マリアと初めて出会った話・中編
 ムーンペタの、前と同じ宿に部屋を取って、風呂に入ってきてから俺たちは部屋で向かいあった。
「なにがわからないの?」
 にこにこしながら小首をかしげるサマ。……なんか教師みたいな台詞だな。
「ムーンブルクの王女は、生きてるんだよな?」
「うん。少なくとも敵の手に落ちてはいない」
「犬ってなんだ。人を犬に変えるなんてできるのか? つーか、そんなことして意味あんのかよ」
「畜生落としの呪いは呪いの中ではわりと一般的だよ。僕も専門家じゃないからわからないけど、呪文一言で人間を動物に変えるっていうのも不可能じゃない、はず。そんなことができるのは一流の呪術師だけだし、時機やら混沌の力やらいろんな条件が揃わないと不可能だろうけど。で、意味なんだけど……」
 サマはいったん言葉を切った。俺はイライラと言う。
「とっとと言え」
「……うん。あのね、これは僕の想像なんだけど。たぶんムーンブルク王とマリア王女は、一緒にいるところをハーゴンに襲われたんじゃないかな。ハーゴンがムーンブルクを襲ったのがロトの血を効率よく根絶やしにするためなら、呪文で逃げられないよう最初に王家の人間を襲うはずだもの」
「……そうだな」
 俺はちょっと考えて、サマの言葉にうなずく。頭を潰すのが戦の常道だしな。
「それでね。ムーンブルク王は王女を逃がそうとするよね? まあハーゴンも簡単には逃がさなかったと思うけど、隙をついてムーンペタへ飛ばすことができたんだと思う」
「どうやってだよ。それも魔法か?」
「うん。バシルーラっていう他者転移の呪文があるから」
 うへ。なんか最近呪文がごろごろ出てくるなー。頭痛ぇ。
「ハーゴンが呪いをかけたのはその一瞬だと思う。復活できないほど徹底的に殺す時間がないから、代案として犬に変えて無力化しようとしたんだと思うな」
「犬にねぇ……」
「畜生落としの呪は精神も動物に変えるのが普通だから、少なくとも王女が敵対行動を取るのは避けることができるからね」
 ふむ。
「元に戻す方法はなんかねぇのか?」
「あるよ。ムーンブルク王家の宝重、ラーの鏡を使えばいいんだ」
、あ、さっきいきなり言ってた奴。
「呪いを解くだけなら教会や、シャナクを使える魔術師でもいいんだけど、基本的には呪術の解除って呪術師との力比べになるから。魔を統べる者第一候補相手じゃたいていの人には荷が重いと思うし」
「ラーの鏡ってのは、なんなんだよ」
「ものの真実の姿を映し出すことができる鏡だよ。一回使うと砕けちゃうんだけど、その一度はたとえ神や魔王の呪でも本来の姿に戻してしまうくらい強力なんだって。ムーンブルク領の太陽に近いほこらで手に入れられるとかなんとか」
 こいつ、いつものことながらよその国の宝なんてよく知ってるな。
「よし、そんじゃ俺らはそのラーの鏡が隠されたところに行って、ラーの鏡を持ち帰ってこの街の犬を映せばいいわけだ。場所はわかってるんだな?」
「うん、ムーンペタ東の四つ橋の沼。地図にも載ってるよ」
「うし。そんじゃ今日は明日に備えてとっとと寝るか」
 ベッドにもぐりこみかけて、あ、と思い出し俺は首だけベッドから出して言った。
「サマ」
「なに?」
「破壊神シドーってなんだ?」
 なんかハーゴンの正体とも関係があるっぽい感じだったから、一応聞いておく。
 サマは少し真剣な顔になった。
「まったき混沌の中の、純粋な破壊の意思」
 ……だからわかりやすく言え。
「今ではもうほとんど忘れ去られた神話だよ。はるか昔、上の世界すらまだできたばかりの頃――神々を生み出した原初の混沌は、たびたび世界を崩壊させかけた。混沌は創造であると同時に破壊でもあるからね。世界の最初の人々のうち何割かは、その圧倒的な力を神格化し、名をつけた。――それが破壊神シドー」
「…………」
「名付けられ定義づけられた混沌は、混沌たる意味を失い破壊の力として独立してしまった。それは人間の心に潜む破壊の意思を受けて、人が考えるように姿を変え、擬似的な人格すら持って世界を消滅に導こうとする」
「……………」
「それを封滅したのが人類最初の勇者、神の時代のロト。これが勇者の称号として残っていて、僕たちのご先祖様のロトがゾーマを倒した時に使われたわけだね。それはともかく、シドーは定義づけられた存在ゆえに、力によって無に返された。だけど混沌の力は常に人の心の奥底に潜み、新たなるシドーを生み出す可能性を秘めている。だから破壊の意思に負けることなく、むやみに力を崇めることなく心穏やかに過ごしなさい――っていうのがその神話の締めくくりで、だから僕は古代人の考えた寓話だと思ってたんだけどね」
「………………」
「少なくとも僕の知っているシドーの情報はこれで全部。だから、破壊神シドーの大神官を名乗るってことは、原初の混沌を再び世界に解放し、世界を消滅させようという宣言だと思うんだよね。わかった?」
「……わかると思うか?」
「……ごめん、やっぱりわかりにくかった?」
 この神話概念的な部分が多いからねー、とまたわけのわからんことを言ってサマは笑った。
「結局シドーってなんなんだ。一言で言え」
「うーん……誤解覚悟で言うなら、世界を滅ぼそうとする邪神ってことになるかな……」
「最初からそう言えよ。要するにハーゴンってのは自分のケツも自分で拭けねぇ根性なしってことだな」
 他の奴の名前を借りるくらいなら、最初から世界に喧嘩なんか売るなっつーの。また一つハーゴンを殴る理由が増えたな。
「よし、俺は寝る。お前も早く寝ろよ」
 俺は今度こそベッドに潜りこんだ。
 俺はかなり気合が入っていた。ムーンブルクの、あの無残な姿になった都に生き残りがいた。
 たった一人でも、あそこから生きて脱出してくれた。呪いをかけられようがなんだろうが、生きていてくれた。
 ムーンブルクで怒りを堪えて握りしめた拳を、もう一度握り締めて俺は思った。
 絶対助ける。

 翌朝、俺らはその四つ橋の沼とやらに出発し、一週間後ラーの鏡を持って帰ってきた。首尾よく、と言っていいのかどうかちっと迷うが。
 ったく、あんなばかっ広い沼に鏡なんぞ隠すなっつーの。探すのだけで三日かかっちまったぜ。ずっとかがんでたから腰が痛ぇ。
 帰りは当然サマのルーラだ。やっぱこういう魔法は便利だなー。俺はサマをちっと崇めてしまった。
 とりあえず宿で体を休めて、明日から王女を探そう。そう決めていつもの宿に帰ってくると、女将が笑顔で出迎えてくれた。
「いらっしゃい! お客さん、あんたらを訪ねてお客さんが来てるよ!」
「客?」
 俺とサマは顔を見合わせた。誰だ。心当たりが全然ねぇぞ。
「国の奴かな」
「この前調査隊と連絡を取った時は、訪ねてくるなんて言ってなかったけどなー」
 サマも首を傾げている。
 その客とやらのいるテーブルに案内される。二十歳ちょいの男だ。なんか、さっきまで沼をさらっていた俺たちより薄汚れた感じがする。全然知らない顔だった。
「俺たちになんか用か?」
 そう声をかけると、貧乏ゆすりをしていたそいつはばっと立ち上がり、青ざめた顔、つーか頭を勢いよく下げた。
「お願いしますっ! ムーンブルクがどんな様子だったか、教えてくださいっ!」
 ……は?
「なんなんだよ、お前」
 俺が言うと、そいつはかっと顔を赤くした。
「す、すいませんっ、いきなりこんなこと言って。でもお願いです、ムーンブルクの様子を教えてください! あなた方はムーンブルク城に行ってきたんでしょう? どうなっていたか教えてください、どうか、どうか……!」
「……お前、ムーンブルクの人間か?」
「………はい」
「魔物の襲撃から逃げ出せたのか……」
 街は滅びたんだからよかったな、と言うわけにもいかないが、死体が一個増えるよりはずっとマシだ。そう思っていると、そいつはうっと涙ぐんだ。
「違います。そうじゃないんです。俺は……魔物がやってくる前に逃げ出したんです」
「……は?」
「俺は物見の兵でした。あの日見張りは俺一人で、でもいつも誰も通らないからすっかり安心しきっていました。そんな時――魔物の大群が現れたんです」
 そいつはぶるりと体を震わせた。
「今までに見たこともないような大群でした。見たこともないような異形の魔物たちが、地を埋め尽くすほどの数、ぞくぞくとこっちを目指している――俺は、パニックになりました。自分の役目も、同僚や友達のいるムーンブルクの街の事も忘れて、逃げたんです。魔物たちがいない方へ――ムーンペタの方へ」
 …………。
「ムーンペタまで半死半生で逃げ延びて、ムーンブルクが魔物に落とされたということを聞いて目の前が真っ暗になりました。俺があの時、ちゃんと知らせていれば防げたかもしれないのに。三ヶ月間、後悔にまみれて物乞いのような暮らしをしてきました。少しでも償いがしたくて、でもなにをすればいいのかわからなくて、偶然あなた方がムーンブルク城に行ったというのを聞いて、ムーンブルクがどうなったか詳しい話を聞きたくて、もういてもたってもいられなくて――」
 バキッ。
 俺はさほど力を入れたつもりはなかったが、そいつは見事に一丈ほど吹っ飛んだ。
「ロレ……」
 驚いたように俺を見つめるサマを無視して、俺はそいつの首根っこをつかんで宿の外に引きずり出した。そして胸倉をつかみ上げて顔を近づける。
「自惚れんのもたいがいにしろ」
「え……?」
 頭がまだくらくらしているらしいその男は、呆然と俺を見上げた。
「てめぇ自分がいりゃムーンブルクを救えたとでも思ってんのか? ざけんな。ムーンブルクに生きてた人たちを馬鹿にしてんのか? 地を埋め尽くすほどの魔物の大群、見張りがいようがいまいが気づかねぇわけねぇだろ。ムーンブルクの人たちは必死に魔物と戦って、そして死んだんだ。――てめぇとは全然関係のねぇとこでな」
「は……」
「てめぇがどんなに自分を可哀想に思ってんのか知らねぇけどな。三ヶ月、てめぇなにやってたんだ。自分責めて気持ちよく自分慰めてただけか? てめぇ軍にいたんだろ。国を守るのが仕事だろうがよ。てめぇは逃げ出した、やるべき時にやるべきことをしなかった。その上生きてるくせになんにもしねぇで責任果たさねぇでいじけてた。そんな奴が未練がましく償いだなんだって口にするんじゃねぇ!」
「……あなたに……あなたになにがわかるっていうんだ!?」
 そいつは泣き叫んだ。
「俺の両親は魔物に殺された、生きるためには軍に入るしかなかった! 俺は本当は魔物なんか見るのも嫌なんだ、今でも覚えてる、父さんと母さんが食われる音……! 俺はあんな風に死ぬのは嫌だったんだ! 怖くて、怖くて……本当に嫌だったんだよ……」
「そんなもんわかるわけねぇだろ。てめぇがどんなに辛いかなんててめぇにしかわかんねぇよ。けどな、辛かったら逃げていいのか。てめぇに任された責任を果たさないでいいのかよ。ムーンブルクでは山ほど人が殺された。今のてめぇにはそれを嘆く資格もねぇんだぞ。――ムーンブルクの様子が知りたいんだったら自分で行って見てこい。んなことしたっててめぇが逃げ出したことが許されるわけじゃねぇがな」
 俺はそいつを放り出した。そいつは今やしゃくりあげながら言う。
「俺は……俺は、どうすればいいんだよ……」
「知るか。償いたきゃ死ぬ気で償って腐ってたきゃ一生腐ってるんだな。てめぇで考えててめぇで決めろ」
 そう言って俺は踵を返した。サマがなにやらそいつに話しかけているのはわかっていたが、あえて無視して宿屋に戻った。
 部屋に戻ってきたサマに、俺は聞いた。
「……なに話してたんだよ」
「え? うん。明日犬を探すの手伝ってくれないかって」
「……お前、話したのか?」
 まぁ、別に秘密にすることでもねぇけど。
「うん。あの人にはなにか償っていると思えるようなことが必要だと思ったから」
「ったく、このお人好しが」
「なんで? 僕はロレの方がよっぽどお人好しだと思うけどなー?」
「は? 俺のどこが」
「だって、ロレ、あの人がいつまでも自分を責めてるの放っておけなかったんでしょ?」
「……別に、そういうわけじゃねぇよ。なんでそうなるんだよ。俺はああいううじうじしてる奴が嫌いなだけだ」
「僕にはロレの言ってることって、過去のことを気にしてる暇があったら今できることをしろ、って言ってるように聞こえたけど?」
「……うっせー。知るか、ボケ。ったく、とっとと風呂行ってとっとと寝るぞ。明日も早ぇんだ」

 翌朝。とっとと朝飯を食って、とりあえずサマが聞いてきた昨日のあいつ(ジョールというらしい)のねぐらに行ってみた俺たちは、あんぐり口を開けた。
 まだ九時にもなっていないのに、すでに二十匹を超える野良犬が集められていたからだ。
「一応雄も念のため集めておきました。こっちからこっちが雄、こっちからこっちが雌です。それじゃ俺はまた犬探しに行ってきますから、これで」
 はきはきした口調でそう説明すると(俺の方は見なかったが)、ジョールはまた出かけていった。
「……よくもまあこんなに集めたもんだ」
「償える機会が与えられたことが、よっぽど嬉しいんだね」
「とにかく、片っ端から試してみるか」
 俺たちは犬一匹一匹にラーの鏡を向けていった。一応雄も映してみたが、ラーの鏡はなんにも反応しやがらねえ。
「うーん……まだ集められてないってことかな?」
「俺たちも探しに出るか。……お?」
 俺はジョールのねぐら(つってもほとんど板を集めて作った犬小屋みたいなもんだ)の中に一匹の犬が寝ているのに気づいた。脚が長くて痩せた、白地に茶色のぶちの犬だ。白地が汚れで灰色じみているところが、薄汚れた感じがした。
「ジョールの飼ってる犬か……? あいつまだ試してないよな。やってみるか」
「そうだね。……あの犬大丈夫かな? 病気じゃない?」
 とにかく俺たちはその犬をなんの気なしにラーの鏡に映して――絶句した。
 鏡の中には、顔こそうつむいていて見えないものの、ふさふさと長い薄紫色の髪をした、手足の細い、飾り気のないドレスを着た女が映っていたからだ。
 カッとラーの鏡が光を発する。その光はその犬の体を包みこんだかと思うと、どんどんその光量を増していく。
 なにもかもが光に包まれて見えなくなり――ぱりん、とあっけない音を立ててラーの鏡は砕け散った。
「……………」
 あとに残っていたのは、鏡の中に映っていた女だけだった。
 ……これが、ムーンブルクの王女なんだよな。
 ぐったりと横たわって動きもしないので、寝てるのかと思い起こそうと近寄りかけた瞬間、ムーンブルクの王女がのろのろと顔を上げた。
 ――瞬間、俺は我を忘れた。
 目。鼻。口。頬。まつげ。眉毛。あご。髪。額。瞳。
 そんなもの全てが俺の中でいっぱいになって、頭の中が真っ白になった。
 ――きれいなものに見惚れる≠ニいう経験をしたのは、これが生まれて初めてだった。

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