みは抱いてないですから」
「――大それた、か」
 ハーゴンは嘆息し、僕の方に向き直る。その顔は、おそろしく、切なさすら感じさせるほどに静かだった。
「大それているのか、私の望みは」
「僕にとっては」
「誰かに理解してもらいたいというのは、自分を他人に理解してもらいたいというのは、そんなに大それた望みか?」
「誰かを理解しようなんて酔狂な望みを抱くのは、その人のことをちゃんと見ようとしてくれる、ちゃんと愛そうとしてくれる者だけです。僕たちのような人間のクズに、そんな存在ができるわけないでしょう?」
「―――そうだな」
 ハーゴンは再び嘆息した。僕の方に一歩近づく。
「我らはすでに人でなし。人の側から見れば畜生にも劣る存在。消えたところで誰にも見向きもされぬ歪んだ泡―――」
 一歩。また一歩。ハーゴンは僕のところに近づいてくる。
「けれど、サウマリルトよ―――そなたは本当にそれでよいのか? 誰にも理解されず、誰にも見向きもされず、ただ死んでいくだけで、それでよいのか?」
「――かまいません。僕は僕の好きな人を幸せにできれば、それで充分以上に幸せです」
「サウマリルト………」
 ハーゴンが僕の前に立ち、すっと手を頬に伸ばした。その長く冷たい爪で、そっと僕の頬を撫でる。表情は変わらず静かなまま、けれど責め苦に耐えているようにわずかに指を震わせて。
「お前は、本当に………」
「―――ハーゴン、あなたは、寂しいんですか?」
 ハーゴンの動きが止まった。僕の言っていることが呑みこめないとでもいうかのように、わずかに首を傾げる。
「寂しい?」
「誰か理解してくれる人がほしくて、でも誰も理解してくれる人がいなくて、寂しいんじゃないですか?」
「寂しい……」
 ハーゴンは、僕を見た。死人のような冷たい顔は変わらぬままに、どこか呆けたように。
「そうか………私は、寂しかったのか………」
「…………」
「サウマリルト………お前は、私を理解しようとしてくれるのか?」
 予想通りの問いに、僕は肩をすくめた。
「さぁ。僕はただ思ったことを言っただけですから。―――でも、誰かに理解してほしいというのなら、世界を滅ぼすという思考はそぐいませんよ。世界が滅べばあなたを理解してくれる人もいなくなってしまうんですから」
「―――そうか。だが――それでも私は世界を滅ぼしたい。世界が、もう必要ないこの鬱陶しい世界が、消える瞬間をこの目で見たい――その考えは変わらない」
「誰かに理解してほしいと願っているのに?」
「ああ――せっかくこの世に生まれてきたというのに、誰にも理解されずただ消えるというのは、それは少し寂しいが、このまま存在し続けなければならないくらいなら寂しくてもかまわない、世界と共に消滅したい。完膚なきまでに……」
 僕はふぅ、とため息をついた。ハーゴンには、きっとそれが果てしなく迷惑な行為だということも、その行為のせいで何百万何千万という人々が寂しさすら感じられなくなるということもわかっているのだろう。
 わかっているけれど、それは彼にとっては意味がないことなのだ。僕にとって父上母上サリアのよこす愛が意味がないのと同じように。
「サウマリルト。――次はローレシアだ」
「え?」
「私が次に潰すのはローレシアだ。そして最後がサマルトリアだ」
「…………」
「ロトの血族のことは警戒している。だからこそ多い順番に潰していく。――だが、お前が望むのならサマルトリアを先にするぞ」
「…………」
「先に鬱陶しいものを消してほしいと思うならば、私はサマルトリアを滅ぼすぞ。――たとえ理由がローレシアの王子の家を守るためだったとしても」
 僕のすぐ前に立って、ハーゴンはそう告げる。僕は――意外にもかなり動揺していた。
 僕が望めば、サマルトリアは消え去る。それもロレの家を守るためという大義名分つきで。
 父上も、母上も、サリアも。二度と僕にまとわりつけなくなる。愛情を注げなくなる。
 その誘惑に――
 なんと、答える?
「サマ」
 僕は一瞬飛び上がりそうなほど驚いて、声のした方を振り向いた。
「………ロレ」
 なんでこんなところにいるんだろう? 人払いの結界が張られてるのに。
 ああ、ロトの盾の力か。ロトの盾は結界を破る力があると聞いたことがある。ロレはロトの盾を継承したから……
 僕は、笑顔を作ってロレに話しかけた。
「どうしたの? まだ舞踏会は盛り上がっているでしょう?」
「お前と話がしたかったんだよ」
 ………ロレ。
 ロレはどうしてこういう風に、僕が揺らいでいる時にやってきてくれるんだろう。
 僕を一番揺り動かすのもロレだけど、どうしようもなく揺らいだ時に助けになってくれるのもロレだ。
 泣きそうになるのを必死に堪えて、僕はただ微笑んだ。
「……そちらは?」
 ああ、やっぱり聞くよね、この状況なら。
 言ったら騒ぎになるだろうとは思うけど、嘘をつくのも嫌だから正直に話す。
「落ち着いて聞いてね? ――こちらは大神官ハーゴン。僕たちの最終目的だよ」
「―――――!?」
 ロレは一瞬目を見張ってからハーゴンに飛びかかろうとした。僕は即座にロレの腕を抑える。
「ロレ。ここで戦うのは無理だよ」
「なんでだよ!?」
「武器も防具もない、戦う準備なんてなにひとつできてない。なによりすぐ後ろにはサマルトリアのなんにも知らない人たちがいるんだ、戦いになったら絶対あの人たちを巻き込むことになる」
「く………!」
 言いながら僕は少し後ろめたかった。僕がロレを止めたのは言った通りの事実ももちろんあるけど、僕と話をしにきただけのつもりだったろうハーゴンと、こんなところで戦いたくないという感情もたぶんに働いていたからだ。
「……高位魔族はそうほいほい人のいるところへ降りてこられなかったんじゃねぇのか」
「私は半ば人、半ば魔族という存在なのでな。別に準備せずとも人のいける場所ならばどこにでも行ける」
 ロレは苛立たしげな顔をして、僕の方を向く。
「そんで、このクソ野郎はなんでこんなとこにいやがんだよ」
 僕が答える前に、ハーゴンが言った。
「サウマリルトと話をしに来たのだ」
「うるせぇっ、お前には聞いてねぇ!」
「………………。ローレシアの王子、ロレイソムよ。お前にはわからぬのだろうな。お前の力では強さでは、救えぬ者がいるということなど、永遠に」
「なにを……」
「自信、誇り、自己に対する絶対の確信。それが我らを惹きつけ、同時に苦しめる。お前は理解しようとしない、ただ愛するだけだ。だから最後にはいらぬと言って放り出すことができる。ただ与えていただけだからという事実を理由に」
「な―――」
 僕は少し驚いていた。ハーゴンって、ロレを認めてるんだ。認めた上で殺そうとしてるんだ。
 なんでだろう。ロレのなにがハーゴンに殺意を覚えさせるんだろう?
 ロレは当然そんなことに少しも斟酌せず、きっとハーゴンを睨む。
「うるせぇ、利いた風なこと抜かしてんじゃねぇ。てめぇに俺のなにがわかるってんだ」
「わかる。私はお前に似た人間を、一人知っているからだ」
「は?」
 ……もしかして……そういう、ことか?
「サウマリルトよ」
 ハーゴンが僕の方を向く。僕もハーゴンに向き直った。
「なんですか」
「私はいつでもお前が私のところに来るのを待っている。私は――お前を理解したいと思っているのだから」
「…………」
 理解、か。
 そうだね、ハーゴン、君ならば僕を誰よりも深く理解できるだろう。
「また会おう」
 ハーゴンはルーラを唱え、姿を消した。あとには僕とロレだけが残る。
 僕はハーゴンの消えたあとを見つめていた。あの異端にして僕と同じ半人半魔を。
 たぶん、僕は彼の手を取れば今よりずっと楽になれるのだろう。世界とともにこの上なく安楽な気持ちで消滅することができるのだろう。
 それはわかっているけれど――僕は。
「―――サマ」
 ロレに声をかけられ、僕はロレの方を向いた。
「ロレ。どうしたの? なにか僕に用があったの?」
「あ、ああ……サリアがよ。なんかお前が声を上げて笑ってくれないとか、サリアの顔見て笑ってくれないとか気にしてたみたいだったからよ。お前もーちょいサリアに優しくしてやってくれって、言いに……」
「サリアそんなこと言ったの?」
 僕は苦笑して空を見上げた。ハーゴンが姿を消した方を。
 わずらわしい――けれど応えなくてはならないんだ。それが僕の義務なのだから。
 一瞬だけ、消えたハーゴンが少しうらやましくなった。
「参ったな……気づかれてたなんて。迂闊だったな。あとでフォローしておくよ。サリアを傷つけるのは、僕も本意じゃないからね」
 そう、本意ではない。僕はサリアを大切にしたいと思っている。
 ただでさえ愛を返せないのだから、これ以上よけいな苦しみを与えたくはない。
「………ああ―――」
 けれどたまらなく、苦しい。愛を与えられるのが苦しい。サリアの苦しみに心が少しも痛まないことが、サリアがそれでも僕を好きなことが苦しい。
 僕なんか、本当に、消えてしまえばいいのに。
「―――サマ!」
 僕はぐいっとロレに腕を引かれた。驚いて僕はロレの方を見る。
「どうしたの、ロレ?」
「………あのな―――」
 ロレは僕の肩を握り締めた。なにかちょっと黙って、それから言った。
「――踊らねぇか、サマ?」
「え………」
 踊る? ロレと、僕が?
「せっかくだしよ、誰もいねぇし。音楽もちょうど切り替わったとこみてぇだし。ここまでお膳立てされてて踊らねぇのももったいねぇかなって……お前がいやっつーんなら、別にいいけどよ……」
 一瞬頭の中が真っ白になって、それから猛烈な勢いで頭に血が上ってきた。どうしよう、どうしよう、どうしよう!?
「ほん……とうに、踊ってくれるの………?」
「嘘ついてどーすんだよ。おら、踊るのか踊らねぇのか」
 まだ真実だと信じられない。ロレと、僕が踊れるなんて!
 嬉しい……どうしよう、嬉しい。でもあんまり喜んだらロレがいやな思いをするかもしれない。
 だから僕は泣きそうになりながら、うなずいたら怒られるのではないかという思いに怯えながら、おそるおそるうなずいたのだった。

「――女役はしねぇぞ、俺は」
「うん………」
 ロレが男役、僕が女役でダンスは始まった。1、2、3。1、2、3。ワルツのリズムで僕たちはステップを刻む。
 ロレはすごく上手だった。僕の体を支える腕も、僕の手を握る大きな掌も、ぴたりと吸い付くように僕の体をしっかり固定する。1、2、3。1、2、3。
 その幸福。愛する人が自分を見ていて、自分を抱きしめてくれる、その奇跡。
「まるで夢見てるみたいだ……ロレと、本当に踊れるなんて………」
「そーかよ」
 言葉はぶっきらぼうだけど、手はあくまで優しく僕を回転させる。1、2、3。
 ああ―――このまま時間が止まってくれたら!
「あんな顔、もう二度とすんじゃねぇぞ」
「え?」
 ふいの言葉に僕が目をぱちくりさせると、ロレは笑った。
「なんでもねぇよ」
 あ……ロレが、笑った!
 少しでも、僕が、ロレを、いい気持ちにさせることができたんだろうか。だったら嬉しい。すごく嬉しい。
 ロレ、ロレ、ロレロレロレ。際限なく湧き出てくる想い、幸福な感情。
 好きな人がそばにいてくれる、自分を見てくれている、そのたまらない幸福に、僕はひたすらに、貪欲に、執拗なほどに酔いしれた。
 ――そんな幸福など長くは続かないと、わかっていたから。

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