あいつが死んだ話
 銀の鍵を手に入れた俺たちは、ローラの門を抜けてムーンブルクのあるウーラ大陸に向かった。とりあえずムーンブルクに行って情報を集めようということで意見が一致したからだ。
 ローラの門の中ですらうじゃうじゃ出てくる魔物どもを片っ端から斬って捨てつつ進む。サマはそんな俺の後ろから回復呪文かけたり弱い敵に焼け石に水の攻撃したりと援護に徹している。
 だがまー相変わらず弱々なやつではあるが、一応俺たちの間にはコンビネーションらしきものができてきていた。なんつーか、相手の呼吸がわかってきたっつーか。回復呪文をかけるタイミング、援護するタイミング、そういうものが読めるようになってきて、どんな状況なら無茶ができるか、どんな場合なら攻められてどんな場合なら退いた方がいいか、そういうものがわかってきた。
 それに、旅の合間に俺が稽古をつけてやってる甲斐あって、サマも少しずつではあるが腕を上げてきているし。
「ねえロレ。ロレはムーンブルクに来たことある?」
 ローラの門を抜ける時に、ふとそんなことを聞かれた。
「ねぇよ。俺はこの旅に出るまでローレシアの外に出たこたぁねぇ」
 だから俺としては(不謹慎だとは思いつつも)、この旅で世界中を好き勝手に見て回れるっていうのはかなり楽しみにしてる。サマルトリアはちょっと山と森が多いくらいで大してローレシアと変わらなかったけどな。
「そっか、僕は一度だけ来たことがあるんだ。一ヶ月間、留学っていうことで」
 うげ。マジかよ。
「げ、よその国にわざわざ勉強しに行ったってか? 信じらんね、考えただけで気分悪くなるぜ」
「ロレは勉強嫌いなの?」
「勉強好きな奴なんかいるわけねーだろ」
「えー、僕は勉強好きだけどなー。っていうか、ちゃんとした勉強って普通面白いものじゃない?」
「……本気か? 本気で言ってんのか?」
 こいつ時々そういうこと言うんだよな。俺の常識とは全然かけ離れたこと(本気で勉強が好きなんて奴は変態だと俺は思う)。
 そりゃ育った国も状況も違うんだから当然っちゃあそうなんだが、同じ男で同じ第一王位継承者で、そんなに育ち方が違うってのは妙な感じだった。
 今まで俺と出会った奴は男も女も、俺にとっちゃごく当たり前な奴ばっかだったから。
 ……まあ、そういうのも面白いっちゃあ面白いけどな。

 ムーンブルクは奇妙な国だった。建物やらなにやらがあからさまにローレシアとは違う。
 ローレシアの建物もサマルトリアの建物もほとんどが平屋だったが、ムーンブルクのはどれもやたら背が高い。しかも木造じゃなくて石造り、それも石を削り出して作ったんじゃないかってくらいのぺっとして継ぎ目がない。その上時々妙にくねくねしたりしてる部分があったりして、見た目にもかなり妙だった。
 それに、街を歩いてると見たこともないもんがやたら目につく。しかもそれが見た目からは想像もつかないような使い方をされてるんだ。
 例えば郊外の畑を耕してる奴らが持ってるのはどっからどう見てもただの手押し車なんだが、サマが言うには畑を耕す魔法の道具らしい。ただ押すだけで土を耕し肥料をまいたような効果があるとか。
「んな都合のいいもんがあんのかよ!? だったら売れよなー、ローレシアとかにも!」
「そうだねー」
「……おい、そういやお前なんでそんなこと知ってんだ?」
「一ヶ月ムーンブルクに来たことがあるって言ったでしょ? その時にこの国の風俗はだいたい調べたから」
「へー」
 マメな奴。
「他にもムーンブルクには、火を使わずに明かりをつける道具とか薪を使わずに自由自在に火を出したり消したりできる道具とかあるよ」
「うっへ。そんな道具どっから見つけてくるんだよ?」
「見つけるんじゃなくて作るんだよ。ムーンブルクには魔術師連合っていう王が直接治める魔術師の団体があってね、そこが国の要請を受けてそういういろんな道具を作ってるんだ。各地に支部があって魔術師はほぼ全員そこに所属して仕事をもらう。家を建てる時とかはみんな魔術師連合に依頼してそういう技術を持った魔術師を派遣してもらったりするんだって」
「家? なんで家を建てるのに魔術師がいるんだよ」
「ここの建物って石造りなのに、たいてい石から削り出したみたいに継ぎ目がないでしょ? 呪文と道具で家を建ててるからなんだよ。大地の精霊に呼びかけて土で家を形作り、石化する。そういう技術がほとんどの国民が仕えるぐらい普及してるんだ」
「はあ!? 魔術師ってそんなことできんのか!? じゃあ城なんかも魔術師がいたら一日で建てられるじゃねぇか!」
「うーん、まあね。城クラスの建物だと何十人もの魔術師が何日もかけなきゃならないけど。でも、それだけの技術を持つ魔術師がごろごろしてるのはムーンブルクくらいだよ。ローレシアには魔術師の数自体が少ないし、サマルトリアでは魔術師は施療師の役割を担わされることが多いからそういう便利魔術の使い手はほとんどいない」
「……なんでムーンブルクだけそんなに魔法が使える奴が多いんだ?」
「うーんとね。それにはロンダルキアとムーンブルクの関わりと、この世界の成り立ちについて話さなきゃならないな」
「手短に言え、手短に」
「手短に? じゃあムーンブルクはロンダルキアの神官たちの言葉を民に伝える家系の国だから」
「………それだけじゃわけわかんねえ」
「あはは、じゃあもうちょっとだけ詳しくやるね。この世界の魔法はみんな精霊の力を借りてるっていうのは知ってる?」
「知らねぇ。魔法学の授業は初日で放り出した」
「うーん、それじゃ知らないのも無理ないかな。かつて人が生きていた上の世界はまた別らしいんだけど、この世界はルビスさまの御力によって成り立ってるでしょ? だから世界の理を利用する業である魔法もルビスさまとその眷属、精霊の力を使うことになるんだ。ここまでいい?」
「……ああ」
「つまりこの世界の魔法っていうのは世界の法則を利用するものであり、神に語りかけ、声を聞く業なわけ。だから太古、魔術師は神官と同義だったんだよ。ここまでいい?」
「…………ああ」
「それでロンダルキアはルビスさまが世界を作る際に初めて降り立った地でルビス教の聖地でしょ? 世界に向けてルビスさまの声を伝える場所だ。でも神の声を聞けるほどの神官たちは総じて世事に疎いし、上の世界から伝えられた祭政分離の原則もある。だから、ルビスさまの声をまつりごとに反映するには神官たちではない人間が必要だ。それがムーンブルク王家の始まりなわけ。ムーンブルク王家は世界の始まりにおいては封印の一族ラダトーム王家と並んで世界の盟主だったんだよ」
「………………」
「そんなわけでムーンブルクはこの世界の始まりから神官たち、すなわち魔術師たちと関係が深く、ロンダルキア――ルビス教が政治的影響力を持たなくなった今でもロンダルキアと人材を送り合っている。精霊暦ですら五百年近く繰り返されてきた営みの中で、ムーンブルク王家は魔法大国を名乗れるだけの魔術師を集め技術を磨いてきた。自然魔術を志す者はムーンブルクに集まり、ムーンブルクは魔術師を国外に出すことを歓迎しないからますます魔術師がムーンブルク以外の国から少なくなって、今みたいな状況ができあがったわけ。わかった?」
「………………わかんねえ………………」
 そう言うとサマは本気で驚いた顔をした。
「え? 僕の説明、どこかわかりにくいことあった?」
「そうじゃなくて、そんなに長い台詞をすらすら言われたって俺の頭じゃ覚えきれねーんだよっ!」
「…………そう?」
 どうもぴんときていない様子で首を傾げるサマに、俺はため息をついた。
 こんな長説明がすらすら出てくるってことは、こいつ本当に勉強が好きなんだなー。
 頭よかったんだこいつ。最初会った時はあんなに馬鹿っぽく見えたのに。
 いや、そりゃ一緒に旅しててこいつけっこう頭いいかもとか思うことはあったけど……くそ、なんか悔しい。
「……まあ、ムーンブルクには魔術師がいっぱいいて、せこい国だってことはわかった」
「せこいって……」
 困ったように笑うサマに、俺はきっぱり言う。
「せこいだろ。魔術師自分たちだけで独占して、作った道具も売らねえなんて」
「うーん、そうだね。ムーンブルクは魔法大国としての在り方を間違えていると思う。経済理論からいっても技術発展の法則からいってもあのやり方じゃいずれ行き詰る……って言っても、ムーンブルクのトップは魔術師連合のトップごとなくなっちゃったんだからこれからは変わらざるをえないだろうけどね」
「そうだな……」
 まあ、よその国のことなんだから俺には関係ねーけど。
 なんとなく話が途切れて、無言のまま街道を南下する。とりあえずの目標はムーンペタっつう街だ。
 俺はムーンブルクの地理なんてさっぱりわかんねーけど、サマの持ってた地図を見ると確かにその辺りを拠点にするのがよさげだったからな。
 と。
「グルルルルルルゥ……」
「シュゥギャー!」
 二十丈ほど先で、でかいサルと緑のでかいハエが誰かを襲ってるのが見えた。
 俺は即座に駆け出す。サマもついてきた。
 サマが炎の呪文――ギラっつーそうだ。覚えた――を使ってハエどもを焼き払う。よし、あとはサルだ。
 俺は全速力で走り寄り、今まさに腕を振り下ろそうとしているサルと襲われてる奴の間に入り、サルを袈裟懸けに斬った。
「せぇいっ!」
「!!」
 俺はサルの体を真っ二つにすると(今日は調子がいい)、もう一匹のサルの心臓を突いた。噴き出す血を避けてサルから剣を抜くと、軽く血を払う。
 ふと、襲われてた奴らがこっちをきらきらした目で見てるのに気づいた。見た限りじゃどこも怪我してないが、一応無事か聞いておこうと口を開くより早く向こうが言った。
「あ、あのっ! あ、あ、ありが……」
「ロレ―――っ!」
「うわ!」
 俺は背後から急に飛びつくように抱きつかれ、思わずたたらを踏んだ。サマだ、と悟った俺は怒りの表情を作ってサマの方に向き直る。
「こら、てめぇ、なにしやがる!」
 サマの顔はきらきら輝いていた。助けた奴の数倍はあるんじゃないかってくらい。
 俺は少したじろいだ。だからこいつの美少年面だと妙な迫力があるんだっつの。
 なにを言われるかと身構えた俺に、サマはひどく興奮した顔でめちゃくちゃ嬉しそーに叫ぶ。
「ロレ、すごい、すごいすごい、かっこいーいっ!」
 ………はあ?
「マンドリルを一撃で倒しちゃった! それなのにさ、ちっともすごいことしてないって顔でさ、剣の血払ってみせてーっ!」
 ………つまりあれか? こいつは一緒に旅してる仲間の男がかっこいいって理由でこんなに喜んでるわけか。
 ………なんじゃそりゃあ!
 俺にしつこく抱きつくサマに、怒りでか羞恥でかとにかく顔を熱くしながら俺は怒鳴った。
「やかましい、キショイこと言ってんじゃねぇ、いいから離れろっ!」
 当然サマは離れなかった。それどころか俺の体を全身の力をこめて抱きしめてくる。
「もう、もうもうもう、ロレってばロレってば、サイッコーっ!」
「………いっいっかっげっんっにっ、しろっ!」
 俺はかなり本気の力をこめてごつんとサマの頭を殴った。
「いったーい!」
「うるせぇ! 同じ旅してる仲間相手におべっか使ってんじゃねぇ! てめぇはもう少ししゃきっとしろしゃきっと、自分だって戦えるくせにほいほい俺に尻尾振るな、タコ!」
「…………!」
 俺の言葉に、サマは大きく目を見開いた。俺はちょっとたじろいで後ろに下がる。
「な……なんだよ」
 なんだよ。俺はただ当たり前のこと言っただけだろ? ……こいつがこんな顔するとまるでこっちが悪いような気になるじゃねーか、くそ!
「ロレ……」
 サマはじわっと目を潤ませる。うわ、と柄にもなくちょっと慌てちまった俺に、サマはそのうるうる瞳のまま抱きついてきた。
「どわ! な、なんだってんだてめぇは!」
「ロレ! ロレロレロレ! ありがとう、僕ロレのことだーい好きっ!」
「な……てめぇ俺の話全然聞いてねぇだろーっ!」
 殴っても蹴ってもサマの奴は俺から離れようとはしなかった。めちゃくちゃ嬉しそうな顔と声で、俺に抱きつきながら大好きと叫ぶ。
 ………こいつ………こいつ、頭はいいけど、いくらなんでも変すぎるぞ!? わかってたけど!
 そのあと俺は助けた奴に礼を言われたんだけど、かなり疲れてた俺は半分以上聞き流していた。

 それから二週間、俺たちは魔物の襲撃を除けばなにごともなく旅を続けた。
 その間、サマはいつもにこにこして、俺の食事やらなにやらの世話を焼いてきた。まあつまり出会ってからと同じことをムーンブルクでも続けたわけだが。
 ……悪ぃ奴じゃねーんだけど……なんっか妙な奴だよな。嫌な奴だとは思わねーけど……一緒にいると、調子狂う。二ヶ月以上一緒に旅してきといてなんだけど。
 まーだからってこいつと一緒に旅しないわけにもいかねぇ。俺は時々サマを殴ったり怒鳴ったりしつつ一緒に歩いた。
 そしてムーンペタまであと半日というところまで来た時、事件は起こった。

「!」
 俺は数十丈先の土煙を見て目を細めた。あれは……キャラバン、か?
 ……キャラバンを十体を超えるでかいサルの群れが襲ってる!
 それを認識した俺は即座に走り出した。サマもついてくる。
 さすがに数十丈もの距離となると最低でも十秒はかかる。サマが走りながらギラの呪文を撃つが、サルどももバラバラに襲いかかってるんで一匹ずつにしか攻撃できない。
 ち、と舌打ちして、とりあえず今にも近くにいたおっさんに襲いかかりそうになってたサルを斬り倒す。この程度の敵なら一撃だ。
 だが全員を助けるには人に対してサルの数が多すぎる。俺の数十歩先でサルが中年の女を殴り殺そうと腕を振り上げた。
 まずい!
 そう思った瞬間、サルどもの動きが止まった。
「!?」
 なんだ? と思いはしたが好機だ。俺はその中年女を襲おうとしていたサルを斬り倒そうとそっちの方へ走る。
 だがそれよりも先にサルどもがいっせいに動き始めた。口からだらだら涎を垂れ流しながら、雄叫びを上げながら、とんでもない速さでみんな同じ方向へ向かう。
 その向かう先は――サマだった。
 サマは手に持ったなにかを振りまくようにしながら、なにやら唱えつつこちらから離れるようにして走っている。なんだ、と一瞬思って、すぐ思い出した。
 数日前サマが嬉しそうに言っていた。新しい薬の調合に成功したって。
『なんの薬だよ』
『魔物を興奮させて、呼び寄せる効果がある薬だよ。大昔には普通に使われてたっていうのを旅立つ前から研究してたんだけど、ようやくうまくいったんだ』
『阿呆か。そんな薬なんの役に立つってんだ』
『えー、いろいろ役に立つと思うけどなー』
 ……つまり、あいつはキャラバンの奴らを救うために、自分一人に魔物を呼び寄せてるわけか!?
 そりゃ、キャラバンの奴らを救うにはいい手かもしれねえが……あいつ、死ぬ気かよ!?
 サマは逃げながらギラを集まってきたサルどもに放っている。だがすでに一発殴られた。俺もこのサルに殴られたことはある、俺でさえ何発も食らったら死にかねない力だった。あのひ弱なサマじゃ、二発やそこらで――
 あの馬鹿……無茶しやがって……!
 とにかく俺は少しでもあいつの助かる確率を増やそうとサルどもを追いかけて片っ端から斬り捨てる。サマの出す匂いにどいつも気を取られてるから楽だった。
 二匹減らしたところで、再びギラの炎がサルどもを攻撃する。サルどもは次々と呻き声を上げつつ倒れた。
 なんとかなったか。俺はほっとしてサマを見た。
「――――!!」
 俺は息をつめた。回りこんだのか新たに寄ってきたのか、一匹のでかいサルが、サマを殴ったのだ。
 サマは大きく吹っ飛んで頭から地面に落ちた。そして、そのまま起き上がってこようとしない。
 あれは死んだ、と俺の戦士としての部分が判断した。
 サマが、死んだ。
 ――俺は、切れた。
「―――アアァァァァァァ!!!」
 狂ったような雄叫びを上げながらそのサルに斬りかかる。サルは一瞬びくりとたじろいだが、恐怖を振り落とすように吠えて俺に襲いかかってくる。
 上等だ、サルの分際で。
「―――ッラァァ!!」
 俺は真正面から剣を斬り下ろした。普段ならこんなことはしない。打ち下ろしは肩口を狙うのが常道だ。それは魔物相手でも変わりない。
 だが、俺は盾を放り投げて両手で剣を振り下ろし――頭蓋骨やら脳やら背骨やらごと、体の中心からサルの体を真っ二つに斬り裂いた。
 サルは声も上げず、絶命した。
 俺はそれを見もせずサマのところへ向かった。向かってどうするとかいう以前に、体が勝手に動いた。
「―――サマ!」
 俺はサマに駆け寄って顔をのぞきこみ、絶句した。
 サマの後頭部は完全に潰れていた。頭蓋骨が砕けて中からぐしゃぐしゃになった血まみれの脳がのぞいていた。その様子は真っ赤なこともあいまってまるで落っことしたトマトかざくろのようで、ひどくもろさを感じさせた。
 体をひっくり返して顔を見る。サマの、あのきれいな顔がひどく歪んでいた。顔の骨が砕けてるんだ。目玉が飛び出しはしていなかったけど、鼻は潰れていて、サマのきれいな顔が台無しだった。
 そしてサマのその顔は、ひどく虚ろだった。考えてみれば俺はサマの笑顔と泣きそうな顔しか見たことがなかったんだ。サマのこんな、無表情な、生気のない顔を見たのは、初めてだった。
 それはつまり、サマが死んでるからだ。もう命が体から抜け出ちまったからだ。
 俺はふいに吐き気を感じた。人が死ぬのを見るのは初めてじゃない、軍の魔物討伐に同行して魔物に殺された兵士の亡骸を弔ったことも何度かある。
 だが――サマが。二ヶ月間ほぼずっと一緒にいたあいつが。いっつもへらへら笑って大好きだのなんだのわけのわからんこと言ってきたサマが。
 もう動かない、ただの肉の塊になってそこに横たわっている。
 そう考えると、俺は猛烈に吐き気を催した。
 ―――と。
 ぼんやりとサマの体が光った。なんだ、と思う間もなく光の中でサマの体の像が変わっていく。
 光に包まれた、と思うが早いか、サマの体は緑色の棺おけに入っていた。
 なんだ!? と俺は一瞬狼狽したが、すぐ思い出した。サマが『僕たちは旅が終わるまで死ぬと棺おけの中に入ることになるんだよ』と言っていたのを。
『当たり前のこと言ってんじゃねぇよ。葬式で棺おけに入るのは死体に決まってんだろ』
『うーん、そういうんじゃなくてさ。僕たち勇者の血を引く者は魔を統べる者を倒す旅に出ると、魔物に殺されるとどこからともなく現れた棺おけに自動的に入るんだよ』
『はあ? なんだよそりゃ』
『ルビスさまの加護のひとつなんだそうだよ』
『なんでそんなキテレツな加護があるんだよ』
『うーん、死体を教会まで持っていきやすいからじゃない?』
 ――そうだ。こんなことをしてる場合じゃねぇ。
 一刻も早くサマの死体を教会まで持っていかねぇと。蘇生の儀式は遺体が古くなればなるほど成功率が下がる。
 俺は盾を背中に背負い、サマの入った棺おけから伸びる縄を持つと、棺おけを引っ張りながら歩き出した。小走りになってたからはたから見たら走ってるように見えたかもしれねぇ。
 キャラバンの奴らがもの言いたげにこっちを見てるのはわかったが、そんなもんにつきあってる暇はねぇ。今はとにかく――サマだ。
 ムーンペタまであと半日。それをどれだけ縮められるか。
 俺はひたすらムーンペタへ急いだ。蘇生の儀式の成功率は、どんなに遺体の状態がよくても半分がいいところ。そこからさらに死者の徳やらなにやらで成功率が下がる。
 そしてもし蘇生の儀式に一度失敗したら、そいつの魂は体ごと消滅する。二度と蘇生することはないし、魂が他の存在に転化することもない。完全にこの世から消え去ってしまう。
 ――考えるな。今はとにかく足を動かせ。
 俺は必死に足を速めた。止まったら蘇生の儀式が絶対に失敗するような気がして、もう二度と絶対にあいつに会えないような、そんな気がして――
 考えるな!
 俺はぎりっと奥歯を噛み締めながらちっとも近づいてこないように思えるムーンペタを睨んだ。ちくしょう。ちくしょう。悔しい。悔しい。悔しい。
 サマ。消えるな。俺はそんなに簡単にお前を逝かせるつもりはねえぞ。
 サマ、サマ、サマ――サマの、クソ馬鹿野郎がっ………!

 夕暮れの教会に駆け込んで、神父にこいつを生き返らせろと怒鳴った。寄付は前払いでとぬかす神父の襟首をつかみ怒鳴りつける。
「蘇生の儀式をしたらいくらでもくれてやる。だからとっととやれ。もしこんなくだらねえことで儀式が遅れたせいでこいつが生き返らなかったら、てめえをぶっ殺してやるからな……!」
 神父は俺の形相にか言葉にか震え上がり、さっさと儀式を始めた。
 儀式の時間そのものはごく短い。その間中、俺はひたすら棺おけから出されたサマの顔を見つめ続けていた。
 サマ。サマ。サマ。ひたすらそれだけを繰り返して、天に祈った。祈るなんてこと、ここ数年したことなかったのにな。
 神父の低い声が教会の中に響き渡る。俺はひたすらサマを見つめた。
 ――と、ぱあっと棺おけが光った。サマの体が棺おけに包まれた時と同じ光。
 そして空気に溶けるように消えていく。はっとして見ると、サマの潰れた頭と鼻が元通りになり、肌に生気が戻ってきていた。
 成功したのか。
 俺はサマに駆け寄る。その顔は眠っているように見え、表情が感じられなかった。そのせいか生き返ったという実感がわかない。
 あの阿呆面でへらへら笑ったサマが見たかった。そうでないと、生き返ったってことが信じられない気がした。
 と、サマのまぶたが動いた。ゆっくりと目が見開かれ、焦点を結ぶ。
 緊張してそれを見ている俺に、サマはなぜか、すうっと手を伸ばしてきた。
 なんだ? と戸惑っていると、サマはほわーと、あの気の抜けるような表情で、とろとろと言う。
「ロレ……ごめんね。迷惑かけてごめん。でも、大好きだよ……」
「…………」
 俺は無言でサマの頭に拳を落とした。
「いたーっ!」
「てめぇ……人にさんざん心配かけといて出てきた台詞がそれか? ざけてんじゃねぇぞこのボケ! てめぇは死んでたんだぞ、へらへら笑いながら暢気なこと言ってんじゃねぇタコッ!」
「……ロレ……僕を心配してくれたの?」
「最初に聞くことそれかよ!? 普通死んでたこととかあのあとどうなったかとか聞くだろ!」
「ごめん……でも……心配してくれたんだ………」
 う。
「言っとくけどな、心配したってのは言葉のあやだ、あや。どーせてめーのことだから平気な顔して生き返ってくるに決まってるって思ってたんだからな」
「うん」
 ……嬉しそうな顔して笑いやがって。
 そのいつもと変わらないほんわか面を見てたら、なんだか猛烈に腹が立ってきた。なにが嬉しいんだてめぇは。俺が心配したのがそんなにおかしいか?
 両拳をサマのこめかみに当て、ぐりぐりとやってやった。
「痛い、痛いよロレ、痛いってば!」
「やかましい。てめぇもう一回くらい死んでこい、この抜け作が」
「抜け作はひどいよー」
「抜け作でも足りねえこのすっとこどっこい。生きるの死ぬのって時にへらへら笑いやがって。人が、必死になって……」
 ……くそぅ、今思い出すと猛烈に恥ずかしい。なんで俺はこんな馬鹿のために(頭はいいかもしれんがやっぱりこいつは馬鹿だ)あんなに必死になっちまったんだ。くそくそくそくそっ!
「だーもうっ、このボケこのボケこのボケ!」
「あ、痛い、本気で痛い、ロレやめて痛い痛い痛い!」
 そのあと神父に止められて教会の外に追い出された。もちろんちゃんと金は払ったけど、神父の野郎なんか笑いたそうな顔してやがんの、胸糞悪ぃ。

 教会を出て、しばらくはお互い無言だった。サマはしょんぼりしてる様子はなかったが、珍しくなにも喋らない。
 さっきの腹立ちが収まってきて、頭の中にサマが死ぬ前の疑問が立ち上ってきた。
「………おい」
 サマはにこっと笑って答える。
「なに?」
「お前、どうしてあんな無茶したんだ」
「あんな無茶、って?」
 首を傾げるサマ。……本気でわかってねぇのか、この野郎。
「決まってんだろ、魔物を誘う香を使って自分一人にあのサルどもをひきつけたことだ」
「ああ………それしか方法が思いつかなかったんだ。全員が助かる可能性のある方法って」
 そう言ってサマは困ったように笑う。その顔に、俺はますます腹が立った。
 てめぇの命の面倒も見られねぇ奴が、んな無茶すんじゃねぇ、ボケ。俺が、どんなに――クソ。
「だからって、てめぇが死んじまってどうすんだよ! 人を助けて自分は死ぬっつーのはやられた方にしてみりゃ最悪なんだぞ!」
「うん……そうなんだけど。僕は誰にも死んでほしくなかったんだ」
 サマはごく普通の表情で、さらりと言った。――けど、俺はその裏にサマの容赦ない本気を感じて口を開けなかった。
 誰も死なないためなら死んでもいい。こいつは、本気でそう思ってる。
「もちろん自分だって死ぬつもりはなかったよ。勝算は一応あったんだ、今回は計算間違えて死んじゃったけど。そりゃ僕の死ぬ可能性は他の人が死ぬ可能性よりかなり高くなるけど、他の人は蘇生用のお金を用立てられるかどうかわからないし、なにより確実に生き返れるわけじゃない。だったらほぼ間違いなく生き返れる僕が死ぬ方が、最終的にはいい結果を招くって……」
 ……………
「ちょっと待て。確実に生き返れるってなんだ? 普通蘇生はどんなに状態がよくても確率的には半々なんじゃねぇのかよ」
「え……ロレ、知らないの? わかってるんだと思ってたけど。あのね、僕たちはルビスさまの加護によって魔を統べる者を倒すまでは死んでも確実に生き返ることができるんだよ、ルビスさまの御力が無事僕らに届いていれば。僕が死んだ時棺おけに包まれたでしょ? あの棺おけはどんな状況でも仲間から離れることはないんだって文献に」
「………………」
 俺は無言でサマの頭を殴った。
「痛ーい! なんで殴るのー?」
「やかましいっ! てめぇはもう一回死ね、そんでもう蘇ってくるな!」
「ロレー……」
 なんなんだ。なんなんだそりゃ!
 俺は本気で馬鹿そのものじゃねーか! 確実に生き返れるんだったらそりゃ他の人間守るためならちっとぐらい無茶するだろーよ! それを知ってりゃ俺だってあんなに必死になって………
 あーもう、ちくしょーっ! ムカつくムカつくムカつくムカつく!
 まとわりつくサマを殴りつけながら、俺はひたすらに歩く。なぜか心のどこかがほっとしていたが、それがなんでなのかなんて俺にはさっぱりわからなかったから腹立ちをサマに直裁にぶつけたのだ。
 ――それはサマが自分の命を簡単に捨てられるわけじゃないということに安堵したせいだったんだが、その時の俺はそれには気づかなかった。
 そしてそれが、誤りだということにも。

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