「……本当に、旅の終わりまで言わないつもりでいたの。あなたがサウマリルトの気持ちにどう対処すればいいか迷っているのは知っていたし、そんなところに割り込んでいってパーティの雰囲気を壊したくなかったから」 俺はただひたすらに呆然とマリアを見ていた。こちらを見つめながら、顔を耳まで紅に染めて、目を潤ませながら必死に言葉を紡ぐその姿を。 「でも、あなたの腕が落ちるところを見て――私たちが本当は、いつ死ぬかもしれない状況にいるってことに気づいて、なにも言わないうちに、あなたが死んでしまったらって思うと、怖くて、怖くて―――」 ぎゅっと拳を握り締めながら、こちらから(たぶん全精神力を総動員して)目を逸らさずに訥々と言うマリア――その顔はなんていうか、見てると抱きしめたい、なんて馬鹿なこと思っちまうような――なんつぅんだ、いじらしいっつーか……そんな感じの顔で、俺の心臓は早鐘を打ったが顔や行動に出してはなにも反応できなかった。 情けねぇことに、なんて言やあいいか、わからなかったんだ。 「ごめんなさい、こんな時にこんなことを言って。でも――言わないと、私………不安で不安で、結局言えないまま、私の気持ちを知られないまま、あなたか、私が消えてしまうのではないかと不安で―――」 そう必死に、すがるように言いかけて、自嘲するような笑みを浮かべる。 「……ごめんなさい。くだらない不安よね、わかっているの。あなたに負担をかける気はないわ、今の話は――忘れて、ちょうだい」 そう言ってマリアは休憩所の外へと駆け出していった。外はまだ雨が降りしきっているにもかかわらず。 止めなけりゃ、と俺の手は一瞬動きかけて――結局、力なく下ろされた。 情けないことに、死ぬほど悔しいことに、あいつとまた顔を合わせた時、なんて言っていいかわからなかったからだ。 それから、めちゃくちゃ俺らしくないことに、俺はそれからずっと考え続けてる。 マリアに、なんて答えるか。 今まで通りの俺のやり方でいくなら、惚れたっつわれたんだから答えは単純だ、受け入れるか受け入れないか。好みだったら受け入れりゃいいし、抱く気になれねぇんなら受け入れなきゃいい。 もっとも俺は素人の女には手を出さねぇのが信条なんで、たいていは俺の素性を知らねぇ水商売か娼婦の女にだったけど。社交界とかで会った貴族の女どもにもそういうことはよく言われたけど、軽く遊んでやる程度で済ませといた。 ――けど。マリアは、そういうのとは違うんだ。 なんていやいいんだろう。こいつは、マリアのことは俺は嫌いじゃねぇ。っつーか……言うのも照れくせぇけど、大切だと思ってる。仲間として、なんつぅか……すげぇ。 最初はなんつー生意気な女だと思ったが、今では喧嘩した時以外、悪感情を持つことがねぇのも確かだ。こいつを守ってやりたい、大切にしてやりたい――そんな風に思うことも、けっこう……いっぱいある。 けど。なんつーか、だからこそ。 俺はマリアに軽々しく答えちゃならねぇと思った。マリアは仲間だ、大切な人間だ。だから、こいつが納得するような、こいつが間違いなく幸せになれるような、そういう答えを選びたい。傷つけたくねぇし、軽々しく抱いたりなんかは絶対ごめんなんだ。 ――俺は、こいつの泣き顔はもう見たくねぇんだから。 けど、どんな答えがこいつにとって一番いい答えかってのは、どんなに考えても出てこねぇ。 泣かせたくねぇのに。こいつが笑えるような答えを返してやりてぇのに。 そんな答えがどんな答えかってのは、どんなに考えても思いつかなかったんだ。 俺はどうしてやりゃいいんだろう。どうすりゃこいつを幸せにしてやれるんだろう? ときおり『マリアが俺を好き? マジか? マジで言ってんのか?』といまさらのように悩んだり、マリアが俺を好き、ということをまともに考えると『うがああぁぁぁ!』と叫び出したくなるくらいの恥ずかしさに襲われたりしながら、俺は必死で考えた。 ローレシアを出た俺たちは、水の紋章を得るためムーンペタに向かっていた。ルーラを使えば一発なんだが、マリアがムーンブルクの様子を見たいっつったんで一週間ぐらいかけてムーンブルクの町々を回った。 ムーンペタで、マリアはうなだれながらこう言った。 「……私が早く帰っていれば、こうはならずにすんだのかしら」 ムーンブルクが以前より悪くなってたことを嘆くその台詞に、俺はマリアを睨んだ。 「阿呆。てめぇがいたって魔物の跳梁は避けられねぇんだ、以前よりは悪くなってたさ。それよりてめぇはこっちの戦力に絶対必要なんだ、馬鹿なことごちゃごちゃ考えてねぇで今てめぇのできることやりやがれ」 「………そうね。そうかもしれないわね」 マリアが少し顔を赤くしてうなずく。俺も、そういやマリアとちゃんと話したの久しぶりだよなってちらりと思って、そしたらなんか妙に恥ずかしくなってきた。 ……なんつーか、マリアとどーもまともに向き合って話せねぇんだよなー……ちゃんと答えてやんなきゃって思いと、なんつーか……こいつ俺に好きだっつったんだよなって考えると、なんか猛烈に恥ずかしくなってきちまうってのがあって……。 なんでこいつは俺が好きだとか言ったんだろう。俺はこいつが好きになれるようなこと、ほとんどしてやった覚えねぇのに。 ……どうすりゃいいんだろーな。 マリアはあれから用事がある時以外まったく俺に話しかけてこねぇ。それはやっぱり、俺の答えを待ってるからなんだろう。 どうすりゃいいんだろう。どうしてやりゃいいんだろう? 俺はサマが振ってくる話題に生返事を返しながら、マリアのことを考えていた。 水の紋章を手に入れるために監獄に入る許可をもらうためムーンペタ大公のところに行き、大公が監獄になにか俺たちに知られたくない秘密があるらしいと踏んだ俺たちは、いつものごとくサマの提案で大公の出した証拠隠滅部隊を捕まえて話を聞きだし、監獄を調査した。 その結果、マリアがガキの頃呪文の教師を魔力の暴走に巻き込んで殺したってのは、ムーンペタ大公の差し金だってことがわかった。 俺たちはその証拠を裁判所に渡し、ムーンペタ大公を引っ立てた。マリアはムーンペタ大公を絶対に許しはしない、憎み続けるが殺しもしないと言った。 ……俺としてはさくっと殺っちまってそのことはすっきり忘れる、っつーのの方がいいんじゃねーかと思ったけど。確かにマリアじゃ人を殺すってこと自体に耐え切れねぇだろう。 ……俺自身は、こんな奴ぶっ殺したって構わねぇと思っちゃいたが。 そして、マリアは今、部屋で飯を食いながらどっぷりと落ち込んでやがる。 「僕は、立派だったと思うけどな」 「…………」 「憎しみはひどく深かったことだろうに、法と神に裁きを任せた。王女としての義務は充分に果たしてると思うよ」 「……けれど、個人的な憎しみを相手に向けたことは確かだわ」 なに言ってやがんだ、んなもん当然のこっちゃねーか。 そう言ってやりたい、けどマリアにとっちゃ俺の言葉は乱暴に聞こえるんだろう。 俺じゃ、マリアを傷つけちまう。サマの方がずっとうまくやれる。 俺はぎりっと奥歯を噛み締めた。ちくしょう―――悔しい。 そう思ってからはっとした。なに悔しがってんだ俺は。人には向き不向きってもんがある、サマはそういうことが得意だってのは前からわかってたことじゃねぇか。 なのになんで――傷ついてるマリアにうまく話しかけられねぇのが、悔しいんだ? 「別にいいんじゃないかな? 子供の頃の心をひどく傷つけられたんだから、そのくらいのことは当然許されると思うよ」 「それでも――私、本気で言ったのよ。あの人が罪を裁かれて罰を受けたとしても、絶対に許さない、って……」 「許さなくていいじゃないか。あいつはそれだけのことをやったんだ」 「違うの。私は亡くなった人のために憎んだんじゃないの。私が、より虐げられるようになったから、私の苦しみのために、復讐のために憎むって言ったの……」 「そんなのは当然だよ。誰だって十年以上前に少し接した程度の人のために人を憎めるものじゃない」 「それなら放っておけばいい、ただ法と神に裁きを任せればいい。……でも、私は本当は私が裁いてやりたかったの……なのに、外面を取り繕うために、けれど少しでも大公を苦しめてやりたくてああ言ったの……」 マリアは顔を押さえてうっくうっくとしゃくりあげる。俺は頭の中が真っ白になった。 おい、おい、泣くなよ、泣くんじゃねぇよ。俺はお前の泣き顔、すっげー苦手なんだから。 なんとか慰めたくてけどどうすりゃいいか思いつかなくて俺は手を上げては下ろしということを繰り返す。けどそんなことしたってどうなるもんでもねぇ。 「僕、水持ってくるね」 突然そう言ってサマが立ち上がる。なんだいきなり、と思っていると、サマは俺に目配せしてマリアを示す。 ……俺に、マリアを、慰めろって? 俺は思わず怒鳴りかけた。てめぇなに考えてやがんだ、俺がマリアをてめぇほどうまく慰められるわけねぇだろ。 けどサマは真剣な顔でこっちを見て何度もうなずく。俺じゃなきゃマリアは慰められねぇ、って言ってるみてぇに。 そんなわけねぇ――そう言いかけて、俺ははっとした。 マリアは、俺が好きだと、言っていた。 俺はぐっと奥歯を噛み締めて立ち上がった。もし、本当にそうなのだとしたら。 マリアが辛い時、俺には慰めてやる権利があるはずだ。 サマが部屋を出ていくのを意識しながら、俺はマリアに歩み寄る。 「おい、マリア」 マリアは顔を上げようとしない。そのことにひどく焦れた。 「マリア、俺は―――」 言おうとして思った。俺が俺にとっちゃわけのわかんねー理由で落ち込んでるこいつになにを言ってやれる? 俺は慰めるのはど下手なんだ。こいつだってんなもん期待しちゃいないだろう。俺は覚悟を決めて、マリアを抱え上げた。 「きゃ……!?」 マリアが小さく悲鳴を上げる。無視して俺はベッドに座り、持ち上げていたマリアをその膝の上に下ろす。 硬直しているマリアを、できるだけそっと抱きしめた。壊れないように、傷つかないように。 「……マリア」 髪をなでながら、できるだけ静かに言う。 「愚痴言いたいだけ言っとけ。泣きたきゃ泣いとけ。俺にゃお前がなにそんなに落ち込んでんのかさっぱりわかんねぇけど――少なくとも、気持ちのぶつけどころにゃなってやれる」 「………………」 「お前の言葉だったら行動だったら、なんだって受け止めてやる。だから、言いたいこと言っとけ」 「………………馬鹿」 「はぁ?」 いきなり馬鹿たぁなんだ。むっとして顔をのぞきこむと、マリアは顔を真っ赤にして涙をぽろぽろこぼしながらこっちを睨んでいた。俺の心臓がどっくん、と大きく跳ね上がる。 「馬鹿! ロレイス、あなたは馬鹿よ!」 「……なっ……」 「私があなたのことを好きだって言ったのもう忘れたの!? それともあれはあなたには全然どうでもいいことだった!? 気にしないですむ程度のことだった!?」 「なっ……なに言ってやがる! 俺ぁな、柄にもなくお前のその言葉のことずーっと考えて、頭くらくらするほど必死になって――」 「だったら! なんでこんなことするのよ!」 「こんなこと……?」 「こんなっ……風にっ、落ち込んでる時に……好きな人に、抱きしめられたら、へ……変な風に、なっちゃうでしょぉっ………!」 「……………………」 マリアの言葉を理解するのに数瞬かけて――それから俺の頭に一気に血が上った。 そうだ、なに考えてんだ俺は。てめぇに惚れてるっつう女抱きしめたら、そりゃもうそのままなだれこむしかねぇ状況じゃねェか。 なんでそんなこともわかんなかったんだ、俺。こんな状況前にもなかったわけじゃねぇのに。 ただ、俺はマリアの涙を止めたくて、こいつの気持ちありったけ受け止めてやりたくて―― だけど――気がついてみたら、なんて……抱き心地いいんだ、こいつ。 気持ちいい……旅してるせいかしゅっと体は締まってんのに、骨の上についた肉は適度に柔らかい。腕や足は毎日歩いてるとは思えねぇくらいとんでもなく華奢で、俺のぶっとい腕や足に触れてるだけでぞくぞくするような快感があった。 そして――さっきまでは全然自覚してなかったが、俺の胸に、こいつの、マリアの、それほどでかくねぇけど形のいい胸が、押し付けられて――― 俺は、ごくり、と唾を飲み込んだ。マリアが不安そうに俺を見上げる。 「ロレイス………?」 あえかな声で言って身を震わせる。離してほしいって意思表示か。 けど、俺は離さなかった。離したくない、こんな奴、離せるわけない。 こいつを傷つけたくない、大切にしてやりたい。けど。 手が、腕が、足が。こいつを離してやってくれない。 「ロレイス………!」 マリアが不安そうな声で叫び、俺の瞳をのぞきこんでくる。俺は動かないまま、ただマリアを見返した。マリアがまたびくん、と体を震わせる。 心臓がどくどくいってる。俺のも、マリアのも。 俺はす、とマリアの背中に回した腕を動かした。マリアがびく、とまた震える。 すすすすっと、触れるか触れないか程度の感触しか与えないように背筋に手を滑らせ、むき出しのうなじに触れる。そこはしっとりとして、すべらかで、柔らかく暖かかった。 もう一方の手を、マリアの顔に伸ばす。その間近に見える、これ以上ないってくらい形のいい顔の輪郭を指でつぅっとなぞり――― 『うむうむ、盛り上がっとるのう。いい感じじゃな、若者はやはりいいのう』 「―――っぎゃああぁぁあぁぁ!!!」 「きゃ―――――っ!!」 絶叫して飛び離れる俺たちを見下ろしているのは――ディリィだった。例の呪文でどこでも話ができる円盤から、影のない姿で宙に浮き、にやにや笑いを浮かべている。 「な、な、な、な………なにやってやがんだてめぇはぁぁっ!!」 『なにと言われてもな。新しく調べのついたことがあったので、お前たちに知らせようと思いこちらに姿を現したのだが。そうしたらまさに真っ最中だったというだけで』 「ま、ま、真っ最中ってな……!」 『すまんな、いいところを邪魔して。なんなら今からまた引っこんでもよいのだが、実は大事な話があるのだ。サウマリルトも交えつつ話をしたいと思うのだが、どうかな?』 うさんくさいぐらい優しい笑顔で言うディリィ。真っ赤になってうつむいているマリア。俺ももうなんとも言えねぇほど猛烈恥ずかしくなってきて―― 「わかったよっ!!」 叫んで部屋を飛び出した。ずかずかと歩いて二人から見えないところまで離れる。 もう大丈夫だ、というところまで来てから、俺はがっくりとしゃがみこんではあぁぁぁと息をついた。 「や………やばかった!!」 あーちくしょーなにやってんだ俺はー、とぶつぶつ言いながら窓の外を見上げる。頭にくることに、窓の外にはこっちを馬鹿にしてんじゃねぇかと思うくらい丸々と見事な、マリアの肌を思い起こさせるようにきれいな満月が光を投げかけていた。 |