旅の終わりの話・中編
 長い長い沈黙のあと、俺の口から出てきたのは――
「…………ざけんな」
 そんな、罵倒の言葉だった。
「ざけんな! 俺は絶対にてめぇを殺したりなんかしねぇ! 冗談じゃねぇ、なんで俺がんなことやんなきゃなんねぇんだよっ!」
 俺はサマの胸倉をつかんでがなりたてた。ガキみてぇに、喚きたてた。
 目頭が熱かった。自分が泣いてるのがわかった。ちくしょ、泣くなんていつぐらいぶりだ、ガキそのものじゃねぇか俺。
 けど、そんなことはどうでもよかった。こいつを、このたまらなく寂しい大馬鹿野郎に、ちゃんと言いたいことを言ってやれるなら。
「あー俺は頭が悪ぃよ、お前がどんなに苦しんでたかとか全然わかんなかったし、今もわかってねぇよ! けどな! わかってんのか、俺はお前が大切なんだぞ、傷つけたくねぇって最後通告出すの迷って、決めてからだってちゃんといい女見つけて幸せになってほしいって、そのためならなんでもするって本気で思うくらい大切なんだぞ!? そんなお前が、もう生きたくねぇなんつって――俺が平気だと、本気で思ってんのか!?」
「………ロレ」
「ざけんじゃねぇっ、俺はそんなの認めねぇ! お前がどんなに苦しかろうが俺はお前を生かすぞ、死ぬなんて絶対許さねぇっ! お前を俺が殺したって言うんならお前の命は俺が握ってんだ、だったらお前の命をいつ奪うかは俺が決める!」
「―――ロ………」
「お前は俺のもんだ」
 ぎっと、俺はサマを睨みつけた。こいつを引き留めたい、頭の中にあるのはただそれだけ。迸る感情のまま、サマに顔を近づけて口を動かす。
「今俺がそう決めた。俺の許しも得ずに死ぬなんて絶対許さねぇっ! 確かに俺はお前のもんにはなってやれねぇ、お前がいなきゃ生きてけねぇってわけじゃねぇ、お前の気持ちもちゃんとはわかってやれねぇ! だからキスもしねぇし結婚もしねぇし抱いてもやらねぇけどなっ! それでもお前は俺のもんなんだよっ! だから!」
 俺はうつむいて、サマの前に膝をついた。結局、俺が言いたいのはこれだけなんだ。
「―――死ぬな。頼むから」
 俺がお前にしてやれることなんか、まったくっていいほどないけど。お前にこれから何度も苦しい思いをさせて傷つけるだろうけど。お前の欲しがってるもんを俺はきっとなにひとつ与えてやれないんだろうけど。
 でも、それでも。
「……死なないで、くれ………」

「―――ひどいよ、ロレ」
 サマが泣いている。じっと俺を見つめたまま、そのめちゃくちゃきれいな瞳からほろほろと涙を流している。
「僕は、ロレが、好きなんだよ? ――そんなことを言われたら。好きな人に、そんなことを言われたら」
 サマは涙を拭いもせず、ひたすらに俺を見つめ泣き続ける。
「生きるしかないじゃないか。君に生きろって言われたっていう、ただそれだけの理由で。僕は君を幸せにできないのに、僕の生きる目的はこれからずっとなにひとつ達成されないのに、君が生きろと言ったっていうただそれだけで、僕はこれからの長い人生を、ただ苦しみながら生きていくしかないじゃないか………」
 ―――サマ………!
 俺はたまらなくなってサマを引き寄せ抱きしめた。この男が可哀想でたまらなくて、何度も何度もごめんなと呟いた。
 こんな時でさえ、お前は俺に幸せにしてほしいじゃなくて、俺を幸せにしたい、なんだな。俺に与えたいんだな。自分はどんなに傷ついても、俺の幸せのために尽くそうとするんだな。
 こんな時でも、どんな時でも、どんなに苦しかろうとも――俺のために在ろうとするこいつが、俺のためにならない自分はいらないと言い切れてしまうこいつが、哀れでならなかった。

「―――サウマリルト」
 サマはは、とその声に振り向いた。俺の腕の仲から抜け出す。
「―――ハーゴン」
「お前は、生きるのか?」
 サマはひどくやきもきした思いで見つめる俺をよそに、切なげな表情で言った。
「うん」
「そうか」
「ごめんね」
「いいさ」
 首を振るハーゴン、一筋の涙を流すサマ。
「――サウマリルト。お前が一緒でないのなら、自分と道連れに世界を消滅させたいと思うのを、お前は許してくれるか?」
「――許すよ」
 サマとハーゴンは見つめあい、うなずきをかわす。――なにわかりあってんだよお前ら。
 ………俺のわかってやれないことが、ハーゴンにはわかるってことなんだろうな。ムカつくけど。
 が、サマがすらりと光の剣を抜いたのを見て俺は驚いた。ハーゴンが微塵も驚いてないのを見て二度驚いた。
 サマ………ハーゴンを殺すのか? ハーゴン、それがお前の望みなのか?
「君の核はどこ?」
「心臓のある場所だ」
 ハーゴンが大きく腕を広げる。サマは前に進み出て、心臓めがけ剣を突き刺した。
 ――なんつぅか、奇妙な気分だった。ハーゴンに対する恨みの気持ちは薄れていた。マリアも静かにこの様子を見守る顔を見た限りじゃそうなんだろう。
 だけどそれでもハーゴンは死ぬのか。当然のように。――俺たちなんか、ハナっから眼中になかったんだな。
 こいつに見えてたのは、サマだけだったんだ。自分を理解してくれるただ一人の存在。どうしてそいつと一緒に生きるって発想にならねぇのか、俺にはわかんねぇけど。
 それはたぶん、俺には口出しできねぇ部分なんだろう。――わかってもねぇことを、わかったように言うことはできねぇ。
 剣が背中に突き通る。ハーゴンはぐいっとサマを抱き寄せて、唇を奪った。
 なにしやがるこのヤロッ、と一瞬カチンときて――次の瞬間にはもう、ハーゴンは消滅していた。
「………ハーゴン」
 サマがまた一筋涙を流し、ハーゴンの残した錫杖を抱きしめる。
「さよなら………」
 その姿は殉教者じみて、ひどく敬虔なものではあったが―――
 俺はなんとなく、苛々するものを感じていた。敵相手に、いやお前には敵じゃなかったんだろうけど、とにかくハーゴン相手にんな顔してんじゃねぇよっ。
 しばらく苛々しながら見守って――俺ははっとして叫んだ。
「―――! サマ、こっち来い!」
 周囲の空間が燃えているように赤く染まっている。熱がこっちまで溢れ出てきていた。なによりこの気配――海底洞窟で感じたあの混沌ってやつの気配と同じ、いやあれよりはるかに強い………!
「ロレ! シドーだ!」
「……シドー!?」
「混沌の具象化、破壊の化身! シドーがハーゴンの命を生贄に目覚めようとしてるんだよ!」
「―――! 見て!」
 マリアが叫ぶ。黒い点が浮かんでいた。その周辺から、空間が歪むのが目に見える。俺たちの周りが歪んでいく――どころか俺たちも存在がねじけていくのを感じた。
 体が歪み、頭ん中がわけわかんなくなってくる――
 俺は剣を振り上げ、頭の中で名を叫びながら吠えた。
 ―――力を貸せ、王者の剣=I
「うおおおぉぉぉぉっ!」
 剣が光を放つ。それは俺の引き出した力だ。その力で目の前のこの歪みを、叩き伏せ、斬り裂く………!
 剣を振り下ろすと、歪みは消えていた。――黒い点を除いて。
 黒い点からなんか緑色のやたらでかい爪みたいなもんが出てきた。それから腕、そして頭。そのあとはあっという間に体全体が出てきて――十丈ほどもある巨大な、緑色の翼と尻尾を持った四本腕の悪魔が天井をぶち破って現れていた。
『………………』
 俺たちはその圧倒的な迫力に気圧されて声が出なかった。今までのどんな敵とも違う、その圧倒的な力。
 破壊神――そんな考えが頭に浮かぶほど、それは人の力では及ばない生命力を振りまいていて、めちゃくちゃなまでに――圧倒的だった。
「―――行こう、ロレ」
 サマがそう言って俺を見上げてくる。ごく普通の、ちょっとそこまで散歩しないかという感じの声で。
 俺ははっとした。なに考えてんだ俺。こんな奴に圧倒されてどうすんだ。
 神だろうがなんだろうが、俺の前に立ち塞がる奴は――
 全力でぶっ倒す、それしかねぇ!
 俺はちらりとサマを見た。サマは少し笑みを含んだ、いつも俺を見るのと同じきらきらした瞳で俺を見ている。
 俺はふっと笑った。こいつは当たり前みてぇに俺を信じてんだよな。俺のやなとこ、弱いとこ、全部見てるくせに当然って顔して俺を心底信じるんだ。
 ――裏切るわけにゃいかねぇな!
「―――おし、さくっとぶっ殺して凱旋といくか」
「うん」
「………ええ!」
 マリアが顔を上げてシドーを睨む。シドーが気色悪い鳴き声を上げる。
 俺はすぅっと息を吸い込んで宣言した。―――神殺し上等、世界を背負った戦い上等、俺は死んでも俺を曲げねぇ!
「―――行くぞ!」

「うおりゃぁっ!」
 俺が全力でシドーの足に斬りつける。シドーの足はひどく硬かったが、それでも全力で振り抜くとずっぱりと斬り裂くことができた。
 シドーはまた鳴き声を上げ、同時に二本の腕が俺に爪を叩きつけた。ロトの盾と鎧で止めたが、衝撃は伝わる。
「ぐ、ふ………!」
 衝撃のあまりの強さに一瞬膝をつきかける――だがその瞬間ふわ、と体に力が戻り、俺は再び踏み込んで斬りつける。
 剣から光が伸びていた。ロトの剣の光だ。この光は剣と同様に敵を斬り裂く――その力の強さが、俺にはよくわかった。
 攻撃を避けながら何度も斬りつけるとシドーが呻き声を上げながら口を開ける――まずい、と即座に判断し俺は叫んでいた。
「退がれ!」
 その声は遅かった。シドーの口からドラゴンの炎よりはるかに強い炎が噴き出て、周囲の空間を埋め尽くした。
 反射的に目を閉じたが、それでも炎は俺の肌を、髪を、爪を体毛を焼く。焦げたような匂いが自分から漂うのがわかった。
 激痛――だが、俺はそれを無視して攻撃を続けた。ここで退いてたまるか―――俺のあとに兵はない。
 俺には癒すことも助けることもできない。できるのはただ剣を振るうことだけ。
 それならそれをやり通すしかねぇだろう。どこまでもいつまでも何度でも!
 俺は俺を通す――それが俺なんだから!
 後ろから何度も回復呪文が飛び、俺は傷つけられながらも何度もシドーに斬りつけていた。こいつ、どういう生命力してんだ、めちゃくちゃしぶてぇぞ。
 俺の隣にいつの間にかサマが立っていた。俺はそっちに声もかけず見ようともせず剣を振るい続ける。
 ――妙な気分だ。戦ってる時は当たり前みてぇに、お互いにお互いの考えてることがわかる。
 サマはなんか策があるな、とわかった。マリアもそれを承知して援護してくれてる。
 俺たちのこれまで一緒にに戦って築き上げてきた勘がそう言ってる――それなら俺のやることは。
「せあぁっ!」
 全力で斬りつけることだけだ!
 俺の隣でサマも同じように斬りつける。俺よりは浅いが傷はついていた。ロトの武具でなくても傷はつけられるみてぇだな。
 シドーは俺に集中攻撃を続けるが、俺は耐えて攻撃を続けていた。マリアが回復してくれてるんだ、この程度の傷なんでもねぇ。骨が折れようが肉が裂けようが、んなもんはどうでもいいんだ!
 シドーがもう一度炎を噴く。即座に回復呪文が飛ぶ。俺たちはまた斬りつける。シドーがまた攻撃をする。
 ふいに、シドーが叫ぶような鳴き声を上げた。サマの強烈な一撃が、シドーの腹を深々と斬り裂いてる。よっしゃ! と思わず俺は快哉を叫びかけ――
 ――次の瞬間二本突き刺さったシドーの爪に、絶叫していた。
「サマ―――!」
 思わず口から出た叫びだった。死んだところで生き返らせればいいとか、俺たちはもうこの程度じゃ死ぬかどうか怪しいとかいう考えなんて一秒も頭に浮かばなかった。
 当たり前だ、俺はサマを仲間だと思ってるんだ。仲間が死ぬような目にあったら心配する。それはもう反射的な行動だ。んなもんマリアだってサマだって同じだ。
 けど、サマは。そんな心配なんぞ歯牙にもかけず、がっしと、体に深々と突き刺さった爪をつかんだ。
 シドーは爪を引き抜こうとする――だがサマはそれを腕力でむりやり押しとどめた。死ぬ気の力で。それこそ死ぬほどの激痛を味わってることだろうに。
 そして叫んだ。
「マリア!」
 その声に一瞬遅れてシドーが声にならない声で絶叫する。そして――体が固まっていった。
 必死にシドーは暴れるが、体はどんどん固まっていく。そこに、サマの小さく掠れた、けれどよく通る叫び声が聞こえた。
「ロレ! 今だ、マリアと力を合わせて!」
 これがサマの策≠ネんだ、こいつのためにも応えてやらなきゃ――なんて頭で考えたわけじゃねぇ。
 ただ、体が勝手に動いた。
「マリア!」
 叫んで手を伸ばす。マリアもたぶん反射的に手を伸ばした。
 当然お互いの手は触れるには遠い――けど、俺とマリアは繋がってる。目と目が合えばそれで通じ合うには充分だ!
 剣から一階で手を合わせた時みてぇな光が広がる。その優しい光を、俺は剣に集中させた。
 シドーに向き直る。シドーは固まっている。その目には表情は感じられないが、恐怖に似た感情は中を走り抜けたような気がした。
 俺はふ、と息を吐いて剣を振り上げ――
「てめぇなんぞが世界を滅ぼすのは――百万年早い!」
 全力で、振り下ろした。

 俺の一撃でシドーは消滅した。最初からなにもなかったみてぇにあっさりと。
 俺たちは息つく間もなくサマに駆け寄ったが――サマはもう息を引き取っていた。
 マリアがザオリクを唱える。サマにはほどなく呼吸が戻ったが、なかなか目を開けはしなかった。
 その間に俺は聞いてみた。
「……こいつ、どういう作戦立てたんだ?」
 マリアがいくぶん沈んだ口調で言う。旅の最後の戦いに勝利したあとにはそぐわない口調だった。
「私には合図をしたら即座にパルプンテが発動するようにしてくれ、とだけ」
「……パルプンテ……ってわけわかんねぇ効果が発動する呪文だよな? なんでんなもん……」
「……サウマリルトは私にそう言ったあと、呪法を使っていたようなの。あれは呪凝集魔の呪法だったと思うわ。相手の唱える呪文の効果を、全て自分一人に集中させる呪法……」
「んなもん……なんのために?」
「……私の想像だけど。サウマリルトはシドーに混沌をぶつけようと思っていたのではないかしら。考えてみればシドーは具象化し名付けられた混沌、混沌と同化することは無に還ることと同義なはず。……サウマリルトは攻撃を受けた瞬間に混沌を我が身に宿すことで、シドーの中に混沌を叩き込もうとしたのよ、きっと……」
 俺は少し考えて――顔をしかめた。
「それって……むちゃくちゃ危ねぇんじゃねぇか?」
「ええ……自分が深い傷を負うことを前提にした作戦だし、なにより混沌を我が身に宿すなんて一歩間違えれば混沌に飲み込まれかねない行為だわ。なにか抑止する呪法を使っていたのかもしれないけど……それでも身体に残る打撃は計り知れない……」
「………………」
 俺は黙った。そして、サマを見下ろした。
 怒りは感じなかった。ただ、なんていうか――寂しいっつぅか、悲しいっつぅか、苦しかった。なんでこいつはいっつもこうなんだろう。簡単に自分の命を、身体を、投げ出しちまえるんだろう。
 きっとそれは全部俺のためになんだ。少しでも俺のためになるんなら、自分の全部捨てても惜しくねぇぐらいに思ってやがるんだ。
 痛いのも苦しいのも辛いのも、全部自分一人の中に収めて、ただ、俺のために。
 ――俺は目頭を押さえた。こいつが、俺のためにしか在ることができないこいつが、なのに俺からは愛されないこいつが――たまらなく哀れに思えたからだ。
 サマは小半刻の半分ぐらいの時間で目を覚ました。目を開くや、不安そうに、必死な顔で、切ないぐらい真正面から聞いてくる。
「僕、少しでも、ロレの役に立てた………?」
 ――そんな言葉に、これ以外のどう答えることができただろう。
「ああ。まあな」
 そう言うと、サマは、たまらなく幸せそうな顔で、にっこり微笑んだんだ。

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