マリアと初めて出会った話・後編
 呼吸すら忘れて王女を見ている俺の横で、サマはにっこり笑って王女に話しかけた。
「状況はわかりますか? ここは安全です。心配しないでもいいですよ。自分の名前は言えますか?」
 王女は呆然とサマを見つめ、それから俺を見つめ、周囲を見つめ、呟いた。
「こ……こ、は……?」
「ムーンペタです。あなたはハーゴンに畜生落としの呪いをかけられて、心ごと犬に変えられていたんです」
「ハ………」
 その瞬間、王女はひゅっとひきつけを起こしたように呼吸を止めた。焦点の合わない目でぶるぶると震えだし、ぎゅっと爪を立てて拳を握り締める。
「おい!」
 ようやく我に返った俺は、王女に駆け寄った。サマも駆け寄って彼女の服の上にマントをかぶせようとする。
 ――とたん、王女が叫んだ。
「触らないで!」
 は?
 なんでそんなことを言われるのかわからず、ちょっと驚いた俺にかまわず、王女は自分の体を抱きしめてはぁはぁと小刻みな呼吸を繰り返した。そしてひどく苦しそうに呼吸をしているくせに、ぎゅっとドレスを膝ごと握りしめて立ち上がる。
「……おい……?」
 王女は立ち上がると一度深呼吸をして、きっと俺たちの方を睨んだ。
「私の呪いを解いてくださったことには礼を言います。ですが今の私にはお渡しできるような報酬がなにもありません。私はこれからハーゴンを討ちに行きます。それが無事終われば、這ってでもムーンブルクに戻ってきてムーンブルクを復興します。それまで待っていてはくださいませんか」
 ……………は?
 数秒この女が言った言葉の意味を考えて、俺はカッとなって怒鳴った。
「なに言ってんだこの馬鹿女! てめぇ女のくせに一人でハーゴン倒しに行くつもりかよ! 無理に決まってんだろ、少しは考えろボケッ!」
 王女はきっと、殺気すらこめて俺を見返した。
「あなたには関係のないことでしょう。今報酬が欲しいなら大公たちにお願いしてある程度のものはお渡しします。だから私によけいな口出しをするのはやめてください」
「……んだと? ざけんなこのアマ、誰が報酬くれなんつったよ? こちとらてめぇみてぇな腐れ女になんざ、びた一文もらう気ねぇんだよタコッ!」
「……ではそんな腐れ女の呪いなど、解かなければよかったでしょう。頼んでもいないというのに呪いを解いたのはあなたです。それなのにそんな口を聞かれる理由は、ありません」
 くわっ! こ……んのアマ、ムカつく………ッ!!
 俺はきっと王女を睨んで怒鳴りかけたが、そこにサマが割って入った。
「まあまあ、二人とも落ち着いて、ね? かっかした頭で言い合ったってなんにもならないよ?」
「別に怒ってねぇよ!」
「……私は、冷静です」
「うんまあ、それはともかく。マリア王女、僕たちはローレシア王家とサマルトリア王家の者なんですよ」
「え………?」
 王女がわずかに目を見開いた。
「こちらがローレシア第一王子、ロレイソム・デュマ・レル・ローレシア。僕がサマルトリア第一王子、サウマリルト・エシュディ・サマルトリアです。以後お見知りおきを」
「………では………?」
「はい、ロト三国の血の盟約≠ノより、世界を救うため旅立った者たちです」
 その言葉に王女は一瞬絶句した。……なんで絶句されなきゃなんねぇんだよ。
 そしてすぐに、きっと俺たちを睨んで言った。
「ではロレイソム王子、サウマリルト王子。お二人にムーンブルク王家最後の人間としてお願いします。どうか私を放っておいてください」
「………はぁ!?」
 なに言ってんだこいつ!?
「ムーンブルクの仇はムーンブルクが討ちます。お二人は自国へお帰りください。お二人が独自に大神官ハーゴンを討とうとなさるならそれを止めることはできませんが、どうか私の邪魔はしないで」
「……血の盟約≠無視すると?」
「ええ。たとえそれでロト三国の席から外されようとも」
 王女は凄絶な目つきでうなずいた。
 俺は――さっきからのイライラが、猛烈な腹立ちになって爆発しそうになっているのを感じた。
「………ざけんなよ、コラ」
 俺はぼそりと言った。王女はきっと俺を睨むが、俺もぎろりと睨み返し、怒鳴る。
「人を舐めんのもいい加減にしろこの馬鹿女! 血の盟約だのなんだのはどーでもいいけどな、女が一人で魔王相手に喧嘩売るってのをはいそーですかって黙って見送れるわけねぇだろ!?」
「今回の敵は魔王じゃないけど……」
 どうでもいいツッコミを入れたサマに素早く蹴りを入れ、また怒鳴る。
「大体てめぇまともに頭あんのかよ。んな細っこい腕で剣なんか振り回せるわけねぇだろ。呪文があるって考えてんのかもしれねぇが呪文の効かない魔物だってうじゃうじゃいんだろ!? 魔法力がなくなることだってあんだろ!? そういうこときっちり考えて一人で行くって言ってんのかよ、てめぇは!」
「……っ」
「本気で敵倒す気なら周りのもんなんでも使やいいだろ。一人で意地張って勝手なこと言ってんじゃねぇ。はっきり言っててめぇは単に死にたがってるよーにしか見えねぇんだよっ!」
「…………!」
 王女はさぁっ、と顔から血の気を引かせた。
「…あっなたに、そんなこと言われる筋合いは……」
 ――と、言いながら王女はいきなりふらっと倒れかかった。
「!?」
 反射的に支えて、驚いた。
 ――軽い。
「ほら! 辛いでしょうに無理するから!」
「……っ、放してっ……」
「やっぱり長い間話すのは体に悪いですよ。少しベッドで休んで、食事も取ったほうがいいです」
「あなたたちに、指図は……」
「――ちっ」
 俺は舌打ちすると、王女をひょいと担ぎ上げた。王女が悲鳴を上げる。
「きゃっ! な、なにするの!」
「具合が悪いなら悪いって言え、このオカメブス!」
「……お、か……」
「サマ、宿屋か? 病院か?」
「病気や衰弱ってわけじゃないから、宿屋でゆっくりしておいしいものを食べた方がいいと思うよ」
「よし」
「……っ、放して! 放しなさい!」
「うるせぇ、黙って運ばれてろ、ペチャパイ!」
「ぺ……っ、あなたにそんなこと言われる筋合いないわよ!」
「ぴーぴー騒ぐなっつってんだろ鼻ペチャ女!」
 じたばたと暴れる王女を抱えながら、俺は宿屋に走った。
 走りながらこっそりため息をつく。なんなんだ、俺は。なんでこんな女に見惚れたんだ、一瞬のこととはいえ。
 女に見惚れるなんて馬鹿か俺は。いつからそんな奴になったんだ。
 あーもー目の錯覚だ目の錯覚、と決めこんで俺は全速力で走った。

 もう一部屋と女手を、という俺たちの注文に、女将は快くうなずいてくれた。ベッドに王女を放りこんだ俺たちを体を拭くからと追い出し、一人で王女の面倒を見てくれている。
 廊下に追い出された俺たちは、なんとなく顔を見合わせた。
「……これからどうする?」
「そうだね……食べ物は宿の人がおかゆを用意してくれてるし、とりあえずの身の回りの世話は女将さんがしてくれそうだし。着替えでも買ってこようか?」
「げ。冗談じゃねぇ、服屋は俺の鬼門の一つなんだよ。てめぇが行ってこい、どうせ俺女の服なんてわかんねぇし」
「僕だって詳しいわけじゃないんだけどなー。……ロレは、これからどうするの?」
「俺は……やるこたねぇから剣の稽古でもするか」
「場所、ちゃんと選んでね」
 サマはくすりと笑ってから、もう一度似たようなことを言った。
「――ロレは、これからどうしようと思ってる?」
「………そうだな」
 俺はその意味がわかったんで、考えながら言う。
「とりあえず、あの女がまともに動けるようになるまではここに足止めだな。全快したらここの領主にでも面会させて、保護してもらやいいだろ」
「そうだね、僕もそう思う。とりあえず元気にならないとなんにもできないし。領主宅で大げさに看病されるよりはこっちの方が居心地いいだろうしね」
 そう言ってから、ちょっと首を傾げてじっと俺を見上げる。
「なんだよ」
「一緒に連れていこうとは考えてないんだなって思って」
 ぶふっ。俺は吹いた。
「お前な……なに言ってんだ。あいつは女だぞ?」
「でもロトの血族だよ。ルビスさまの加護が得られるはずだ」
「ロトだろうがなんだろうが関係あるか。今まで魔王討伐に女が加わったなんてためしはねぇだろうが」
 アレフも、ロトも、ロトの仲間たちも、魔王を倒すために旅立ったのは全員男だ。
「あれ、ロレなんで知ってるの? 歴史の授業はいつも半分眠ってたって言ってなかったっけ」
「このへんは寝る前に話されるお話のたぐいだろうが。ロトとアレフの冒険の顛末ぐらい俺だって知ってる」
「でもさ。初めてなのは別に悪いことじゃないでしょ?」
「お前、本気で言ってんのか? あいつは女なんだぞ、女。体力もねぇし力も弱い。しかも口うるせぇったらありゃしねぇし。長旅なんてできるわけねぇだろ」
「――そうかな?」
 サマは首を傾げ、微笑んだ。
「なんだよ。違うってのか?」
「違うっていうか……確かに彼女に長旅は辛いだろうなー、とは思うけど」
「それみろ」
「でも、ロレ。女の人だって、仇を討ちたいって、考えることはあるんだよ?」
「―――なんだよ、そりゃ」
 ぶっきらぼうに返しながらも、俺はサマの言葉にちょっとたじろいでいた。
 俺は、今までそんなことを考えたことがなかったからだ。
「女の人だって男同様に、家族や友達を殺されたら憎いって思うし自分の手で恨みを晴らしたいって思うよ。なにもそういうのは男の専売特許じゃない。辛いことがあっても、目的のために必死に耐えて戦うことができるんだ」
「……弱い女がんなに必死になったって返り討ちになるのがオチだろうが。負けるのがわかりきってる喧嘩するなんて馬鹿のやることだ」
「あれ? やってみなけりゃわかんないっていうのは誰の言葉だったっけ?」
「う……」
 サマはくすりと笑った。その笑みを見て一瞬俺はなぜか背筋がぞくりとしたが、サマは気づきもせず、微笑みながら言う。
「僕も彼女がなにを考えているのかはよくわからないけれど。彼女が、父である王や、街の人たちの仇を討とうと、自分の状態も省みられないくらい必死になっているのはわかるよ」
「……自分が今まともに戦えるかどうかぐらい考えろよ。阿呆かあの女は」
「阿呆にならないと生きていられないぐらい、辛いんだろうね。――彼女は、たぶん目の前で、自分の全てを消されてしまったんだから」
「――――!」
 俺は絶句した。そうだ。考えてみりゃそうじゃねぇか。
 あいつは、父親を殺された。家族を殺された。住んでる街の奴らを殺された。
 街も城もめちゃくちゃにされて、残ったのは、あいつ一人。
 俺はそこに考えが至ってぞっとした。もし、俺があいつの立場だったら。
 俺も絶対に仇討ちしようとするだろう。それ以外のことは考えられないくらい死ぬ気で仇を討とうとするだろう。
 足を止めて考えるなんて、絶対にできやしねぇ。
「―――………」
 くそ。くそ。くそくそくそ。
 悔しいが……さっきのは、俺が悪かった、かもしれねぇ。
 黙りこんだ俺に、サマは小さく笑って言った。
「謝るんだったら少し時間をおいてからの方がいいよ。今彼女は体を拭いてもらってるところだろうから」
「……余計な世話だ、ボケ」
 そう言って俺はサマに背を向け、立ち去った。

 ――が、結局俺は一時間後、王女の部屋の前に立っていた。なにやってんだ俺は、と思いつつ、扉をノックする。
 しばらく間があって、小さく答えがあった。
「どうぞ」
 俺は扉を開け、中に入った。
 王女はこちらに目をやりもせず、じっと窓の外を見ている。
 ムーンブルクではガラスが安価に作れるようで、どこの家の窓にも普通にガラスが使われていた。この宿も当然窓にはガラス。窓を閉めていても町並みが見れるわけだ。
 王女はさっきとはうって変わって、まったく口を開こうとしない。なんだか調子が狂って、俺もつい黙ったまま王女を見つめてしまった。
 ふわふわとした薄紫色の髪。真っ白い肌。やたらと整ってる顔貌。ルビーみてぇな紅の瞳。
 ――認めたくはねぇが、こいつはやっぱりすげぇ美人だ。少なくとも俺はこんな美人、今まで見たことねぇ。
 と、その王女が、ふいに口を開いた。
「――この街は、活気があるのね」
「……そ、そうだな」
 急に話しかけられて少し驚きながらも、俺は答えた。王女は町並みに視線を固定しつつ、小さく言葉を続ける。
「みんな魔を統べる者が現れたことなど知らぬげに、当然のように明日も同じような日が続くと思いこんで日々を過ごしている。――明日にもこの街に魔物の群れが襲ってくるかもしれないのに」
 こいつが敬語じゃなくなってることに気づいて少し驚きつつ、俺は反論した。
「んなこともねぇだろ。サマがそう簡単には街を落とせるほどの魔物どもは操れないっつってたぞ」
「今までの例ではそうだったわ。けれど、今回もそうだという根拠がどこにあるの? 魔を統べる者との戦いは、きちんと記録に残っているものだとまだ三度目。今回は簡単に魔物を操れるような存在だったとしてもなんの不思議もないわ」
「…………」
 確かに……そうだな。そうなると明日にでもローレシアが襲われてもおかしくねぇわけか。くそ、ぞっとしねぇ。
 だが、俺は王女に反論していた。
「だからってまだ起こってもいねぇこと心配してなんになんだよ。用心深いのと心配性なのは違うんだぞ。先のことあれこれ心配するより目の前のこと片づけていかねぇと、勝てる勝負も勝てねぇよ」
「………」
 王女は小さく目を見開いて、俺の方に向き直り、それからまた町並みに視線を戻して小さく言った。
「幸せな人ね、あなたは」
 その言葉に、俺はかちんっときた。
「なんだよ、そりゃ」
「別に、言葉通りの意味よ」
「嘘つきやがれ、てめぇ今絶対俺を馬鹿にしただろ」
「別に馬鹿にはしていないわ。むしろ羨ましいくらい」
「そーいうのが馬鹿にしてるっつーんだよ。気取ってんじゃねぇこの胸なし女」
「む……っ、あなたね、それでも本当に王子なの? 人を馬鹿にしているのはあなたの方じゃない、そんなむちゃくちゃな言葉遣いをして失礼だと思わないのかしら?」
「いちいち細かいこと気にしてんじゃねぇよ。勘定所のババァかてめぇは」
「ば……だからそういうのが人を馬鹿にしてるというのよ! 当たり前のように悪口を言うのはやめてと言っているの、私は!」
「うっせぇな、大体てめぇの方こそなんなんだよ、やたらつんけんしやがって。てめぇあれだろ、友達いねぇだろ? 優しくされても意地張っていらねぇっつって後悔するタイプ」
「…………!」
 王女がびくん、とした。俺はふふんと笑って続ける。
「図星だろ。バッカじゃねぇの、友達ほしいならほしいっつえよ、んなこったからいっつも一人でめそめそ泣くはめになんだよ、このいくじなし女」
「………う………っ……」
 俺の言葉に、王女の顔がくしゃくしゃっ、と歪んだ。
 げ。俺は焦った。泣くのか? 俺そんなひでぇこと言ったか?
 王女の真っ赤な瞳から、ぽろぽろっと涙がこぼれおちた。ぽろぽろぽろぽろ、止まらない。王女の口から嗚咽が漏れ、ぎゅっと拳を握り締めて俺に殴りかかってきた。
「わかっ、てるわよ、そんな、ことっ。わざわざ、言われ、なく、たってっ……う、う―――っ………!」
 ぽろぽろ泣きながらどんどん俺の胸を叩く。王女の背は低く、座っている状態でも(王女もベッドに座ってたんだが)俺の胸にしか拳が届かなかった。
 俺はあーくそっ、と思いながら王女を抱きしめる。女の慰め方なんざ俺ぁ知らねぇぞ。壊れねぇだろうな、ちくしょう。
「うーっ、う――――っ………!」
「わかった俺が悪かった、いいから好きなだけ泣け」
 そう言うと一瞬涙でぼろぼろの顔で俺を見上げ、また泣きながら俺の胸を叩きまくる。
 ……痛くはねぇけど、妙な感じだなー。女っつーのが脈絡なく泣く生き物だっつーのは俺も知ってるが、こいつの今の涙は妙にまともな気がする。そうでなきゃ胸なんざ貸さねぇけどな。
 そういう涙を胸で受けるっつーのは、なんつーかずいぶん久しぶりっつーか、なんつーか。気恥ずかしいようなそうでもないような……。
 とか思いつつ王女を抱きしめていると、王女はさんざん泣いたあと急にこてんっと俺の胸の中で眠ってしまった。……なんなんだ。
 俺は起こさないように、できるだけそっと王女をベッドに寝かせて肌掛けをかけた。王女は目の下に涙の跡をつけて目の周りを腫れぼったくした、ちっとブスな顔で眠っている。
 だがその表情はあどけなく、張りつめた気が抜けていて、俺はこっちの方が好きだなと思った。
 王女の寝顔を見ながら、俺はまた思った。
 結局、謝りそびれちまった。

 廊下に出るとサマに会った。「王女に会ったんでしょ? どうだった?」と聞かれたのでいきさつを話すと、サマは一瞬目を丸くして、
「やっぱり、ロレはすごいね」
 と言って微笑んだ。なんなんだいったい。

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