銀の鍵を手に入れた僕たちは、そのままローラの門を抜けて、東部にムーンブルクを、西部にルプガナに代表される都市国家群を抱くウーラ大陸に向かった。 魔を統べるものを倒すためには強い武器防具が必要だ。サマルトリアにあるロトの盾とローレシアの印はいいとして、ムーンブルクが所有していたはずのロトの鎧の情報はぜひ入手しておきたいものね。 それに大神官ハーゴンとやらがどんな存在かっていう情報も少しでもいいからほしかったし。それには唯一ハーゴンが訪れたとわかっている場所、ムーンブルクに行くのが一番だ。 ロレに時々怒鳴られたり殴られたりしながらも、僕はロレと一緒に楽しく旅をしていたんだけど(ロレと一緒なんだから楽しくないはずないよね)、僕には一つ懸念があった。 僕の知識が間違っていなければ、ムーンブルクには今までとは比べ物にならないくらい強い魔物が出現するはずだ。僕もレベルが上がってローレン大陸の魔物なら一人でも楽勝なくらいには強くなったけど(旅立ちの地の魔物は弱くなってるからね)、ムーンブルクからは旅立ちの加護はない。リザードフライやらマンドリルやらといった強力な魔物に、僕たちの力はどのくらい通用するのか。 まあ、今までははっきり言ってほぼ楽勝だったし、そうすぐに負けたりすることはないだろうとは思うけど、僕はそれなりに緊張していた。 「ねえロレ。ロレはムーンブルクに来たことある?」 僕はローラの門を抜ける時に、そんなことを聞いてみた。ローラの門を管理してるのはサマルトリアで兵士がいつも駐留してるんだけど、ムーンブルクを落とされてから隧道の中に魔物が出没するようになったとかで、その対応に四苦八苦している。まあ十分間隔で魔物が襲ってくるなんてのは僕たちだけだろうけど。このくらいの魔物なら平気だからいいけどね。 「ねぇよ。俺はこの旅に出るまでローレシアの外に出たこたぁねぇ」 ロレがぶっきらぼうに答える。 ……もしかしたら僕の思い込みかもしれないけど、ロレと僕の距離は出会った時より確実に縮まってるんじゃないかなー、と僕はロレと話してて思う。そりゃ口調は相変わらずぶっきらぼうだけど、なんとなく僕を懐に入れてくれてるっていうか、受け容れてくれてる感じがするんだよね。仲間として。 なんとなくわかっちゃうんだ。僕はロレを始めて出会った時からずっと見てるから。えへへ。 だから僕はにこにこしながらロレに言う。 「そっか、僕は一度だけ来たことがあるんだ。一ヶ月間、留学っていうことで」 「げ、よその国にわざわざ勉強しに行ったってか? 信じらんね、考えただけで気分悪くなるぜ」 「ロレは勉強嫌いなの?」 「勉強好きな奴なんかいるわけねーだろ」 「えー、僕は勉強好きだけどなー。っていうか、ちゃんとした勉強って普通面白いものじゃない?」 「……本気か? 本気で言ってんのか?」 こんな会話を普通にできることが、たまらなく嬉しい。 ロレと、好きな人と一緒に歩けること。話せること。眠って起きてもまた会えて、一緒に旅ができること。 その幸福に、僕は体と心の全部でうっとりとひたった。 こんなに幸せなこと、今までの人生で一度もない。 ――それはそれとして、ロレはムーンブルクの魔物とは戦ったことがないらしい。つまりムーンブルクの魔物たちとの強さの比較はできないわけだ。 まあ、相手がどんなに強いにしろ敵が出てきたら全力で戦うしかないんだけどね。 ローラの門のウーラ大陸側にも兵士たちはもちろんいる。ムーンブルクに仕えるその兵士たちに話を聞こうとしてみたんだけど、はかばかしい情報は得られなかった。ただ、ムーンブルクの城と城下町が壊滅したらしいと聞いて、国民たちがひどく不安に感じているのがわかっただけだ。 「ムーンブルク王家の方々が直接統治なさっていたのはムーンブルク城周辺の直轄領だけだから、俺たちは職をなくしたわけじゃないけどなぁ」 「上がなくなっちまって、ムーンブルクはこれからどうなるんだか。とりあえず先王の義理の子にあたるムーンペタ公の呼びかけで共同統治ってことになったらしいけど」 確かに……ムーンブルクの各所領の中ではムーンペタが最優勢とはいえ、それでもどんぐりの背比べ。魔術師連合を擁していたムーンブルク王家ほどの力はない。 魔術師連合が壊滅しムーンブルクを魔法大国たらしめていた要因がなくなった今、ムーンブルクは追い込まれている。そして追い込まれた者は危険な行動に出やすい。同程度の力を持つ者同士の同盟ほど崩れやすいものはないし―― 内戦とか侵略戦争とか起きなければいいけど、と僕はため息をついた。 「……なんだ? なにやってんだ、あいつら」 ローラの門からとりあえずムーンペタに向かうべく南下しようと話している時、ローラの門の周囲に広がる街の郊外で、ロレがふいに言った。 「え? なに?」 「ほら。あの畑の上で手押し車見たいなの押してる奴がいるだろ?」 「ああ、あれは畑を耕してるんだよ」 「はぁ!? 嘘つけ、畑を耕すってのは普通鍬でやるもんだろ」 「ムーンブルクは魔法大国だからね。魔法具が普及してるんだよ。あれは車を押すだけで土を耕して肥料をまいたみたいに土を豊かにする道具」 「んな都合のいいもんがあんのかよ!? だったら売れよなー、ローレシアとかにも!」 「そうだねー」 未知の風俗を前にして興奮しているロレを僕は微笑ましく見つめつつも、ロレの言葉にうなずいていた。ムーンブルクっていうのはウーラ大陸の東部を占める大国なのにも関わらず基本的に閉鎖的で、国内で生産している魔法技術の産物を他国に研究されないために国外に出そうとしないんだ。 それだけ魔法大国っていう称号に誇りを持ってるんだろうけど、その誇りの在り方が今ふたつぐらいずれてるよね。経済理論的にも間違ってるし。 などと話している間にも、僕たちは街道をずんずん南下する。不安な情勢を表してか、街道を通る人は少なかった。 僕たちが旅を始めてからムーンブルクに着くまでの二ヶ月の間にも、情勢はどんどん変化してるんだなぁ……たぶん、悪い方へ。 とか考え事をしていた僕は、ふいに上がった鳴き声にはっと顔を上げた。 「グルルルルルルゥ……」 「シュゥギャー!」 ! マンドリルとリザードフライの群れが人を襲ってる! 即座に駆け出すロレ。僕も急いで走りながら呪文を唱えた。 「炎の精霊よ、この世界の律に従いて我が言葉を聞き届けよ! 矢となりて敵を貫く炎の渦を呼び起こさん! 我が作りし精霊の道の上で、我が敵と共に舞い踊れ!=v ギラ遠距離版詠唱は思ったより見事に成功した。僕の手から炎が幾本もの矢というか槍になって、リザードフライたちに降り注ぐ。 リザードフライたちは見事に黒焦げになった。よし、と今度はマンドリルに向けて(走りながら)呪文を唱え始める。 だがマンドリルは耐久力が高い。ギラ程度の呪文じゃ二発はぶつけなければ倒れないだろう。残りのマンドリルは二匹、こいつらから襲われている人をどう防ぐ? 必死に頭を回転させて対応策を考えていると―― 「せぇいっ!」 ロレが素早くマンドリルと襲われた人に間に割り込み、マンドリルを袈裟懸けに斬った。 ――速い。体の動き自体の速さは僕と大して変わらないのに、剣を疾らせる時の速さ、鋭さは僕なんかとは桁が違う。 その恵まれた体躯と鍛え上げられた筋力、そして並外れた修練による技の冴え。それらが一体となって迸り―― 「!!」 マンドリルは悲鳴を上げる暇もないまま、胴体を真っ二つにされて倒れた。 僕が一瞬呆然としかかった間に、ロレは素早くまた剣を動かしていた。今度は体全体を使ってもう一匹の方に踏み込み、迅雷の速度で心臓を貫く。 マンドリルから噴き出す血をさっと避けつつマンドリルの体を振り捨て、ロレはごく当然という顔で剣の血を払った。 ――僕は思わずロレに駆け寄っていた。 「あ、あのっ! あ、あ、ありが……」 「ロレ―――っ!」 体の底からわーっと湧き上がる感情に従い、僕はロレに抱きつく。 「うわ! こら、てめぇ、なにしやがる!」 「ロレ、すごい、すごいすごい、かっこいーいっ! マンドリルを一撃で倒しちゃった! それなのにさ、ちっともすごいことしてないって顔でさ、剣の血払ってみせてーっ!」 「やかましい、キショイこと言ってんじゃねぇ、いいから離れろっ!」 ロレは顔を真っ赤にして怒っている。でも僕は離れなかった。 さっきのロレは本当に、心底、世界一って断言してもいいくらいカッコよかった。僕が好きな人がそんなにカッコいいことが嬉しくて、そんなロレが好きだって気持ちが溢れそうになって、抱きつかずにはいられなかったんだ。 「もう、もうもうもう、ロレってばロレってば、サイッコーっ!」 「………いっいっかっげっんっにっ、しろっ!」 ごつん! と頭を殴られて、目の前に火花が散った。 「いったーい!」 「うるせぇ! 同じ旅してる仲間相手におべっか使ってんじゃねぇ! てめぇはもう少ししゃきっとしろしゃきっと、自分だって戦えるくせにほいほい俺に尻尾振るな、タコ!」 「…………!」 僕は大きく目を見開いた。ロレが一瞬たじろいだように後ろに下がる。 「な……なんだよ」 「ロレ……」 僕はじわーっと目を潤ませて、ロレを見上げ、嬉しくて嬉しくて本当に泣きそうになりながらまたロレに抱きついた。 「どわ! な、なんだってんだてめぇは!」 「ロレ! ロレロレロレ! ありがとう、僕ロレのことだーい好きっ!」 「な……てめぇ俺の話全然聞いてねぇだろーっ!」 僕はまた殴られたけど、それでも嬉しくて嬉しくてたまらなかった。 だってロレが、僕のことを、仲間って言ってくれたから。 僕のことをそばにいてもいい存在って認めてるって、言葉に表してくれたから。 僕は嬉しくて嬉しくて、襲われた人がおずおずと礼を言ってきてくれたのも、半分くらい耳に入っていなかった。 それからしばらくはなんの問題もなく旅は続いた。もちろん魔物は次々襲いかかってはきたけど、みんなわりと楽に撃退できたし。 だが、ムーンペタまで半日というところまで来た頃、僕がうっかり死んでしまったのだ。 マンドリルの群れが旅の商人のキャラバンを襲っているところに出くわした僕たちは、当然助けるべくマンドリルたちと戦った。 人を襲おうとしているマンドリルを片っ端から斬って捨てるロレ。それでも当然手は足らない。 そこで僕はギラを撃ちまくりつつ、道中で調合しておいた新薬、魔物を誘う薬を使ったのだ。マンドリルは見事に引っかかってキャラバンから目標を僕に変更し、ものすごい勢いで襲いかかってきた。 間合いを見誤って一発殴られた。くあんと意識が遠くなる。だけど歯を食いしばって堪えて、逃げながらギラを放つ。 まとまっていたマンドリルたちは全員見事に食らって悲鳴を上げたけど、ぽつぽつギラが当たってるのがいるとはいえこれだけじゃ全員は死なない。 再び食らいそうになった攻撃を必死にかわし、もう一度ギラを放つ―― が、放ったと思った瞬間、僕の後頭部に衝撃があった。 しまった、一匹回りこんでたのか。気づかなかった。いったん発動した呪文は術者が死んでも効果を発揮するから、ほとんどのマンドリルは死ぬはずだけど。 でもあとのフォローはロレにやらせちゃうことになるのか。キャラバンの人たちは大丈夫だろうか。ロレのことだからちゃんと守ってくれるとは思うけど。 ああ、これで僕はもしかしたらロレに嫌われちゃうかも。こんなドジ踏んじゃったんだもんなぁ……。 僕って、バカ。 ごめんね、ロレ、迷惑かけて……… そんな思考が一瞬で頭の中を走りぬけたあと、僕の意識は途絶えた。 ―――目を開けた時、目の前にあったのはロレのひどく必死な、緊張した顔だった。 僕は目覚めたてのぼんやりした頭で、ロレのそんな顔初めて見たなー、とか思いながらその顔に向けて手を伸ばす。 戸惑った顔になるロレに、僕はまだ半分以上夢の中にいる気分で微笑みかけた。 「ロレ……ごめんね。迷惑かけてごめん。でも、大好きだよ……」 「…………」 ごつん! 「いたーっ!」 「てめぇ……人にさんざん心配かけといて出てきた台詞がそれか? ざけてんじゃねぇぞこのボケ! てめぇは死んでたんだぞ、へらへら笑いながら暢気なこと言ってんじゃねぇタコッ!」 「……ロレ……僕を心配してくれたの?」 「最初に聞くことそれかよ!? 普通死んでたこととかあのあとどうなったかとか聞くだろ!」 「ごめん……でも……心配してくれたんだ………」 僕がうっとりと呟くと、ロレはう、と言葉に詰まり、頭をばりばり掻きながら苛立たしげに言った。 「言っとくけどな、心配したってのは言葉のあやだ、あや。どーせてめーのことだから平気な顔して生き返ってくるに決まってるって思ってたんだからな」 「うん」 僕は体の底からじんわりと広がってくる幸福感に陶酔した。ロレが僕のことを、大切に思ってくれてる。 たとえそれが飼ってる犬とかと似たようなものだったとしても、僕の好きな人が僕のことを、ほんの少しでも好きでいてくれてるっていう事実は圧倒的に僕を幸せにした。 そのたまらない至福に微笑みを浮かべる僕に、ロレはむすーっとした顔をしてたけど、やがてかなり怒った顔でおもむろに僕の頭に両拳をくっつけ、ぐりぐりといじめた。 「痛い、痛いよロレ、痛いってば!」 「やかましい。てめぇもう一回くらい死んでこい、この抜け作が」 「抜け作はひどいよー」 「抜け作でも足りねえこのすっとこどっこい。生きるの死ぬのって時にへらへら笑いやがって。人が、必死になって……だーもうっ、このボケこのボケこのボケ!」 「あ、痛い、本気で痛い、ロレやめて痛い痛い痛い!」 と、ロレの後ろからすうっと手が伸びて、とんとんと僕たちの肩を叩いた。 そっちの方を向いてみると、そこには神父さんが立っている。まあ生き返ったってからには教会なんだろうから神父さんがいるのは当たり前だけど―― 神父さんは真剣な顔で、厳かに言った。 「外でやってくれませんか」 僕たちは平謝りして(ロレの態度はかなり大きかったけど)教会を辞した。 「………おい」 教会を出てしばらくして、ロレがぼそっと言った。 「なに?」 「お前、どうしてあんな無茶したんだ」 「あんな無茶、って?」 なんのことかよくわからず、首をかしげた僕を、ロレはきっと睨んで怒鳴る。 「決まってんだろ、魔物を誘う香を使って自分一人にあのサルどもをひきつけたことだ」 「ああ………」 僕は納得して、ロレが怒っている理由を理解した。ロレは最初は僕が生き返ったことが嬉しくて(えへ)それどころじゃなかったみたいだけど、本当は僕のことをずっと怒ってたんだ。 ちょっと悲しい。嬉しくもあるけど。 「それしか方法が思いつかなかったんだ。全員が助かる可能性のある方法って」 「だからって、てめぇが死んじまってどうすんだよ! 人を助けて自分は死ぬっつーのはやられた方にしてみりゃ最悪なんだぞ!」 「うん……そうなんだけど」 僕は申し訳ないなー、と思いながらも、またあの状況に置かれたら僕は同じ行動を取るだろうから、頑張って説明する。 「僕は誰にも死んでほしくなかったんだ。もちろん自分だって死ぬつもりはなかったよ。勝算は一応あったんだ、今回は計算間違えて死んじゃったけど。そりゃ僕の死ぬ可能性は他の人が死ぬ可能性よりかなり高くなるけど、他の人は蘇生用のお金を用立てられるかどうかわからないし、なにより確実に生き返れるわけじゃない。だったらほぼ間違いなく生き返れる僕が死ぬ方が、最終的にはいい結果を招くって……」 「ちょっと待て」 突然ロレが怖い声を出した。 「確実に生き返れるってなんだ? 普通蘇生はどんなに状態がよくても確率的には半々なんじゃねぇのかよ」 「え……ロレ、知らないの? わかってるんだと思ってたけど。あのね、僕たちはルビスさまの加護によって魔を統べる者を倒すまでは死んでも確実に生き返ることができるんだよ、ルビスさまの御力が無事僕らに届いていれば。僕が死んだ時棺おけに包まれたでしょ? あの棺おけはどんな状況でも仲間から離れることはないんだって文献に」 「………………」 がつっ。 「痛ーい! なんで殴るのー?」 「やかましいっ! てめぇはもう一回死ね、そんでもう蘇ってくるな!」 「ロレー……」 僕はなんでロレがそんなに怒っているのかよくわからなかったんだけど、なんだかロレがほっとしているみたいだから、まあいいかと思うことにした。 |