ローレシア城は敵襲の知らせに騒然としたが、もともと戦時警戒態勢だったこともあって住民の避難誘導は滞りなくすんだ。 城下町の人間を全員城内の地下の避難所に導き、周囲の村々に人を派遣して避難させる。幸いその程度のことができる程度には、魔物の軍勢との間には距離があった。 魔物たちの出現したのはローレシア城の南方、三十里程。鷹の目使いが偶然発見したらしい。 突然現れどんどん数を増やしていった魔物たちは、ゆっくりとこちらに向けて近づいてきている。幸いそちらには街や村は少なかったので避難は可能だったらしい。 そういう状況下で、作戦会議は始まった。 「――打って出るべきだ! ローレシア陸軍は世界最強。いかに相手が魔物たちの大軍であろうと負けはせん!」 「馬鹿な! あの魔法大国ムーンブルクが滅ぼされたのだぞ。篭城して守戦に専念せねば勝ち目はない!」 「援軍を頼むべきだ! サマルトリアに使者を飛ばし、挟撃して……」 「愚策! 時間が足りるわけがなかろうが!」 ぎゃあぎゃあとわめきまくる将軍どもを眺め回して、俺はうんざりしたため息をついた。そりゃ大軍は初めてとはいえ、魔物との実戦は何度も繰り返してるこったろーに。なーにをいまさらおたついてんだか。 ちなみにサマとマリアは作戦会議には参加していない。なんでも呪文を強化する呪法を使うとかで、親父に許可を得て城の魔術師たちと一緒に働いてる。会議の結果あとで教えてね、とか言ってやがったが、あいつら……俺につまんねぇ仕事押し付けやがったな? 将軍どもの議論は一向に進まない。いいかげん飽きてきた俺は、ゆらりと立ち上がり―― 「座れ。ロレイソム王子」 「親父……」 「公的な場所では陛下と呼べ、たわけ」 「んなこと言ってる場合じゃねぇだろーが。俺らはこれから魔物の大軍と戦わなけりゃならねぇんだぞ。とっとと方針決めて、実作業に入らなきゃならねぇだろうがよ」 「だからこそ議論しているのだろうが。座れ」 「進まねぇ議論なんざ議論たぁ呼ばねぇんだよ! 意地の張り合いにつきあってる暇はねぇんだ、俺らがとっとと強権発動するのが一番早ぇだろうがよ!」 「物事には時機というものがあるのだ! 将軍たちは少しでも勲功を上げるべく自らの作戦を押し通そうとする、それに横槍を入れてはのちの主従関係に支障をきたす」 「ふん……政治ってやつか」 「お前も将来携わらねばならぬことだ。座れ。そしてわしのやり方を見ておくのだ」 俺はふん、と鼻で笑った。 「それはあんたの流儀だ。俺はあんたのやり方をいちいち真似するつもりはねぇよ」 「なんだと?」 「国民が生きるの死ぬのって状況にいる時に、手柄のことを考えてるような奴らの言い分を聞いてやるような義理は、俺にゃあねぇんだよ」 そう言うと俺はつかつかと将軍どもの前に歩み寄った。将軍どもは俺に気づきもせずがなりあいを続けている。 俺は腰から光の剣を抜くと、ダン! と将軍どもの目の前のテーブルに突き立てた。ひ、と声を上げて静まり返る将軍どもを、ぎろりと睨みまわして低い声で言う。 「お前ら、民を守るために命を懸ける気はあるか?」 『………………』 「あるのか?」 ぎろりと全員をもう一度睨みまわすと、将軍どもはひきつった顔でこくこくとうなずく。 「じゃあ言え。民を守るために、魔物どもに勝つために、もっとも有効だと考えられる策を、だ」 殺気をこめて一人一人睨みつけてやると、将軍どもはなぜか震え上がりそれから先は思った以上に速やかに話が進んだ。案外ちょろかったな、ちっと拍子抜けだ。つーか将軍がこの程度でびびるよーな腰抜けばっかだったとは……親父、人事に手ぇ抜きやがったな。 結局魔物の大軍相手と正面からぶつかるのは無謀だってことで篭城しつつ呪文や飛び道具で戦いつつ門や外壁に兵を配置することになった。ま、妥当だな。 ただ、親父がハーゴンは街の中に魔物を召喚する可能性がある、ということで兵を二割ほど城や街を巡回させることも決まった。確かにマリアは突然街ん中に魔物が現れたっつってたもんな。マジでんなことできるもんなのかわかんねぇけど。 「我がローレシアを守るために! いざゆくがよい、我が将軍たちよ!」 親父がそう言ってマントを翻し、将軍どもは一礼して去っていった。俺は肩をすくめると、将軍どものあとを追う。 「待て、ロレイス」 「んだよ」 振り向いてぎろりと睨む俺に、親父は眉をひそめて言ってくる。 「どこへ行く気だ。お前はここからわしと一緒に指揮を取るのだぞ」 「あぁ?」 俺は思いきり顔をしかめて親父を睨み上げた。なに言ってやがんだこのボケ親父。 「なんでだよ」 「わかっておらんのか、たわけ。これは戦だ。わしが死んだのち、同じような戦が何度あるか知れぬ」 「……だから?」 「わしのやり方を間近で見て学んでおくのだ。わしが死んでも間違いなく王としての責をまっとうできるように」 そう言う親父の顔は真剣だ。が―― だからって承服できねぇことに従う義理はねぇ。 「言っただろうが。俺はあんたのやり方をいちいち真似するつもりはねぇ」 「ロレイス! 意地を張っておる場合か。真面目な話なのだぞ」 「俺も真面目な話をしてんだよ、親父」 ぎっと親父を睨みつける。親父も俺を睨み返した。 「王だろうがなんだろうが、戦う時はいつも一番前で一番多く血を流すのが俺の流儀だ。後ろの方であーだこーだ作戦こねくり回すのは趣味じゃねーんだよ」 「馬鹿者! それは戦を知らぬ愚か者の言葉だ。お前は王となる人間だ、国の頭となるのだぞ。手足が潰れても戦うことはできるが頭が死んではどうにもならん。お前には最後まで生き延び、指揮を取る義務があるのだ!」 俺はふん、と鼻を鳴らした。親父の言うことは軍人としては正しいんだろう。たぶん、間違いなく。 けど俺は、そういう王子だから、王になるからって理由で自分のしたいことができねぇのは、でぇっ嫌ぇなんだよ。 「俺はもともと作戦を立てるのにゃあ向いてねぇ。指揮を取るのは他の誰が向いてる奴がやりゃあいいさ」 「お前は……っ、まだわかっておらんのか! 王たる人間が軽々しく動いては士気にどれだけ影響があるかわからんか! 王は旗頭だ、民が崇める象徴なのだぞ。それがいつ死ぬかもしれぬ前線に出てなんとする!」 「王だから、だ」 俺は親父を闘気をこめて睨みつけた。この親父は、俺は嫌いじゃねぇ。父親としてはどうかと思うが、嫌な男じゃねぇと思ってる。正直にんなこと言ってやる気なんか毛ほどもねぇけど。 ただ、俺が俺をやってくためには、戦わなきゃならねぇ敵なのも、確かなんだ。 「王だからこそ俺は最前線で戦う。国民の誰よりも一番血を流し、手を汚す。自分で自分を軽蔑しなけりゃならねぇような真似は死んでもしねぇ。それが俺の流儀だ」 「な……」 「俺は死なねぇよ。この国で一番魔物と戦ってきたのは俺だ、引き際も攻め時も知ってる。第一この国で一番強い男が後ろの方で縮こまってちゃあ戦力の無駄だろ?」 「なにを言っておるのだ、戦知らずの若造が……」 「あんたに言われたくねぇっての。あんただって実際に戦したこたねぇだろ。ローレシアは建国以来一回も実戦経験してねぇんだから」 「だ……黙れ!」 親父のうろたえた怒鳴り声にうし俺の勝ち、とほくそえみながら、俺は部屋を出て行った。 街の外壁まで出てきた俺は、サマとマリアが見張り台の上で連れていった魔術師連中と話をしているのを見つけ近寄った。 「サマ、マリア、呪法のほうはどうなった?」 「あ、ロレ。うん、無事に終わったよ」 「正直お二人の魔法陣を描く早さがあまりに早く、私たちは足手まといになってしまったのですが」 ひきつった笑いを浮かべる魔術師連中に、マリアは微笑んだ。 「私たちだけでは手が足りませんでしたから。本当に助かりました」 その言葉に顔を赤くする魔術師たち。まぁ、マリアみてぇな顔した女に言われりゃ赤くもなるわな、うぶな奴らなら。 「ロレ、見て」 サマが俺に遠眼鏡を渡してきたので、俺はそれを目に当てて南方を見た。 「…………ヒュー」 俺は口笛を吹いた。それくらいしか反応のしようがねぇ。 魔物の軍勢ははっきり言って半端じゃなかった。地を埋め尽くすほどの大軍勢ってのをこの目で見たのは初めてだ。相手は人じゃねぇが。 魔物どもの走る土煙がほとんど津波みてぇに噴き上がっていた。音はさすがに遠すぎて聞こえないが、馬鹿でかい魔物どもがうじゃうじゃ――遠眼鏡で見えるだけでも数千こっちに迫ってくるのはわかった。総勢はおそらくその十倍以上。ほとんど感覚としては『山が動いてる』みてぇなもんだ。 「これだけいると怯えるのも阿呆らしくなるな。一国の存亡を賭けた大戦ってか? まさかてめぇが味わうことになるたぁ思ってなかったけどな」 鼻で笑いながら、俺は頭の中でどうやって戦うかを大急ぎで再検討していた。兵士の報告じゃ具体的な数までは報告されてなかったからな。やっぱ後方にいたんじゃ戦の正確なところはわかんねぇってことか。 ローレシアの全軍は集められる限りかき集めて三万五千。それも新兵やら民兵やら合わせての数だから、質量共に向こうが上だ。 真っ向からやりあっちゃ勝ち目はねぇ……か。だが単なる防衛戦でもあの数じゃ城壁を乗り越えられてあっさり負けだ。 俺はちろりと城壁に集まってる兵隊どもを眺め回した。どいつも魔物のあまりの数に圧倒されちまってる。パニック起こさないだけ上出来か。 なんとか根性のある奴ら集めて、囮部隊を作って。魔物どもの進路少しでも逸らして挟撃するか。けどそうなると囮部隊の生存率は零に近くなるな……俺一人でどこまで魔物どもを引っ掻き回せるか。魔物どもが俺らロトの勇者を狙うよう指示されてたらいいんだが……。 ま、やってみるしかねぇか。そう決めて口を開いた俺を、サマがぐいっと引っ張った。 「……んだよ」 「ロレがなにを言おうとしてるのかはだいたいわかるけど、それはちょっと待って」 「あぁ?」 待ってどうすんだ、待てば待つだけ対応が遅れるじゃねぇか。 そう言いかけた俺に、サマは肩をすくめて微笑む。 「たぶん、マリアが戦局を変えてくれると思うからさ」 朝の光の中、魔法陣の中心でマリアが呪文を唱えるのにわずかに遅れて、サマがまた違った呪文を唱え始める。その二つの呪文はまるで違うのに、なぜか対になっているように調和して聞こえた。 俺ら――俺やら魔術師どもやら城壁の防衛隊やらが見守る中で二人が唱える呪文は、普段使ってる呪文よりも格段に長かった。サマもマリアも一心に、ひたすらに精神を集中して呪文を唱えている。俺には魔力を感じとる能力はこれっぽっちもねぇが、強力な力が渦巻いているのは感じられた。 ふと、近くの魔術師を見るとどいつも顔面蒼白になってたんで訊ねてみた。 「おい、お前らなに血の気引かせてんだ」 魔術師どもはいっせいに、恐怖すら感じていそうな顔で俺を見て震える声で言う。 「なんという魔力……呪力も魔力も技術も、全てがあまりに桁違いでいらっしゃいます。ロトの血族の魔力とは、ここまで凄まじいものなのかと……」 「………ほー」 俺はなんとなく口の端を吊り上げた。あいつらが強いのは知ってたが、他人にはっきりそう感心されるのは悪い気分じゃない。 俺らが注視する中、二人の呪文の声はますます高くなり、合わさり重なり合ってどんどん力強くなっていき―― 同時に叫ぶような声を上げた瞬間、轟音と共に魔物どもが一列吹っ飛んだ。 「………!?」 さすがにぎょっとして俺は魔物どもの方を見る。周りの奴らなんか当然仰天して声も出ねぇみてぇだ。 二人が声を合わせ、マリアが杖を振りかざすたびに、魔物どものところで魔物ども全体を包み込むほどの大爆発が起きて魔物どもが吹っ飛ぶ。というか消滅していく。前にも見たことのあるイオナズンっつー呪文なんだろうとは思ったが、それでもやっぱり大きさの桁が違った。 魔法を見てるみたいだった。いや実際に魔法なんだろうが。山ほどの魔物どもが、マリアの杖の一振りで最初っからいなかったみてぇに消えていく。 マリアが六回目の杖を振る頃には、地を埋め尽くすほどの魔物どもの軍勢が、もう跡形もなかった。 『……………………』 全員、呆然と魔物どものいた方向を見つめて身じろぎもしなかった。そりゃここで国ごと滅びるかもしれねぇって考えてたのが、いきなり敵が消えちまったんじゃ呆然ともするわなぁ。 俺も正直気が抜けていたが、まぁ敵がいなくなったんだしいいかってことにしてサマとマリアの方に歩み寄った。 「お疲れさん」 「ロレイス……」 「サンキュな、助かったぜ。さすがの俺でもあそこまでの軍勢相手にまともに戦える確信なかったからな。お前らはローレシアの恩人だ」 「いえ……」 カッと顔を赤らめるマリアにからかうような笑みを浮かべて言ってやる。 「まー実際ここまでお前らの呪文が常識外れだとは思わなかったぜ。あれなら今すぐロンダルキアに殴りこみかけても大丈夫なんじゃねぇか?」 「なにを言っているのよ。今回は充分に呪法を準備する時間があって、詠唱の時間もちゃんと取れたからあれだけ大規模に拡大することができただけで……」 「まだ終わってないよ」 サマの冷静な声に、俺は驚いてサマの方を向いた。 「どういうことだよ、サマ?」 「どういうもこういうも、ハーゴンがただ真正面から軍勢を差し向けるなんてぬるい手で終わるはずがないっていうだけのことだよ。ムーンブルクにだってイオナズン級の呪文が使える人間は何人もいたんだよ、真正面から戦ったなら同じ結果に終わってる」 「……つまり……」 サマは瞑目し、静かに言う。 「あれは単なる目をひきつけるだけの囮……たぶん今のうちにハーゴン本人が城内に侵入し、魔的結界を張ろうとしているはずだよ」 「な……!? おい、お前それわかっててなんで……」 「目の前の軍勢を放っておくわけにもいかないでしょ? 僕の援護はたぶん必要だろうと思ったし。できるだけの対策はしておいたよ」 「対策?」 「結界防御の呪法と召喚妨害の呪法をかけておいたの。少しの時間は稼げるはずよ」 「一応ローレシア王に内部の見回りを強化してもらうようには言っておいたけど、普通の兵士じゃハーゴンを見つけることはできないだろうね」 ……親父が見回り強化させたのはこいつらの入れ知恵か。 「だから、時間を稼いでいる間に元を断つ」 「……どうやって?」 「マリアとロレが二人でハーゴンを探すんだ。呪法を解除するためにはやっぱりそれなりに魔力が動く。それをマリアが感知してハーゴンの居場所を見つけ、ロレが倒すなり追い払うなりするんだよ」 「お前はどうすんだよ」 「僕はここで城壁を守る。僕がハーゴンなら外からの攻撃も一度で済ませたりしない、数軍に分けて波状攻撃を仕掛ける。囮の役割と同時にちょっとやそっとの抵抗じゃ無駄なくらいの攻撃を仕掛けてくるはずだよ。僕はそれを防ぐ」 「……お前一人でかよ」 「それが一番いいと思うんだ。ロレはハーゴンと戦う時には絶対に必要だし、マリアの精霊感応力は僕とは桁違いだし。こっちに回せる人材、僕しかいないでしょ?」 にこっと笑って、サマは言う。 俺ははーっと深いため息をついた。このヤロ、ハナっからそういう考えで動いてやがったな。 俺が兵員の確保やら避難誘導やら外部との連絡やらに走り回ってる間にそこまでお膳立てしてたのか。ありがてぇけど、ムカつく。 こいつ絶対、阿呆なこと考えてやがる。 俺は苛立ちのままに、サマの頭をぐいっと引き寄せた。 「おい」 「え?」 サマが驚いたように目を見開く。俺はその目を間近から、真正面から見つめながら言った。 「死ぬなよ」 「え……」 「どんな理由があろうと死ぬのは許さねぇ。自己犠牲でも、過失でも、不可抗力でもだ。絶対死ぬんじゃねぇ、死んだらいっぺんぶっ殺す」 「殺すって……」 俺はきょとんとした様子のサマを、ぎっと睨んで言う。 「俺のことが好きだってんならな、この程度のこと死なずにきっちり乗り越えてみせろ」 「……………」 サマは大きく目を見開いて、俺を見て、それからくすっと笑ってうなずいた。少し面白がってるみてぇな顔で。 「わかった。ロレも死なないでね」 「死ぬか。……よし、行くぞマリア」 「わかったわ」 「おいてめぇら! ここの現場の指揮権はこのサマルトリアの王子サウマリルトに預ける! 文句がある奴ぁ俺に言えよ!」 大声で怒鳴って、数秒待つ。呆気にとられたのか納得したのかは知らねぇが、とにかく全員動く様子がないのを見て取って俺はマリアを連れ歩き出した。 |