| 「…………ざけんな」 長い長い沈黙のあと、ロレが最初に言ったのはその言葉だった。 「ざけんな！」 ロレは叫んで、僕の胸倉をつかんだ。殴られるのかな、と思ってじっと見上げる――と、ロレの顔が、大きく歪んだ。 まるで、泣くのを堪えてるみたいに。 僕は驚きのあまり目を大きく見開いた。そんなロレの顔――今まで見たことない。 「俺は絶対にてめぇを殺したりなんかしねぇ！ 冗談じゃねぇ、なんで俺がんなことやんなきゃなんねぇんだよっ！」 僕は呆然とロレを見上げる。ロレは僕を自分の顔の間近まで吊り上げながら、顔を歪めて叫んでいた。 ――その瞳からこぼれているのは――あれは、まさか、涙………？ ロレが、僕のために、泣いてくれて――いる？ 「あー俺は頭が悪ぃよ、お前がどんなに苦しんでたかとか全然わかんなかったし、今もわかってねぇよ！ けどな！ わかってんのか、俺はお前が大切なんだぞ、傷つけたくねぇって最後通告出すの迷って、決めてからだってちゃんといい女見つけて幸せになってほしいって、そのためならなんでもするって本気で思うくらい大切なんだぞ!? そんなお前が、もう生きたくねぇなんつって――俺が平気だと、本気で思ってんのか!?」 「………ロレ」 平気だと思ってたわけじゃない。大切だと思われてないと思ってたわけじゃない。 でも――今まで僕に涙なんか一度も見せなかったロレが、泣いたりするとは思ってなかった。 「ざけんじゃねぇっ、俺はそんなの認めねぇ！ お前がどんなに苦しかろうが俺はお前を生かすぞ、死ぬなんて絶対許さねぇっ！ お前を俺が殺したって言うんならお前の命は俺が握ってんだ、だったらお前の命をいつ奪うかは俺が決める！」 「―――ロ………」 「お前は俺のもんだ。今俺がそう決めた。俺の許しも得ずに死ぬなんて絶対許さねぇっ！ 確かに俺はお前のもんにはなってやれねぇ、お前がいなきゃ生きてけねぇってわけじゃねぇ、お前の気持ちもちゃんとはわかってやれねぇ！ だからキスもしねぇし結婚もしねぇし抱いてもやらねぇけどなっ！」 ぎっと、涙に濡れた瞳で、渾身の力をこめて僕を睨み―― 「それでもお前は俺のもんなんだよっ！ だから！」 急にがっくりと、力を抜いて、僕を下ろし。 うつむいて、僕の前に膝をつき。 「―――死ぬな。頼むから」 涙のせいか、掠れた声を震わせて。 ロレは僕にそう言った。 「……死なないで、くれ………」 「―――ひどいよ、ロレ」 僕は泣いていた。瞳から静かに、涙をこぼしていた。 「僕は、ロレが、好きなんだよ？」 たまらなかった。感情が溢れて止まらなかった。 「そんなことを言われたら。好きな人に、そんなことを言われたら」 これからも僕は苦しみ続けることはわかりきってるのに。君にはきっと僕が感じている想いのほとんどは伝わってはいないのに。 「生きるしかないじゃないか。君に生きろって言われたっていう、ただそれだけの理由で」 嬉しいのか辛いのかもよくわからない。ただひたすらに涙がこぼれた。 「僕は君を幸せにできないのに、僕の生きる目的はこれからずっとなにひとつ達成されないのに、君が生きろと言ったっていうただそれだけで、僕はこれからの長い人生を、ただ苦しみながら生きていくしかないじゃないか………」 あとからあとからこぼれる涙をただ流れるままにして僕はロレを見つめる。視界はぼやける、だけどロレの姿ははっきりわかった。だってこの二年間、僕はずっとずっとロレを見つめてきたんだ、ロレだけを。 だから、ロレがどんな顔をして、どんな風に僕に手を伸ばし、どんなに優しく僕を引き寄せて抱きしめてくれたかだって、泣きじゃくってひどい顔になって、まともに話もできない状態でも、ちゃんとわかるんだ。 ―――ロレの腕の中は、暖かくて、このまま死ねたら、と想うほど心地よかった。 「―――サウマリルト」 僕はその声に振り向いた。ロレの腕の中から抜け出て、声の主を見つめる。 「―――ハーゴン」 「お前は、生きるのか？」 その問いに、僕はうなずいた。 「うん」 「そうか」 ハーゴンは静かにうなずき返す。お互いのことは誰よりもよくわかっている、だから僕は一言だけ言った。 「ごめんね」 「いいさ」 そう言って首を振るハーゴンに、僕は一筋涙をこぼした。初めてロレ以外の存在のために泣いた。 本当に、君と一緒に死ぬことができたなら、どれだけ楽で幸せだったかわからないだろうに。 僕は、どんなに苦しくても、ロレがそう言ったという理由だけで、生きることを選んでしまうんだ。 「――サウマリルト。お前が一緒でないのなら、自分と道連れに世界を消滅させたいと思うのを、お前は許してくれるか？」 「――許すよ」 僕だって、少し違っていたら、自分の感情よりも存在よりもロレの方が大事だというその想いさえなかったら、君と同じように世界の消滅を願っていたに違いないのだから。 僕は光の剣を抜いた。ハーゴンのしてほしいことはわかっている。彼がこういう時なにを願うか、そんなことは誰よりもわかっている。 「君の核はどこ？」 「心臓のある場所だ」 そう言ってハーゴンは大きく腕を広げた。まるで僕を抱きしめようとでもしているみたいに。 僕はゆっくりと前に進み出て、ハーゴンの核めがけ光の剣を突き刺した。 ハーゴンの胸と唇から、紅の液体が噴き出る。でも僕はそれを避けもせず、ぐい、ぐいと剣を押した。 少しでも早く剣が核を壊すように。苦しみを長引かせないように。 剣が背中に突き通り、僕はハーゴンの大きく広げた腕の中に招き入れられた。僕はハーゴンを見る。ハーゴンも僕を見る。 ハーゴンは、微笑みを浮かべていた。今まで見た中で、一番優しい微笑みだと思った。 思った次の瞬間抱き寄せられ、僕の唇にハーゴンの唇が触れ―― ハーゴンは消滅して、塵に還った。 「………ハーゴン」 僕はまた一筋涙をこぼす。ごめんね、ハーゴン。一緒に消滅してあげられなくて。 君がどんなに道連れがほしいと、自分に寄り添ってくれる存在がほしいと思っていたか僕は知っているのに。 でも、僕たちは一緒に生きていくことはできない。お互いのことが誰よりもよくわかっているからよくわかる。 僕たちは生きるよりも死ぬ方がはるかに楽だから。いいだけ傷ついて、これ以上生きる意味もさしてないと思ってしまうから。 だから僕は、君の生存を願うことはできないんだ。それがどんなに苦しいことか、わかってしまうから。 「さよなら………」 ハーゴンの持ち物の中でただひとつ残った錫杖を、僕はそっと抱きしめて涙を流した。 「―――！ サマ、こっち来い！」 ロレの叫び声に、僕ははっとした。周囲の空間が炎が燃え上がるように赤く染まっている。 これは――混沌の余剰熱が、空間から漏れ出しているのか……？ だとしたらなんの余剰なんだ。 ――考えるまでもない。答えはひとつだ。 「ロレ！ シドーだ！」 「……シドー!?」 「混沌の具象化、破壊の化身！ シドーがハーゴンの命を生贄に目覚めようとしてるんだよ！」 ハーゴンが最後の瞬間に行ったに違いない。世界中の精神と接触しての混沌の召喚。 ――それが、僕らの最後の敵だ！ 「―――！ 見て！」 マリアが叫ぶ。至聖所の空間が歪んでいた。以前と同じ、旅の扉のように見ているものが捻れ、位相が歪んでいく感覚。 いや、今度はそれとは比較にならない――空間のみならず僕たちの存在すら飲み込み歪めてしまう圧倒的な歪みの質量。空間が許容しきれなかった力だけで勝手に空気が燃え上がり、その炎が混沌を映して黒く輝く。炎の中心に見えるのはごくごく小さな黒い点。それに離れた場所にいる僕たちの肉体精神魂までもが根こそぎ捻られていく。 肉体の外見が歪んでいくというだけでなく、思考が―――断裂する。まだ正気は保てているはずだ―――けど、頭が―――ぼう―――っとし―――てわ―――けがわから――― ―――ロレ！ 僕が心の中で叫ぶと同時に、ロレが吠えた。 「うおおおぉぉぉぉっ！」 ロレが剣を振り上げる――その剣はすでにロトの剣に変わっていた。稲妻の剣と一体化したロトの剣は振り上げたその場所から光――太陽のように光量が多いのに眩しくない光を放つ――― とたんに空間の歪みは消え去っていた。世界が普段通りに見える。黒い炎も掻き消えていた。ロレが混沌を消し去ったのだとわかった。 だけど―――黒い点を消し去ることはできていなかった。 ぐわ、と黒い点からなにか剣のような光沢を持つものがのぞいた。それはずる、と這い出るようにして点から少しずつ姿を見せる。 それは爪だったのだとわかった。緑色に輝く三叉の鋭利な爪。そして同色の鱗のついた手。腕。胴体より先に蒼い角とハーゴンのつけていた髪飾りに似た耳がついた頭が出た。 そこから先は一気だった。ずるん、と抜け出るように、シドーは五丈近くあった至聖所の天井を突き破り、胸元の巨大な髑髏を揺らし、全長十丈ほどはあるだろうその巨体を僕たちの前に現していた。 『………………』 僕たちは無言だった。マリアは歯がかちかち鳴っているところからその巨大さ、圧倒的な威圧感に気圧されているんだろうと思う。 だけど、僕は別に怖くはなかった。これは人の思う滅びの形だ。 世界中の人々が想像する〝滅び〟というものを形にしたのがシドー。それは圧迫感も威圧感もある、でも僕にしてみれば『この程度？』だった。 破壊神というんだからもっと圧倒的なまでな神威のようなものがあるかと思ったんだけど、シドーのそれはあくまで人が想像できる程度のものだ。体は震えるけど――ロレに見捨てられる、と思った時の恐怖に比べればそんなものなにほどでもない。 まぁ当たり前かもしれない、シドーっていうのは人の滅びの意識が形を取ったものなんだから。それなら、人の想像する程度の力しかなくて、人の手で倒すことができて当然だ。 ハーゴン、ごめんね。君の求めた滅びは、ここで断ち切る。 「―――行こう、ロレ」 僕がそう言って隣のロレを見上げると、ロレはちらりと、でも心底まで見通すような鮮烈な眼差しで僕を見つめ、それからふふんと笑った。いつも通りに、自信ありげに。 「―――おし、さくっとぶっ殺して凱旋といくか」 「うん」 「………ええ！」 マリアがきっと顔を上げてシドーを睨む。シドーがあえて言語化するならギョオロームグジョギョルォォン、という感じの鳴き声を上げる。 「―――行くぞ！」 最後の戦いが、始まった。 「〝精霊よ我らが盾となり鎧となれ！〟」 「〝風よ大地よ我らが敵を弱らせしめよ！〟」 僕たちは短縮呪文でスクルトとルカナンを唱えた。どちらも生半な攻撃呪文なんて通じないってわかってる、今必要なのはロレへの援護だ。 短縮呪文でも効果は十全――そうできる程度の修行は積んできてる。 「うおりゃぁっ！」 ロレが裂帛の気合と共にシドーの足を斬り裂く。ロトの剣の力満ちた刃だ、混沌を斬り裂くのには最も適しているはず。 『グギョルルッル……！』 シドーが呻く――と同時に四本ある腕のうち足との間にある二本が巨体からは考えられないほど素早く動き、ロレにその巨大な爪を叩きつけた。 「ぐ、ふ………！」 ロレが呻いて膝をつきかける――だがマリアが即座にベホマを唱えた。僕もさらにスクルトを唱えて防御力を上げる。 ロレはさらに斬りつけ、シドーの腹に、腕に巨大な傷をつけた。――剣の力が増している。剣はシドーの背の高さを越えるほどに輝きを長く伸ばし、その光はまるで剣が長く伸びたようにそのままシドーの体を斬り裂く。それでいて床や天井は決して斬らない。ロレの力ならそのくらい簡単だろうに。 ――ロレは、ロトの剣を完璧に使いこなしてるんだ。 『グギェェショリクゥパェェ』 シドーが呻き――口を開けた。同時にロレが叫ぶ。 「退がれ！」 その言葉に僕たちが反応するより早く――シドーの口から業火が噴き出した。柱が溶けるほどの高熱の炎は、たちまちのうちに僕たちの周囲を埋め尽くし、空気を沸騰させる。 ロレが一瞬ふらつく。きっと肌はひどく焼け爛れているだろう。 僕もひどい有様だろうと思った。ミンクのコートは防火の力はない。 マリアは水の羽衣の力で少しマシだったが、それでもがっくりと膝をついた。 ――なんて強烈な炎だ。 「マリア！ ロレにベホマを！」 叫んで僕は力の盾を掲げ、マリアの傷を癒す。完全回復とはならなかったが、水の羽衣のおかげで傷が軽い分一撃で死なない程度には回復できた。 マリアは即座にロレを回復し、ロレもしっかり地面に立ってシドーと斬り合いを再開した。単純な攻撃力はほぼ互角――だけどシドーにはあの炎という切り札があることが判明し、なにより体力がどれだけあるかわからない。混沌が具象化したものなのだからその生命力は桁外れのはず―― ――具象化。定義づけられた、混沌。 僕ははっと、いまさらのように以前考えていたシドー対策を思い出していた。シドーという存在と相対した時にどう対処するか。ディリィさんの蔵書でかなり詳しいところがわかってから、ずっと考えてきたんだ、僕は。 それが本当に有効な手段かどうかはわからないけど―― 僕のこれまで築き上げてきた知性は、それは正しいと言っていた。 「マリア」 僕は囁くように言っていた。 「僕の作戦、聞いてくれる？」 ロレは何度も倒れかけながらも、そのたびに回復されてシドーと斬り結んでいた。こちらからは表情は見えないけれど、きっと苛烈なまでの意思をもってシドーと戦っているんだろう。 シドーは一向に倒れる気配がなかった。というより、傷がある程度深くなると回復しているみたいだった。一瞬攻撃が和らぐ。 ――シドーの回復能力に果てがあるのかどうかはわからない、けどないならこのまま戦って負けるのはこちらだ。 僕はだっとロレの隣に駆け寄った。光の剣を抜いて大きく振りかぶる。 ロレはちらりとも僕を見ないまま剣を振るい続けた。だけどわかる。ロレは僕が近づいたことを知っている。 知っていて、信じて、放っておいてくれるんだ。僕が、ロレの邪魔になるようなことはしないって。 その期待に応えたい。最後の機会なんだ。ロレのために役に立てる最後の機会なんだ。 僕の全てぶつけて、勝って――生き残らなくちゃならないんだから！ 「せあぁっ！」 ロレが大きくシドーの肩口から腹までを斬り裂く。シドーの身体からは血も体液も出ない。どんなに攻撃されても元気に暴れ回っている。 ロレはそれに真っ向から立ち向かっている。どんな相手でもその毅い意思と力で叩き潰す、それがロレの戦い方だ。 それに比べて僕は小賢しく立ち回って相手を罠にかけるような戦い方しかできない――でも。 それは僕には、ロレにはできないことができるってことでもある。少しでも、ロレは僕のことなんてその他大勢の一人としか思ってなくても、ロレの役に立てる可能性があるんなら――僕はなんでもする！ 「せいっ！」 光の剣でシドーの足を斬り裂く。浅いが一応傷はついた。 シドーは僕を無視してロレに集中攻撃を続けている。一度また炎を吐いた。さっきの果てがないように思える炎よりは小さく、僕たちは即座に以前と同じやり方で回復する。 『グキェルシャンヂェジャンザァァ！』 シドーが鳴いて四本の腕を、足を振り回す。僕たちはそれをかわしながら攻撃を繰り返す。僕は回復を入れながらだけれど。 食いつけ――僕は祈った。邪魔な回復役がすぐ手の届くところに来てるんだ。攻撃役としても邪魔は邪魔なはず。この程度の奴なら一挙動で仕留められると思え―――！ 口の中で呪を唱えながら、全力でシドーに斬りつける！ 『ゲェラゲドフギャルガヴァッ！』 会心の一撃――！ 僕の攻撃は、シドーの腹を深々と斬り裂いた！ シドーがこっちを見る。クパァ、と口が大きく開いた。通常ではありえない角度に腕が曲がり、僕の身体にその鋭い爪が二本突き刺さる―― 僕の身体から噴水のように血が噴き出した。ぐらりと気が遠くなる。 「サマ―――！」 ロレの声が遠くに聞こえた。大丈夫だよ、ロレ。 僕は、死なない。 君が死ぬなと言ったから。君が僕の命を惜しんだから。 どんなに苦しかろうが、辛かろうが、君が傷つくよりはずっとマシだから。 僕は死なない。なにをしても生き延びてやる。生きて――君が幸せになるのを、見届けるって決めたんだから！ 僕はずっと口の中で唱え続けていた呪をようやく言い切った。僕の切り札の呪法が発動する。 がっし、と渾身の力をこめて引き抜かれようとしたシドーの爪をつかんだ。抜かせない。ここで抜かせたら意味がなくなる。 ロレには全然かなわないけれど、僕の力も素手で鉄が楽勝で貫けるぐらいにはなっている――その力を死ぬ気で振り絞ってシドーの腕を止めた。 「マリア！」 叫ぶのとほぼ同時に呪力が体の中に流れこんできた。混沌の呪力。世界の根源にして崩壊の原因たる全にして一なるものの端緒。 そしてそれは、僕の体に深々と突き刺さった、シドーの爪にも及び―― 『――――――――――――!!!』 シドーが絶叫する。音にならない叫びで。 体が硬直し固まっていくのが見えた。過冷却の時間を越えた水が急激に氷に変わっていくように。 シドーは体を必死に動かして暴れているが、それよりも固まっていく速度の方が早い。シドーは絶叫しながら動きを止めた。 ―――よし！ 「ロレ！ 今だ、マリアと力を合わせて！」 叫んだつもりだったけど、ロレに聞こえたかどうかは定かじゃない。 でも、叫んだすぐあと、まるで目の前に太陽が落ちてきたみたいに世界が光り輝くのを感じ――ああ、ロレはやってくれたんだな、とわかったから、僕は微笑んで、そのまま意識を失ったのだった。 理屈は簡単なんだ。 シドーは混沌そのものでありながら混沌とは遠くかけ離れている。名付けられ定義付けられてしまっているからだ。 それなら混沌を直接体の中に叩き込んでやれば違う人間の腕を繋いだ時のように拒否反応を示すのではないか、と考えたのが最初。 けれど僕たちが扱える混沌はパルプンテぐらいのものだけど、それは眼前の世界に対して使う呪文。個人に向けては使えない。 そこで思いついたのが呪凝集魔の呪法。これは相手との間に魔術的回路を作り、相手の唱える呪文を全て術者に集中させる呪法だ。 遠距離の人間に対して回復を行う時なんかに使うんだけど、僕はこれをアレンジ――というか誤魔化して、体に深く突き刺さっているもの――シドーも僕の体の一部とみなすようにしたんだ。 それがどんなに短い間でも、完全に動きが止まり、防御ができなくなれば――ロレなら、絶対に斬り伏せてくれる。 マリアが精霊ルビスさまの力を導けば、ロレのロトの武具の力と合わせてシドーを封滅することも容易なはず―― だから僕は命を賭けてる気分なんて微塵もなかったんだよ。 ロレなら、僕に死ぬなと言ったロレなら。絶対に、誰も死なせやしないって、わかってたんだから。 ――次に目を開いた時、最初に見えたのはロレだった。じっと、静かな、だけど苛烈な感情を底に秘めた瞳で僕の方を見つめている。 僕は必死な思いでこう言った。体には力が入らなかったし、体中たまらなく痛い。でもそんなことはどうでもよかった、ただ僕はこれだけ聞きたかったんだ。 「僕、少しでも、ロレの役に立てた………？」 するとロレはふっと、どこか寂しげな、初めて見る笑顔で笑って。 「ああ。まあな」 と言ってくれたから、僕はたまらなく幸せな気持ちで微笑むことができたんだ。 ――旅の終わりに。 |