「マリア、ハーゴンのいそうな場所に心当たりあるか?」 「……一応この城の魔術師の方たちに当たってみたけれど、はかばかしい答えは得られなかったわ」 俺たちは足早に人のいない街並みを歩きながら言葉を交し合う。街の奴らはしっかり全員城に避難してるみてぇだ。 「その……結界か? を張るのに有利な場所ってのはどっかねぇのか」 「魔的結界を張るには当然魔化された領域の中がもっとも効率がいいわ。魔化領域の中でなくても生息できる下級魔族を放って小規模な魔的結界を張らせて、その中で大規模な結界を張るつもりだと思う」 「……つまり、どこっていう場所はねぇのか?」 「そうなるわね。城には清浄の結界が張られているから、そこ以外だと思うけど」 「城以外……で、街の中。向こうに動きがあったらわかんだよな?」 「……たぶん。全力で感知してみせるわ」 言葉を交わしながらも、俺はマリアの指先が震えているのに気がついていた。顔色も真っ青とは言わないまでもかなり悪い。 ……やっぱ、ハーゴンと会うことになるかもしれねぇってので緊張してんだろうな。自分から父親を、故郷を、全てを奪った仇。 気負いすぎは大怪我の元だが、もし俺がこいつの立場でも絶対似たような顔してたに違いねぇ。憎い仇が現れるのを期待すると同時に、うまくやれるか緊張しまくっているだろう。 だから、俺はなにも言わず、ただぽんと腰を叩いた。 「きゃ! な、なに?」 「……思ったより安産型だな」 「は!? な、なにを言ってるのよあなたは! 状況がわかっているの!?」 顔を真っ赤にして怒鳴るマリアに俺はにやりと笑ってやった。少しは力が抜けたみてぇだな。 「と、とにかく! 早く街の中央に行くわよ、動きがあったら街のどこにでもすぐ移動できるように!」 「そうだな……」 言いかけて、俺はふと城を見上げた。ローレシアの城は丘の頂上にあるんで、ここからだとちょうどその灰色の外壁が家々の間から垣間見える。 ………城。 俺ははっとした。もしかして。 「おい、マリア。先に城行くぞ」 「え?」 「もしかしたら、敵は城にいるかもしれねぇ」 「どういうこと? 城には清浄の結界が張られているのよ?」 小走りで俺について歩きながら俺に問うマリアに、俺も早足で歩きながら答える。 「清浄の結界ってのがどんなもんかは知らねぇが。ハーゴンは半分人だっつってやがった、城にだって入れるはずだ。別にそっからでも結界張れねぇわけじゃねぇんだろ?」 「……結界の二重張り? でもそれでは効果がぐっと落ちるわ。十全に効果を発揮させるにはまず清浄の結界を解除してからになるから、二重手間になる」 「けどできねぇわけじゃねぇんだろ。だったらあいつは――ハーゴンは絶対城に来る」 「……どうして?」 「俺を苦しめるためだ」 「え―――」 「あいつは――ハーゴンは俺を苦しめたがってる。つーか……試したがってる、のかな。うまい言葉思いつかねーけど……とにかくあいつは俺の家族やら友達やらを狙うはずだ。だからたぶん――あいつは城にいる」 あいつがなに考えてんのかなんてわかんねぇけど。あいつの、無表情な面の底に見える感情は。 俺を打ち負かしたい、っつってるみてぇに見えたんだ。 「……なんでそんなことがわかるの? 会ったわけでもないのに」 「へ、話してなかったっけか? 俺サマルトリアで一度ハーゴンに会ってんだよ」 「な……聞いていないわよそんなこと! どうして教えて――!」 「だーっ、わかった悪かった! だから今は急げ、頼むから!」 俺の言葉にマリアはとりあえず口をつぐんだ。だが納得したわけじゃねぇのは顔見りゃわかる。あー、こりゃあとで面倒なことになりそうだぜ。 兵士たちが通る通用口を開けてもらい城の中に入る。外の状況はどうなったのか聞かれたが、まだなんともなってねぇと答えておいた。まぁ間違いじゃねぇはずだ。 俺たちはとりあえず奥の倉庫に向かった。女子供はそこに隠してあるはずだ。 と、倉庫のとこでなんかぎゃんぎゃんやりあってる奴らがいる。なんなんだと思って近づき、思わずげっと顔を歪めた。 そこにいたのは俺の妹どもだったからだ。ラチェルにエイメにツィーリア、全員揃って倉庫の入り口を守ってる兵士とやりあってやがる。 「おい、お前らなにやってんだ?」 「ロレイス様!」 「殿下!」 「兄上様……」 反応する妹ども、あからさまにほっとする兵士たち。俺はまず兵士たちに聞いた。 「なにかあったのか?」 「殿下、実は……」 「ロレイス様、私も戦わせて! 私もうそこらの兵士には負けないくらい強いのよ!」 「殿下、あなたからもおっしゃってくださらない!? わたくしを誰だと思っているの、ローレシア第二姫エイメイナ・ゼド・ローレシアよ!」 「兄上様、すいません、私ただ庭の花に覆いをかけるのを忘れてしまったのでかけにいきたいと言っていただけなのですけど……」 「だーっやかましいっ、順番に言え順番に!」 しばしの言い合いののち(その間マリアは中にハーゴンがいるかどうか見てもらうことにした)、俺は全員の言い分を聞いてため息をついた。 「……つまり、ラチェルは自分も兵士と一緒に戦いたくて」 「当たり前でしょ! 国の一大事なんですもの、一人でも多くの兵士が必要だと思うわ!」 「エイメは自分が倉庫みてぇな狭いとこに押し込まれてるのが不満で」 「不満というのじゃありませんわ、おかしいと言っているんです! 姫を庶民と同じところに押し込めるなんて、国の威信に関わると思いますわ!」 「ツィーリアは庭の花に覆いをかけておきたいんだな?」 「はい……もうすぐ咲くと思うのです、兄上様とご一緒に咲くところを見るつもりでしたので……」 俺はもう一度ため息をついて、一人一人の顔をのぞきこんだ。 「ラチェル。お前の言いてぇことはわかる。兵士が必要なのは確かだしな」 「そうでしょ? 私魔物なんかには負けないわ!」 「けど、お前の今の腕じゃ戦場には出せねぇ」 「え……」 ガーン、とショックを受けた顔をするラチェル。 「魔物ってのは最弱のスライムだって新兵なんぞよりよっぽど強い。お前の今の腕は新兵より少し上ってとこだ、それじゃ今の戦況にはほとんど役に立たねぇ」 「で……でも! それでもいないよりいる方がずっと……!」 「違う。お前は女でしかもガキだ。そんな奴が戦場に出たら、たいていの兵士はお前が気になって普段通り戦えなくなる。どうしたってお前を庇おうとしちまうんだよ。見かけが弱い奴は、それを上回る腕を身につけねぇ限り誰かと一緒の戦場には出ちゃいけねぇんだよ」 俺もガキの頃、魔物との戦いん時そのことわかんねぇで兵士に怪我させちまったことがあるんだ。 泣きそうな顔になってうなだれるラチェルをとりあえずそのままにして、今度はエイメに話しかける。 「エイメ。お前国の威信に関わるから街の奴らと同じ倉庫には入りたくねぇっつったな?」 「ええ。庶民たちと同じ場所になんて、国外の人間が聞いたらどう思うとお思いかしら?」 「どうとでもなるさ、んなこたぁ。戦えねぇ人間は一箇所に集めた方が効率がいいのは確かなんだ。お前が街の奴らの不安を鎮めたりしてやりゃ、さすがローレシアの姫は違うってことで威信高まりまくりじゃねぇの?」 「う……」 真っ赤になって黙りこむエイメ。最後は一番厄介なツィーリアだ。 「……ツィーリア。聞くけどよ。お前にとってその花ってのは、そんなに大切なもんか?」 「え……私は、ただ……」 「他の人間の命を脅かしてもいいってぐらい、大切なもんか?」 「そんな………!」 ショックを受けた様子のツィーリアに、俺はできるだけ普通の口調で言う。 「今は戦闘中だ。お前を行かせるにしろ兵を行かせるにしろ、何人かの兵を裂くことになる。その分兵の本来の仕事は遅れる。命の危険が増える。それでも花に覆いをかけに行きたいか?」 「そんな……兄上様、私そんなつもりじゃ……」 泣きそうな顔になるツィーリア。俺は勘弁してくれよと思いつつも口調を変えず続けた。 「どうするんだ。それでも行くのか?」 「………ごめんなさい………ごめんなさい、私………」 だーっだから泣くなつってんだよこいつはもー……これだから女は………! 「……ツィーリア。エイメ。ラチェル。お前らの着てる服は誰の金でできてる?」 「え?」 「誰の金でできてるんだ?」 「えっと……お父様とお母様?」 「阿呆。その金は誰が出してんだ」 「あ……民草……」 「そうだ。俺らは街や国中の民に金もらって生きてんだ。そいつらだけじゃできねぇことをしてやる代わりにな」 三人の顔を眺め回して、きっぱり言ってやる。 「だったらこういう非常時にお前らがお前らにできることしねぇでどうすんだ。ラチェル、お前は戦場では邪魔でもこん中ではただ一人の戦士だ、みんなを守ってやれ。エイメ、国としての威信がどうこう言うんだったらローレシアの姫は立派だって言われるような行動とってみせろ。ツィーリア、しっかり自覚しろ。今は戦いやってんだ。お前らの命守るために戦ってる奴らがいること忘れんな」 「……はい」 「……わかりましたわ」 「ごめんなさい、兄上様、ごめんなさい……」 「――庭通ったら俺が覆いかけてやっから。いつまでも泣いてんじゃねぇぞ」 は、と俺の言葉にツィーリアは顔を上げ、涙を必死に堪えながらこくこくと何度もうなずいた。 「――ロレイス」 「マリア。どうだった」 「ここにはいなかったわ。隅々まで確認したから間違いない」 倉庫から出てきて耳打ちしてくるマリアにうなずいて、俺は最後に妹どもに言う。 「俺の言ったことがわかったら戻ってろ。――行くぞ、マリア」 「ええ」 俺とマリアは新しい場所に向かうべく歩き出した。 後宮、兵舎、ホール、会議室。どこを回ってもハーゴンらしき姿の影も見えねぇ。 「ロレイス……やっぱり城ではなかったのではないの? 間違いなく今まで見たところにはハーゴンはいなかったわよ?」 「…………」 心当たりの場所を行きつくして、俺は足を止めて考えていた。どこかないか、どこか。俺の見落としてる、ハーゴンなら狙うだろう場所。 「城の中の清浄の結界にはまったく乱れは感じられないもの。街に隠れているのだと思うわ。ハーゴンはどこに大量に魔物を放とうが城壁の中なら一緒だと考えていると思うし……」 「今なんつった!?」 俺に食いつくように言われ、マリアが一瞬びくりと震えた。 「清浄の結界には……」 「そのあとだ!」 「一緒だと考えていると思うし?」 「その前!」 「……どこに大量に魔物を放とうが……?」 「それだ!」 俺は脇目も振らず歩き出した。ちくしょう、馬鹿だった、なに考えてたんだ俺は! ハーゴンがムーンブルクを落とした時、ハーゴンはマリアやムーンブルク王と城で話しながら街中に魔物を召喚した。 つまり、ハーゴンはやろうと思えばある程度遠距離にも魔物を召喚できるってことだ。それならわざわざ見つかりやすい目的の場所の近くに向かう必要はどこにもねぇ! 城壁の外という可能性もあった。だが俺はやはり城の中だと読んだ。 あいつは俺を試してるんだ。いや挑んでんのかもしれねぇが、んなこたどっちだっていい。あいつは俺の盲点を突こうとするはずだ。 それを知った俺があとで「馬鹿だった!」と頭を叩くような場所。見つかりにくく、なおかつよくよく考えてみればわかるような場所。そして召喚やら結界張りやらがやりやすい場所。 俺にはそれらを全て満たした場所に心当たりがあった。 ――城の地下牢だ。 「……これは………!」 地下牢の一番奥の扉を開けたとたん、マリアが絶句した。俺も漂ってくる妖気に拳を握り締める。 「……当たりだな」 城の地下牢には昔から、絶対に近寄っちゃいけないときつく言われていた。そりゃ普通地下牢に遊びに行ってもいいよっつー奴は少ねぇだろうが。 俺も一度こっそり遊びに行ったことはあるんだが、なんか雰囲気が嫌な感じで気分悪かったんで大して探検もせず戻ってきたんだ。親父に聞いてみたら、親父も地下牢にはほとんど近寄ったことがないそうだ。地下牢の一番奥には親父の祖父の代から魔物を閉じ込めていると言われ、王族どころか牢番も近寄らないという。 ――つまり、本気で魔物がいるかどうかは別にしろ、人がまず近寄らない場所なわけだ。 「油断すんなよ」 「わかっているわ」 声をかけあい、警戒しつつ奥に進む。 ここは牢というより洞窟になってるみてぇだった。ぴちゃ、ぴちゃと水音が聞こえる。歩く道以外の場所は水か、こりゃ? 奥へ進むごとにどんどん妖気が強くなってくる。俺は何度か後ろをちらりと見て確認したが、マリアの顔色はどんどん悪くなってきていた。 「……いけるか?」 「大丈夫。一緒に行かせて」 「……ああ」 そんな必死な顔で見られて待ってろなんて言えるかよ、クソ。 歩くこと数分。行き止まりにたどりついた。周囲はかなり広い地底湖になっている。 その前の、ぐっと広くなった小島じみた湖岸でなにやら一心に祈っていた二人の男が、くるりとこちらを振り向いた。 一人は仮面を着けた魔族らしい男。もう一人は―― 「やっぱりここにいやがったんだな。――ハーゴン」 ハーゴンは立ち上がり、俺の方を向いた。 「思ったより早く来たな、ロレイソム王子」 俺は剣を抜いたが、すぐに切りかかりはしなかった。マリアが今にも破裂しそうな顔でハーゴンを睨んでいたからだ。 「………ハーゴン」 ぎゅっと思いきり杖を握り、絞り出すような声で言うマリア。 「ずっとお前に会いたかったわ……何度お前を殺す夢を見たことか」 「そうか。私は別段お前に会いたくはなかったのだが」 表情を変えずに言い放たれたハーゴンの言葉に、カッとマリアは大きく両目を見開いて叫ぶ。 「あなたがどう思っていようと――あなたには私の、私たちの憎しみを受ける責があるのよ!」 叫び終わるが早いかとんでもねぇ早さで呪文を唱え始める。あっという間に呪文が組みあがってハーゴンともう一体の魔族のいる場所に大爆発が湧き起こった。 俺はそれでも切りかからなかった。曲がりなりにも敵の親玉が、この程度でくたばるわけがねぇ。そして俺が敵の親玉なら―― しゅ! と凄まじい勢いで飛んできた杖を俺はロトの盾で受け止めた。やっぱマリアの気が抜けた隙を狙ってきやがったか! 攻撃を防がれた杖はすうっと一瞬後ろに下がったかと思うと、目にも止まらぬ速さで回転して俺の頭に一撃を加えた。頭が一瞬くらぁっとする。 ちくしょう防げなかったか、と舌打ちして杖を弾き飛ばす。杖は見えない手で操られてでもいるようにすうっと退いて、爆発の煙が引いた空間に平然とした顔で立っているハーゴンの手の中に戻った。 「読まれていたか」 「たりめーだ。……マリア、気ぃ抜いてんじゃねぇぞ。こっからが本番だぜ」 「え……ええ」 俺は呆然としていた様子のマリアが少しずつ正気づいてくるのを確認して、こっそり息をついた。とりあえず大丈夫っぽいな。 「ハーゴン……ここで決着つけてやるぜ。俺を殺したいんだろ? やってみろよ。俺はその前にお前を殺してやるけど……な!」 叫びつつ俺はハーゴンに斬りかかる。俺は当然本気でやっていた。ここで決着つけりゃ、ローレシアも、世界も救われる。 なんとしてもこの野郎はここで、ぶっ殺す! 「……ロレイソム王子、お前はなぜ私を殺そうとする?」 俺の剣を杖で受けながらハーゴンが訊ねる。こいつ、けっこういい腕してやがる。ディリィ級とまでは言わねぇが。 「世界を滅ぼそうとしてる奴がなに言ってやがる! ムーンブルクを滅ぼした返礼も終わってねぇしな!」 杖を斬り飛ばしてやるつもりで渾身の力をこめた一撃を叩きつける――だがハーゴンはそれを巧みに受け流した。防御に専念して俺の攻撃に耐える手か。 ……杖術は受けに回った時にこそ真価を発揮する戦闘術、ある程度の腕の奴がこの戦術を取ると俺でも真正面から倒すのは難しい、だが――― その程度の策も噛み破れねぇで、戦士なんてやってられるか! 「世界。ムーンブルク。そのために? 個人的な恨みではないのだな?」 「個人的な恨みさ。てめぇがムカつくからぶっ殺す。そんだけで充分なんだからな!」 俺の次から次へと放つ連撃をハーゴンは後ろに下がりながら受け流す。よし、もう少し――― 「そう言えてしまうのか――ならばやはり、私はお前を殺さなければならないな」 無表情なりにふぅ、とため息でもつきたそうな沈んだ顔に、俺は一瞬動きが遅れた。 なに言ってやがんだ、こいつ? 「――のんきにお喋りできる状況じゃ、ねぇだろっ!」 俺はさらに深く踏みこんで斬りこむ。ハーゴンはさらに後ろに下がって受け流し――そこで一瞬動きが止まった。 よっしゃ、狙い通り! 「食らいやがれぇっ!」 俺は渾身の突きをハーゴンの心臓めがけ放った。ハーゴンは身をよじって避けようとするが、遅い。 狙い過たず、俺の突きはハーゴンの左胸を深々と抉った。 一瞬やった、と思ったが、手応えのなさに俺は顔をしかめた。心臓を抉った感覚がない。こりゃ、たぶん―― 「私が障害物にぶつかって一瞬できた隙を狙っての突きか。大したものだ、動きを一瞬捉えられなかった」 「余裕だな。無駄口叩きやがってよ!」 剣でさらにぐりぐりと傷口を抉る。だがハーゴンは平静そのものの顔で言った。 「無駄だ。私の内臓はすでに機能していない。半ば魔族だと言ったはずだが?」 「そうか――よ!」 俺はぶんっと剣をハーゴンの身体ごと振り回し、地面に叩きつけた。地面に転がったハーゴンの喉元に、光の剣を突きつける。 「チェックメイトだぜ、ハーゴン。お前が少しでも妙な動きをすれば、俺は即行でこの剣を押し込む。喉が潰れりゃ呪文は唱えられねぇし、首と体をちょん切られりゃ一瞬の隙はできるだろ。その間に俺はお前の四肢をそっくり細切れにしてやる」 「………………」 ハーゴンは相も変らぬ無表情で俺を見上げた。その顔からは負けた悔しさも死の恐怖も、なんにも感じ取れねぇ。 いちいちムカつく奴だぜ、と内心舌打ちしつつ、一応聞いてみた。 「――なにか最後に言いたいことはあるか」 ハーゴンはいったん瞑目し、数秒経ってから口を開いた。 「マリア姫」 「!」 俺たちの戦いを後ろから見つめていたマリアが、びくんと震えた。どうやらずっと俺たちの戦いをひたすらに見つめていたらしく、杖を握る手は固く強張っていた。 一瞬大丈夫かと危惧したが、こいつはマリアの仇だ、マリアに相手させるのが一番いいと見守ることに決めた。 「……なに」 緊張した、虚ろな声だったが、それでもちゃんと返事をする。 「お前に聞きたい。お前は私を恨んでいるか?」 「………っ、あ、たりまえで、しょう。あなたが父様を殺した時のことを何度夢に見たと思っているの。殺しても飽き足りないぐらい――百度殺してもまだ足りないぐらい、私はあなたが憎いわ………」 震える声で言うマリア。俺もわかりきったことを聞くこいつの厚顔さに苛立った。こいつ、殺す前に腕の一本ぐらい持ってってやろうか。 「そうか。ではなぜ憎い?」 「……馬鹿にしているの!? あなたが父様を、ムーンブルクを、私の全てだった世界を滅ぼしたからよ! 決まっているでしょう!?」 悲鳴のようなマリアの声――だがハーゴンはあくまで冷静に問う。 「なぜ父と世界を滅ぼされたからという理由で、滅ぼした者を憎むのだ?」 「……え?」 マリアは呆気にとられた顔になった。俺もちっと呆気にとられていた。 父親と故郷を滅ぼされりゃ、そいつを憎むのは当然だろうが。なに言ってんだ、こいつ? 「私にはわからない。お前は父親からも、周囲からもずっと冷遇されていたのだろう? 憎み恨んだこともあっただろう。こんな世界壊れてしまえばいいと思ったこともあったのではないか?」 「そ、れは………」 「だというのになぜ滅ぼされた時にそれが理由で相手を憎める? 相手は自分を解放してくれたというのに? 全てのしがらみから自由にしてくれたというのに? それが私にはわからない」 「てめぇ―――」 俺はぐい、と剣をハーゴンの喉にわずかに埋め込んだ。ハーゴンは少なくとも表面上はなんの動揺もなく俺とマリアを等分に見つめている。 俺は困惑していた。なんでこいつはこんなことを言い出すんだ? 俺らを混乱させるためってのは理由としちゃお粗末すぎだし、動揺が微塵も見られないのもおかしい。けどじゃあそれ以外になにが? こいつにとってそんなに大事なことなのか? マリアは混乱した顔をしていた。パニくってるとまではいかないまでも、なんで自分がこんな状況に置かれてるのかわからないって顔をしてやがる。 だがそれでも、頭を整理しようとするように小刻みに振りながら答えた。 「だって――父様なのよ? それに、父様は私に今まで悪かった、すまないと詫びてくださったのよ? それは、確かに私の周囲は私にとって優しい人ばかりではなかったけれども――私に親切にしてくれる人もいたわ、ばあやや女官や衛兵の人や――そういう人たちがいたから私は生きてこれたのよ。それを壊したあなたを、私は許さない」 最後の方は自分を取り戻してきたようで、蘇ってきたんだろう怒りを視線にこめてぎっとハーゴンを睨むマリアに、ハーゴンはふぅ、とため息をついた。 「そういうことか。私の見込み違いだったようだ」 「……なんだと?」 「私にはわからない。父親だからという理由で愛せる感情も、ただ一度謝ったというだけで今までの行為を全て帳消しにしようとする人間を受け入れる心も。自分を窮状から救ってくれたわけでもない気まぐれな優しさを与えただけの人間を、そこまで慕う気持ちもだ」 「てめぇにわかってくれなんて誰が頼んだよ」 俺はもう少しだけ剣をこいつの喉に沈ませる。てめぇにゃわかんなくてもな、人間ならその程度のことはきっちりわかんだよ。 ハーゴンは冷静な無表情を崩さず、うなずいた。 「そうだろうな。私にはわからない。だが、同様にお前たちにも私の感情はわからない。私が世界を滅ぼしたいと思う気持ちも、そこに至るまでに感じたものも、なにもかも」 「んだと―――」 「私を理解できるのはおそらくはこの世にただ一人、サウマリルトだけだ」 「――――」 俺は思わず一瞬固まっていた。 サマ? なに言ってんだこいつ、なんでサマが出てくるんだ? サマはこんな奴とは違う、世界を滅ぼそうとしたりも人を殺したりもしねぇ。当たり前だそんなこと。当然、本当にそう思ってる、なのに。 なんでだ? なんで俺はどっかで納得してるんだ? サマとこいつが似てるって、あのサマの空虚な表情とこいつの無表情がそっくりだって、どうしていまさらのように気づいてるんだ? 「――ならばマリア姫、私はお前の感情を拒絶する」 一瞬の動揺。その間にハーゴンの姿は俺の下から消えていた。 はっとして気配を探り、一丈ほど先に姿を現したのを感知してそっちに一歩踏み出し剣を振り上げる――だが、その眼前に突然人影が飛び込んできて俺の剣を受けた。 「! こいつは―――」 そいつは骸骨だった。紫色の胴鎧と兜をつけ、同色の剣と盾を持った。 「それは私が手塩にかけて作ったアンデッド。『ハーゴンの騎士』と名付けたモンスターだ。たとえお前でも油断できる相手ではない」 ハーゴンが言い終わるより早くそいつは斬りかかってくる。その尋常じゃなく鋭い、しかもひとつ瞬きをする間に二度翻った斬撃を俺は辛うじて盾で止めた。 ――こいつ、強ぇ。力の強さと斬撃の鋭さが尋常じゃねぇ。 おまけに通常の人間にはありえねぇ速さで動きやがる。……厄介なもんを呼び出しやがったぜ。 激しく斬りあう俺とそいつを尻目に、ハーゴンはなにやら呪文を唱え始める。やべぇ、と思った俺はマリアに叫ぶ。 「マリア! あいつの詠唱を封じてくれ、なにやってもいいから!」 「――わかったわ!」 マリアが素早く呪文を唱え始める。この詠唱はイオナズンか。あいつが呪文を唱える前に倒そうってわけか……悪くはねぇが、それで倒せる保証はどこにもねぇ。 なんとかしなきゃなんねぇ――そのためにはこいつが邪魔だ! 「ハ!」 俺は斬りこんできたハーゴンの騎士――長ぇから騎士でいいや、の剣を紙一重でかわし、さらに一歩踏み込んだ。右手は体の後方に、盾は体の左横に。 剣をかわされた騎士は当然剣を翻して俺の首を刎ねようとする――が、俺はそれより早く騎士の懐に飛び込んでいた。 そうすれば攻撃の威力は半減、鎧で受けりゃ傷も少ねぇ。攻撃は当たるに任せて、俺は体を思いきり捻った。 「でりゃあっ!」 体がぐるりんと思いきり回転する。その片方の端には光の剣だ。剣の軌道は容赦なく、騎士が三度目の攻撃をするより早く騎士の体を打ち砕く。 「っしゃぁっ!」 あとはハーゴンだけだ! と走り出した時、ふと頭の中をある言葉がよぎった。 最初にハーゴンと一緒にいるのを見た、あの魔族はどうなった? 「――間に合ったようだな」 俺が思考を走らせるのと、ハーゴンがうなずいて詠唱をやめたのは同時だった。 「―――!」 さっきまでよりさらに勢いを増した瘴気。同時に俺たちとハーゴンの間には何体もの魔物が何の前触れもなく現れる。 「嘘! 召喚妨害にせよ結界防御にせよ、呪法を解除したなら魔力が動くはず! そんなもの少しも感じられなかったわ!」 「お前たちも人にしては呪術に長けているようだが、魔族の魔力と合致した呪法は人の常識を超える。悪魔神官ほどの高位の魔族が全力で魔力の動きを隠そうとすれば、人にはそれを見つけることができない」 「―――ちっ………」 俺は目の前の魔物どもを斬り倒しにかかった。見たこともねぇ魔物どもが多い――灰色の鎧みてぇな四足の魔物だの炎の塊みてぇな魔物だの。攻撃のテンポが読みきれず、数度攻撃を食らう。 「では……まさか、私たちが来た時にはすでに解除が……?」 「終わっていた。あとは魔的結界を張って魔化領域を展開すればよかった……ここに囚われていた悪魔神官は長くローレシアにいただけあって清浄の結界の質も知っている。何度も破壊する構想を立てていたそうだからな……私のやることは大規模召喚術の門を開くことだけでよかった」 「じゃあ―――まさか!」 「ああ。今頃はローレシアの城中を、ロンダルキア洞窟に住まう魔物たちがうろつきまわっていることだろう……ロンダルキア本土の魔物たちを呼べるほどの魔的結界は張れなかったが、それでも一体で一軍を相手取ることができるだけの強さはあるぞ」 「――――!」 俺はぐうっと思いきり拳を握り締めた。馬鹿野郎、動揺してる場合じゃねぇだろ! 今俺のしたいことはなんだ? こいつをぶちのめすことだ。 そのためにはなにをすればいい? 目の前の奴らを全員ぶっ倒せばいい。 結論は出てる、ならあとは簡単だ。体が勝手に動いて敵を倒してくれる! 「ハーゴンッ!!」 全ての魔物を斬り倒し、俺はハーゴンに肉薄した。ハーゴンは短距離転移を繰り返して俺から逃げる。 俺はそれを上回る速度であとを追った。逃がしてたまるか、ちくしょうが。 「ロレイソム王子―――」 ハーゴンはふわ、と宙に浮き上がった。俺は剣を投げるべく右腕を思いきり引く。 「守ろうとしていたものに裏切られた時お前がどうするか、楽しみに見せてもらうぞ」 俺は思いきり光の剣をぶん投げる――その一瞬後にハーゴンは消えた。 あとに残されたのは、俺と、マリアと、消え行こうとしている魔物の死体だけだった。 |