「消えろっ!」 俺は炎の塊――フレイムっつーんだそうだ――を一刀の元に斬り捨てた。最初は戸惑ったが、何度か戦ってるうちにこの手の敵の核を見分ける方法ってのがつかめてきたんだ。 「ロ、ロレイソム、殿下………」 震える顔と声で俺を見上げる襲われていた兵士に、俺は活を入れる。 「座り込んでる暇ぁねぇぞ! 兵士は全員謁見の間に集合だ! 魔物がいねぇうちにとっとと走れ!」 「は、はいっ!」 慌てて跳ね起き走り出す兵士を見送る暇もなく、俺は走った。一匹でも多くの魔物を倒さなけりゃならねぇ。湧いて出てきた魔物どもに、対抗できる戦士は実質俺一人なんだから。 マリアがそのあとをついてくる。俺は城の中の魔物を呪文で全部吹っ飛ばすわけにはいかねぇのかって聞いたんだが、マリアは真っ青な顔をして呪文をかけるには相手をしっかりと認識しなくてはならず、視界の通らない場所にかけるには透視術も併用せねばならないため制御が甘くなる、巻き添えを出してしまうかもしれないと言う。地道に一匹一匹殺していくしかなかった。 「これでこっちの魔物は全部殺ったな!?」 「……ええ。近くにはもう魔物はいない」 「よっしゃ、謁見の間に戻るぞ!」 俺は走り出す。謁見の間に兵を集めろというのは親父の命令らしかったが、確かにこうも城中に魔物――それも兵士じゃ歯の立たねぇような魔物がいるんじゃいったん全軍を集めなけりゃどうにもならねぇ。 場合によっちゃ城壁から兵を呼び戻すことも考えなけりゃ。街の奴らを集めてある部屋は謁見の間から近い、謁見の間を通るんじゃなけりゃ目立たない裏口から入るか壁を壊すしか入る方法がねぇ。頼むから軍を集めるまでそんな手考えんなよ魔物ども! 謁見の間に入ると、もうすでに中は兵だらけになっていた。その大半が傷だらけで、何割かは腕やら足やらを食いちぎられたりぶった斬られたりしたまま、おそらくは薬草で血止めだけを施されて床に転がされていた。 マリアがひゅっ、と息を呑んだ。俺はかぁっと頭が熱くなるのを感じた。兵が――ローレシアの兵が腕や足を失っている。それは奥歯を食いしばらなけりゃ耐えられねぇほど不快な眺めだった。 死ぬよりずっとマシだとわかっていても。生きていさえすれば呪文でまた手足を元通りにできる可能性もあると知っていても。 親父はもう話し始めていたみたいだった。どこかひきつった青い顔で、精一杯威厳を取り繕って、朗々とというにはひび割れている声で言う。 「……城内にはとてつもなく強い魔物どもが次々送り込まれてくる。街の外には地を埋め尽くすほどの魔物の軍勢が攻め寄せてきている……」 外にも魔物が攻め寄せてきやがってるのか………! サマの予想が大当たりか、ハーゴンの野郎いちいちやることにそつがなさすぎんだよ! サマがいるから大丈夫だとは思うが……。 「民を逃がそうにも逃がす道もない。援軍を呼ぶ当てもない。呼んだとしてもこれほどの大軍を前にしては役に立たなかろう――ローレシアの命運は、今日、ここに尽きる」 あぁ、だのおぉ、だの悲痛な悲嘆の叫びが謁見の間中に響いた――そして俺は愕然としていた。 なに言ってやがんだこのオヤジ? まだ守らなけりゃならねぇ奴らがいるんだぞ、ここに戦える奴らがこれだけいるんだぞ? だってのになに言ってんだ? そんな俺の思いには気づかず親父は青ざめた顔で語る。 「この上は、みなローレシア軍人として恥じぬ最後を遂げてもらいたい。最後の一兵まで戦い抜き、魔物どもにローレシアの誇りを思い知らせ――」 たわけたこと言ってんじゃねぇこのクソボケオヤジ! この程度のことであっさり死ぬとか思いこむような奴が、誇りとかほいほい口にしてんじゃねぇっ! 猛烈な怒りに燃えて親父を怒鳴りつけようと一歩踏み出す――と、泣き声が充満していた謁見の間の通路から、ざわざわとさざめくような声が波のように伝わり広がっていくのを感じてそっちの方を向いた。 そして驚いた。ありゃ――母上じゃねぇか! 「陛下」 「………! ヴィクトワール!」 親父は絶句して、それから兵の前だってことを思い出したのか威厳を取り繕って肩をそびやかした。 「倉庫へ戻れ。ここは危険だ」 「もう勝てぬとお決めになったのなら、どこにいても危険に大差はありません」 落ち着いた声で母上はそう微笑む。 「い――いや、勝てぬ、と決めたわけでは、だが、この状況では―――」 「状況はお聞きいたしました。確かに、とても大変な状況ですものね」 「う………うむ………」 苦渋の表情をする親父。対する母上は冷静だ。 「城内には強力な魔物の群れ、城の外には魔物の大軍。どちらか一方でも対処の難しい問題です。とても大変な状況だというのは、私にもわかります」 そう言いながら母上はにっこり微笑んで、親父に近寄る。 「ですけれど――私はあなたを信じていますわ」 「な……?」 唐突な言葉に呆けたような顔になる親父に、母上はあくまで優しく笑んで言葉を続ける。 「陛下が決めたことを私は、私たちは信じます。陛下が負けるとお思いになったのなら、本当に負けるのでしょう。それまでに幾千幾万の手を考えて実行し、それでも駄目だった時でなければあなたは負けたなんておっしゃいませんもの」 「…………」 「でも私は、陛下はそんなに簡単にそんな状況に追い込まれたりはしない、とも信じています。あなたはとても強い方。私たちを守るために数多の敵を打ち破ってこられた、私たちの英雄ですもの」 「ヴィクトワール………」 親父は上気してきた顔で母上を見つめる。母上はにっこりと微笑む。俺はくくっと笑ってしまった。 こりゃ役者が違うぜ。 親父は立ち上がり、今度は誰が聞いても朗々とと言えるような声で叫んだ。 「ローレシア軍の勇敢な兵士たちよ! 今再び命ずる。民を、ローレシアを守るために死力を尽くせ! 我らはまだ負けてはいない。ここにこれだけの勇敢な兵がいるのだ! 最後の一兵になるまで戦い抜き、そして民を、家族を守ろうではないか!」 おおぉおぉ、と歓声を上げる兵士たち――それを見ながら俺は親父ににやりと笑いかけていた。親父はこっちには気づかなかったみてぇだが、ま、んなこたどっちでもいい。 やっと腹くくりやがった、あのボケ親父。 と、俺は後ろについてきてたマリアが真っ青な顔してるのを見て、怪訝に思った。こいつがなんでこんな顔することあるんだ、ここはこいつの国じゃねぇのに。 「どうした、マリア? 大丈夫か?」 ぽん、と肩を叩くと、マリアはひどく青褪めて、震えた、今にも泣き出しそうな顔で俺を見た。 「――どうした?」 こいつが泣きそうな顔をするのは珍しいってほどじゃねぇが、それでもなんか今回のは空気が違う。張りつめて今にも切れそうな糸を連想させるもろさがある。俺はじっとマリアの目を見つめ、安心させるように背中を叩きながら訊ねた。 「………ムーンブルクと、同じ………」 「――なんだって?」 「城壁の中と外から同時に攻められて。それでも必死に奮戦して。だけど、ムーンブルクは一日ともたなかった。それを……思い出してしまって……」 「……ムーンブルクの時とは違う。今は俺たちがいる。強くなった俺たちがな」 「ええ――ええ、そうね」 マリアは力なくうなずく。こいつ――しょうがねぇな、ったく。 なんにせよ、これから俺のやることは城内の魔物をみんなぶっ殺すことだ。たぶんこれは俺にしかできねぇ、他の奴らは拠点を守るのが精一杯だろう。マリアは外に回してサマと協力させよう、マリアの精神状態は不安だがサマならなんとかフォローしてくれるはず―― と頭の中で作戦を検討していると――声が聞こえた。 『ローレシアの国民よ』 とたんにざわざわっとざわめきが上がり、親父がはっとしたように周囲を見回す。それを見て俺はこの声は俺だけに聞こえてるんじゃねぇんだとわかった。 ――なんか心に直接聞こえてきてるみてぇに思えたから、俺の妄想かと思ったんだ。だってこの声は―― 『我が名は、大神官ハーゴン。ムーンブルクを滅ぼし、今ローレシアを滅ぼさんとしている、魔を統べる者だ』 ――やっぱりかよ! 謁見の間のざわめきがどよめきになった。敵の親玉がいきなり話しかけてきたんだ、それも当然だろう。 声はさっき聞いたのと同じ、冷静な響きを崩さないまま続ける。 『今私はローレシアの城内に、ローレシア全軍を挙げてようやく一匹倒せるかどうかという魔物を数十匹放った。城壁の外からも数万の魔物たちを攻め込ませている。もはやローレシアの命運は尽きた』 勝手なこと言いやがって……! 『ローレシアの国民よ、お前たちの命も風前の灯だ。――だが、ひとつだけ助かる方法がある』 ――なにを言う気だ。ろくなことじゃねぇのはわかるが。 ハーゴンは一瞬ためを作ったあと、ゆっくりと言った。 『ローレシアに住まうロトの血族を、全員差し出せ。そうすれば、魔物たちは退かせると約束しよう』 一瞬針を落としても音が聞こえるんじゃないかってぐらいに静まり返り――それから割れんばかりのどよめきが謁見の間を支配した。 ……ハーゴンの野郎………! あの最後の言葉はこういうことだったのかよ! 『ローレシアの国民よ。自分の、家族の命を惜しむのならば、ロトの血族を――王族を自らの手で差し出せ。王族たちに真に自らを守らせたいと思うのならば。民を守るという王族の責を果たさせたいと思うのならば。この戦いの原因となった責を、ロトの血族に負わせたいと思うのならば。私がローレシアを攻めたのはロトの血族を滅ぼすためなのだから』 やってくれるぜハーゴンの野郎……見事に波紋走らせてくれやがって……! 目の前にいる兵士たちですら、小声とはいえ「本当だろうか」「助けてくれるんだろうか」などと相談しあっている。ローレシアの兵士どもが全員腰抜けだとは思わねぇが、全員勇士だとも思わねぇ。戦力は減退するな…… 『再度言う、自分と家族の命を惜しむのならば、王家の人間を、ロトの血を引く人間を残らず差し出すのだ。そうすればローレシア国民の命は、一人残らず助けると約束しよう。ロトの血族がいなければ、ローレシアを攻める理由もなくなるのだから』 ……それで声は終わった。謁見の間は大騒ぎというわけじゃねぇが、小声でみんなこそこそと話し合っていた。親父は苦しげな顔をして玉座の角を思いきり握り、母上でさえ厳しい顔をして黙りこんでいる。 ――倉庫からラチェルたちを連れてくるか。けど迂闊に動くのもまずいしな………。ちくしょ、どうすりゃいいんだクソッタレ! 俺が必死に考えていると、倉庫群に続く通路の方でどよめきが起こった。同時に叫び声が響く。 「王族を出せ!」 「ロトの血族を出せ!」 「ロトの血を引く、疫病神どもを出せ!」 俺は素早くそっちに向かった。兵士たちの間をすり抜け、通路前の兵士たちが必死に築いている人壁の後ろに立つ。マリアもついてきていた。 ――そこには予想通り、奥の部屋に集めていた街の奴らがひしめいていた。 「ロトの血族を出せ! あいつらがいたから俺たちはこんなことになってるんだ!」 「王族だなんて威張りくさっておいて、実のところは疫病神じゃないか!」 「あたしたちの金で贅沢してきたんだろう!? だったらあたしたちを守るために体を張るべきじゃないか!」 ………………。 見たとこ千人ほどのその人の群れは(どうやら部屋一個分の奴らがやってきたらしい)、俺を見つけて騒ぎ立てた。 「ロレイソム王子! あんた勇者だってんならあたしたちを守っとくれよ!」 「あんた王子だろ!? 民のために身を捧げるのが仕事だろ!?」 「ローレシア十五万の民の命があんたら数人の命で助かるんだぜ!? 犠牲になってくれてもいいだろうが!」 …………この。 ボケどもが…………! 「どいてろ」 「で、殿下、しかし!」 「いいから、下がってろ」 俺の言葉に壁を作っていた兵士たちは俺の後ろに下がる。すぐにわっとばかりに迫ってくる人の群れに―― 俺は、全開の殺気を叩きつけた。 『!』 声にならない動揺が走り、群れの動きが止まった。ぴたりと。俺の殺気ははるか後方の奴らにまで届いたらしく、全員みごとに硬直していた。俺もけっこう成長してんだな。 俺はじっと群れを睨みつつ、静かに、だが謁見の間中に響き渡らせるつもりで言った。 「お前らは、幾万の魔物どもから家族を守れるか」 『………………』 「答えろ。幾万の魔物どもから、家族を守れるか。どうなんだ?」 「そ、そんなの、守れるわけねぇだろっ! だから、お前らに身代わりになってもらわなきゃ、俺たちは、家族は助からねぇんだっ!」 群れの後ろの方からたまりかねたような声で誰かが言った。俺は静かに、しかしきっぱりと言い放つ。 「それならてめぇらは目先のことしか見えてねぇど阿呆の戯けもんだ」 「な……!」 群れがざわめき、ゆらめいた。俺に敵意の視線が集中する。 「だ、誰がど阿呆だ!」 「お前らだって言っただろうが。――ちっと頭働かせりゃ誰にでもわかるはずだ。ハーゴンは世界の滅亡を目的にしてんだぞ? だったら俺たちロトの血族が全員死んだところで、またすぐ魔物引き連れて殺しにやってくるさ」 「く……!」 ざわざわと群れがざわめく。この程度のこともマジでわかってなかったのかよ、この抜け作どもが。 「そうでなかったとしても、だ。魔物どもから自分の身も守れねぇような奴が生き残って、魔物どものうようよする今の時代で生きていけるかよ」 「じ、自分たちが守ってやってるみたいな口ぶりで言うな! 戦うのは俺たち国民から徴収された兵隊だろ、あんたら王族はただ後ろでふんぞり返ってるだけのくせに!」 別のところから声が飛んでくる。俺はそっちの方にもちらりと視線をやって答えた。 「ああ、血を流すのはお前らだ。どれだけ奇麗事言っても、苦しむのはいつもお前らだ。けどな」 群れを見つめる。ガンをつけるように全力で、けど決定的に違うのは。 こいつらは守るべき味方だってことだ。 「俺たちはその苦しみの全ての責を負う。お前らの苦しみが無駄にならねぇように、その苦しみがあとでお前らの平穏と繁栄に繋がるように、ありとあらゆる手を尽くす責を負うんだ。それができねぇってんならそんな奴に王の資格はねぇ、思う存分ぶっ殺せ」 俺の言葉に気圧されたのか、いつの間にか群れは静まり返っていた。俺はそいつらに向かい、声を全力で響かせる。 「お前らが俺たちを殺したあと、自分たちの家族を、友達を、住む街を守れると、自分たちだけの力で守れると、そのために俺の犠牲が必要だと思うんなら俺を差し出せ。いつでも笑って死んでやるさ。けどな、それができねぇくせに俺に死んでくれっつぅ奴はただの馬鹿だ」 集中する視線全部を受け止めて、俺は堂々と、にやりと、笑みを浮かべる。 「俺は数万の魔物が相手だろうが、絶対に死なねぇからな」 『………………』 「俺は、ローレシアは、生きている限り共に戦う仲間を守る。絶対に守る。それを信じてくれる奴は、俺が全力で守ってやる」 「俺たちは……戦う力なんてない……」 「武器を取って振り回すだけが戦いじゃねぇだろうが。お前らに今できることを必死で考えて実行しろ。それができる奴は、もう戦士だ」 『………………』 「さあ、どうする。俺を殺して首をハーゴンに捧げてみるか? それとも俺たちに命託して、一緒に戦うか?」 『………………』 「決めるのはお前らだ。自分に誇れる選択をしな」 『………………』 息詰まるような沈黙ののち、一人の男が――群れの一番隅の方にいた男がか細い声で言った。 「お――俺は、ロレイソム殿下を信じる」 ざわめきが広がった。 「おい、お前本気で!」 「お、俺は聞いたことがあるんだ――ロレイソム殿下が子供の頃、娼館に売られた友達を助けてくれたことがあるって……」 あー、んなことよく知ってんな。 「そんな風に友達を助けられる人を信じたい――それに殿下は誇れる選択をしろ、って言ったんだ。お、俺だって、怖いけど――やってみたい、戦ってみたい!」 ざわめきがどよめきになる――だが俺に迫ろうとする動きはなかった。 一人、また一人と、手を上げてゆっくり俺の方に近づいてきた。ある奴は深く頭を下げて、ある奴は固い表情で。 静かに、だが確実に、俺の元に集う奴らは塊になり後ろの奴が近づけなくなった。だが後ろからも文句の声は上がらなかった。 ――どうにか、しのいだ、か。あー長い台詞喋ったんで口が疲れたぜ。 まー一応本音ではあんだけどな。俺がどんなに頑張ろうがやっぱ人は死ぬ時は死ぬ。絶対に守るっつったのは半分ハッタリだ。 けど、俺は守れないなんて現実には死力を尽くして異を唱える。どんなに苦しかろうが、痛かろうが、俺は俺の全力で守るべき奴らを守る。そいつらがムカつこうがなんだろうが。そいつらを殴ったりはするかもしれねぇけど。 それは、俺が王族だからってせいもあるだろうが――それ以上に俺が単純にそういう性格だからだ。 俺は俺の勝手で国民を、国を、世界を守る。それが嫌なら俺を殺せばいい。俺はいくらだって戦ってやる。――それだけのことだ。 「騙されるな!」 ――そう叫んだのは、いつの間にか俺の後ろに回っていた男だった。 「こいつらロトの血族は、魔物を引き寄せる疫病神だ! 勇者なんて冗談じゃない、こいつらがいるから魔王が出てくるんだ! こんな奴ら、全員殺しちまえばいいんだ!」 ……こいつ、なんか妙だ。目が血走ってるし……普通とはなんか違う気を感じる。第一俺に気づかれずにどうやって後ろに回ったんだ? こいつは―― 敵か? 「ムーンブルクもロトの血族がいたから滅びた! そこにいる呪われた姫のせいだ! 二十人にも満たない人間のために二十万が殺された! こいつら疫病神をぶっ殺しちまえ!」 「――てめぇ………」 「待って、ロレイス―――その人の言っていることは真実なのだから」 マリアが後ろからそいつの方へ一歩を踏み出して言う。こわばった顔で。 「お前な………!」 「でも―――あなたのような存在にだけは、私は言われることを許さない」 そのこわばったなりに冷たい口調に、男はさっと顔色を変えた。 「黙れ魔女め! 死ね―――!」 「きゃ………!」 俺は男の手元にナイフを認めて、ぷっつ―――んと理性が切れて男とマリアの間に入った。男がマリアに突き刺そうとしたナイフを叩き落し、拳を振り上げ―― 「マリアになにしやがるこのクソボケ野郎!」 掛け値なしの本気でその男の頭をぶん殴る。今の俺の力じゃ首が吹っ飛んでもおかしくねぇなと殴ってから考えたが、上等だと思った。俺の仲間を殺そうとする奴は人間だろうが魔物だろうが俺の敵だ! ――幸い、予想通りそいつは魔物――つーか魔族だったようだった。ばったりと倒れたそいつの姿がぶれ祈祷師の姿になるのを見て、俺はほっと息をつく。 「大丈夫か、マリア?」 「………ええ………」 青い顔で、けどなんか不思議にきらめいた瞳でマリアは俺を見つめた。 「ロレイス――提案があるの」 「提案?」 「今のこの状況を、なんとかできるかもしれない提案が」 俺たちは、倉庫に向けて走っていた。 「魔的結界を張っているのはハーゴンではないと思うわ。おそらくは地下牢に閉じ込められていたという魔族」 マリアは細いがよく響く声で言った。謁見の間中の人間が静まり返ってその声を聞いた。 「なんでだ」 「ハーゴンは『私のやることは大規模召喚術の門を開くことだけでよかった』と言っていた。それに結界を張るには拠点となるものが必要だわ。それはものだったり生き物だったりするけれど、私だったらこの状況ならあの一緒にいた魔族にする。自分で見つかりにくいように行動できるんだもの」 「なるほど……つまり、その魔族を殺しゃ結界が解かれて……」 「魔族も強力な魔物もまともに活動することができなくなる。そしてこれ以上魔物を送り込むこともできなくなるわ」 「そいつがどこにいるか心当たりがあるんだな?」 「ええ。必死に考えていたの、魔族だったらどこに隠れるか。結界内にいなければならないのだから城の中なのは間違いない。それも――人のいるところだと思うの」 「なんでだ?」 「あの魔族はずっと閉じ込められていると言っていた。それなら魔族なら、人の苦しむ様を間近で見たいと思うのじゃないかと思うの。城の中に人のいる場所はここと奥の部屋、倉庫だけ。そこを調べて回れば――」 「魔族が化けててもわかるのか」 マリアは一度きゅっと唇を引き結び、それから真剣な顔でこっくりとうなずいた。 「つきとめてみせるわ。――それが私のすべきことだもの」 俺はその言葉を信用し、謁見の間の防備を親父に任せてマリアと奥へと進んだのだ。兵士たちの歓声と応援の声を背中に受けて。 奥の部屋の中には魔族はいなかった。あとは妹どものいる倉庫だけ――― 「マリア。お前、なんでこの案なかなか出さなかったんだ?」 俺は走りながらふと訊ねた。この案がなけりゃ俺たちは防戦一方になっちまってただろう、なのになんで最初っから言わなかったんだ? 「――怖かったの」 「怖い? なにが」 「一国の命運が、私の背中にかかることが。私が魔族を感知できなければ、魔族を逃がしてしまったらこの作戦はおじゃんになってしまう。それがたまらなく怖くて――私のせいで、ムーンブルクと同様にローレシアも滅びてしまうとしたら怖くて、なかなか言い出せなかったの」 「……阿呆か」 俺は呆れたような口調で言ってやった。また一人で思い詰めてやがったこいつの心配、吹き飛ばしてやりたかったから。 「失敗したら失敗した時のことだろーが。んなのてめぇ一人のせいなわけあるか、他に作戦思いつかなかったり自分で魔族見つけらんなかったりした俺たちのせいでもあんだぞ」 「そうね……私、あなたの演説を聞いて、そう考えられるようになったの」 「は?」 演説って、街の奴らを説得したあれか? あれのどこにこいつの決心促すようなもんがあったってんだ。 「『お前らに今できることを必死で考えて実行しろ。それができる奴は、もう戦士だ』。……私も戦士でありたいと、自分のできることを必死で実行できる人間でありたいと、そう思ったから」 「ふぅん……」 俺は口元がにやつくのを感じた。俺がこいつの背中を押すことができたんだと考えると、こんな時でもなんか嬉しかった。 「な、なにをにやにやしているのよっ」 「別に? それよりさっさと行こうぜ、あとは倉庫だ」 「………ええ」 マリアがごくりとうなずく。俺たちは足早に狭い通路を通り抜けた。 倉庫の前の泣きそうな顔をした兵士に断って、中に入る。中には大量の女子供がひしめいていた。 「ロレイス様!」 「殿下!」 「兄上様!」 「……お前らここにいたのか」 妹どもが駆け寄ってくる。こいつらは扉のすぐそばに座っていたようだった。 「ロレイス様……私……私……」 「殿下、あの……ハーゴンの言っていたこと……」 「兄上様……私、もう覚悟はできています。ローレシアの王族として恥ずかしくないよう……」 ……あー、こいつらハーゴンのあの台詞聞いてたのか。そりゃそうだろーな、城中に聞かせるつもりだったんだろーし。 だったらここにいるのは針のむしろだっただろう。それに耐えたと思うと俺はけっこう感心して、にやりと笑ってぽんぽんぽんと頭を叩いてやった。 「心配すんな、ちっと待ってろ。すぐなんとかしてやるからよ」 「え……」 「俺たちに任して、お前らは安心して見てろ」 驚いたようにこちらを見てくる妹どもににやりと笑い、俺はマリアの後ろに立った。身をかがめて集中しているマリアの耳元に囁く。 「――いるか?」 話しかけねぇ方がいいのかとも最初は思ったが、こいつは一人でやってるとぜってぇ緊張するからな。ちょくちょく話しかけた方がよさそうだ。 「……まだわからないわ。瘴気は隠しているだろうから、その不自然な魔力の動きを追うしかない。感知呪文も使っているけれど、向こうもそれは予測して対策を立てているはず。究極的には私と向こうの精霊感応力の勝負になる……」 固い口調で返してくるマリア。ま、緊張するのは当然だけどよ。 俺は後ろから手を伸ばし、マリアの手を軽く握った。 「…………! なにをするのよ!」 「見つけたら黙って俺の手を思いきり握れ。そのまま黙って俺を案内しろ――俺がついてる。安心しとけ」 「………………」 マリアは顔を真っ赤にしながら口の中でぶつぶつと呟いていたが、ふいに「あ……!」と小さく声を上げ、それからはっと黙って俺の手をぎゅっと握る。 ―――いたか。 マリアの先導で俺たちは倉庫中につめこまれた女どもの間をすりぬけて歩く。俺はちっとばかし気がはやるのを感じた。 なんとか一刻も早く、魔族の野郎をぶっ殺しちまわなけりゃ。 「――ロレイス」 マリアがすっと指をさす。そこにいたのはごく普通の町娘に見えた。たぶん孤児院のガキどもだろう、子供に混じって遊んでやがる。 俺はマリアを後ろに下がらせて、その町娘の前に立った。 「おい」 「はい……。どちらさまでしょうか?」 周りのガキどもと一緒に不審そうな目で俺を見る魔族。 「俺はこの国の王子、ロレイソム・デュマ・レル・ローレシアだ」 「え、王子様………!」 「話がある。ついてきな」 「―――なぜ? 私のような町娘になんのお話が?」 「それは行った先で話す」 そう言うと魔族とガキどもは不審そうな目で俺を見た。ガキどもの何人かはばっと立ち上がって俺と魔族の間に立ち塞がりやがる。 守ろうってか? ちくしょ、こーいう展開は予想してなかったぜ。 「お前に後ろ暗いところがないのなら、すぐに帰してやる。いいから来い」 「嘘つき! むじつの先生を捕まえて帰してくれなかったくせに!」 「えらい奴らなんてみんな嘘つきの悪者だ! お姉ちゃんは連れていかせないぞ!」 ………このガキども………。根性発揮すんなら別のとこで発揮しやがれっての! 「ありがとう、みんな……」 魔族がひょい、としゃがんでガキども――男と女を一人ずつ腕の中に抱えこむ。 「――その調子で私を守って――くれよなぁぁァ?」 一瞬の変化。どこからどう見てもただの町娘だった女が、瞬きほどの時間で、薄青の祭服を着た魔族に変わった。 ――ベラヌールで最後に出てきた魔族だ。 「おね……えちゃ……?」 「動くんじゃないぞ、ガキどもォォ? お前らは大事な人質なんだからなぁァ」 きゃーっ、と悲鳴が上がって周囲の女どもがあとずさった。ガキどもは固まって動かない。動けないっつった方が当たってるな。 俺はぎっと、殺気をこめて魔族を睨みつける。 「てめぇが結界の中心になってる奴か」 「そォさァ、ローレシアの地下牢にずっと囚われてきた魔族さぁァ? 長かったぜェ、召喚術で呼び出されて何重もの結界で動けなくされて、ただひたすら壁を見つめ続けた百年はよぉォ」 チンピラみてぇな喋りしてんじゃねぇよ、クソ魔族が。 「ハーゴンさまのお力で解放された早々こんな大役仰せつかっちまって嬉しいったらねェぜぇェ。ずっと恨んできたローレシアの人間どもを思う存分殺せるんだからなぁァ……」 「……させるかよ」 「おっと、動くなよぉォ? てめェらも俺を見つけ出すとはなかなか頭の回る奴みてェだが、俺にゃあかなわねェなぁァ。人質取ること見越してガキども手なずけてた俺にゃァよォ……わかってんな? ちっとでも動いたらガキどもを殺すぜ?」 「は……はなせっ!」 「はなしてぇ!」 「放すかよォ、クソガキどもぉォ。殺したくてうずうずしてたのがやっと役立ってくれんだからなぁァ」 魔族の腕の中で、泣きそうな目でこっちを見るガキども。精一杯虚勢張ってるが、目が思いっきり助けて助けてって言ってやがる。 ……しょうがねーな、クソ。 「わかった。どうすりゃいい」 「はァ?」 「お前は俺を殺したいんだろうが。どうすりゃ気がすむんだ?」 「ほぉォ、殊勝な台詞じゃねェか。それじゃあまず、剣を捨ててもらおうかなァ」 俺は腰につけた剣の帯を外し、投げ捨てた。魔族が品のない笑い声を上げる。 「だらしねェなァ! てめェは王子様なんだろォ? 俺を殺さなけりゃローレシアは滅びる。王子様ならこのガキどもの命とどっちが大切かなんて、すぐにわかるだろうによォ?」 「え……」 表情が凍りつくガキども。俺はふん、とせせら笑ってやった。 「俺は王子だからこうこうしなくちゃならねぇってのは、大っ嫌いなもんでね」 「ふゥん……ククッ、ロトの勇者はそうでなくっちゃなァ? 俺の思い通りになってくれて、感謝してます――よッ!!」 最後に叫び声になったとたん、俺の頭は思いきり殴られた。額が割れて、血が吹き出て、俺はふらっとその場に倒れた。 魔族が戦槌を術で動かして殴ったのだ。ガキどもが声にならない声を上げる。 ……ちくしょ、こいつけっこう力強いんでやんの。 「おゥら、どうしたァ? まだまだ終わりじゃねェんだぜぇェ? オラ――立てよッ!」 ガス! ガス! ドゴッ、ガス! 強烈な力で何度も殴られ、俺の体の骨は何本も折れた。口から血が吹き出る。激痛が何度となく体中を走った。 だが、俺は当然、呻き声ひとつ上げなかった。 「ふン……そこそこ根性はあるみてェだなァ。それじゃあ今度は、ちっときついことしてやろうかねェ」 俺は立ったまま魔族を睨む。渾身の力をこめて。だが魔族はせせら笑うと、パチンと指を鳴らした。 戦槌が変わっていく。人間の胴体ほどもあった戦槌が、細く、平たく、一本の剣に――それも刃の部分がのこぎりみてぇな、刃先を細かく立ててる剣に変わっていく。 「……それで俺をどうしようって?」 「ふふゥん、まずは右腕だ。右腕出しな」 「…………」 「王子様………」 泣きそうな顔してんじゃねぇよ、ったくよー。 「――ほれ」 「ひゃはっは! 素直に出してるぜェ、こいつ馬鹿だ! 大阿呆だぜェ! ――行け」 剣がひゅいんと動いて、鎧をのけて俺の右腕に密着する。そして、細かく、小刻みに動いて、俺の右腕に食いついてくる………! 「………ッ! く……ア!」 ちくしょう、声が出ちまってる。ちくしょうクソッタレ、めちゃくちゃ痛えぇーっ! 俺の右腕の筋肉に細かい刃が何百本も突き刺さり、少しずつ肉を裂き、腱を断ち、俺の骨を割り裂いて、俺の右腕を千切りとっていく。俺の右腕がズタズタに引き裂かれ、血が滲み出す………。 こンの……ちくしょうッ、めちゃくちゃ痛ぇっ、苦しめようとちっとずつやってやがんなこの腐れ魔族! 「お……王子様………!」 「よォく見てろよガキどもォ、こいつはてめェらのせいでこんな風に殺されるんだ。じーわじわじーわじわ苦しんでよォ……お前らが人質に取られなけりゃもっと有利に戦えたのに、なァ?」 「黙ってろ……クソ野郎………!」 俺は額から脂汗を流しながら、ぼろぼろ泣いてるガキどもの方を見た。 「王子様……王子様……!」 「王子様、ごめんなさい、ごめんなさい……」 「泣いてんじゃねぇ、てめぇら」 俺は根性でにやりと笑いかけてやった。 「俺がお前らを助けんのは俺の勝手だ、お前らが勝手にその魔族の化けてた女を助けようとしたみてぇにな」 「う……」 「お前らは女を助けようとした時本気だったろうが。俺と本気で戦う気だったろうが」 「え……」 「だったら今の状況となんの変わりがある。戦う相手が俺からその魔族になっただけだろうが。俺も戦ってんだ、お前らも戦え! こんなクソ魔族なんざに負けんじゃねぇ! 涙拭いてしっかり目ェ開けて、俺の戦いばっちり見てやがれ!」 「…………王子様…………」 激痛をこらえて、ガキどもににっともう一度笑いかけてやる。ガキどもは泣きながら、それでも必死に笑い返した。 よっしゃ上出来だ。笑ってやがれ、俺がしっかり助けてやっから。 「……笑ってんじゃねェよ、笑ってられる場合かよォ!」 「………ぐっ………!」 魔族がぐりん、と大きく腕を動かし剣が同様に大きく動く。俺の右腕が、体からぼてっ、と落ちた。右腕から大量に血が噴き出す。必死に筋肉を収縮させて血を止めたが、それでも頭がぐらりとした。 「ひゃーっはははッ、痛いよな、痛ェよなぁァ!? もっと痛くなるんだぜ、体中の筋肉すり潰して、グチョグチョに殺してってやっからなぁァ!」 「――無駄よ。そんな計画は」 血も凍りつきそうな絶対零度の声音に、魔族はびくんと震えた。 「な――ロトの女魔術師!? どこだ、どこにいやがる!」 「――ここよ」 マリアの姿は魔族の数丈後方、俺とは魔族を挟んで反対側にいた。その服の裾にはガキどもが――人質にされてたガキどもがすがりついている。 「な……!? 馬鹿な、そのガキどもは……さっきまで俺の腕の中にいたはずなのに……!」 「魔族といえど油断していれば簡単な幻術にあっさりかかるのね。私は呪法で強化したマヌーザマの呪文をあなたと子供たちにかけた。子供たちがずっと腕の中にいるという幻を見せ続けたのよ……そしてその幻に気づかない間に、私はあなたの腕の中から子供たちを救い出した」 「馬鹿な……馬鹿なァ………!」 そう、俺たちは部屋に行くまでの間に計画を立てていた。魔族が人質を取ってきた時の対処法を。 俺が挑発して気を引きつけ、その間にマリアが幻術で人質を救い出す。そんな単純な打ち合わせしかしてなかったが、うまくいった。 ―――つまり、俺の右腕一本と引き換えに、こいつを思う存分ぶっ殺せる状況になったわけだ。 「――よくもまぁさんざんやってくれたなァ、オイ?」 魔族がこっちを振り向く。俺の何に気圧されたのか、一瞬カチンと固まった。 たりめーだ、俺は今、思いっきり、本気で目の前の奴をぶち殺したいって気分になってんだ。 「心配すんな、別に苦しめやしねぇよ。ただ、全力で、きっぱりしっかり容赦なく、ぶっ殺してやるだけだ」 「ひ――」 くるりと背を向けて逃げ出そうとする。させるかよタコが! 「地獄でのたうちやがれ、このクソ豚野郎!!!」 俺は左腕も右腕と同じように使う訓練はしてる。その全力で、魔族の頭に剣を振り下ろし―― 体ごときれいに割り裂いた。 「ロレイス!」 激しく動いたせいでまた血が噴き出し、俺がふらつくと、マリアが顔を真っ青にして駆け寄ってくる。ガキどもも一緒だ。 「ごめんね、ごめんね、王子様……あたしたちのせいで……」 「王子様ぁ……俺、俺……」 「あーもー……泣いてんじゃねぇよ、お前ら……こんな傷、すぐ治んだからよ……」 「ホント? ホントに?」 だから泣くなっての……。 「ホントだ。この姉ちゃんはすげぇ魔術師だからな、腕が千切れようが足が吹っ飛ぼうがすぐ治しちまうんだぞ」 「すげぇ……!」 「……静かにして。集中するから」 しん、と静まり返った空気の中で、腕を持ってきたマリアが呪文を唱える。痛みがすうっと和らいで、意識がみるみるはっきりしていく。あっという間に俺は健康体になって立ち上がった。 「うっし、全快! サンキュな、マリア!」 マリアはへた、と座り込んだまま返事をしない。なんだ? と思って顔を近づけると、ぶわっと顔が歪んだ。 「お、おい、どうしたんだよ?」 「ロレイス……ロレイス……!」 泣きながらどんどんと俺の胸を叩く。なんだなんだなんなんだ、と思いつつもとりあえず腕を背中に回して抱きしめた。 「――大丈夫だからよ。心配すんな」 そんなことを言ってみると、マリアはくしゃくしゃの泣き顔をさらにくしゃくしゃにして俺を叩く。どーしたもんかなこいつ、と俺はこっそりため息をついた。 「ロレイス様!」 「殿下!」 「兄上様………!」 あー、また面倒な奴らが……。 「ロレイス様……ごめんなさい、私、私……なんにもできなかった……! 戦士だって、自分はもう戦えるって言ったくせに……!」 「殿下……なんであなたはいつもそうなの!? なんで私たちに心配をおかけになるの!? 本当に心配したのよ、死ぬかと思ったんだからぁっ……!」 「兄上様……兄上様、兄上様、兄上様………! 私……私………!」 あーもーこいつらは、しょーがねーな。まー心配してくれたっつーことで感謝すべきなんだろうけどよ。 俺はぽんぽんぽんと妹どもの頭を叩いて、笑ってやった。 「ラチェル、最初はみんなそんなもんだ、気ぃ落とすな。エイメ、ツィーリア、心配かけて悪かったな」 「ロレイス様……!」 「殿下……!」 「兄上様ぁ………!」 抱きついてくる妹ども。やれやれと思いつつマリアの方を見ると、なんか寂しそうな顔して俺から離れようとしてやがる。 ったく、こいつは。俺は妹どもを振り払って立ち上がった。 「お前ら、ここは任せたぞ。俺らは残ってる魔物どもを掃討しに行ってくるからよ」 「え……」 「行くぞ、マリア」 「………。ええ」 「ロレイス様……」 「殿下……」 「兄上様……」 縋りつくような視線に、最後ににっと笑いかけてやる。 「頼むぜ。このガキどももな」 そう言って俺たちは、また戦場へと向かっていった。 ローレシアの戦いはこうして終わった。 結界が壊れた以上魔物どもはろくな力を発揮できず、俺たちからすればただの雑魚に成り下がっていたので掃討は簡単だった。……それでも普通の兵士たちには荷が重く、犠牲者の数は決して少なくなかったが。 城壁の外から攻めてきた魔物の軍勢は、期待した通りサマがしっかり防いでくれていた。城壁は一部壊されていたが。聞いた話じゃサマがいなけりゃとても防ぎきれなかったほどの軍勢だったらしい。 ぼろぼろだったがしっかり生き残ってたサマに、よくやったな、と声をかけてやると、サマはたまらなく嬉しそうに笑ってた。 犠牲者は決して少なくはなかったが、見事な大勝利。盛大な戦勝会が開かれ――そのあと、戦死者たちの国葬が行われた。 俺らはそのどっちにも一番目立つ場所で参加させられた。面倒だとは思ったが、ま、しゃあねぇよな死んだ奴らの弔いだってんだからよ。 とりあえずの儀式は一通り済んだんで、退出した俺は墓を見下ろす小高い丘の上に寝転んで空を見ていた。 弔いという気分に合わせてか空は見事な曇天。一雨くるかもな、と思いつつ俺は死んだ奴らのことを思う。 俺の知り合いも何人か死んでた。その中にはサマとマリアに紹介した奴もいた。 そいつらの家族も今、きっと花を捧げてるんだろう。二度と帰ってこない人間に向けた花を。 「―――くそ」 俺は立ち上がって、歩き出した。別に、知り合いが死ぬのはこれが初めてじゃねぇ。 けど、だからって慣れるってもんでもねぇ。 慣れちまったら、俺の人がましい部分が一個、消えちまうような気がする。 「――人間じゃねぇよ」 丘を下りかかったところで、そんな声が聞こえて俺はふと足を止めた。 兵士どもが何人か、群れて話をしてやがる。 「あんな山ほどの魔物ども相手にして一歩も引かねぇどころか押してるなんて絶対人間じゃねぇよ」 「いくらロトの血族だからって、異常だぜありゃあ」 「しかも魔族相手とはいえ平然とした顔で喉に剣ぶっ刺すしよ、あのきれーな顔で」 「殿下やムーンブルクの王女はよく平気であんな奴の隣にいられるよなぁ」 「あの――サマルトリアの王子と」 ――俺はその言葉を聞いたとたん、顔の表情を思いきり不機嫌にしてそいつらの前へ踏み出していた。 「てめぇら、それでも兵士か。戦うことで金もらってんのか」 「で――殿下!?」 「あいつはてめぇらを守るために体張ってくれたんだろうが。傷ついた奴らの治療までしてくれたんだろうが。一緒に戦った奴のことを裏切るようなことを言う奴は――」 ごきり、と手の骨を鳴らして。 「俺がぶっ殺す」 「す、すいませんでしたぁっ!」 兵士どもは慌てて逃げ出す。クソどもが、と舌打ちしたいような心持ちでそれを見送っていると、ふいに手にぽつんと水滴が落ちてくる。 「げ、雨?」 俺は慌てて走り出した。丘に寝転んじまったから服のことはいまさらだが、それでもやっぱり雨に降られたくはねぇ。 墓地の外れの小さな休憩所を見つけてそこにもぐりこむと、そこには先客がいた。 「――マリア」 「ロレイス……」 小さな屋根の下の小さなベンチに座る。マリアの隣だ。 「お前も雨宿りか?」 「――ええ」 そう言ったきり黙りこむマリアに、俺も特に話しかけようとはせず並んでどんどん雨脚の強くなる景色を見る。 雨露が軒先から地面に落ちる音がやけに大きく聞こえた。そのくせはるかに大きいはずの雨音はやけに遠い。 なんか二人っきりって感じだなー、となんとなく思って、なに考えてんだ俺はと恥ずかしくなった。 「――ロレイス」 「! な、なんだよ?」 見抜かれたのかと思って焦る俺を、マリアはやけに静かな瞳でじっと見つめた。 俺はどきりとして、動きを止めた。なんだろう、こいつの瞳が、なんか、怖いぐらいにきれいだ――― 「あなたに言いたいことがあるの。この前まで、旅が終わるまで言わないでおこうと思ったこと」 「へ、教えてくれんのか?」 「ええ。聞いてくれる?」 「ああ、聞くぜ」 俺がそう言うと、マリアはいったんうつむいて、すうっと息を吸いこんで、顔を上げて一息に言った。 「私、あなたが好きなの」 ――俺は、目の前が完全に真っ白になる、というのを生まれて初めて経験した。 |