決戦前夜の話・前編
 俺たちは邪神の像を手に入れると、いったん炎の祠まで南下して聖なる祠っつーロトの兜を祭ってる場所に旅の扉で移動した。ロトの兜を手に入れるためだ。
 向こうもこっちのことは知ってたみたいで(ラダトーム王家の直轄なんだから当然っちゃ当然だが)、ロトの勇者の子孫である証を一応求めたあと(サマの提案でロトの印から記憶を引き出せることを示すことで身の証を立てた)兜を渡してきた。ロトの兜はなんとなく力は感じるものの、剣や盾みたいには語りかけてはこなかった。
 そんでそのあとベラヌールに飛んだ。ここからロンダルキアの洞窟に繋がる旅の扉があるってことだったからだ。
 誰が作ったのかは知らねぇが、確かに旅の扉はディリィの言った場所――牢屋の奥にあった。ベラヌールでは流刑地としてロンダルキアへ繋がる道を利用してんのかもな。
 とにかく一応ここの旅の扉は(結界を越えられさえするなら)誰でも利用できるってことになってたんで使わせてもらう。もう毎度お馴染みになってきた浮遊感と目眩をしばし味わって、出た先は祠だった。
 一応管理人の爺さんがいて、ここから西にロンダルキアに通じる洞窟があること、だがそこはもう封じられてることなんかを教えてくれた。
『もそっと西じゃ。ほれ、とっととせぬか』
「へいへい」
 俺らはディリィの指示に従って毒の沼地を移動し、岩山の前に邪神の像を据えた。これがどーなって洞窟の封印を解くのかなんてさっぱりわかんねーからディリィ任せにするしかねぇ。
 幻覚越しに呪文を使うのはけっこう面倒みたいで、マリアとサマに指示して呪文を唱えさせる。すると、岩山がゴゴゴゴ……と鳴動し目の前の岩があっという間に崩れていく。香が一つまみ燃え尽きる時間もあらばこそ、俺たちの目の前には洞窟の入り口が出来上がっていた。
『よいか、この洞窟には命の紋章とロトの鎧がある。命の紋章は最初に入った階から一回下りた場所にあるので、それを得てから一度洞窟を出るのだ。精霊ルビスの祠に行くためにな』
「お前んっとに無駄なくらいいろんなこと知ってるよな……なんでロトの鎧がこんなとこにあんだよ?」
『ロトの鎧を得たハーゴンはそれを破壊しようとしたが果たせなかった。ロンダルキアは精霊ルビスの聖地、ロンダルキアに持ち帰ってルビスの力が増すことを警戒し、中途半端なこの場所に隠さざるを得なかったのだ』
「ロトの鎧ね……」
 現在俺たちはロトの剣とロトの盾とロトの兜、ついでにロトの印を手に入れている。ロトの鎧があれば一揃い揃うのは確かだな。
 それに――俺は海底洞窟で、ロトの剣の力の一端を知った。世界を変える力っつーもんなのかはわからねぇが、俺がロトの剣を呼んだら、斬れねぇもんはない、とそう実感できた。
 ローレシア城の時みてぇに、何万って魔物が押し寄せてきても、一振りで片づけられる、そんな力を感じたんだ。
 ロトの盾や鎧にもそんな力があるのかはわからねぇが、揃えておくにこしたことはねぇだろう。俺たちはあの闇とこれから戦わなきゃなんなくなるかもしんねぇんだから。
「……行くか」
「うん」
「………ええ」
 マリアが小声で、小さくうなずきながら応える。その顔は緊張にこわばっていた。やっぱ、いよいよ敵地に潜入するとなると、いろいろ考えちまうんだろう、こいつのことだから。緊張やら恐怖やらで内心ドキドキしてたまんねぇはずだ、必死に虚勢張ってるけど。
 ――好きな奴のことなんだ、そのくらいは、わかる。
 俺はぽん、とマリアの頭に手を置いた。
「な……なに?」
 マリアが驚いたように俺を見る。俺は笑った。
「んなに緊張すんな。俺がついてんだ、大船に乗った気でいろ」
「な……なにを言うのよ、急に……」
 マリアは顔を赤らめて俺の手をどかそうとする。俺は軽く笑って耳元に口を寄せ、囁いた。
「んな泣きそうな顔してたらな、嫌でも慰めたくなるっつーの」
「な……なによ、それ。私は別に慰めてほしくなんか――」
「いいからそんくらいやらせろ。俺が楽しい」
 そう言ってぽんっと尻を叩く。マリアはカッと顔を赤くして、雷の杖を振り回した。
「どこを触っているのよ、この……この、女たらし!」
 マリアの攻撃を軽くさばきながら、俺は笑った。マリアをかまうのが、俺の手でマリアが反応するのがたまらなく楽しかった。

 ロンダルキアの洞窟ってんだからどんなのが出てくるかと俺も内心かなり警戒してたんだが、入り口だけじゃ大した魔物は出てこなかった。入ってしばらく歩くといきなり落とし穴に落ち、そこは腐った死体の密集地で他の魔物は出てこなかった――っていうのもあるんだろうけど。
 とにかくあとからあとから湧いて出てくる腐った死体をさくさく斬り倒して、首尾よく心の紋章を手に入れ、俺たちはローレシアから南下して精霊の祠を目指した。二週間ほどかかった。
 ここは精霊ルビスが作ったと言われる由緒正しい祠で、ルビスが招いた時にしかその扉を開けないんだとか。だが、海の波に洗われながらも峻厳とした姿を保っていたその祠は、鍵を差し込む必要もなく扉を開いた。
『ここのひたすらに階段を下った海の底に、ルビスの声を聞けると言われる至聖所がある。そこに五つの紋章を捧げ、祈れ。さすれば精霊ルビスがご降臨なされるはずだ』
「はず、かよ」
『わしとて確信があるわけではない、ルビスに会うことができたのは一度きりなのだからな。じゃが、一番成功率の高い方法ではあるはずだ』
「……つか、いまさらだけどそこまでしてルビスに会う必要があんのかね。会わなきゃなんねぇなら向こうから声かけてくんじゃねぇの?」
『ほう、大きな口を叩く。それならいざシドーと対峙した時にロトの武具が力を失ったとしてもお主の力だけで切り抜けられるのだな?』
「……へいへい、わかったよ。阿呆なことを申しました」
『わかればよい』
 ディリィはふ、と偉そうに笑う。その笑みはムカつくが、実際こいつの言ってることは間違ったことがねぇんだ。そこんとこは年の功ってやつを素直に受け入れてもいいだろう。
 ディリィが接続を切ってから、俺は舳先から下方に三尺、という辺りにある祠の入り口に飛び降り、心なしかドキドキしてるようなマリアに向けて手を伸ばした。
「………え?」
 マリアは一瞬ぽかんとした顔をした。それから頬を朱に染めて、すげぇ妙なもんを見てるみてぇな顔で俺を見る。
「なんだよ、早く来い」
「だ、だって……なんであなたがそんなことを?」
「しちゃ悪いか」
「悪いかって……あなた今までそんなこと一度もしたことなかったじゃない!」
「そうか?」
 少し考えてみる――確かにこういう時、俺は大丈夫かとやきもきしながらマリアを見てて、んで俺が我慢しきれなくなって手ぇ出す前にさっさとマリアが飛び降りるっつーのが普通だった。
 けど、実際は――俺はずっとこんな風に、マリアを支えてやりたかったんだ。
「いーだろ、こんくらい別にしたって。それともお前は嫌なのかよ?」
「それは……嫌ではないけど……」
「じゃ、とっとと来い。さもなきゃ抱えて飛び降りるぞ」
「わ、わかったわよ! …………はい」
 マリアは恥ずかしそうに、戸惑いつつはにかみながら、俺に手を差し出してきた。俺はその手を取って、軽く腰を支え、床にそっと下ろす。
「…………! いつまで握っているのよ!」
「へ? ああ、悪ぃ」
 なんとなくマリアの手を握っていたら真っ赤になってもぎ放された。……俺としてはもっと握ってたかった気もすんだけどな。
 サマが飛び降りてくるのを待って、俺たちは祠の中、奥へと進んだ。

 下へ、下へ、どんどん下へ。
 階段を何度も何度も下っていく。この程度で疲れるほどやわじゃねぇが、先が見えねぇっつうのはちっと気分が悪ぃ。
 一刻ほどえんえんと階段を下りまくって、ようやく行き止まりにたどりついた。いかにも至聖所って感じの、海の底だってのに潮の香りのしねぇ水に囲まれた祭壇。
「……ここでなにをすりゃいいんだ?」
「紋章を捧げて、祈れと言っていたわね、ゴーディリートは」
「祈れ、ね……」
「……紋章を出して、そこに三人で座ろう。そしてそれぞれに、今一番心にかかっていることを考えるんだ」
「は? なんだよそれ」
 サマの言葉に俺は少し眉をひそめた。それが祈りとどう繋がるのかわからなかったからだ。
「……僕は神学は専門というわけではないけれど、祈りというのは真実の言葉じゃなければ届かないのはわかる。だから祈りという形にとらわれないで、今心にかかっていることをひたすらに念じたら、ルビスさまもその声を聞いてくれるんじゃないかと思うんだ」
「ふーん……そうかもな。じゃ、やってみるか」
 そう言うとサマは、少し嬉しそうに笑った。
 俺たちは紋章を祭壇に捧げて、その前にひざまずいた。両手を組み合わせて祈りの姿勢を取る。
 俺はなにを考えりゃいいのかわからず、しばらく頭の中がぐるぐるした。マリア。サマ。親父。ハーゴン。ローレシア。母上。妹ども。ディリィ。馬鹿ども。娼婦。思考はあっちこっちに飛び回る。
 ――駄目だ、なにかを考えなきゃって思うとわけわかんなくなる。俺はルビスに言いたいことを考えることにした。
 俺は世界を守りたい。だからそのために力を貸してくれ。
『――なぜ守りたい?』
 俺の心のどこかがそう問う。もしかしたらロトの武具のどれかかもしれねぇ。俺はそれに静かに答えた。
 好きな奴がいる世界だからだ。
『好きな者がいなければ世界を滅ぼしても構わないのか?』
 知るかそんなん。んなの好きな奴が世界から全員消えちまわなきゃわかんねぇよ。
 けど、俺は、今はこの世界を守りたい。それだけで戦う理由には充分だ。
 俺は今生きている、一緒に生きてほしい奴がいる。だったら世界ぐらい守ってやるのが当たり前だろ!
『―――然り』
 突然ひどく澄んだ、優しい女の声が聞こえた――と思った。
 とたん紋章がとんでもねぇ勢いで光り輝く。俺の視界は一気に白で埋め尽くされた。
 けど、そんな光輝いてるのに眩しくねぇ。目を見開いても見えるのは、ただ白。どこまでも続く優しい光。
 マリアもサマもどっちを向いてもいない――その光の中で、声がした。
『ロレイソム』
 澄んだ、優しい、そして気高い声。
 人間外って言われても納得できるような、すっげぇ……なんつーか、普通じゃねぇ、天から降ってくるみてぇな声だった。
(あんたが精霊ルビスか)
 喋ったつもりだが声は俺の耳には届かなかった。
『そうです。あなたたちの遠き母にしてアレフガルドを産み出しし者。大地の精霊、ルビスです』
 その声を聞くたび体が震える。畏怖というよりは快感で。
 ずっと聞いていたくなるような、この声さえありゃなにもいらねぇような、そんな気分にさせる声だ。
 だが、俺は拳を握り締めて言った。俺は母の膝の上で甘えてりゃそれでいい年のガキじゃねぇ。
(あんたに頼みがある。これまでも祝福を受けていながら頼むのは心苦しいが、念の為だ。世界を救うために、力を貸してくれ)
『――ロレイソム。あなたがここまで戦ってこれたのは、私の祝福があったからではないのですよ』
(……そうなのか?)
『そうです。私も女、そして母。可愛い子孫たちにより祝福を与えたくなるのは人情ですが、だからといって私に祝福されたからといってどこまでも強くなれるというわけではないのです』
(……神様の台詞とは思えねぇな。っつか、子孫ってなんだ……?)
『私はかつてただの精霊でした。偶然神の力を手にしたゆえ天界に招かれただけの存在。もはやこの世界ただ一人の神とはいえ、真の神ではありません』
(いや、別にいいんだけどんなこたぁ。それより……力を貸してくれるのかくれねぇのか、どっちなんだ?)
『ロレイソム――あなたは自らの意思と、力と、天に選ばれた素質――そして仲間の力でここまで戦ってきました。あなたにおそらく助けは必要ない。あなたは世界を愛し、世界に愛されている。どんな敵が現れようとも、あなたはあなたの力で道を切り開いて行くでしょう』
 ……サマみてぇなこと言うな、この神様。
『ただ――私もハーゴンを止めるためには、手を尽くしたいと思っています。私の今の力でできることはほんのわずかですが――あなた方が紋章をここに持ってきてくれたおかげで生まれた力の余裕を使って、贈り物をしておきましょう』
(そんなに余裕がねぇんなら無理しなくてもって気はするが……ありがたくいただいとく。あんたの力が必要になる時が来るかもしれねぇ)
(心から、あんたに感謝する。これまで世界を支えてくれたことに、祝福を与えてくれたことに、贈り物をしてくれたことに)
 ルビスは笑ったようだった。
『あなたのような人がいると私もあと数万年ぐらいは頑張れそうな気がしてきますよ。人が古き神々の退歩と停滞の呪いを打ち破り、世界を創る力を得る日まで』
(大変だろうが、頼む。こっちは俺たちに任せとけ)
『ありがとう……私の可愛い勇者。私の可愛い子。あなたが幸せになることを、私は祈っていますよ』
 そんな笑みを含んだ声がした、と思ったら――光がすっと消えて、当たり前の世界が戻ってきた。
 頭をぐらんぐらんさせながら周囲の様子を窺う。サマとマリアは倒れていた。慌てて様子を窺うと、ちゃんと息はしてたんで安心する。
 ……なんか、すっげー酔った……めちゃくちゃ強ぇ酒飲んだ時よりまだ酔った。神様酔いっていうのか、これ?
 とりあえず腰を下ろして、マリアの様子を窺う。呼吸はちゃんと整っていた。その長い髪が床に投げ出されているのが、ちっと色っぽい。
 ふと、マリアの首に、さっきまでなかった首飾りがかかっているのに気がついた。赤い宝石をつけ、五つの紋章に似た小さな宝石が輝くその首飾りは、マリアによく似合っていた。
 俺は小さく笑った。どんな働きをするのかは知らないが、ルビスさまも粋なもんを贈ってくれる。
 俺はもう少し頭が落ち着いて、マリアを抱き起こせるようになる時を、楽しみに待った。

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