マリアと仲間になった話
 マリアが人間に戻って、三週間ちょい経った。
 ――あれからずっと、俺はマリアに謝れないでいる。
 あれから何度もやってみはしたんだ。剣の稽古以外やることもないわけだし(サマもたいていの時間くっついてきた)、日に何度もマリアのところに顔を出して話をして、謝ろうとした。
 けど、どーしても、なぜかわかんねーけど……喧嘩になっちまうんだよなぁ。
 俺だって別に弱ってる女相手に喧嘩したいわけじゃねぇ。けどマリアの奴がなにかっちゃ突っかかってくるもんだから、つい言い返しちまう。するとさらに激しい言葉が返ってくる。俺も腹が立ってきてさらに言い返し――喧嘩になっちまうんだ、ちくしょう。
 俺も自分でもこうも謝るのが下手くそとは思ってなかった。慣れてねぇとは思ってたが。
 けど、あれはどこまでも俺が悪かった。やっぱりきっちり謝らねぇわけにはいかねぇ。
 そういうわけで、俺は今日もまたマリアの部屋の扉をノックした。
「どうぞ」
 マリアの澄んだ声が返ってくる。
 ――なんでマリアって名前を呼ぶようになったかっつーと、俺がいっつも「おい」とか「お前」とか「このアマ」とか呼んでたのをあいつが怒って、「私にはマリアという名前があるの! それ以外の名前で呼ばれたら今後一切返事はしませんから!」とすげぇ剣幕で怒鳴られたからだ。そのあと急に怒鳴ったせいでマリアがふらふらとベッドに倒れちまったんで、それからは俺はマリアはマリアと呼ぶことに決めた。
「邪魔するぜ」
 俺は声をかけてから部屋の中に入った。とたん、椅子に座っていたマリアのきっと睨みつけてくる視線と目が合う。
 俺は反射的にムッとして、言ってしまっていた。
「なんだよ。喧嘩売ってんのか?」
「まさか。あなたがまた失礼なことを言ってくるのではないかと思って身構えているだけよ」
 ……のやろ。
「ほー。てめぇは相手がなんか言う前に一人合点してガンつけんのかよ? それでよくまあ人のこと失礼だなんだっつえたもんだな」
「今までのあなたの行動を学習しただけでしょう? 第一あなたの言動それ自体がすでに果てしなく失礼じゃないの」
「んだとぉ? ざけんなこのマリアホ女、どこが失礼だか言ってみろ」
「………! そんなことを言っておいてどこが失礼だもないでしょう!? あなた本当に王家の人間なの、何度も言ってるけど! そんな礼儀知らずでよく王子なんて恥ずかしげもなく言えるわね!」
 王子としてふさわしくないうんぬんかんぬんというのは、俺の五本の指に入るくらい嫌いな台詞だ。俺はカッとして怒鳴った。
「るせぇこのチンクシャ女! 俺は別に王子になりたいなんぞ一言も言ってねーんだよ! 自分が選んだことでもねぇことに責任持てるか、しっかり口喧嘩しといて偉そうなこと抜かすんじゃねぇヘチマ頭のドブスチビ!」
「ど……あなただって大した顔をしてるわけでもないのによく人の顔をうんぬんできるわね! 偉そうなのはどっちよ、この……筋肉男!」
「へっ、悪口必死に言おうとしてその程度かよ? てめぇの頭の程度が知れるな」
 マリアはカッと顔を赤らめた。
「あなたにだけは頭が悪いとか言われたくないわ! この脳味噌まで筋肉男!」
「ん……っだとぉ!? この洗濯板のえぐれ胸ブス!」
 あーもーちくしょー、なんでこーなっちまうんだよー。俺はただこいつに謝りたかっただけなのにくそー……。
「まぁまぁ二人とも、落ち着いて。そんな大声出して喧嘩したらのど枯れちゃうよ?」
 そこににこにこ笑いながらサマが入ってきた。手にはメシの乗った盆を持っている。
『俺は(私は)落ち着いてる(わ)!』
「そうなの? ごめん」
 俺たちに揃って怒鳴りつけられてもサマは笑顔を崩さない。そのにこにこ顔に毒気を抜かれて、俺たちは黙りこんだ。
「とりあえず、ご飯にしよ? もらってきたから。ちゃんとご飯食べないと喧嘩だってできないもんね」
『…………』
 無言の俺たちにかまわず、テーブルを出してきて食事の用意を始めるサマ。
「はい、ロレ」
「……おう」
「はい、マリア」
「……ええ、ありがとう」
 マリアがサマに笑顔を返す。こいつ、サマに対しては妙に素直なんだよな。笑うし。
 っつか、サマがこいつに優しいからか。サマはマリアに元気になってもらおうとあれこれ細々としたことまで面倒を見ていたし、口に出す言葉も優しかった。俺とは比較になんねぇくらい。
 一度、マリアがまだそれほど体力戻ってない時、俺の目の前でぶっ倒れたことがあった。体ってよりはムーンブルクが落ちた時のことを急激に思い出してショックを受けたって感じみたいで、ベッドに寝かせたはいいものの泣き叫ぶマリアを扱いかねていると、サマが駆けてきてマリアを抱きしめ、こう言ったんだ。
『大丈夫。世界は君を愛してる。世界中の人々が、君を愛しているから、君は絶対大丈夫だよ』
 それでもマリアはまだ泣き叫びながら暴れてたんだが、サマはめげなかった。
『大丈夫。大丈夫。絶対大丈夫……僕たちがそばにいるから……』
 そう繰り返すうちにマリアは眠った。ひどく安らかな寝顔で。
 ……俺は、初めてサマを心底すげぇと思った。
 そりゃこいつにはこいつですげぇとこあるなと思ってはいたけど、今までに見たそういうとこはどれも呆れ半分だった。
 けど、今回のは違う。こいつは、苦しんでる奴を助けることができるんだ。苦しくて死にそうになってる奴を、救うことができるんだ。
 ――俺にはできねぇ。
 俺は、サマをこっそり尊敬した。
 ――だからまあ、マリアがサマにだけは優しく接するのも、当たり前っちゃ当たり前なんだろうな。なんか、ムカつくけど。
 揃って無言で食事をする俺たち。俺はメシ食ってる時は喋らないし、マリアも基本的に自分から喋ることはない。たいていこの三人で食事をする時はサマが朗らかに笑いながら話題を提供するんだが(それでも俺とマリアは直接は話さないんだが)、今日は珍しく黙ってメシを食っている。
 俺とマリアが飯を食い終わった頃(俺とマリアの食う早さが同じなんじゃない。圧倒的にマリアの方が食う量が少ないのだ。あんなもんで生きてけるのかと本気で心配になったんだが、サマが言うには必要な栄養分は補給できる、いきなりたくさんの食事を出されても食べられないだろう、ということらしい)、サマが口を開いた。
「もう少ししたら、ムーンペタ大公に面会を求めようと思うんだけど。二人はどう思う?」
 俺は最初言ってる意味がよくわからなかったが、十秒ほど経ってはっとした。そうだ、マリアをムーンペタ大公に預けるってことになってたじゃねぇか。マリアに謝ることばっか考えてて忘れてた。
 マリアの様子をうかがうと、マリアはうつむいていた。サマに答えようとはしない。
「僕たちが情報を得たいということもあるけど。基本的にはマリア、君についての話になるよね? だからマリアにもぜひついてきてほしいんだ。これからどうするにしろ、ムーンペタや各地の領主たちに話を通しておかないわけにはいかないから」
「…………」
「これからどうするって……なんだよそりゃ。マリアはムーンペタ大公に預けるんだろ?」
「ロレ、それはね――」
「私がどうするかは私が決めます。勝手なことを言わないで」
「……んだとコラ――」
「まあまあ、カッカしないで。ロレの気持ちもわかるけど、マリアの言い分ももっともだよ。マリアの去就を決めるのに、マリアの意思が介在してないのはどう考えてもおかしい」
「ぐ……」
「ただまあ、因果なことに僕たちは国をしょって立つ身の上だから。自分一人の意思で自分の行動を決められるわけじゃないけどね。少なくとも、大公たちに話をして了承を得る必要はあると思う」
「……………」
「で、二人とも、どう思う? もうそろそろ大公に会いに行ってもいいかな?」
『……………』
 しばし、沈黙が降りた。俺としてはさっさと会いに行ってマリアを預けたいと思ってるんだが、マリアの体調がどうなってるかはマリアにしかわかんねーし……。
 マリアがゆっくりと口を開く。
「私は、かまわないわ。明日にでも会いに行こうと思っていたところだから」
 ホントかよ。
「……そう? じゃあ早い方がいいね。明日、みんなでムーンペタ大公の城に向かうことにしようか」
「………そうね」
「ロレもいい?」
「……俺が反対することじゃねぇだろ」
「じゃ、決定」
 そう言うとサマは再び食事に戻る。しばしサマの立てるごく小さな食事の音だけが響いた。
 と、マリアが立ち上がる。なんだと思って見ていると、上にふわりとしたケープを羽織って部屋を出て行こうとする。
「どこ行くんだよ」
「あなたには関係ないでしょう?」
「んだとこのアマ……」
「どこへ行くにしろ、気をつけてね。日が暮れるまでには帰ってきた方がいいと思う」
「ええ……わかってる。大丈夫、そんなに遅くはならないわ」
 そうサマには微笑んで、マリアは部屋を出て行った。ったく、可愛くねぇ女。
 俺も剣の稽古でもするかと立ち上がると、サマが俺をじっと見つめて言った。
「マリアのあとを追うの?」
「……は? なんでそうなるんだよ」
「だって、マリアのあとについて立ち上がったから、そうなのかなって」
「なんでだっつの。俺はあんな女のことなんぞ、全然まったく心配してねぇんだからな」
 サマは俺をまじまじと見て、くすくすっと小さく笑った。
「ときどき嘘つきだね、ロレは」
 ……なんなんだそのいかにも僕は君のことをよくわかってるよみてーな笑いは! ムカついたので俺はひさびさにサマの頭をぐりぐりといじめてやった。
「痛い痛い痛い! ……でも、本当にマリアのことを追わなくていいの?」
「追うんだったら俺じゃなくててめぇだろ」
「え? 僕がマリアのあとを追ってどうするのさ」
「俺が追ったってどうしようもねぇだろ。てめぇの方がよっぽどあいつと親しいじゃねぇか」
「…………」
 サマは目を丸くして、まじまじと俺を見つめると、ぷっと吹き出した。
「ロレ、本気でそう思ってるの?」
「たりめーだろーが」
「ふうん」
 サマは口の端を吊り上げつつ言う。
 ……こいつ本気で俺の方が親しいとか思ってんのか? 誰がどう見たってあの女はお前の方に懐いてるだろうがよ。
 もしかして……こいつマリアにマジ惚れしたとかいうんじゃねぇだろうな? そんで疑心暗鬼になって俺の方が親しく見えて嫉妬してるとか。うげ、面倒くせぇ。三角関係なんぞごめんだぞ。
「とにかく、俺は剣の稽古に行くんだ。よけいなこと考えんじゃねぇよ」
「え、ホント? だったら僕も行く! ちょっと待ってて、すぐ食べるから!」
「……食べ終わるまでくらい待っててやるから、ゆっくり食えよ」
 目を輝かせていきなり早食いし始めたサマに、俺は肩をすくめた。いつものことながら、変な奴。やたらと俺のあとくっついてきて。
 ……そういや、ここんとここいつのこういう顔見てなかったような気もするが……ま、どうでもいいか。

 食後すぐ激しく体を動かすのはよくないというサマの主張で、腹ごなしがてらのんびり公園(とムーンブルクでは空き地のことを呼んでいるらしい。サマがいうにはかなり違うそうだが)まで行き二刻ほど剣を交え、俺たちは帰路に着いた。夏のことなのでまだ日は高い。
 この前服が燃えたんで(サマは直そうと思えば呪文で直せると言ってたが)、今俺たちが着てる服はかなり通気性のいい、涼しい服だ。ムーンブルクもこれから夏の盛りに向かうっつーのもあって。ムーンペタは水郷だから、川を渡る風がかなり涼しかったりするんだが、ムーンブルクの夏っつーのは基本的にむしむししてかなり厳しいらしい。
 まあ体を動かしたからだろうが、実際今はかなり暑かった。汗で服がぴっとり体に貼りつく。
「あっちーな。湯屋で汗流してくか」
「そうだね」
 サマも賛成したんで、一緒に湯屋の方へ足を伸ばす。ここでは湯屋ってのはかなり数が多いみたいで、ここに来る途中にもいくつかあった。
 ――と、俺は足を止めた。
「どうしたの?」
「……あれ見ろ」
 俺は指をさす。そこには、マリアがふらふらと歩いていた。
 サマの買ってきた麻の、なんか上と下が繋がってる服で、あっちへふらふらこっちへふらふらしてる姿はまるで病人だ。俺は思わず呟いていた。
「あいつ……まだ体力戻ってねぇのか?」
「というか、深窓の姫君が二刻もずっと歩いていれば疲れもすると思うよ」
「……まさかあいつあれからずっとふらふら歩いてたのか!?」
「たぶん、考え事してるんじゃないかな」
「なんの」
「これからのこととか……ムーンブルクのこととかだと思う」
「…………」
 俺は、その言葉を聞いてなんだかひどく苛ついた。なんでかはわかんねぇが、あの女がムーンブルクのこと考えてうじうじ苦しんでるんだと考えると、猛烈にイライラしてきたんだ。
 だから、俺はずかずかとマリアに近づいて、マリアがぼんやりとした顔でこちらを向くのを待って言った。
「なにやってんだよ、こんなとこで」
「……あなたには関係ないでしょう」
 ……言うと思ったけどよ。
「んな不景気面でうろちょろされてたら目障りなんだよ。口出しされたくねーんならちったぁマシな面ぁ見せやがれ」
「…………」
 マリアはひどく悔しそうな顔で俺を睨んだ。俺もぎろりと睨み返す。
 睨みあっていたのは数秒、先に視線を逸らしたのはマリアだった。小さな唇を噛み締めながら、ムーンペタの街並みに睨むような視線を向ける。
 なに考えてんだ、こいつ。
 俺はこっそりマリアの横顔を観察しつつ、マリアの隣に立った。なに考えてんだか知らねぇが、放っとくわけにもいかねえし。
 しばらく無言で隣り合って街並みを見つめていると、マリアがふいに、ぼそりと言った。
「私にどうしろというの」
「……は?」
「私だって、好きで不景気な顔をしているわけじゃないわ」
「…………」
 感情のない、一本調子な声に、俺はどう答えりゃいいのかわからなかった。別に泣いてるわけでも怒ってるわけでもないんだが――
 こいつ、妙に苦しそうだ。
 マリアはじっとムーンペタの街並みを睨みつつ、ぽつぽつと言葉を発する。
「私だって、好きでこんな顔やこんな性格に生まれついてきたわけじゃないわ。好きでこんな存在に生まれついたわけでもない。できるなら、もっと可愛らしくて優しい、誰からも愛される姫として生まれてきたかった」
「……なんだよ、そりゃ」
「……でも、駄目なの。私はそういう存在じゃないから。私は――呪われた姫だから」
「は?」
 なに言ってんだこいつ。
「あなたが私に辛く当たるのも当然だと思うわ。私は人に好かれるような存在じゃない。――嫌われて当たり前なのだもの」
「――――」
 俺はその言葉に、かっちーん、ときた。
「おい。なんだよそりゃ」
「言葉どおりの意味よ。私は呪われた姫――だからただ一人生き残ってしまった。……あなたや他の人がどんなに私を謗り詰ろうとも、私はハーゴンを討たねばならないの。それが私に課せられた使命で、人生ただ二つの目的の一つでもあるのだから」
「…………っ!」
 こいつ……す……っげえ、ムカつく……っ!!
「おい。お前、いい加減にしろよ」
「……なにを?」
 無表情な面でこちらを見返すマリアの胸倉をつかんで、すぐ近くまで顔を近づける。
「ちょ……っと!」
「お前、人生舐めてんのか?」
「え?」
 少し怯えたような顔でこちらを見上げるマリア。こいつはいつもそんな風にして、不幸が訪れるのを待ってたのかと思うと、ますます頭に血が上った。
「辛く当たられるのが当然だ? 嫌われて当たり前? てめぇはいつもそーして諦めてきたのかよ。自分が選んだことじゃないことのせいにして、しょうがないって怠けてきたのかよ」
「怠け……怠けてなんか……!」
「怠けてんだろうがよ。嫌われんのが嫌なら自分を変えりゃいいだろうが。誰からも好かれる奴になりたかったんなら愚痴言ってねぇで全力でそうなれるようやってみりゃいいだろ。そうしねぇで周りから押しつけられたもん受け容れたくないくせに受け容れて本当はやりたくもねぇことやりたくないとか思いながらやって、本当は言いたい文句押しこめて気持ちよく不幸に浸ってるような奴ぁな、俺の流儀じゃ思いきり怠け者なんだよっ!」
「…………!」
 マリアの顔が蒼白になり、それからぎゅっと拳を握って目を潤ませながら喚きたてる。
「あなたになにがわかるの!? 私だって必死に好かれる存在になるよう努力したわ! 朝から晩まで勉強した、本当は嫌いな宮廷作法の授業も必死で受けた、悲しい時も苦しい時もいつもにこにこ微笑んで、朗らかな優しい姫のフリをした! でも、でも! それでも私を好きになってくれる人なんて誰もいなかったのよ!」
「ハ。だから? 努力が報われなかったから拗ねて面倒くさくなって全部放り出したってか? 甘えんなタコ、てめぇがどんだけ不幸だろうがな、てめぇでてめぇの人生を放棄していいってことにゃあならねぇんだよ」
「……っ」
「てめぇは結局好かれるために人生費やすよりてめぇのまんまで生きる方を選んだんだろうが。だったらきっちりそれを貫き通しやがれ! 拗ねんな媚びんな甘えんな、前見ろ顔上げろしっかり胸張れ! 誰かが言ったからだの誰かのためにだの、しょうもねぇ言葉で誤魔化してねぇで、誰がなに言おうがどう思われようが、自分の人生は自分で決めろ!」
「…………!」
 俺が怒りのままに怒鳴ると、マリアはしばし潤んだ瞳のまま硬直し――「う……」と顔を歪め、俺がげ、やばい! と思ったのとほぼ同時に、「うわぁーん!」と子供のように泣き出した。
「……あー……」
 ったく、なにやってんだ俺は……謝ろうと思ってた奴をまた泣かしてどうすんだ、バカか俺は。そりゃ俺の言ったこと自体は本気で思ってたことだけどよ……。
「な……っ、によっ、偉そうに……っ! あなたなんか、下品で、口が悪くて、意地悪で……っ! あなたの方こそ、最低の、人間のくせに……っ!」
「あーはいはい、わかった俺が一番悪い」
「そうよっ! あなたが、一番、悪いんだから……っ!」
 うぁーん、と泣きながらどんどんと俺の胸を叩くマリアを、俺は抱きしめる。前にこいつが泣いた時と同じように。
 やれやれ、と思いつつマリアの頭上から視線を飛ばし――その時初めて俺たちが周りから思いきり注目されてることに気づいた。ガキだの男女の二人組みだの中年女だのジジババだのが、好奇心を満々にした目でこっちを見ている。
 ……痴話喧嘩だと思われてんだろーなー……。
 なんとなくムカついたが、泣いてるマリアを放ったらかして怒鳴るわけにもいかねぇ。殺気をこめてぎろりと睨みまわすだけにとどめた。
 気の弱い奴は目を逸らしたりそそくさと立ち去ったりしたが、怖いもの知らずのガキやババァは逆ににやにや笑いながらこっちを見てたりする。くそったれが、と内心罵って、その時初めてサマがさっきのところで立ったままこっちを見ているのに気づいた。
 いるんだったらとっとと助けやがれ、という思いをこめて睨むと、サマはちょっと困ったように笑って、周りの見物人たちのところへ行っていちいち説得し始めた。
 確かに見物人はいなくなったが……俺は、マリアの方をなんとかしろっついたかったんだがな。

 翌日、俺たちはムーンペタ大公の城を訪れた。マリアが生きてることを知られると騒ぎになるからってサマの提案で、ムーンペタ入りしてたローレシアとサマルトリアの調査団からの紹介でローレシアとサマルトリアの王子とその連れ、という形で大公と面会することになった。
 応接室に通された俺たちは、妙にふかふかしたソファに座って大公が来るのを待つ。窓のない部屋で今は夏だってのに、ずいぶん涼しかった。魔法の道具のせいなんだそうだが。
 ……しっかし、豪勢な応接室だな。どこもかしこも金箔が張ってあってキンキラキン、調度品もごちゃごちゃと、いかにも高そうなもんばっか置いてある。
「こういう豪勢な部屋は苦手だぜ」
 俺がぼそりとこぼすと、サマが笑った。
「一国の王子の台詞じゃないよ、それ」
「うるせー。ローレシアの気風は質実剛健なんだよ。……それにこーいうとこ来るとガキの頃からなにかしらもの壊しちまうし……」
「あは、すごく想像できるかも」
 なにか言うかな、と思ってたんだが、マリアはずっと黙ってうつむいていた。ドレスを買おうか、とサマが言ったんだが、きっぱり拒否したんで昨日と同じ麻の服。洗濯して魔法で乾燥させたらしい。
 なに考えてんだ、また妙なこと考えてんじゃねぇだろうなこいつ。
 部屋の扉が開いて、先触れが入ってきた。
「エイム・ドーリ・イムル・シガン・ムーンペタ大公の、おな〜〜り〜〜〜」
 ……応接室に来るだけで大げさな奴だな。
 だが俺のそんな感想など気づきもせず、うじゃうじゃと供の人間を引き連れてムーンペタ大公はやってきた。まあ一見ごく普通の、中肉中背のおっさんなんだが、よく見ると妙に脂ぎった、野心やらなにやらを腐るほど持ってそうな面だってのがわかる。
「ローレシアとサマルトリアの王子殿下でいらっしゃるとか」
 上座にふんぞり返って偉そうに言う金髪巻き毛のおっさん。サマがにっこり笑って答える(ちなみに交渉役はサマに任すってことになってたんで、俺は黙っておっさんを睨んでいる)。
「いかにもその通りです。ロト三国の血の盟約≠ノ従い、ローレシアとサマルトリアからここまで旅をしてきました」
「ほほう。世界を救う勇者の方々にご来訪いただくとは光栄の極み。歓迎させていただきましょう。……しかし血の盟約≠ノよって旅立った人間に対しては、たとえ親戚筋の人間でも手助けをしてはならぬのが習い。まして……いまやムーンブルク王家は崩壊しているのです。ムーンブルクはもはやロト三国ではない。ならば、あなた方に便宜を図る義務も責任も我々にはないと存じますが?」
 大げさに身振り手振りを交えつつ言うそいつ。……なんかムカつくな、こいつ。殴ってやろうか?
 だが、俺が立ち上がる前に、サマがにっこり笑ってこう言った。
「あなたの目は節穴ですか? 野心に目が眩んで、自分に都合のいいことしか見えていないのかな?」
 ……けっこう言うな、サマの奴。
「なっ……なんですと!? 無礼なっ」
「旅する勇者に対して先に礼を失したのはあなたでしょう。……まだ気づかないのですか。目の前にあなた方の主が座しておられることに」
「なにを……え?」
 ムーンペタ大公の目が大きく見開かれた。驚愕の表情でこちらを――マリアを見つめ、震える声で言う。
「ま……まさか……まさか……マリア王女………!?」
「お久しぶりですね、ムーンペタ大公」
 マリアがゆっくりと顔を上げて、聞いたこともないような冷たい声でそう言った。……なんか、今気づいたけど、こいつすげえ緊張してないか?
「な……なぜ、生きて……」
「忘れたのですか? 私は呪われた姫。たとえ死の呪いをかけられたとしても蘇ってくる女なのですよ」
 犬の呪いを解いたのは俺たちじゃねぇか。っつか、それより……なんだこの反応? 普通自分とこの姫が生きてたってわかったらもっと喜ぶもんじゃねぇか?
 俺の困惑をよそに、マリアはムーンペタ大公に向け一方的に言い放つ。
「私はこれよりハーゴンを――ムーンブルクの仇を討ちに参ります。私が帰るまで王家の全権は貴族議会に預けます。その旨、議会の方々に説明しておいてくださるようお願いします」
 それだけ言ってマリアは立ち上がる――が、そこで大公が待ったをかけた。
「お待ちください、マリア王女」
 マリアがびくん、と震える。……なに怯えてんだこいつ?
「……なにか」
「今やムーンブルク王家の最後のひとりとなったあなたがもし亡くなった場合。王位は誰が受け継ぐのですかな?」
 その言葉に、マリアの顔からさーっと音を立てて血の気が引いた。きゅっと唇を噛み締めて、冷たく言う。
「……どうとでも。貴族議会の方々が相談して決めてくださればいいでしょう」
「いや、そういうわけには参りませんぞ。ムーンブルクはこの世界が始まって以来の歴史を持つ由緒正しき王国、その大国の舵を取る人間が誰か定かでないとなれば、国民の間にも不安が広がりかねません」
 大公はいつの間にか余裕を取り戻していた。ふぁさ、と髪かき上げたりなんかしつつ、自分も立ち上がって顔を反らしながら言ってくる。
「マリア王女が生きてらっしゃるとわかった以上、王女には最後の王家としての責務を果たしていただかねばなりませんからな。王女にはぜひここムーンペタに留まり、国政の指揮を取っていただきたい。心配なさることはございませんぞ、私がお助け申し上げる」
「……それはできません。私は、魔を統べる者、ハーゴンを討たなければ……」
「王家の人間はまず国のことを第一に考えるべきでしょう。すでに敵を討つべく二人もの勇者が旅立っていらっしゃる。最期の王家であられるあなたは、王家としてまず国を守るべく全力を尽くされるべきでは?」
 マリアが蒼白な顔のまま、大公を睨む。
「……呪われた姫を懐柔するおつもりですか? 邪眼に睨まれ狂死することになるかもしれないのですよ」
 大公はふふんと笑う。
「それは迷信だと、王が何度もおっしゃっておられましたな」
「………っ!」
 ぎゅっと唇を噛み締めるマリア――
 俺はなんだか、イライラしてきた。この大公、言ってること一つ一つを取ってみりゃそれなりにまともなこと言ってるんだが――
 なんか、話聞いてるとムカつく。
 大公はほとんどのしかかるように顔を突き出して、マリアをかきくどいた。
「マリア王女、失礼ながらあなたはまだお若い。世界のこと、国のことを考えるのは早すぎる。今は我が城に逗留なさり、ごゆるりと養生されるのがよろしいでしょう。なにも心配なさることはございません、我々にお任せくだされば全てよいようにいたしますゆえ……」
 それは、俺が言いたかったのと同じ台詞だったかもしれない。
 このいかにも華奢で、弱々しい女に、世界やら国やらを背負わせるのが嫌で、休ませたいと思ってたのは俺だ。
 だが―――
「待てよ、おっさん」
「おっさ……!?」
 固まる大公を、俺は立ち上がって睨みつけた。
「つまんねぇことぐだぐだ言ってんじゃねぇ。マリアが行きたいっつってんだ、行かしてやれ」
 大公はひきつった顔で、またふぁさと髪をかきあげる。
「これは、ローレシアのお方は異なことをおっしゃられる。マリア王女はムーンブルクの王家最後の一人なのですぞ? ローレシアと違って、ムーンブルクの王家とにはそれなりの責任というものが」
「うっせタコおやじ。そういう話してんじゃねぇんだよ。マリアはハーゴン討ちに行くって言ったんだ、こいつの、少なくとも今しなきゃなんねぇと思ってることはハーゴン討伐なんだろうよ。……だったらやらせてやりゃあいいじゃねぇか」
「タ……!? きっ、きさまっ、それはローレシア王家の宣戦布告と判断するぞ!」
「阿呆かてめぇは。男なんだったら細かいことぐちゃぐちゃ言うんじゃねぇ。てめぇ曲がりなりにも家族養って大公やってんだろーが。だったらマリアがいようがいなかろうが国の一つや二つきっちり運営しやがれ!」
「そ、そういう問題ではないっ! 王家には王家の責任というものがあるのだ!」
「果たそうとしてんだろうが、王家の責任。ロト三国の血の盟約。これはムーンブルク王家にとっても至上命令だったはずだよな?」
 俺の言葉に大公はぐっと言葉に詰まった。そしていくぶん語調を弱くして言ってくる。
「しかし、マリア王女は女性なのだし……王家の最後の一人にもしものことがあれば……」
「そういう心配はいらねぇよ」
「なぜそんなことが言える!」
 俺はぐいっと親指で自分を指し示し、きっぱりと宣言する。
「俺がこいつを、守ってやる」
『…………』
 なぜか、沈黙が降りた。
 俺はムッとした。なんだよ、そんなに変なこと言ったか? 俺。そりゃ半分勢いで言った台詞だが、とことん本気で言ったんだぞ。
 サマがくすりと笑って、立ち上がり言った。
「私もマリア王女を守ります。マリア王女もその魔力で我々を守ってくれるでしょう。我々はロト三国の王家の人間として、世界を守るため共に戦おうとしているんです」
 そして大公に向かい一歩踏み出し、俺の今まで見たことがないんじゃないかって感じの真剣な顔で言う。
「だから、それまでムーンブルクはあなたたち貴族議会に預けます。その全力を傾注してムーンブルクを守ってください。王女のお志についてはあとで一筆書くことになると思います、それを使って貴族議会の方々に説明と説得をお願いします」
 それから妙に迫力がある顔でにっこりと笑って。
「もし、王女の任せるという言葉を裏切るようなことがあれば、貴族議会はローレシア、サマルトリアと三人の人でなしを敵にすると思ってくださいね」
 笑顔の脅しに、ムーンペタ大公はかくかくとうなずいた。……サマの奴、なんなんだその迫力。

 結局俺たちは、マリアを来た時と同じように連れ帰ることになった。
 帰り道で俺たちは無言だった。なぜかサマが無言なので、話がちっとも始まらない。
 マリアは黙って俺の後ろを歩いている。なんか言えよ、と俺は内心面白くなかったが、自分からなにか言うのもさらに面白くなくて黙って先頭を歩いた。
 目的地まであと数分、というところまで来て、ようやくマリアが言った。
「……なんで、あんなことを言ったの」
 俺はようやく喋りやがった、とほっとしつつ声と顔に出してはぶすっと答えた。
「あんなことってどんなことだよ」
「……あなたが、私を、守るとか、そんな妙なことを言っていたでしょう」
「……ああ。言ったぜ」
「なんであんなことを?」
「なんでって……」
 俺はしばし考えて頭をぐしゃぐしゃとかき回し、唸ったりもしたが、うまい言葉が見つからなかったので苛立たしげに言った。
「そう思ったからだよ。決まってんだろ」
「だからなぜそう思ったのか……」
「あーうるせーうるせー! いいから黙ってついてこい! てめぇの旅の道具を買わなきゃなんねぇんだからな」
「え……」
 わずかに目を見開くマリアに、頭をばりばりばりとかきながら怒鳴る。
「守ってやるから一緒に旅しろっつってんだ! 文句あるかこのアマ」
「………………」
 マリアが呆然とした顔でこっちを見る。そりゃなぁ、俺昨日までこいつが旅するの反対してたもんなぁ……。
 けど、こいつが震えながら、それでも必死にハーゴン討伐に向かうことを主張する姿を見てると。ムーンペタ大公に、怯えながらも必死に抗う様を見てると。
 この三週間の、こいつが苦しんで苦しんで苦しんで、それでもハーゴンを倒さなくちゃと意地を張るところを見てると。
 こいつは本当に本当にハーゴンを倒したくてしょうがねぇんだっつーのがわかって、なんつーか……放っとくわけにもいかねーなって、思っちまったんだ。
 たとえそれが自分の意思じゃなくても、こいつがやらなくちゃと意地を張ることを、やらせてやりてぇかなって。
 ……それにあのムーンペタ大公にこいつを預けるっつーのもぞっとしない考えではあったからな。
「………嫌よ」
 マリアがぼそりと答える。俺は眉を吊り上げた。
「あァ?」
「嫌よ! 私はあなたたちと行くわけにはいかない! 私は一人で旅立たなきゃいけないの!」
「なに言ってんだてめぇ」
「私は一人でハーゴンを討たなきゃならないのよ! あなたたちと一緒に旅はできない!」
「馬鹿言ってんじゃねぇ、ボケ。言っとくがな、てめぇが一人で旅立とうとしても俺は許さねぇぞ。んなことしようとしやがるたびに、意地でも見つけ出して連れ戻してやる」
 俺の言葉に、マリアはなぜか泣きそうな顔になる。
「駄目なのよ……私一人じゃなくちゃ……」
「なんでだよ」
「…………」
 マリアの口がなにか言いたそうに動いて、だが声は出さずにきゅっと閉じられた。マリアは泣きそうな顔をして俺を見る。
「……どうして、放っておいてくれないのよ………」
「阿呆。死のうとしてる奴を放っとけるわけねぇだろ」
「…………!」
 マリアは硬直して、相変わらず泣きそうな顔でうつむく。
 俺は苛々とそれを見つめた。んな顔してんじゃねぇよ。
 俺はお前の泣き顔は、大嫌いなんだから。
 そこにサマが明るく言う。
「まぁなにはともあれ、三人揃って旅ができることになってめでたしだよね!」
「……暢気なこと言ってんじゃねぇよ」
「え、暢気かなぁ? 僕としてはムーンペタ大公がなんとしてもマリアを離さないって可能性も考えてたから、今の状況は御の字ってとこだと思うけどな」
 んなこと考えてたのか、こいつ。
 サマはマリアに、にっこりと微笑みかけた。
「とりあえず、君が僕たちに一緒に旅したくない理由が言えるようになるまでは、一緒に旅してもいいかな? 一緒にいた方が、できることはきっと多くなると思うんだ」
「…………」
「君が言えるようになったら、またその時どうするか考えよう。少なくともそれまでの間は、僕たちは君の助けになるよ」
「…………」
「ロレも君を守るって言っていたしね」
 軽く笑うサマに、マリアもつられたように少し微笑んだ。俺はなんとなく面白くなかったが、とりあえずマリアが一緒に旅する気になったみたいなので、なにも言わない。
 サマがふいに、真剣な顔になって俺を見上げた。
「……なんだよ」
「ロレ、ロレはマリアを守るように、僕のことも守ってくれる?」
「はぁ?」
 俺は呆れた。マリアも目を見開いている。なに言い出しやがんだこいつ。
「男守ってどうすんだよ。キショイこと言うな」
「……僕は、ロレのこと、いくらだって守っちゃうけどなぁ……」
「てめぇに守られるほど弱くねぇ」
 俺はそう言い捨てて、足を速めた。

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