サマを生き返らせたあと、俺たちは宿を取った。半日歩き詰めに歩いて俺は腹が減ってたし、荷物を置く場所もほしかったからだ。 メシがうまいところ、という俺の注文に答えて、ここからいい匂いがする、とサマが決めた宿。宿の規模としては中ぐらいだったが、わりと雰囲気はいい。 そこでなんかここの特産品みてぇなの食いてえ、なんかねぇかな、と俺が言うと、サマがなんなら僕が選んであげようか? と言ってきたので注文はまかせてみたが、俺は出てきたものを見て驚いた。 「………なんだこりゃ?」 出てきたのは、今まで見たこともないような食いもんだった。白くて柔らかそうなつぶつぶの塊、やたら具の多い茶色く濁った汁、なんかしなびた野菜。鼻をひくつかすと、今まで嗅いだことのない、むわっとした匂いが漂ってくる。 「ムーンペタ産、白米と豚汁と漬物だけど。ベラヌールから伝わった米って植物の籾殻を、水でやわらかく炊いたものだよ」 全然聞いたことねぇ料理だな。 「どうやって食うんだ、これ?」 「さじがあるでしょ? それですくって食べるんだよ」 俺は言われた通り、その白米ってのをすくって食ってみた。くにっというかぷすっというか、柔らかいんだが弾力のある歯ごたえを噛み潰すとじわっと妙な味が口の中に広がる。 「……どう?」 「……なんか、妙な味だな。嫌いじゃねぇけど」 味があるんだかないんだか。むせるような匂いはいただけないが、噛んだ時じわっと染み出てくるほのかな風味は悪くない。 「豚汁や漬物を食べながら食べるんだよ。そのために汁物とかは味を濃くしてあるんだって」 「へー。どれどれ……」 俺は汁をずずっと具ごとすすり、白米ってのを口の中に入れてみた。 …………! 「どうしたの?」 「うまっ! これうまいじゃねぇか! こんなもん初めて食ったぜ……!」 言って俺はがつがつとそのメシをかっ食らう。実際初めての味だった。妙に泥臭い汁と淡い味の白米が、一緒に食うと見事なセッションを奏でている。 まあ、どっちがうまいかっつったらサマの作るメシの方がうまいけどな。やっぱ珍しいもんは食いだめとかねぇと。 けどサマの鼻はやっぱ確かなんだな。俺もうまいもんを嗅ぎつける能力には自信があったんだが。料理のうまい奴は鼻もいいってことか。 「お客さん、食べっぷりいいわねぇ! どこの人?」 「ローレシアから。こっちはサマルトリアだぜ」 「あら、こんなご時世に二人きりで? ムーンブルクの城が攻め落とされたの知らないの? そのせいで魔物も攻撃的になってて、隊商の人たちも今までよりもずっとたくさん襲われてるのに」 「のわりには、ここの連中元気じゃねぇか」 「そりゃねぇ、ムーンペタ公の率いる軍がこの周辺は厳重に守ってくれてるし、食糧とかも自給できてるし」 「ほー」 「……まああんまり長く続くと足りないものとかも出てくるけど、大丈夫よ、ローレシアとサマルトリアの王子様が敵を倒しに旅立ったそうだから。勇者の末裔の二人ならあっという間になんとかしてくれるわよ」 「……いや、そりゃどうかわかんねえぜ」 俺は肩をすくめつつ、メシをかっこんだ。俺らのことがこんなとこまで噂になってるとは知らなかったが、俺らはずいぶん買いかぶられてんだな。はっきり言って敵はどこにいるのか、倒せる見通しはあるのか、んなことすらちっともわかってねーっつーのに。 二ヵ月半旅してんなこともわかんねーのかっつわれたら返す言葉はねぇが、正直俺としては焦ってもしょうがねぇと思ってる。早く倒そうとして下手打ったらどうしようもねぇ。のんびりする気はねぇが、気を張りすぎるのは戦いには禁物だ。目の前のことをひとつずつ片づけていくさ。 俺は大盛りを二度おかわりすると、立ち上がった。 「サマ、風呂行くぞ」 「え? 風呂って、あの、お風呂?」 「風呂に別もんがあんのかよ。この街にだって湯屋ぐらいあるだろ」 「ああ、うん、それはあるけど……」 この二週間水浴びもしねぇで着の身着のままだったからな。俺は別にこのままでもかまわねぇんだが、娼婦っつーのはたいてい男の体が臭いのは嫌がるからな、しょうがねぇ。 ここ一月半まったく女抱いてねぇんだ、とっとと女買いに行きてぇんだよ、俺は。 サマはなんか妙にぼうっとした顔でこっちを見ている。俺は眉を寄せて訊ねた。 「なんだよ、行きたくねぇのか?」 「ううん! 行く、行く、絶対行く!」 そのとたんサマはものすごい勢いで嬉しそうにがっくんがっくんうなずく。俺はやや気圧されつつ答えた。 「そ……そうかよ。よし、じゃーとっとと行くぞ」 「うんっ!」 ムーンブルクの湯屋ってのはまた妙なとこだった。普通、湯屋ってのはちっこい部屋に湯気を満たして体を洗うもんなのに、みんなして同じ部屋で、しかもでかい湯船の前で体を洗ってる。 「お客さん、ムーンブルクの湯屋は初めてかい?」 「ああ」 「ムーンブルク式の風呂はね、お湯で体を洗ってからたっぷり湯を張った湯船に体全体で浸かるもんなんだ。その方が体もきれいになるし疲れも取れる。一度味わったら病み付きだよ」 「こんなにたくさんのお湯、どっから用意してきたんだよ? 薪代だって相当かかるだろう?」 話しかけてきた店の男はあはは、と笑った。 「全部魔法さ。ムーンブルクじゃたいていのことは魔法でかたがついちまう。本当に魔術師連合さまさまだよ」 「はー……」 魔法っつーのは本気で便利なんだなぁ……そんなんがあったらローレシアでだって誰でも毎日風呂に入れるだろうに。 いつまでも感心しててもしょうがねぇ、とっとと風呂に入ろう。俺は脱衣所で服を脱ぎ始めた。 「………………」 「……おい。なに見てんだよ」 俺はサマの方を振り向いて睨みつけた。なんかこいつさっきから服を脱ぎもしねぇでじーっと俺の方を見てやがんだよ。 「ロレの体」 「そういうこと聞いてんじゃねぇ! なんで見てんだって聞いてんだよ」 「だってカッコいいもん」 「な……」 こいつ……また妙なこと言いやがって。男が普通男相手にカッコいいとか言うか!? なに考えてんだ、ったく。 「キショイこと言ってんじゃねぇ、ボケ! とっとと入るぞ!」 中に入ると、俺はサマににこにこしながら世話を焼かれた。まーいつものことっちゃそうだけどな。 久々に背中流されたりもした。ま、いいけどな。 俺は湯屋を出てしばらく歩いてから、サマに聞いてみた。 「おい、俺はこれから女買いに行くけど、お前どうする?」 「―――え?」 サマは、なぜかぽかんとした顔をした。 「だからよ、お前先宿屋帰ってるか? それとも俺と一緒に娼館行くか?」 「ロレ……娼館、行くの………?」 「あ? たりめーだろ、こんなでかい街に来て娼館に行かねーでどうすんだよ。もう一ヵ月半も女抱いてねーんだ、いい加減溜まってるもん出さなきゃなんねーんだかんな」 「―――…………」 俺は正直ちょっとばかし興味があった。妙に浮き世離れした雰囲気のこいつだって女抱かないってこたぁねぇだろう。そんなこいつに女を買いに行く誘いを持ちかけてみたら、どんな顔をするだろう。 内心かなり面白がりながら、サマに聞いてやる。 「で、どうすんだよ?」 「………ロレは、それで平気なの?」 「あ?」 「好きでもない女の人を抱いて、それで、平気なの?」 「はあ? なに言ってんだお前。抱く女相手に好きも嫌いもあるかよ、面倒くせえ。抱きたいから抱く、そんだけだろ? それ以外になにがあるってんだ」 「…………―――」 こいつあれか? 結婚相手じゃなきゃ抱いちゃ駄目だとか考えてるガキか。まーこいつらしいっちゃらしいが、サマルトリアの奴ら過保護だなー。つか猫可愛がり? こいつももう十六なんだから、女を世話して教えてやるのは当たり前のこっちゃねーか。 なんならこいつむりやり娼館連れてって筆下ろしさせてやろうか、とか考えてると、サマがぽつんと言った。 「いやだよ」 「あ? なにが」 「ロレがそんな風に考えて行動するのって、いやだよ」 はぁ? なに言ってんだこいつ。 「ああ? なに言ってんだお前、俺がなに考えるかなんて俺の勝手だろうがよ」 「それはわかってるよ。でも……僕、いやだ。ロレが好きでもない人を抱くの、いやだ」 はあぁ? 「お前……喧嘩売ってんのか? 俺にずっと女抱くなっつうつもりかよ」 「……そんなこと、言えない」 「だったら口出すな、ボケ」 あー、白けた。珍しく俺が気ぃ遣ってやろうとしてたのによ。俺は阿呆らしくなって、サマをおいてすたすたと歩き出す。 ――その時、サマが言った。なんか妙に必死に、苦しくてたまらないって感じの声で。 「でも、僕、いやだ。ロレが好きでもない人を抱くの、いやだよ。すごく、いやだ。辛いし、悲しい。ロレは、愛してる人を抱くんじゃなきゃ、いやだ」 「……勝手なこと言ってんじゃねぇ、タコ!」 俺はなんだかその言葉に妙に苛立ち、足早にその場を立ち去った。 「うふ……お客さんって、すっごいいい男ねぇ……」 白粉の匂い。俺はこの匂いを嗅ぐと吐き気がするが、娼館の奴らはどいつもこいつもこれをべったりとつけている。 あのあと飛び込んだそこそこ高級な娼館で、俺は苛立ちに任せて一番高い女を指名した。その女は確かに、美人だった。俺の服を脱がす手際も、嫣然と笑んで俺を誘うやり方も巧みで、売れ筋の女というのもうなずける。 俺は苛立ちを抑えて、いつも通り女のさせるままにさせた。娼館では俺の場合、女に任せるのが一番楽で気持ちいい結果になる。 上半身の服を脱がせた女は、ぺろりと唇を舐めて、俺に口付けてくる。俺も適当にそれに応えた。白粉くせえよ、とか思いながら。 女が手を伸ばし、俺の服の帯を解く。ズボンが下ろされ、下着が脱がされる。俺の一物にするりと手がやられ、そっと撫で回される。俺はん、と息を漏らし、女は「ああ……」とたまらないというように呻いた。 「もう、駄目。我慢できないわ、来て……」 俺はすっと女を押し倒そうとして―― 動きが止まった。 女が怪訝そうな顔で俺を見る。俺も内心かなり慌てていた。 なにやってんだ俺。いつも通りなにも考えず、体の動くのに任せて女を抱きゃあいいじゃねぇか。サマのことなんざ忘れて、すっきりしちまえばいい―― サマ? なんでここにサマが出てくるんだ。そりゃ腹が立ちはしたが、それは単にあいつがガキくせえこと言ったからで、俺は別にんなことどうとも思っちゃ―― けど、あいつは辛そうだった。 俺は奥歯を噛み締めた。あいつは本当に苦しくて辛そうだった。あいつは本当に心の底から、俺に女を買ってほしくないと思ってるんだ。ガキっぽい、理屈にもなってねぇ理屈。けど、あいつは必死だった。 それがなんだ、俺には関係ねぇ。それはあいつの都合だ、俺の都合じゃねぇ。あいつがどう思おうと俺にはどうでもいいことだ。 どうでもいいんだが――― 『ロレは、愛してる人を抱くんじゃなきゃ、いやだ』 あの、今にも泣くんじゃないかって感じのサマの声―― ――今頃あいつは、一人で泣いてるんだろうか。俺のために。 「―――クソ!」 俺は一つ罵り声を上げ、立ち上がった。 「ちょ、ちょっと、なに?」 「悪いな、今日は帰る。金は払うから心配しないでいいぜ」 「……へぇ、恋人の顔でも脳裏にちらついたわけ?」 俺は素早く服を着け終わると、肩をすくめて笑った。 「どうしようもねぇ泣き虫の、飼い犬の顔だよ」 「……なにさ、とっとと帰っちまえ、このタマなし野郎!」 飛んできた枕を、俺は開けた扉で受けた。 宿屋に戻ってきて女将に訊ねると、サマは戻ってきていたらしかった。俺が礼を言って部屋に上がろうとすると、女将が心配そうに言う。 「あのお客さん、すごく落ちこんでてねぇ……あのきれいな顔が今にも死にそうなくらい暗くって。大丈夫ですかって聞いたんだけど耳に入ってない様子でねぇ」 ……あのバカ。女将にまで心配かけてどうすんだ。 俺はづかづかと二階に上がった。この手の宿屋は一階が酒場で二階が部屋になってる。俺らの部屋は二階の真ん中の二人部屋だ。 ばたん、と扉を開け、中に入る。中は暗かったが、窓からの明かりでサマがベッドに突っ伏しているのが辛うじて見えた。 ―――――― 「……泣いてんのか」 俺はぼそりと言った。なんだかひどくどきどきしながら。 サマがばっと顔を上げる。その目は泣いてはいなかったが、ひどく潤んでいた。今にも涙が零れ落ちそうなぐらい。 なぜか妙に痛む胸を無視して、俺はふんと鼻を鳴らす。 「泣いてないなら泣いてないってさっさと言えよ。泣いてたら殴ってやるつもりだったのに」 「……どうしてここにいるの?」 「いちゃ悪いか」 「ううん、いてくれて嬉しい。でも……なんで?」 …………………。 なにがいてくれて嬉しいだ気色悪いこと言いやがって。だいたいてめぇが妙な声出すから俺が血迷っちまったんじゃねぇか。考えてみりゃなんでこいつが苦しそうな声だしたからって俺が帰ってこなきゃならねぇんだ、こいつの保護者ってわけでもねぇのに。あーくそなんかすっげー腹立つ! 「うるせーな! 明日も早いんだ、とっとと寝ろ! ムーンペタはムーンブルク中からいろんなもんが集まる街だから武器もいいのが手に入るっつってたのはお前だろ! お前の武器を調達したらとっととムーンブルクに向けて出発すんだからな!」 「…………」 呆然としてるサマにちっと舌打ちし、俺はサマの隣のベッドに潜りこんだ。 「寝る。おやすみ!」 怒鳴って目を閉じる。あーくそ苛つく、あいつのせいで女抱きそこねた! ……けど、あいつを泣かせずにすんだ。 ふいに浮かび上がってきたそんな考えに俺はなに考えてんだ俺! と蹴りを入れたが、苛つきはなぜか静まってきた。 ふわりと眠気がきざす。悪い気分じゃない。いい夢かどうかはわかんねぇが、少なくとも悪夢は見ねぇですみそうだった。 |