彼との約束の話・後編
 僕は心臓周りの血管から血を噴き出させながらも大きく飛び退ってバズズから間合いを取った。大きく力の盾を掲げて傷を癒す。
 バズズはフン、と面白くなさそうに鼻を鳴らして、その長く鋭い爪を舐めた。
『既ニ人デナシト成リ果テテイタカ。面倒ナ』
「――魔族、それも内臓なんて形だけしか意味がないような上級魔族に言われたくはないな……」
 バズズはその言葉にニィ、と口の端を吊り上げる。見かけは翼の生えた一丈足らずの紫色の猿、と形容できてしまうものなのに、表情やら仕草やらが妙に人じみていて奇妙な違和感を僕に与えた。
『生意気ナ口ヲ叩ク。マアソレナラソレデ楽シミ方ガアルトイウモノダ』
 じゃきん、と横に上げた腕から爪を伸ばす。僕は剣を構え、盾の握りをぎゅっと握った。あと一回力の盾を使えば完全に回復するだろう。
 実際、心臓抉られかけて意識がはっきりしている上に一回のベホイミで傷が塞がってしまうっていうのは我ながらかなり人間やめてるなって感じだけど、バズズに対抗するにはその程度じゃとても足りない。
 素手で鉄の棒を折れる程度の力はあっても、バズズの皮膚は貫けない。たとえ光の剣を使うにしろ。
 バズズの皮膚は鉄より固い、ロレのように素手で鉄の扉を貫けるぐらいの力がなければ。
 まともに戦ってはまず勝てない――父上からもらった、もう一本の剣を使うにしろ、それでどこまでやれるか。
 右に下げた剣に手を伸ばしつつ、盾の力を解放して傷を癒す――と、後方から声がした。
「サ、サウマリルト王子……先ほどの凄まじい炎の波は……?」
 ! 僕がいいと言うまで城壁内の見張り場から誰も出るなと言ったのに!
「隠れて! 絶対に出てきちゃ駄目だ!」
 バズズから目を逸らさずそう叫ぶと、バズズはニタァ、とサディスティックな笑みを浮かべ――さっと手を天に高々と上げ、言葉を紡ぎ始めた。
『☆#$@%*+ЩбгFЭЯЙдЦИЁЧHФЪ◆※▼△‥§∀∂∞=x
 ! これは混沌語……魔族が呪文を使う時に使う言葉………!
『全員対衝撃姿勢を取って!』
 トダーワで兵士たちに叫ぶ――だけどそれがどれだけの効果があったものか。
 僕が叫んだのとほぼ同時に、周囲の空間が爆発した。

 僕はがっくりと膝をついた。
 バズズの使ったのはイオナズンだった――それも広範囲版の、自分以外の全てを攻撃対象にした。
 周囲数十丈の城壁は半ば崩れた。床の煉瓦が砕け散り、壁も吹き飛び、城壁に守られて直接攻撃対象にはならなかったものの崩落に巻き込まれた兵士たちが呻き声をあげている。
 僕には当然イオナズンの威力はもろに炸裂した。強烈な熱と爆発の衝撃に、骨が数本折れ、内臓に損害を食らって血が口から噴き出た。
 ……城壁も砕く衝撃を食らってその程度っていうのも、人間じゃありえないことだけど。
 バズズがキキキッと、見かけにそぐわぬ猿じみた笑い声を立てた。
『ドウダ? オ前ノ守ロウトシタ奴ラガ傷ツイタ感想ハ? 楽シイダロ、はーごん様ハオ前ガ魔族ニナリウル素質ガアルト言ッテイタ。自分以外ノ存在ノ苦シミ悶エルサマハ魔族ノ喜ビダカラナァ?』
 その楽しげな笑い声は、僕がそれを喜んでいないことをはっきり理解していると示していた。自分以外の全てが苦しみ悶える様は魔族の喜び。バズズは僕を苦しめようと、わざわざ広範囲に拡大して呪文を放ったのだろう。
「……魔族は自分を完膚なきにまで消滅させることが至上の喜びなんだと思っていたけど」
『ソリャソウサ、当然ダロ。ケド他ノ存在ガ苦シムノハ快感ナノサ。自ラガ消滅スルマデノ耐エ難イ存在期間ヲシノグ甘露。魔族同士ノ食イ合イハ本能ガ避ケルシナ……ダカラ俺タチハ人間ドモヲ苦シメルノガ大好キナノサ』
「……だけど人間に滅ぼされるのは嫌なんだね?」
 バズズはケヒャヒャヒャ! とけたたましく笑った。
『当タリ前ノコト言ッテンジャネェヨ! 俺ラハ自ラノ手デ自ラヲ滅ボスカラ、滅ビヲ自ラノ手デ定メラレルカラコソ滅ビヲ愛スルノサ。他人ニ滅ビヲ与エラレルナンテ、魔族ノ滅ビ方トシチャ最低ダネ!』
 ………なるほど。バズズは、魔族というのはそういうものなのだろうけど、すがすがしいほどに自分本位だ。
 よろしい。ならば僕も同様の流儀でお相手しよう。
 僕は生まれてきてからずっと、愛に愛を返してあげることができなかった。
 ならば、悪意に冷たい悪意で返すというのは、悪くない趣向じゃないか?
 僕は力の盾を背中にかけた。そして左手で隼の剣を抜く――僕は両手利きだ、左手でも剣を振るうのに不自由はない。
 こいつは敵だ――と僕は認識した。今までの魔物のような単なる障害じゃない。悪意を持って僕を、僕の守るべきものを傷つけようとする敵だ。
 容赦も遠慮も必要ない。全力で抹殺してなんの問題もない。
 ――なによりこいつは、悪意でもって、僕にロレとの約束を破らせかけたのだから。
「――わかった。それなら、僕は全力で、君の存在を否定する」
『ヘェ?』
「君が魔族の流儀を通すなら、僕は僕なりのやり方で君に意趣返しをする。私が間違っていました申し訳ありません、そう喚かせてあげるよ」
『……面白イコトヲ言ウナ。人間ゴトキガデキルト思ッテルノカ? 本気デ?』
 ぐんぐんと殺気が高まっていく――だけど僕はにっこり笑ってみせた。
「思ってるよ――君程度の魔族にはわからないだろうけど、君ごときに心配されるほど僕は落ちぶれてはいないんだ」
『……シャッ!』
 バズズはその恐ろしく鋭い爪で、僕に襲いかかってきた。
 僕は隼の剣でそれを受ける。攻撃自体もとてつもなく鋭かった。ロレの斬撃にもさして劣らない速く強烈な一撃。
 後退しながら必死に受けた。攻撃なんて考える暇がない、防御に専念しなければとても受けきれない。ロレと稽古してる時と同じだ。
『ドウシタドウシタ、俺ヲハイツクバラセルンジャナカッタノカイ!?』
 鋭い攻撃が連続して続く。僕の腕じゃ本来ならとても受けきれないような連撃だ。
 けれど、僕だって伊達にロレと毎日剣の稽古をしてたわけじゃない。
「は!」
 予定の位置でぴたりと足を止めて、反撃に転じる。右の光の剣でフェイントをかけて、左の隼の剣で目を狙う。
 内臓は意味を成さなくなっていても目を失えば呪文を使わない限り視力を失う。他の感覚だけでも僕の姿を捉えることはできそうだけど。
 バズズは飛び退がってそれを避けた。僕の斬撃だって速さだけはロレのお墨付きだ。軽く扱いやすく動く速さを倍化させる力がある隼の剣なら、バズズが受けるより速く斬り込める。
『クッ!』
 顔の皮膚に当たって血が飛び散った。いくら強靭な皮膚でも顔の皮膚はそう厚くないらしい。
 調子を崩さず斬りこむ。今度は僕が攻める番だ。
 シャッ、シャッと徹底して目を狙って斬りつける。バズズも警戒しているようで必死に防御するけど、こちらは向こうが一回動く間に二回動けるんだ、攻撃ははるかにたやすい。
『コノ……人間ガ……!』
 業を煮やしたか、バズズは強引に大きく腕を振って飛び退り、攻撃に転じた。凄まじい勢いで僕に向け、体重と勢いを利用して飛びかかってくる――
 だけどそれは、僕の思う壺だった。
『ガ……! ギャアアアァァァァァァッ!!』
「――言ったでしょ、君に心配されるほど落ちぶれてないって」
 僕の隼の剣がバズズの目を貫いていた。いかにその打撃力は木剣と大差ない隼の剣であろうとも、バズズの体重と勢いを利用すればその巨大な眼球を貫くことくらいできる。
 やった――そう思った瞬間。
『ナンテ――ナァァ?』
 ニタァ、とバズズが笑い、僕の上半身をばっさり爪で斬り裂いていた。
「………かはっ………!」
 血を吐きながらその場に倒れる僕は、信じられないという表情を浮かべてバズズを見上げる。
「馬鹿な……僕の剣は間違いなく、脳髄を貫いたはず……」
『ギャッハハハハハ、馬鹿ダネオ前ハ! 俺ホドノ魔族ニナレバ内臓ガ機能シテナイッテ言ッタノハオ前ダロ?』
「だけど! 魔族にもその魔力の源になる核があるはず! バズズは脳髄にそれを潜ませているはずなのに……!」
『クキャキャッ、博識ダネェ。ケド甘イ。俺ホド魔力ニ長ケタ魔族ナラバ、核ノ場所ヲ移動サセルグライ朝飯前ナンダヨ。今俺ノ核ガアルノハ首――俺ノ皮膚ガ一番厚イトコロサ。口カラ剣ヲユックリ沈マセデモシナキャ、核ニハ届カネェヨ!』
「…………!」
 僕はぎゅっと拳を握り締めて、力の入らない足を引きずりながらバズズから離れようとした。
『ホウレホレ、逃ゲロ逃ゲロ。モット早ク逃ゲナイト追イツイチマウゾ〜……ホレッ!』
「!」
 バズズが爪を振り下ろし、ずぱぁ! と僕の背中が切り裂かれた。僕は激痛をこらえながら、全力で筋肉に力を入れて血の流出を抑える。
『ドウシタ、反撃シナイノカ? 俺ヲハイツクバラセルンジャナカッタノカ、エ、ドウナンダヨ、ホレッ!』
 バズズが今度は僕の腕を切り裂く。次は足。次は首。何度も何度も切り裂かれて、体中から血が噴き出た。
 なぶっている――魔族の本性をむき出しにして、か弱い獲物である僕を思う存分なぶるつもりだ。
 僕は必死の形相でバズズから遠ざかる。だがその動きは遅く、バズズは早足で先回りをするので、あっさりと僕はまた斬り裂かれる。
 全力でやればいくら僕が魔法の鎧を着ているといっても数度で片付くのに、やはりこいつは人をなぶる快感に酔いやすい質らしい。
『追イカケッコモモウ飽キタナァ……ソロソロ殺シテヤルヨ』
 バズズは楽しげにそう笑って、僕の前に立ち塞がった。
『終ワリダヨ、ろとノ王子様。ドウヤッテ死ニタイ? ドンナノヲ選ンデモ地獄ノ苦シミノ中デ死ヌコトハ確定ダケドナ、ギャーッハッハ!』
「そうだね……僕は死に方を選べるほどいい人間じゃないけれど………」
 僕は息も絶え絶えという様子で言う。
「一番素敵な死に方は、ロレを守って死ぬことだと思う……でも、ロレは僕に死ぬなと言ったから……僕は絶対に、死ぬわけにはいかないんだ………」
『往生際ガ悪イナ、王子様。モウ終ワリナンダヨ!』
 バズズは大きく鉤爪を振り上げる――それに僕はにっこりと笑ってあげた。
「そうだね。もう終わりだ」
 そして素早く呪を唱える。
「天地にあまねく精霊たちの律に従いて、木々より出でし我が作りし宝重よ、その秘めし力を示せ! ヴーディーヤ・ヴェストハ・エリギン・フォルンダナテール!!=v
 最後の数語は混沌語を人間にも発声できるようにしたもの――バズズの顔が驚きで歪み、同時にがくり、と膝をついた。
 僕は力の盾を何度も掲げて、健康体にまで回復し、立ち上がりにっこり笑ってバズズを見下ろす。
『バ、馬鹿ナ……ナンダ、オ前、ナニヲシタ………!?』
 口は利けるんだ、よかった。そう調合した甲斐があったというものだ。
「君は僕を完全に舐めていたよね。もちろんそうでなきゃ困るし、そうしてくれるようにいろいろと細工もしたんだけれど」
 僕はにこにこしながらバズズの恐怖と混乱に歪んだ顔を眺める。まぁ、悪くない眺めだ。快感に震えるというほどじゃないにしろ。
「だからこんな簡単なことにも気づかない。僕の隼の剣――新しく抜いた方ね、わかる? にはね、毒が塗ってあったんだよ。無色透明、効果を発揮するまで自覚症状はないけれど、効き目は抜群っていうこの前サマルトリアに帰った時調合した毒がね」
『馬鹿ナ……俺ホドノ魔族ニ毒ガ効クハズガ……!』
「そういう風に生まれ持った力にあぐらをかいているからこんな手に引っかかるんだよね――確かに魔族に普通の毒は効かない。けれどこの毒は効くんだよ。対魔族用に僕が調合した毒、魔族の力の源である魔力の伝達を狂わせ、魔族の行動の自由を奪う毒なんだからね」
『…………!』
「確かに君ほどの魔族には普通に使っただけじゃ効果はない。でも、体の内側に直接たっぷり毒をぶち込んで、その毒を呪法で強化したとしたら?」
『――――! アノ呪文ハ!』
 僕はくすりと笑ってあげた。ようやく気づいたの、馬鹿だなぁ、とでもいうように親しみをこめた感じの笑みで。
「そう、強毒砕破の呪法――呪法の標的を極端に毒に弱くして、同時にかかっている毒の効力を激烈に高める呪法だよ。君との斬りあいの最中から僕はその魔法陣を描いていたんだ――気づかなかったの?」
『………馬鹿ナ…………!』
「どんなに馬鹿なと言っても、君が人間ごとき≠ノしてやられて、存在そのものが危なくなっているのは紛れもない事実だよね?」
 僕はにこにこしながらすっと光の剣を掲げた。この剣もバズズに隼の剣を当てられるよう、フェイントと示威行為に活躍してくれた。
 バズズがヒッと小さく声を上げる。
『ナ、ナァ、悪カッタヨ、悪気ガアッタワケジャナインダ。はーごん様ニ命ジラレテ仕方ナクナンダヨ、ナァ、ワカッテクレルダロ?』
「なにがわかるって? 人間ごときに魔族さまの考えることはわからないなぁ」
 にこにこしながら一歩迫る僕に、バズズはがたがた震えながら必死に言い募る。
『ワ、ワカッタ、俺ガ悪カッタ! 俺ガ悪カッタカラ、反省スルカラ許シテクレヨ!』
「反省してるんなら言いようがあるんじゃない? 僕はなんて言わせてあげるって言った?」
 光の剣で喉を撫でながらそう笑ってあげると、バズズは必死の形相で喚く。
『俺ガ間違ッテイマシタ申シワケアリマセンッ! 何度デモ謝ルカラ、ナンデモスルカラ、ダカラ、ドウカ、助ケ―――』
 バズズの言葉に、僕はにっこりと笑った。
「助けるわけないでしょ、お馬鹿さん」
 言うや僕はバズズの口の中に光の剣を突っ込んだ。
『ギャアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァ』
 ずぶずぶと光の剣で思ったより柔らかいバズズの体内を探り、切り裂いていくうちに、バズズの悲鳴は途絶えた。
 びくびくと震える体を動きがちょっと気持ち悪いなと思いながら、光の剣で喉を中から斬り裂き、体内がズタズタになっただろおうなという頃、僕は核を見つけた。全力で突いて壊すと、バズズの体はさぁっとあっさり風に溶けて消える。
 ――案外もう死んでたんだったりして。魔族のくせに意外にもろいんだなぁ。
 僕はおかしくなってくすっと笑ったけど、すぐに走り出した。
 瓦礫の下の兵士たちを一人でも多く、一刻でも早く救出しなければならない。

「――サマ!」
 ロレの声に、僕ははっと顔をあげた。思わず全開の笑顔になってロレを見つめる。
「ロレ!」
 包帯を一気に巻き終えて、大きく手を振った。僕は魔力はもう尽きたけど、医者の技術を使って傷病者の手当てをしてるんだ。
「聞いたぜ。大活躍だったらしいじゃねぇか。敵軍と八面六臂に渡り合ったあとは、城壁を壊すほどのとんでもねぇ魔物と戦って勝ったんだってな?」
「うん……えへへ」
 僕はちょっと照れくさくなってだらしない笑い方をしたけど、ロレはにやりと笑って僕の前に拳を突き出してくれた。
 ……ロレ。
 僕はがつんと拳を打ち合わせて、ロレに微笑んだ。
「ロレ。僕、約束守ったよ」
「おう。よくやったな」
 そう言ってロレがにっと笑ってくれる。僕はたまらなく嬉しくなって、へちゃ、とたぶんすごく奇妙な笑みを浮かべた。
 でもロレは別に呆れないで、にやりと笑って、僕の髪をくしゃっとしてくれた。
 ―――えへ。えへへへ。嬉しいなぁ。ロレが、僕を、褒めてくれたよ。
 それがあんまり嬉しくて、ロレがじゃあなと去っていっても、僕はかなり長い間へらへらと笑みを浮かべたままだった。治療する人には不審がられたけど。

『あいつ、人間じゃねぇよ』
 その声を聞いた時、僕は内心ああ来たか、と思った。
 僕の顔を見るなり逃げるように去っていった兵士たちが遠くでなにやら話してるみたいなんで、少し気になってトオーミの呪文で盗み聞きしてしまった。もちろん聴いていることがばれないようにそちらのほうには背を向けて遠ざかって。
 そうしたらその兵士たちは、僕がいかに人でなしか語り始めてくれたわけだ。
『あんな山ほどの魔物ども相手にして一歩も引かねぇどころか押してるなんて絶対人間じゃねぇよ』
『いくらロトの血族だからって、異常だぜありゃあ』
『しかも魔族相手とはいえ平然とした顔で喉に剣ぶっ刺すしよ、あのきれーな顔で』
『殿下やムーンブルクの王女はよく平気であんな奴の隣にいられるよなぁ』
『あの――サマルトリアの王子と』
 まぁ当然だな、と僕は苦笑していた。僕のあの人間離れっぷりを見れば誰でも怖いと思うだろう。魔物たちをさんざん斬りまくっちゃったし、自分は燃えながら呪文を放つというのも壮絶だっただろうし。
 それに僕は悪意に悪意でもって返した。良識のある人間ならば決してやらないことだ。相手が僕に悪意でもって接したという理由で、僕はバズズをさんざんなぶり、苦しめながら殺したのだ。
 心まで人でなしになる理由はないのに、人としてすべきじゃないことをやったもんな。まぁ僕は生まれた時から性格面でも人でなしだけど。
 やろうと思えばバズズと同じくらい冷静に、冷酷に、人間もなぶり殺せるのだろうから。
『てめぇら、それでも兵士か。戦うことで金もらってんのか』
 ―――ロレ!?
『で――殿下!?』
『あいつはてめぇらを守るために体張ってくれたんだろうが。傷ついた奴らの治療までしてくれたんだろうが』
 ロレ。違うのに。僕は君のようにそうしたいからそうしたんじゃなくて、義務だから、そうすべきだと考えられているからそうしただけなのに。
 ――でも、僕は一人でも多くの人間に死なないでほしかったのは確かだ。守りたかったのも傷つけたくなかったのも。
 死んだら、傷ついたらロレが悲しむだろうから――その理由で僕は、心から全員の無事を祈り、戦うことができた。
『一緒に戦った奴のことを裏切るようなことを言う奴は――』
 ロレの手の骨が鳴る、無骨だけど気持ちのいい音。
『俺がぶっ殺す』
『す、すいませんでしたぁっ!』
 ―――ロレ。
 君はどうして、そんなに、簡単に――
 僕を人間にしてくれるんだろう。
 僕は外見を取り繕っているだけの醜い獣に過ぎないのに。みんなを騙している分魔族にも劣る存在なのに。
 君は僕を仲間と認め、僕のために憤ってくれるんだ。
 僕はその幸福感に、しばし酔いしれた。
 くるりと振り向く。ロレの姿が見たかった。話しかけるのは悪い気がしてできなさそうだったけど。
 ロレは僕に背中を向けていた。その逞しい背中にうっとりした視線を向けていると、ふいにロレが走り出す。
 え、なんで、と思った時気がついた。雨が振り出していたのだ。
「……天より下る水の精霊よ、我に触れるべからず。我はしばし風と炎の精霊とともに安らがんとする者なり=v
 僕はメイルロ――雨避けの呪文を唱えてゆっくりとロレのあとを追った。なんだか狩りをしているようで胸が躍った。といっても僕は今まで狩りを楽しんだことはなかったのだけれど。
 少しどきどきしながらロレが東屋に入っていくのを目で追い――足を止めた。その東屋には、マリアがいるのが見えたからだ。
「――ローレシアの王子を、追わないのか」
 僕は少し驚いたけど、それを表情には浮かばせずゆっくりと振り向いた。
「追いませんよ。――昨日まで攻めていた国の葬式に現れるとは、大した余裕ですね、大神官ハーゴン」
「別に余裕というほどのことではない。私は隠密行動には長けている。人の心に自分を認識できないようにさせる方法は充分心得ている」
 僕の背後から声をかけてきたのはやはり大神官ハーゴンだった。いつも通りの蝙蝠の髪飾りと祭服に、相変わらずの無表情だ。
「今回はあなたもずいぶん頑張りましたね。相当魔力を使ったんじゃないですか? あれだけの魔物を操った上に大規模魔的結界、その上ローレシア国民全員に心話ですもんね」
 ハーゴンがロトの血族を差し出せばローレシア国民を救うという心話を放ってきた時にはかなり困った。ある程度予想していた手ではあったんだけど、対応策とかロレは聞いてくれなそうな気がして(いざその時になれば冷静に動いてくれると思うんだけど、前もって対応策を云々すると不機嫌になりそうな気がする)。一人でも治療の手が必要な時だったから助けにもいけなかったし。かなりやきもきした。
 ロレのことだから大丈夫だとは思っていたけど。ロレが切り抜けた方法を聞いた時は、ロレらしいなって嬉しくなっちゃった。
「それほどでもない――私はこういう作業は慣れている。そのために作られたのだからな」
 そのために作られた。またハーゴンの出生の秘密だ。
 ここをもう少し突っこんで聞いてみるべきかどうか迷っているうちに、ハーゴンは話題を戻した。
「なぜ、ローレシアの王子を追わないのだ?」
「マリアがいるからです。僕が行ったら邪魔だろうと思って」
「……ローレシアの王子の想い人はムーンブルクの王女か」
「そうですね。本人は自分の気持ちに気づいていないみたいですけど」
 話しながら内心ではなんだかなーと思わないでもない。ハーゴンはまぎれもなく僕たちの敵で、僕たちを苦しめる手を次々打ってきた張本人なのに。
 でも、ハーゴンと話すのが少しずつ楽しくなってきていたのも事実だった。なにしろ彼と話す時は本当に、なにひとつ気を遣わなくていい。お互いの言いたいことはすぐ通じるし、傷つけてしまうのではとかいう心配も彼なら不要だ。なにせ彼は僕たちの敵、それも親玉なのだから。
 だけど、なんとなく、僕とハーゴンはなにが起きてもお互いを傷つけるような台詞は吐かないだろうな、と頭のどこかで確信していた。
 信じる、というより知っていたんだ。お互いがどういう存在か。
「お前はムーンブルクの王女を憎みはしないのか」
「いいえ。むしろ好きな方ですよ」
「恋敵だというのにか」
「ロレは僕を恋愛対象として認めてくれていないから、恋敵にはなりませんよ。僕はマリアはロレを幸福にしてくれる人だって大切にしてるつもりですよ」
「そのようだな」
 まったく、ロトの勇者の仲間と魔を統べる者が雁首交えてなにを話しているんだかね。
「ムーンブルクの王女を守ったところでお前の苦しみは癒されぬぞ」
「わかっています」
「ローレシアの王子がお前に応えてくれることは金輪際ないのだぞ」
「そうでしょうね」
「なのになぜ必死になってあの二人を守ろうとする? お前の苦しみを理解しようともせぬ者たちを」
「前にも言ったでしょう? 僕は僕を理解してもらおうなんて大それた望みは抱いていませんから」
「――私がお前を理解したいと思うのは、迷惑か?」
 おっとぉ。そういう質問は予想してなかったな。
 なに考えてんだろと顔を見たが、相変わらずの無表情で思考が読み取れない。まぁなんでもいいか、と思いながら応える。
「いいえ。少しですけど、嬉しいですよ」
 僕はその時微笑んでいた、とあとになってから気がついた。
 そして、気のせいかもしれないけど、ハーゴンもうっすらと微笑んだような気が、僕にはしたんだ。
 どちらからともなく視線を逸らし、あらぬ場所を見つめる。照れくさいとか思ってるのかな僕、と人事のように思った。
「――ムーンブルクの王女が」
 ふいにぽつり、とハーゴンが言い、僕はロレとマリアの方を向いた。
 遠いので話しの内容を聞くには呪文を使うか唇を読むかするしかない。別にどちらもするつもりはなかったけれど、マリアの唇の動きはなぜかしっかり目に入ってしまった。
『あ』
『な』
『た』
『が』
『す』
『き』
 ――その動きが頭の中で文章を成した時、僕の体は氷のように冷えた。

戻る   次へ
ローレシアの王子の話へ
DRAGON QUEST U topへ