『破壊の神シドーは混沌に還りました。魔を統べる者ハーゴンがいなくなった以上、また少なくとも数百年は平和が続くことでしょう』 どこからともなく聞こえてきたその美しい声に、俺は思わず天を見上げていた。 「ルビスさま………」 「あんた、ずっと俺たちのことを見てたのか?」 『ええ、見ていました。私の今の力では、見ていることしかできませんでしたが』 「……どう思った?」 少しの間。 『見ていることしかできない我が身をここまで恨めしく思ったのは、久しぶりでした』 「…………」 その声には、自分の無力を嘆きながら受け容れる、殉教者の気配があった。 『私は、できることなら世界の全ての存在が幸せになれるよう力を振るいたい。世界の子供たちを、誰も不幸にはしたくない。――ですがそれはできないことですし、それ以上にしてはいけないことなのでしょう。神はしょせん、世界の親にしかすぎないのですから』 「――世界の親?」 『そう。親は子供が我が手の中にあるうちは精一杯愛情をこめて守り面倒も見るけれども、子供が一人立ちしたならばもうその人生に口出しをしてはなりません。子供の人生がどうなるかは子供の選択――ただ世界を産み出したというだけの存在が、世界の一人一人の事情に首を突っ込み、行いを正すのはお節介、越権行為と言うべきでしょう』 「…………」 確かに――そうだな。神様に頼らなきゃ自分の逆境どうもできねぇなんて、それじゃ人間として生まれてきた意味がねぇ。神様に祈って頼りゃなんとかなる世界なんて虫唾が走る、俺は自分の意思と力で変えられる、変えるしかない世界に生きていたい。 ――んなことが言えるのは俺が神様にでも頼らなきゃどーしようもねぇ状況ってのに追い込まれたことがねぇからかもしれねぇけどな。 『――ですが。自分にはどうしようもない理由で、ずっと虐げられてきた存在を見ると――せめてそういう存在だけでも救えたらよいのに、と心から思います………』 その声はかすかに震えていた。――この神様は本当に、優しい人間みてぇな悟りきれてねぇことを言う。 けど、俺はその方がずっと好きだ。 「あんたのせいじゃないさ。そこらへんは今生きてる俺たちの責任ってやつなんだろう。――俺たちがそういう奴の面倒見てやらなきゃならねぇんだ――幸い俺らはそれを任されてる王族って立場なんだからな」 「そう、ね……」 マリアがわずかに笑んだ気配がした。ルビスさまも笑んだようだった。 『――あなたたちは私の可愛い子供たち。私はあなたたちにはことに幸せになってほしいと願います。私には見守ることしかできませんが――せめて祈りましょう、大いなる神に。あなたたちに、私の可愛い子供たちの人生に、常に光があるように―――』 マリアの首の首飾りが光った。周囲が光で埋め尽くされる――と思ったら、俺たちはハーゴンの神殿の外に出ていた。 そして目の前にあったはずのハーゴンの神殿は、きれいさっぱり消え去っていた。 「神殿が……」 「――首飾りがなくなってるな」 ルビスの守りは消えていた。役目を終えたってことだろう。――実際、ロトの武具と合わせればどんな大軍でもあっさり勝てそうな力なんて、なくしとくに越したことはねぇ。 俺たちはハーゴンの神殿跡を黙って見つめた。なんとなく、奇妙な気分だった。 旅が終わったってのに、達成感や喜びなんかがさほどない。それはたぶん、ひとつにはハーゴンのせいだろう。 あいつはおそらく世界でも一、二を争うくらい不幸な境遇の人間だったろう。簡単に不幸なんて言葉じゃすませられないぐらい。 あいつは非人道的なことを山ほどやった。人を大量に殺した、不必要に人を苦しめた、世界を滅ぼそうとした。だから同情はしない。 けど、後世に俺たちの話が伝えられるなら、あいつの境遇も一緒に伝えてってやりたいと思った。それがあいつの話を聞いた人間の責務だと。わかったようなことは言いたくねぇ、ただ俺は――そうだな、結局やっぱりあいつのことが哀れだと思っちまったんだろう。同情なんて絶対してやりたくねぇけど。 あいつにはあいつの人生があったんだって、わかったようなこと言う奴らに言ってやりたくなったんだ。 ――そして、もうひとつ。旅が終わって、俺たちは。俺たち三人は、どういう関係を持っていけばいいんだろうって―― 俺は思いを振り切るように二人の方に振り向いて笑った。 「よっしゃ、じゃさっさと帰って凱旋といくか!」 「――そうね」 マリアとサマがわずかに微笑んで、うなずいた。 俺たちはロンダルキアの祠の老夫婦を安心させてから、ディリィの城へ飛んでロトの剣を返した。……こいつにもマジいろいろ世話になったよな。 ディリィは俺たちがどんなもんを見て聞いて感じたか全部わかってるって感じの顔で(ムカつく)、ねぎらうように俺たちの背中を叩いた。こいつも仲間だな、なんてことを思った。 「お主たちの国の凱旋パーティには招待してくれよ」 「特等席を用意しといてやるよ」 そんな言葉を交わしてからルプガナへ。オルガと市長に会って魔船を返した。相変わらずオルガは元気だった。 シャニーは俺たちの前に姿を見せなかったが、オルガの話では少しずつ自分とも話をしてくれるようになってはいるらしい。少しずつ仕事も与えるようにして、魔物を召喚するような余裕をなくしてやるのだとオルガは笑っていた。 それから、俺たちはローレシアへ飛んだ。――旅が終わった最初に、決めていたことを――マリアと結婚するってことを親父たちに認めさせたかったからだ。 ――ローレシアの街門の前に降り立ったとたん、歓声を浴びせられた。以前ローレシアの城を守った俺たちに浴びせられたのに数倍する勢いで。 もしかして俺たちを待ってたのか? ってぐらいの流れだ。俺たちが城に向かう道を開けながら、道の両側から歓呼の声を上げる。 「ロレイソム王子、万歳!」 「ロトの子孫に栄光あれ!」 「ローレシア王家万歳! 御世とこしえに!」 「ルビスさま万歳!」 ……別に俺一人でやったことじゃねぇっつーに、マリアとサマに対する言葉がほとんど出ねぇのはなんでなんだ。 ローレシア城についても同じだった。街の奴らは城の中にまで入り込み、俺たちを見ては歓喜している。 軍楽隊が音楽を奏でる中を謁見の間まで進む。そこには親父、母上、妹どもに妾妃たちが貴族の取り巻きを引き連れて待っていた。 さすがにここは格好をつけなきゃ収まらねぇな、と礼式に乗っ取って立ち止まりひざまずくと、親父は玉座から立ち上がってこちらに寄ってきた。 「もはやひざまずく必要はない、ロトの勇者たちよ! お前たちは今日この日、世界を救ったのだから! その行為の価値、計り知れるものではない!」 親父が王冠を外した。俺は一瞬呆気にとられたが、俺の肩を王錫が叩くに至って思わず拳を握り締めた。 ――このオヤジ……まさか。 「今日この日、ローレシア王セルメンダ・オーマ・ローレシアは譲位を宣言する! 今日この時よりローレシア王は、ロレイソム・デュマ・レル・ローレシア、いいやロレイソム・オーマ・ローレシアである!」 周囲の奴ら――兵士も侍女も貴族も街の奴らも、全員沸く――このオヤジ、やっぱりやりやがった! 俺はひざまずいたまま親父に囁いた。 「おい、てめぇなに考えてやがんだよ、俺なんぞが王になるのは二十年早いんじゃなかったのか?」 「やかましい、わしとて好きで譲るわけではないわい」 笑顔のまま俺に囁き返す親父。 「だがな、お前は世界を救ったのだ。ロト三国の血の盟約を果たし、ローレシアを守り抜いたのだ。そんな存在がいつまでもふらふらしとっていいわけがなかろう。王にでもせねば収まりがつかんわ」 「てめぇに厄介者扱いされたくねぇよこのボケ親父」 「ふん……だが、実際お前は、世界を救った。わしの手の中にあるもので、それに報いられるのは王位ぐらいしかない。……お前の民を導く力も、見せてもらったことだしな」 「…………」 親父がそんな俺を認めるみてぇなこと言うとは思わなくて思わず目を点にしていると、親父はにやりと笑った。 「まぁ、わしは引退して普段は気楽にヴィクトワールはじめ美女を愛でつつ、好きな時に口出しするという気楽な立場を手にできるわけだからな。嫌でも受けてもらうぞ」 「……てめぇ」 「嫌ならばお前の実力で、わしの干渉を撥ね退けてみるがいい」 俺は思わずにやりと笑った。面白そうじゃねぇか。 王位なんて窮屈なもんまだ当分はいらねぇと思ってたんだが――実際、これまで旅してきた俺にゃあ、王ぐらいしかやりたいと思える仕事はねぇしな。 それにそっちの方がなにかと便利そうだし―― 俺は真剣な顔を作って、うなずいた。 「――謹んで、お受けいたします」 俺は王冠と王錫を受け取ると、どよめき沸き立つ周囲に向けて力いっぱい堂々と宣言した。 「ローレシアの民よ! 今この時よりローレシアの王となったロレイソム・オーマ・ローレシアが宣言する。この平和は我らロト三国の王位継承者たちが協力して勝ち取ったものだ! 我らロト三国は、これからもこの平和のため協力し合い、助け合ってその身を賭して戦うことを誓う!」 さらに観衆が沸き立つ。俺は手を上げて静めてから、きっぱりと言った。 「その証のひとつをここに見せよう! 我ロレイソム・オーマ・ローレシアはムーンブルク王女マリア・テューラ・イミド・クスマ・ムーンブルクに、女王位の継承を待って結婚を申しこむことを宣言する!」 言うや俺はマリアを立ち上がらせ、抱きしめてキスをした。 観衆はどよめき、同時に歓声を上げる。親父や妹どもが驚愕の表情を浮かべているのがわかった。 マリアが真っ赤になって俺の胸を押し、小声で囁く。 「……なにを考えているのあなたは、こんなところで!」 「なんだよ、最高の舞台だろ、王位継承と同時に王としての求婚! ここで宣言しときゃ妙な虫も横槍も入ってこねぇだろうからな」 にっと笑って言ってやると、マリアはわずかに顔を赤らめながらも、きっと俺を睨んで言う。 「だけど……こんな、周り中に人がいるところで……キス、なんて」 「嫌だったのかよ?」 軽く笑みながら言ってやると、マリアは少しうつむいて、小声で言う。 「嫌、では、ないけど。……いきなりすぎるわ」 こいつかっわいー、と俺は顔をにやけさせ、それを隠すようにもう一度思いきり抱きしめた。観衆からさらなる歓声が上がる。いい気分だった。 ――心のどこかが、後ろでひざまずいている奴のことを、ずっと考えていたけれど。 |