「………なんだこりゃ?」 僕が生き返ったあと入った中程度の宿で出た夕食を前に、ロレは怪訝そうな声を上げた。 ロレの前にあるのは、白くて柔らかそうな種のようなものが椀いっぱいに積み重なったもの、やはり椀いっぱいによそわれた豚肉の細切れやら切った人参やら大根やらジャガイモやらがが入った茶色っぽい汁、妙にしなびた野菜―― 要するに、白米と豚汁と漬物の豚汁定食なわけだ(ちなみに僕はけんちん汁定食を頼んだ)。 「ムーンペタ産、白米と豚汁と漬物だけど。ベラヌールから伝わった米って植物の籾殻を、水でやわらかく炊いたものだよ」 なんかここの特産品みてぇなのが食いてぇ、ってことだったから、ローレシアやサマルトリアにはないお米のご飯を頼んだんだけど。 ロレは不思議なものを見るような顔で、つんつんと白米をつつく。 「どうやって食うんだ、これ?」 「さじがあるでしょ? それですくって食べるんだよ」 本当ならムーンブルクの人たちは米のご飯はベラヌールから伝わった箸っていう細い棒を使うんだけど、旅人の多くなる宿屋では(たいていの国では箸って使われてないから)さじを使うんだ。 ロレは興味深そうにじーっと白米を見つめると、おもむろにすくって口に入れた。そしてもぐもぐと噛む。 「……どう?」 「……なんか、妙な味だな。嫌いじゃねぇけど」 うーん、ロレってやっぱり異文化をあっさり受け容れる方なんだな。偏見がないせいかな。ローレシアやサマルトリアの人は白米の匂いが受けつけないって人けっこういるそうだけど。 「豚汁や漬物を食べながら食べるんだよ。そのために汁物とかは味を濃くしてあるんだって」 「へー。どれどれ……」 言われた通り、ロレは豚汁を具ごと少しすすって、はくりと白米を食べた。その眼がかっと見開かれる。 「どうしたの?」 「うまっ! これうまいじゃねぇか! こんなもん初めて食ったぜ……!」 言うや喋る間も惜しいとばかりにものすごい勢いで定食を片づけていく。あっという間に食べ終えて、「おかわり!」とお運びの人に椀を突き出した。 「お客さん、食べっぷりいいわねぇ! どこの人?」 笑いながらそんなことを訊ねるお運びの女性に、ロレは旺盛な食欲を見せつけつつ愛想よく答えている。 ……ロレ、機嫌いい。それってやっぱり、ここの食事がおいしかったから、だよね。 うー。僕の作った料理は、おいしいなんて一度も言ってくれたことないのに。これって、なんだかすごく悔しい。 よーし、負けるもんか。次にご飯を作った時は絶対おいしいって言わせてやる。 決意を新たにした僕をよそに大盛りを二度おかわりしたロレは、僕がご飯を食べ終えると立ち上がった。剣は装備したまんまだけど、鎧兜や旅の荷物は部屋に置いてあるからだいぶ身軽だ。 「サマ、風呂行くぞ」 「え?」 僕はかなり驚いた。 「風呂って、あの、お風呂?」 「風呂に別もんがあんのかよ。この街にだって湯屋ぐらいあるだろ」 「ああ、うん、それはあるけど……」 ロレと。ロレと、お風呂。 道中で水浴びした時は、魔物に襲われないよう忙しなく水を被るしかなかったし、見張りのため交代交代に入るしかなかった。 でも、街でのお風呂なら。僕とロレは一緒にお風呂に入って、なにはばかることなく裸のつきあいができる。 うわあ……嬉しい、どうしよう嬉しい。ロレと一緒にお風呂に入れるなんて、ロレの裸見て洗いっことかできるなんて、めちゃくちゃ嬉しい。 「なんだよ、行きたくねぇのか?」 「ううん! 行く、行く、絶対行く!」 「そ……そうかよ」 ロレはちょっと気圧された顔で、それでもうなずいてくれた。 「よし、じゃーとっとと行くぞ」 「うんっ!」 夕暮れのムーンペタを、ロレと二人で歩く。 ローラの門を越える時に水浴び洗濯はしてきたけど、やっぱり二週間の間歩き詰めに歩いてきたんだから僕たちはけっこう薄汚れている。でもそんなこと気にならないくらい僕は幸せな気分だった。 ロレと一緒に街を歩ける。そりゃ今までだってずっと一緒に歩いてきたけど、身軽になった体で並んで街を歩くのはまた違う雰囲気で、嬉しい。 「ロレってお風呂好き?」 「好きっつーほどでもねぇけど。さっぱりするのは嫌いじゃねぇな」 「そうだね! 今の季節なら水浴びもいいけど、やっぱり温かいお風呂は格別だよね」 「城だったら毎日薪で焚いた風呂に入れるけどな。俺あれうぜぇ。風呂なんて入りたい時に入りゃいいじゃねぇか、入れ入れって急かされると入る気しなくなってこねぇか?」 「あはは、ロレらしいかも。時々お風呂入るのサボっちゃったりしてたんじゃない?」 「うるせ、バカ」 そんなロレにとってはなんてことないんだろうけど、僕にとってはすごく幸せな会話をしながら、僕たちは湯屋に到着した。 「………なんだこりゃ?」 ロレが再びあの台詞を吐いた。 「普通、湯屋ってのはちっこい部屋に湯気を満たして体を洗うもんだろ? なんでみんなして同じ部屋で、しかもでかい湯船の前で体を洗うんだよ?」 「お客さん、ムーンブルクの湯屋は初めてかい?」 番台からお店の人が声をかけてきた。 「ああ」 「ムーンブルク式の風呂はね、お湯で体を洗ってからたっぷり湯を張った湯船に体全体で浸かるもんなんだ。その方が体もきれいになるし疲れも取れる。一度味わったら病み付きだよ」 「こんなにたくさんのお湯、どっから用意してきたんだよ? 薪代だって相当かかるだろう?」 あはは、とお店の人は笑い声を立てた。 「全部魔法さ。ムーンブルクじゃたいていのことは魔法でかたがついちまう。本当に魔術師連合さまさまだよ」 「はー……」 明るく笑うお店の人に、僕はこの人魔術師連合の本部が消滅したの知ってるのかな、と疑問に思ったけど、口には出さなかった。 ロレは素直に感心した顔をしながら、脱衣所で服を脱ぎ始めた。 「………………」 「……おい。なに見てんだよ」 ロレは僕の視線に気づいたみたいで、ちょっと不穏な視線で僕を睨んだ。僕は素直に答える。 「ロレの体」 「そういうこと聞いてんじゃねぇ! なんで見てんだって聞いてんだよ」 「だってカッコいいもん」 「な……」 あんぐりと口を開けるロレ。 でも本当だよ。ロレは本当にカッコいい。 がっしりとして逞しい三角筋、上腕筋。分厚くて大きい大胸筋に、きれいな色の乳首が花のようについている。 きれいに六つに割れた腹直筋、しっかりと筋肉がついているけど締まった感じを与える腰筋まわり。引き締まって形のいい大殿筋、太いけどしなやかな大腿筋。 男らしさと精悍さ、野獣のような獰猛さすら感じさせるロレの体。――見ててうっとりしちゃうぐらい、きれいだ。 「キショイこと言ってんじゃねぇ、ボケ! とっとと入るぞ!」 頭をはたかれつつ、僕とロレは洗い場に入った。 なにをどうすればいいのかわからないらしく周囲を見回しているロレ。ロレの面倒が見れる、と僕は嬉しくなってあれこれと世話を焼いた。 「ロレ、最初に湯船からお湯を汲んで体にかけて、もらった糠袋で体を擦るんだよ」 「湯船?」 「大丈夫だよ、ムーンブルクの湯屋の湯船にはたいていメイルリュの呪文が付与された石が沈めてあるからお湯きれいだよ」 「メイルリュってなんだよ」 「水を浄化してきれいにする呪文。メイルラ――水を作る呪文とメラーム――薪なしで燃え続ける炎を出す呪文、それとメイルリュの三つの呪文を付与した魔法具ははたいていの湯屋にあるらしいよ」 「んな便利な呪文があんのかよ。お前も使えんのか?」 「うん、一応ね。ただメラームは魔法力をけっこう使うから、普段はメラッチ――発火の呪文を使ってるけど」 話しつつロレは湯船からお湯を汲んでかぶった。その引き締まった肌をお湯が玉になって流れ落ちる。 色っぽいなー、とドキドキしながら僕は言った。 「ロレ、背中流してあげようか?」 「ん? そうだな、頼むか。順番な」 「うん!」 僕はロレの広い背中を、思う存分流すことができた。それに僕の背中も流してもらっちゃった。えへへ、幸せ。 お風呂上り。火照った体を、宵の口の涼しい風が冷やしていく。 もう季節は夏だけど、街の中にも川の流れているムーンペタに吹く風は適度に冷えていて気持ちがいい。服も風呂上りに洗濯して、かなりさっぱりした感じになったと思う。 そんな気持ちよさと、ムーンブルクの独特な町並みを歩く興趣、ロレが隣にいて一緒に歩いている幸福感を僕が噛み締めていると、ロレがさらっと言った。 「おい、俺はこれから女買いに行くけど、お前どうする?」 「―――え?」 ――僕は、一瞬頭が真っ白になってしまった。 「だからよ、お前先宿屋帰ってるか? それとも俺と一緒に娼館行くか?」 「ロレ……娼館、行くの………?」 「あ? たりめーだろ、こんなでかい街に来て娼館に行かねーでどうすんだよ。もう一ヵ月半も女抱いてねーんだ、いい加減溜まってるもん出さなきゃなんねーんだかんな」 「―――…………」 「で、どうすんだよ?」 「………ロレは、それで平気なの?」 「あ?」 「好きでもない女の人を抱いて、それで、平気なの?」 「はあ?」 ロレはいかにも呆れ返った、という顔をした。 「なに言ってんだお前。抱く女相手に好きも嫌いもあるかよ、面倒くせえ。抱きたいから抱く、そんだけだろ? それ以外になにがあるってんだ」 「…………―――」 そんな。 そんなのって。 ロレが、そんな風に考えているのって―― 「いやだよ」 考えるより先に、僕はぽつんと言っていた。 「あ? なにが」 「ロレがそんな風に考えて行動するのって、いやだよ」 「ああ? なに言ってんだお前、俺がなに考えるかなんて俺の勝手だろうがよ」 「それはわかってるよ。でも……僕、いやだ。ロレが好きでもない人を抱くの、いやだ」 「お前……喧嘩売ってんのか? 俺にずっと女抱くなっつうつもりかよ」 「……そんなこと、言えない」 「だったら口出すな、ボケ」 言ってすたすたと歩み去ろうとするロレに、僕は言った。なんでだろう、どうしようもなく痛む胸をぎゅっとつかんで、必死に伝えずにはいられなかったんだ。 「でも、僕、いやだ。ロレが好きでもない人を抱くの、いやだよ。すごく、いやだ。辛いし、悲しい。ロレは、愛してる人を抱くんじゃなきゃ、いやだ」 「……勝手なこと言ってんじゃねぇ、タコ!」 苛立たしげにそう言って、ロレはその場を立ち去っていく。僕は、ひどく痛む胸を抱えて、それを見送るしかできなかった。 僕は宿屋に帰ってきた。宿の人に我ながら落ち込んでるなーという顔で挨拶をして、部屋に入ってベッドに倒れこむ。 なんだか、ひどく気分が落ち込んでいた。こんな気分になったのは生まれて初めてなんじゃないかってくらい。 ロレと一緒だと何度も生まれて初めての気分を味わうことはあったけど、こういう負の気分をずっしりと味わうっていうのは初めてかもしれない。 『好きって、幸せなだけじゃないんだな』 頭のどこかでちらりとそんなことを思った。 ロレ。ロレは抱く女相手に好きも嫌いもあるかって言った。それはつまり、抱くってことを全然重くは考えてないってことで。 僕はそれが嫌だった。ロレにも、そういう行為を大切にしてほしかった。 (それだけじゃない。それよりも) 僕はロレが誰かを抱くのが嫌だった。僕じゃない誰か。見知らぬ誰かとロレが肌を触れ合わせると考えると、理屈より先に強烈な嫌悪感を覚えた。 (それより、なによりも) その抱く相手がロレが好きでもなんでもない女性だ、というのが一番嫌なところだった。ロレは見知らぬ人とも肌を触れ合わせることができる。 けれど、僕に対しては触れる気さえ起こしてはくれない。 それを思い知らされて、胸がひどく痛くなったんだと、思う。 (……僕は、ロレに抱かれたいんだろうか) 考えたことなかった。今まではただロレと一緒にいられるだけで嬉しくてしょうがなくて。 想像してみる。今日見たロレの逞しい腕がすっと伸ばされて、僕の背中に回り、僕を抱き寄せてあの唇が僕の唇に―― ボンッ。急激に頭に血が昇って、僕はベッドに擦りつけるようにしてふるふると頭を振った。うわあ駄目だそんなことになったら僕死んじゃうかもしれない。 でも、きっと僕は、その時死んでもいいってくらい嬉しくなると思う。 嬉しくて嬉しくて、死んじゃうくらい嬉しいと思う。 でもロレは、僕より娼館の女の人たちの方がいいんだろうな。僕のこと、あんまり好きでもないみたいだし。 そう思うと、なんだか泣きそうになってきて、僕って馬鹿だなぁと思いつつもひたすらぐりぐりとベッドに顔を押しつけた。 「……泣いてんのか」 ばっ、と僕は顔を上げた。太くて、少し低くて、時々掠れて響く、男らしい声。 ロレの声だ。 はたしてロレはそこにいた。あからさまな仏頂面で目を半眼にして、すがめるように僕を見ている。 なんで、ロレがここに? 呆然とする僕をよそに、ロレはふん、と鼻を鳴らす。 「泣いてないなら泣いてないってさっさと言えよ。泣いてたら殴ってやるつもりだったのに」 「……どうしてここにいるの?」 よくは知らないけれど、そういうことにはもっと時間がかかるんじゃないんだろうか。 だけどロレはぎろりと僕を睨んだ。 「いちゃ悪いか」 「ううん、いてくれて嬉しい。でも……」 なんで? そう訊ねる僕に、ロレはしばしむすーっとした顔で黙りこんで、それから怒鳴った。 「うるせーな! 明日も早いんだ、とっとと寝ろ! ムーンペタはムーンブルク中からいろんなもんが集まる街だから武器もいいのが手に入るっつってたのはお前だろ! お前の武器を調達したらとっととムーンブルクに向けて出発すんだからな!」 「…………」 呆然とロレを見上げる僕に、ロレはちっと舌打ちして、僕のとなりのベッドに潜りこんだ。もちろん剣は抱いたまま。 「寝る。おやすみ!」 そう怒鳴ってしばらくして、本当にいびきが聞こえてくる。ロレは本当にいつでもあっという間に寝れるんだ。 ここで、僕の隣で寝てくれるんだ。娼館じゃなく。 僕はうわぁーっと嬉しくなった。自然に顔がへらへらと笑顔を作る。 理由はわからないけど、今日、ロレは僕の隣にいてくれる。 それだけでもう他のことはどうでもいいやってぐらいに嬉しくて嬉しくてしょうがなくなってしまい、顔をにへにへさせながらベッドにもう一度倒れこんだ。 |