旅の終わりの話・前編
 冷たい空気に目を覚ますと、目の前にマリアの顔があった。
 一瞬驚いて、それから思い出す。
 そうだ、俺は、こいつと―――
 顔がにやける。なんつーか、すんげー恥ずかしくて照れくさかった。けどそれよりはるかに……なんつぅんだ、嬉しいっつーかわーっと体中わきわきしてるっつーか……嬉しいのかな、やっぱ。たまんねぇ気分だった。
 目の前のマリアはまだ寝ていた。目を覚まさせないようにちゅっと軽く鼻の頭にキスをして――こんなの初めてだな、どんな女を抱くにしろ、一緒に朝を迎えたことなんてなかったから――マリアがわずかに顔をしかめるのに微笑んで素っ裸のままベッドから降りる。
 暖炉の火は消えかけていた。薪はたっぷり用意してある、ほくちと薪で火をつけなおすと、あっという間に暖炉のてっぺんを焦がすほどの炎になった。
「………ロレイス………?」
 マリアの寝惚けたような声がして、俺は笑って振り向いた。
「起きたか?」
「えぇ………!」
 ベッドの中で俺の方を見て、カッと顔を赤らめる。
「……服を着てよ。そんな格好でうろつかないで」
「んだよ。昨日さんざん見たろ?」
「見てないわよ! 私……私、恥ずかしくてあなたを見る余裕なんて全然なかったんだから……!」
 その言葉に、俺は思わず顔をにやけさせた。こんにゃろ、可愛いこと言いやがって。
「んじゃ、昨日の分もしっかり見とけー」
 ひょいっとベッドに飛び込んで、マリアの上にのしかかるようにして笑う。
「み、見たくないわよそんなの、なに考えてるのあなたは!」
「そんなのたぁなんだよ。大事だろ、これがなきゃ房事もガキ作ることもできねぇんだぞ」
「そういう問題じゃないでしょう!?」
「さっさと慣れろよ。これから先何度も見ることになんだからな」
「え……」
 マリアが一瞬きょとんとした顔になったのを見て、俺は不機嫌に顔をしかめた。
「おい、まさかこれっきりにしろとか言うんじゃねぇだろうな?」
「え、だ、だって……あなたの方が、言うんじゃないの? 私とはこれで終わりだって……」
「んだよそれ……あーもー、わかったわかりやすく言ってやる」
 ベッドから俺を見上げるマリアの両脇に両手をついて、これ以上ないってくらい真剣な顔で言ってやる。
「俺と結婚してくれ、マリア」
「――――――――」
 マリアは呆然、を絵に描いたような顔になった。
「な……なんで?」
「俺がお前を好きでお前が俺を好きだからに決まってんだろ。結婚してなんか悪いことあんのかよ」
「だ、だって、あなたはローレシアのただ一人の王子。私はムーンブルクの唯一の王位継承者なのよ。そんな簡単に、私たちだけの問題にはできない……」
「んなもんはあとからついてくるもんだろ。お前のホントのとこはどうなんだよ」
「本当の……ところ?」
「俺と結婚したいのかしたくねぇのか」
「……………………」
 マリアはまた顔を赤らめて、きゅっと顔をしかめてうーうー言い、それからため息をついて答えた。
「したいわ」
「よし、ならしようぜ」
「あなたって……本当にむちゃくちゃね……障害なんてまるっきり無視して、自分の意思を押し通す。全部そのままでやれると思ってるの?」
「たりめーだろ」
 に、と笑ってやると、マリアも呆れたような顔をしつつも笑ってくれた。
 笑ってろ。俺はお前の笑顔がなにより好きなんだから。
「でも……本当にどうやって結婚なんてするつもり? 私たちだけの一存で決められることじゃないわよ」
「簡単だろ。俺はローレシアの王になる、お前はムーンブルクの女王になる。普段はそれぞれ自分の国治めて、週末ごとにでもどっちかの国に行きゃあいい」
 マリアは驚いた顔をした。
「……一緒に暮らすのではないの?」
「一緒に暮らせるならその方がいいに決まってるけどな。お互い自分の国をほいほい捨てられるほど、国だの王族の責務ってやつだのを軽く見ちゃいねぇだろ?」
「………そうね」
「普段はお互い仕事で四六時中一緒ってわけにゃいかねぇに決まってるんだ。だったら普段は集中して仕事片づけて週末ごとに会って一緒にいようぜ。……普段でもふいに会いたくなることとかあるだろうけど、そういう時は根性で会いに行きゃあいい」
「…………あなたって」
 マリアは苦笑する。
「なにも考えてないのだか策士なのだかわからないわ」
「お褒めにあずかり光栄の至り」
「別に褒めてはいないけれど。……それより、早く服を着てよ」
「やだね」
「や、って……」
 ひょい、と体を屈めてんちゅーっとキスをしてやる。
「………ん………ちょ、ちょっと」
「今日は一日中お前とひっついていちゃいちゃしてんの。いやっつっても放してやんねぇ」
「ちょ……無理! 体中が痛いのよ、そんなの無理!」
「バーカ、しねぇよ。初めてがどんなに痛いかっつーのは俺でも一応知ってんだからな」
「え……じゃあ」
 ひょいと肌掛けをめくり中にもぐりこみ、ちゅ、ともう一度キスをして。
「なんにもしねぇから二人でずっと一緒にいてひっついてよーぜ。……俺、素肌ってのがこんなに気持ちいいなんて初めて知ったんだよ。お前と――好きな奴と、素っ裸でひっついてたい」
「な……」
 マリアの顔がさらにカーッと赤くなる。
「あなたって……本当に、どこまで意識して言っているのだか……」
「どーでもいーだろんなこと。……嫌か?」
 俺の言葉に、マリアはくすり、と優しく笑んだ。
「嫌じゃないわ」
 そう言ってそっと、俺の唇にごくごく軽くキスを落としたので、俺は一瞬思いきり盛りかけた。
 結局そのあとずーっとひっついてて、やっぱり何度かやったわけだけど、マリアに怒鳴られながらも俺は、めちゃくちゃ幸せだった。
 ―――明日は最終決戦だ。

 ハーゴンの神殿までやってくるのは造作もなかった。すでに道のりは何度も確認してきたからだ。
 その黒々とした、いかにもって感じの神殿を見上げて、俺は言った。
「……ようやく、って感じだな」
「そうね。いよいよだわ」
 マリアは神殿を睨み上げて答える。――ようやく、こいつに仇討ちをさせてやれる。
 俺も意気で負けてるつもりはねぇ。ローレシアの民を、兵を何百人何千人と殺し、傷つけたハーゴン。魔物を活性化させて山ほどの命を奪ったハーゴン。そいつをようやく倒せる時が来たんだ。
 サマは――こいつがどう思ってるのかは正直わからねぇ。けど、たとえ俺たちのことをどう思ってようと、俺たちの足を引っ張ったりするようなことは絶対にしねぇ奴だ。ここまでの旅でそのくらいのことは見抜けるようにはなってる。
 ―――旅が終わるんだ。終わらせるんだ。
「マリア、サマ、準備はいいか?」
「ええ」
「うん」
「よし――行くぞ!」
 俺たちはハーゴンの神殿に侵入した―――
 とたん、俺は唖然とした。そこはローレシア城だったからだ。
 それも謁見の間。奥の玉座に親父が、その前に顔見知りの兵士やら侍女やらがうろうろしてやがる。
 一瞬なにがなんだかわけがわからなかったが、すぐはっとした。これは幻だ、ハーゴンの野郎の。
 俺はずかずかと親父の姿をしたものに歩み寄り、剣を抜いてそいつのすぐ脇に突き立てた。
「――誰だてめぇ。誰に断って人の親の顔勝手に使ってやがる」
「なにを言うロレイス。わしだ、お前の父だ。セルメンダ・オーマ・ローレシアだ。忘れたのか?」
「ほう、じゃあなんで俺の親父がロンダルキアのハーゴンの神殿の中にいんだよ。しかもローレシア城そのまんまの城の中で」
「ハーゴン様のお力ゆえだ。よいか、わしはハーゴン様と和睦を結んだのだ。もはやローレシアが攻め込まれることはない。お前たちももはや戦う必要はないのだ。ただハーゴン様のお心を受け容れ、従えばいい……」
 ――このクソ阿呆野郎が。
「……ハーゴンってのは最低のクソ野郎だとは思ってたが。こうも馬鹿だとは思ってやしなかったぜ!」
 俺は親父の姿をしたもんを袈裟懸けに斬り捨てた。そいつは血を噴き出しながら倒れる。
 ――斬られて驚いた顔が本物の親父みてぇで、ちっと気分が悪くなった。
 そいつを斬ってもローレシア城の幻は解けねぇ。俺はちっと舌打ちした。
「これでも幻は解けねぇか。他になにがいるんだ」
「ロレイス……こういう幻術は術者本人を倒すか、対象者の精神を呪文から遮断するかしなければ解けないわ。ハーゴンは私たちを足止めしようとして――」
「ロレイソム王子! ああ……なんということを……!」
 俺はばっと振り向いた。何人もの知り合いの兵士や侍女、それに妹ども――そいつらが本当に俺が親父を斬った時そうなるだろうって感じの顔してこっちを見てやがる。
「ロレイス様……なんで!? なんでお父様を……!」
「ロレイソム殿下……あ、あ、あ、あなた、な、な、な、なんで……気でも違われたの!?」
「兄上様……兄上様、兄上様……!」
「殿下、なにゆえ、なにゆえ陛下を……! 陛下はあなたさまのことを心から大切にしておられたというのに!」
 ……んのやろ……鬱陶しい………!
「うるせぇ、偽者ども! ぶっ殺されたくなかったら引っ込んでやがれ!」
「お父様を殺したように私たちも殺すの!?」
「ひどい……ひどいです! お父様は、お父様は、本当に兄上様のことをいつも案じておられたのに……!」
「殿下……我々は、殿下のことを信じ、ずっと耐えてまいりましたのに、我々に剣を振り下ろすのですか……?」
 ……のやろ……!
 まとめて焼き払ってやろうと稲妻の剣を振り上げる――だが振り下ろす直前、左側から声がかかった。
「――ロレイス」
 その声。俺は思わずそちらの方を振り向いて、言ってしまっていた。
「―――母上」
 母上の姿をしたものは、俺の方を悲しげに見つめ言う。
「あなたは、なぜ、陛下を殺してしまったのです?」
「…………」
「私はあなたを信じていたのに。陛下のことを愛し、私たちのことを愛し、私たちを守るために頑張ってくれる優しい子だと信じていたのに」
「……母……」
「なぜ、陛下を、そんなに簡単に殺してしまったのです?」
「………っ………」
 ハーゴン………ッ!
 俺は剣を振り上げる――だがその瞬間サマが言った。
「ロレ、マリアと力をあわせて。ロトの武具とルビスの守りを同調させれば、この幻術も打ち破れるはずだよ」
「! そうか!」
 俺ははっとしてマリアを見つめた。ルビスさまからもらった首飾り、ルビスの守り――めったなことじゃ使えねぇと決めちゃあいたが、この状況を脱せるならなんでもしてやら!
 俺とマリアは互いに手を伸ばし、触れる――その瞬間にわかった。
 同調なんてどうやらいいのかさっぱりわからんかったけど、こいつの――マリアの中で力が息づいてるのが感じられる。俺の中でロトの武具が息づいてるのと同じように。
 お互い相手のことがすげーよくわかってるのがわかった。あとは――二人で、呼吸を合わせればいい。
 合わさった手から光が出てきた。俺はマリアを見る。マリアも俺を見返す。互いにちょっと笑った。
 わかってる、大丈夫。俺たちならできるんだ。俺たちにはやることが、やれることがあるんだから―――
 次の瞬間幻は全部消えていた。
「――なんだったんだ、あの幻」
「たぶん、ロレの精神力を試すつもりだったんじゃないかな。家族、友人、全員殺しても平然としてられるかどうか」
「……クソッタレが、また趣味の悪ぃことしやがって」
「行きましょう。ハーゴンは奥にいるはず。怒りは全て彼にぶつければいいのよ」
 俺はうなずいた。ハーゴン――待ってやがれ。俺たちの、世界の怒りってのを思い知らせてやる!

 最上階に上って施されていた結界を破り、俺たちは教会っぽい雰囲気のやたら天井の高い部屋に入る。
 ――そこに、ハーゴンがいた。
 ハーゴンは祈りを捧げてるみてぇに聖印に向かってたが、俺たちが部屋に入るやくるりと振り向いて、俺たちの方を見た。
「―――待っていた。ロトの勇者たちよ」
「へ……ようやく会えたな、ハーゴン。海底洞窟で言った通りだったろ? 俺たちは必ずてめぇの前に立つ、ってな」
「そうだな。それに関してはさほど疑ってはいなかった」
 気合を込めた口上をさらりと受け流されて俺は苛ついた。……のやろ、いちいちムカつく奴だな。
 マリアも怒りと憎しみを込めた口調で言う。
「ハーゴン………! 今日この日を一日千秋の思いで待ったわ。私の仇であり、世界の敵! 今日こそあなたを討ち果たす!」
「そうか。その願いはおそらく叶えられるだろう」
「………は………?」
 俺たちは呆気に取られて口を開けた。……なんだ、こいつ、なに言ってんだ?
「お前……まさか悔い改めて俺たちに殺されるとでも言うのかよ」
「そういうわけではないが」
 ハーゴンは俺たちの方を見ると、頭を下げた。俺たちは思わず息を呑んだが、ハーゴンはかまわず言う。
「お前たちに頼みがある。サウマリルトを、私にくれないか?」
「―――は?」
 俺はさらに苛ついた。なに言ってやがんだこいつ、俺らをおちょくってんのか?
「サマをてめぇの陣営にくれっつってんのか。そんな阿呆話に俺がつきあうと――」
「そうではない。サウマリルトと私を、同時に殺してくれないか、と言っているのだ」
「―――は?」
 俺は呆気にとられた。なんだこいつ、わけわかんねぇ、マジなに言ってんだ?
「お前、なに言ってんだ? お前俺を殺すっつって、これまでずっと敵対してきたくせして――」
「サウマリルトを私にくれるのならば、私は抵抗せずお前たちに殺されよう。殺す前にどんな苦しみを与えられても甘受しよう。ムーンブルク王に私がやったように、一寸刻みで殺すなり究極の激痛を伴う呪いをかけるなり好きにすればいい。だから、サウマリルトを私にくれ」
「あなたは、一体、なにを言って―――」
「――ハーゴン。それが君の望み?」
 サマが――言った。ハーゴンがごく当たり前のことを言ったみてぇに、平然とした顔してハーゴンに歩み寄って。
「僕と一緒に消滅したい。それが君の今の望み?」
「―――ああ。お前と共に滅びることができるのならば、世界が在り続けても耐えることができる」
 なに言ってんだこいつ――わけわかんねぇこと言ってんじゃねぇ――そう言ってやりたいのに、サマはなぜか、にこりと――すげぇ、優しく微笑んで言った。
「―――そっか」
 ―――サマ?
 どうしたんだよお前、なんだよその笑顔。以前にハーゴンと会った時見せたみてぇな、なんにもねぇ顔なのに――とんでもなく優しく微笑んでやがる。
「ロレ。マリア。そういうことだから、ハーゴンと一緒に僕を殺して」
「―――な!?」
 俺は愕然とした。当たり前のことながら。
 なに言ってんだよ、おい、サマ。殺してって……殺してって……お前、本気で言ってんのか!?
「魔を統べる者と相討ちになってロト三国の一国の王子が討ち死にする。残り二国の王子王女が無事帰還し、伝説となる。――悪くない物語だと思わない?」
「な………てめぇなにふざけたこと言ってやがんだ!? てめぇ犠牲にしてハーゴン殺して、俺らが平気な顔して凱旋できると――」
「ロレ。違うよ、それは」
 サマは変わらない笑みを浮かべながら首を振る。こいつはサマのはずだ、俺の相棒のはずだ。ずっと一緒に旅してきた大切な仲間のはずだ。
 なのに――サマの浮かべる笑顔は、俺の今まで見たことない奴のものだった。まるで人間じゃねぇみてぇに。
「僕も、ここで死にたいと思ってるんだよ。――君に殺されたいんだ」
「………は…………? お前……お前、なに、言って………?」
 自分の声が他人の声みてぇに聞こえた。自分で自分がなに言ってんのかわかんねぇ。
 サマ、お前なに言ってんだよ、冗談だろ、馬鹿言ってんじゃねぇよ、そう言ってやりたい。
 けど、サマの驚くほど虚ろで、なのに優しい笑顔は――そんな言葉を凍りつかせてしまうものがあった。
「サ、サウマリルト……あなた、正気なの? 本当に正気でものを言っているの? ハーゴンに操られているとかではないの……?」
「正気だよ。操られてもいないよ。本人の保証じゃ当てにならないかもしれないけど、なんなら呪文ででもなんでも確かめてみる?」
 マリアが素早く呪文を唱える――そして言った。
「……サウマリルト、本人だわ。操られても……いない」
「………サマ。お前、正気なんだな」
「うん」
「本気でハーゴンと一緒に殺してくれっつってんだな?」
「うん」
「……冗談じゃねぇぞこのボケ野郎!」
 俺は初めてサマを本気でぶん殴った。サマは吹っ飛んだ。ハーゴンが駆け寄って回復呪文かけてるのが見えた。
 俺は荒い息をついた。呼吸が思いきり乱れてた。こいつ――なんだこいつ、なに考えてんだこいつ――そんな言葉がわんわんと頭の中で反響し、俺の体を沸騰させる。なのに、頭の一部は氷のように冷たかった。
「なんでだ。なに考えてやがんだよサマ! 俺らの敵と、ずっと倒そうと旅を続けてた敵と、心中だって!? ふざけんなよおい! なんでてめぇが、なんでそんなことしなきゃ―――!」
 そこまで言って、俺ははっとした。
「まさか――俺が、マリアを選んだからか? 俺に望みがないから、もう死んじまおうっていうのか?」
 怒りと恐慌でわけがわからなくなりかかりながら言った言葉に、サマは苦笑した。
「そういうのとはちょっと違うなぁ」
「じゃあなんでだよ!?」
「うーん。まず、ハーゴンがなんで僕を共に滅びる相手に選んだかを聞いてくれる? その方がわかりやすいと思うな」
『………………』
 俺はマリアと一瞬顔を見合わせ、ぎっとハーゴンを睨みつけた。聞かせてもらおうじゃねぇか、俺を納得させられるっつぅなら。どんな話を聞こうが、俺がそんなもん認めるわきゃあねぇがな。
 俺は殺気すらこめてハーゴンを睨んでいたが――ハーゴンの話が進むにつれ、その力は抜けていった。

「……私はここロンダルキア、ルビス教の総本山で生まれた。
 生まれたというのは正確ではないかもしれない。私はルビス教の上層部の命令で、優秀な魔術師の精子と卵子をかけあわせて魔力を付与され、実験場で作り出された生命体だからだ。
 メダガーマという呪文を知っているか? 洗脳の呪文だ。これをかけられた人間は術者に与えられた暗示の通りに行動する。呪文の有効時間が切れても暗示を深層心理に潜ませることで、間接的に行動を操ることも可能だ。
 私は、その呪文を全世界規模でかけるために作られた実験体なのだ。
 ルビス教は少しずつその勢力を衰えさせていっていた。王権が強くなり、民間からは信仰心が薄れていっている。このままでは権力を失いかねない――
 そう危惧したルビス教の上層部は、世界中にメダガーマの呪文をかけ、ルビス教の狂信者に仕立て上げようとしたのだ。そうすればルビス教は世界にその力を発揮し続けられる、と。
 私はそのために作られ、育てられた。育てた、というのは正確ではないかもしれない。他に大勢いた実験体と同様に、私はただの試作品にすぎなかったのだから。
 私の一番古い記憶は、実験台の上で腹を切り裂かれて内臓をいじられている記憶だ。
 私はどうすれば肉体をより強化できるか、精神をより強化できるかという実験に毎日実験体として参加させられた。毎日のように体を切り裂かれ、脳の中にメスを突っ込まれ、爪を剥がされ眼を潰され腕を足を切り取られ、ある時は回復されある時は蘇生された。死んでも別にかまわないと思っていたのだろう。
 上層部の人間は私たちを叩き台に神の子を人造的に創り上げようとしているようだった。当然のことながら実験体は毎日のように、大量に死んでいった。
 私はなぜかその実験に耐えることができた。たぶん運がよかったのだろう。めったに死なず、死んでも蘇生の儀式で運よく蘇生した。
 そのうち、上層部は私を特別視するようになっていったようだった。神の子になりうるかもしれぬ存在、としてある程度尊重するようになったのだ。
 それまで単なる実験動物としか見られていなかった私に、情操教育を施す人間がつけられた。神の子は心も完璧でならねばならぬとでも思ったのだろう。
 私はそれまで感情というものを感じたことがなかった。そういう風に作られたのか環境でそうなったのかはわからない。だが感情を持っては生きてこられなかったのは確かだろう。毎日毎日体を切り刻まれ、魔術強化の副作用に耐え、愛情どころか自分に向けられる感情も存在しないまま同じ境遇の者たちが死んでいくのを見ていかねばならなかったのだから。
 だが、私はその情操教育を施され、外の世界を知ると共に少しずつ感情が芽生えてきた。もしかしたら私は本当に神の子になるための実験体の成功例だったのかもしれない。
 なにかを見て美しいと思うこと、楽しいと思うこと喜びを感じること、そういう感情を会得し始めた。その情操教育担当の人間のおかげで。
 私は、その人間を愛するようになった。愛というよりは、恋だ。私の全てはその人間と共にあった、全ての感情はその人間が源だった、だからその人間に激しく焦がれた。
 私はその人間に告白をした。愛している、愛してほしい、と。
 ――するとその人間は、ぞっとしたような顔でこう言った。
『気色悪い』。
『男に言い寄られるなんて吐き気がする』『やっぱり貴様は薄汚い実験体にすぎないんだ』『触るな、汚らわしい、変態が』。――私と同様、その人間も男だったからか、私が実験体だったからか。とにかく私はその人間に、これ以上なくこっぴどく拒絶されたのだ。
 私は、最初は衝撃で息もできなかった。自分の世界の全てから否定されたのだから。
 そして、次第に心が凍っていくのを感じた。私は世界の全てから否定された。私に存在価値はない。私は在ってはいけない存在なのだ。世界から排斥された存在なのだ。
 そして思った。私は世界から排斥された。それならば、私が世界を排斥しても問題はないのではないか? 世界が私をいらないように、私も世界は、もういらないのだから。
 そして、付与された魔力を解放して、ロンダルキアに住まう全員――古い信仰を守っている南方の祠にいる二人の老人はできなかったが――を狂死させ、自らの体を半ば魔族のものへと変えた。
 ――以上が私が世界を消滅させたいと思っていた理由だ」

 ハーゴンは口を閉じた。俺は――呆然としていた。
 なんだそりゃ、なんだそりゃ―――そんな言葉が頭の中でわんわん鳴っていた。そりゃ世界を滅ぼそうってくらいなんだからこいつが辛い経験をしてきたのも可能性としては頭の中にあった、けど深くは考えなかった。
 俺にとってこいつは敵だったから――敵に同情するなんて阿呆なことは自然に避けてたんだ。
 けど、俺は聞いちまった。その壮絶な半生を。
 ――それはかつて俺がやったことだ。俺が世界の誰より好きだって男を手ひどく振った。
 あの時あいつは自分を消滅させようとした――それと同じことだっていうのか? あの時さんざん傷つけたあいつと、こいつが同じだっていうのか? 俺はこいつを振った男と同じなのか?
 もしかして、こいつは――だから、俺を殺そうとしていたのか? 自分を振った男に復讐するのと同じ気持ちで。
 だからって――だからって。
「……要するにあれか、てめぇは男に振られたって理由で世界滅ぼそうとしてんのか」
 俺は必死に言った、こいつに同情する価値はない――そう思いたくて。
「そういうこととは少し違う。私は世界が私を必要としておらず、排斥しているのを知った。だから、私は滅びる。だが、私が一人で滅びても、世界は平然とした顔で続いていく――それは耐え難い。だから世界を滅ぼすことにしたのだ」
「……どんなに辛かろうがな、てめぇ一人の感情で世界滅ぼしていいと思ってんのか!」
「いいとか悪いとか、正しいとか間違っているとか、そんなことは私には意味のないことだ。私は、ただそうしたい。だからそうする。それだけのことだ」
 俺はぐっと奥歯を噛み締めた。それは――まるで、俺の行動理念だったからだ。したいからそうする。他人がどう思うかは関係ない、という。
 だけど――こいつは間違ってる。そうだろう!?
「……っ、わがままこいてんじゃねぇよ! てめぇ以外の人間の勝手で、てめぇの人生左右されたらどんな気がする! てめぇは世界の人間全部のそんな権利を踏みにじってんだぞ!」
「私はこれまでずっと踏みにじられてきた。権利などなにも与えられなかった。愛される権利も愛する権利も生きる権利さえも。それなのに、私は他人の権利を尊重しなければならないのか?」
「…………っ…………!」
 なんだよ、それ………んだよそれなんなんだよそれ! ちくしょう、んなこと金輪際したくねぇのにそうかもなって思っちまうじゃねぇか………!
「だからって……だからってあんなことが許されると思うの! 自分にやられたからって理由で、ムーンブルクを、お父様を殺した罪が許されると思うの! 無辜の民を殺していいと思うの! あなたは裁かれなければならないのよ、罪人として!」
 マリアが言う――だがハーゴンは微塵も動じず肩をすくめた。
「そうだな。私は罪を犯したのだろう。別に許されるとも、許してほしいとも思っていない。お前が私を裁こうとするのは当然のことだ」
「それなら――」
「だが、私が、私を助けてもくれなかった人々の命を、なぜ案じねばならないのだ? 私は誰にも助けられずに、傷つけられるだけ傷つけられてきた。だというのに私が世界の、私のことなど知りもせず生きてきた人々の命に無関心で、なにか悪いことがあるのか?」
「――――っ」
「私は別にムーンブルクをことさらに滅ぼしたかったわけではない。ただロトの血族が一番多い国であったからロトの血族を皆殺しにしようと思ったのと、マリア姫――お前の存在を知ったからだ」
「……私……?」
「ああ。私は呪われし姫の話を聞いた。父に、王宮に、世界に疎まれている存在ならば、私を理解してくれるかもしれないと思ったのだ――私はできるなら、消滅する前に誰かに理解してほしいと思っていたからな」
「理解………?」
 わけわかんねぇ。こいつは間違ってるのに――疑いようなく間違ってるはずなのに。
 どうして、こうも乱れねぇんだ。
「だから父親にいまさらのように大事にされているのを見て試してみたくなった。その父親の愛情とやらを」
「……それで……お父様をあんな風に殺したっていうの………?」
「ああ。父の愛というのが確かに存在しているのを確かめることはできた――だがロトの血族だ、殺しておいた方が後腐れがないと思った」
「………! 後腐れ………!」
 俺はハーゴンに詰め寄ろうとするマリアを制して、俺はハーゴンを睨みつけた。
「……てめぇは、マリアの親父さんのそんな姿を見ても、なんも感じなかったのかよ」
「――そうだな、見事な愛情だと思った」
「だってのに、てめぇはそれを踏みにじったのかよ」
「ああ。なぜなら私には関係のないことだからな」
「――てめぇ」
 反射的に一歩踏み出しかけた時、ハーゴンがあっさりと言う。
「私には与えられなかったものだ。これからも与えられないものだ。一生関わりなく過ぎていくものだ。それを惜しめ、とお前たちは言うのか? 一生自分には与えられないとわかりきっている愛情を、他人に向けられたものは惜しみ大事にせよと? 自分には関わりのないものだ、人生には入ってこないものだ、と受け容れることも許されないとお前たちは言うのか?」
「………っ………!」
 俺は唇を噛んだ。ちくしょう――ちくしょう、反論できねぇ。こいつをそういうもんとは関わらせないまま、死んでいかせようとしたのは間違いなく俺なんだから。
 けど、けど! こいつは間違ってるし、サマはこいつと同じなんかじゃねぇ! いくら過去に会ったことがあるからって、こいつと会ったあとのサマがおそろしく虚ろな顔してたからって――こいつとサマは同じなんかじゃねぇ、そうじゃなきゃ………!
「………サマは」
「ん?」
「てめぇがなんでサマを心中の道連れにしようとしてるかは全然言ってねぇぞ」
「サウマリルトは私を唯一理解してくれた、そして心から理解できる人間だからだ」
「―――は?」
「私の苦しみ、悲しみ。そういうものをサウマリルトは全て本当に我がことのように感じてくれた。そして私もサウマリルトの苦しみを心の底から理解できた。私たちは双子のように似ているからな」
「……似て……る?」
「愛されなかったと愛せなかったという違いはあるにせよ。ただ一人と決めた相手に、自分の全てを否定されたところが」
「――――!」
 俺は愕然とサマを見た。――そうなのか、サマ? お前もこいつと同じに――俺に振られたって理由で自分を殺すのか?
 そりゃ確かに一度お前はそうしようとした。俺がめちゃくちゃにお前を傷つけたから。
 けど、お前は笑ったじゃねぇか。何度も嬉しそうな顔で笑ったじゃねぇか。
 なのに――そういうの全部捨てて、死ぬっていうのか?
「ロレ。くだらない愚痴になるけれど、これで最後だから、どうか聞いてくれる?」
 俺はうなずく。聞いてやるから、なんだって聞いてやるから、死ぬなんて馬鹿なこと――
「僕はね、物心ついた時から、ずっと死にたかったんだよ」
 ――そんな想いは、サマのこの言葉で思いきり打ちのめされた。
「な……なんでだ?」
 俺はただ、そう問いかけることしかできなかった。
「お前、親御さんにも妹にも愛されてたみたいじゃねぇかよ。臣民にもめちゃくちゃ慕われて――なのになんで」
 そりゃ、お前はそいつらを愛せなかったって言ってたけど――だからって死にたくなるようなことじゃねぇだろう? ねぇはずだろう?
「――僕が、世界のなにものをも愛せないから」
 だけどサマはあっさり俺のそんな感情を否定した。
「……愛せない……?」
「うん。前にも言ったよね? 僕は父も母も妹も、どんなに愛されても愛せなかった。褒められても別に少しも嬉しくなかった、いやまったく嬉しくなかったってわけじゃないか、自分のやったことが認められたって思うと自尊心は満足させられた。だけど、心の底から喜ぶとか、そういうことにはならなかったんだ。この人この程度でこんなに褒めるなんて基準が甘すぎるんじゃないだろうか、とか僕の歓心を買っていい思いをしたいんだな、とか思っちゃうんだ」
「…………そんな」
 そりゃ、辛いかもしれねぇけど――だからって、だからって。
「ねぇ、誰も愛せない人間の気持ちって――どんなものだかわかる? 意味がないんだよ、なんにも。人生にも仕事にも感情にも。だって、大切なものがなんにもないんだから」
 サマのその言葉に、俺はぞっとした。意味が、ない? 大切なものがなんにもない?
 なに言ってんだよサマ――なに言って。お前はこれまでずっと俺たちを大事にしてきてくれたのに――
「なんにも、って――そんな、わけねぇだろ。人間なら誰でもてめぇが可愛い……」
「そうでもないよ。僕は自分が一番嫌いだ。誰も愛せない、みんなにどんなに愛してもらっても、少しも嬉しいとも愛してるとも思えない自分が」
「けどっ、お前は、みんなのこと大切にして――」
「大切にするフリをしてただけだよ。愛さなくっちゃ、とは思っていたから。必死になって頑張って愛情を注ぐ真似をしたよ、でもどんなに真似をしても少しも僕の心からは愛が湧き出してこなかった――面倒くさい、鬱陶しい、本当はこんなことやりたくないのに、っていっつも思ってたんだ」
「…………」
「だから、僕は自分が一番嫌いで、僕はずっと消滅してしまいたかった。自分を世界に在っちゃいけない存在だと思った。この世から跡形もなく消えてしまいたかった。なのに周りの人の愛情が、義務がそれを許してくれない。――苦しかったんだ、本当に」
「…………」
 その事実の、苦しみの大きさを、この時初めて俺は認識した。ようやく、この状況になって。今までこいつの話で、ほとんど本気にせずに、こいつは俺たちを大切にしてくれてると聞き流してきたその重さを。
 大切なものがなんにもない――そんな人生があるとしたらどんなに空虚だろう。
 苦しいとか、そんな段階じゃない。なんにもないんだ。生きてて楽しいことがなんにもない。嬉しいとか楽しいとかそういう風に、生きてるのも悪くねぇなって思うことがなんにもない―――
 それなのに周りの奴らがそう望むからって理由で、生き続けなくちゃならない――その、事実の重さ。
 なのにこいつは生きてきたのか。嬉しいこと楽しいことが何にもないのに。自分のことをなぜ誰も愛せないのかと責めながら。
 そんなの――そんな人生って、あっていいのか?
「その意味のない人生の中で唯一愛した人が―――ロレ、君なんだよ」
 ――――!
「…………俺、かよ」
 俺は苦々しげに言った。吐き捨てるように。こいつの言ってることがどうにも信じられなくて。
 だって、俺にそんな価値なんてねぇよ。俺は自己評価そう低い方じゃねぇと思うけど――だけど、そんな人生送ってきた奴の、ただ一人の好きな奴になれるなんていうほど自惚れてない――
 けど。
 サマは、そんなぶっきらぼうな俺の言葉に、にっこりと笑った。
 さっきまでずっと虚ろな表情しか浮かべてなかった奴が。俺の話になったとたん。
 それはこいつが俺の前で、いつも浮かべてた笑顔だ。優しくて、俺のことが大好きだって、体全体で叫んでる笑顔だ。
 ――俺は愕然とした。こいつが今まで、俺といる時浮かべてた笑顔――それがこいつにとって、どんなに貴重だったのかってことに、初めて気がついて。
 初めて会った時からこいつはそういう笑顔ばっかり浮かべてて――俺に好きだ好きだって体全体で、魂ごとで、命かけて言いまくってて――だから俺はこいつは誰にでもそうなんだって勝手に思い込んでたけど。
 こいつの、その、笑顔は、もしかして、こいつにとっては。
 俺に会って初めて浮かべられたもんなんじゃないか―――
「うん。ロレには迷惑なことなのはわかってるけど。君の存在で僕の人生に、初めて意味が生まれたんだ」
「――意味?」
「そう。愛してる人のそばにいられる喜びを。愛してる人と共に在る楽しみを。生きていてよかったと、生きられて嬉しいと、僕は生まれて初めて思った。君は与えてくれたんだよ――僕の意味のない無駄な人生の中でただひとつの意味を」
「ただひとつ、って……」
「世界に許してもらえた気がしたんだ。ここにいてもいいって。生きていていいって。僕は君に会うまで生きたくなかった、存在していたくなかった、存在するべきじゃないとずっとずっと思ってきたけど、君の存在のおかげで、少しでも僕にも本当に、生存する価値が与えられたって思ったんだ」
「価値、ってお前」
「だから君は僕の全て。君のためならなんでもする。どんなに苦しいことにも耐えられるし、どんなにいやなことでも君に言われれば実行する。君が愛する世界だから死力を尽くして守るし、君が愛する人だからマリアも大切にする。君が幸せになるためなら、僕はどんなことでもするしどんな辛い状況にも喜んで耐える――それが嬉しかった。ロレのおかげで、こんな僕にも、ごく当たり前に暮らしている人たちのように大切なものができたんだから」
 ―――サマ。
 お前は、そんな想いで俺とずっと一緒にいたってのか。
 俺はお前にとってそんなに、そこまで大切なもんだってのか。ただひとつの意味。生きる喜び。生存する価値。命の全て――
 なのに、じゃあなんで、お前は――
 俺を自分のものにしようとはせずに、俺の意思を優先して、マリアとの仲をいちいち取り持ってくれたんだ?
 そんな想いをこめて見つめると、サマは笑った。優しく、暖かく。ルビスさまみてぇな感じの笑顔で。
「だから君が愛してる人と、マリアと一緒になるのは、確かに僕を愛してはくれないと宣言されたことだから辛いけど、そんな辛さなんて僕にはどうでもいいんだ。僕の唯一にして絶対の価値基準は、ロレ、君なんだから。君が幸せであるなら、僕の感情なんてどうだっていい。――僕の心感情存在全て、君を少しでも幸せにするためにあるんだから」
 ―――サマ! なんだよそれ!
 じゃあお前の幸せはどうなるんだよ!? お前が、お前自身が、自分の幸せを願ってやらねぇで、誰がお前を幸せにしてくれるっていうんだ!?
 お前は、そんなに―――お前より、俺が、大切だってのか………?
「………………じゃあ、なんで」
 俺がようやく言えたのは、ひどく情けない声で言えたのは、そんなしょうもない一言だった。
「なんで死ぬなんて言うんだよ」
 サマは、苦笑した。普段と同じような顔で。ちょっと困ったことを言われたな、ぐらいの顔で。
「ロレが、他の人を好きになれ、って言ったから」
「―――え?」
「ロレ、僕はね。君に僕のことをただ一人の愛する人にしろ、なんて大それたことは考えてないよ。もちろんそうなれたらとても嬉しいけれど、そんなことはかないっこないってわかってたから。ただ―――願えるなら。君にひとつだけお願いができるなら、僕は君に、僕が君を好きだってことを認めてほしかった」
「………認め、る?」
「うん。僕の気持ちを、理解してほしかったんだよ。僕がどんなに君のことが好きかわかってほしかった。君の笑顔がどれだけ僕を幸せにして、冷たい言葉がどれだけ僕を苦しめるか、君に少しでも大切な存在だと思ってほしいと僕がどれだけ願っているか――少しでいいから、わかってほしかったんだ」
 俺は固まった。そうだ、俺は少しもわかってなかった。こいつの辛さ、こいつの苦しみ。こいつはこれまで何度も俺にはっきりそう言ってきてたのに、本気にせずに聞き流してきた。そんなわけねぇだろって思い込んで。
 それは、きっとそれは、どんなに、わかってもらえないっていうのはどんなに―――
「でもそれはやっぱり大それた望みで。―――君は、僕に他の人を好きになれと言ったね。ロレのことを好きでいるのをやめろ、って」
「………ああ」
「あの時、僕はもう一度、最初に振られた時と同じように、君に殺されたんだよ。苦しかった。本当に苦しかった。ロレを好きな気持ちが、人生で唯一、ただ一人僕の人生に意味を与えてくれる人に対する気持ちが、その人にとっては存在すら許したくないほどの迷惑な感情だってわかって。君の幸せのために力を尽くしたいって気持ちも、君のためならなんでもするって気持ちも、君には鬱陶しいんだなっていうことがわかって――」
「鬱陶し……」
 そんなんじゃねぇ、絶対絶対そんなんじゃねぇ。俺はただ、お前にも俺と同じように幸せになってほしかっただけなんだ。俺が幸せになるから、お前にも、お前を愛してくれる奴を見つけて幸せになってほしかっただけなんだ。
 なのにお前は――死ぬっていうのか? 俺以外の奴を好きになるなら、死んだ方がいいっていうのか?
「それなのに、僕がこれ以上生きるどんな意味があるの? 人生の唯一の意味を想うことも許されないのに? 僕の存在そのものが、君に、僕の人生に唯一の価値を与えてくれる人にとっては鬱陶しいっていうのに? 君の幸せのために、僕は身を捧げることはおろか少しでも役に立つことすらできないっていうのに?」
「……俺は、お前に、他の奴を好きになれって――」
「そうだね、広い世界をくまなく探せば新しく僕の生きるような意味が見つかるかもしれない。でもそんな虚しい希望のために意味のない世界を生きるのはもういやなんだ。楽になりたい。傷つくの――もう、疲れたから」
「……………………」
 俺は黙りこんだ。言葉を失った。なんて言ってやればいいかわからなくなった。
 こいつをそんなになるまで傷つけてきたのは俺だ。こいつの想いを少しもわかってやらねぇで、鬱陶しがってきたのは他の誰でもない俺だ。
 こいつがどんなに俺に好きになってほしいか、俺のために役立ちたいか、俺を幸せにしたいか――全存在かけたこいつの想いに、少しも気づいてやらねぇで、ずっとずっと傷つけて苦しめてきたのは俺だ。
 そんな俺が、こいつに、サマに、なんて言ってやれるっていうんだ?
「最後のお願いを聞いてくれないかな、ロレ。僕はハーゴンと消滅したい。僕と一緒に消滅したいと思ってくれる人の願いを叶えてあげたいんだ。ハーゴンは、僕のことを初めて理解してくれようとした人だから」
「……………………」
「そして、できれば僕は君に殺されたい。君に僕の命を奪ってほしいんだ。君には鬱陶しいことだろうけど――それ以上上等な方法なんて、今の僕には思いつかないから」
 サマは深々と頭を下げる―――
「だから、ロレ。どうか、僕を、殺してください」

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