ムーンブルクの王女の話・中編
 ムーンペタの、前と同じ宿。お風呂に入った僕たちは、部屋に戻った。僕がロレに詳しい話をするためだ。
「なにがわからないの?」
「ムーンブルクの王女は、生きてるんだよな?」
「うん。少なくとも敵の手に落ちてはいない」
 そうでなきゃわざわざ居場所を聞きだすためにムーンブルク王を拷問なんてしないはずだし。
「犬ってなんだ。人を犬に変えるなんてできるのか? つーか、そんなことして意味あんのかよ」
「畜生落としの呪いは呪いの中ではわりと一般的だよ。僕も専門家じゃないからわからないけど、呪文一言で人間を動物に変えるっていうのも不可能じゃない、はず。そんなことができるのは一流の呪術師だけだし、時機やら混沌の力やらいろんな条件が揃わないと不可能だろうけど」
 でももしハーゴンが魔を統べる者なら簡単なはずだ。自分の力が最大限に発揮される時機を狙ってムーンブルクを襲ったに決まってるし。
「で、意味なんだけど……」
 僕はちょっと口ごもった。ここからは類推が多くなるから、正直事実だとはいえない。
 でも、論理的に考えて間違いのない帰結ではあるんだけど。
「とっとと言え」
「……うん。あのね、これは僕の想像なんだけど。たぶんムーンブルク王とマリア王女は、一緒にいるところをハーゴンに襲われたんじゃないかな。ハーゴンがムーンブルクを襲ったのがロトの血を効率よく根絶やしにするためなら、呪文で逃げられないよう最初に王家の人間を襲うはずだもの」
 ムーンブルク王家の縁戚はかなり多かったはずだけど、まずは王家の直系を狙うはず。
「……そうだな」
「それでね。ムーンブルク王は王女を逃がそうとするよね? まあハーゴンも簡単には逃がさなかったと思うけど、隙をついてムーンペタへ飛ばすことができたんだと思う」
「どうやってだよ。それも魔法か?」
「うん。バシルーラっていう他者転移の呪文があるから。ハーゴンが呪いをかけたのはその一瞬だと思う。復活できないほど徹底的に殺す時間がないから、代案として犬に変えて無力化しようとしたんだと思うな」
「犬にねぇ……」
「畜生落としの呪は精神も動物に変えるのが普通だから、少なくとも王女が敵対行動を取るのは避けることができるからね」
「元に戻す方法はなんかねぇのか?」
「あるよ」
 そのためにラーの鏡の行方を聞いたんだし。
「ムーンブルク王家の宝重、ラーの鏡を使えばいいんだ。呪いを解くだけなら教会や、シャナクを使える魔術師でもいいんだけど、基本的には呪術の解除って呪術師との力比べになるから。魔を統べる者第一候補相手じゃたいていの人には荷が重いと思うし」
 まだハーゴンがボスと決まったわけじゃないから、とりあえず第一候補と呼称。
「ラーの鏡ってのは、なんなんだよ」
「ものの真実の姿を映し出すことができる鏡だよ。一回使うと砕けちゃうんだけど、その一度はたとえ神や魔王の呪でも本来の姿に戻してしまうくらい強力なんだって。ムーンブルク領の太陽に近いほこらで手に入れられるとかなんとか」
「よし、そんじゃ俺らはそのラーの鏡が隠されたところに行って、ラーの鏡を持ち帰ってこの街の犬を映せばいいわけだ」
 僕はうなずいた。まあ、犬になったらわざわざ街の外へ出て行こうとか考えないだろうし。これだけ広い街じゃ一匹の犬を捜し当てるのは一苦労だろうけどね。
「場所はわかってるんだな?」
「うん、ムーンペタ東の四つ橋の沼。地図にも載ってるよ」
「うし。そんじゃ今日は明日に備えてとっとと寝るか」
 そう言ってロレはベッドに入ったんだけど、目を閉じる前に肌掛けから顔を出して言った。
「サマ」
「なに?」
「破壊神シドーってなんだ?」
 あ、それ聞くんだ。まあ近々説明しようとは思ってたけど。
「まったき混沌の中の、純粋な破壊の意思」
 ロレは顔をしかめた。まあ、こういう言い方じゃわかりにくいよね。
「今ではもうほとんど忘れ去られた神話だよ。はるか昔、上の世界すらまだできたばかりの頃――神々を生み出した原初の混沌は、たびたび世界を崩壊させかけた。混沌は創造であると同時に破壊でもあるからね。世界の最初の人々のうち何割かは、その圧倒的な力を神格化し、名をつけた。――それが破壊神シドー」
「…………」
「名付けられ定義づけられた混沌は、混沌たる意味を失い破壊の力として独立してしまった。それは人間の心に潜む破壊の意思を受けて、人が考えるように姿を変え、擬似的な人格すら持って世界を消滅に導こうとする」
「……………」
「それを封滅したのが人類最初の勇者、神の時代のロト。これが勇者の称号として残っていて、僕たちのご先祖様のロトがゾーマを倒した時に使われたわけだね。それはともかく、シドーは定義づけられた存在ゆえに、力によって無に返された。だけど混沌の力は常に人の心の奥底に潜み、新たなるシドーを生み出す可能性を秘めている。だから破壊の意思に負けることなく、むやみに力を崇めることなく心穏やかに過ごしなさい――っていうのがその神話の締めくくりで、だから僕は古代人の考えた寓話だと思ってたんだけどね」
「………………」
「少なくとも僕の知っているシドーの情報はこれで全部。だから、破壊神シドーの大神官を名乗るってことは、原初の混沌を再び世界に解放し、世界を消滅させようという宣言だと思うんだよね。わかった?」
「……わかると思うか?」
「……ごめん、やっぱりわかりにくかった? この神話概念的な部分が多いからねー」
 だからマイナーなんだろうと思うけど。でも、そういう伝説が上の世界から持ちこまれたこと、それが由緒あるものであることは確かなんだ。
「結局シドーってなんなんだ。一言で言え」
 一言でって……難しいなぁ。
「うーん……誤解覚悟で言うなら、世界を滅ぼそうとする邪神ってことになるかな……」
 すごく不正確な理解になるけど、対処方法だけでいうならそれと大差ないかも。
「最初からそう言えよ。要するにハーゴンってのは自分のケツも自分で拭けねぇ根性なしってことだな。よし、俺は寝る。お前も早く寝ろよ」
 納得したようで、そう言ってロレは目を閉じ、本当にすぐ眠ってしまった。
 ……根性なし、か。どうなんだろう。ハーゴンってなにを考えてるんだろうな?
 今までの魔を統べる者の例で考えてみる。ゾーマは世界の支配。竜王は人間の殲滅。シドーの名を掲げたっていうことは……本当に世界の消滅を願ってるんだろうか。
 なぜ? なにもかもを消滅させてやりたい、自分も滅びたいという思いを、どうして抱くに至ったのだろうか?
 ムーンブルクの王女マリア。彼女は今どういう状況におかれてるんだろう。
 今は犬だからなにも考えられないだろうけど……元の姿に戻ったらきっと、苦しむことになるんだろうな。
 仇を討ちたいと願うのだろうか。それともなにもかもを失ったことで絶望して死を選ぶ? それはロレが許さないだろうけど。どちらにしろ、助けても王女はそれからが大変だと思う。
 でも、元に戻さないわけにはいかないよね。彼女がなにを選ぶにしろ、自分で考えて選ばなければならないと思うから。
 そこまで考えて僕は思考を打ち切り、ベッドに入って横になった。

 一週間後。僕たちはラーの鏡を手に入れてムーンペタの宿屋に戻ってきた。
 毒の沼地をさんざん探したから、かなり疲れたし体も痛い。服もどろどろになってしまった。
 とりあえずゆっくり休もうと女将さんに挨拶に行くと、女将さんが笑顔で言ってきた。
「いらっしゃい! お客さん、あんたらを訪ねてお客さんが来てるよ!」
「客?」
 僕とロレは顔を見合わせる。
「国の奴かな」
「この前調査隊と連絡を取った時は、訪ねてくるなんて言ってなかったけどなー」
 などと言いつつそのお客さんのいるテーブルに案内してもらう。そこにはかなり薄汚れた感じの、二十歳ちょいぐらいの男の人が座っていた。
「俺たちになんか用か?」
 ロレが言うと、その人は立ち上がり、真っ青な顔で頭を下げて言う。
「お願いしますっ! ムーンブルクがどんな様子だったか、教えてくださいっ!」
 唐突な言葉に、僕たちは少し目を丸くした。
「なんなんだよ、お前」
「す、すいませんっ、いきなりこんなこと言って。でもお願いです、ムーンブルクの様子を教えてください! あなた方はムーンブルク城に行ってきたんでしょう? どうなっていたか教えてください、どうか、どうか……!」
「……お前、ムーンブルクの人間か?」
「………はい」
「魔物の襲撃から逃げ出せたのか……」
 ロレが感慨深げに言ったが、その人は涙ぐんで首を振った。
「違います。そうじゃないんです。俺は……魔物がやってくる前に逃げ出したんです」
「……は?」
「俺は物見の兵でした。あの日見張りは俺一人で、でもいつも誰も通らないからすっかり安心しきっていました。そんな時――魔物の大群が現れたんです」
 そう言ってその情景を思いだしたように震える。
「今までに見たこともないような大群でした。見たこともないような異形の魔物たちが、地を埋め尽くすほどの数、ぞくぞくとこっちを目指している――俺は、パニックになりました。自分の役目も、同僚や友達のいるムーンブルクの街の事も忘れて、逃げたんです。魔物たちがいない方へ――ムーンペタの方へ」
 ………なるほど。
「ムーンペタまで半死半生で逃げ延びて、ムーンブルクが魔物に落とされたということを聞いて目の前が真っ暗になりました。俺があの時、ちゃんと知らせていれば防げたかもしれないのに。三ヶ月間、後悔にまみれて物乞いのような暮らしをしてきました。少しでも償いがしたくて、でもなにをすればいいのかわからなくて、偶然あなた方がムーンブルク城に行ったというのを聞いて、ムーンブルクがどうなったか詳しい話を聞きたくて、もういてもたってもいられなくて――」
 ……まあよくある話ではあるよね。要するに自尊心と能力の間の溝の問題だ。
 こういうのは自分に能力がないと諦められるなら話が早いんだけど、みんなそう簡単に自分の人生を諦める事はできない。自分を少しでもよく思いたいという感情はけっこう根強いからだ。
 個人的には責任を果たさず逃げ出したことは許せないけれど、彼を責めるべきも許すべきも僕じゃない。さて、どう言ったものかな、と考えていると、おもむろにロレがその人を殴った。
 驚いてロレを見つめる僕にかまわず、ロレは吹っ飛んだその人の首根っこをつかんで外に出ていく。僕も女将さんにお詫びを言ってからそれを追った。
「自惚れんのもたいがいにしろ」
「え……?」
 外に出ると、ロレがちょうどその人の胸倉を掴んでいる最中だった。
「てめぇ自分がいりゃムーンブルクを救えたとでも思ってんのか? ざけんな。ムーンブルクに生きてた人たちを馬鹿にしてんのか? 地を埋め尽くすほどの魔物の大群、見張りがいようがいまいが気づかねぇわけねぇだろ。ムーンブルクの人たちは必死に魔物と戦って、そして死んだんだ。――てめぇとは全然関係のねぇとこでな」
「は……」
「てめぇがどんなに自分を可哀想に思ってんのか知らねぇけどな。三ヶ月、てめぇなにやってたんだ。自分責めて気持ちよく自分慰めてただけか? てめぇ軍にいたんだろ。国を守るのが仕事だろうがよ。てめぇは逃げ出した、やるべき時にやるべきことをしなかった。その上生きてるくせになんにもしねぇで責任果たさねぇでいじけてた。そんな奴が未練がましく償いだなんだって口にするんじゃねぇ!」
「……あなたに……あなたになにがわかるっていうんだ!? 俺の両親は魔物に殺された、生きるためには軍に入るしかなかった! 俺は本当は魔物なんか見るのも嫌なんだ、今でも覚えてる、父さんと母さんが食われる音……! 俺はあんな風に死ぬのは嫌だったんだ! 怖くて、怖くて……本当に嫌だったんだよ……」
「そんなもんわかるわけねぇだろ。てめぇがどんなに辛いかなんててめぇにしかわかんねぇよ。けどな、辛かったら逃げていいのか。てめぇに任された責任を果たさないでいいのかよ。ムーンブルクでは山ほど人が殺された。今のてめぇにはそれを嘆く資格もねぇんだぞ。――ムーンブルクの様子が知りたいんだったら自分で行って見てこい。んなことしたっててめぇが逃げ出したことが許されるわけじゃねぇがな」
 ―――ロレ。
「俺は……俺は、どうすればいいんだよ……」
「知るか。償いたきゃ死ぬ気で償って腐ってたきゃ一生腐ってるんだな。てめぇで考えててめぇで決めろ」
 そう言うとロレはその人を放り出して宿の中に戻っていく。
 ――なんだか、すごくロレらしいな。ロレは責めるでもなく諭すでもなく、ただ純粋に怒った。その人のことを思ってとか、そういうおためごかしじゃなく、ただ感情のままに。
 でも、その感情の発露は、人に抱えているものを吐き出させる。ロレにとって人への労りっていうのはごく当たり前に染み付いているものだからだろう。
 だって、さっきのロレの言葉、僕には全部しっかりしろって励ましてるみたいに聞こえた。後ろ向いてる暇があったら今できることをやれって。
 ロレがそういう風に言うなら、僕はそのフォローをするべきだよね。
 僕は、地面に膝をついて嗚咽を漏らしているその人に近づいた。
「――あなたは、どうしたいですか?」
 その人はぼんやりと泣き濡れた顔で僕を見上げる。
「あなたは、これからどうしたいですか?」
「わからないよ……そんなの……ムーンブルクは滅びて、みんな死んじまった。もう、なにをしても手遅れなんだ……」
「いいえ、もしかしたらあなたに、助けてもらえることがあるかもしれません」
 僕はその人に、ムーンブルク王女マリアのことを話した。そして、犬を探すのを助けてくれないかと頼んだ。
 少なくともこの人は嘘はついてない、と僕は見た。それなら償いになると感じられることを示せば、飛びついてくるはずだ。
 実際に手は多い方がいいというのもあるけど、それ以上に――ロレはこの人の痛みを受け容れたんだから、僕は痛みを癒す道を示したいと思ったのだ。
 意図的にこのまま放っておく意味、ないしね。

 翌朝、僕たちはとりあえずジョールと名乗ったその人のねぐらに行ってみて、驚いた。まだ朝の九時なのに、もう二十匹も集めてる。もしかして徹夜したんだろうか?
「一応雄も念のため集めておきました。こっちからこっちが雄、こっちからこっちが雌です。それじゃ俺はまた犬探しに行ってきますから、これで」
 そう説明して彼はまた出かけていった。やっぱりロレに対してはまだ気まずいみたいだったけど。
「……よくもまあこんなに集めたもんだ」
「償える機会が与えられたことが、よっぽど嬉しいんだね」
「とにかく、片っ端から試してみるか」
 さっそく試してみた――が、どの犬を映しても、鏡にはなんの反応もない。
「うーん……まだ集められてないってことかな?」
「俺たちも探しに出るか。……お?」
 ロレはジョールの寝床らしき場所を見て、声を上げた。僕もそちらに視線をやり、そこに犬が寝ているのを発見する。
 もう一歩で痩せこけたという感じになるだろう、小柄なわりに手足の長い犬だった。当然水浴びなどしていないのだろう、地色は白かっただろう毛は灰色に汚れている。
「ジョールの飼ってる犬か……? あいつまだ試してないよな。やってみるか」
「そうだね。……あの犬大丈夫かな? 病気じゃない?」
 などと話しつつ、ロレがラーの鏡をその犬に向けた。僕たちは鏡の中をのぞきこみ――しばし言葉を失った。
 鏡の中には、薄紫色の髪の女性が地面に突っ伏しているところが映っていたからだ。
 ラーの鏡が光を放ち、周囲を光に包んで粉々に砕け散る。そのあとには、痩せた犬の代わりに、薄紫の髪と白い肌、簡素なドレスを身に着けた女性が残った。
「……………」
 しばし沈黙が降りて、ロレが近づきかけた瞬間、その女性が顔を上げた。瞳は真紅だ。なんとなく予想していた通り、絶世の≠ニ形容できるだろう美女――美少女かもしれない――だった。
 それを見た瞬間、ロレがぴたりと動きを止めた。小さく口を開けて、その女性を凝視する。
 この女性に見惚れてるんだ。
 そう認識した瞬間、僕はなぜかはっきり確信した。
 ――この人も、きっとロレを好きになる。
 僕と同じように、死ぬほど、ロレを愛しいと思うようになる。

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